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14章 狂った歯車

16話 「さよなら」

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「よし……できた」
 
 母の裁縫道具を拝借して、こっちの俺が持っていたあのスカーフにまた古代文字で名前を縫いつけた。
 本当は銀の糸がよかったが、買いに行ってる時間も金もないから仕方がない。
 今度は「カイル・レッドフォード」「クライブ・ディクソン」の連名。
 どちらも、俺という存在を証明する呪文だ――。
 
 
 ◇
 
 
 レイチェルに借りた本とノートから、これではないかという答えをどうにか導き出した。
 
 魔法は心の力。
 基本として選ばれるのが"火"であることが多いのは、イメージがしやすいからだろう。
 最初に火を出したら、次は火を出している自分をイメージする。
 それを繰り返すうちに、前に出した時よりも大きい火を出せるようになり、次第に念じるだけで火を出せるようになる……とのこと。
 
『回復魔法などイメージが難しい魔法は、術を出した時の気持ちを思い出してみましょう。昔の自分の気持ちとリンクすれば、自然と威力は高まりますよ』――。
 
 時間を越えるイメージなんかはできないが、術を出した……というか、巻き込まれた時の気持ちなら思い出せる。
 1回目、2回目……どちらも同じ、強い気持ち。絶対にリンクできるだろう。
 
 イリアス曰く、時渡りの術に必要なものは月の光、鏡、そして人の血と魂。
 月と鏡――「あの日」と同じに、夜のミロワール湖で術を行う。
 そして血と、魂……もちろん、誰かの魂を魔器ルーンにしたりはしない。
 血も魂も、使うのは俺自身――。
 
 『魔法史便覧』によれば、魔法の威力というものは人工物よりも神の創りしもの――つまり自然物を魔器とした方が勝るのだという。
 杖を使うよりも人の命……といった風にだ。
 おそらくイリアスの儀式の時よりさらに完全な自然物を用いれば、俺の方が勝つ。
 
 人工物である月天げってんの間の水鏡よりも、あれよりも規模が大きく、かつ自然物であるミロワール湖。
 満ち足りない月よりも、今夜浮かぶであろう完全に満ちた月。
 そして他人の命ではなく、自分の命――。
 
 これだけ揃えば勝てる。さらに……。
 
「……まさか、これがヒントになるなんてな……」
 
 手元にあるのは、『時の勇者』という小説本。これもレイチェルから借りたものだ。
 
 時の神から時間を越える力を授かった勇者が、時空を越えて"災いを呼ぶ者"を倒すという冒険ファンタジー物語。
 苦労の末"災いを呼ぶ者"を倒した勇者は、自分の時代に帰る間際に馬車にかれて死んだ子供とそれに取りすがる母親に遭遇してしまう。
 迷った末に勇者は、自分の時代に帰るために温存しておいた最後の1回の力をその子供を助けるために使う――というもの。
 
 俺はこの小説が嫌いだ。
 そんな都合よくいくかよ とか、時を超えたけど特に何もしていない俺にケンカ売ってんのか なんて思ったんだ。
 そんなわけないのにバカだよな。早い話、主人公に嫉妬してたんだ。
 まあそれはともかくとして……主人公は時間を越える力の最後の1回を、たった30分前に戻るために使った。
 俺は最初、5年前のあの日に戻ることを考えていた。
 だが、そんな前に戻らなくてもいい。
 飛び越える時はたった1日……「昨日」だ。イリアスが儀式を行った昨日のあの場面に戻る。
 水の冷たさ、血の匂い――何もかも鮮明に思い出せる。
 心の力も、イメージも、絶対にイリアスに勝つ。
 
(まだ、俺の意識ははっきりしてるな……)
 
 イリアスは『君の意識は1日と経たずに溶け消える』と言っていたが、今のところ29歳の自分の意識が勝っている。
 決行は夜だ。それまでどうか、消えないでいてくれ――。
 
 
 ◇
 
 
「ただいま~っ」
「うわっ!?」
 
 突如部屋の扉が開け放たれ、兄が無遠慮に入ってくる。
 グレンの奴が「ジャミル君は真面目でいい奴だが、ノックをしないのだけはいただけない」と言っていた。
 ――ほんとだよ。心臓に悪いよ。
 
「……ノックしろよ、ビックリした」
「えー? そんなビビんなよ。ハハッ」
「……仕事は?」
「午後休~」
「………………」
 
 ――困った。両親は今日帰りが遅いというから、帰ってくる前……夜6時くらいに家を出るつもりだった。
 その時間ならまだ兄もいないだろうから好都合だと思っていたのに……。
 
