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11章 色と名前のない世界

11話 色と名前のない世界

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「ここは……」
 
 黒いぬかるみを抜けて落とされた謎の空間。
 雪が降り積もっているが寒さは感じない。崩れた建物を触ってみても、元の素材の質感がない。
 ここはどういうところなんだ――?
 
「っ、ね……ねえ、あの……」
「!」
 
 ベルがオレに歩み寄ってきて服の袖を引っ張る。
 心なしか、少しモジモジしているように見える。
 
「ああ、ケガとかしてないか、……っ、あれ?」
 
 ――何か、おかしい。
 ベルの名前を呼ぼうとしても喉につっかえた感じがして出てこない。
 
「あ……、っ……、キ、キミも、もしかして……そう?」
「え、じゃあ、えと……、もしかして」
「そうなの……キミの名前、どうしても呼べない。あの使い魔の鳥ちゃんみたいに」
 
「! ……なあ、っ……、おーい!」
 
 向こうの方であぐらをかいて座っているカイルに声をかけるが、こっちもやっぱり名前を呼べない。
 ……なんだ、これ? どういう状態だ? 不便で仕方がない。
 しかも、何度呼びかけてもカイルは無反応だ。
 
「オイ、聞こえてるか? どうした、頭でも打ったの、か……!?」
「……何?」
「いや……お前あの……お前、なんだよな?」
「え? 当たり前――」
「いや、だってお前……その顔」
「顔?」
 
 座り込んだままで無反応なカイルの前に回り込むと、顔も背格好もまるで違っていた。
 声は確かに弟のそれだが身長が縮んでいるし、なんというか顔が幼い。オレと同年代くらいに見える。
 キョトンとしているカイルにベルが「ご覧になってください」と手鏡を渡した。
 
「……なんだ、これ。なんで若返ってんだろ? 17、18歳くらいかな……」
 
 カイルの姿はとりあえず置いておいて――オレ達はしばらく、今の状態を確認しあった。
 
 どうやら今ここにいるのはオレとベルとカイルだけで、レイチェルとルカ、そしてあいつもいない。
 そしてやっぱり、どう頑張ってもお互いの名前を呼び合えない。
「兄貴」「副隊長」などの代名詞では呼べるが、あだ名は無理。
 そればかりか、自分の名前すら言うことができない。
 しかし……。
 
「……"クライブ・ディクソン"」
「そっちはいけるんだな。でも俺自身は言えない……なんでだ?」
「不思議ですわね。というか最初の話に戻りますけれど、一体ここはどこで、どういう所なんでしょう?」
 
『……ここは、全ての者の意識の闇』
 
「……!?」
 
 風呂や洞窟にいるようなエコーのかかった声が聞こえたかと思うと、制服を身にまとった高等学校時代の自分が紫のオーラを発しながらこちらに歩いてくるのが見える。
 眼が、赤く光っている。
 
「え……兄貴?」
「ち、ちがう、オレはこっちだ! ……誰だ、テメエは!?」
『私……です。マスター』
「え……?」
 
 学生服のオレが少し笑う。赤い眼だが、敵意は感じない。
 ……オレをマスターと呼ぶ、赤い眼のヤツ……。
 
「……ウィル……?」
『はい』
「……なんなんだよ、もう!!」
 
 何も処理できなくて、オレはしゃがみ込んで顔を覆ってしまう。
 
「……っ、あ、あの……大丈夫?」
「う……わりい……」
 
 ベルが背中をさすってくれる。
 言葉の最初がつっかえていた――名前をまた呼びかけようとして、できなかったんだろう。
 初めての経験だが、名前を呼び合えないというのはほんとに全く不便だ……。
 
(……あれ?)
 
