4 / 26
3話
しおりを挟むクロヴィス様は、五年前に起こった隣国との戦争から戻ってこない。
だが彼の遺体は見つかっておらず、まだ希望は残っている。
「ラシェル様、朝食ですよ」
考えながら食卓に座っていると、侍女が私の前に朝食と名のつく粗食を置いた。
小さなパンに僅かな水、いつも通りの食事だ。
「文句ありますか? もしあれば、セドア様に言いつけますよ?」
侍女は高圧的な態度で嘲笑してくる。
私はクロヴィス様の婚約者だが……今ではその立場は蔑みの対象と成り果ててしまった。
その原因は、クロヴィス様の兄––セドア様にある。
四年前、彼は私へと求婚した。
「ラシェル、クロヴィスを諦めて俺の妻となれ。その光の魔力を継ぐ子を産むためにもな」
クロヴィス様の帰りを信じる私は断った。
だが、それがセドア様の逆鱗に触れたようだ。
「断るのなら……お前から俺の妻となると求めるまで、追い詰めてやるよ」
彼の言葉通り、その日を境に使用人達から虐げられるようになった。
抵抗も、逃げだすことも許されない。
逆らえば、クロヴィス様の捜索を打ち切られてしまうからだ。
それは彼が死亡したと帝国が認めたも同然。
婚約者の居なくなった私は必ず、父によってセドア様との婚約を決められてしまうだろう。
だから、耐えるしかなかった。
「あら、相変わらず惨めね。ラシェルさん」
耐えて拳を握っていた私へと、不意に声がかかる。
顔を上げれば、見知った顔が笑みを浮かべていた。
「エミリー様……」
燃えるような赤色の髪と、美しい顔立ちから私を嘲笑する翡翠の瞳を向ける彼女はエミリーだ。
公爵令嬢で……現皇帝陛下が選んだセドア様の婚約者候補。
セドア様はまだ彼女を受け入れてはいないが、すでに皇宮内で暮らす許可は得ているようだ。
「辛気臭い顔ね、私の運気も下がってしまうわ」
そう呟きつつ、エミリーは対面に座る。
すぐさま使用人たちが彼女の前に豪勢な朝食を並べた。
「あら? 運は良かったみたい。貴方よりも美味しそうな朝食ね」
「エミリー様、私は部屋に戻ります……」
「待ちなさい、貧相な貴方のためにせっかく飲み物を持って来てあげたのよ?」
そう言って、エミリーはコップに入れた泥水をかけてきた。
私が整えていた髪や、服が茶色に染みて、ずぶ濡れだ。
「ほら、喉が渇いているなら……泥水をすすって生きなさいよ? 惨めな貴方にはお似合いよ」
「……何が目的ですか? エミリー様」
「さっさと夜逃げでもしてセドア様の視界から消えなさい。目障りなのよ」
彼女にとって、セドア様から婚約を迫られる私が婚約者候補としてはいい気分ではないのだろう。
だからこうして嫌がらせを繰り返してくる。
しかし……
「私は、クロヴィス様が帰ってくる居場所を守っているだけです」
「……生意気ね。気分が悪いわ」
エミリーは舌打ちをしながら、私の朝食である小さなパンに泥水をかけた。
どうやら今日は朝食を食べられそうにない。
「そのパン、あげます」
「は!? 馬鹿にしてるの!?」
私は彼女を気にせず、自室へと戻る。
背中に睨む視線を感じたが、振り返りはしなかった。
◇◇◇
自室に戻れば、ノルマであるポーションの作製が始まる。
机の上には、魔法水が入った瓶が無造作に置かれていた。
これに光の魔力を込めれば、傷を癒す事のできるポーションの完成だ。
しかしこれが辛く、日に何十本もポーションを作製すれば、吐き気がするほどに身体が疲れる。
酷い風邪のような症状に苦しめられるのだ。
だが、作らなければ……
そう思い、いつものように瓶へと魔力を込めた時。
「……」
さきほど受けた仕打ちを思い出して、こみ上げてきた悔しさを唇を噛んで耐える。
泣きそうな気持ちを堪えて、作業を始めた。
『泣かずに待ってろ。絶対に戻ってくるから』
五年前、クロヴィス様が言った言葉を思い出す。
ずっと、虐げられて馬鹿にされた日々をこの言葉に従って耐えていた。
一度でも絶望して泣いてしまえば、私は二度と立ち上がる事ができないだろうから……
「よしっ……やろう、クロヴィス様のためにも……」
自身を鼓舞して、今日も作業を始める。
彼が帰ってくる居場所に……私が残って待つんだ……
「まだ、諦める気はないんだな」
「っ!! ……セドア様」
突然の声に視線を上げれば、いつの間にか部屋の中にセドア様が居た。
私の寝台に無断で腰掛け、見つめている。
「何の用ですか?」
「いつまでも、待ってられないんだよ」
「っ!!?!」
頬に鋭い痛みが走り、思わずしゃがみ込む。
セドア様が、私の頬に平手を打ったのだ。
「さっさと俺の妻になると誓え! 何年も耐えやがって! 本当にお前には苛立つ」
「っ……私は、クロヴィス様の婚約者です。それに……こんな暴力をする方と、添い遂げたいとは思えません」
「本当に生意気だな、お前」
セドア様は私の首元を掴むと、無理やり視線を合わせる。
そして鋭い視線で睨みつけた。
「どうして俺が、お前を強制的に婚約者にせず、こんなまどろこしいやり方をしてるか分かるか?」
「……」
「お前から妻にしてくれと懇願するのを待ってるんだよ。……クロヴィスを諦めて俺にすがりつけ、ラシェル。俺の方が奴より上だと認めろぉ!!!!」
醜い怒りを見せて叫ぶセドア様だが、私は思わず笑ってしまう。
「ふ……ふふ」
「なにがおかしい」
「叶わぬ願いですよ。だって私はクロヴィス様を諦めません。それに……こんな低俗なやり方をする方に、頭を下げるなんてしませんからね」
「っ……」
悔しそうに表情を歪めて、セドア様が私の首を振り払うように離す。
苦しかった呼吸を正常に戻すために咳き込めば、彼が睨んできた。
「……もういい。お前を諦めさせる真実を教えてやる」
「真実……?」
含みのある言い方をしながら、セドア様は私を馬鹿にするように嘲笑った。
「クロヴィスの捜索なんて、とっくの昔に打ち止めている」
「っ……な……」
「死体はすでに見つかった。あいつはまだ公表されてないだけで、もう死んでるんだよ」
告げられた言葉が信じられず、驚きと動揺で当たった机から瓶が落ちてしまう。
床に広がっていく液体と共に、私の思考に絶望が染みていった。
424
あなたにおすすめの小説
初耳なのですが…、本当ですか?
あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た!
でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。
聖女の証を義妹に奪われました。ただ証だけ持っていても意味はないのですけどね? など 恋愛作品集
にがりの少なかった豆腐
恋愛
こちらは過去に投稿し、完結している作品をまとめたものになります
章毎に一作品となります
これから投稿される『恋愛』カテゴリの作品は投稿完結後一定時間経過後、この短編集へ移動することになります
※こちらの作品へ移動する際、多少の修正を行うことがあります。
※タグに関してはおよそすべての作品に該当するものを選択しています。
新しい聖女が優秀なら、いらない聖女の私は消えて竜人と暮らします
天宮有
恋愛
ラクード国の聖女シンシアは、新しい聖女が優秀だからという理由でリアス王子から婚約破棄を言い渡されてしまう。
ラクード国はシンシアに利用価値があると言い、今後は地下室で暮らすよう命令する。
提案を拒むと捕らえようとしてきて、シンシアの前に竜人ヨハンが現れる。
王家の行動に激怒したヨハンは、シンシアと一緒に他国で暮らすと宣言した。
優秀な聖女はシンシアの方で、リアス王子が愛している人を新しい聖女にした。
シンシアは地下で働かせるつもりだった王家は、真実を知る竜人を止めることができない。
聖女と竜が消えてから数日が経ち、リアス王子は後悔していた。
婚約破棄を受け入れたのは、この日の為に準備していたからです
天宮有
恋愛
子爵令嬢の私シーラは、伯爵令息レヴォクに婚約破棄を言い渡されてしまう。
レヴォクは私の妹ソフィーを好きになったみたいだけど、それは前から知っていた。
知っていて、許せなかったからこそ――私はこの日の為に準備していた。
私は婚約破棄を言い渡されてしまうけど、すぐに受け入れる。
そして――レヴォクの後悔が、始まろうとしていた。
出来損ないと言われて、国を追い出されました。魔物避けの効果も失われるので、魔物が押し寄せてきますが、頑張って倒してくださいね
猿喰 森繁
恋愛
「婚約破棄だ!」
広間に高らかに響く声。
私の婚約者であり、この国の王子である。
「そうですか」
「貴様は、魔法の一つもろくに使えないと聞く。そんな出来損ないは、俺にふさわしくない」
「… … …」
「よって、婚約は破棄だ!」
私は、周りを見渡す。
私を見下し、気持ち悪そうに見ているもの、冷ややかな笑いを浮かべているもの、私を守ってくれそうな人は、いないようだ。
「王様も同じ意見ということで、よろしいでしょうか?」
私のその言葉に王は言葉を返すでもなく、ただ一つ頷いた。それを確認して、私はため息をついた。たしかに私は魔法を使えない。魔力というものを持っていないからだ。
なにやら勘違いしているようだが、聖女は魔法なんて使えませんよ。
虐げられた令嬢は、耐える必要がなくなりました
天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私アニカは、妹と違い婚約者がいなかった。
妹レモノは侯爵令息との婚約が決まり、私を見下すようになる。
その後……私はレモノの嘘によって、家族から虐げられていた。
家族の命令で外に出ることとなり、私は公爵令息のジェイドと偶然出会う。
ジェイドは私を心配して、守るから耐える必要はないと言ってくれる。
耐える必要がなくなった私は、家族に反撃します。
聖女の妹によって家を追い出された私が真の聖女でした
天宮有
恋愛
グーリサ伯爵家から聖女が選ばれることになり、長女の私エステルより妹ザリカの方が優秀だった。
聖女がザリカに決まり、私は家から追い出されてしまう。
その後、追い出された私の元に、他国の王子マグリスがやって来る。
マグリスの話を聞くと私が真の聖女で、これからザリカの力は消えていくようだ。
完結 王子は貞操観念の無い妹君を溺愛してます
音爽(ネソウ)
恋愛
妹至上主義のシスコン王子、周囲に諌言されるが耳をを貸さない。
調子に乗る王女は王子に婚約者リリジュアについて大嘘を吹き込む。ほんの悪戯のつもりが王子は信じ込み婚約を破棄すると宣言する。
裏切ったおぼえがないと令嬢は反論した。しかし、その嘘を真実にしようと言い出す者が現れて「私と婚約してバカ王子を捨てないか?」
なんとその人物は隣国のフリードベル・インパジオ王太子だった。毒親にも見放されていたリリジュアはその提案に喜ぶ。だが王太子は我儘王女の想い人だった為に王女は激怒する。
後悔した王女は再び兄の婚約者へ戻すために画策するが肝心の兄テスタシモンが受け入れない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる