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1話
しおりを挟むーー再会前。
私ーラシェルは、このジルーディア帝国の皇子の婚約者だ。
だが……現在の待遇は、地位に相応しいとは言えなかった。
◇◇◇
早朝、荒々しい足音が響く。
そしてノックもなく私の部屋の扉が開き、騎士が入ってきた。
「ラシェル様、今日の分は何処ですか!?」
敬称を付けつつも、私の名を呼ぶ騎士の声は怒声に近い。
私はため息を吐きながら、昨晩寝ずに作った薬––ポーションを三十本渡した。
「これで、お願いします」
「ちっ……催促する前に作っておけよ、役立たずが……」
舌打ちと共にわざと聞こえる呟きを残し、騎士は出て行った。
その後に、侍女が笑いながらやって来る。
「ラシェル様ぁ、朝の支度ですよ?」
彼女が持ってきたのは、氷が浮いた凍てつく水を入れた桶と、薄汚れた布だ。
触るだけで痛みすら感じる冷たさに、顔を洗おうとした手が止まる。
「あれ? 文句がありますか?」
「……」
「ないですよね? 惨めな貴方には……これがお似合いだもの」
「……」
皇子の婚約者である私が、なぜこのような扱いを受けているのか。
凍てつく水で顔を洗いながら、私はここにいきつくまでの過去を思い出した。
◇◇◇過去◇◇◇
私は六歳の時、皇子の婚約者に選ばれた。
その理由は私の身に宿る光の魔力が珍しく、皇族が後世のために家系に引き入れたいから。
なので、私は六歳で婚約者の前に立った。
「はじめまして、ラシェルです」
「子供すぎるだろ……」
目の前に立つ彼は、驚きの声を漏らしながら、宝石のように綺麗な紅の瞳で私を見つめる。
その整った顔立ちは、幼かった私でも見惚れるほどに美しい。
皇帝のご子息の一人、クロヴィス・ジルーディア様。
彼は夜闇のような黒髪をかきむしり、ため息を吐く。
「歳は?」
「六さいです」
「おい、九も歳の差があるぞ?」
彼は語気に苛立ちを混ぜ、私を連れてきた帝国の宰相様を睨んだ。
「陛下が光の魔力を皇族のものとするため、ラシェル様に子を産ませろと」
「……コイツの気持ちも考えてやれ。まだ判断のつく歳じゃないだろ」
「で、ですが……」
「ラシェルって言ったか? もう帰っていい、婚約者は大人になって決めろ」
クロヴィス様は手を払い、部屋から出ていくように促す。
だけど、私は首を横に振った。
「い、いやです」
「は?」
家になんて帰りたくなかった。
二年前に母を亡くして以降、父は私を要らないもの扱いだ。
食事も、ろくに与えられなかった。
そんな父は一ヶ月前に光魔法が発現した私に声をかけたと思ったら、追い出すように皇族へと献上した。
嫌だと言えば何度も叩かれた。
その痛みを思い出し、袖をキュッと握る。
「おうち、かえりたくない」
クロヴィス様はワガママを言った私を責めず、宰相様に近づく。
何かを聞いた後、彼は舌打ちをした。
「お互い、クソみたいな家族を持ってるな」
「クロヴィス様! お言葉遣いにお気をつけください」
「事実だろ」
クロヴィス様は宰相様の小言を気にせず、私へと向き直る。
そしてしゃがみ込み、視線を合わせてくれた。
「家に帰るのが嫌なら、ここに居ろ。俺が許す」
「っ!! いいのですか!?」
「あぁ、辛かったな」
それは、当時の私にとって救いの言葉だった。
私を虐げてきていた父から、クロヴィス様は守ってくれたのだ。
「ありがとうございます」
「ただ、泣くなよ? 俺はうるさいのが嫌いだ」
「はい! ラシェル、泣きません!」
「あと俺には頼るな。子供の子守りはごめんだからな」
口では厳しく言いつつも、クロヴィス様には恐怖を感じない。
なぜなら、私を見つめる瞳が優しくて。
彼は私を守るために皇宮内に居る許可をくれたから……
◇◇◇
彼の傍で過ごすようになってから、半年が経った……
「クロヴィスさま! おつかれさまです! お荷物をお持ちしますね!」
「おい、そんなこと頼んでないぞ?」
私は小言も気にせずに、仕事を終えて帰ってきたクロヴィス様の荷物を持つ。
後宮で何故か彼はいつも一人きりで、皇帝のご子息であるのに身の回りを世話する使用人もいない。
だから私は常に傍にいるようにしており、できる手伝いをしていた。
「いっちょ前に給仕を真似やがって……」
「えへへ、そうだ。今日は花冠をつくりました、よかったらどうぞ」
「……いらねーよ」
クロヴィス様は口調こそ嫌がっているが、いつも無表情なのに私と居る時は和らぐ。
今だって嫌々言いながらも、花冠を乗せようと頑張る私のためにしゃがんでくれるのだ。
「どうぞ! おしごとおつかれさまです」
「ん、あんがと」
クロヴィス様は帝国で一番の魔力を持つ方らしい。
だが、その強い力ゆえに様々な仕事をさせられて、かなりの激務を過ごしている。
今日だって外に出たと思えば、とても服がボロボロだ。
「きょうは、なにをしていたのですか?」
「……お前が聞く事じゃない」
教えてくれないクロヴィス様だったが、ふとその視線が皇宮の庭へと流れる。
庭に居たのは彼の一つ上の兄である、第一皇子様だ。
彼の傍には現皇帝陛下と、多数の大人がいる。
「クロヴィスさまは、あちらに行かなくていいのですか?」
「……俺はあいつと違って。母上に下民の血が流れてるから、要らないんだとさ」
「?」
それ以上、彼は何も言わなかった。
再び歩き出した背中が少し寂し気で、私はいつもより傍を歩く。
「離れろよ」
「いやです。ラシェルは傍におります」
「……あっそ」
ふっと笑いながら、クロヴィス様は私の手を引いてくれた。
その手の大きさも、暖かさも、今だって覚えてる。
私が帰るのが嫌だと言った時、受け入れてくれた事も。
口調は嫌がりながらも、私が傍にいれば必ず相手をしてくれる優しさも、幼いながらに彼の好きな所は増えていた。
だけど……その時間が限られたものだったと、当時の私は知らなかった。
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