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紅湖に浮かぶ月3 -惨映-
1章 偽りの狂気
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1.「神は存在する。人が創造した想像の偶像がそれだ。」
「やられたわ。」
私はお店に帰って来ると、お客さんが居ないことを確認して、カウンター前に
設置している椅子に座って項垂れる。
「あら、駄目だったのね。」
「そうよ。」
私が落ち込んでいるにも拘わらず、リュティは相変わらず微笑のままだ。
私は司法裁院、と言っても表の方だが、その司法裁院のアイキナ裁判院から、
出頭依頼があって行ってきた。裁判院に行くことも、裁判の当事者になる事も
初めての体験だったが二度と体験したくない。むしろ、初体験自体するもんじ
ゃない。
以前、依頼で記述した薬莢が悪事に使われたそうで、警察局の捜査でそれが判
明した。薬莢には個別認識番号が記載されているから、誰が買ったか記録に残
っている。グラドリア国では三社しか製造を認めれていないが、当然それ以外
の、個別認識番号が無い薬莢を使用すれば違法だ。私は嫌なので正規品を買っ
ているのだが、今回はそれが仇となったわけだ。
薬莢の個別認識番号から私が買ったのは直ぐに知れる。記述して販売している
のも、捕まった奴から割れたわけだが、問題は記述した時期だ。記述の国家資
格を取得したのはつい最近なのだから、使われた薬莢は無許可時代に記述した
物になる。
当然、無許可は違法だ。つまり、直接事件とは関わりはないが、無許可記述で
罰金が発生し、支払い命令を受けたのが今回の顛末だ。考えが甘い、足りて無
かったのは認めるが悔しい。
「三百六十七万よ!ぼったくりにも程があるわ!」
私は言うと、カウンターを掌で打つ。アーランマルバへの出店が遠退いたわ。
ああ、本当に腹が立つ。高査官に掛け合って・・・無理ね。黒い事を考えたが、
逆に始末されそうなので、その考えは霧散させる。その前に掛け合う高査官が
いないのだから、掛け合う以前の問題だった。
「あら、それは結構な金額ね。」
表情を崩さずに言うリュティに苛っとする。もう、他人事だと思って。
「給料カットするわよ。」
私は言いながらリュティに半眼を向ける。
「横暴だわ。」
しかし、リュティの表情に変化は無い。そうですよ、自己責任ですよ。リュテ
ィが悪いわけじゃないのは判ってるけど、ちょっとくらい当たったっていいじ
ゃない。傷心の私を慰めるくらいの言葉を掛けてくれてもいいのに。と、自分
勝手な事を考える。だって悔しいもの。
「今後の事を考えると、弁護士が必要よね。」
今回の事で思い至ったのがそこだ。支払い命令をそのまま受け入れざるを得な
い状況になったのは、私にその考えが無かった所為だ。
「確かに、必要ね。」
私の言葉にリュティも同意する。
弁護士と言っても、企業みたいに顧問弁護士を雇う余裕なんかない。個人店な
のだから。何か在った時の為に動いてくれる、出来れば専属の弁護士がいい。
その伝手を作る必要があるわね。今回の件も、弁護士が入れば支払いを軽減出
来たかもしれない。現に司法裁院の人からそんな事を言われたのだから。
そこで初めて弁護士が必要だと思い知らされた事に対して、本当に自分の馬鹿
と嘆いた。
「ザイランに聞いてみようかしら。」
警察局の人間なら、伝手が在りそうだと思った。名案。伝手が無ければ、容疑
者側に弁護士の紹介とか出来ないと思うし、出来れば腕のいい弁護士の知り合
いとか居てくれたら嬉しいな。と、自分の都合の良い展開を期待する。
「私も、知人に当たってみるわ。」
そんな事を考えていると、リュティも探すのを手伝ってくれると言ってくれた。
「ほんと?居そうなの?」
リュティの知人関係や人脈は全く知らないが、得体の知れない存在と、司法裁
院の高査官から依頼受けるような立場なら、期待出来るかもしれない。両方と
も幾つかの候補が出てくれれば幸いだが、出なかったら探すの難しそうだなと
思う。
「期待はしないで。」
「うん、ありがと。」
リュティはそう言うが、申し出には感謝している。
弁護士探しは早めにやらなければならないが、それよりも先に依頼をどうにか
しなければ。今回の支払い命令で、私は高査官からの依頼を受けざるを得ない
方に心が傾いた。実際のところは断る方に向いていたのだが、今回の出費は痛
すぎる。
内容を確認して出来そうであればやるに越した事はないわけで。その依頼だけ
で補填は出来ないだろうが、多少は埋められるだろう。
「もう少しお店お願いしていい?ちょっと昨日来た仕事の詳細を確認したいの
よ。」
「いいわよ。」
司法裁院の依頼で接触して来たリュティは、当然私の仕事を知っている。本来
であれば他人に知られる事自体まずいのだけど、不思議な気分。そんな事を思
いながら、いつもの微笑で了承してくれたリュティを店に残し、私は住居区域
へと移動した。
部屋に戻って私は早速、昨日ザイランから渡され依頼書を確認する。取り敢え
ず何時もの依頼事の方から確認する事にして、依頼書を封筒から取り出す。
「間違えた、逆だったわ。」
小さくぼやいて、封筒が同じだから紛らわしいのよと内心で舌打ちする。高査
官からの依頼は封筒に戻し、もう片方の依頼書を取り出す。期限は特に指定さ
れてはいなかったが、成るべく早くとは書かれていた。まあ、家出少女を監禁
するような奴、私も放置なんかしておきたくない。
名前はゴルネト・ブナックス。顔写真を見る限りでは犯罪など犯しそうに無い
程優しそうな顔をしている。華奢な体つきで聖人のような顔をしたゴルネトは、
教会で説法でもしていたら似合ってそうなイメージだ。
収監された経緯は、少女の監禁殺害。
監禁だけじゃないのか・・・。
「こんな奴出すなよ。」
辟易した気分で言葉を吐いてから続きを確認する。捕まった経緯は、少女に捜
索依頼が出されており、小型端末に連絡が取れなくなったため、警察局が本腰
を入れて捜索。最後に声を掛けた目撃情報からゴルネト宅を捜索した結果、裸
で痣だらけの無惨な姿で発見されたらしい。
「殺しておけ、こんな奴。」
黒い感情から物騒な言葉を言いつつ続きを見る。司法裁院の情報からすれば、
二週間くらい前に刑期を終えて出所している。その出所当日に少女に声を掛け
て連れ立っている。
その時点で捕まえればいいのに。と思うが司法裁院にその権限は無い。
自宅に連れて行ってる様だが、深夜迄に出てきた形跡は無し。その時点で司法
裁院側の追跡は終了。捜査権限はなく、観察程度の権限では限界なのでしょう
ね。
後日警察局に依頼をしたが、局員が自宅を訪ねるも態度は良好で、少女が監禁
されている形跡も見当たらなかった。警察局で念のため巡回はしているが現在
の所、それらしい形跡は無し。家族から捜索依頼も出ていないため、踏みきっ
た捜査は出来ないらしい。
司法裁院では監視を継続、二週間近くで三人の少女を連れ帰っているが、やは
り当日中に出ては来なかった。
強制で踏み込ませたらいいのに。
しかし、巧妙になったわけだ。捜索依頼が出されていない。当時の自宅とは違
う場所で、不振な点もない。現在の住居の設計図を入手したが、警察局が確認
した以上の間取りは無し。ただ、司法裁院の呪紋式による地質調査では、地下
に空間があると判明。それだけで警察局は動けないため、というのが今回の依
頼内容だが。
(私に内定までしろってこと?)
居なかったらどうするのよ。ただの不法侵入じゃない。相変わらず、私に何か
しら無茶させたいようね司法裁院は。
しかし、どうしようか。私が家出少女の振りをして。
(無理!色んな意味で。)
やはり直接乗り込むしかないか、私はそういう事に頭を巡らせるタイプじゃな
いし。一度現地を確認はしに行こう。
で、高査官からの依頼はと。私はもう一つの封筒から、依頼書を取り出して詳
細を確認する。簡易的な事はこの前、ザイランと会った時に見ているが、精々
日程と対象人物程度だったから、詳細は未だ知らない。ただ、ネヴェライオ貿
易総社ってだけで気が引ける。前回のハドニクスもそうだが、高査官から来る
依頼は危険度が高いのかも知れない。そう考えると余計に。
五葉会の頂点に立つネヴェライオ貿易総社なんかに目を付けられたら、それこ
そ高査官に狙われるのと変わらない気がするわ。それこそ人生終わってしまう
じゃない。
取り敢えず中身を確認する、対象はウェレス・カールバンカ。うわぁ、ネヴェ
ライオ貿易総社の内情は知らないけれど、ロンカット商業地区では外海を含め
各地の流行品を扱うお店、特産品を扱うお店、また旅行店等含んだ総合ビルの
支店長を行っており、兼ネヴェライオ貿易総社内では四幹部の内の一角。
勘弁して欲しいわ・・・。
違法薬物や違法薬物の効果を記述した薬莢の売買、禁制品の取引。その辺は貿
易業が得意なネヴェライオ貿易総社ならではな気がするが、その後が問題。人
身売買から臓器販売まで当然の様に行っている。どうやらそこまで手を広げて
いるのはウェレスのみのようで、対象として挙がっていたようだ。
高利貸しを秘密裏に行い、払えない事を理由に家族や、臓器を売らせていると
の内容に、吐き気がする。いや、依頼が来る内容はどれもそうなのだけど。毎
回見る度に嫌になる。
そのウェレスは二週間後、王都アーランマルバにもロンカット商業地区と同様
のビルを建設しており、その開店記念式典に参加する。ちなみに、そのビルの
支店長も兼任とは、私の相手にしては大物過ぎる。
式典の前に、王都アーランマルバに前入りして、宿泊するホテルがニーザメル
ベアホテル。うげっ。
王都ホテル等、王家が貴賓の宿泊用として利用する幾つかのホテルがあるが、
それに次ぐランクのホテルだ。名前だけは聞いたことあるが、私なんか一生利
用する機会が無さそうなホテルだ。その宿泊時が今回の依頼の日程になってい
る。
(現地の担当にやらせてよ、そんなの。)
私は内心でぼやく。何故わざわざアイキナに居る私にやらせようとするかな。
どうせ人手不足とかネヴェライオ貿易総社の本拠がアイキナだからとか、色々
理由を付けてくる様な気はするのだけど。
ホテルの警備や当人の護衛を抜けて始末とか、無理なんじゃないかな。かなり
厳しい依頼よね、これ。あれか、私もホテルに宿泊すればいいのか、そうすれ
ばホテルの警備はある程度回避出来る。だけど高そうなんだよね、経費とかで
落ちないだろうし。
それとも、ロンカット商業地区にお店出してて、王都アーランマルバにも店舗
を出す予定だから、それを利用して接触するとか。いや、こんな流行らない店
と関わろうとしないだろうな。そもそもそれなら、王都アーランマルバで行う
必要も無い。
しかし、私の面が割れるのが駄目だな、この案は却下ね。それに、そんなビル
にお店を持ちたいわけじゃないし。
んー、考えが纏まらない。まあ、この件に関しては少し時間的に余裕があるし、
追々考えるとして、今は目先の依頼から考えよう。
既に受ける気で考えていた私は、断る事が出来る事も忘れて考えを巡らしてい
た。
「お店戻るか。」
依頼に関しては明日から動く事にして、と思いそう呟くと私は依頼書を封筒に
戻し、仕舞って店舗へと戻った。
「おね、がい、かえして・・・」
壁から伸びる鈍色の鎖の先には首輪。その首輪には人間の首が嵌まっている。
その鎖に繋がれた少女が四つん這いになり、身体を揺さぶられながらも切れ切
れに言葉を発した。裸の少女の身体は、四肢を問わず痣が無数に浮かび上がっ
ている。少女の左瞼は紫色に腫れ上がり眼球が殆ど隠れていて、見る事さえま
まならない様だ。鼻や口からは乾いた血が黒い筋を描いており、乾いた涙の跡
を新たな涙が流し、黒い筋を滲ませている。荒い呼吸で閉じられない口腔から
は、涎が垂れ流される。
「家出、したのは、君じゃん。」
定期的に響く肌がぶつかる音の中、その少女を愉悦の目で見下ろしている痩せ
細った青年が、息も荒く少女の願いを否定した。青年は少女の身体を抑えなが
ら続ける。
「僕は君に、居場所を、提供して、いるんだ。」
恍惚とした顔で続ける青年。そうする事が当たり前の様に、善意でありその見
返りが当然だと言うように。
「いや、かえして・・・」
少女は繰り言の様に、解放を乞う。幾度繰り返したのか分からない言葉を、た
だただこの状況から逃れたい一心で繰り返す。
「一体、何が不満、なんだ!」
青年は愉悦の瞳を蔑みに変え、怒りに顔を歪めながら少女の背後から打ち付け
る腰の動きを激しくする。呼吸が荒くなり、激しさに少女は繰り言が発せなく
なる。やがて青年が絶頂に達すると、少女から陰茎を引き抜いて立ち上がった。
支えを失った少女は横倒しになり、乾いた血に塗れた内太腿を、股の間から溢
れた白濁の体液が汚していく。
「僕がこんなに親切にしているのに!くそ!」
青年は嚇怒の瞳を少女に向けて吠えると、力なく倒れた少女の腹部を蹴りつけ
る。
「ぁああっ!・・・」
蹴りつける。
「ぅぐっ!!・・・」
くぐもった悲鳴を上げて少女は身体を九の字に折り曲げて腹部を押さえる。
蹴りつける。
「ぃいっっ・・・」
腕の上から更に蹴られる衝撃に、苦痛で顔が酷く歪む。無事な方の右目は何故
自分がこんな目に遭うのかと、恐怖と憎悪が入り乱れる。
「うぅ・・・かえして・・・」
それでも少女は、その目から止まる事の無い涙を溢れさせながら懇願した。
「黙れ!」
青年は痣だらけになった少女の太腿踏みつける。
「あぐっぁ・・・ぁ・・・」
腹部を庇った腕は恐怖から動かす事が出来ずに、少女は身体を捩って痛みに悶
える。
「どいつもこいつも、僕を否定しやがって!」
青年は部屋の中を見渡しながら喚く。部屋の中には、同じく鎖に繋がれた三人
の少女が転がっていた。その誰もが既に事切れており、変色して異臭を放って
いる死体もあった。身体は何れも酷く損傷しており、手足が折れ曲がっていた
り、裂傷が切り刻まれていたり様々だった。
床は至る処に黒い染みを残し掃除された形跡はない。身体から垂れ流された糞
便も片付けられた様子はなく、部屋の中は強烈な臭気が充満していた。青年は
その光景を一瞥すると、中空に視線を止める。
「仕方ない、新しい娘を助けに行こう。」
青年は思い至ると笑顔を作って呟いた。その顔は聖人の様に、慈愛を携えたよ
うな笑顔だった。その笑顔を少女に向けると優しく言葉を発する。
「僕を受け入れられ無かった君は、僕から離れるしかないけど大丈夫。神はき
っと受け入れてくれるよ。」
青年は聖人のような笑顔のまま少女に言った。
「かえして、くれる、の?」
少女は力なく聞くが、期待を持ったのか顔から恐怖が微かに薄れた。
「ああ、解放の時間だよ。」
青年は両手を左右にあげ、大仰に言って見せると、少女の首を踏み抜いた。頸
椎の砕ける音が部屋に木霊し、緩んだ膀胱から糞尿が垂れ流される音が静かな
部屋を汚していく。見開かれた少女の目は光を失い何も映さなくなった。
「さあ、救いを求めている子を探しに行かないと。」
青年の表情は変わる事なく、優しく言うと異臭が漂う部屋を後にした。
殺風景な部屋の中で二人の男女が片付けをしていた。部屋の中に家具はあるが、
生活感が無い。そう感じさせるのは、生活必需品が無いからだろう。男性の見
た目は平凡だが、女性は可愛らしい見た目に愛らしさを感じさせる。大きな鳶
