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番外編 二つの扉と一つの名
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番外編 二つの扉と一つの名
春も盛り、杜若は帝より正式に「詔文草案の補佐役」として宮廷に召されるようになった。
表向きは「詩才を活かした文体の修飾」であったが、実のところ、帝は彼女の論理と思考そのものを求めていた。
――だが、それを快く思わぬ者もいた。
「将軍の妻が、政に口を出すとは」
「詩が上手なだけの女が、国事に口を挟むとは滑稽ね」
そう、女官たちの中でも特に権勢を持つ“尚書令夫人”が、彼女に敵意を向けていた。
◆
ある日、帝から「東北の郡制改革案」について、初めて杜若単独で文を起草するよう命が下る。
この改革案は、民からの税収と労役に直結するため、反対の声も強く――まさに火中の栗だった。
だが杜若は、ひるまなかった。
「政は人を苦しめるものではない。民の息を感じぬ策は、ただの紙にすぎません」
数日後、彼女は一枚の簡素な草案を帝へと提出した。
その文の中には、こう記されていた。
「上に立つ者は、百姓の田を借り、手を汚し、泥に触れたことがあるか。
文を編む者は、読みやすく、解きやすく、守られやすくなければならぬ」
その文を読み終えた帝は、目を閉じてしばし黙した後、頷いた。
「……これぞ政の根なり。承認する」
だが――その後。
杜若が女官控えの間を通ろうとした時、尚書令夫人が立ちはだかった。
「あなたが通れるのは、女の道ではなく、男の庭。踏み越えたこと、後悔するわよ」
その言葉に、杜若は一瞬だけ目を伏せ、そして、静かに返した。
「もし女が政に立つことが過ちなら、帝は私を御前に召しません。――帝が私に与えたのは“通行の許し”ではなく、“門を開ける鍵”です」
そして、ゆるりと微笑む。
「……いずれ、誰かが通る道ならば、私はその“最初の足跡”になります」
尚書令夫人は言葉を失い、その場を去った。
◆
その夜。
裴景輝は遠征先から戻った文で、帝からの書状を読む。
「裴将軍。あなたの妻は、すでに“才ある者”ではなく、“政を担う者”となりつつあります」
文の結びには、ひとつの願いが添えられていた。
「彼女が歩むその道を、どうか、あなたが守ってやってほしい」
景輝は文を閉じ、窓の外の星を見上げた。
「……守るとも。そなたこそが、国を変える風となるならば」
◆
それから数日後、杜若は再び帝に呼ばれる。
「女として、政に立つ覚悟があるか?」
「はい」
「ならば、そなたに“名”を与えよう。政の文に、名を記せ」
それは、女性としての最大の転機――名を持って、政に生きるという宣言だった。
そして、彼女は筆を取り、文末にこう記した。
筆者 杜若(とじゃく)
名を名乗ることは、敵を増やすことでもあった。
だが、彼女は静かにその門を押し開いた。
――それは、ひとつの未来が、始まる音だった。
春も盛り、杜若は帝より正式に「詔文草案の補佐役」として宮廷に召されるようになった。
表向きは「詩才を活かした文体の修飾」であったが、実のところ、帝は彼女の論理と思考そのものを求めていた。
――だが、それを快く思わぬ者もいた。
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そう、女官たちの中でも特に権勢を持つ“尚書令夫人”が、彼女に敵意を向けていた。
◆
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だが杜若は、ひるまなかった。
「政は人を苦しめるものではない。民の息を感じぬ策は、ただの紙にすぎません」
数日後、彼女は一枚の簡素な草案を帝へと提出した。
その文の中には、こう記されていた。
「上に立つ者は、百姓の田を借り、手を汚し、泥に触れたことがあるか。
文を編む者は、読みやすく、解きやすく、守られやすくなければならぬ」
その文を読み終えた帝は、目を閉じてしばし黙した後、頷いた。
「……これぞ政の根なり。承認する」
だが――その後。
杜若が女官控えの間を通ろうとした時、尚書令夫人が立ちはだかった。
「あなたが通れるのは、女の道ではなく、男の庭。踏み越えたこと、後悔するわよ」
その言葉に、杜若は一瞬だけ目を伏せ、そして、静かに返した。
「もし女が政に立つことが過ちなら、帝は私を御前に召しません。――帝が私に与えたのは“通行の許し”ではなく、“門を開ける鍵”です」
そして、ゆるりと微笑む。
「……いずれ、誰かが通る道ならば、私はその“最初の足跡”になります」
尚書令夫人は言葉を失い、その場を去った。
◆
その夜。
裴景輝は遠征先から戻った文で、帝からの書状を読む。
「裴将軍。あなたの妻は、すでに“才ある者”ではなく、“政を担う者”となりつつあります」
文の結びには、ひとつの願いが添えられていた。
「彼女が歩むその道を、どうか、あなたが守ってやってほしい」
景輝は文を閉じ、窓の外の星を見上げた。
「……守るとも。そなたこそが、国を変える風となるならば」
◆
それから数日後、杜若は再び帝に呼ばれる。
「女として、政に立つ覚悟があるか?」
「はい」
「ならば、そなたに“名”を与えよう。政の文に、名を記せ」
それは、女性としての最大の転機――名を持って、政に生きるという宣言だった。
そして、彼女は筆を取り、文末にこう記した。
筆者 杜若(とじゃく)
名を名乗ることは、敵を増やすことでもあった。
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――それは、ひとつの未来が、始まる音だった。
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