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14章 狂った歯車
4話 諸悪の根源
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「こんにちは、クライブ・ディクソンさん。……いえ、『カイル・レッドフォードさん』とお呼びした方が?」
「…………」
「イリアス・トロンヘイムと申します。今日は私がお話をお伺いいたします」
「お話することはありません」
ケンカ腰でつっけんどんに返すと、イリアスは「おやおや」と言いながらアゴに手をやる。
何が「おやおや」だ、くそったれが。
「他の2人は別室に招かれたのに、なんで俺は牢屋越しに話すんですか? 扱い悪いなあ、信じらんない。あとなんで1日空いたんですか? 早く帰りたいんですが」
「でしたら、是非お話を……」
「日記に書いてある以上の真実があるか? ……30近い男の16年分の日記なんか読んで何が楽しいのやら。あーやだやだ、何が知りたいか知らないけど、品行方正に生きてきたのに日記読まれるなんてさー。あー恥ずかしい辛い、死んじゃうよ俺ー」
……とかなんとか言いながらベッドでわざとらしくジタバタゴロゴロしてみせる。
ベッド固いな、くそが。
お互いのセリフなどお構いなしなのは相手も同じ――イリアスは懐から手帳を取り出して広げる。
俺の日記だ。表紙には「1559年 1月―」と書いてある。
「持ち歩いてんですか? ……趣味悪」
「こちらの日記には、聖女様と思しき女性の名が書かれています」
「!」
「通常、どのような関係であっても聖女様に関する記憶は消え、書き記すこともできないはず……仮に出来たとしても、その名は消えてしまうのです。なのに、なぜ貴方にはそれができたのでしょう」
「……さあ? 知らないよそんなの」
本当に知らない。
なぜ皆が彼女のことを忘れてしまっているのに、俺だけは鮮明に覚えているのか。
思い当たる節はないこともないが、こいつに話してやる義理もないし――。
「お教えしましょう。貴方は我々とはちがう理の元に生きておられる」
「理?」
「はい。貴方は、先代聖女の封印時代から過去に飛ばされました。ですから現聖女の封印の影響を受けないのです」
「…………分かってるなら、聞くなよ。何が『飛ばされた』だ! お前だよ! お前が俺を過去にぶっ飛ばしたんじゃないか! あの女……テレーゼと一緒に!!」
「……知っていたんだ。ふふ……」
俺のセリフは想定内だったのか、イリアスが不敵に笑った。それと同時に、頭が割れるように痛む――あの日、あの時のことを考えると必ずこうだ。
「……くっ……」
「記憶が朧気なのかな? じゃあ、代わりに僕が教えてあげよう。あの日……僕はテレーゼと一緒にミロワール湖にいたよ。テレーゼは過去――ノルデンの大災害という過去を改変したかった。だから彼女に時間を越える魔法を教えてあげたんだ。彼女は魔力がとても高かったから、不可能じゃないと思ってね」
「…………」
こっちの反応など全く見ず、イリアスが勝手に喋り始める。
――時を超える禁呪に必要なものは人の血と魂、月の光、そして鏡。
それらを揃え、術者が自身の名前――"真名"を呪文として唱え、時間を越えることを強く願うことで術は発動する。
――あの日はよく晴れた日だった。それなのに夕方、突如激しい雨が降った。
実は、それはイリアスの術によるもの。その雨によってできた泥濘を元にして、イリアスが獣を作った。
曰く、「あの時は血の宝玉の製法も土塊の呪法も確立していなくて、牙だけしか丈夫に作れませんでした」とのこと。正直どうでもいい。
ともかく俺はそいつに突如襲われ、足を貫くほどに噛みぬかれた。
全然覚えていない。恐怖心から封印してしまっているのだろうか?