色の瞳が、女性を幼く見せており愛らしさに拍車をかけているようだ。
男性の方が一息付くように、額にじんわりと浮かんだ汗を腕で拭うと、女性の
方に顔を向ける。
「もうすぐ、アルメイナの故郷に行けるのが楽しみだよ。」
女性、アルメイナは窓際で荷物を詰める手を止める。窓から差し込む陽射しに、
瞳と同じ鳶色の髪を煌かせ、男性に向き直ると微笑んだ。
「何も無いのよ、本当に。でも、ヤミトナとなら楽しく過ごせるわ、きっと。」
アルメイナの言葉に、ヤミトナも優しく微笑み返す。
「僕はアルメイナとなら、何処でも生きていけるよ。」
アルメイナは手に持っていた本を、箱の中に入れると立ち上がった。
「少し、休憩にしましょう。」
「そうだね。」
アルメイナの言葉に、ヤミトナも同意した。アルメイナは台所に移動すると、
お湯を沸かし始める。
「手伝うよ。」
後を追ってきたヤミトナが、棚から紅茶の茶葉を取り出しながら言った。
「ありがとう。しかし、大分片付いたわね。」
「うん、もう少しだ。」
ティーカップを出しながら言ったアルメイナに、ティーポットに茶葉入れなが
ら応じるヤミトナ。お互いの優しい微笑みは、お互いに幸せを感じているよう
だ。向き合う表情に、言わずともそれが浮かんでいた。
「もう荷物は殆ど送り終わったし、今詰めているので最後ね。」
「ああ。そうしたら此処を引き払って、ウェレスさんに挨拶して出発だ。」
笑顔で応じたヤミトナだったが、アルメイナはその言葉に少し表情を曇らせる。
「話しの分かる方で良かったのだけど、ヤミトナには痛い出費をさせてしまっ
たわ。」
ヤミトナは左右に首を振ると、優しく微笑む。
「始めから分かっていた事だし、アルメイナと出会ってからは覚悟も決めてい
た。そのために用意したのだから、アルメイナが気に病む必要はないよ。」
「ありがとう、ヤミトナ。」
アルメイナはそう言うと、ヤミトナに近づいて腰に手を回すと、抱きしめてヤ
ミトナの胸に顔を埋める。ヤミトナはアルメイナの肩を優しく抱いて受け入れ
た。
「ずっと一緒よ。」
「もちろんだよ。」
小さく溢したアルメイナの囁きに、ヤミトナは力強く頷いて抱きしめる手に力
を込める。そこでお湯が沸いた音が鳴る。アルメイナはヤミトナから離れると、
優しく微笑んだ。
「さあ、お茶にしましょう。」
「ああ。」
ティーポットにお湯を注いだアルメイナを、ヤミトナは後ろから優しく抱きし
めた。
薄暗い部屋で何時も通りリュティは机に座っている。組んでいる足も何時も通
り宙に浮いているが重力は感じさせない。
「お前から呼び出しとは珍しいな。」
簡素な椅子に座ったクスカが口を開く、眉間には皺を作りながら。その表情に
はこれから聞く内容はろくなもんじゃないと、想像している様だった。
「ちょっと聞きたい事があるだけなのよ。そんなに険しい顔をしないで欲しい
わ。」
リュティは心外そうに言うが、表情は何時も通りの微笑を浮かべている。
「聞いただけで災禍に巻き込まれた事もあるんだが。」
リュティの言葉にもクスカは表情を変えずに言った。
「あれは私の所為じゃないわ、不可抗力でしょう。それを私が原因みたいに言
われるのは悲しいわ。」
その言葉で、クスカの表情が険しくなる。
「何を言う、お前の一言がきっかけで・・・まあいい。過ぎた事を言っても始
まらん。」
リュティの瞳に浮かんだ切なさが目に入り、クスカはやれやれというように首
を左右に振ると、自分から振った話題を打ち切った。
「で、その聞きたい事とはなんだ?」
「弁護士を探しているのよ。出来れば有事の際には専属で担当してくれる。」
クスカに促され、リュティは本題を切り出した。その内容にクスカは顔をしか
める。
「また厄介事じゃないだろうな。確かに業務上、知り合いの弁護士はいくつか
心当たりはあるが、何かあった場合こちらにも火の粉が降りかかるのはごめん
なんだが?」
リュティを見据えながら言ったクスカ目には、先程の話しじゃないが厄介事は
ごめんだとはっきりと浮かんでいた。
「違うのよ。今何か起きている訳じゃ無いわ。経営上、問題が起きたときに担
当してくれる弁護士の伝手が欲しいだけなのよ。」
「経営上?」
リュティからは出そうに無い単語にクスカは疑問顔になる。が、直ぐに自体を
察して険しい表情になった。
「そう言えば、あの娘の処に居座っているらしいな。」
「そうよ。」
クスカの険しい表情を気にするでもなく、リュティは頷いた。
「確かあの娘は装飾品だかの店を開いていたな。大方、その店で経営上問題が
在ったから、今後に備えてなんだろう?」
「その通りだわ。」
クスカの推察をリュティは肯定する。リュティの表情は何時もの微笑は消え、
真面目な表情になっていた。
「であれば、この話しは断る。」
クスカは目を閉じると、断言した。
「どうしてかしら?」
懇願が多少見え隠れするリュティの瞳を、クスカは鋭い視線で見返す。
「あの娘に関しては勝手にしろと言った筈だ。其処で起きた問題をこちらに持
ってくるのは止めてもらおう。」
「弁護士を紹介して欲しいだけなのよ。」
「駄目だ。」
リュティが懇願するも、クスカは頑として受け入れない。
「勝手にしたのは、お前だろう。困ったからと言って頼るのは虫が良すぎる。
間接的とは言え接点が出来るのは、受け入れるわけにはいかない。」
「そう、分かったわ。」
リュティは肩を落としながらクスカの拒否を受け入れた。クスカの言っている
事ももっともで、断れるのも予想の範疇だったが、実際にその言葉を聞いてし
まうと衝撃ではあった。
「勝手にしたんだ、自分でなんとかするんだな。ただ、当て付けで他の仕事に
支障を来すのは止めてもらおう。」
「そこまで子供じゃないわよ。」
悲しさを瞳に浮かべたまま、リュティは視線を床に落とした。
「用件がそれだけなら、私はこれで失礼する。」
クスカはそう言うと椅子から立ち上がる。何時もの様に、リュティの我が儘で
圧力を掛けられるかと思っていたクスカは、懸念だったかと小さく嘆息した。
流石にそこまで傲慢ではないかと。
クスカが部屋を出る時まで、リュティはそれ以上口を開かなかった。
「役に立てなかったわ。」
独りになったリュティの言葉は、寂寥を帯びて部屋の中で消えて行った。
私はゴルネトの住むデギリガヌ住宅街に来ていた。住宅街と言っても閑静さは
無く、雑居ビルや店舗、住居用ビルに平屋などが入り雑じり雑多な街を作り出
している。ロンカット商業地区からは電車で三十分程の距離にあり、割と近い。
私は昔使っていた黒目コンタクトと、黒淵眼鏡で久々の地味な格好で変装して
きた。何故なら今は昼間で、探りに来ただけだから。当然、移動も電車で来た
し、お店もリュティに任せてきた。今の状況を考えれば、リュティがお店に来
たことは良かったと思っている。まあ、得体は知れないが。
しかし司法裁院め、偵察までさせないでよ。
いや、もしかすると他の担当は当たり前の様にやらされているのかも知れない。
例えばザイランがそういうの回して無かっただけとか。今度聞いてみよう。
ゴルネトの自宅は賃貸らしいが、二階建ての一軒家と依頼書には記載してあっ
た。表通りから一本裏の通りでデギリガヌ駅からは徒歩五分という悪くない立
地だ。出所前に伝手を使って借りていたらしいが、それについての情報は記載
されていない、無関係という事なのだろう。
表通りと言うだけあり、住居よりも店舗が多かったが、一本通りを外れると、
雑多さが増していた。その中に目的の一軒家は在ったが、どう見ても普通の家
だ。廻りにある家と変わりが無く、庭にある植物が枯れているわけでもなく、
人が住んでいるのか不明な様に窓掛等で締め切ってあるわけでもない。廃墟の
ようなものを想像していたが普通過ぎる。
怪しまれない様に通り過ぎながら周囲を確認するが、監視出来るような喫茶店
が無い。食堂等はあるが、食べたら出るしかないし、食べてる途中や食べる前
に出るのも不自然と考えれば、向いているとは言えない。
何度も往復したら目立つだけだし、どうしたものか。
丁度、考えが行き詰まり途方に暮れようかとした時、小さなアクセサリー店を
見つけた。興味が惹かれ覗いて見ると、お店には三十歳くらいの男性が中から
私に気付くと笑顔を向けてくる。
「いらっしゃい。手作りだからね、欲しいのやこんなのあるかなぁって思った
ら声掛けてね。」
眼鏡の奥から優しい瞳をを向けてくる。ブラウンの髪は背中まで伸ばしている
が、首の後ろで一纏めにしてあるのでこざっぱりとしている。同じ瞳の色が、
余計に優しい印象を醸し出しているのかもしれない。無精髭すらもそれに一役
買っているような気さえした。
「え、手作り。」
そんな見た目より、私と同じ手作りのアクセサリーってところが気になった。
「そう、一応僕が作っているんだ。」
見る限りどれも、丁寧に作られているのか、派手さは無いが丁寧で綺麗な作り
をしていた。参考に少し買っていきたいところだけど。どうしようか。あまり
アクセサリーに魅入って本末転倒な結果になっては意味がない。
「地味な私に合うのは、あるでしょうか?」
とはいえ、他にやることもないから、いくつか買おう。
「ありますよ。お姉さん美人ですからね、色々合うと思います。」
営業とはいえ、お世辞も大変だ。ただ、美人と言われ悪い気はしないので、否
定はしないでおこう。
「この辺なんかどうですか?」
店員が幾つか並べてくれたのは、ネックレスやブレスレットなど身に着けやす
いものだった。欲しいのは欲しいが、手作り品だと身に着けるのが難しい。分
かる人には何処のお店で買ったか分かるだろうし。普段の私が身に着けたとし
て、普通の人は気付かないが作った本人は売った覚えの無い人が着けていると
訝しむだろう。貰い物と言われればそれまでだが。
「これと、これください。」
結局買うのだけど。
「ありがとうございます。」
「あと、あのバンスクリップも。」
横の棚に在ったバンスクリップも気になったので買う事にした。普段の髪型用
の参考に。最近は前みたいに地味な女性を演じる事は無くなったし、いや今日
は特別だけど。髪型はテールアップが基本になっているから、ハンズクリップ
はちょっと欲しかったのよね。
「はい。」
店員は私が示した品を、個別に包装する。お会計をして、店員が一つの袋に纏
めているところで、目的の人物が家から出てきたのを横目で確認。
(お、私運がいいな。)
「はい、お買い上げありがとうございました。」
内心で幸運に喜んでいたところへ、袋を店員が渡してくる。少し吃驚した。
「あ、ありがとうございます。」
「またお越しください。」
私は軽く会釈をして、笑顔で渡してくる店員から商品を受けとると、ゴルネト
の方へ歩き出す、不自然ではない流れだ。買い物が終わって、デギリガヌ駅方
面へ向かっているのだから。
向かってくるのはゴルネトだと、顔がはっきりと視認出来たところで、ゴルネ
トが私を一瞥する。気付かない振りですれ違ったが、私に向けられた絡み付く
ような視線は後方に行くまで向けられていた気がする。顔は司法裁院の資料に
あった写真のままで、聖人のような微笑みを浮かべている。
すれ違った際に気付いたが、間違いなく死臭を漂わせていた。シャワーでも浴
びたのだろうか、洗剤の匂いはしていたがこびりついた死臭は誤魔化せない。
吐き気が込み上げてくる。
その臭いを纏っていると言うことは、死体と一緒に居るということだ。つまり、
家出した少女はもう生きてはいないだろう。振り向いて今すぐ殺してやりたい
衝動に駆られるが堪える。振り向いたら気付かれる気がしたから。あの絡み付
くような視線は、物色していたのか、油断していない証なのか分からないけれ
ど、私も油断は出来ない。
取り敢えずゴルネトは黒だと判断出来る。後は在るかも知れない地下室だが、
どうしようかな。デギリガヌ駅に向かいながら思案しているとパスタのお店が
目に入る。気分じゃないが入って落ち着こうと思った。
お店に入ると茹でたパスタの匂いがして、少し気分が落ち着いた。
私は茄子とモッツァレラチーズのトマトパスタを注文すると、ゴルネトの事は
振り払う様に戦利品の確認をする事にして、買ったアクセサリーの包装を開け
る。買った物はネックレスとピアスとバンスクリップだが、戦利品を見ていい
買い物をしたと気分が良くなった。その時、お店に客が入って来たので。横目
で確認するとゴルネトだった。
(何故あいつが此処に?)
反対方向に行ったんじゃ。
離れた席に座ったが私を見ている視線は感じられた。もしかしてばれている?
いや、初対面で気付くとも思えない。ただ、ベイオスみたいに知っていて接触
して来た奴も居た事を考えれば、その懸念は払拭出来ない。
(接触したのは失敗だったか?)
内心で焦りが膨らんで来たとき、丁度注文していたパスタが運ばれて来る。と
りあえず口にするが、味を楽しむ余裕は無かった。払拭出来ない懸念と、時折
向けられる視線が気持ち悪くて。
食べ終えて店を出ると、私はデギリガヌ駅に向かって帰路に着いた。お店を出
た後はゴルネトの気配は感じ無かったので、たまたまご飯が被っただけなのか
も知れない。向こうにしてみれば、普段通り生活していただけなのだろう。そ
う、あの場所に住んで居るゴルネトにとっては。
(私が気にし過ぎただけか。)
電車の中でそんな事を考えていたら、疲労感が増して来た。なんか、無駄に疲
れた。やっぱりこういうのは私に向いていない。司法裁院がちゃんと調べてお
いてくれればこんな苦労しないのに。滅べ。
「そうなんだ、理解して貰えないのは腹が立つよね。」
少女の横でゴルネトは親身に話しを聞いていた。
「うん。だから飛び出して来た。」
家での事を思い出してか、少女の表情と瞳には憤慨が浮かんでいる。歳の頃な
ら十三、十四くらいの少女は、家を飛び出したと言ってはいるが、持ち物は小
さなトートバッグしか持っていない。
「それでも、親御さんは心配しているんじゃないのかい?」
「それは無いよ。」
少女はゴルネトの懸念をきっぱりと否定した。それでも我が子の心配をしない
親など居ないだろうと、ゴルネトは続ける。本来であればと。
「心配しない親御さんは居ないんじゃないかな。」
しかし、ゴルネトの言葉に少女は首を振った。
「無いよ。以前、一週間家出した時も心配どころか、一週間も何処ほっつき歩
いていた!って殴られたし。」
少女は昔の事を思いだし、怒りに声を荒げる。その言葉を聞いたゴルネトは口
の端を僅かに吊り上げるが、ゴルネトを見ていない少女の目には、その狂気は
映ることが無かった。例え見ていたとしても気付かなかったかも知れない。周
囲から見ても、分からない程に動かしただけだった。
「それで、家を出てどうするんだい?」
ゴルネトの質問に、少女は両親に対する憤慨は消え、変わりに不安が表情に現
れた。
「わかんない。前は友達のところに泊めてもらったりしたけど、何回かお願い
すると色んな理由を付けて断られるようになった。」
ゴルネトは愉快そうに目を細める、あくまで気付かれない程度に。愉悦にまみ
れた表情は楽しくて堪らないと歪めたいが、まだその時ではないと堪える。
「そうなんだ。」
「お金もないし、泊まる所もないし。だけど帰りたくもないし。」
ゴルネトの態度に少女の言葉は消沈していく。
(やはり、僕の救いが必要な娘は溢れている。この娘はきっと僕の救いが必要
に違いない!)
