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11章 色と名前のない世界

8話 闇夜の邂逅

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「嫌ぁーっ! お姉様ぁー!!」
 
 ゴオオ……とすさまじい音を立て、天をくほどの黒い炎がエリスをく。
 これほどの勢いの炎なのに、不思議と熱を感じない。
 それにエリスの悲鳴も最初から聞こえてこなかった。普通の炎とはちがうんだろうか?
 
 数十秒ほど置いて炎が徐々に消え、中心にいた人物が姿を現す。
 ――煙は出ているけれど、少しも灼けていない。
 ただ、そこにいたのは銀髪に青眼の美しい女性ではなかった。
 黒髪に、灰眼……そして目鼻立ちもさっきの"エリス"とは全くちがう。
 
 ――何が起こったんだろう?
 誰一人として、今の状況が分かる人間がいない。
 
「な……何、誰よ、この女!? カラス!! お前一体何をしたの!! お姉様はどこ!?」
「!」
 
 最初に口を開いたのはアーテだった。
 金切り声で怒鳴りつける彼女に対し、グレンさんは両手で顔の横を覆いながら何かブツブツと言っている。
 
(グレンさん……?)
 
「ちがう、知らない、俺は……」
 
 震える声でそう言うと彼はわたしと仲間に順に目をやり、何度も首を振る。
 そして――……。
 
「っ……レスター……」
「え……?」
 
 ――"レスター"? 誰?
 彼には一体、何が見えているの――……。
 
「……どう、して……」
「あっ……!」
 
 顔を覆い尽くした体勢のまま、彼はその場から消えてしまう。
 
「グレンさんっ! いやだ! どこ!? どこ行っ……」
 
「ふざけないでよおおおっ……!!」
「!!」
「なんなの、このブスのカラスは!? お姉様は! エリスお姉様はどこよおっ!!」
 
 アーテが茫然自失としているエリスに何発も蹴りを入れる。
 
「もしかして、あの美しいお姉様は、お前が化けていたの!? ふざけないで! ふざけないで! よくも騙したわね! ブスのくせに、カラスのくせに、よくも、よくもぉおおっ――!!」
 
「うるっせえんだよ!!」
「!!」
 
 ジャミルがそう叫んだ瞬間、エリスとアーテに水がザバァと落ちる。
 水――ルカだ。ジャミルの傍らにいるルカがヒックヒックとしゃくり上げながら、彼女達に小さい水の球を何個も叩きつける。
 
「いつまでここにいる気だ! 今すぐここから消えろっ!!」
「ひっ……!?」
 
 ジャミルが「消えろ」という単語を発したのと同時に、黒い渦が発生した。
 渦はあっという間に広がり、エリスとアーテをバクリと呑み込む。
 悲鳴を上げる間もなく2人は消え――小さくなった渦は、小鳥の形に。
 そしてピピピと鳴きながらジャミルの肩に飛んでいく。
 
「ウィル……」
 
 ルカの魔法、そしてジャミルの使い魔ウィルが戻ってきた。
 きっかけは全部、あの2人による彼への度の過ぎた侮辱――それに対する怒りの感情。
 
「こんな……こんなことで、戻ってもわたし……うっ、ひっ……」
「……ルカ」
「……泣いてたの」
「え……?」
「あのひと達にいじめられて、あの子、泣いてたの……っ」
「……あの子?」
「…………っ」
 
 顔を両手で覆い尽くして、ルカはそのまま座り込んでしまう。
 
「グレンの足元に……黒いヘドロの塊がずっとまとわりついてんだ」
「ヘドロ……?」
 
 泣いて喋れないルカの代わりにジャミルが口を開く。
 そういえば彼も何かえるようになったと話に聞いた。
 
「子供くらいの背丈でさ。『どうしてどうして』って呟いてたんだ。さっきは……赤い眼光らせて、ずっと泣いてた」
「…………」
 
 ――どうしてそんなに差がある、同じ、人間なのに!
 
「!!」
 
 次の考えに移るよりも前に、「キィー!」という音が耳に入った。
 音は砦の屋上から聞こえてくるようだ。
 
「シーザー……? どうし……、!!」
「グレンさんっ……!?」
 
 砦の屋上に、彼がいた。
 塀に乗り出して、地上を覗いている……。
 
「いやだ! やめて!!」
 
 わたしはまた彼の元へ駆け出した。
 ――涙で前が見えない。
 
『彼らは他者を攻撃しながらそれ以上に自分が傷つき、そうなっても助けの求め方が分からないまま、往々にして、最後は死を望みます』――。
 
 ――嫌だ、全部全部、テオ館長の手紙の通りにしかならない……!
 