さらに、その日の夜。
気絶した俺はミロワール湖の水面に浮かべられた。
――これはうっすらと記憶にある。
冷たかった。雨上がりのすっきりした空に、満月が浮かんでいた。
血、魂、月、そして鏡――ミロワール湖の水面。時を渡る呪法の素材が揃った。
テレーゼは自分の真名を呪文として術を放つ。
俺の身体が一瞬浮いて、しかしすぐさま叩き付けるように湖へ転落。そのまま浮き上がることはなかった。
術は失敗した。テレーゼは過去へ飛べず、代わりに俺が消えてしまった。
「……彼女は本来優しい心の持ち主だったから、発動の瞬間にためらいが生まれたのかもしれないね。なぜノルデンではなく竜騎士団領に飛んだのかまでは分からないけれど。彼女の望みとはちがう結果になったが、今の歴史は彼女が作ったともいえる。……全く、役立たずのくせに大それたことをするよ」
「…………」
言葉が出ない。それは本当に、俺が体験したことだろうか?
いや、それより、なにより……。
「なぜ、俺が」
――そうだ。
紋章とか聖女の資質とか、闇の剣とか……ともかく、俺は特殊な力や素質を持っているわけじゃない。ただの平凡な子供だった。
例えば、生まれた日が何か星の巡り的に特殊だったりしたか?
変わった持ち物でも持っていたか?
魂がそこまで純白だったりしたか?
思い当たる節が、何も……。
「たまたま、そこにいたからさ」
「た……」
――"たまたま"。
特殊なことなんて何もありはしない。
ただちょうど、そこにいただけ。通り魔に襲われたようなもの。
知らない誰かの「過去を変えたい」という身勝手な願望のために俺は命を素材にされ、その後の人生を変えられて……。
「ふざけるなっ!!」
鉄格子を叩く音が、石造りの牢屋に響く。
かつて俺は自分の境遇を嘆き、なんでもかんでも兄のせいにすることで精神のバランスを保っていた。
あいつのせいだ、あいつが悪い、全部全部、あいつが……。
時にはまるで関係ない、しかも自分が悪いという出来事まで全部兄のせいにして、汚い感情の捨て場所にした。
ぶつけるべき相手を間違っている。途中からちゃんと分かっていた。
だけど誰を恨めばいいか分からないから、兄を諸悪の根源にしてひたすらに恨んだ。
時を超えて、1年、2年……竜騎士になってリタと離れるまで、それは続いた。
だが今、本当に憎むべき相手、諸悪の根源が、目の前に――。
「よくも……よくも!! 人の人生を何だと思ってんだよ! ふざけるな!!」
感情が先に立ってうまく口が回らない。
鉄格子をガンガンと叩きまくっても痛みが少ない。牢屋を構成している影の魔石が、俺の腕力を弱体化させているんだ。
こんなに腹を立てているのに怒りを十分に表現できず、それを相手にぶつけられない。
吠えも攻撃も何も届かない、庭先で鎖につながれた犬と同じ――滑稽だ。
そんな俺を見てイリアスは感情の伴わない笑顔で肩をすくめ、「すみません」と言ってのけた。
「何謝ってんだよ!! 謝っても何も返らないんだよ、ふざけるな――」
「やったのはテレーゼですが……しかし、本当に申し訳ない。お詫びに元の時代に返してさしあげます」
「な……、何?」
「起点となった日に、返してさしあげようというんですよ。そうすれば歪んだ歴史も元に戻る」
「歪んだ、歴史……?」
理解しがたいイリアスの言葉に、全部の動きが停止してしまう。
「そう。……カイル・レッドフォード君。君はね、歯車ですよ。この歴史の中心になる、大きな歯車です」
「な……何、言ってるんだ……?」
「5年前、テレーゼの術の失敗により貴方は過去の竜騎士団領へ。それを境に歴史は大きく分かたれたのです」
「…………」
鉄格子の前を、イリアスがゆっくりと歩き往復し始める。
