【完結】貴方が見えない

なか

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エピローグ・レイクスside

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 ゴミの積もった部屋の中央で、寝台に寝る場所だけを確保して横になる。
 もう臭いも、汚れさえ気にしなくなった。
 なにをしたって意味がない、俺がいまさら評価を気にしてなんになる。

「……」

 アイラと離婚して、十年の月日が流れた。
 屋根の染みを見つめて、ふとそんな事を思い出す。
 あれから我が伯爵家は栄華を手放し、笑ってしまう程に落ちぶれた。

「当たり前か。弟を幽閉していただけでなく、実の妻を精神病などと偽ったのだから」

 ゴミの中からかき出すように、帳簿を手に取る。
 伯爵家の資産はもはや絞りカスのように僅かだ。
 両親は互いに質素な屋敷に移り住み、一人残った俺は使用人すら雇えずに、ゴミ屋敷で今日もただ人生を浪費する。

「お似合いの最期だ」

 いまや俺の評価など地の底で、そこから這い上がる気も起きない。
 食欲もなくて、ため息ばかりの日々。
 こんな人生を過ごしてなんの意味がある。

「……いっそ」

 部屋の奥に置かれているナイフを手に取って、それを首筋に当てる。
 こうすれば……楽になれるだろうか。
 部屋の一点を見つめながら、ナイフを握る手に力を込め––––

「っ!!」

 突然、ナイフを持っていた手が誰かに払われる。
 地面に転がったナイフはゴミの山に埋もれてしまった。
 なにが起きた、一体だれが!?

「な……おまえ」

 止めたのは他でもない、弟のリオンだった。
 あいつは俺を睨みつけている。

「なんの用だ。いまさら……」

『兄上、ごめん』

 突然、文字を書いた紙をリオンが見せてくる。
 それは幾枚かあり、めくられた紙から新たな文字が見えた。

『僕のせいだ』

「なに、なにを言って……お前は関係ない! 俺はただ……お前が邪魔で、疎ましくて……」

『過去の兄上は、僕の事を守ってくれていた。正真正銘の兄上だった』

「黙れ、そんな事を……今さら」

『ごめん、僕のせいで夢を諦めさせて』

 書かれた紙を見つめていると、全てを思い出して拳を握る。
 思い出してしまったのだ。 
 俺がリオン、こいつに対して恨みを抱いてしまった過去を……


『おいリオン、あいつがお前を馬鹿にしたんだよな? 待ってろ』

 幼かった頃、俺はリオンを馬鹿にする大人にだって歯向かった。
 喋れぬ弟をいつだって大人は何も出来ないと陰口を叩き、小馬鹿にしてきた。
 悪意のある瞳、差別的な扱い。
 
 耐えられなかった、自らの弟が『喋れない』だけでそんな扱いを受けるなど。

『リオンに謝れ! おじさんが言った事を謝れ!』

 社交界でリオンを馬鹿にしてきた大人に対して、そう叫んだ事は何度もあった。
 今でも思い出す。
 皆は慰めの言葉を吐くが、その実……瞳は差別的にリオンを見つめていた。
 俺を見つめる目が、『喋れぬ弟を持った可哀想な兄』として見ているのはよく分かった。

『ごめん、兄上。ぼくがめいわくをかけて』

 いつの頃か、リオンがそんな紙を俺に渡してきた事がある。
 だけど俺はその紙を破いて笑った。
 
『なぁリオン。俺はクソな大人が大嫌いだ。お前を喋れないってだけで差別する奴なんて覚える価値もないと思ってる』

 あいつ、あの時は目をパチクリとして驚いていたな。
 そんなあいつに言った言葉を思い出す。

『俺は兄としてお前を守るし、それが迷惑なんて思って無い。だからずっと支えてやる、それが兄弟だろ?』

 そうだった、俺は弟にそう言った。
 なのに……なのに。
 俺の事を変えたのは、他でもないその大人達だった。

 俺は貴族だが、人を教えて導く講師を目指していた。
 領主でありながら講師も両立している貴族は多く居る、俺もその一人になりたかった。
 だけど……

『うちの学園に通うにしても、弟さんの世話で寮生活ができないんだろう? いくら貴族でも特別扱いはできんよ』
『可哀想な身の上なんだ。わざわざ苦しい道を選ぶ必要もない。領主業で弟君を支えなさい』

 俺の夢は目指す前から頓挫して、誰にも聞き入れてもらえなかった。
 その時にようやく分かったんだ。

 皆が俺を、俺として見ていない。
 『不自由を負った弟を世話する兄』として見て、可哀想だと言って夢を否定する。
 その弟が居るから、受け入れられないと夢の道を拒絶する。

