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15章 祈り(前)

◆王太子リュシアン

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「……リュシアン……、デュ、デュラ……、ド・ロレーヌ……」
「……『リュシアン・デュランベルジェ・フォンセ・ド・ロレーヌ』」
「……長い」
「王侯貴族……どころか、王太子だもんなあ」
 
 日曜の朝。
 カイルと朝の走り込みをしたあと、朝食を食べながら王太子リュシアンの話をしていた。
 厨房ではベルナデッタが聖女の元に運ぶ食事を作っている。
 時刻は7時半。ジャミルは仕事があるため昨日自宅に帰った。
 ルカ、セルジュはまだ寝ているかもしれない。レイチェルは確実に寝ている。
 
「王太子殿下のお話ですわね……!? お任せくださいっ!」
 
 ベルナデッタがシュババとやってきて、鼻息荒く彼の情報を話し始めた。どうやら彼のファンらしい。
 
 王太子リュシアン――ロレーヌ国王と王妃の第1子。兄弟は弟が3人、妹が2人。
 紋章はないが、水術の資質を持っている。魔法よりは剣を用いた戦いを好む。
 ディオールへの留学経験あり。ディオールの第3王女と婚約中、今年6月に結婚式を執り行う予定。
 
 留学中にディオール騎士の訓練を見て「自国ロレーヌの騎士はなんと弱く腑抜ふぬけなのだろう」と考えるようになり、帰国してから父王に騎士団の抜本的な改革を提案。
 身内びいきが多く、形骸化していたロレーヌ王国騎士――明星騎士団ヴェスペル・ナイツは、3年ほどかけて鍛え直され、屈強で誇り高い集団に生まれ変わった。
 そういう経緯があるため身分にあぐらをかいていた古参貴族からはやや煙たがられているが、民や若い貴族からの人気や評判は高い……とのこと。
 
「……それはすごいな」
「でしょう!? それでですね……!」
 
 1538年6月1日生まれ、25歳。身長は181、右利き、好きな色は赤。
 冷静で理知的だがやや猪突猛進気味。
 勉学は苦手ではないが、じっと座っているのが嫌い。幼い頃はしょっちゅう授業を抜け出して王宮を大騒ぎさせていた。
 趣味は乗馬、剣集め、剣の稽古。好きな食べ物は肉とケーキ。嫌いな食べ物は緑の野菜。
 特に小松菜の茎の部分が嫌いで、溜め込んで腐らせたりこっそり父王の馬にあげようとして怒られた経験あり。
 猫舌で熱い飲み物を相当冷まさないと飲めない。
 
「…………その情報、いるか?」
「必要ですわよ~。かわいいでしょう??」
「そうか……?」
「そうかな……?」

 女性は男性のそういうギャップに弱いらしい。……よく分からない。
 
「まあギャップはともかくとして、すごい人物だというのはよく分かった。……で、そんなすごい人物が昨日あの場にいたのはなぜだと思う?」
「え……?」
 
 彼を見てからずっと疑問に思っていたことを聞いてみたが、カイルもベルナデッタも分からないようで首をひねる。
 
「ええと……1回目は、ご友人のセルジュ様を助けたお礼と諸々の説明でしたわよね。それで、昨日は……?」
「……うーん。教皇猊下げいかが禁呪を使ったから……その承認と見届け……とか?」
「…………」
 
 そう言われてみるとそんな気もするが、何か確実性に欠ける。
 
「本当にそれが目的だったんだろうか? そもそも1回目の謁見の時の色々な説明だって、セルジュや聖女や教皇がすればよかった気がするんだが」
「それもそうだ。……わっかんないな~、偉い人の考えることは~」
「あっ。王太子殿下といえば、明日演説なさるそうですけれど……」
「演説?」
「はい。朝刊にそのように書いてありましたわ」
 
 言いながら、ベルナデッタが朝刊を持ってくる。
 
「……ほんとだ。『ロレーヌに生きる民に向けて』……かぁ」
「何を言うんだろうか」
「聖女様が目覚めたせいで魔物強くなったし……国民は一致団結して備えましょう、祈りましょうみたいな話かな? それで民の混乱を収めるとか、民の意識を高めてご自身の求心力も高めようとか……そういう目的かなあ」
「それは……ありえますわね」
「じゃあ、あの場にいたのは演説のネタ探しとかかもしれないな」
「なるほど。その線が一番ありそうだな……」
 