ゴルネトはその思いから、表情が歪みそうになるがまだ堪える。
「何処かお店入ろうか。ご飯でも食べたら少し気分が落ち着くかも知れない。」
「そのお金が無いって言ってるでしょ!」
少女はゴルネトを睨みつけて、提案を拒否する。
「僕が出すだけだから気にしなくていいよ。」
その優しい笑みに、噛み付いた自分に羞恥を感じて少女は目を逸らす。
「そこまでしてもらう理由もないし。」
「無理にと言っているわけじゃない。僕がそうしたいだけだから。」
ゴルネトはそう言うと、立ち上がって少女に笑みを向ける。その聖人のような
笑みに、少女も釣られるように立ち上がった。
「じゃ、ご飯食べながら考える。」
(やはり、僕の救いが必要だったんだね。)
内心に沸き上がる快楽を堪えながら、ゴルネトは優しい笑みを少女に向けたま
ま、頷いた。
2.「救うのも救われるのも、自分だけでしかない。」
お店に戻るとリュティが暇そうにしていた。まあ、お客さんが居ないので暇な
のだろう。店員が暇そうにしているとお客さんが入ってない店と思われるから
止めて欲しいのだけど。する事無いなら、掃除なりケース磨いたりあるでしょ
う、とか言いたい。が、そんな事を言う気力は無かった。
「あら、おかえり。」
リュティは言った後、私を見て怪訝な顔をする。
「何か嫌な事でも在ったの?」
と聞いてきた。顔か態度に出ていたのだろうか。収穫はあったが、いい気分で
無いのは間違いない。ゴルネトの存在が不気味過ぎて暗鬱となったのは間違い
ないのだから。
「ちょっとね。」
「そう。」
話す気にならない私の心情を察したのか、リュティはそれ以上聞いて来なかっ
た。別に話したくないとかではない、単に話しをする気力が無いだけで。悪い
気もするけど、今は一人で何かしていたい気分だった。
「このままお店お願い。」
「ええ。」
「作業してるから、何か在ったら呼んで。」
「分かったわ。」
私のお願いを特に何を言うでもなく、リュティは了承してくれた。店番をして
くれているお陰で、私は開店中でも作成の方に取り掛かれるのは有り難い。
「あ、そういえば。」
店の奥に行こうとした私をリュティが引き留める。
「何?」
私が何かと聞き返すと、リュティは悲しそうな表情をした。
「ごめんなさい。昨夜知人をあたったのだけど、弁護士の件は駄目だったわ。」
その事か。一朝一夕でどうにかなる事でもないし、こればかりは時間を掛けて
ちゃんと探すしかないわね。取り敢えず伝手をあたるところから始めるってだ
けで。だからリュティが気に病む事でもないし、そもそも私の問題なのだから
逆に申し訳ない。
「気にしなくていいわ。私のお店の問題だもの、ゆっくり探すわ。」
とは言ったが、悠長にしていられる問題でもないのだけど。次の問題が暫く起
きないなんて保証はないのだから。
「そう、ありがとう。」
リュティは何時もの微笑でそう言ったが、表情に若干の曇りが在ったのは気の
せいではないだろう。
「じゃあ、奥に居るね。」
リュティが頷くのを見て、私は店の奥に入った。まずは、作業の前にザイラン
に通信ね。弁護士の件、聞いてみないと。
私は小型端末を取り出すと、音声通信でザイランを呼び出す。間もなく応答が
あった。
「どうした?」
相変わらず低めの声で応答する。どうせ渋い表情をしているのでしょうね。
「少し時間いい?」
「ああ、構わん。今は急ぎの用も無いからな。」
要は暇って事か。私の店も暇だし。まあそれは置いといて。
「ザイランの知り合いに、有事の際に個別で対応してくれる弁護士いない?」
「何だ突然、揉め事か?」
私の問い掛けに訝しむ様な問いが返ってくる。まあ、質問が藪から棒過ぎるわ
よね。私はこの間の一件をかいつまんで説明した。
「成る程な。確かに個人で都合のいい弁護士を探すのは難しいだろう。」
そうなのよね。ザイランが察してくれて良かったわ。今の私に他に当ては無い
し。一から探すのは大変そうだし、良い弁護士に巡り合える可能性も低そう。
知り合いの伝手からなら、信頼も出来そうだから。
「まあ、何人か当たってみるが、あまり期待はしないでくれ。」
「ええ、ありがとう。助かるわ。」
良かった。見付かったらもっと良いのだけど、そこまで楽観視するわけにはい
かない。
「用はそれだけか?」
「もうひとつ。」
どちらかと言えば、今の気分はこっちが本題なのよね。司法裁院が依頼してく
る業務は、何処までが範囲なのか気になる。そもそも、今までと同じで場所と
時間の指定があって、実行するだけなら楽でいいに決まっている。
そもそも、私がやっている事って警察と変わらないんじゃないかって疑問なの
だけど。それだったら、危険人物特別措置依頼じゃなく名前を変えて、それに
合った担当を使えばいいだけだ。
「あっちからの依頼だけど、今回の普通の方の内容を確認した?」
「ん?ああ、一通り目は通したぞ。」
目を通しただけ?ってことは、今までもこんな事があったってことかしら?
それとも本当に何も考えずに読んだだけってことかしら。
「今までもこんな依頼ってあった?」
「何の事だ?いつも通りだろ。」
ああ、後者か、この役立たずめ。内心で罵っておく。
「本当に読んだ?依頼内容が捜索するところからみたいな、内容になってるわ
よ。」
「そうなのか?」
んー、いまいち伝わってないかな。
「今まで無かったのよ。相手も場所も時間も決まってたし。それが今回は場所
が未定な上に、実際に事に及んでいるかすら不確定なのよ。」
少し沈黙が流れる。
「そんな内容だったか?監禁してるって書いてあったし住所も書いてあった気
がするが。」
こいつは。
「ちゃんと読んでないじゃん!」
またも沈黙。これは今までの事を聞いても確証は得られないわね。いい加減な
んだから、実行するのは私なのに。
「いや、すまん。」
今更謝られてもな。
「ただ、確認含めてって依頼ならたまに在るぞ。」
「え?そうなの?」
それは知らなかった。どうやら呆けているわけではなさそう。そういうのが在
った事自体初耳だわ。
「送ったことなかったか?」
「無かったから聞いてるんでしょ。」
ああ、そういう事。意図的に配分しているわけでも、私に気を遣ったわけでも
ない。単に何も考えてなかったわけね。でもまあ、聞きたいことは聞けたから
いいわ。つまり、ザイランの怠慢ってわけね。
「次会った時、覚えてなさいよ。」
「なんでそうなる!?」
通信の向こうで、理不尽だという思いと呆れが混じったような声が上がる。
「さっきすまんって言ってたじゃない。非は認めてるわけよね。」
うん、つまりザイランが悪い。
「お前なぁ。悪かったと言ってるんだからいいじゃないか。」
うわぁ、酷い。また逃げようとするのね。
「苦労してるのは私なのよ。」
「それも依頼のうちだろうが。」
依頼内容云々ではなく、私が苦労したくないのよ。
「知ってたら断ってるわよ、面倒だもの。」
正直、その場でちゃんと説明してくれていたら受け取ってなんかいないわ。
「たまたまだろうが。そもそも何時も郵送なんだから、事前には知らないだろ
うが。」
ぐぅ。それを言われると。ザイランめ、正論で攻めて来るなんて余計な頭を使
ってくれるわね。
「分かったわよ。」
しょうがない。心の中だけで折れておく。
「断るで思い出したんだが、もう一つの依頼はどうするんだ?」
ん?ああ、ネヴェライオの方か。こっちに気を取られて頭の隅に追いやられて
いたようだ。
「受けるわよ。さっき話した件で、痛手を受けたからね。」
「それは自業自得と言うんだ。」
うっさいわね。言われなくても分かってるわよ、一言多いんだから。まあ、事
情は分かったし、依頼内容についてはしょうがないのね。
「取り敢えず聞きたい事は聞けたし、ありがとう。」
「いや、構わん。それとこの前も聞いたが、二グレースについて何か耳にした
か?」
あ、忘れてた。
「いえ、何も。」
「そうか。ならいい。まあもし、聞いたら連絡をくれ。」
「分かったわ。」
「もう用は無いんだろ?」
「ええ。」
そこでザイランとの音声通信は終了した。
やるしかないのは分かったけど、これ以上何かを調べるのも厳しいわね。とい
うか思い付かない。もう一度デギリガヌまで行くか?いや、これ以上顔を見ら
れたくないし。
(やっぱり直接乗り込むしかないか。)
そう考え、内心で嘆息すると私は薬莢の準備を始めて、その後にアクセサリー
の作成に取り掛かった。
デギリガヌ住宅街の夜は、本通りは明るいが一つでも路地に入ったり通りが外
れるとと仄暗い。店舗があるとしても、個人店が多いので閉まっている。民家
の明かりも疎らで、就寝している家も多いようだ。二十三時ともなれば、起き
ている家も減ってくるだろう。
電車で三十分程度の距離なので、いつも通り身体強化の呪紋式を撃ち込んでこ
こまで走って来た。
目的の家はまだ起きているのか、一階に電気が点いていた。二階は電気が点い
ていないので、私は二階から侵入する事にした。まさか、わざわざ電気を消し
て侵入者を待ち伏せしているとも思えない。用心深そうなので、罠とかあるか
も知れないが。
通りに人が居ないことを確認して、私はゴルネトが住む家の庭に入った。幸い、
高い建物も電気が点いている家も、周りにはない。闇に紛れて跳躍すると、私
は静かに一階部分の屋根に着地して、窓に近づいた。
「ぅええぇぇっ・・・」
「もう、床を汚さないで欲しいな。」
「ぶぐぇ・・・」
ゴルネトは嘔吐する少女の腹部を蹴る。目が覚めた少女は、周囲の惨状と臭気
で胃の内容物が逆流し、床にぶち撒けた。蹴られた衝撃で嘔吐物を引きながら
横倒しになる。
「なに?これ・・・」
出会った時と変わらず聖人の様な笑みを浮かべているゴルネトに、困惑と恐怖
の目を向ける。
「君、僕と一緒に居るって言ったじゃないか。二時間程前に。」
「え・・・」
少女は記憶を辿る。確かゴルネトと食事して、カフェでゆっくり話している時
に泊めてくれると言うので家に来た。夕食を食べて食後のお茶を飲みながら歓
談している時に眠くなって。
「え?」
それでも状況が飲み込めない。
「僕が何時までも居ていいよと言ったら、ありがとうって言ってたじゃないか
。」
「・・・」
そんな会話は確かにした。ただこの状況がなんなのか理解出来ない。廻りに横
たわっている裸の少女達はなんなのか。この臭いは。
「ぅ、おえぇぇ・・・」
そこで再び強烈な臭気を身体が拒絶するかのように吐き気が込み上げ、少女は
嘔吐した。
「だから、床は汚さないでと言ってるじゃないか。」
言いながらゴルネトは少女の顔を蹴る。弾けた少女の頭部は、何かに引き留め
られる様に急に止まる。
「ぐえっ・・・」
少女は首に感じた強烈な絞め付けに、手を首に添えると何か着いていることに
初めて気が付いた。それは首輪で、鎖が壁から伸びている。鎖が長さの限界を
迎えた事で絞められたのだと気付いた。
「なに、これ・・・」
少女は痛む頬に顔を歪めながら、ゴルネトに疑問と先程より濃くなった恐怖の
目を向ける。ゴルネトの変わらない微笑みに畏怖さえ感じた。
「まだ頭が起きていないのかな?君は僕と此処で暮らすんだよ。」
「い・・・いやっ!」
未だに状況は理解出来ないが、心がはっきりと拒絶して、叫びとなって少女の
喉から迸った。
「大丈夫。今は困惑しているだけだよ。」
ゴルネトは少女の前で腰を落とすと、優しく肩に手を置いて言った。
「いやぁっ。」
少女はゴルネトの手を振り払って離れようとするが、首が絞まって動けずに苦
しむ。両手で必死に首輪を外そうともがくが、苦しいだけだった。
「痛いな。」
ゴルネトは振り払われ右手を軽く振ってみせる。
「少し落ち着こうか。」
ゴルネトは少女に近づいて、両手で肩を優しく押さえる。
「いや、いや、いや・・・」
少女は首を左右に振り、それから逃げるように身体を捩って抜け出すと、壁の
方に後退りした。
「家を出て此処に居る事を望んだのは君だよ。」
ゴルネトは近づきながら、諭すように言う。
「こんな・・・ちが・・・」
壁に当たり、後が無くなっても後ずさる動作は止まる事なく、望んでなんかい
ない恐怖に首を振り続ける。溢れる涙が散る程に拒絶を表しながら。
「心配しなくても、居続ける限り大切にしてあげるよ、君が望んだように。」
「・・・」
再びゴルネトが両肩に手を置くが、逃げる事が出来ず、恐怖で言葉も出ずに少
女は首だけを振り続ける。
「可愛がってあげるから。」
ゴルネトは言うと、少女の着ていたシャツを破りながら引き下げる。
「いやああああぁぁっっぶっ!」
悲鳴を上げた直後に、左頬に来た衝撃に目が眩む。続く激痛に頭が白くなる。
「静かにしようか。」
優しく微笑むゴルネトが右拳を握っている。出会った時と同じ微笑みなのに、
激変した行動に意味が分からなかった。訳の分からない狂気に脳が思考を停止
する。こんな事になるなら、家出なんかするんじゃなかったと、後悔が駆け巡
る。
「あぐっ・・・」
少女はいつ身体を反転させられたか分からなかったが、顔を壁に押し付けられ
悲鳴が漏れた。殴られた際に切れた口の端から流れる血が、壁に赤い糸を描く。
「いいいいぃぃぃぃっっ!」
続いて来た下腹部から突き上げるような痛みに少女は絶叫する。ゴルネトが無
理矢理陰茎を突き入れた事による痛みだった。ゴルネトが腰を動かす度、溢れ
た血が床に落ち、内太腿をに赤い糸を引く。
「ぉ、おぇ・・・」
恐怖と身体に侵入してきた異物に吐き気が込み上げ、耐え切れずに少女は嘔吐
した。吐瀉物が口から溢れ、顎を伝って床に撒かれる。
「汚すなって言ってるよね。」
「んぐっ・・・」
頭を壁に叩きつけれられ、悲鳴を上げた少女は、親の暴力を思い出していた。
今に比べればましに感じてしまう、何故自分は家出したのだろう、家に帰りた
いと、揺れる意識の中で現実を拒否するように思考に逃避した。
「大丈夫、僕が救ってあげるから。」
聖人のような笑みで、腰を振り続けながら言うゴルネトの言葉は、少女には届
いていなかった。
二階の部屋に侵入した私は、静かに部屋の扉に向かう。寝台や服の収納室があ
るからおそらく寝室あたりだろう。人の気配は無いので、音を立てずに扉に辿
り着くと静かに開ける。建付けが悪くなく、手入れもされているのか音は鳴ら
なかった。
そう言えば、窓も特に音はならなかった。施錠はされていたので呪紋式による
開錠はしたが。発動時の白光は気になるが、周囲に人がいる気配も、建物から
見られている感じもしなかったので大丈夫だろう。
二階の廊下に出ると、階段を見つけ一階に降りていく。電気は点いているが人
の気配は感じられない。用心しながら灯りの点いている部屋を確認すると、居
間のようだった。誰も居ないので無視。
次に灯りが点いていたのは台所だった。二階の廊下に出た時から、微かに漂っ
ていた死臭が台所に入ると強く感じられた。
(怪しいわね。)
と、思ったが探すまでもなく台所の床には四角く線の入った場所があった。明
らかにその部分だけ切り取ったような。
(何で警察局はこれに気付かないのかしら、節穴?)
呆れて半眼を台所内に巡らすと、丸めてある敷物が目に入った。端の方を捲っ
てみると、床と似たような見た目の敷物だった。成程、これを敷いて誤魔化し
ていたわけか。
そんな事より早く終わらせて帰りたい。吐き気がしてくる死臭に私は嫌気がさ
していた。
床の蓋を掴んで開けると、咽あがるような死臭に私は顔を顰める。蓋の先には
地下に続く急な階段が続いていた。深さはそれ程無かったが、混凝土で固めら
れた壁は薄ら結露しているのと暗いのとで気味が悪かった。
階段の先には直ぐ鉄扉があり、かなりの厚さがありそうだ。普通の扉だったら
蹴破ろうかと思っていたが、無理そう。諦めて取っ手に手を掛けて引き下げる
と、鉄扉を引く。
開き始めた鉄扉の隙間から漏れ出る臭気は、腐敗と汚物等が混じりあった強烈
な臭いだった。
(う、吐きそう。)
吐き気を堪えて、中に飛び込むとその惨状に眩暈がする。少女の尻に腰を押し
付けていたゴルネトが昨日見たままの笑顔で振り返った。胸糞の悪い光景に身
体がよろめく。
(違う、針!?)
右腕にちくりとした痛みを感じたので見てみると、小さな針が刺さっていた。
慌てて引き抜くと、左手で紅月を抜いて中和効果のある薬莢を入れて撃つ。
「即効性の麻酔針だよ。抜いても手遅れかな。」
少女の股から血と白濁した体液に塗れた陰茎を引き抜き、こちらに向かって歩
き始めてゴルネトは言った。そんな気はしたので、麻酔を中和する呪紋式を撃
ったんだが、効果が直ぐには出て来ない。
「それは無粋ですよ。」
突然ゴルネトが間合いを詰めて来て、私の左手を蹴って小銃を弾いた。直後、
耳元とでカチンという音が響く。
「自ら救いを求めて来る人がいるとは思いませんでした。それほど困っていた
のですね、僕は拒みませんので安心してください。」
ゴルネトの妄言は無視して首を確認すると、どうやら首輪を嵌められたらしい。
皮とかじゃない、特殊な繊維を使っているのだろうか、切れそうにない。とい
うか意外と素早い。
「あの娘の方が先約ですからね、あなたはそうですね、愛らしいペットくらい
がいいでしょう。」
何を言っているのかさっぱりわからない。ゴルネトはそう言うと、私に顔を近
づけてくる。気持ち悪い。死ぬ。
「おや、昼間アクセサリーを買っていたお姉さんじゃないですか。」
「・・・」
何?なんで分かったの?
「変装して僕の事を探っていたのかな?」
そう言って口の端を僅かだが吊り上げる。普段、気付かれる事はあまりないが、
こいつには直ぐに気付かれた。それだけ観察してるって事なのか。昼間のあの
気持ち悪い視線が、それを成しているのか。
「そこまでして救って欲しかったのかな?安心していいよ、毎日餌も出してあ
げるし、可愛がってもあげるからね。」
そう言うゴルネトの表情は聖人の様に柔和な笑みを作っていたが、瞳には愉悦
が浮かんでいるのが見えた。そして下向きになっていた陰茎が私の前で上向き
に反り立って行く。
「まず可愛がらないとね。その後に餌を出してあげるよ。」
ゴルネトは私の胸に向かって手を伸ばしてくる。
「ぉ、ぅ・・・おぇぇぇっ。」
我慢できなかった。というか我慢の限界を迎えていた吐き気を、堪えるのを止
めてゴルネトの腕に吐き掛ける。
「うわ。」
ゴルネトが慌てて手を引くが遅い。手を振って払いながら私を見る顔は、やは
り変化の無い笑みだった。
それより、やっと痺れが回復してきた。遅いな、もう。
「可愛がる前に、お仕置きの方が必要なようだね。」
何を想像しているのか知りたくもないが、陰茎を脈打たせてそう言うと、私の
顔に向かって右回し蹴りを放ってくる。普通の少女にしか振るってない暴力が、
私にも通用すると思っているのだろう。遅い。
「うがぁぁぁぁぁっ!」
私は足首を左手で掴むと、反り立った陰茎を右手の手刀で切断。そのまま右手
を拳に変えて、掴んでいる右足の膝を砕いた。
膝の激痛に転げ回るゴルネトは、自分の一部が無くなっている事にまだ気づい
ていないようだ。私は、首輪の鎖を手刀で切断すると、ゴルネトに近づく。
何時もなら直ぐ殺しているが、沸き上がってくる黒い感情がそれを行わせない。
周りに転がる少女だった物を見ると、こいつの顔を歪ませ世界を壊してやりた
いって思った。
「誰かを救いたいなら、無くても問題無いわよね?」
そう言って私は、陰茎が在った部分を指差す。ゴルネトは痛みに悲鳴を上げて
はいたが、やはり表情は笑みのままだった。その顔が、自分の陰茎が無くなり
血を流しているのを見ると、憤怒に豹変して行った。
「お前!何してくれてんだ!!」
凄い形相で起き上がろうとしたゴルネトの右眼窩にヒールを突き入れる。
「あぎゃぁぁっ!」
「動くと脳も損傷するわよ。」
圧迫されて半分飛び出した眼球の周りからは血が流れ始める。私は怜悧な視線
でゴルネトを見下しながら言った。
「一体、なんの目的で・・・」
「あぁ、これくらいじゃ救いにならないか。この部屋に居た少女は救いと言っ
てもっと酷い事されたんだろうなぁ。」
言ってヒールを少し深く押し込む。
「あぁっ!違・・・う、彼女らは、受け入れなかったから、ああなったんだ。」
無事な方の左目からは涙を流し、口からは涎を飛ばしながらゴルネトは言った。
「私の救いは受け入れてくれるのかしら?」
「分かった、だから、助けてくれ。」
左目は懇願するように私を見上げる。
「分かったわ。」
言うと同時に私は、右眼窩に突き入れてるヒールを一気に踏み抜く。頭蓋が割
れ血と脳漿が零れ、室内に絶叫が響き渡る。その声もやがて、痙攣と共に小さ
くなっていき、動かなくなった。
私は拘束されて、横たわっている少女に近づくと、少女は虚ろな瞳で私を見上
げて来た。その目からは止まる事無く涙が流れ続けている。状況が理解出来て
いないのか、何か言おうと口を開くが言葉が出て来ないようだ。
私は一度目を閉じてから開くと、気付かれない様に少女の首を撥ねた。虚ろな
瞳のまま宙を舞って、床を転がる少女の頭部は赤い尾と涙をを引いて止まった。
変わらない虚ろな瞳は、何が起きたか分からないまま光を失っていった。
ゴルネトを始末した私は、紅月を回収するとその場から一目散に立ち去った。
首輪は嵌めると自動施錠される物だったが、解錠の呪紋式で解除出来たので、
付けて帰る羽目にならなくて良かった。
帰ってから念入りにシャワーを浴びて全身を洗ったが、記憶にこびりついたの
か、何時までも臭いが消えなかった。忘れるように麦酒を飲んだが、解決には
ならなかった。
最後に見た虚ろな少女の瞳も、脳裏に焼き付いたままで消える事は無かった。
翌日、ザイランに報告しようと音声通信をしたら、他に話したい事があると言
うのでロンカット商業地区まで来ると言っていた。着いたら連絡が来る事にな
っているので、その間はお店をリュティにお願いした。
「疲れているようだけど、休まなくていいのかしら?」
私の顔を見てリュティが心配してくる。
「いいのよ。何もしていないと色々考えちゃうし。」
そう言って苦笑する私に、リュティは切なそうな表情をする。
「前々から、と言ってもハドニクスの時からしか知らないけど、司法裁院の仕
事はミリアに向いてないんじゃないかしら。」
「え?」
「だって、何時も辛そうだもの。」
そんな事を言われたのは初めてなので、若干戸惑った。だけど、そうなのかも
しれないが。
「ありがとう、でも私はもう退けないのよ。」
この業を捨てる事なんて出来はしない。人殺しは人殺しのままでしかない。だ
から、このまま往くしかないのよ。そんな私が逃げる事なんて許されはしない。
刻まれた記憶同様に。
「分かったわ。けれど、無茶はしないでよ。」
「ええ。」
リュティの表情から切なさは消えず、私も苦笑しか出来ていないけれど、時間
は無関係に流れていく。何も解決などしてはくれない。往くしかないのよ。
「そう言えば、薬莢の依頼在ったんだって?」
昨夜帰って来るまで待っていてくれたリュティから、報告を受けていた事を思
い出す。
「ええ。内容を確認して依頼者に連絡してあげて。内容から概ねの金額と所要
日数は伝えてあるけれど、確定した内容は連絡する事になっているわ。」
「分かった、ありがとう。助かるわ。」
リュティが差し出して来た注文書を受け取りながらお礼言う。実際リュティが
居てくれて助かるわ。居ない間にも主な収入源である薬莢の記述が受けられる
のは大きい。
それに、この間の一件で信用が落ちたのも事実。と言うのも「無許可だったの
かって」以前受けたお客さんから連絡が在ったり無かったり。直接来た人もい
た。連絡が在ったり直接来た人には、謝ってちゃんと取得済みである事を伝え
て、まだ取り引きしてくれるとは言って貰えたけれど。それでも頻度が減った
り、利用しなくなる人も居るだろうと考えると痛いところ。
まあ、自業自得なのだけど。
「じゃ、奥で詳細確認して連絡取っておくわ。」
「分かったわ。」
何時もの微笑で返事をしたリュティの表情に、先程までの切なさは残っていな
かった。私はリュティの返事に頷くと、店の奥へ移動した。
注文書を確認すると、麻酔の薬莢が二十発、依頼主は製薬会社の人らしい。製
薬会社の人間だからといって、悪事に利用しない保証はないが。だからといっ
て、その先まで気にしていたら何も出来ないし、気に掛ける義務まではない。
麻酔の薬莢二十発であれば、二日程で終わると思うが、少し余裕をみて連絡か
な。
私は依頼書に記載のあった人に音声通信をする。応答は直ぐにあったので、名
乗って挨拶をすると本題に入った。
「金額ですが、一発三万五千になります。二十発ですと七十万になります。」
「はい。」
「納期は四日です、この内容で問題無ければお受けしますが。」
いつも通り、金額と納期を伝える。交渉はなるべく受けないようにはしている
が、金額についは多少考慮してもいいと思っている。納期は却下。
「はい大丈夫です、よろしくお願いします。」
「ありがとうございます。」
特に何事も無く話しが進んだのでほっとする。
「いや、良かったです。依頼に行くときに無許可って話しを聞いたもので不安
だったのですが、お店に行ったら許可書が置いてありほっとしました。」
やっぱり影響あるわよね。
「すいません、不安を与えてしまい。」
「いえ、とんでもない。なかなか適正価格のところがありませんので助かりま
す。病院に薬を卸すついでに受けているのですが、こればかりは外注するしか
ないもので。」
ほう。と思うがそんな内情とか興味は無いのだけど。
「こちらこそ、ご利用頂きありがとうございます。」
「それでは、四日後に取りに伺います。」
「はい、お願いします。」
そこで音声通信を切断する。ふぅ、なんか疲れた。知らない人と話すと疲れる
わね。でも、仕事が受けられて良かったわ。音声通信が終わると、今度は呼び
出しが来た。
「着いたの?」
応答すると確認する。
「ああ。通信中だったみたいだが、大丈夫か? 」
あら、待たせちゃったかな。
「終わったところだから大丈夫よ。今行くわ。」
通信を切断すると、リュティに店番をお願いして外に出た。店の前に落ち着か
なそうにザイランが立っている。
「お店、入っていればいいのに。」
「この歳でアクセサリー店なんか落ち着かない。」
渋い顔でザイランが言った。
「いや、向かい。」
私はカフェ・マリノを指差して言う。
「ああ、そっちか・・・」
ザイランは勘違いをしたとばかりに額に手を当てる。お店としか言ってないか
らどうとでも取れるが、ちょっとしてやった気分。ふふん。
それはおいといて、私としては気にしないのだけれど、やっぱり気にするのか
しら。
「私のお店は薬莢の記述も受けてるから、入っても違和感無いんじゃない?」
マリノに促しながら私は聞いてみた。
「そうだとしてもな、抵抗感は拭えんな。」
そういうものなのね。
お店に入ると、一番奥の席が空いていたので陣取る。ザイランが本日の珈琲、
私は本日の紅茶を頼んだ。
「あいつの方は終わったんだよな?」
注文が終わったところでザイランが確認してくる。通信でも触れたが、ゴルネ
トの事だろう。
「ええ。昨夜ね。」
「そのうち通報が来るか。」
「そして報道ね。」
ザイランの仕事上の言葉を、私が世間的な内容で次ぐ。何れ、狂気の事件とし
て報道されると思うと、見たくないな。
「で、用件って何?」
頼んだ飲み物が来たところで、私は本題に入った。
「これを見てくれ。」
ザイランは背広の上着の内側から写真を取り出し、裏返しにして私に差し出す。
「ちょっと、事件に巻き込むつもりじゃないでしょうね?」
卓上で裏返っている写真には触れずに私は聞いた。ザイランが仕事以外で関わ
って来るとは思えないので嫌な予感がする。
「まあ、ただの聞き込みだと思って見るだけ見てくれ。」
嘘くさい。
「見るだけよ。」
念を押してゆっくり捲ってみる。
うげ。
私は見た途端、嫌悪感で顔を顰める。そこに写っていたのは頭が禿げ始めたお
っさんだが、首だけだ。眼球はなく、代わりに眼窩には。
「これって睾丸?」
「ああ。」
ザイランも何時も以上に渋い顔をして肯定する。
おっさんの顔は更に、鼻を削ぎ落とされ砕いた鼻骨の穴に陰茎が埋め込まれて
いた。私はそこで写真を伏せる。
「悪趣味どころじゃないわよ、これ。」
乙女になんてもの見せるのよ。
「見切れているが、写真の端に血文字があるだろう。」
ん、そんなの在ったかしら。見たくはないがもう一度確認すると、確かにあっ
た。
「に?」
「全文はニグレースだ。」
この前から聞いてきているあれが、この変死体の件だったのね。いや、巻き込
む気満々じゃないのこれ?
「だから知らないわよ。これ以上は出てこないし、巻き込まないでよ。」
「二週間くらい前に発見されたんだが、未だに手掛かりが見つからん。」
聞けよ!人の話し。既成事実を作る勢いで、捜索情報を漏らして巻き込んでく
るし。
「それでな。」
話しを続けようとするザイランに、私は笑顔で拳を突き付ける。
「殴るわよ。」
「ま、待て。なんだ突然。」
ザイランが驚いて、卓上に手を置いていたが、慌てて仰け反って椅子の背もた
れに背を預ける。
「巻き込まないでって言ってるでしょ、無視して話し進めないでくれる。」
「いや、話しくらい聞いてくれよ。」
「その前置きすらなく始めるのが悪いのよ。」
「あ、いや、すまん。」
一応謝るザイランだが、顔には不満が浮かんでいる。巻き込まれてるの私の方
なんですが。
「取り敢えず、聞くだけ聞いてもいいだろう?」
「まぁ、もう聞くしかないわね。」
私は諦めて言った。
「情報集めに協力してもらいたいんだ。もちろん、依頼料は払う。」
何を言っているんだ、このおっさんは。
「私は情報屋でもないし、伝手のある情報屋がいるわけじゃない。お店をやっ
ている一般人でしかないのよ。何処から情報が集まるって言うのよ。私に協力
を求めるくらいなら、五葉会に行った方がよっぽど有力な情報が得られるでし
ょう?」
つまり、私に依頼する意味がわからない。警察局だって情報屋くらい抱えてる
だろうし、五葉会にも権力で出入り出来る。他にも色々、一般人では手の出な
い場所に融通が利くだろうに。
「五葉会は法外な要求してくるのは目に見えてるからな、警察局的には却下だ。
それに、お前なら店に来た客に情報求めたり、俺の知らない伝手があるんじゃ
ないかと思ってな。」
そんなもの無いのだけど。お客さんに変な事を聞くのも嫌だし。
「あのポンコツ二人はどうしたのよ。」
そう言えば最近見かけていないので、思い出すのに時間が掛かった。
「当てにな・・・いや、別の仕事を任せている。」
今本音が出たわね。でも、言いたくなる気持ちは分かる。あの二人は役に立ち
そうな気がしないもの。
「片手間でいいんでしょ?」
しょうがないなぁ。
「ああ、構わない。こっちもそれほど払えるわけでもないしな。」
そういう話しならまだいいけど。お金貰って成果を上げられない結果になった
ら受けた事を後悔するだろうし。
「捜査資料は持ち出せないからな。後で局まで見に来てくれ。」
うわぁ、面倒臭い。
「必要になったら行くわ。」
「早めに来いよ。」
釘を刺された。わざわざ警察局まで出向くのが億劫なのよ。電車に乗って行か
なければならないし。
「前金じゃないが、ここの支払は俺が払っておく。」
安っ!
「ケーキ食べていい?」
ザイランのお金なら食べとこ。
「ん?ああ、いいぞ。」
よし、言質は取った。
「ミキちゃーん!」
よく居る店員を私は呼んだ。
「はいはい、ご注文ですか?」
ミキちゃんも慣れたもので、常連扱いしてくれる。
「ええ、本日の紅茶おかわりと、本日のケーキ三種類全部。と、お土産も。」
「おい!食い過ぎだろう。」
ザイランが慌てて止めに入る。
「かしこまりました。」
が、既に遅くミキちゃんは笑顔で注文を伝えに戻った。
「だって数は制限してないでしょ。」
「お前はなぁ・・・」
恨みがましい目で見てくるザイラン。それも一時だけで、何時もの表情に戻る
とミキちゃんの方を見る。
「知り合いなのか?」
「違うわよ。半年近くも向かいにお店構えてるのよ、顔見知りくらいにはなる
わ。」
「ああ、もうそんなに経つか。」
ザイランが一瞬遠い目をした気がするが、珈琲を飲み干す仕草でわからなくな
る。珈琲を飲み干すと、椅子から立ち上がった。
「俺はもう戻る、暇じゃないしな。金は払っておくからゆっくりしていけ。」
そう言うとザイランはさっさと会計に向かった。ま、ケーキ代の分くらいは動
いてあげようかなと思った。
「あ、ミリアさん!」
ケーキを堪能した私は、リュティに買ったお土産を持ってお店を出ようとした
ら、ミキちゃんに引き留められた。
「ん?どうしたの?」
「紅茶代、払ってください。」
は?