「日記を読みましたところ、貴方が関わることによって大きく人生が変わった人間が少なくとも2人いる。1人は貴方が仕えていた侯爵令嬢……今の聖女様です」
「何を……俺が、彼女の何になるって……」
「話は最後まで聞いていただきたい、と言いたいところですが。そうですね……日記には『お嬢様は身体が弱い』と書かれていました。しかし、年々元気になっていったと。もしそれが心からくる病で、貴方との関わりで回復していったとするなら……? 貴方と出会わなければ、お嬢様はもしかすると今は亡き人であったかもしれません。ご存命でも聖女様を志してはいなかったかもしれませんね」
「……何、言ってんだ……」
「話を戻しましょう。もう1人、貴方と関わって人生が大きく変わった人間がいます――貴方のお友達、グレン・マクロードです」
「え……?」
「こちらは、心当たりがおありではありませんか?」
「…………」
――奴との出会いは10数年前。
マードック夫妻の店の手伝いとして、奴はそこにいた。
名前は分からない、言わない。知るきっかけになったのは、俺とのケンカ。
口下手なマードック夫妻は奴との接し方が分からないのか、業務以外の話をほとんどしない。
気まずいのが嫌な俺は、適当に話題を振って間接的に会話をつないだりしていた。
……それが、全くなかったなら。
『お前がいなかったなら俺の人生はもっと破滅的な方向へ行っていた』
『"カラス"を続けていただろうし、そのうち野盗やならず者になっていた』
『お前の存在は救いだった』――。
あいつは誰にも"グレン・マクロード"と名乗ることなく、親方とおかみさんと一切交流せずそのうちにマードック武器工房を出て、野盗に……?
「まさか……」
「貴方と手合わせをするうちに彼は剣術の才能を開花させ、最強と名高い黒天騎士団の将軍となるほどの強大な存在に……。もし彼がいないなら別の者がその地位に就いていたでしょうが、助からない命がたくさんあったでしょうね。どこか小さい村を助けたという話もありますし」
イリアスが、まるで探偵の謎解きの場面のように靴音を響かせながら、鉄格子の前を歩き回る。……不快だ。
「大きな歴史を担う人物はそのお二方ですが、貴方の存在は他にたくさんの人の人生に影響を及ぼしますよ。……貴方のお兄さんとか、ね」
「…………」
「確実に戻る方法を模索している最中ですので、どうか楽しみにしていてください。……それでは、今日はこれで。■■■■■■、■■■■■■……」
「…………は?」
今、奴が言った言葉を全く聞き取れなかった。
戸惑う俺の表情を見てイリアスは満足げに笑みを浮かべ、転移魔法で消えていった。
◇
「クソッ! 何が歯車だ、あの野郎!!」
与えられる情報量が多い上に煩雑だ。どこから処理していけばいいか分からない。
まず一番新しい、そして不穏な情報から……。
("人心掌握の術"……)
全く聞き取れなかったイリアスの言葉。
あれはきっとエリス――テレーゼが俺にかけようとしたものと同じ。
確か、呪いの補助になる術だったはずだ。あの術にかかれば思考が停止し、術者に逆らうことができなくなる。
……恐らくイリアスは俺を意のままに操ろうとするはずだ。
俺が術にかからないのは、"聖女の加護"があるから……。
「…………」
聖女の加護――それを閉じ込めてあるはずのあのスカーフを握ろうと左腕に手をやるも、そこには何もない。
そうだ。囚人服に着替えさせられていたんだ。
今あれはどこにあるんだろう。もし聖女の加護を突き破って術にかかってしまったら、俺は何をさせられるんだろう。
奴はまた時間を越えたい。
俺の命を使うのか、それとも術に確実性を持たせるためにもっと穢れなき魂――聖女を狙うのだろうか。
「……駄目だ……」
前向きな気持ちが湧いてこない。
こんな薄闇の中に数日間閉じ込められていたら無理もないかもしれないが……でも、ここで折れてなんかいられない。
