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11章 色と名前のない世界

6話 「どうして」

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「今日は、どうしようかな……」
 
 フランツを見送ったあと、わたしはパントリーで今日の夕食のための食材を確認していた。
 時刻は16時。
 
 カイルがセルジュ様から聞いた話によると、フランツを光の塾に押しやった彼の叔父夫婦は、麻薬など怪しい物品の売買に手をつけていたそうだ。
 逮捕の上、爵位は剥奪。領地はセルジュ様の父上であるシルべストル侯爵預かりになり、フランツが成人した時に返還されるとか……詳しいことは、分からないけど。
 
「…………」
 
(駄目だな……)
 
 1人でいると、余計なことばかり考えてしまう。
 フランツが来ていた時に一瞬頭をよぎってすぐに振り払った暗い考え。
 
 フランツもルカも、まだまだ大変なことだらけだけど前途は明るい。
 他のみんなもここで何かしらの出会いがあって、心の荷物を降ろしていく。
 
 ……なのに。
 それなのに。
 
 彼だけが、何一つ救われない――。
 
「……レイチェル」
「! あ……ルカ」
 
 嫌な考えに陥っていたところをルカからの呼びかけで引き戻された。
 
「どしたの? ここ来るなんて珍しいね」
「わたし……変なの」
「変?」
「あの人の、名前が分からない」
「……あの人?」
「あの……、っ」
「?」
 
 胸の辺りを抑えながら、ルカは眉間にしわを寄せる。
 
「っ……あの、お……お兄ちゃま」
「お兄ちゃま? って……」
 
 ――アルノーさんのことではないように思える。
 じゃあ、それなら、彼女にとって"お兄ちゃま"に該当する人物は――。
 
「……グレンさん?」
「っ……そ、そう……。呼べないし、頭にも浮かんでこない」
「……!」
 
 ――そういえば、フランツと話していた時にも"お兄ちゃま"って呼んでいた。
 それを茶化されると「原点回帰」なんて言って……それって、そういうことだったの?
 
「あの人の、名前は……真名まなじゃ、ない? でも……それでも、カイルさんの"クライブ"という名前はちゃんと言えるのに、おかしい」
「…………」
 
 紋章を持つ彼女は、人の名前が真実のもの――真名まなかどうかを見分ける力がある。
 
 以前図書館でアルノーさんがグレンさんの名前を呼べなかったとき、彼は「この名前は本当の名前じゃない、魂に絡んでないんだろう」と言っていた。
 でもルカは魔力が高いためか紋章がある状態に慣れているからなのか、真名でない名前を呼ぶことができるし、主人以外は誰も呼ぶことができないジャミルの使い魔"ウィル"の名前も呼べる。
 その彼女がグレンさんの名前を呼べないどころか、頭にも浮かんでこない。
 それは一体、何を示すのだろう……?
 
 
 ◇
 
 
「……グレンさん」
 
 彼の部屋の扉を再びノックした。
 時刻は17時。
 フランツが帰ったあとから降り始めた雪は視界を遮るほどに勢いを増して、うっすらと積もり始めていた。
 
 いらないと言われるだろうけど、返事がないかもしれないけど、夕飯が必要かどうかを聞きに来たのだ。
 
「…………」
 
 やっぱり返事はない。
 今日ここに泊まったら、次の日わたしは家に帰らないといけない。
 このところ砦の方に身を寄せすぎで、お父さんはもちろんのこと、理解のあるお母さんも難色を示し始めている。
 12月ももう終わり、次の年が始まる――さすがに、ここで新しい年を迎えるわけにはいかないだろう。
 
 何気なくドアノブに手をやってみると、鍵はかかっていないようだった。
 
(どうしよう……)
 
 ――勝手に入って、さっきのフランツに対しての言葉みたいなことを言われてしまったら?
 勇気が湧かない。
 でも、何も話せないまま数日間離れてしまうのはもっと嫌だ。
 
「グレンさん、入りますよ……」
 
 そう言いながら、ドアをゆっくりと開ける。
 
「うっ……」
 
 開けると同時に、生温い空気が身体にまとわりつく。
 ――暑い。夏のような熱気だ。
 外は雪が降りつもるほどの寒さ――砦の中も所々熱を発する魔石が埋め込んであって温かいけれど、こんなにまで温度が上昇しているのは異常だ。
 前に彼の部屋に入ったときと同じ。明かりが灯っていない室内はそれを必要としないくらい、燃えさかる暖炉の火によって赤く照らし出されている。
 そして暖炉の前では大きく白い物体がうごめいていた。
 
「……グレン、さん……」
 
 もちろんその正体は彼だ。
 頭からシーツを被って暖炉の前にうずくまり、時折傍らにある薪を暖炉に放り投げては、何かブツブツと言葉を発している。
 
「グレンさん」
 
 返事はない。
 被ったシーツをグッと握り込むのみ。それはわたしの呼びかけへの反応なんだろうか? たぶん、ちがう。
 
「グレンさん、ねえ、グレンさん!!」
 
 泣きそうになりながら、彼の身体をゆする。何度かそうしていると彼はようやくわたしの方を向いた。
 その瞳には何の感情も伴っていない。それどころか、まるで知らない人間を見るような目――。
 
「……あいつ、帰ったのか」
「あいつ……フランツのことですか? はい、帰りましたよ。天気が悪くなる前にって……。あのね、フランツを光の塾に売った叔父夫妻は逮捕されたそうですよ。それで、あの子が成人したら領地が――」
「それが」
「え?」
「それが……何だ」
「な、何って……」
 
 わたしの反応に構うことなく、彼は傍らにある薪をつかんで暖炉に放り込んだ。
 暖炉の壁に当たった薪はゴンと音を立てて炎の中に落ちて、一瞬で燃え上がり赤い光を放つ。
 たぶん自然発火ではなく、彼の魔法によるものだろう。
 
「あいつがどうしていようが知ったことじゃない。前からずっと……目障りだった」
「え……、な、何、を」
「あいつも孤児で光の塾だ、でも名前がある。……逃げ出して、盗みに入って……その先で温かい食事を与えられて、守られて……それである日、心ある人間に引き取られていった。何の努力も、していないのに」
「…………」
「晴れた日にみんなに別れを惜しまれて、笑顔で別れて、豪華な馬車に乗って舗装された道を走って……何もかも、俺とちがう。なぜ俺は、どうしてそんなに差がある、同じ、人間なのに!」
「グ、グレンさ……やめて……!」
 
 大声でまくし立てながら彼は薪をひとつ、またひとつと暖炉に放り投げ、薪は都度爆発しそうなくらいに燃え上がる。
 こんなに火が燃えているのに、さっきとちがって彼の身体から沸き立つ黒い瘴気しょうきのせいで部屋は暗い。
 
「あんな、くらいで、不幸を気取りやがって! いなくなって清々した、あんな――!」
「やめてっ!!」
 
 乾いた音が部屋に響く。
 右手のひらがじんじん痛い――嫌だ、好きな人を叩くなんて、こんなことしたくなかった。
 でも……。
 
「そんなこと言っちゃ、駄目なんだから……!」
 
 涙がボロボロ流れる。
 人を叩いておきながら泣く――自分が何をしたいのか、分からない。
 彼は打たれた頬を抑えることはせず、何も言わずわたしの目から流れる涙を手で拭う。
 部屋を覆う瘴気も、光を放つ赤い目も鳴りを潜めていた。
 
「テオ館長が、いつか言ってたこと……覚えてますか? 泥棒の魔術学院生に、『言葉は呪文です』って」
「…………」
 
『言葉は、呪文です。時に人の心を切り裂きます。軽率に使うものではありませんよ。君の心も穢してしまいます』――。
 
「……覚えてる」
「さっきグレンさんがあんな風に言ったのは、過去を色々思い出したから、ですよね。……すごく辛かったんでしょうけど……駄目だよ、そんなの……」
「…………」
「フランツが目障りなんて、ウソだよ。だって、グレンさんは……グレンさんだけが、フランツが色々と悲しくて辛いのを我慢してるって、気づいたじゃない。それで、『面倒みてやってるなんて思ってない』『子供は大人に守られているだけでいい』って、そう言ってたじゃない! お願い、今の自分を見失わないで……!」
「…………すまない」
「わたしに、謝られたって……!」
 
 ――ルカは彼の名前を言えず、頭にも浮かんでこない。
 それは、彼が自分を手放そうとしているからじゃないだろうか?
 