「さっきのおっさん、全部払ってないの?」
「はい。紅茶のおかわりは許可してないから、本人に払って貰えって言ってま
した。」
うわぁ、私に言うならまだしも、ミキちゃん巻き込まないでよ。恥ずかしいお
っさんね。私まで仲間と思われてしまうじゃない。死ね。
「迷惑掛けてごめんね。」
今度会ったら殴っておくから。と内心で言っておく。一応、私の事は向かいの
お店の店員程度の認識だろうから、その面は伏せておく。
「いえ、気にしないでください。面白かったです。」
何が面白いのか不明なのだけど、私は全然面白くない。
「じゃ、ご馳走様。」
「またお待ちしてまーす。」
私はカフェ・マリノを出ると、通りの向かいにある自分のお店へと戻った。
机に置いてある水差しから、グラスに水を注いで口に運ぶ。喉を潤すと、何時
もと変わらない微笑でリンハイアはアリータに話し掛ける。
「ユリファラはもう戻ったかな。」
「はい。既に法皇国オーレンフィネア内に居る筈です。」
アリータは語尾の方に若干力を込める。寄り道していなければと、含みを持た
せて。
「まあ、長居をお願いしているんだ。息抜きくらい好きにしても問題はないよ
。」
あの子の場合し過ぎなのよ、と内心で付けたしながら、アリータは調べていた
事を報告する。
「それと、カーダリア枢機卿ですが、二十年程前から故郷のボルフォンに移住
してからはひっそりと暮らしているようです。」
「現在の法皇庁は推進派が多い。カーダリア枢機卿は穏健派だからね、居ずら
いのだろう。」
アリータの報告に頷いて、リンハイアは現状を付け足す。
「ペンスシャフル国の五聖騎が瓦解した時、国境での紛争が激化しましたが今
は落ち着いているようです。」
「ペンスシャフル国は歴史も古いし大国だからね、その程度では揺らぎはしな
い。そのくらいは法皇ロードメルアンも分かっている。」
では何故、一時的にでも紛争が激化したのだろうと、アリータは疑問を浮かべ
る。法皇国オーレンフィネアは小国だ、隣国であるペンスシャフル国やバノッ
バネフ皇国が本気を出せば滅ぼせるくらいに。
「法皇国にも色々あるからね。」
リンハイアはそれ以上は語らなかった。やはり、何を見ているのかアリータに
は分からないが、最近いろんな所で起きた、若しくは起きている紛争や戦争が
関係しているのだろうかと、懸念した。何れ、固まればリンハイアの口から語
られるだろう内容にも。
「そういえば、バレッタを付けるようにしたのかい?」
アリータはバレッタを付けている事に触れらるとは思っていなかったが、気付
いてもらえた事に嬉しかった。
「はい、先日ミリアさんの所で購入したので、付けてみようかと思いまして。」
「そうか。似合っているよ。」
「あの、ありがとうございます。」
向けられたリンハイアの微笑みに、戸惑いながらもアリータは嬉しくなった。
「やられたわ。」
私はお店に帰って来ると、お客さんが居ないことを確認して、カウンター前に
設置している椅子に座って項垂れる。
「あら、駄目だったのね。」
「そうよ。」
私が落ち込んでいるにも拘わらず、リュティは相変わらず微笑のままだ。
私は司法裁院、と言っても表の方だが、その司法裁院のアイキナ裁判院から、
出頭依頼があって行ってきた。裁判院に行くことも、裁判の当事者になる事も
初めての体験だったが二度と体験したくない。むしろ、初体験自体するもんじ
ゃない。
以前、依頼で記述した薬莢が悪事に使われたそうで、警察局の捜査でそれが判
明した。薬莢には個別認識番号が記載されているから、誰が買ったか記録に残
っている。グラドリア国では三社しか製造を認めれていないが、当然それ以外
の、個別認識番号が無い薬莢を使用すれば違法だ。私は嫌なので正規品を買っ
ているのだが、今回はそれが仇となったわけだ。
薬莢の個別認識番号から私が買ったのは直ぐに知れる。記述して販売している
のも、捕まった奴から割れたわけだが、問題は記述した時期だ。記述の国家資
格を取得したのはつい最近なのだから、使われた薬莢は無許可時代に記述した
物になる。
当然、無許可は違法だ。つまり、直接事件とは関わりはないが、無許可記述で
罰金が発生し、支払い命令を受けたのが今回の顛末だ。考えが甘い、足りて無
かったのは認めるが悔しい。
「三百六十七万よ!ぼったくりにも程があるわ!」
私は言うと、カウンターを掌で打つ。アーランマルバへの出店が遠退いたわ。
ああ、本当に腹が立つ。高査官に掛け合って・・・無理ね。黒い事を考えたが、
逆に始末されそうなので、その考えは霧散させる。その前に掛け合う高査官が
いないのだから、掛け合う以前の問題だった。
「あら、それは結構な金額ね。」
表情を崩さずに言うリュティに苛っとする。もう、他人事だと思って。
「給料カットするわよ。」
私は言いながらリュティに半眼を向ける。
「横暴だわ。」
しかし、リュティの表情に変化は無い。そうですよ、自己責任ですよ。リュテ
ィが悪いわけじゃないのは判ってるけど、ちょっとくらい当たったっていいじ
ゃない。傷心の私を慰めるくらいの言葉を掛けてくれてもいいのに。と、自分
勝手な事を考える。だって悔しいもの。
「今後の事を考えると、弁護士が必要よね。」
今回の事で思い至ったのがそこだ。支払い命令をそのまま受け入れざるを得な
い状況になったのは、私にその考えが無かった所為だ。
「確かに、必要ね。」
私の言葉にリュティも同意する。
弁護士と言っても、企業みたいに顧問弁護士を雇う余裕なんかない。個人店な
のだから。何か在った時の為に動いてくれる、出来れば専属の弁護士がいい。
その伝手を作る必要があるわね。今回の件も、弁護士が入れば支払いを軽減出
来たかもしれない。現に司法裁院の人からそんな事を言われたのだから。
そこで初めて弁護士が必要だと思い知らされた事に対して、本当に自分の馬鹿
と嘆いた。
「ザイランに聞いてみようかしら。」
警察局の人間なら、伝手が在りそうだと思った。名案。伝手が無ければ、容疑
者側に弁護士の紹介とか出来ないと思うし、出来れば腕のいい弁護士の知り合
いとか居てくれたら嬉しいな。と、自分の都合の良い展開を期待する。
「私も、知人に当たってみるわ。」
そんな事を考えていると、リュティも探すのを手伝ってくれると言ってくれた。
「ほんと?居そうなの?」
リュティの知人関係や人脈は全く知らないが、得体の知れない存在と、司法裁
院の高査官から依頼受けるような立場なら、期待出来るかもしれない。両方と
も幾つかの候補が出てくれれば幸いだが、出なかったら探すの難しそうだなと
思う。
「期待はしないで。」
「うん、ありがと。」
リュティはそう言うが、申し出には感謝している。
弁護士探しは早めにやらなければならないが、それよりも先に依頼をどうにか
しなければ。今回の支払い命令で、私は高査官からの依頼を受けざるを得ない
方に心が傾いた。実際のところは断る方に向いていたのだが、今回の出費は痛
すぎる。
内容を確認して出来そうであればやるに越した事はないわけで。その依頼だけ
で補填は出来ないだろうが、多少は埋められるだろう。
「もう少しお店お願いしていい?ちょっと昨日来た仕事の詳細を確認したいの
よ。」
「いいわよ。」
司法裁院の依頼で接触して来たリュティは、当然私の仕事を知っている。本来
であれば他人に知られる事自体まずいのだけど、不思議な気分。そんな事を思
いながら、いつもの微笑で了承してくれたリュティを店に残し、私は住居区域
へと移動した。
部屋に戻って私は早速、昨日ザイランから渡され依頼書を確認する。取り敢え
ず何時もの依頼事の方から確認する事にして、依頼書を封筒から取り出す。
「間違えた、逆だったわ。」
小さくぼやいて、封筒が同じだから紛らわしいのよと内心で舌打ちする。高査
官からの依頼は封筒に戻し、もう片方の依頼書を取り出す。期限は特に指定さ
れてはいなかったが、成るべく早くとは書かれていた。まあ、家出少女を監禁
するような奴、私も放置なんかしておきたくない。
名前はゴルネト・ブナックス。顔写真を見る限りでは犯罪など犯しそうに無い
程優しそうな顔をしている。華奢な体つきで聖人のような顔をしたゴルネトは、
教会で説法でもしていたら似合ってそうなイメージだ。
収監された経緯は、少女の監禁殺害。
監禁だけじゃないのか・・・。
「こんな奴出すなよ。」
辟易した気分で言葉を吐いてから続きを確認する。捕まった経緯は、少女に捜
索依頼が出されており、小型端末に連絡が取れなくなったため、警察局が本腰
を入れて捜索。最後に声を掛けた目撃情報からゴルネト宅を捜索した結果、裸
で痣だらけの無惨な姿で発見されたらしい。
「殺しておけ、こんな奴。」
黒い感情から物騒な言葉を言いつつ続きを見る。司法裁院の情報からすれば、
二週間くらい前に刑期を終えて出所している。その出所当日に少女に声を掛け
て連れ立っている。
その時点で捕まえればいいのに。と思うが司法裁院にその権限は無い。
自宅に連れて行ってる様だが、深夜迄に出てきた形跡は無し。その時点で司法
裁院側の追跡は終了。捜査権限はなく、観察程度の権限では限界なのでしょう
ね。
後日警察局に依頼をしたが、局員が自宅を訪ねるも態度は良好で、少女が監禁
されている形跡も見当たらなかった。警察局で念のため巡回はしているが現在
の所、それらしい形跡は無し。家族から捜索依頼も出ていないため、踏みきっ
た捜査は出来ないらしい。
司法裁院では監視を継続、二週間近くで三人の少女を連れ帰っているが、やは
り当日中に出ては来なかった。
強制で踏み込ませたらいいのに。
しかし、巧妙になったわけだ。捜索依頼が出されていない。当時の自宅とは違
う場所で、不振な点もない。現在の住居の設計図を入手したが、警察局が確認
した以上の間取りは無し。ただ、司法裁院の呪紋式による地質調査では、地下
に空間があると判明。それだけで警察局は動けないため、というのが今回の依
頼内容だが。
(私に内定までしろってこと?)
居なかったらどうするのよ。ただの不法侵入じゃない。相変わらず、私に何か
しら無茶させたいようね司法裁院は。
しかし、どうしようか。私が家出少女の振りをして。
(無理!色んな意味で。)
やはり直接乗り込むしかないか、私はそういう事に頭を巡らせるタイプじゃな
いし。一度現地を確認はしに行こう。
で、高査官からの依頼はと。私はもう一つの封筒から、依頼書を取り出して詳
細を確認する。簡易的な事はこの前、ザイランと会った時に見ているが、精々
日程と対象人物程度だったから、詳細は未だ知らない。ただ、ネヴェライオ貿
易総社ってだけで気が引ける。前回のハドニクスもそうだが、高査官から来る
依頼は危険度が高いのかも知れない。そう考えると余計に。
五葉会の頂点に立つネヴェライオ貿易総社なんかに目を付けられたら、それこ
そ高査官に狙われるのと変わらない気がするわ。それこそ人生終わってしまう
じゃない。
取り敢えず中身を確認する、対象はウェレス・カールバンカ。うわぁ、ネヴェ
ライオ貿易総社の内情は知らないけれど、ロンカット商業地区では外海を含め
各地の流行品を扱うお店、特産品を扱うお店、また旅行店等含んだ総合ビルの
支店長を行っており、兼ネヴェライオ貿易総社内では四幹部の内の一角。
勘弁して欲しいわ・・・。
違法薬物や違法薬物の効果を記述した薬莢の売買、禁制品の取引。その辺は貿
易業が得意なネヴェライオ貿易総社ならではな気がするが、その後が問題。人
身売買から臓器販売まで当然の様に行っている。どうやらそこまで手を広げて
いるのはウェレスのみのようで、対象として挙がっていたようだ。
高利貸しを秘密裏に行い、払えない事を理由に家族や、臓器を売らせていると
の内容に、吐き気がする。いや、依頼が来る内容はどれもそうなのだけど。毎
回見る度に嫌になる。
そのウェレスは二週間後、王都アーランマルバにもロンカット商業地区と同様
のビルを建設しており、その開店記念式典に参加する。ちなみに、そのビルの
支店長も兼任とは、私の相手にしては大物過ぎる。
式典の前に、王都アーランマルバに前入りして、宿泊するホテルがニーザメル
ベアホテル。うげっ。
王都ホテル等、王家が貴賓の宿泊用として利用する幾つかのホテルがあるが、
それに次ぐランクのホテルだ。名前だけは聞いたことあるが、私なんか一生利
用する機会が無さそうなホテルだ。その宿泊時が今回の依頼の日程になってい
る。
(現地の担当にやらせてよ、そんなの。)
私は内心でぼやく。何故わざわざアイキナに居る私にやらせようとするかな。
どうせ人手不足とかネヴェライオ貿易総社の本拠がアイキナだからとか、色々
理由を付けてくる様な気はするのだけど。
ホテルの警備や当人の護衛を抜けて始末とか、無理なんじゃないかな。かなり
厳しい依頼よね、これ。あれか、私もホテルに宿泊すればいいのか、そうすれ
ばホテルの警備はある程度回避出来る。だけど高そうなんだよね、経費とかで
落ちないだろうし。
それとも、ロンカット商業地区にお店出してて、王都アーランマルバにも店舗
を出す予定だから、それを利用して接触するとか。いや、こんな流行らない店
と関わろうとしないだろうな。そもそもそれなら、王都アーランマルバで行う
必要も無い。
しかし、私の面が割れるのが駄目だな、この案は却下ね。それに、そんなビル
にお店を持ちたいわけじゃないし。
んー、考えが纏まらない。まあ、この件に関しては少し時間的に余裕があるし、
追々考えるとして、今は目先の依頼から考えよう。
既に受ける気で考えていた私は、断る事が出来る事も忘れて考えを巡らしてい
た。
「お店戻るか。」
依頼に関しては明日から動く事にして、と思いそう呟くと私は依頼書を封筒に
戻し、仕舞って店舗へと戻った。
「おね、がい、かえして・・・」
壁から伸びる鈍色の鎖の先には首輪。その首輪には人間の首が嵌まっている。
その鎖に繋がれた少女が四つん這いになり、身体を揺さぶられながらも切れ切
れに言葉を発した。裸の少女の身体は、四肢を問わず痣が無数に浮かび上がっ
ている。少女の左瞼は紫色に腫れ上がり眼球が殆ど隠れていて、見る事さえま
まならない様だ。鼻や口からは乾いた血が黒い筋を描いており、乾いた涙の跡
を新たな涙が流し、黒い筋を滲ませている。荒い呼吸で閉じられない口腔から
は、涎が垂れ流される。
「家出、したのは、君じゃん。」
定期的に響く肌がぶつかる音の中、その少女を愉悦の目で見下ろしている痩せ
細った青年が、息も荒く少女の願いを否定した。青年は少女の身体を抑えなが
ら続ける。
「僕は君に、居場所を、提供して、いるんだ。」
恍惚とした顔で続ける青年。そうする事が当たり前の様に、善意でありその見
返りが当然だと言うように。
「いや、かえして・・・」
少女は繰り言の様に、解放を乞う。幾度繰り返したのか分からない言葉を、た
だただこの状況から逃れたい一心で繰り返す。
「一体、何が不満、なんだ!」
青年は愉悦の瞳を蔑みに変え、怒りに顔を歪めながら少女の背後から打ち付け
る腰の動きを激しくする。呼吸が荒くなり、激しさに少女は繰り言が発せなく
なる。やがて青年が絶頂に達すると、少女から陰茎を引き抜いて立ち上がった。
支えを失った少女は横倒しになり、乾いた血に塗れた内太腿を、股の間から溢
れた白濁の体液が汚していく。
「僕がこんなに親切にしているのに!くそ!」
青年は嚇怒の瞳を少女に向けて吠えると、力なく倒れた少女の腹部を蹴りつけ
る。
「ぁああっ!・・・」
蹴りつける。
「ぅぐっ!!・・・」
くぐもった悲鳴を上げて少女は身体を九の字に折り曲げて腹部を押さえる。
蹴りつける。
「ぃいっっ・・・」
腕の上から更に蹴られる衝撃に、苦痛で顔が酷く歪む。無事な方の右目は何故
自分がこんな目に遭うのかと、恐怖と憎悪が入り乱れる。
「うぅ・・・かえして・・・」
それでも少女は、その目から止まる事の無い涙を溢れさせながら懇願した。
「黙れ!」
青年は痣だらけになった少女の太腿踏みつける。
「あぐっぁ・・・ぁ・・・」
腹部を庇った腕は恐怖から動かす事が出来ずに、少女は身体を捩って痛みに悶
える。
「どいつもこいつも、僕を否定しやがって!」
青年は部屋の中を見渡しながら喚く。部屋の中には、同じく鎖に繋がれた三人
の少女が転がっていた。その誰もが既に事切れており、変色して異臭を放って
いる死体もあった。身体は何れも酷く損傷しており、手足が折れ曲がっていた
り、裂傷が切り刻まれていたり様々だった。
床は至る処に黒い染みを残し掃除された形跡はない。身体から垂れ流された糞
便も片付けられた様子はなく、部屋の中は強烈な臭気が充満していた。青年は