(まあ自室にいるかもしれないし、こっそり出て行けばいいか……)
 
「ほらよ、これー」
「ん?」
「昼メシ」
「あ……」
 
 兄がよこしてきた紙袋の中から、甘い匂いが漂ってくる。中はイチゴのパンがどっさりだ。
 そりゃイチゴは好きだけど、いくらなんでも買いすぎじゃないだろうか……。
 
「……ありがとう」
「おお。…………」
「……? どうかした?」
 
 兄は笑顔のまま、何か言いたげに俺の顔を見て瞬きをする。
 ――今のやりとりに何かおかしいところでもあっただろうか?
 いつもの"俺"なら、パンを見てもっとちがう反応をしたとか……?
 少しの間のあと兄は俺から一度顔をそらして、首元を掻きながら再度口を開く。
 
「……いや。なんか困りごとかなぁって思ってさ」
「え? ……なんで」
「だってお前、ずっと"これ"やってる」
「…………!」
 
 兄が、服の胸の辺りをグッとつかんでみせる。
 
「え、で……でもこれは、……兄貴の」
「いやいや、お前のクセじゃんか。服グッシャグシャにしてさあ」
「…………」
 
 ――確かにこれは、俺のクセだ。
 再会した兄も色々な局面で同じようにやっていて……それを見た俺は「ああ、あれって兄貴のがうつってたんだな」と思ったんだ。
 でもそれは、あっちの兄だけのものらしい。
 ……一体、いつから? やっぱり俺が消えてからなのか?
 困った時に服をつかむ弟。父に剣を習いたかった弟――抜け落ちてしまったその役を代わりに演じていたとでもいうのだろうか……?
 
「……ふ、服、つかんでるだけなのに……よく、分かるね」
「当たり前よ。何年兄上様をやってると思ってんだよ。20年だぞ」
「………………18年でしょ」
「おっ? ……ハハッ、ホントだな! 素で間違えたわ。物心ついた時にはお前いたからなあ」
「………………」
 
 気まずいからと話をそらそうとすれば、また別の気まずい所にぶつかる。
 世界がちがっても、人生がちがっても、彼は紛れもなく俺の兄だ。
 いい奴だ。料理はしないけど昼に好きな物を買ってきてくれるし、小さなクセで隠し事はバレる。
 
(駄目だ……)
 
 すぐに迷いが生じる。
 俺があっちに戻れば、この兄はいなくなる。
 ――本当にそれでいいのか?
 俺が預かり知らないというだけで、別にこの世界は最悪というわけじゃない。
 例えば今日このまま寝てしまえば今の俺は消えて、この世界は存続する。
 明日レイチェルが『昨日のカイル、ヘンだったけど大丈夫?』なんて話しかけてきて、何も知らない俺はキョトン顔で何かバカなことを言うんだ。

 それが正しい姿だ。そうあるべきだ。
 
 ……でも。
 
 だって……。
 
(……なんで、こんなに決意が揺らぐんだ……!)
 
「あの……あの、さあ……」
「ん?」
「…………いや。ちょっと、大事なことを決めなきゃいけなくて。でも詳しくは話せないんだ……その、ごめん」
 
 気づいたらまた、心臓の発作でも起こしたのかというくらいに胸の辺りの服を握りしめていた。
 ――なんでこんなに、決意が揺らぐ?
 誰にも相談できないからだ。吐き出す相手がいないからだ。
 誰も答えや選択肢をくれないし、話すことで考えを整理するということもできない。
 
「……そっか。ま、話せる時が来たら話せよな」
「………………うん」
 
 困ったような顔をしながらも明るく笑う兄。
 ちょっとでも楽になれればと思って断片的に打ち明けたが、余計に気が重くなってしまった。
 
『話せる時が来たら』
 
 ――その時は、訪れない……。

 
 ◇

 
「……満月……」
 
 夜6時を回った。暗くなった空に完全に満ちた月が浮かぶ。
 俺の魂は消えていない。そろそろ出発だ――。
 
 玄関のドアを開けて外へ。
 1階に兄がいなくて助かった。自室にいるか、風呂に入っているのかもしれない。
 ガキじゃあるまいし男が夜に家を出たって何も思われないだろうが、さすがにもう顔を合わせたくは……。
 