グレンが先に解放されたなら、異変を感じて何らかの対処をしてくれるはずだ。
それに、さすがに団長のセルジュも黙っていないだろう。
大丈夫だ、なんとかなる……そう思って、どうにか希望を持とうとしていた。
翌日、イリアスが正気を失い操り人形と化したセルジュ卿を伴い牢屋の前にやってくるまでは。
「…………」
「イリアス・トロンヘイムと申します。今日は私がお話をお伺いいたします」
「お話することはありません」
ケンカ腰でつっけんどんに返すと、イリアスは「おやおや」と言いながらアゴに手をやる。
何が「おやおや」だ、くそったれが。
「他の2人は別室に招かれたのに、なんで俺は牢屋越しに話すんですか? 扱い悪いなあ、信じらんない。あとなんで1日空いたんですか? 早く帰りたいんですが」
「でしたら、是非お話を……」
「日記に書いてある以上の真実があるか? ……30近い男の16年分の日記なんか読んで何が楽しいのやら。あーやだやだ、何が知りたいか知らないけど、品行方正に生きてきたのに日記読まれるなんてさー。あー恥ずかしい辛い、死んじゃうよ俺ー」
……とかなんとか言いながらベッドでわざとらしくジタバタゴロゴロしてみせる。
ベッド固いな、くそが。
お互いのセリフなどお構いなしなのは相手も同じ――イリアスは懐から手帳を取り出して広げる。
俺の日記だ。表紙には「1559年 1月―」と書いてある。
「持ち歩いてんですか? ……趣味悪」
「こちらの日記には、聖女様と思しき女性の名が書かれています」
「!」
「通常、どのような関係であっても聖女様に関する記憶は消え、書き記すこともできないはず……仮に出来たとしても、その名は消えてしまうのです。なのに、なぜ貴方にはそれができたのでしょう」
「……さあ? 知らないよそんなの」
本当に知らない。
なぜ皆が彼女のことを忘れてしまっているのに、俺だけは鮮明に覚えているのか。
思い当たる節はないこともないが、こいつに話してやる義理もないし――。
「お教えしましょう。貴方は我々とはちがう理の元に生きておられる」
「理?」
「はい。貴方は、先代聖女の封印時代から過去に飛ばされました。ですから現聖女の封印の影響を受けないのです」
「…………分かってるなら、聞くなよ。何が『飛ばされた』だ! お前だよ! お前が俺を過去にぶっ飛ばしたんじゃないか! あの女……テレーゼと一緒に!!」
「……知っていたんだ。ふふ……」
俺のセリフは想定内だったのか、イリアスが不敵に笑った。それと同時に、頭が割れるように痛む――あの日、あの時のことを考えると必ずこうだ。
「……くっ……」
「記憶が朧気なのかな? じゃあ、代わりに僕が教えてあげよう。あの日……僕はテレーゼと一緒にミロワール湖にいたよ。テレーゼは過去――ノルデンの大災害という過去を改変したかった。だから彼女に時間を越える魔法を教えてあげたんだ。彼女は魔力がとても高かったから、不可能じゃないと思ってね」
「…………」
こっちの反応など全く見ず、イリアスが勝手に喋り始める。
――時を超える禁呪に必要なものは人の血と魂、月の光、そして鏡。
それらを揃え、術者が自身の名前――"真名"を呪文として唱え、時間を越えることを強く願うことで術は発動する。
――あの日はよく晴れた日だった。それなのに夕方、突如激しい雨が降った。
実は、それはイリアスの術によるもの。その雨によってできた泥濘を元にして、イリアスが獣を作った。
曰く、「あの時は血の宝玉の製法も土塊の呪法も確立していなくて、牙だけしか丈夫に作れませんでした」とのこと。正直どうでもいい。
ともかく俺はそいつに突如襲われ、足を貫くほどに噛みぬかれた。
全然覚えていない。恐怖心から封印してしまっているのだろうか?