その光景を一瞥すると、中空に視線を止める。
「仕方ない、新しい娘を助けに行こう。」
青年は思い至ると笑顔を作って呟いた。その顔は聖人の様に、慈愛を携えたよ
うな笑顔だった。その笑顔を少女に向けると優しく言葉を発する。
「僕を受け入れられ無かった君は、僕から離れるしかないけど大丈夫。神はき
っと受け入れてくれるよ。」
青年は聖人のような笑顔のまま少女に言った。
「かえして、くれる、の?」
少女は力なく聞くが、期待を持ったのか顔から恐怖が微かに薄れた。
「ああ、解放の時間だよ。」
青年は両手を左右にあげ、大仰に言って見せると、少女の首を踏み抜いた。頸
椎の砕ける音が部屋に木霊し、緩んだ膀胱から糞尿が垂れ流される音が静かな
部屋を汚していく。見開かれた少女の目は光を失い何も映さなくなった。
「さあ、救いを求めている子を探しに行かないと。」
青年の表情は変わる事なく、優しく言うと異臭が漂う部屋を後にした。
殺風景な部屋の中で二人の男女が片付けをしていた。部屋の中に家具はあるが、
生活感が無い。そう感じさせるのは、生活必需品が無いからだろう。男性の見
た目は平凡だが、女性は可愛らしい見た目に愛らしさを感じさせる。大きな鳶
色の瞳が、女性を幼く見せており愛らしさに拍車をかけているようだ。
男性の方が一息付くように、額にじんわりと浮かんだ汗を腕で拭うと、女性の
方に顔を向ける。
「もうすぐ、アルメイナの故郷に行けるのが楽しみだよ。」
女性、アルメイナは窓際で荷物を詰める手を止める。窓から差し込む陽射しに、
瞳と同じ鳶色の髪を煌かせ、男性に向き直ると微笑んだ。
「何も無いのよ、本当に。でも、ヤミトナとなら楽しく過ごせるわ、きっと。」
アルメイナの言葉に、ヤミトナも優しく微笑み返す。
「僕はアルメイナとなら、何処でも生きていけるよ。」
アルメイナは手に持っていた本を、箱の中に入れると立ち上がった。
「少し、休憩にしましょう。」
「そうだね。」
アルメイナの言葉に、ヤミトナも同意した。アルメイナは台所に移動すると、
お湯を沸かし始める。
「手伝うよ。」
後を追ってきたヤミトナが、棚から紅茶の茶葉を取り出しながら言った。
「ありがとう。しかし、大分片付いたわね。」
「うん、もう少しだ。」
ティーカップを出しながら言ったアルメイナに、ティーポットに茶葉入れなが
ら応じるヤミトナ。お互いの優しい微笑みは、お互いに幸せを感じているよう
だ。向き合う表情に、言わずともそれが浮かんでいた。
「もう荷物は殆ど送り終わったし、今詰めているので最後ね。」
「ああ。そうしたら此処を引き払って、ウェレスさんに挨拶して出発だ。」
笑顔で応じたヤミトナだったが、アルメイナはその言葉に少し表情を曇らせる。
「話しの分かる方で良かったのだけど、ヤミトナには痛い出費をさせてしまっ
たわ。」
ヤミトナは左右に首を振ると、優しく微笑む。
「始めから分かっていた事だし、アルメイナと出会ってからは覚悟も決めてい
た。そのために用意したのだから、アルメイナが気に病む必要はないよ。」
「ありがとう、ヤミトナ。」
アルメイナはそう言うと、ヤミトナに近づいて腰に手を回すと、抱きしめてヤ
ミトナの胸に顔を埋める。ヤミトナはアルメイナの肩を優しく抱いて受け入れ
た。
「ずっと一緒よ。」
「もちろんだよ。」
小さく溢したアルメイナの囁きに、ヤミトナは力強く頷いて抱きしめる手に力
を込める。そこでお湯が沸いた音が鳴る。アルメイナはヤミトナから離れると、
優しく微笑んだ。
「さあ、お茶にしましょう。」
「ああ。」
ティーポットにお湯を注いだアルメイナを、ヤミトナは後ろから優しく抱きし
めた。
薄暗い部屋で何時も通りリュティは机に座っている。組んでいる足も何時も通
り宙に浮いているが重力は感じさせない。
「お前から呼び出しとは珍しいな。」
簡素な椅子に座ったクスカが口を開く、眉間には皺を作りながら。その表情に
はこれから聞く内容はろくなもんじゃないと、想像している様だった。
「ちょっと聞きたい事があるだけなのよ。そんなに険しい顔をしないで欲しい
わ。」
リュティは心外そうに言うが、表情は何時も通りの微笑を浮かべている。
「聞いただけで災禍に巻き込まれた事もあるんだが。」
リュティの言葉にもクスカは表情を変えずに言った。
「あれは私の所為じゃないわ、不可抗力でしょう。それを私が原因みたいに言
われるのは悲しいわ。」
その言葉で、クスカの表情が険しくなる。
「何を言う、お前の一言がきっかけで・・・まあいい。過ぎた事を言っても始
まらん。」
リュティの瞳に浮かんだ切なさが目に入り、クスカはやれやれというように首
を左右に振ると、自分から振った話題を打ち切った。
「で、その聞きたい事とはなんだ?」
「弁護士を探しているのよ。出来れば有事の際には専属で担当してくれる。」
クスカに促され、リュティは本題を切り出した。その内容にクスカは顔をしか
める。
「また厄介事じゃないだろうな。確かに業務上、知り合いの弁護士はいくつか
心当たりはあるが、何かあった場合こちらにも火の粉が降りかかるのはごめん
なんだが?」
リュティを見据えながら言ったクスカ目には、先程の話しじゃないが厄介事は
ごめんだとはっきりと浮かんでいた。
「違うのよ。今何か起きている訳じゃ無いわ。経営上、問題が起きたときに担
当してくれる弁護士の伝手が欲しいだけなのよ。」
「経営上?」
リュティからは出そうに無い単語にクスカは疑問顔になる。が、直ぐに自体を
察して険しい表情になった。
「そう言えば、あの娘の処に居座っているらしいな。」
「そうよ。」
クスカの険しい表情を気にするでもなく、リュティは頷いた。
「確かあの娘は装飾品だかの店を開いていたな。大方、その店で経営上問題が
在ったから、今後に備えてなんだろう?」
「その通りだわ。」
クスカの推察をリュティは肯定する。リュティの表情は何時もの微笑は消え、
真面目な表情になっていた。
「であれば、この話しは断る。」
クスカは目を閉じると、断言した。
「どうしてかしら?」
懇願が多少見え隠れするリュティの瞳を、クスカは鋭い視線で見返す。
「あの娘に関しては勝手にしろと言った筈だ。其処で起きた問題をこちらに持
ってくるのは止めてもらおう。」
「弁護士を紹介して欲しいだけなのよ。」
「駄目だ。」
リュティが懇願するも、クスカは頑として受け入れない。
「勝手にしたのは、お前だろう。困ったからと言って頼るのは虫が良すぎる。
間接的とは言え接点が出来るのは、受け入れるわけにはいかない。」
「そう、分かったわ。」
リュティは肩を落としながらクスカの拒否を受け入れた。クスカの言っている
事ももっともで、断れるのも予想の範疇だったが、実際にその言葉を聞いてし
まうと衝撃ではあった。
「勝手にしたんだ、自分でなんとかするんだな。ただ、当て付けで他の仕事に
支障を来すのは止めてもらおう。」
「そこまで子供じゃないわよ。」
悲しさを瞳に浮かべたまま、リュティは視線を床に落とした。
「用件がそれだけなら、私はこれで失礼する。」
クスカはそう言うと椅子から立ち上がる。何時もの様に、リュティの我が儘で
圧力を掛けられるかと思っていたクスカは、懸念だったかと小さく嘆息した。
流石にそこまで傲慢ではないかと。
クスカが部屋を出る時まで、リュティはそれ以上口を開かなかった。
「役に立てなかったわ。」
独りになったリュティの言葉は、寂寥を帯びて部屋の中で消えて行った。
私はゴルネトの住むデギリガヌ住宅街に来ていた。住宅街と言っても閑静さは
無く、雑居ビルや店舗、住居用ビルに平屋などが入り雑じり雑多な街を作り出
している。ロンカット商業地区からは電車で三十分程の距離にあり、割と近い。
私は昔使っていた黒目コンタクトと、黒淵眼鏡で久々の地味な格好で変装して
きた。何故なら今は昼間で、探りに来ただけだから。当然、移動も電車で来た
し、お店もリュティに任せてきた。今の状況を考えれば、リュティがお店に来
たことは良かったと思っている。まあ、得体は知れないが。
しかし司法裁院め、偵察までさせないでよ。
いや、もしかすると他の担当は当たり前の様にやらされているのかも知れない。
例えばザイランがそういうの回して無かっただけとか。今度聞いてみよう。
ゴルネトの自宅は賃貸らしいが、二階建ての一軒家と依頼書には記載してあっ
た。表通りから一本裏の通りでデギリガヌ駅からは徒歩五分という悪くない立
地だ。出所前に伝手を使って借りていたらしいが、それについての情報は記載
されていない、無関係という事なのだろう。
表通りと言うだけあり、住居よりも店舗が多かったが、一本通りを外れると、
雑多さが増していた。その中に目的の一軒家は在ったが、どう見ても普通の家
だ。廻りにある家と変わりが無く、庭にある植物が枯れているわけでもなく、
人が住んでいるのか不明な様に窓掛等で締め切ってあるわけでもない。廃墟の
ようなものを想像していたが普通過ぎる。
怪しまれない様に通り過ぎながら周囲を確認するが、監視出来るような喫茶店
が無い。食堂等はあるが、食べたら出るしかないし、食べてる途中や食べる前
に出るのも不自然と考えれば、向いているとは言えない。
何度も往復したら目立つだけだし、どうしたものか。
丁度、考えが行き詰まり途方に暮れようかとした時、小さなアクセサリー店を
見つけた。興味が惹かれ覗いて見ると、お店には三十歳くらいの男性が中から
私に気付くと笑顔を向けてくる。
「いらっしゃい。手作りだからね、欲しいのやこんなのあるかなぁって思った
ら声掛けてね。」
眼鏡の奥から優しい瞳をを向けてくる。ブラウンの髪は背中まで伸ばしている
が、首の後ろで一纏めにしてあるのでこざっぱりとしている。同じ瞳の色が、
余計に優しい印象を醸し出しているのかもしれない。無精髭すらもそれに一役
買っているような気さえした。
「え、手作り。」
そんな見た目より、私と同じ手作りのアクセサリーってところが気になった。
「そう、一応僕が作っているんだ。」
見る限りどれも、丁寧に作られているのか、派手さは無いが丁寧で綺麗な作り
をしていた。参考に少し買っていきたいところだけど。どうしようか。あまり
アクセサリーに魅入って本末転倒な結果になっては意味がない。
「地味な私に合うのは、あるでしょうか?」
とはいえ、他にやることもないから、いくつか買おう。
「ありますよ。お姉さん美人ですからね、色々合うと思います。」
営業とはいえ、お世辞も大変だ。ただ、美人と言われ悪い気はしないので、否
定はしないでおこう。
「この辺なんかどうですか?」
店員が幾つか並べてくれたのは、ネックレスやブレスレットなど身に着けやす
いものだった。欲しいのは欲しいが、手作り品だと身に着けるのが難しい。分
かる人には何処のお店で買ったか分かるだろうし。普段の私が身に着けたとし
て、普通の人は気付かないが作った本人は売った覚えの無い人が着けていると
訝しむだろう。貰い物と言われればそれまでだが。
「これと、これください。」
結局買うのだけど。
「ありがとうございます。」
「あと、あのバンスクリップも。」
横の棚に在ったバンスクリップも気になったので買う事にした。普段の髪型用
の参考に。最近は前みたいに地味な女性を演じる事は無くなったし、いや今日
は特別だけど。髪型はテールアップが基本になっているから、ハンズクリップ
はちょっと欲しかったのよね。
「はい。」
店員は私が示した品を、個別に包装する。お会計をして、店員が一つの袋に纏
めているところで、目的の人物が家から出てきたのを横目で確認。
(お、私運がいいな。)
「はい、お買い上げありがとうございました。」
内心で幸運に喜んでいたところへ、袋を店員が渡してくる。少し吃驚した。
「あ、ありがとうございます。」
「またお越しください。」
私は軽く会釈をして、笑顔で渡してくる店員から商品を受けとると、ゴルネト
の方へ歩き出す、不自然ではない流れだ。買い物が終わって、デギリガヌ駅方
面へ向かっているのだから。
向かってくるのはゴルネトだと、顔がはっきりと視認出来たところで、ゴルネ
トが私を一瞥する。気付かない振りですれ違ったが、私に向けられた絡み付く
ような視線は後方に行くまで向けられていた気がする。顔は司法裁院の資料に
あった写真のままで、聖人のような微笑みを浮かべている。
すれ違った際に気付いたが、間違いなく死臭を漂わせていた。シャワーでも浴
びたのだろうか、洗剤の匂いはしていたがこびりついた死臭は誤魔化せない。
吐き気が込み上げてくる。
その臭いを纏っていると言うことは、死体と一緒に居るということだ。つまり、
家出した少女はもう生きてはいないだろう。振り向いて今すぐ殺してやりたい
衝動に駆られるが堪える。振り向いたら気付かれる気がしたから。あの絡み付
くような視線は、物色していたのか、油断していない証なのか分からないけれ
ど、私も油断は出来ない。
取り敢えずゴルネトは黒だと判断出来る。後は在るかも知れない地下室だが、
どうしようかな。デギリガヌ駅に向かいながら思案しているとパスタのお店が
目に入る。気分じゃないが入って落ち着こうと思った。
お店に入ると茹でたパスタの匂いがして、少し気分が落ち着いた。
私は茄子とモッツァレラチーズのトマトパスタを注文すると、ゴルネトの事は
振り払う様に戦利品の確認をする事にして、買ったアクセサリーの包装を開け
る。買った物はネックレスとピアスとバンスクリップだが、戦利品を見ていい
買い物をしたと気分が良くなった。その時、お店に客が入って来たので。横目
で確認するとゴルネトだった。
(何故あいつが此処に?)
反対方向に行ったんじゃ。
離れた席に座ったが私を見ている視線は感じられた。もしかしてばれている?
いや、初対面で気付くとも思えない。ただ、ベイオスみたいに知っていて接触
して来た奴も居た事を考えれば、その懸念は払拭出来ない。
(接触したのは失敗だったか?)
内心で焦りが膨らんで来たとき、丁度注文していたパスタが運ばれて来る。と
りあえず口にするが、味を楽しむ余裕は無かった。払拭出来ない懸念と、時折
向けられる視線が気持ち悪くて。
食べ終えて店を出ると、私はデギリガヌ駅に向かって帰路に着いた。お店を出
た後はゴルネトの気配は感じ無かったので、たまたまご飯が被っただけなのか
も知れない。向こうにしてみれば、普段通り生活していただけなのだろう。そ
う、あの場所に住んで居るゴルネトにとっては。
(私が気にし過ぎただけか。)
電車の中でそんな事を考えていたら、疲労感が増して来た。なんか、無駄に疲
れた。やっぱりこういうのは私に向いていない。司法裁院がちゃんと調べてお
いてくれればこんな苦労しないのに。滅べ。
「そうなんだ、理解して貰えないのは腹が立つよね。」
少女の横でゴルネトは親身に話しを聞いていた。
「うん。だから飛び出して来た。」
家での事を思い出してか、少女の表情と瞳には憤慨が浮かんでいる。歳の頃な
ら十三、十四くらいの少女は、家を飛び出したと言ってはいるが、持ち物は小
さなトートバッグしか持っていない。
「それでも、親御さんは心配しているんじゃないのかい?」
「それは無いよ。」
少女はゴルネトの懸念をきっぱりと否定した。それでも我が子の心配をしない
親など居ないだろうと、ゴルネトは続ける。本来であればと。
「心配しない親御さんは居ないんじゃないかな。」
しかし、ゴルネトの言葉に少女は首を振った。
「無いよ。以前、一週間家出した時も心配どころか、一週間も何処ほっつき歩
いていた!って殴られたし。」
少女は昔の事を思いだし、怒りに声を荒げる。その言葉を聞いたゴルネトは口
の端を僅かに吊り上げるが、ゴルネトを見ていない少女の目には、その狂気は
映ることが無かった。例え見ていたとしても気付かなかったかも知れない。周
囲から見ても、分からない程に動かしただけだった。
「それで、家を出てどうするんだい?」
ゴルネトの質問に、少女は両親に対する憤慨は消え、変わりに不安が表情に現
れた。
「わかんない。前は友達のところに泊めてもらったりしたけど、何回かお願い
すると色んな理由を付けて断られるようになった。」
ゴルネトは愉快そうに目を細める、あくまで気付かれない程度に。愉悦にまみ
れた表情は楽しくて堪らないと歪めたいが、まだその時ではないと堪える。
「そうなんだ。」
「お金もないし、泊まる所もないし。だけど帰りたくもないし。」
ゴルネトの態度に少女の言葉は消沈していく。
(やはり、僕の救いが必要な娘は溢れている。この娘はきっと僕の救いが必要
に違いない!)