 
 ◇
 
 
「グレンさんっ!!」
 
 砦の屋上、地上を覗いたまま固まっている彼の背に飛びつく。
 振り向いてわたしの顔を見たあと、彼は石畳の上に力なく座り込んだ。
 わたしも彼と向かい合わせで座って彼の顔を見上げるけれど、もう彼は抱きしめてくれないし、目も合わせてくれない。
 
「ここは……見晴らしの塔じゃないのか」
「見晴らしの、塔……?」
「高いんだ、あそこ。落ちたら死ぬ。……そうすればようやく、みんな俺を人間だと分かってくれる」
「バカなこと言わないで……! 知らない誰かが何を言ったって、あなたがちゃんと心を持った普通の人間だってこと、わたしもみんなも知ってるわ!」
「……辛いんだ」
「え?」
 
「人間が嫌いだ。皆見た目だけで何もかもを決めつけて、怖がったり蔑んだり、時には罵倒や糾弾をする。自分勝手で汚い、魔物よりもよほど醜い。……でも」
「でも……?」
 
「同時に、いい人間がいることも知っている。……俺が出会う人間はいつも、両極端だ。悪意しかぶつけないクズと、優しさと善意で接してくる、とびきりにいい人間……。俺はそれが苦しい。光があるから、救いがあると思うから、それを求めてすがってしまう。……光が照らしてこなければ、いい奴なんか一人もいなければ……自分勝手に人を恨んで殺して、好きなように生きられるのにと、そう思ってしまう」
「……グレン、さん」
「結局……俺が一番、醜くて汚い」
 
 そう言って彼は塀にもたれかかって、わたしと顔を合わせないように横を向いてうなだれる。
 伏せた黒の睫毛から、涙が流れ落ちる。
 
『差し伸べた手は払われ、そして恐らくどのような言葉も沈みゆく彼には届かないでしょう』――。
 
 ――このまま何も言えなければ、彼は死を選んでしまう。
 でも、何も出てこない。
 
 どうしたらいいの。
 どうしたら……。
 
 
「お取り込み中、失礼いたします」
「え……?」
 
 突如、上の方から聞き覚えのない声がした。
 見上げると、黒い法衣をまとった男の人が上空に浮かんでいた。
 長い黒髪に白い肌……遠いから分からないけれど、おそらく目は灰色の――ノルデン人だ。
 
(ノルデン人、黒い法衣……もしかして……)
 
 黒衣の男性はふわりふわりとゆっくり下降して、石畳に「コツ」という靴音を響かせわたし達のいる砦の屋上に降り立つ。
 一見柔和に見えるけれど、横で唸り声を上げているカイルの飛竜シーザーがこの人の危険性を物語っている。
 
 男性はにっこり笑ってシーザーの胸あたりに手をやり何かを囁く。するとシーザーは唸るのをやめ、数秒経たないうちに目を閉じて頭を垂れ床に伏せってしまった。
 眠りの魔法か、それとも気絶してしまったのか――横たわるシーザーを一撫でしてから彼はこちらに向き直り、コツコツと靴音を響かせながらこちらに歩みを進める。
 現れた時からずっと笑顔を浮かべたままだ。ああいうお面をつけているのかと思うほどに、少したりとも崩れない笑顔。
 
 ――怖い。
 わたしの気持ちを感じ取ってか、それとも自分も恐ろしいからなのか、グレンさんはわたしを引き寄せて抱きしめ男性からわたしを隠すように体勢を変えた。
 男性はわたし達の元に辿り着くと、うやうやしくお辞儀をして両手を軽く広げる。
 
「初めまして。僕はロゴスといいます」
「……!」
 
 ――光の塾の司教、ロゴス……!
 グレンさんが彼を睨みあげながら、わたしを抱く手に力を込める。
 
「先ほどは、僕の女神達が失礼なことを言ってしまい申し訳ありません。同じノルデン人で人生に絶望している人間であれば、あの大災害をなくしたいはず……そう思って説得の文句に使っていたのですが、決めつけはよくありませんね。滅亡を望む者がいてもおかしくはない……理解が及ばず、おかげで"エリス"を失ってしまいました。功を焦った彼女の自業自得とはいえ、不覚です。……しかし、呪いを使うとはさすがに予想外でした」
「…………?」
 