さらに、その日の夜。
気絶した俺はミロワール湖の水面に浮かべられた。
――これはうっすらと記憶にある。
冷たかった。雨上がりのすっきりした空に、満月が浮かんでいた。
血、魂、月、そして鏡――ミロワール湖の水面。時を渡る呪法の素材が揃った。
テレーゼは自分の真名を呪文として術を放つ。
俺の身体が一瞬浮いて、しかしすぐさま叩き付けるように湖へ転落。そのまま浮き上がることはなかった。
術は失敗した。テレーゼは過去へ飛べず、代わりに俺が消えてしまった。
「……彼女は本来優しい心の持ち主だったから、発動の瞬間にためらいが生まれたのかもしれないね。なぜノルデンではなく竜騎士団領に飛んだのかまでは分からないけれど。彼女の望みとはちがう結果になったが、今の歴史は彼女が作ったともいえる。……全く、役立たずのくせに大それたことをするよ」
「…………」
言葉が出ない。それは本当に、俺が体験したことだろうか?
いや、それより、なにより……。
「なぜ、俺が」
――そうだ。
紋章とか聖女の資質とか、闇の剣とか……ともかく、俺は特殊な力や素質を持っているわけじゃない。ただの平凡な子供だった。
例えば、生まれた日が何か星の巡り的に特殊だったりしたか?
変わった持ち物でも持っていたか?
魂がそこまで純白だったりしたか?
思い当たる節が、何も……。
「たまたま、そこにいたからさ」
「た……」
――"たまたま"。
特殊なことなんて何もありはしない。
ただちょうど、そこにいただけ。通り魔に襲われたようなもの。
知らない誰かの「過去を変えたい」という身勝手な願望のために俺は命を素材にされ、その後の人生を変えられて……。
「ふざけるなっ!!」
鉄格子を叩く音が、石造りの牢屋に響く。
かつて俺は自分の境遇を嘆き、なんでもかんでも兄のせいにすることで精神のバランスを保っていた。
あいつのせいだ、あいつが悪い、全部全部、あいつが……。
時にはまるで関係ない、しかも自分が悪いという出来事まで全部兄のせいにして、汚い感情の捨て場所にした。
ぶつけるべき相手を間違っている。途中からちゃんと分かっていた。
だけど誰を恨めばいいか分からないから、兄を諸悪の根源にしてひたすらに恨んだ。
時を超えて、1年、2年……竜騎士になってリタと離れるまで、それは続いた。
だが今、本当に憎むべき相手、諸悪の根源が、目の前に――。
「よくも……よくも!! 人の人生を何だと思ってんだよ! ふざけるな!!」
感情が先に立ってうまく口が回らない。
鉄格子をガンガンと叩きまくっても痛みが少ない。牢屋を構成している影の魔石が、俺の腕力を弱体化させているんだ。
こんなに腹を立てているのに怒りを十分に表現できず、それを相手にぶつけられない。
吠えも攻撃も何も届かない、庭先で鎖につながれた犬と同じ――滑稽だ。
そんな俺を見てイリアスは感情の伴わない笑顔で肩をすくめ、「すみません」と言ってのけた。
「何謝ってんだよ!! 謝っても何も返らないんだよ、ふざけるな――」
「やったのはテレーゼですが……しかし、本当に申し訳ない。お詫びに元の時代に返してさしあげます」
「な……、何?」
「起点となった日に、返してさしあげようというんですよ。そうすれば歪んだ歴史も元に戻る」
「歪んだ、歴史……?」
理解しがたいイリアスの言葉に、全部の動きが停止してしまう。
「そう。……カイル・レッドフォード君。君はね、歯車ですよ。この歴史の中心になる、大きな歯車です」
「な……何、言ってるんだ……?」
「5年前、テレーゼの術の失敗により貴方は過去の竜騎士団領へ。それを境に歴史は大きく分かたれたのです」
「…………」
鉄格子の前を、イリアスがゆっくりと歩き往復し始める。
「日記を読みましたところ、貴方が関わることによって大きく人生が変わった人間が少なくとも2人いる。1人は貴方が仕えていた侯爵令嬢……今の聖女様です」
「何を……俺が、彼女の何になるって……」