「やあ……おはよう」
「!」
 
 セルジュがやってきた。
 貴族らしい服ではないが、朝からすでに身だしなみは完璧だ。
 
「セルジュ様。おはようございます」
「おはよう」
「おはよう~」
 
 挨拶を返すとセルジュは爽やかに微笑んだ。
 昨日3人で長時間話し合いをしている時に彼から「私のことは呼び捨てで。敬語もやめてもらいたい」と言われたのでそうすることにしたが、どうにも慣れない。
 セルジュがそうするのは一向に構わないのだが……。
 ベルナデッタに促され、セルジュは俺達と同じテーブルについた。
 ベルナデッタが彼の前にジャミルが作り置きしていた朝食を持ってくる。
 サラダとプレーンオムレツと野菜スープ、そしてふわふわパンケーキ。……うまそうだ。
 
 
 ◇
 
 
「……セルジュ」
「ん?」
 
 食事を終え、コーヒーを飲んでいるセルジュに思い切って声を掛けた。
 
「ひとつ、どうしても気になることがあって」
「……なんだろう?」
「王太子殿下のことなんだが――」
「!」
 
 言った瞬間、セルジュの眉がピクリと動いた。
 
「…………殿下が、どうかしただろうか」
「あ………」
 
 カップをソーサーに置き、セルジュは前髪の端を持っていじり始める。
 目を細め、眉間にシワを寄せ……。
 ――何だ? 怒らせてしまったのか……?
 
「いや……殿下は、なぜあの場にいらっしゃったのか、と思って」
「…………王太子殿下にはご公務があらせられる」
「え? ああ――」
「お忙しいはず、他にもすべきことが山ほどあるはず。なのに、なぜあの場に?」
「…………」
「……暇なのか?」
「!?」
「そう……言いたいのだな」
「……い、いえ。そのようなことは、一言も……」
 
 眼光鋭く言葉を返してくるセルジュに、思わず敬語に戻ってしまう。
 
 彼は王太子の友人だという。
 いくら気軽に接して欲しいと言っていても、さすがに王太子殿下に対しての無礼 (?) は許せなかったのだろうか?
 ――いや、でも俺は「暇なのか」なんて全く思ってはいないんだが……。
 
「……殿下はディオールへの留学経験から、ディオール騎士に対して強い憧れを持っている」
「ディオール騎士? ……はあ」
「……とりわけ、国内で最強と称される黒天騎士団には強い憧れがある」
「……黒天騎士」
「そう。つまり殿下……リュシアンの目当てはグレン、君だ」
「………………」
 
 ……………………。
 
「……は?」
「リュシアンは元黒天騎士の北軍将である君のファンなんだ」
「は……、ファン……?」
「『私を助けた礼』など、方便だ。ただ、君に会いたかっただけだ。あそこにリュシアンがいる必要など全く、ひとつもなかった。なのに……それらしい理由をつけて、王太子の権限を使って無理矢理入り込んで……」
「…………」 
「僕は『来るな』『帰れ』と何度も言ったのに……あいつはいつもそうだ……」
 
 そう言うとセルジュは机を軽く叩き、親指と人差し指で前髪を挟んでいじりながら苛立たしげにため息を吐く。

 セルジュとリュシアン王子は幼い頃からの友人で、お互いに心を許せる数少ない存在。
 しかし同時に「俺とお前の仲じゃないか」と、昔から彼のわがままにさんざん付き合わされてもいたという。

 今回王子がいた理由は、禁呪の承認と見届け、事実の説明。それに先ほどカイルが推測した通り、演説のネタ探し。
 ……それもありつつ、最大の目的は俺に会うことだった。
 最初はセルジュに「同席させてくれ」と頼んだが無下に断られた。
 なので教皇と聖女に頭を下げて頼み込み、どうにかあの場に自分をねじ込んだそうだ。
 ――その2人が許可してしまってはどうしようもないじゃないか と、セルジュは内心憤慨していたらしい。

 さらにセルジュはリュシアン王子から「サインをもらってきてくれ」と、ペンと色紙を預かっていた。別に断る理由もないから、書いてよこした。
『リュシアン君へ 公務と演説頑張って 応援しています』と添えて……。
 ……ちなみにこの文言は王子本人が望んだものだ。

「グレン。……念のために聞くが、明星騎士団ヴェスペル・ナイツに入る気は」
「え? ……あの……嫌です……」
「分かった、伝えておく。……馬鹿で愚かしいことを聞いてすまない。たちどころに忘れてくれ」
「…………」

 隣にいるカイルは話している間ずっと肩を震わせていた。
 
「あはは、ファンかぁ~。じゃあ、『留学中見たディオール騎士』はお前ってこと? つまり実質お前が明星騎士団ヴェスペル・ナイツを叩き直したってわけだ。……やっる~! あはは」
「……………………」
 
 ――ムカつく。殴りたい。
 もしかしたらセルジュとリュシアン王子もこんな――俺達のような関係なのかもしれない。
 
 疑問が解けてよかった。
 よかったが……また教皇と謁見することがあったら、その時もまたいるのだろうか?

 ……やりづらいから、正直もう出てこないでほしいが……。
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