 どうやらグレンさん自身もさっき自分がしたことを分かっていなかったようで、眉間にしわをよせながらロゴスを見上げた。
 
「あなたが先ほど発したのは、"天蝕呪イクリプス"という呪法です。月の満ち欠けによって様々な効力を発揮するもので、今回は彼女自身が呪わしいと思う状態――本来の醜い顔に戻り、おまけに不死となってしまいました。満月や新月ではないのでその期間は短いでしょうが……彼女にとっては最も効果的な呪いと言えますね」
 
 ロゴスが先ほどの事象を淡々と説明してくれる。
 ――この人は一体、何なのだろう? こんな話をするためにわざわざ来たとは思えない。
 続いて彼はニコニコ笑顔で手拍子を一つ打った。
 
「さあ、それよりも先ほど聞いた光の塾についてのことです。少し誤解があるようですので説明をさせてください」
 
 なんで今、その説明を?
 ――もう嫌だ。さっきの2人よりはまだ理性的だけど、この人もやっぱり誰の話も聞かないで勝手に喋る系統の人だ。
 
「……僕が光の塾の司教"ロゴス"を受け継いだのは15年ほど前のこと。その頃から少しずつですが下位組織の是正をしまして……度を超えた拷問は禁止、衣食住についても昔ほど劣悪ではなくなっており、最低限の人権は保障されていますのでご安心ください……守られているかどうかまでは知りませんが。……それともう一つ。大きな誤解をされているようなのでこちらも説明しますね」
「…………」
 
 誰の話も返答も聞かずに、ロゴスはにこやかに次の話題へ移ろうとする。
 
「先ほどおっしゃっていた、モノを作り酷く罰せられたという君の仲間はどうなりましたか」
「……『神の力に目覚めたので光の塾に行った』と……」
「はい、その通りです。仲間達による私刑リンチのあと、更に上の"神の試練"に臨み……その最中、紋章が発現しました。そうしてその子は光の塾に行きましたよ。死んだことを隠すための婉曲表現などではありませんので安心してください。……最初にいたぶってくれた神父は、紋章発現の際にかき消えてしまったけれどね」
「……!!」
 
 グレンさんが唇を震わせながら息を吸い込み、目を見開いて眼前のロゴスを見上げる。
 
「……イリアス……?」
「……覚えていてくれたんだ。嬉しいよ」
 
 ロゴス――ではなく、"イリアス"と呼ばれた彼は、目を細めて口角をつり上げた。
 
「僕は君を、覚えていないけれど……ふふ」
「あ……」
 
 グレンさんは顔をひきつらせる。
 彼の感情を想像できない。……恐怖、絶望……そういったものだろうか?
 わたしはわたしで、目の前で満面の笑みを浮かべるこの男性が怖くて仕方がない。
 さっきまでの張り付いた笑顔とはちがう。何がこの人をここまで高揚させているのか、分からない。
 
「大丈夫だよ。僕は別に、君を恨んではいない。……あの場で、あの狂った大人に逆らえる子供などいなかっただろう。彼らが僕を打ったのは仕方のないこと……そう理解しているよ。それに僕は"ヒト"のように感情に流されたりはしない」
 
「だが」と言いながらイリアスは先ほどのアーテのように手を掲げ、その手に黒い杖を出現させる。
 
「この瞬間だけ、ヒトに戻るのもいいだろう――」
「レイチェル!!」
「きゃっ……!!」
 
 イリアスが杖を振りかぶると、グレンさんはわたしを抱きかかえて地に伏せる。
 次の瞬間、「ゴッ」という鈍い音が聞こえた――。
 
「くっ……!」
「グレンさんっ!」
 
 押し倒されたわたしの頬に、上にいる彼の血がぱたぱたと落ちる。
 
「グレンさん! グレンさんっ!!」
「…………っ」
「……よくも」
 
 血が滴り落ちる杖を手に、イリアスがぼそりと呟く。
 先ほどまでずっと浮かべていた笑みは一切消え失せ、頭を抑えてうずくまるグレンさんを目線だけで見下ろしている。
 
「よくも打ってくれたな。……痛かったよ」
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