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15章 祈り(前)

1話 吠えたける風

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 ふわふわ……フラフラ……なんだか空を飛んでいるみたい。
 気持ちいいなあ、ずっとこうしていたい……。
 
『……たす、……け……』
 
(…………?)
 
 女の人の声が、途切れ途切れで頭に響く。
 ……誰だろう?
 ルカ、ベル……じゃないし……お母さんでもないし……。
 
『……おね、がい……、誰、か……たすけ……て』
 
 助けてって言ってる。でも知らない声だ。
 ほんとに誰なの……?
 
「……ル、レイ……チェル……」
 
(ん……?)
 
 今度は男の人の声だ。
 こっちは知ってる……気がする。
 えっと、えっと……この声は……。
 
「レイチェル! ……レイチェル!!」
「!!」
 
 その呼び声に、ふわふわとしていた意識が急降下していく…………。
 
 
 ――――――………………
 ――――…………
 ――……
 
「……う……ん」
「レイチェル! しっかりしろ! おいっ!!」
「ふぁ……うーん……。あれれ……? ジャミル……?」
 
 ジャミルがわたしの肩を揺すりながら、大声で呼びかけてきていた。
 なんだかすごくボーッとする。何してたんだっけ……?
 
「大丈夫か……?」
「んー? 大丈夫、って……うーん……何が……?」
「何、何って……うん……」
「…………?」
 
 わたしの問いかけに、曖昧な反応をするジャミル。
 なんだか寝起きみたいな顔――気のせいかな?
 
「……悪りい。オレもあんまよく分かんねえんだ……なんかボーッとしちまって」
「あ、うん。わたしもー……」
「……グレン! 大丈夫か?」
「!」
 
 そこでようやく、グレンさんの方に意識が向く。
 ――そうだ、隣にいたんだっけ。なんかほんとに意識が抜け落ちちゃってるな。
 ジャミルの呼びかけに、グレンさんは何度か小さくうなずく。
 わたし達と同じに意識がはっきりしないのか、目元を手で覆いながら唸り声をあげている。
 
「グレンさん、だいじょうぶ……?」
「ん……いや、よく分からない。何か……立ったまま、気絶していた……ような」
「あ、……それ、わたしもです。さっきまで何やってましたっけ……」
「なんか……あのヤベー剣の話してたよな? そこであの板が光り出して」
「そうだ……この頼信板テレグラムに『助けて』と出て……そこから、何を……」
 
 3人とも、何がなんだか分からない。
 全員が全員意識も記憶もはっきりしないなんて、そんなことあるんだろうか?
 別室にいるルカやベルは、どうしてる――?
 
「!!」
 
 突然、「ギャアア」という獣の咆哮ほうこうが響き渡った。
 これは、この叫びは……。
 
「今の……シーザーか!?」
「う、うん……」
 
 カイルの飛竜、シーザーの鳴き声。
 以前、赤眼になったグレンさんが砦の屋上から飛び降りようとした時もこんな風に鳴き声を上げていた。
 でも、あれよりもさらに大きくけたたましい。窓ガラスがガタガタと音を立て、隊長室の空気も振動している。
 
 ――ただごとじゃない。一体、何が?
 もしかして……。
 
「カイル……」
「……え?」
「おい、ウィル! ウィル!!」
 
 ジャミルが叫ぶよりも早くウィルが空中に渦状の姿で現れ、すぐさま扉に姿を変えた。
 
「グレン、レイチェル……!」
 
 扉を開けながらジャミルがわたし達に呼びかけ目配せをする。
 2人で目を見合わせたあと同時にうなずき、わたし達は扉へ飛び込んだ――。
 
 
 ◇
 
 
「うっ……なんて風だ……!」
 
 砦の屋上の階段室――鉄格子がはまった小窓から、天に向かって吠え続けるシーザーの姿が見える。
 空が暗い……いつの間に夜になっていたんだろう?
 
「ジャミル君……! 隊長、レイチェル!」
「あ、ベル!」
 
 後ろにベルとルカが立っていた。
 わたし達と同じに、この非常事態に駆けつけたのだろうか。
 
「大丈夫か、2人とも。……意識ははっきりしているか?」
「あ……いえ、あの」
「わたし達2人ともボーッとしているところを、あの子の声で引き戻されたの」
 
 グレンさんの問いかけに、ルカがそう答えた。
 つまり砦の人間全員の意識が混濁していたことになる。本当に、一体何が……。
 
「来たはいいけど……近づきようがねえな……」
「うん……」
 
 シーザーがひとつ吠えるごとに暴風が巻き起こり、その風圧で階段室のドアを押し開けることができない。
 小窓からびゅうびゅうと吹き込んでくる風だけでも外の危険性が十二分に分かる。
 飛竜は風の紋章の眷属けんぞくというのは本当らしい……暴れ回る風と爆音に、わたし達はどうすることもできない。
 主人のカイルなら、なだめることが出来るんだろうか……?
 
