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14章 狂った歯車
5話 断たれていく光
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聖銀騎士団長セルジュは、有力貴族であるシルベストル侯爵家の跡取り息子。
家柄、魔術、剣の腕、全てが一級品。性格も温厚で心優しい。
身分にあぐらをかくことなく、たまに市井に出ては民の声に耳を傾ける――非の打ち所のない、完璧といってもいい存在。
育ちのよさ故に少し甘いところはあるかもしれないが……でも今は戦乱の世でもないし、俺だって戦争に出たわけでもなければ、例えば跡継ぎ争いに関する策謀を目にしたことがあるわけでもない。甘いのは、お互い様。
そうだ。俺はなんだかんだで甘い。
だから分からない。こんな事態は想定できない。
知り合いが、誰かの操り人形になって目の前に現れるなんて……。
◇
「セ……、セルジュ……」
あの取り調べの翌日イリアスと共にやってきたセルジュは、俺の知る彼ではなかった。
瞬きひとつせず、目の焦点がどこにあるのか分からない。
人間、表情が消えるとここまで別人に見えるものなのか。
まるで白磁の人形だ。端正な顔立ちが人形っぽさをさらに引き出していて、こちらの恐怖心を煽り立てる。
一体、何が……。
「セルジュ……おい、セルジュ! どうしたんだ!! しっかりしろ!!」
敬語も敬称も、かまっていられない。
俺の必死の呼びかけにも無反応……たまに来た時に「娘が可愛くて仕方がない」なんてはにかみながら言っていた彼はどこにもいない。
「……驚いた?」
「!!」
イタズラ大成功とばかりにイリアスが満面の笑みを浮かべる。
「何を……何をしたんだ!」
「……彼は正義感がとても強いからね。これから僕がすることを知れば必ず止めに入ってくると思って、少しの間置物になっていてとお願いしたんだ」
「お、置物……馬鹿なのか!? ……彼は聖銀騎士団の団長で、侯爵家は教皇猊下と繋がりがある、それに彼は王太子殿下と仲がいい。すぐにこんなこと明るみに出るぞ! こんな扱いをしたらただじゃすまない!」
「……大丈夫さ。それよりも先に、この時代が終わるのだから。そうすれば何もなかったことになる……君の"死"もね」
「死、だと……」
「カイル君。どうして、お人形のセルジュ君を君に見せに来たと思う?」
「…………」
――こんなに会話が成り立たない奴は初めてだ。
今投げられて受け止めた物がボールなのか石なのかを認識する間もなく、別角度から別の物が飛んでくる。
なぜセルジュを見せに来たか? 分かるわけないだろうそんなこと――そう言ってやりたいが、あまりの事態に唇が震えて言葉が出ない。
そんな俺を見てイリアスはまたニタリと笑った。
「"助けは、来ない"――それを教えてあげるためさ」
「な……」
「例えば、君の友人のグレンがここへやってきたとしても聖銀騎士が追い払う。人を恨みつつも、結局彼は心正しき者だからね。僕の企みも知らないし、中で何が起こっているか分からないのだから、立ちはだかる聖銀騎士を斬り捨ててまで侵入してはこないだろう。……本当に異様だと気づくのが先か、それとも僕が計画を完遂するのが先か……見物だね?」
「…………」
「ふふ……いい表情。僕はねえ、絶望が好きだよ。特に、君みたいな光輝く人間が、全ての希望を失って膝を折る様がねえ……ふふふっ、あははは」
両手を広げて天を仰ぎ、イリアスは高笑いをする。
周りに立っている"人形"のセルジュと数人の聖銀騎士が、この狂った独り芝居の異常性をさらに引き立てる。
ひとしきり笑ったあと、イリアスは身体をくるりと一回転させてからまた両手を広げてニッコリと笑った。
目障りだ。挙動がいちいち決まっているのか? ……気持ち悪い。
「さあ、今日はこのお人形を見せに来ただけだから、これで失礼するよ」
ああ、やっとどこかへ行ってくれるのか。
もういいから本当に、早く消えてくれ。
「カイル・レッドフォード君。君にどうか、■■■■■■、■■■■■■……」
「!!」
またあの"呪文"だ。今回も、何も聞こえな――。
「……女神の加護の、あらんことを」
「え……?」
傍らのセルジュが急に口を開く。
そして……。
「……女神の加護の、あらんことを……」
「女神の、加護の……あらんことを……」
控えの騎士もそれに続いて、同じ言葉を唱和し始める。
それはミランダ教の祈りの言葉のひとつ。声は次第に重なり合い、石造りの牢に感情を伴わない低い声がこだまする。
「女神の加護の、あらんことを」
「女神の加護の、あらんことを」
「「「女神の加護の、あらんことを」」」
「……あ……」
――なんだこれは。何を見せられているんだ。
意味が分からなすぎて吐きそうだ。
俺の反応を見てイリアスは満足げに笑い、「じゃあ」と言って転移魔法で消えた。
そして残されたセルジュと騎士達は「女神の加護の、あらんことを」と唱えながらぎこちない動きでゾロゾロと歩き始め、階段を上って去って行った。
