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第四章 再会は花の下で
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第四章 再会は花の下で
春は盛りを迎え、洛陽の街には桃や李(すもも)の花がほころび、道行く人々の頬をふんわりと紅に染めていた。市中では太鼓や笛が鳴り、祭の準備に町全体が浮き立っていたが、杜家の庭には静かな緊張が流れていた。
「――裴将軍が、明日帰洛なさるそうです」
侍女の報告に、杜若は筆を持つ手を止めた。
胸の奥がふわりと高鳴る。季節を越えて届いた手紙の数々。それらが彼の真心であったと知った今、杜若の心にはもはや迷いはなかった。
「お迎えの準備を。……あの梅の庭で、お会いしたいのです」
◆
翌日。
裴景輝は、洛陽の街を馬で駆け抜けながら、いつか夢に見た景色をその目に映していた。戦場で幾度も思い出した白梅の庭。風に揺れる彼女の黒髪と、淡い微笑。
「……変わらず、いてくれただろうか」
軍の報告も政の挨拶も後回しにし、彼は真っすぐに杜家の門をくぐった。
庭門の前で足を止めると、懐かしい梅の香りが風に乗って届いた。
「将軍……」
声がした。
そこにいたのは、あの日と同じ白の綾衣をまとった杜若。だが、心なしか彼女は以前よりも凛とし、どこか覚悟を秘めた面持ちをしていた。
「ご無事で、よかった……」
その一言で、裴景輝の胸に積もっていたあらゆるものが、音もなく崩れ落ちた。
「杜若……」
彼は思わず彼女の前にひざをつき、右手を胸に置いた。
「あなたの手紙が、わたしを人に戻してくれた。戦の中で、あなたの言葉だけが生きている証だったのです」
杜若はそっと、その手に自らの手を重ねた。
「私は、将軍がどのような姿でも、戻ってくださるなら、それで良いと思っていました。けれど……今のあなたを、誇りに思います」
◆
庭の奥では、父・杜詩白が遠くからその様子を見ていた。従者がひそひそと「婚儀の話が進めばよいのですが」とささやくと、詩白はやや肩をすくめた。
「それを決めるのは、本人たちだ。私が口を挟むまでもあるまい」
けれど、その声音には微かな安堵が滲んでいた。
◆
その夜、ふたりは再び庭で向かい合い、篝火を前に詩を詠み合った。
杜若がそっと詠んだ。
「君の声 風に溶けゆき 夜を照らす
戦のあとに 残る光よ」
裴景輝は、目を細め、深くうなずいてから返した。
「帰り来て 咲く花よりも 君の笑み
洛陽(みやこ)に春は 今ぞ満ちたり」
ふたりの詩の余韻が、夜空に溶けてゆく。
そしてその傍らで、ひとひらの白梅が、そっと宙を舞った。
――恋は、確かな約束となり、ふたりの人生を静かに結び始めていた。
次章へ続く
春は盛りを迎え、洛陽の街には桃や李(すもも)の花がほころび、道行く人々の頬をふんわりと紅に染めていた。市中では太鼓や笛が鳴り、祭の準備に町全体が浮き立っていたが、杜家の庭には静かな緊張が流れていた。
「――裴将軍が、明日帰洛なさるそうです」
侍女の報告に、杜若は筆を持つ手を止めた。
胸の奥がふわりと高鳴る。季節を越えて届いた手紙の数々。それらが彼の真心であったと知った今、杜若の心にはもはや迷いはなかった。
「お迎えの準備を。……あの梅の庭で、お会いしたいのです」
◆
翌日。
裴景輝は、洛陽の街を馬で駆け抜けながら、いつか夢に見た景色をその目に映していた。戦場で幾度も思い出した白梅の庭。風に揺れる彼女の黒髪と、淡い微笑。
「……変わらず、いてくれただろうか」
軍の報告も政の挨拶も後回しにし、彼は真っすぐに杜家の門をくぐった。
庭門の前で足を止めると、懐かしい梅の香りが風に乗って届いた。
「将軍……」
声がした。
そこにいたのは、あの日と同じ白の綾衣をまとった杜若。だが、心なしか彼女は以前よりも凛とし、どこか覚悟を秘めた面持ちをしていた。
「ご無事で、よかった……」
その一言で、裴景輝の胸に積もっていたあらゆるものが、音もなく崩れ落ちた。
「杜若……」
彼は思わず彼女の前にひざをつき、右手を胸に置いた。
「あなたの手紙が、わたしを人に戻してくれた。戦の中で、あなたの言葉だけが生きている証だったのです」
杜若はそっと、その手に自らの手を重ねた。
「私は、将軍がどのような姿でも、戻ってくださるなら、それで良いと思っていました。けれど……今のあなたを、誇りに思います」
◆
庭の奥では、父・杜詩白が遠くからその様子を見ていた。従者がひそひそと「婚儀の話が進めばよいのですが」とささやくと、詩白はやや肩をすくめた。
「それを決めるのは、本人たちだ。私が口を挟むまでもあるまい」
けれど、その声音には微かな安堵が滲んでいた。
◆
その夜、ふたりは再び庭で向かい合い、篝火を前に詩を詠み合った。
杜若がそっと詠んだ。
「君の声 風に溶けゆき 夜を照らす
戦のあとに 残る光よ」
裴景輝は、目を細め、深くうなずいてから返した。
「帰り来て 咲く花よりも 君の笑み
洛陽(みやこ)に春は 今ぞ満ちたり」
ふたりの詩の余韻が、夜空に溶けてゆく。
そしてその傍らで、ひとひらの白梅が、そっと宙を舞った。
――恋は、確かな約束となり、ふたりの人生を静かに結び始めていた。
次章へ続く
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