『……大丈夫よ。シーザー、良い子ね』
 
(え……?)
 
 誰かの声が聞こえる。
 さっきボーッとしてた時に聞いた声と同じだ。
 声はわたしだけでなくみんなの頭にも聞こえているようで、それぞれ頭を抑えたりキョロキョロ辺りを見回したりしている。
 
「……声と風がなだらかになった。出るぞ」
「あ、待って……」
 
 グレンさんが、階段室の扉を開けて出て行く。
 わたしも彼の腕につかまりながらそれに続く――風は確かに強いけど、さっきほどではない。
 砦が揺れそうなくらいだった雄叫びは少し鳴りを潜めたけれど、シーザーは未だに天に向かって「キュイー」と声を上げ続けている。
 
『……落ち着いて。駄目よ、そんな音と風』
 
(また……)
 
 "誰か"がシーザーに話しかけている。
 確かに声が聞こえているのに、声の主の姿はない。
 女性の言葉を聞いたシーザーは小さく「キュゥ……」と鳴いて首を垂れる。
 
『シーザー、お願いがあるの……貴方の主人であり従者、そして半身……"彼"の名を、呼んで。この世界で貴方は、貴方だけがずっと、彼のまことの名を呼び続けていたでしょう。お願い……彼を、助けて……』
 
 シーザーが再び空を仰ぎ、「キィー」と天に叫ぶ。
 
「ひゃっ……!?」
 
 風がブワッと巻き起こる。
 でも、さっきまでのような何者をも拒絶する乱暴な風じゃない。
 繰り返し繰り返し、シーザーは声を上げる。主人であり従者、そして半身――カイルを求めて。
 巻き起こった風は、シーザーの前に球状になって集まる。
 ジャミルの使い魔ウィルが出した、あの黒い渦に似ている――シーザーが叫ぶたびに風は色を帯びて具現化していき、やがて屋上を覆うほどの大きさに。
 
『……お願い……』
「!!」
 
 女性の声が頭に響く。
 さっきのシーザーへの優しい呼びかけとちがう、悲しげな声……。
 
『……お願いです。どうか、彼を……カイルを、助けて……!』
 
 みんなの身体が薄青の風に包まれ、同時に目の前に光が拡がる……!
 
 
 ◇
 
 
「こ……ここは……?」
 
 目を開けると、そこは青い石でできたドーム状の建物の中だった。
 床面のほとんどが水で満たされていて、透けた天井から降り注ぐ月の光が水面に反射してきらきらと煌めいている。
 なんだか見たことがあるような、ないような……。
 
「げ……月天げってんの間!?」
 
 ベルが目を見開いて大声で叫んだ。
 
「月天の間、って……」
 
 ミランダ教の聖女様が眠りながら祈りを捧げている場所だ。
 ――なんでそんなところに飛ばされたの? 一体……。
 
「……なんだ、あれは……」
「!」
 
 グレンさんの目線の先――水鏡の中心に置いてある箱の付近から、気泡がボコボコと上がってくる。それと同時に水面がじわりと赤く染まって……。
 
「カ……カイル!?」
 
 とっさに、そう叫んでしまった。
 なぜそう思ったのか分からない。でも絶対にあそこにいるのはカイルだ。
 わたしの叫びを聞いたグレンさんとジャミルが水に入り込み、赤い血だまりの方へ歩いて行く。
 水鏡を満たす水は深さはそれほどではないものの、傾斜のかかった地面のせいでとても歩きづらそうだ。
 2人が血だまりに近づくと同時にまた気泡がいくつも上がり、やがて水面に青白い"何か"が姿を現す。
 
(手……!!)
 