『弟の同情で周りがチヤホヤしてくれて、良い身分だよな』
『世話のためって言って、学園も途中で抜け出して……講師に特別に授業を付けてもらってるんだと』

 夢の道を諦めて、渋々と入った学園でも同学年からは陰口をたたかれた。
『不自由を負った弟を世話する兄』は特別扱いだとみなされた。

 ふざけるな、何が特別扱いだ。
 誰も俺を見ていない、誰もが俺の夢を否定するこの状況になんの特別がある。
 あぁ、もし弟が居なければ俺は夢を追えていたのだろうか。
 もし弟が普通だったら、学園でも友人達と切磋琢磨できただろうか。

 弟が居なければ、居なければ……そんな思いが、両親が弟を世間的に「消す」という提案を受け入れる土壌を作り上げてしまった。


「お、俺は……」
 
 過去を思い出しながら、リオンからの謝罪を受けながら自らの半生を見つめ直す。
 大嫌いだった大人の評価をいつしか気にして、俺こそが大嫌いな大人になっていた。
 気付いた瞬間から、後悔が胸に浮かんでくる。

『ごめんなさい、兄上』

「お……俺は……お前に酷い事をしたんだ! いまさら、謝罪なんてするな」

『それでも兄上は、僕に優しくしてくれていた一人です。だからこそ……こんな状況に追い込んでごめん』

「リオン……俺は、お前が居なくなればいいと思ってしまったんだ。俺がクソな大人になっていたんだよ!」

『だけど兄上は、両親に幽閉されている時も、僕が望む勉強に必要な物を届けてくれた。いつだって優しかった』

「違う、違う。俺はただ自分の罪悪感をごまかしていただけだ。俺は……」

『今度は僕が兄上を支えるよ。だって僕らは兄弟だから』

 かつて俺自身が言った言葉を、リオンは俺の指先に書く。
 同時に差し出されたのは、多くの金銭だった。

『兄上がまた立ち上がれるように、今度こそ僕が支えるから』

「リオン……俺はお前にも、アイラにも取り返しのつかない事をしたんだ。こんな事は……もうやめろ」
 
『僕が医者になれたのは、紛れもなく兄上のおかげです。なのに兄上を救えないのなら、医療に携わった意味がないんだ』

 どうしてお前は、こんな俺をまだ兄として見てくれる。
 こんなどうしようもない俺をどうして、肉親として想ってくれるんだ。
 
 俺はお前を疎ましいと思っていた。 
 居なくなればいいと思っていたのに……

「俺は、最悪で。最低なんだよ。なのに……」 

 こんなに優しくされて、まだ兄として見てくれている。
 それを知ってしまえば罪悪感と後悔が押し寄せる、罪の自覚が心を蝕む。
 同時に、苦しめたアイラに対しても、心が罪悪感で満たされていく。

「すまない。リオン……アイラ」
 
 あいつが出て行ってから、遅すぎる謝罪を漏らす。
 最悪な大人になった俺を、まだ兄として見てくれているなら。
 俺は……

「まだ最期を迎える訳には、いかない」

 立ち上がって、ゴミにまみれた部屋から出るように歩き出す。
 今後、ずっと俺が生きていく上で犯した罪、その評価は覆る事は無い。
 それがたまらなく苦しい、怖い。

 だけど。

「俺は、最悪な大人のままでいたくないんだ」
 
 俺は最悪な大人になっていた。
 だけどリオンが、それでも兄として見てくれているなら。
 俺だって、俺だって兄として変わりたい。

 せめて、俺よりも美しい内面を持つ者達が幸せになるような世の中にするために生きてみよう。
 俺にはもうそれしか、贖罪の方法などないから。 



    ◇◇◇


 三十年後––––

 ある貴族家の当主がいた。
 彼はその罪によって様々な貴族達に蔑まれながらも、地道に功績を積み上げ続けた。
 かつて研鑽していた知識を活かして、少しずつ周囲からの信頼を得たのだ。

 その働きで得た財産は孤児院等に寄付し、彼の弟とその妻が進めていた医療の発展に対して反対する貴族達を説得した事もあった。

 そんな苦労を重ねた彼は、今は孤児院の子供達に教育を施す講師も兼業していた。
 彼は子供達の笑みに囲まれて、彼自身も誰よりも幸せな笑みを浮かべて、今日も夢を叶えた日々を送っている––– 
 もうそこに、彼が嫌っていた最悪な大人はいなかった。
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