ゴルネトはその思いから、表情が歪みそうになるがまだ堪える。
「何処かお店入ろうか。ご飯でも食べたら少し気分が落ち着くかも知れない。」
「そのお金が無いって言ってるでしょ!」
少女はゴルネトを睨みつけて、提案を拒否する。
「僕が出すだけだから気にしなくていいよ。」
その優しい笑みに、噛み付いた自分に羞恥を感じて少女は目を逸らす。
「そこまでしてもらう理由もないし。」
「無理にと言っているわけじゃない。僕がそうしたいだけだから。」
ゴルネトはそう言うと、立ち上がって少女に笑みを向ける。その聖人のような
笑みに、少女も釣られるように立ち上がった。
「じゃ、ご飯食べながら考える。」
(やはり、僕の救いが必要だったんだね。)
内心に沸き上がる快楽を堪えながら、ゴルネトは優しい笑みを少女に向けたま
ま、頷いた。
2.「救うのも救われるのも、自分だけでしかない。」
お店に戻るとリュティが暇そうにしていた。まあ、お客さんが居ないので暇な
のだろう。店員が暇そうにしているとお客さんが入ってない店と思われるから
止めて欲しいのだけど。する事無いなら、掃除なりケース磨いたりあるでしょ
う、とか言いたい。が、そんな事を言う気力は無かった。
「あら、おかえり。」
リュティは言った後、私を見て怪訝な顔をする。
「何か嫌な事でも在ったの?」
と聞いてきた。顔か態度に出ていたのだろうか。収穫はあったが、いい気分で
無いのは間違いない。ゴルネトの存在が不気味過ぎて暗鬱となったのは間違い
ないのだから。
「ちょっとね。」
「そう。」
話す気にならない私の心情を察したのか、リュティはそれ以上聞いて来なかっ
た。別に話したくないとかではない、単に話しをする気力が無いだけで。悪い
気もするけど、今は一人で何かしていたい気分だった。
「このままお店お願い。」
「ええ。」
「作業してるから、何か在ったら呼んで。」
「分かったわ。」
私のお願いを特に何を言うでもなく、リュティは了承してくれた。店番をして
くれているお陰で、私は開店中でも作成の方に取り掛かれるのは有り難い。
「あ、そういえば。」
店の奥に行こうとした私をリュティが引き留める。
「何?」
私が何かと聞き返すと、リュティは悲しそうな表情をした。
「ごめんなさい。昨夜知人をあたったのだけど、弁護士の件は駄目だったわ。」
その事か。一朝一夕でどうにかなる事でもないし、こればかりは時間を掛けて
ちゃんと探すしかないわね。取り敢えず伝手をあたるところから始めるってだ
けで。だからリュティが気に病む事でもないし、そもそも私の問題なのだから
逆に申し訳ない。
「気にしなくていいわ。私のお店の問題だもの、ゆっくり探すわ。」
とは言ったが、悠長にしていられる問題でもないのだけど。次の問題が暫く起
きないなんて保証はないのだから。
「そう、ありがとう。」
リュティは何時もの微笑でそう言ったが、表情に若干の曇りが在ったのは気の
せいではないだろう。
「じゃあ、奥に居るね。」
リュティが頷くのを見て、私は店の奥に入った。まずは、作業の前にザイラン
に通信ね。弁護士の件、聞いてみないと。
私は小型端末を取り出すと、音声通信でザイランを呼び出す。間もなく応答が
あった。
「どうした?」
相変わらず低めの声で応答する。どうせ渋い表情をしているのでしょうね。
「少し時間いい?」
「ああ、構わん。今は急ぎの用も無いからな。」
要は暇って事か。私の店も暇だし。まあそれは置いといて。
「ザイランの知り合いに、有事の際に個別で対応してくれる弁護士いない?」
「何だ突然、揉め事か?」
私の問い掛けに訝しむ様な問いが返ってくる。まあ、質問が藪から棒過ぎるわ
よね。私はこの間の一件をかいつまんで説明した。
「成る程な。確かに個人で都合のいい弁護士を探すのは難しいだろう。」
そうなのよね。ザイランが察してくれて良かったわ。今の私に他に当ては無い
し。一から探すのは大変そうだし、良い弁護士に巡り合える可能性も低そう。
知り合いの伝手からなら、信頼も出来そうだから。
「まあ、何人か当たってみるが、あまり期待はしないでくれ。」
「ええ、ありがとう。助かるわ。」
良かった。見付かったらもっと良いのだけど、そこまで楽観視するわけにはい
かない。
「用はそれだけか?」
「もうひとつ。」
どちらかと言えば、今の気分はこっちが本題なのよね。司法裁院が依頼してく
る業務は、何処までが範囲なのか気になる。そもそも、今までと同じで場所と
時間の指定があって、実行するだけなら楽でいいに決まっている。
そもそも、私がやっている事って警察と変わらないんじゃないかって疑問なの
だけど。それだったら、危険人物特別措置依頼じゃなく名前を変えて、それに
合った担当を使えばいいだけだ。
「あっちからの依頼だけど、今回の普通の方の内容を確認した?」
「ん?ああ、一通り目は通したぞ。」
目を通しただけ?ってことは、今までもこんな事があったってことかしら?
それとも本当に何も考えずに読んだだけってことかしら。
「今までもこんな依頼ってあった?」
「何の事だ?いつも通りだろ。」
ああ、後者か、この役立たずめ。内心で罵っておく。
「本当に読んだ?依頼内容が捜索するところからみたいな、内容になってるわ
よ。」
「そうなのか?」
んー、いまいち伝わってないかな。
「今まで無かったのよ。相手も場所も時間も決まってたし。それが今回は場所
が未定な上に、実際に事に及んでいるかすら不確定なのよ。」
少し沈黙が流れる。
「そんな内容だったか?監禁してるって書いてあったし住所も書いてあった気
がするが。」
こいつは。
「ちゃんと読んでないじゃん!」
またも沈黙。これは今までの事を聞いても確証は得られないわね。いい加減な
んだから、実行するのは私なのに。
「いや、すまん。」
今更謝られてもな。
「ただ、確認含めてって依頼ならたまに在るぞ。」
「え?そうなの?」
それは知らなかった。どうやら呆けているわけではなさそう。そういうのが在
った事自体初耳だわ。
「送ったことなかったか?」
「無かったから聞いてるんでしょ。」
ああ、そういう事。意図的に配分しているわけでも、私に気を遣ったわけでも
ない。単に何も考えてなかったわけね。でもまあ、聞きたいことは聞けたから
いいわ。つまり、ザイランの怠慢ってわけね。
「次会った時、覚えてなさいよ。」
「なんでそうなる!?」
通信の向こうで、理不尽だという思いと呆れが混じったような声が上がる。
「さっきすまんって言ってたじゃない。非は認めてるわけよね。」
うん、つまりザイランが悪い。
「お前なぁ。悪かったと言ってるんだからいいじゃないか。」
うわぁ、酷い。また逃げようとするのね。
「苦労してるのは私なのよ。」
「それも依頼のうちだろうが。」
依頼内容云々ではなく、私が苦労したくないのよ。
「知ってたら断ってるわよ、面倒だもの。」
正直、その場でちゃんと説明してくれていたら受け取ってなんかいないわ。
「たまたまだろうが。そもそも何時も郵送なんだから、事前には知らないだろ
うが。」
ぐぅ。それを言われると。ザイランめ、正論で攻めて来るなんて余計な頭を使
ってくれるわね。
「分かったわよ。」
しょうがない。心の中だけで折れておく。
「断るで思い出したんだが、もう一つの依頼はどうするんだ?」
ん?ああ、ネヴェライオの方か。こっちに気を取られて頭の隅に追いやられて
いたようだ。
「受けるわよ。さっき話した件で、痛手を受けたからね。」
「それは自業自得と言うんだ。」
うっさいわね。言われなくても分かってるわよ、一言多いんだから。まあ、事
情は分かったし、依頼内容についてはしょうがないのね。
「取り敢えず聞きたい事は聞けたし、ありがとう。」
「いや、構わん。それとこの前も聞いたが、二グレースについて何か耳にした
か?」
あ、忘れてた。
「いえ、何も。」
「そうか。ならいい。まあもし、聞いたら連絡をくれ。」
「分かったわ。」
「もう用は無いんだろ?」
「ええ。」
そこでザイランとの音声通信は終了した。
やるしかないのは分かったけど、これ以上何かを調べるのも厳しいわね。とい
うか思い付かない。もう一度デギリガヌまで行くか?いや、これ以上顔を見ら
れたくないし。
(やっぱり直接乗り込むしかないか。)
そう考え、内心で嘆息すると私は薬莢の準備を始めて、その後にアクセサリー
の作成に取り掛かった。
デギリガヌ住宅街の夜は、本通りは明るいが一つでも路地に入ったり通りが外
れるとと仄暗い。店舗があるとしても、個人店が多いので閉まっている。民家
の明かりも疎らで、就寝している家も多いようだ。二十三時ともなれば、起き
ている家も減ってくるだろう。
電車で三十分程度の距離なので、いつも通り身体強化の呪紋式を撃ち込んでこ
こまで走って来た。
目的の家はまだ起きているのか、一階に電気が点いていた。二階は電気が点い
ていないので、私は二階から侵入する事にした。まさか、わざわざ電気を消し
て侵入者を待ち伏せしているとも思えない。用心深そうなので、罠とかあるか
も知れないが。
通りに人が居ないことを確認して、私はゴルネトが住む家の庭に入った。幸い、
高い建物も電気が点いている家も、周りにはない。闇に紛れて跳躍すると、私
は静かに一階部分の屋根に着地して、窓に近づいた。
「ぅええぇぇっ・・・」
「もう、床を汚さないで欲しいな。」
「ぶぐぇ・・・」
ゴルネトは嘔吐する少女の腹部を蹴る。目が覚めた少女は、周囲の惨状と臭気
で胃の内容物が逆流し、床にぶち撒けた。蹴られた衝撃で嘔吐物を引きながら
横倒しになる。
「なに?これ・・・」
出会った時と変わらず聖人の様な笑みを浮かべているゴルネトに、困惑と恐怖
の目を向ける。
「君、僕と一緒に居るって言ったじゃないか。二時間程前に。」
「え・・・」
少女は記憶を辿る。確かゴルネトと食事して、カフェでゆっくり話している時
に泊めてくれると言うので家に来た。夕食を食べて食後のお茶を飲みながら歓
談している時に眠くなって。
「え?」
それでも状況が飲み込めない。
「僕が何時までも居ていいよと言ったら、ありがとうって言ってたじゃないか
。」
「・・・」
そんな会話は確かにした。ただこの状況がなんなのか理解出来ない。廻りに横
たわっている裸の少女達はなんなのか。この臭いは。
「ぅ、おえぇぇ・・・」
そこで再び強烈な臭気を身体が拒絶するかのように吐き気が込み上げ、少女は
嘔吐した。
「だから、床は汚さないでと言ってるじゃないか。」
言いながらゴルネトは少女の顔を蹴る。弾けた少女の頭部は、何かに引き留め
られる様に急に止まる。
「ぐえっ・・・」
少女は首に感じた強烈な絞め付けに、手を首に添えると何か着いていることに
初めて気が付いた。それは首輪で、鎖が壁から伸びている。鎖が長さの限界を
迎えた事で絞められたのだと気付いた。
「なに、これ・・・」
少女は痛む頬に顔を歪めながら、ゴルネトに疑問と先程より濃くなった恐怖の
目を向ける。ゴルネトの変わらない微笑みに畏怖さえ感じた。
「まだ頭が起きていないのかな?君は僕と此処で暮らすんだよ。」
「い・・・いやっ!」
未だに状況は理解出来ないが、心がはっきりと拒絶して、叫びとなって少女の
喉から迸った。
「大丈夫。今は困惑しているだけだよ。」
ゴルネトは少女の前で腰を落とすと、優しく肩に手を置いて言った。
「いやぁっ。」
少女はゴルネトの手を振り払って離れようとするが、首が絞まって動けずに苦
しむ。両手で必死に首輪を外そうともがくが、苦しいだけだった。
「痛いな。」
ゴルネトは振り払われ右手を軽く振ってみせる。
「少し落ち着こうか。」
ゴルネトは少女に近づいて、両手で肩を優しく押さえる。
「いや、いや、いや・・・」
少女は首を左右に振り、それから逃げるように身体を捩って抜け出すと、壁の
方に後退りした。
「家を出て此処に居る事を望んだのは君だよ。」
ゴルネトは近づきながら、諭すように言う。
「こんな・・・ちが・・・」
壁に当たり、後が無くなっても後ずさる動作は止まる事なく、望んでなんかい
ない恐怖に首を振り続ける。溢れる涙が散る程に拒絶を表しながら。
「心配しなくても、居続ける限り大切にしてあげるよ、君が望んだように。」
「・・・」
再びゴルネトが両肩に手を置くが、逃げる事が出来ず、恐怖で言葉も出ずに少
女は首だけを振り続ける。
「可愛がってあげるから。」
ゴルネトは言うと、少女の着ていたシャツを破りながら引き下げる。
「いやああああぁぁっっぶっ!」
悲鳴を上げた直後に、左頬に来た衝撃に目が眩む。続く激痛に頭が白くなる。
「静かにしようか。」
優しく微笑むゴルネトが右拳を握っている。出会った時と同じ微笑みなのに、
激変した行動に意味が分からなかった。訳の分からない狂気に脳が思考を停止
する。こんな事になるなら、家出なんかするんじゃなかったと、後悔が駆け巡
る。
「あぐっ・・・」
少女はいつ身体を反転させられたか分からなかったが、顔を壁に押し付けられ
悲鳴が漏れた。殴られた際に切れた口の端から流れる血が、壁に赤い糸を描く。
「いいいいぃぃぃぃっっ!」
続いて来た下腹部から突き上げるような痛みに少女は絶叫する。ゴルネトが無
理矢理陰茎を突き入れた事による痛みだった。ゴルネトが腰を動かす度、溢れ
た血が床に落ち、内太腿をに赤い糸を引く。
「ぉ、おぇ・・・」
恐怖と身体に侵入してきた異物に吐き気が込み上げ、耐え切れずに少女は嘔吐
した。吐瀉物が口から溢れ、顎を伝って床に撒かれる。
「汚すなって言ってるよね。」
「んぐっ・・・」
頭を壁に叩きつけれられ、悲鳴を上げた少女は、親の暴力を思い出していた。
今に比べればましに感じてしまう、何故自分は家出したのだろう、家に帰りた
いと、揺れる意識の中で現実を拒否するように思考に逃避した。
「大丈夫、僕が救ってあげるから。」
聖人のような笑みで、腰を振り続けながら言うゴルネトの言葉は、少女には届
いていなかった。
二階の部屋に侵入した私は、静かに部屋の扉に向かう。寝台や服の収納室があ
るからおそらく寝室あたりだろう。人の気配は無いので、音を立てずに扉に辿
り着くと静かに開ける。建付けが悪くなく、手入れもされているのか音は鳴ら
なかった。
そう言えば、窓も特に音はならなかった。施錠はされていたので呪紋式による
開錠はしたが。発動時の白光は気になるが、周囲に人がいる気配も、建物から
見られている感じもしなかったので大丈夫だろう。
二階の廊下に出ると、階段を見つけ一階に降りていく。電気は点いているが人
の気配は感じられない。用心しながら灯りの点いている部屋を確認すると、居
間のようだった。誰も居ないので無視。
次に灯りが点いていたのは台所だった。二階の廊下に出た時から、微かに漂っ
ていた死臭が台所に入ると強く感じられた。
(怪しいわね。)
と、思ったが探すまでもなく台所の床には四角く線の入った場所があった。明
らかにその部分だけ切り取ったような。
(何で警察局はこれに気付かないのかしら、節穴?)
呆れて半眼を台所内に巡らすと、丸めてある敷物が目に入った。端の方を捲っ
てみると、床と似たような見た目の敷物だった。成程、これを敷いて誤魔化し
ていたわけか。
そんな事より早く終わらせて帰りたい。吐き気がしてくる死臭に私は嫌気がさ
していた。
床の蓋を掴んで開けると、咽あがるような死臭に私は顔を顰める。蓋の先には
地下に続く急な階段が続いていた。深さはそれ程無かったが、混凝土で固めら
れた壁は薄ら結露しているのと暗いのとで気味が悪かった。
階段の先には直ぐ鉄扉があり、かなりの厚さがありそうだ。普通の扉だったら
蹴破ろうかと思っていたが、無理そう。諦めて取っ手に手を掛けて引き下げる
と、鉄扉を引く。
開き始めた鉄扉の隙間から漏れ出る臭気は、腐敗と汚物等が混じりあった強烈
な臭いだった。
(う、吐きそう。)
吐き気を堪えて、中に飛び込むとその惨状に眩暈がする。少女の尻に腰を押し
付けていたゴルネトが昨日見たままの笑顔で振り返った。胸糞の悪い光景に身
体がよろめく。
(違う、針!?)
