4 / 11
第四章 再会は花の下で
しおりを挟む
第四章 再会は花の下で
春は盛りを迎え、洛陽の街には桃や李(すもも)の花がほころび、道行く人々の頬をふんわりと紅に染めていた。市中では太鼓や笛が鳴り、祭の準備に町全体が浮き立っていたが、杜家の庭には静かな緊張が流れていた。
「――裴将軍が、明日帰洛なさるそうです」
侍女の報告に、杜若は筆を持つ手を止めた。
胸の奥がふわりと高鳴る。季節を越えて届いた手紙の数々。それらが彼の真心であったと知った今、杜若の心にはもはや迷いはなかった。
「お迎えの準備を。……あの梅の庭で、お会いしたいのです」
◆
翌日。
裴景輝は、洛陽の街を馬で駆け抜けながら、いつか夢に見た景色をその目に映していた。戦場で幾度も思い出した白梅の庭。風に揺れる彼女の黒髪と、淡い微笑。
「……変わらず、いてくれただろうか」
軍の報告も政の挨拶も後回しにし、彼は真っすぐに杜家の門をくぐった。
庭門の前で足を止めると、懐かしい梅の香りが風に乗って届いた。
「将軍……」
声がした。
そこにいたのは、あの日と同じ白の綾衣をまとった杜若。だが、心なしか彼女は以前よりも凛とし、どこか覚悟を秘めた面持ちをしていた。
「ご無事で、よかった……」
その一言で、裴景輝の胸に積もっていたあらゆるものが、音もなく崩れ落ちた。
「杜若……」
彼は思わず彼女の前にひざをつき、右手を胸に置いた。
「あなたの手紙が、わたしを人に戻してくれた。戦の中で、あなたの言葉だけが生きている証だったのです」
杜若はそっと、その手に自らの手を重ねた。
「私は、将軍がどのような姿でも、戻ってくださるなら、それで良いと思っていました。けれど……今のあなたを、誇りに思います」
◆
庭の奥では、父・杜詩白が遠くからその様子を見ていた。従者がひそひそと「婚儀の話が進めばよいのですが」とささやくと、詩白はやや肩をすくめた。
「それを決めるのは、本人たちだ。私が口を挟むまでもあるまい」
けれど、その声音には微かな安堵が滲んでいた。
◆
その夜、ふたりは再び庭で向かい合い、篝火を前に詩を詠み合った。
杜若がそっと詠んだ。
「君の声 風に溶けゆき 夜を照らす
戦のあとに 残る光よ」
裴景輝は、目を細め、深くうなずいてから返した。
「帰り来て 咲く花よりも 君の笑み
洛陽(みやこ)に春は 今ぞ満ちたり」
ふたりの詩の余韻が、夜空に溶けてゆく。
そしてその傍らで、ひとひらの白梅が、そっと宙を舞った。
――恋は、確かな約束となり、ふたりの人生を静かに結び始めていた。
次章へ続く
春は盛りを迎え、洛陽の街には桃や李(すもも)の花がほころび、道行く人々の頬をふんわりと紅に染めていた。市中では太鼓や笛が鳴り、祭の準備に町全体が浮き立っていたが、杜家の庭には静かな緊張が流れていた。
「――裴将軍が、明日帰洛なさるそうです」
侍女の報告に、杜若は筆を持つ手を止めた。
胸の奥がふわりと高鳴る。季節を越えて届いた手紙の数々。それらが彼の真心であったと知った今、杜若の心にはもはや迷いはなかった。
「お迎えの準備を。……あの梅の庭で、お会いしたいのです」
◆
翌日。
裴景輝は、洛陽の街を馬で駆け抜けながら、いつか夢に見た景色をその目に映していた。戦場で幾度も思い出した白梅の庭。風に揺れる彼女の黒髪と、淡い微笑。
「……変わらず、いてくれただろうか」
軍の報告も政の挨拶も後回しにし、彼は真っすぐに杜家の門をくぐった。
庭門の前で足を止めると、懐かしい梅の香りが風に乗って届いた。
「将軍……」
声がした。
そこにいたのは、あの日と同じ白の綾衣をまとった杜若。だが、心なしか彼女は以前よりも凛とし、どこか覚悟を秘めた面持ちをしていた。
「ご無事で、よかった……」
その一言で、裴景輝の胸に積もっていたあらゆるものが、音もなく崩れ落ちた。
「杜若……」
彼は思わず彼女の前にひざをつき、右手を胸に置いた。
「あなたの手紙が、わたしを人に戻してくれた。戦の中で、あなたの言葉だけが生きている証だったのです」
杜若はそっと、その手に自らの手を重ねた。
「私は、将軍がどのような姿でも、戻ってくださるなら、それで良いと思っていました。けれど……今のあなたを、誇りに思います」
◆
庭の奥では、父・杜詩白が遠くからその様子を見ていた。従者がひそひそと「婚儀の話が進めばよいのですが」とささやくと、詩白はやや肩をすくめた。
「それを決めるのは、本人たちだ。私が口を挟むまでもあるまい」
けれど、その声音には微かな安堵が滲んでいた。
◆
その夜、ふたりは再び庭で向かい合い、篝火を前に詩を詠み合った。
杜若がそっと詠んだ。
「君の声 風に溶けゆき 夜を照らす
戦のあとに 残る光よ」
裴景輝は、目を細め、深くうなずいてから返した。
「帰り来て 咲く花よりも 君の笑み
洛陽(みやこ)に春は 今ぞ満ちたり」
ふたりの詩の余韻が、夜空に溶けてゆく。
そしてその傍らで、ひとひらの白梅が、そっと宙を舞った。
――恋は、確かな約束となり、ふたりの人生を静かに結び始めていた。
次章へ続く
0
あなたにおすすめの小説
迎えに行ったら、すでに君は行方知れずになっていた
月山 歩
恋愛
孤児院で育った二人は彼が貴族の息子であることから、引き取られ離れ離れになる。好きだから、一緒に住むために準備を整え、迎えに行くと、少女はもういなくなっていた。事故に合い、行方知れずに。そして、時をかけて二人は再び巡り会う。
契約結婚のススメ
文月 蓮
恋愛
研究一筋に生きてきた魔導士のレティシアは、研究を続けるために父に命じられた結婚をしかたなく承諾する。相手は社交界の独身女性憧れの的であるヴィラール侯爵アロイス。だが、アロイスもまた結婚を望んでいなかったことを知り、契約結婚を提案する。互いの思惑が一致して始まった愛のない結婚だったが、王の婚約者の護衛任務を受けることになったレティシアとアロイスの距離は徐々に縮まってきて……。シリアスと見せかけて、コメディです。「ムーンライトノベルズ」にも投稿しています。
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
【完結】冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
【完結】 嘘と後悔、そして愛
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
伯爵令嬢ソニアは15歳。親に勝手に決められて、一度も会ったことのない10歳離れた侯爵リカルドに嫁ぐために辺境の地に一人でやってきた。新婚初夜、ソニアは夫に「夜のお務めが怖いのです」と言って涙をこぼす。その言葉を信じたリカルドは妻の気持ちを尊重し、寝室を別にすることを提案する。しかしソニアのその言葉には「嘘」が隠れていた……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる