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11章 色と名前のない世界

7話 天を蝕む

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「何? ……何の音!?」
 
 時刻は深夜1時。
 ものすごい衝撃音で眠りから覚めたわたしは部屋を飛び出した。
 ルカとジャミルとベルも同じようなタイミングで部屋から出てくる。
 すぐさま廊下の窓を覗くと、そこから見えるのは煙と赤く焼けた空。
 
「な、なに……?」
「大変だ! 森が燃えてる!」
「え!?」
 
 前庭に一番近い位置の部屋にいたカイルが、こちらに向かって叫ぶ。
 
(火……)
 
 ――心臓の鼓動が一気に早まる。
 まさか、まさか……あの火の主は。
 
「グ、グレンさん、は……」
「グレン……?」
 
 わたしの言葉にみんながグレンさんの部屋に視線をやる。
 扉が開けっぱなしだ。入ってみるも彼の姿はどこにもない。
 部屋の中はまだ少し温かい――でも、暖炉の火が消えている。
 
「……グレンさんっ!!」
「おい、レイチェル!」
「レイチェル、待て! 不用意に外に飛び出しちゃ……!」
 
 ジャミルとカイルが制止する声も聞かず、わたしは前庭へと向かって駆け出した。
 
(グレンさん、グレンさん……!!)
 
 前庭に、きっと彼がいる。
 何があったの?
 どうして、どうして外にいるの――?
 
 
 ◇
 
 
「……何度も言わせるな……帰れ」
「何度も言わせているのは貴方でしょう?」
 
「え……!」
 
 前庭では彼ともう2人――エリスとアーテがいた。何か口論しているようだ。
 カイルの言った通りに、砦を囲む木が数本燃えている。
 
「あら、草女のレイラさんじゃなくて? 悪いけれど、今貴女と話している暇はなくてよ。引っ込んでなさいな」
「…………!」
 
 彼の元に駆け寄ると、アーテが前と同じ調子で軽やかに嘲笑してくる。
 
「……何しに来たの、帰って!」
「ねえ、ちゃんと聞こえていて? 貴女に用はな・い・の。……さ、お姉様、話の続きを」
 
 アーテが促すとエリスがにこやかに笑う。
 
「……貴方の命は、無駄にはならないのよ。だから……ねえ、協力――」
「なぜ俺がお前達に協力しなければならない。近寄るな……人殺しが」
 
(グレンさん……)
 
 さっきまでどんな話をしていたか分からないけれど、"人殺し"なんて、ずいぶん攻撃的な言葉だ。
 エリスは人間の魂を封じた"血の宝玉"を用いて、禁呪を使う人。
 そして彼には、そういうことに使われた魂が術者にまつわりついてえる。
 そういえば「声も聞こえる」なんて言っていた。不快がゆえに、敵意がむき出しになってしまうんだろうか。
 
 ――というか、さっきエリスが言った「貴方の命は無駄にならない」って何?
 もしかしてこの人達、グレンさんを血の宝玉にしようとしているの?
 
「グレン! レイチェル!!」
「!!」
 
 少し遅れて、カイル達もやってきた。
 最初は燃える木を見ていたけれど、招かれざる客の存在に気づくとみんな険しい顔になる。
 
「ちょっとぉ! 邪魔しないでくださるぅ?」
 
 ニタリと笑いながらアーテが手をかざすと、彼女の手元に氷でできた杖が出現した。
 そして先端にはまっている赤い宝玉が光ったかと思うと、積もっている雪が盛り上がって固まり、わたし達と仲間との間に氷の壁が出来上がる。
 わたしとグレンさんはドーム状になった氷の檻に閉じ込められてしまった。
 
「なんだ、これは……!? レイチェル! グレン!!」
「どうなってんだ、こんな薄いのに全然壊れねえ……!」
「あらあら、どうなさったのぉ? 使い魔がいれば飛び越えてこられるのに……もしかして、出せないのかしら? 笑っちゃう」
「くっ……」
「お前達はここに立つ役者じゃなくてよ。そこで成り行きを見ていなさいな」
 