姿が見えなくなってからも、あの言葉を唱えているであろう声がわずかに響く――。
家柄、魔術、剣の腕、全てが一級品。性格も温厚で心優しい。
身分にあぐらをかくことなく、たまに市井に出ては民の声に耳を傾ける――非の打ち所のない、完璧といってもいい存在。
育ちのよさ故に少し甘いところはあるかもしれないが……でも今は戦乱の世でもないし、俺だって戦争に出たわけでもなければ、例えば跡継ぎ争いに関する策謀を目にしたことがあるわけでもない。甘いのは、お互い様。
そうだ。俺はなんだかんだで甘い。
だから分からない。こんな事態は想定できない。
知り合いが、誰かの操り人形になって目の前に現れるなんて……。
◇
「セ……、セルジュ……」
あの取り調べの翌日イリアスと共にやってきたセルジュは、俺の知る彼ではなかった。
瞬きひとつせず、目の焦点がどこにあるのか分からない。
人間、表情が消えるとここまで別人に見えるものなのか。
まるで白磁の人形だ。端正な顔立ちが人形っぽさをさらに引き出していて、こちらの恐怖心を煽り立てる。
一体、何が……。
「セルジュ……おい、セルジュ! どうしたんだ!! しっかりしろ!!」
敬語も敬称も、かまっていられない。
俺の必死の呼びかけにも無反応……たまに来た時に「娘が可愛くて仕方がない」なんてはにかみながら言っていた彼はどこにもいない。
「……驚いた?」
「!!」
イタズラ大成功とばかりにイリアスが満面の笑みを浮かべる。
「何を……何をしたんだ!」
「……彼は正義感がとても強いからね。これから僕がすることを知れば必ず止めに入ってくると思って、少しの間置物になっていてとお願いしたんだ」
「お、置物……馬鹿なのか!? ……彼は聖銀騎士団の団長で、侯爵家は教皇猊下と繋がりがある、それに彼は王太子殿下と仲がいい。すぐにこんなこと明るみに出るぞ! こんな扱いをしたらただじゃすまない!」
「……大丈夫さ。それよりも先に、この時代が終わるのだから。そうすれば何もなかったことになる……君の"死"もね」
「死、だと……」
「カイル君。どうして、お人形のセルジュ君を君に見せに来たと思う?」
「…………」
――こんなに会話が成り立たない奴は初めてだ。
今投げられて受け止めた物がボールなのか石なのかを認識する間もなく、別角度から別の物が飛んでくる。
なぜセルジュを見せに来たか? 分かるわけないだろうそんなこと――そう言ってやりたいが、あまりの事態に唇が震えて言葉が出ない。
そんな俺を見てイリアスはまたニタリと笑った。
「"助けは、来ない"――それを教えてあげるためさ」
「な……」
「例えば、君の友人のグレンがここへやってきたとしても聖銀騎士が追い払う。人を恨みつつも、結局彼は心正しき者だからね。僕の企みも知らないし、中で何が起こっているか分からないのだから、立ちはだかる聖銀騎士を斬り捨ててまで侵入してはこないだろう。……本当に異様だと気づくのが先か、それとも僕が計画を完遂するのが先か……見物だね?」
「…………」
「ふふ……いい表情。僕はねえ、絶望が好きだよ。特に、君みたいな光輝く人間が、全ての希望を失って膝を折る様がねえ……ふふふっ、あははは」
両手を広げて天を仰ぎ、イリアスは高笑いをする。
周りに立っている"人形"のセルジュと数人の聖銀騎士が、この狂った独り芝居の異常性をさらに引き立てる。
ひとしきり笑ったあと、イリアスは身体をくるりと一回転させてからまた両手を広げてニッコリと笑った。
目障りだ。挙動がいちいち決まっているのか? ……気持ち悪い。
「さあ、今日はこのお人形を見せに来ただけだから、これで失礼するよ」
ああ、やっとどこかへ行ってくれるのか。
もういいから本当に、早く消えてくれ。
「カイル・レッドフォード君。君にどうか、■■■■■■、■■■■■■……」
「!!」
またあの"呪文"だ。今回も、何も聞こえな――。
「……女神の加護の、あらんことを」
「え……?」
傍らのセルジュが急に口を開く。
そして……。
「……女神の加護の、あらんことを……」
「女神の、加護の……あらんことを……」
控えの騎士もそれに続いて、同じ言葉を唱和し始める。
それはミランダ教の祈りの言葉のひとつ。声は次第に重なり合い、石造りの牢に感情を伴わない低い声がこだまする。
「女神の加護の、あらんことを」
「女神の加護の、あらんことを」
「「「女神の加護の、あらんことを」」」
「……あ……」
――なんだこれは。何を見せられているんだ。
意味が分からなすぎて吐きそうだ。
俺の反応を見てイリアスは満足げに笑い、「じゃあ」と言って転移魔法で消えた。
そして残されたセルジュと騎士達は「女神の加護の、あらんことを」と唱えながらぎこちない動きでゾロゾロと歩き始め、階段を上って去って行った。
姿が見えなくなってからも、あの言葉を唱えているであろう声がわずかに響く――。
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