「ウィル」
『はい』
「……お前の名前は呼べるのか」
『私は、闇そのもの。この世界の主の影響を受けません』
 
「……色々全然分かんねえ……ここはオレが落ちかけた黒いぬかるみの世界なのか?」
『そうです。全てのものの意識は、この闇で繋がっている――闇の湖面より這い出たもののみが意識と自由意志を持ち現世げんせいで生きることが叶うのです』
「…………」
 
 分かるような気がするが、分からない。
 ベルとカイルを振り向き「分かったか」と目で問うてみるが、反応はかんばしくない。
 
「あ、あのあの……この空間が何かも、気になりますけれど……まずあの、あの、他の3人は」
『少女2人も、ここの主も、この闇の何処かに』
「よ、よかった……」
「"ここの主"って、っ……あいつのことか?」
『はい』
「じゃあここは……えっと、あいつの」
 
 "あいつ"、"あいつ"――名前を言えないと、誰のことを言っているかわからない。
 そんな中でもちゃんと意図を汲んでくれたウィルが小さくうなずいてくれる。
 
『ここは、彼の心の闇。すべての意識は、闇より生じる。この世界は彼だけではなく、誰もが心に抱いているもの。……しかし闇の形は一定ではなく、人により異なる。今の我々が見ているこの景色は、彼が心に思い描く闇』
「…………」
 
 オレがかつて見たのは、ドロドロの黒いぬかるみと沼。何に囚われているのか、ずっと分からなかった。
 それに対してこの空間は……。
 
 めちゃくちゃに壊れた街、降り積もる雪、消えそうな黒い火――たぶん、人の命。
 ここはきっと20年前に滅びたノルデン国のどこかの街だ。
 あいつの闇はこんなにも明確なイメージなのか……。
 
「隊長の、心の世界……だったら、ここのどこかに、隊長がいらっしゃるの?」
『はい』
「じゃあ、じゃあ、彼を見つければ、助けることができるの!?」
『はい。肉体は滅びていませんので』
「あ……!」
 
 ベルの顔がパアッとほころぶ。
 
「……どうすりゃ助けられるんだ? 見つけるだけでいいわけじゃねえよな?」
『呪文を唱えるのです』
「呪文?」
『はい。その者の意識と存在を証明し、魂を形作る絶対的な、たった一つの呪文。――マスター、貴方が私を呼ぶように』
「え……」
『名前を。……真名まなを呼べば、魂は元の肉体に戻るでしょう』
「えっ、名前って……」
 
『それでは……』
「あっ!! 待てよ」
 
 考えている途中なのにウィルの紫のオーラが色濃くなり、逆にウィルの姿は薄れていく。
 
『ここに現世の人間の魂を招き入れたので疲れました。少し休みます』
「そ……そうか」
『私は貴方と共にあります。ご用があればいつでもお呼びください……マスター』
 
 そう言うと、オレの姿をしたウィルはニッと笑いながら紫の渦となり消えていった。
 
 
 ◇
 
 
「ひよこのくせに、気取ったこと言いやがるぜ……あいつ」
「でも、助けられることが分かったのだから、いいじゃない。希望はゼロじゃないわ」
「だけどよ……名前、名前を呼ぶってよ……」
「あ……」
 
 ベルの顔が曇る。
 オレが黒い剣から飛び出た魂を小鳥の姿に納めて"ウィル"と名付けたように、名前を呼んでやればあいつの魂は元の肉体に戻る。
 だがここはなぜか、誰の名前も呼び合えない。
 もちろんこの闇の主のあいつの名前も。
 それどころか……。
 
「オレ……あいつの名前、頭に浮かばないんだけど。……どう?」
「えっ? 隊長の……、え……ウソ」
 
 そう。
 "あいつ"の名前が分からない。
 この数ヶ月間一緒に過ごしたのに、名前どころか顔も声も服装も、何一つ思い浮かばない。
 "いた"という事実、それだけしか頭にない。
 
「……ねえ、とにかく隊長を捜しましょう。他の2人も心配だし……話はそれから」
「そうだな。……おい、行こうぜ」
「…………」
「おい、どうした? おい!!」
「副隊長……」
「…………」
 
 カイルに声をかけるが、何の反応もなくあぐらをかいて座り込んだまま。
 途中から全然話に加わってこないのが気になってはいたが……身体を揺すっても、大声を出しても無反応。
 