 氷の壁を前に何もできない仲間達を見て、アーテがせせら笑う。
 そしてわたしに向き直ると、口が裂けそうなくらいに口角を上げてニタァと笑った。
 
「レイラさんは、特等席で見せてあげるわ。恋人ですものねえ? ふふ……」
「…………」
「それにしても……話し合いに邪魔だわね、全く!」
 
 そう言うと彼女は杖を天に掲げた。
 また先端の宝玉が赤く光り、今度は燃えている木の上に巨大な水の塊が出現した。
 彼女が杖を振り下ろすと同時に水の塊は地上に落ち、一瞬で火が消し止められる。
 すごい魔術の腕だ――血の宝玉の力もあるのかもしれないけれど、彼女もそれなりの魔力を有した魔術師なのかもしれない。
 
「これでいいわ……腹が立ったからといって森を燃やすだなんて全く野蛮なこと。自然は大切にね、カラスさぁん?」
「…………」
「まあ、怖い顔。色男が台無しね」
 
 "カラス"と呼ばれた彼がアーテを思い切り睨む。でも彼女はお構いなしにクスクスと笑い続ける。
 
「……言っておくけれど、今また火を出そうなんて思わないことね。火はこの氷結界バリアの中でしか拡がらない。可愛い彼女だけが丸焦げになるわよ」
「…………」
「……さすがね、アーテ。さあ、話の続きをしましょう……と言っても、貴方には『はい』しか選択肢がないわ。ねえ、私達に協力してちょうだい? 共にあの忌まわしい歴史を消し去りましょう」
「……断る」
「……もう一度言うわ。多くの人間を不幸に至らしめたあのノルデンの大災害は、人為的に引き起こされたものなの。国王が禁呪を使って妻と複数人の我が子を捧げて……それを食い止めれば、大災害あれは起こらない。全部、なかったことにできるの!」
 
 焦点の合わない目で、エリスが力説する。
 
「なに、言ってるの……? それはもう、20年も前の、ことでしょう……」
「貴女には関係ないことよ……でもいいわ、教えてあげる。私達はずっと、禁呪の魔器ルーンである人の命を血の宝玉に閉じ込めて集めていたわ。全ては時をさかのぼり、歴史を修正するため……!」
 
「そんな馬鹿げた空想のために、人の命を奪い続けていたのか!? 馬鹿だ、お前達は……過ぎた時は戻らない」
「そうだ、起こっちまったことは変えられねえ。……そいつを土台にして、生きるしかねえんだぞ!」
「黙りなさい! ……幸福をむさぼるだけの愚劣な下民には分からないでしょうね……私達が、どれほど辛酸をなめてきたか……」
「国がなくなったのは、辛いことです。でも、大多数の、今を生きている人間には関係ありませんわ。人を大勢殺してまで自分の生きたい歴史に書き換えるなんて、傲慢です。奪われた命はどうなるの……」
「お馬鹿さんねぇ、ベルナデッタ。時が巻き戻るのだから、その人達の死はなかったことになるわ? 何も、無駄になりはしない……」
 
 わたしがエリスに投げた言葉に対しての返答を皮切りに仲間が彼女達を一斉に非難するも、何も聞く耳を持たない。
 
「……さあ、私達と一緒に来なさい。赤眼の紋章使い……それも虚無の魂の持ち主となれば、数百人ほどの命に匹敵するわ。死んでこそ貴方は価値があるのよ?」
「や、やめて! なんてこと言うのよ!」
「エリス様に従いなさい! この方はノルデン王家の正統なる後継者なの。カラスのお前に拒否権などないのよ」
「っ……頭、おかしいよ……」
 
 本当に理解が及ばず、彼女達に抱いた率直な気持ちが口から漏れ出てしまう。
 
 さっき"役者"がどうのと言っていた――わたし達は今、狂った女優の芝居を強制的に見せられている。
 誰のセリフも受けずそれぞれ好きなセリフを喋っているだけの、ちんけな三文芝居。
 わずか数分にも満たないのに、頭が痛い。
 今セリフを発しているのがエリスなのかアーテなのか、それとも結界の外の誰かなのか分からなくなってくる。
 