 人間の手がザバァと音を立てながら水面から伸び、また水に呑まれる。
 呑まれた手がまた水面から出てきて、何かを求めるように思い切り指を広げながら天に向かって伸びる。
 
「……カイルッ!!」
 
 ジャミルがすぐさまその手をつかみ引っ張り上げようとするも、水が溜まっている上に傾斜のかかった地面では踏ん張ることができず、滑って後ろに転倒してしまった。
 
「ジャミル!」
 
 グレンさんがジャミルを引っ張り起こす。こちらもやりにくそうだ。
 2人が再び水面に現れた手をつかんで引っ張ると、反対側の手も姿を現した。
 2人はそれぞれの手を持って引っ張る――手のひらだけしか出ていなかった手がヒジあたりまで出てきたけれど、何か妙だ。
 
 この水鏡は、一番深い所でも多分わたしの太ももくらいまでの深さしかない。
 引き上げようとしている相手が気絶しているとしても、頭や身体くらい見えていてもおかしくないはず。
 なのに、"手"しか見えない。あの一帯だけ底なしの穴が開いているかのように真っ黒だ。
 怖い。あの黒いものは一体何なんだろう。まるであの手を……"彼"を、別の世界に引き込んでいるみたいに見える――。
 
「ちっくしょう、この……水と、斜めってる地面の、せいで……全っ然、踏ん張れねえ……!」
「……っ、どうなってる……向こう側の力が……強い……っ!」
「向こう側!? 誰が引っ張ってるってんだよ!!」
「知るか、そんなこと! ……ジャミル、使い魔は!? こういう時こそ力を借りるべきだろう!」
「あっ! ……そっか、……ウィル! ウィル!!」
 
 ジャミルがウィルの名前を呼ぶも……。
 
「……ウィル? どうした! ウィル!?」
 
 何も起こらない。
 何か大きい動物に変化させて手伝わせようと思ったんだろうけど、ウィルの姿は小鳥のまま。
 主人ジャミルの上部をぐるぐると飛び回り、「ピュー、ピュー」と大きな声で鳴くのみ。
 
(……鳴き声……)
 
「どうしたってんだよ、ウィル! 手伝ってくれって……」
「……カイルーッ!!」
「!!」
「カイル!! お願い、戻ってきて!! カイル!!」
「レイチェル……?」
 
 わたしが水鏡の縁から大声で叫ぶと、ウィルもまた大声で「ピュー、ピュー」と鳴く。
 ――ああ、やっぱり、やっぱりだ。
 
「グレンさん、ジャミル! 小鳥ちゃんもきっと、カイルを呼んでるんだよ!! シーザーと一緒……!」
「カイルを、呼んで……?」
「……ねえ、みんなでカイルの名前を呼ぼう? あの心の闇の世界と同じに真名まなを……呪文を唱えれば、"意識の海"から浮かび上がってくる! きっと……ううん、絶対、絶対、そうなの!」
 
 叫んでいるうちに、涙が勝手に流れ出る。
 カイルの身に何があったか分からない。
 だけど今誰かが、何かが彼を"あっち側"に引き込もうとしている――それなら。
 グレンさんが闇に堕ちた時みたいに真名を唱えれば、みんなで彼の存在を証明すれば……!
 
「カイルさん……」
「カイルさん! お願い、戻って……」
「カイル! カイル!! 行っちゃいやだよ! カイルーッ!!」
 
 ルカとベルがカイルを呼び、わたしもそれに続いて大声で叫ぶ。
 
 ――なんでこんな所にいるのかなあ、もうすぐ3月だけどまだちょっと寒いのに、水の中なんて……。
 しかも、あの血だまり……またケガしてるんだ。……寒いよね、辛いよね、痛いよね。
 なんでカイルがこんな目に遭わないといけないのかな、あんまりだよ。
 
 叫びまくるわたしを見てグレンさんとジャミルはしばらくあっけにとられていたけれど、すぐに"手"の方に向き直り、また引っ張り上げようとする。
 
「……カイル! 戻れ、……何やってる、馬鹿!!」
「カイル……ちくしょう!! 今度は絶対連れて行かせねえ……っ、絶対絶対、兄ちゃんが助けてやっから!! カイル!! カイルーッ!!」
 
(ジャミル……!!)
 
 みんなが……ジャミルがカイルの名を叫んだあと、ウィルがまた大きく叫ぶ。
 すると"手"の近辺にずっと滞留していたあの黒いものが渦を描きながら水面に飛び出し、やがて霧のように消えた。
 そして、次の瞬間――……。
 
「あ……!」
 
 カイルの姿が、水面に浮き出る。
 すぐさまグレンさんとジャミルが握っていた手を引っ張り上げ、水鏡の、水深の浅いところにまで運んだ。
 ……顔が真っ青だ。その上、足首に短剣が突き刺さっている。
 でも、ゲホゲホ、ゼーハーという声が聞こえてくる。

 咳をしている。呼吸している。
 ……生きている。

 "あの日"とちがって、カイルが無事で、生きて戻って……。
 
「カイル……カイルっ……!! うわああん……!」
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