「話は最後まで聞いていただきたい、と言いたいところですが。そうですね……日記には『お嬢様は身体が弱い』と書かれていました。しかし、年々元気になっていったと。もしそれが心からくる病で、貴方との関わりで回復していったとするなら……? 貴方と出会わなければ、お嬢様はもしかすると今は亡き人であったかもしれません。ご存命でも聖女様を志してはいなかったかもしれませんね」
「……何、言ってんだ……」
「話を戻しましょう。もう1人、貴方と関わって人生が大きく変わった人間がいます――貴方のお友達、グレン・マクロードです」
「え……?」
「こちらは、心当たりがおありではありませんか?」
「…………」
――奴との出会いは10数年前。
マードック夫妻の店の手伝いとして、奴はそこにいた。
名前は分からない、言わない。知るきっかけになったのは、俺とのケンカ。
口下手なマードック夫妻は奴との接し方が分からないのか、業務以外の話をほとんどしない。
気まずいのが嫌な俺は、適当に話題を振って間接的に会話をつないだりしていた。
……それが、全くなかったなら。
『お前がいなかったなら俺の人生はもっと破滅的な方向へ行っていた』
『"カラス"を続けていただろうし、そのうち野盗やならず者になっていた』
『お前の存在は救いだった』――。
あいつは誰にも"グレン・マクロード"と名乗ることなく、親方とおかみさんと一切交流せずそのうちにマードック武器工房を出て、野盗に……?
「まさか……」
「貴方と手合わせをするうちに彼は剣術の才能を開花させ、最強と名高い黒天騎士団の将軍となるほどの強大な存在に……。もし彼がいないなら別の者がその地位に就いていたでしょうが、助からない命がたくさんあったでしょうね。どこか小さい村を助けたという話もありますし」
イリアスが、まるで探偵の謎解きの場面のように靴音を響かせながら、鉄格子の前を歩き回る。……不快だ。
「大きな歴史を担う人物はそのお二方ですが、貴方の存在は他にたくさんの人の人生に影響を及ぼしますよ。……貴方のお兄さんとか、ね」
「…………」
「確実に戻る方法を模索している最中ですので、どうか楽しみにしていてください。……それでは、今日はこれで。■■■■■■、■■■■■■……」
「…………は?」
今、奴が言った言葉を全く聞き取れなかった。
戸惑う俺の表情を見てイリアスは満足げに笑みを浮かべ、転移魔法で消えていった。
◇
「クソッ! 何が歯車だ、あの野郎!!」
与えられる情報量が多い上に煩雑だ。どこから処理していけばいいか分からない。
まず一番新しい、そして不穏な情報から……。
("人心掌握の術"……)
全く聞き取れなかったイリアスの言葉。
あれはきっとエリス――テレーゼが俺にかけようとしたものと同じ。
確か、呪いの補助になる術だったはずだ。あの術にかかれば思考が停止し、術者に逆らうことができなくなる。
……恐らくイリアスは俺を意のままに操ろうとするはずだ。
俺が術にかからないのは、"聖女の加護"があるから……。
「…………」
聖女の加護――それを閉じ込めてあるはずのあのスカーフを握ろうと左腕に手をやるも、そこには何もない。
そうだ。囚人服に着替えさせられていたんだ。
今あれはどこにあるんだろう。もし聖女の加護を突き破って術にかかってしまったら、俺は何をさせられるんだろう。
奴はまた時間を越えたい。
俺の命を使うのか、それとも術に確実性を持たせるためにもっと穢れなき魂――聖女を狙うのだろうか。
「……駄目だ……」
前向きな気持ちが湧いてこない。
こんな薄闇の中に数日間閉じ込められていたら無理もないかもしれないが……でも、ここで折れてなんかいられない。
グレンが先に解放されたなら、異変を感じて何らかの対処をしてくれるはずだ。
それに、さすがに団長のセルジュも黙っていないだろう。
大丈夫だ、なんとかなる……そう思って、どうにか希望を持とうとしていた。
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