 座り込んだまま、彼の胸に抱きついた。でも抱き留めてくれる手はない。
 それどころか逆に両肩を持って引き剥がされてしまう。
 
「……もう、やめよう」
「え……?」
「みんな、疲れただろう……俺はもう、消える。憲兵のところへ行く」
「な……なんで……」
「もう終わりにしたい。こうやって誰彼かまわず暴言を吐き散らかすようになるなら俺は」
「終わりって、なんで。いやだよ!」
「……カイルにも暴言を吐いた。あいつには恩があるのに」
「謝ればいいじゃない。……暴言吐いたから、イコール関係が終わるわけじゃないでしょ? 極端だよ……」
 
 返事はない。わたしは彼の頬を両手で持って、意を決して口を開いた。
 
「ね、グレンさん。わたしと一緒に、どこか遠くへ逃げよう?」
「…………」
 
 わたしの突拍子もない言葉に、彼が目を見開く。
 でも、冗談なんかじゃない。
 
「あのね、2人で、山奥で暮らすんです。誰も人がいなかったら、傷つけたり殺したりしなくても済むわ」
「何を……言うんだ」
「生活費は、グレンさんに頼り切りかもですけど。わたしがんばって薬師の資格取るから、それで薬草を作って時々街に下りて売りに行きます」
「レイチェル」
「道中魔物に会うかもしれないけど、わたし戦えなくって……だからグレンさん、わたしに剣を教えてくださいね」
「駄目だ。……そんなことは、させられない」
「……なんで? グレンさんは、すごい騎士で将軍だったんでしょ。そのグレンさんに教われば、わたしきっと強くなれる――」
「ちがう、そういう……ことじゃない。俺は、レイチェルにそんな生き方を選んでほしくない」
「そんな、生き方……?」
 
「山奥で、誰もいないところで、ただ2人で暮らす……何も得るものがない。未来がない。世の中から、人間から隠れて住むなんて、レイチェルにそんな生き方を強いるのは嫌だ」
「どう、して……? わたしがそうするって、言ってるのに、強いるなんて」
「……俺は、レイチェルを好きだから」
「…………!」
 
「だから、レイチェルにはもっと光の当たる道を歩いていてほしい。未来に向かって進んでほしい。その歩みを止めてしまうくらいなら、俺は」
「そ、それ以上言ったら、許さない……」
「……レイチェル」
「また勝手に決めるんだもん……どうして? わたしの未来にはちゃんとあなたがいるのに、逆はないの? それで、わたしを好きだなんて、こんな場面でそんな言葉使わないで……!」
 
 そう言って思い切り縋り付いて泣いても、彼は抱きしめてくれない。
 
 ――どうして。
 
 突き放すために「好きだ」なんて言わないで。
 前みたいに「愛してる、そばにいてくれ」って、そう言ってわたしを抱きしめてくれたら。
 あなたがわたしを求めてくれるなら、わたしはどこへだって行ける。何も怖くなんかないのに……。
 
 
 ◇
 
 
 結局彼との会話は平行線のまま。
 
 わたしはその後どうしても仕事をする気になれず「今日は疲れたから」と言って部屋に戻り、シーツを被って枕に顔を埋めて大泣きした。
 
 そのまま眠ってしまって――次に目覚めたのは夜半過ぎ。
「ドン」という音がして、わたしは飛び起きた。
 窓を見れば、砦の前庭あたりから火の手が上がっているのが見える。
 
 夕方から降っていた雪はさらに降り積もり、一面雪景色。
 雪が止んだ空には少し欠けた月が浮かび、火と雪と空を美しく照らし出していた。
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