「……カイル?」
「!!」
 
 背後からの声に振り向くと、リビングに繋がるウッドデッキに兄が立っていた。両手に服やシーツを抱えている。
 
「あ……せ、洗濯物?」
「おお、取り込むの忘れててさー。何、どっか行くの?」
「…………」
 
 ――なんで、こんな……最後の、最後で……。
 
「ちょ、……ちょっと、急用が」
「急用……?」
 
 リビングから漏れ出る明かりで逆光になって、兄の顔がはっきり見えない。
 声の調子からして、きっと怪訝な顔をしているんだろう。
 それはそうだろう、短剣ひとつだけ持って"急用"だなんて……。
 
「……よく分かんねえけど、気ぃつけろよー。最近ちょっと物騒だからな」
「大丈夫だよ。俺……強いし」
「そりゃそうだけどよ」
「じゃ、あの……行ってくるから」
「おお」
「…………に、兄ちゃん!」
 
 リビングに入ろうとする兄を思わず大声で呼び止めると、兄が驚いた顔でこちらを振り向く。
 
「なんだよ、ビビったな。……どした? 忘れモンか?」
「あ…………」
 
 短剣を持つ手が震える。
 俺は"あの日"――両親に「メシがうまかった」「ありがとう」と告げ、たまたま見かけたレイチェルにも「遊んでくれてありがとう」と言った。
 だけど兄には会うことがなかったから何も言えずじまい。

 ……いや、ちがう。会ったって、何も言ってやるもんかと思ったんだ。
 時間を越えた当初の俺は、置かれた環境があまりにも辛すぎて、兄を憎むことで精神のバランスを取っていた。
 だけどリタをひどく傷つけてから、俺は兄を悪の象徴のようにして恨むことをやめた。
 情報を整理して、本当にそれは兄のせいかと考えることにして……それを何度も繰り返した。
 
 ――恨むのはすごく苦しかったんだ。だって俺は兄ちゃんが好きだから。
 
 だから、また会えたら恨み言とか言わないで笑って仲良くしたいって思ったんだ。
 それなのに俺はあの日、兄に対してだけ心が昔の自分に逆戻りしてしまった。
 あの頃みたいに心の中の兄に毒づいて意地を張って……中身23歳だったくせにさ、ダサいんだよ。
 だけど、今度は……。
 
「……あの、昨日癇癪かんしゃく起こしてごめん」
「おー、気にすんなよ。ガキの頃はしょっちゅうだったし」
「……そう、だったっけ……憶えてないなぁ……。あの……異世界の夢とか、変なこと言ってたのに、バカにしないで聞いてくれて、ありがとう。俺が悩んでるとか分かってくれて、ありがとう。嬉しかった。……に、兄ちゃんは、やっぱり……俺の兄ちゃんだよなぁ……」
「えー? 何当たり前のこと言ってんだよ。ヘンな奴だな――」
「ありがとう、兄ちゃん……。おれ、俺……兄ちゃんのこと、忘れないよ……」
 
 声が震える。感情を抑えられず、とうとう涙がこぼれてしまう。
 駄目だ。これ以上はもう、とても耐えられない……!
 
「……カイル? どうし……」
「ありがとう兄ちゃん。……ごめん。……さよなら……!」
「カイル!? おい――」
 
 兄が引き留める声を背中に受けつつ、そのまま全速力で駆け出した。
 
 
 ◇
 
 
「っ、はぁ、はぁ、はぁ……」
 
 息せき切らして、ミロワール湖に続く道をひたすらに走る。
 春が入り交じった柔らかい風が頬に吹き付ける――温かいはずのそれを冷たく感じるのは、流れ続ける涙のせいだろう。
 
 ――いい年こいた大人が泣きながら走ってんだよ、ダサいな。
 でも誰も見てないし聞いてないから、別にいいや。
 仮に見られたとしてもみんな消えちまうんだから。
 
 ……そう、消えるんだ。

 なくなるんだ。

 なかったことになるんだ。
 
「なんでだよ、……なんでなんだよ……っ、ちくしょう……ちくしょう……っ、馬鹿野郎――ッ!!」
 
 天に向かって叫んで、心臓が破裂しそうなくらいに全速力で走った。
 なんでこんな選択を迫られないといけないんだ?
 どっちの自分も、どっちの世界も捨てたくなんかないのに。
 悲しい、悔しい。何も正解が分からない。どっちを選んでも後悔しか残らない。
 
 ――兄ちゃん、父ちゃん母ちゃん、レイチェル。
 さようなら。ごめん、俺を許して。
 俺が消えたあと、もし……万が一、この世界が存続したなら……。
 
 ……俺のことはどうか、忘れて――。
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