「ねえ……考えてごらんなさい? あの災害がなかったら、貴方は"カラス"なんてやらなくてもいいの。いつくばって泥水をすすったり、ゴミを漁ったりなんていう惨めな過去が全てなくなるのよ」
「おい、何を言い出すんだ、やめろ……!」
「あの過去をなくしたいと思うのは、全てのノルデン人の悲願! ねえ、貴方もそう思うでしょう!?」
「思わない」
「なんですって!?」
「災害がなければ、戦争が続くだけのこと……戻ったところで、お前達に止められるはずがない。帰れ、銀色野郎……頭に、うじが沸いている」
「お前! 言うに事欠いて!! この方を誰だと思って……っ」
 
 アーテはグレンさんの頬を打とうとしたが、振りかぶったその手をつかまれ横に引き倒された。「ギャッ」という悲鳴を上げながら彼女は地面に転がる。
 
「……グレンさん……!」
 
 ――彼の身体から黒い瘴気が沸き立つ。
 霧のような黒いオーラが氷の結界に触れると音もなくそれをかき消し、氷のドームにじわじわと穴が空いていく。
 雪でできていたはずのそれは、解けて水や蒸気になることもなくただ無に消えた。
 
「お前……ノルデン王家の者だって?」
「そ……そうよ、それが……」
「お前にぶつけても何にもならないが……国を統べる人間として、一国民の恨み言を聞け」
 
 黒い気をまとった彼が目を光らせながら一歩、また一歩と、エリスに向かって歩み寄っていく。
 
「……光の塾――その下位の組織があった。大元の光の塾と同じように、感情を持つこととモノ作りを厳しく取り締まる狂った宗教だ。……ある日、一人の仲間が戒律を破り小さい船を作った。集めた木の枝を重ねただけの、いびつなもの……だが、大人はそれすらも許さなかった。『神の真似事をして喜びを得た』として、そいつは酷く罰せられた。はりつけにされて鞭で打たれて……他の子供は神父の命令で、その様子を並んで見せられた。悔い改めないそいつに業を煮やした神父は『皆にも罰を与えさせよう』と傍観者だった俺達に鞭をよこして、順番にそいつを打たせた」
 
 赤い粉――火の粉が雪のように舞い落ちてくる。
 雪が積もっている場所に落ちると、「ジュッ」という音とともに湯気を立てじわじわと解け消えていく。
 
「災害がもし起こらないなら、戦争が続いていただけ……お前達国側も、『民の自由のために』と息巻く革命軍も……誰も助けてはくれない。無力な子供が拷問を受けて仲間を鞭で打たされていても、見向きもしなければ存在も知らない。誰も、誰も……『そんなことをしなくていい』と教えてはくれなかった……!!」
 
 ――凄惨すぎる、恨みの発露。
 誰一人言葉を発することができない。あのアーテすらも、彼の瘴気に気圧けおされて震えている。
 彼女達は完全に彼の逆鱗に触れた。
 もう誰も、彼を止めることはできない――。
 
「災害がなければ、あの日々が繰り返されるだけ。……困る……困る……あの、国は……。……あの国には! 滅びてもらわなければ、困る!!」
 
 次の瞬間、明かりが消えたかのようにその場の光が失せた。
 空に雲は一つとしてないのに――目に入るのは、黒く変色して光が消えた月。
 
「月が……!」
 
 昼間ジャミルが読んでいた本の一節が、頭を急速によぎる。
 
『禁呪・呪いは天を蝕み、光を喰らう』――。
 
「グ、グレンさ……!」
 
 彼の足元から暗闇の中でもはっきりと見て取れるほどの漆黒の影が拡がる。
 そして影は地面を疾走し、地面から浮き出るとエリスを羽交い締めにして捕らえた。
 
「ヒッ、ヒイィッ!!」
「お姉様ぁ!!」
 
「……よくも、過去を、ほじくり返してくれたな……、よくも俺を、惨めと笑ったな……」
 
 彼の手にある火の紋章が、血のように赤黒い光を放っている。
 目の赤い光と黒い炎と……様々な負の感情の入り交じった"色"をまとった彼が、エリスの眼前に立つ。
 
「……許さない……」
「や、やめて、私は……私は王家の……」
「呪われろ……」
「……ヒッ」
 
「呪われろ!!」
 
 叫びとともに彼のまとった黒い炎が全てエリスに向かって飛んでいき、ドンという音を立て直撃したあと、激しく燃え上がる。
 
 ……火柱が、天高く昇っていく。
 
 深い恨みと憎しみの情念のこもった、黒い呪いの炎が――。
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