「おい、聞いてんのか? こんなとこいつまでもいても仕方ねえし、早く――」
「行くって、どこに」
「どこって……」
 
 虚ろな目で、カイルは言葉を続ける。
 
「ここはあいつの闇……心の中なんだろう? ここを探るっていうのはあいつの心を、過去をほじくるってことだ」
「そうだけど……でもお前」
「……そんなことをして、何がどうなる。どこかであいつを見つけ出して……それで『お前の苦しみは分かった、だから生きろ』とでも言うのかよ?」
「っ、おい……」
「俺達とは段違いの苦しみを味わった人間に、見せかけだけの慰めの言葉をかけて、何の意味がある!?」
「……ふ、副隊長……っ」
 
「おいおい……だせぇな。しっかりしてくださいよ、クライブディクソンさんよぉ」
「!!」
「なっ、ちょ……えっ、やめ」
「……っ、お前……!」
 
 座り込んだまま駄々をこねている若作りの男に蹴りを入れてやると、そいつはオレを睨みつけながら立ち上がり、胸ぐらをつかんでくる。
 体格はいいが身長は同じくらい、オレとそう年も変わらないだろうそいつは、あの夏の日のケンカの時ほどの迫力も威圧感もない。
 
「なんだよ、殴る気か? 言い返せなくて暴力に訴えるなんて野蛮~。オレマジメな優等生だからそういう行動ちょっと分かんねえわー」
「お前に、何が……っ!」
「いやー、分からん。魔物ガンガンに倒す最高ランクの冒険者サマなのに友達は見捨てちゃうんだもんなー。冷血~。クライブディクソンさんって心はEランク冒険者なんだぁ。……見損ないました、ファンやめます」
「ふざけるな!」
「ふざけてんのはてめえだ!」
「!!」
 
 オレが叫ぶと、胸ぐらをつかんでいるそいつの両手に紫の火花が散り、オレはその手から解放された。
 原理は分からない。今引っ込んでいるウィルが、オレの心に呼応したんだろうか。
 
「『助ける方法分かんねえし無駄だからジッとしてます?』……信じられねえな。あいつはオレが同じようにヤバい時に東奔西走してくれたんだ、付き合いも短えのによ! なんでお前はそれができねえ、友達なんだろ!?」
 
「そうだよ、でも何の役にも立たない……なんにも知らないで1人で空回って、それどころか闇に堕とす手伝いして……、それに名前だって分からない。俺がいたところで一体、何になる……!」
 
「ふ、副隊長っ……隊長の言葉、忘れないでください。……貴方の存在は救いだったと、そうおっしゃってたじゃありませんか。それに、お兄さんが闇に堕ちそうなのを救ったのは、貴方ですわ」
「…………」
「そうだ、お前がオレを黒い沼から引きずり出したんだ。今回もやってやりゃいいんだよ。何言っていいか分かんねえなら、ぶん殴ってやりゃあいいんだ」
「そ、それは……ちょっと」
「ダメか」
「ぼ、暴力に訴えるのは……野蛮だわ」
「ぐうの音も出ねえ」
 
 そんなことを言い合っていると「フッ」と鼻で笑う声が聞こえた。
 
「ごめん……2人とも。行こう」
「副隊長」
「ここのどこかに、あの2人もいるんだよな? まずはそっちを捜そう」
 
 カイルが物憂げな顔で笑う。
 いつもと同じ言動のはずなのに、見た目が若いためか何か弱々しく頼りない。
 ウィルが招き入れたのは"魂"だと言っていた。こいつの心が弱っているから、こういう姿なのかもしれない。
 
「そうだな。オレらが無理でも、もしかして恋人のあいつなら名前呼べるかもしれねえし」
「あの子……大丈夫でしょうか」
「どうだろうな……あいつが戻る戻らない以前に、あんな光景を見た後じゃ」
「…………」
 
 何がどうなるか分からないが、進むしかない。
 オレ達は廃墟――あいつの心の闇の世界を歩き出した。
 時折うめき声と泣き声が耳に入り、命を示す黒い炎がフッと消える。
 地獄だ……だがそれでもあいつの心はこの光景を、滅亡を望んでいる。これがなければ、救われなかったから。
 
「!」
 
 上空をカラスが飛んでいく。
 色がない世界なのに、あの鳥は元の世界と変わらない黒色。
 オレ達以外に命の気配を感じないこの空間で、奴の"闇"を象徴する漆黒の鳥だけがその存在をはっきりと主張していた。
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