右腕にちくりとした痛みを感じたので見てみると、小さな針が刺さっていた。
慌てて引き抜くと、左手で紅月を抜いて中和効果のある薬莢を入れて撃つ。
「即効性の麻酔針だよ。抜いても手遅れかな。」
少女の股から血と白濁した体液に塗れた陰茎を引き抜き、こちらに向かって歩
き始めてゴルネトは言った。そんな気はしたので、麻酔を中和する呪紋式を撃
ったんだが、効果が直ぐには出て来ない。
「それは無粋ですよ。」
突然ゴルネトが間合いを詰めて来て、私の左手を蹴って小銃を弾いた。直後、
耳元とでカチンという音が響く。
「自ら救いを求めて来る人がいるとは思いませんでした。それほど困っていた
のですね、僕は拒みませんので安心してください。」
ゴルネトの妄言は無視して首を確認すると、どうやら首輪を嵌められたらしい。
皮とかじゃない、特殊な繊維を使っているのだろうか、切れそうにない。とい
うか意外と素早い。
「あの娘の方が先約ですからね、あなたはそうですね、愛らしいペットくらい
がいいでしょう。」
何を言っているのかさっぱりわからない。ゴルネトはそう言うと、私に顔を近
づけてくる。気持ち悪い。死ぬ。
「おや、昼間アクセサリーを買っていたお姉さんじゃないですか。」
「・・・」
何?なんで分かったの?
「変装して僕の事を探っていたのかな?」
そう言って口の端を僅かだが吊り上げる。普段、気付かれる事はあまりないが、
こいつには直ぐに気付かれた。それだけ観察してるって事なのか。昼間のあの
気持ち悪い視線が、それを成しているのか。
「そこまでして救って欲しかったのかな?安心していいよ、毎日餌も出してあ
げるし、可愛がってもあげるからね。」
そう言うゴルネトの表情は聖人の様に柔和な笑みを作っていたが、瞳には愉悦
が浮かんでいるのが見えた。そして下向きになっていた陰茎が私の前で上向き
に反り立って行く。
「まず可愛がらないとね。その後に餌を出してあげるよ。」
ゴルネトは私の胸に向かって手を伸ばしてくる。
「ぉ、ぅ・・・おぇぇぇっ。」
我慢できなかった。というか我慢の限界を迎えていた吐き気を、堪えるのを止
めてゴルネトの腕に吐き掛ける。
「うわ。」
ゴルネトが慌てて手を引くが遅い。手を振って払いながら私を見る顔は、やは
り変化の無い笑みだった。
それより、やっと痺れが回復してきた。遅いな、もう。
「可愛がる前に、お仕置きの方が必要なようだね。」
何を想像しているのか知りたくもないが、陰茎を脈打たせてそう言うと、私の
顔に向かって右回し蹴りを放ってくる。普通の少女にしか振るってない暴力が、
私にも通用すると思っているのだろう。遅い。
「うがぁぁぁぁぁっ!」
私は足首を左手で掴むと、反り立った陰茎を右手の手刀で切断。そのまま右手
を拳に変えて、掴んでいる右足の膝を砕いた。
膝の激痛に転げ回るゴルネトは、自分の一部が無くなっている事にまだ気づい
ていないようだ。私は、首輪の鎖を手刀で切断すると、ゴルネトに近づく。
何時もなら直ぐ殺しているが、沸き上がってくる黒い感情がそれを行わせない。
周りに転がる少女だった物を見ると、こいつの顔を歪ませ世界を壊してやりた
いって思った。
「誰かを救いたいなら、無くても問題無いわよね?」
そう言って私は、陰茎が在った部分を指差す。ゴルネトは痛みに悲鳴を上げて
はいたが、やはり表情は笑みのままだった。その顔が、自分の陰茎が無くなり
血を流しているのを見ると、憤怒に豹変して行った。
「お前!何してくれてんだ!!」
凄い形相で起き上がろうとしたゴルネトの右眼窩にヒールを突き入れる。
「あぎゃぁぁっ!」
「動くと脳も損傷するわよ。」
圧迫されて半分飛び出した眼球の周りからは血が流れ始める。私は怜悧な視線
でゴルネトを見下しながら言った。
「一体、なんの目的で・・・」
「あぁ、これくらいじゃ救いにならないか。この部屋に居た少女は救いと言っ
てもっと酷い事されたんだろうなぁ。」
言ってヒールを少し深く押し込む。
「あぁっ!違・・・う、彼女らは、受け入れなかったから、ああなったんだ。」
無事な方の左目からは涙を流し、口からは涎を飛ばしながらゴルネトは言った。
「私の救いは受け入れてくれるのかしら?」
「分かった、だから、助けてくれ。」
左目は懇願するように私を見上げる。
「分かったわ。」
言うと同時に私は、右眼窩に突き入れてるヒールを一気に踏み抜く。頭蓋が割
れ血と脳漿が零れ、室内に絶叫が響き渡る。その声もやがて、痙攣と共に小さ
くなっていき、動かなくなった。
私は拘束されて、横たわっている少女に近づくと、少女は虚ろな瞳で私を見上
げて来た。その目からは止まる事無く涙が流れ続けている。状況が理解出来て
いないのか、何か言おうと口を開くが言葉が出て来ないようだ。
私は一度目を閉じてから開くと、気付かれない様に少女の首を撥ねた。虚ろな
瞳のまま宙を舞って、床を転がる少女の頭部は赤い尾と涙をを引いて止まった。
変わらない虚ろな瞳は、何が起きたか分からないまま光を失っていった。
ゴルネトを始末した私は、紅月を回収するとその場から一目散に立ち去った。
首輪は嵌めると自動施錠される物だったが、解錠の呪紋式で解除出来たので、
付けて帰る羽目にならなくて良かった。
帰ってから念入りにシャワーを浴びて全身を洗ったが、記憶にこびりついたの
か、何時までも臭いが消えなかった。忘れるように麦酒を飲んだが、解決には
ならなかった。
最後に見た虚ろな少女の瞳も、脳裏に焼き付いたままで消える事は無かった。
翌日、ザイランに報告しようと音声通信をしたら、他に話したい事があると言
うのでロンカット商業地区まで来ると言っていた。着いたら連絡が来る事にな
っているので、その間はお店をリュティにお願いした。
「疲れているようだけど、休まなくていいのかしら?」
私の顔を見てリュティが心配してくる。
「いいのよ。何もしていないと色々考えちゃうし。」
そう言って苦笑する私に、リュティは切なそうな表情をする。
「前々から、と言ってもハドニクスの時からしか知らないけど、司法裁院の仕
事はミリアに向いてないんじゃないかしら。」
「え?」
「だって、何時も辛そうだもの。」
そんな事を言われたのは初めてなので、若干戸惑った。だけど、そうなのかも
しれないが。
「ありがとう、でも私はもう退けないのよ。」
この業を捨てる事なんて出来はしない。人殺しは人殺しのままでしかない。だ
から、このまま往くしかないのよ。そんな私が逃げる事なんて許されはしない。
刻まれた記憶同様に。
「分かったわ。けれど、無茶はしないでよ。」
「ええ。」
リュティの表情から切なさは消えず、私も苦笑しか出来ていないけれど、時間
は無関係に流れていく。何も解決などしてはくれない。往くしかないのよ。
「そう言えば、薬莢の依頼在ったんだって?」
昨夜帰って来るまで待っていてくれたリュティから、報告を受けていた事を思
い出す。
「ええ。内容を確認して依頼者に連絡してあげて。内容から概ねの金額と所要
日数は伝えてあるけれど、確定した内容は連絡する事になっているわ。」
「分かった、ありがとう。助かるわ。」
リュティが差し出して来た注文書を受け取りながらお礼言う。実際リュティが
居てくれて助かるわ。居ない間にも主な収入源である薬莢の記述が受けられる
のは大きい。
それに、この間の一件で信用が落ちたのも事実。と言うのも「無許可だったの
かって」以前受けたお客さんから連絡が在ったり無かったり。直接来た人もい
た。連絡が在ったり直接来た人には、謝ってちゃんと取得済みである事を伝え
て、まだ取り引きしてくれるとは言って貰えたけれど。それでも頻度が減った
り、利用しなくなる人も居るだろうと考えると痛いところ。
まあ、自業自得なのだけど。
「じゃ、奥で詳細確認して連絡取っておくわ。」
「分かったわ。」
何時もの微笑で返事をしたリュティの表情に、先程までの切なさは残っていな
かった。私はリュティの返事に頷くと、店の奥へ移動した。
注文書を確認すると、麻酔の薬莢が二十発、依頼主は製薬会社の人らしい。製
薬会社の人間だからといって、悪事に利用しない保証はないが。だからといっ
て、その先まで気にしていたら何も出来ないし、気に掛ける義務まではない。
麻酔の薬莢二十発であれば、二日程で終わると思うが、少し余裕をみて連絡か
な。
私は依頼書に記載のあった人に音声通信をする。応答は直ぐにあったので、名
乗って挨拶をすると本題に入った。
「金額ですが、一発三万五千になります。二十発ですと七十万になります。」
「はい。」
「納期は四日です、この内容で問題無ければお受けしますが。」
いつも通り、金額と納期を伝える。交渉はなるべく受けないようにはしている
が、金額についは多少考慮してもいいと思っている。納期は却下。
「はい大丈夫です、よろしくお願いします。」
「ありがとうございます。」
特に何事も無く話しが進んだのでほっとする。
「いや、良かったです。依頼に行くときに無許可って話しを聞いたもので不安
だったのですが、お店に行ったら許可書が置いてありほっとしました。」
やっぱり影響あるわよね。
「すいません、不安を与えてしまい。」
「いえ、とんでもない。なかなか適正価格のところがありませんので助かりま
す。病院に薬を卸すついでに受けているのですが、こればかりは外注するしか
ないもので。」
ほう。と思うがそんな内情とか興味は無いのだけど。
「こちらこそ、ご利用頂きありがとうございます。」
「それでは、四日後に取りに伺います。」
「はい、お願いします。」
そこで音声通信を切断する。ふぅ、なんか疲れた。知らない人と話すと疲れる
わね。でも、仕事が受けられて良かったわ。音声通信が終わると、今度は呼び
出しが来た。
「着いたの?」
応答すると確認する。
「ああ。通信中だったみたいだが、大丈夫か? 」
あら、待たせちゃったかな。
「終わったところだから大丈夫よ。今行くわ。」
通信を切断すると、リュティに店番をお願いして外に出た。店の前に落ち着か
なそうにザイランが立っている。
「お店、入っていればいいのに。」
「この歳でアクセサリー店なんか落ち着かない。」
渋い顔でザイランが言った。
「いや、向かい。」
私はカフェ・マリノを指差して言う。
「ああ、そっちか・・・」
ザイランは勘違いをしたとばかりに額に手を当てる。お店としか言ってないか
らどうとでも取れるが、ちょっとしてやった気分。ふふん。
それはおいといて、私としては気にしないのだけれど、やっぱり気にするのか
しら。
「私のお店は薬莢の記述も受けてるから、入っても違和感無いんじゃない?」
マリノに促しながら私は聞いてみた。
「そうだとしてもな、抵抗感は拭えんな。」
そういうものなのね。
お店に入ると、一番奥の席が空いていたので陣取る。ザイランが本日の珈琲、
私は本日の紅茶を頼んだ。
「あいつの方は終わったんだよな?」
注文が終わったところでザイランが確認してくる。通信でも触れたが、ゴルネ
トの事だろう。
「ええ。昨夜ね。」
「そのうち通報が来るか。」
「そして報道ね。」
ザイランの仕事上の言葉を、私が世間的な内容で次ぐ。何れ、狂気の事件とし
て報道されると思うと、見たくないな。
「で、用件って何?」
頼んだ飲み物が来たところで、私は本題に入った。
「これを見てくれ。」
ザイランは背広の上着の内側から写真を取り出し、裏返しにして私に差し出す。
「ちょっと、事件に巻き込むつもりじゃないでしょうね?」
卓上で裏返っている写真には触れずに私は聞いた。ザイランが仕事以外で関わ
って来るとは思えないので嫌な予感がする。
「まあ、ただの聞き込みだと思って見るだけ見てくれ。」
嘘くさい。
「見るだけよ。」
念を押してゆっくり捲ってみる。
うげ。
私は見た途端、嫌悪感で顔を顰める。そこに写っていたのは頭が禿げ始めたお
っさんだが、首だけだ。眼球はなく、代わりに眼窩には。
「これって睾丸?」
「ああ。」
ザイランも何時も以上に渋い顔をして肯定する。
おっさんの顔は更に、鼻を削ぎ落とされ砕いた鼻骨の穴に陰茎が埋め込まれて
いた。私はそこで写真を伏せる。
「悪趣味どころじゃないわよ、これ。」
乙女になんてもの見せるのよ。
「見切れているが、写真の端に血文字があるだろう。」
ん、そんなの在ったかしら。見たくはないがもう一度確認すると、確かにあっ
た。
「に?」
「全文はニグレースだ。」
この前から聞いてきているあれが、この変死体の件だったのね。いや、巻き込
む気満々じゃないのこれ?
「だから知らないわよ。これ以上は出てこないし、巻き込まないでよ。」
「二週間くらい前に発見されたんだが、未だに手掛かりが見つからん。」
聞けよ!人の話し。既成事実を作る勢いで、捜索情報を漏らして巻き込んでく
るし。
「それでな。」
話しを続けようとするザイランに、私は笑顔で拳を突き付ける。
「殴るわよ。」
「ま、待て。なんだ突然。」
ザイランが驚いて、卓上に手を置いていたが、慌てて仰け反って椅子の背もた
れに背を預ける。
「巻き込まないでって言ってるでしょ、無視して話し進めないでくれる。」
「いや、話しくらい聞いてくれよ。」
「その前置きすらなく始めるのが悪いのよ。」
「あ、いや、すまん。」
一応謝るザイランだが、顔には不満が浮かんでいる。巻き込まれてるの私の方
なんですが。
「取り敢えず、聞くだけ聞いてもいいだろう?」
「まぁ、もう聞くしかないわね。」
私は諦めて言った。
「情報集めに協力してもらいたいんだ。もちろん、依頼料は払う。」
何を言っているんだ、このおっさんは。
「私は情報屋でもないし、伝手のある情報屋がいるわけじゃない。お店をやっ
ている一般人でしかないのよ。何処から情報が集まるって言うのよ。私に協力
を求めるくらいなら、五葉会に行った方がよっぽど有力な情報が得られるでし
ょう?」
つまり、私に依頼する意味がわからない。警察局だって情報屋くらい抱えてる
だろうし、五葉会にも権力で出入り出来る。他にも色々、一般人では手の出な
い場所に融通が利くだろうに。
「五葉会は法外な要求してくるのは目に見えてるからな、警察局的には却下だ。
それに、お前なら店に来た客に情報求めたり、俺の知らない伝手があるんじゃ
ないかと思ってな。」
そんなもの無いのだけど。お客さんに変な事を聞くのも嫌だし。
「あのポンコツ二人はどうしたのよ。」
そう言えば最近見かけていないので、思い出すのに時間が掛かった。
「当てにな・・・いや、別の仕事を任せている。」
今本音が出たわね。でも、言いたくなる気持ちは分かる。あの二人は役に立ち
そうな気がしないもの。
「片手間でいいんでしょ?」
しょうがないなぁ。
「ああ、構わない。こっちもそれほど払えるわけでもないしな。」
そういう話しならまだいいけど。お金貰って成果を上げられない結果になった
ら受けた事を後悔するだろうし。
「捜査資料は持ち出せないからな。後で局まで見に来てくれ。」
うわぁ、面倒臭い。
「必要になったら行くわ。」
「早めに来いよ。」
釘を刺された。わざわざ警察局まで出向くのが億劫なのよ。電車に乗って行か
なければならないし。
「前金じゃないが、ここの支払は俺が払っておく。」
安っ!
「ケーキ食べていい?」
ザイランのお金なら食べとこ。
「ん?ああ、いいぞ。」
よし、言質は取った。
「ミキちゃーん!」
よく居る店員を私は呼んだ。
「はいはい、ご注文ですか?」
ミキちゃんも慣れたもので、常連扱いしてくれる。
「ええ、本日の紅茶おかわりと、本日のケーキ三種類全部。と、お土産も。」
「おい!食い過ぎだろう。」
ザイランが慌てて止めに入る。
「かしこまりました。」
が、既に遅くミキちゃんは笑顔で注文を伝えに戻った。
「だって数は制限してないでしょ。」
「お前はなぁ・・・」
恨みがましい目で見てくるザイラン。それも一時だけで、何時もの表情に戻る
とミキちゃんの方を見る。
「知り合いなのか?」
「違うわよ。半年近くも向かいにお店構えてるのよ、顔見知りくらいにはなる
わ。」
「ああ、もうそんなに経つか。」
ザイランが一瞬遠い目をした気がするが、珈琲を飲み干す仕草でわからなくな
る。珈琲を飲み干すと、椅子から立ち上がった。
「俺はもう戻る、暇じゃないしな。金は払っておくからゆっくりしていけ。」
そう言うとザイランはさっさと会計に向かった。ま、ケーキ代の分くらいは動
いてあげようかなと思った。
「あ、ミリアさん!」
ケーキを堪能した私は、リュティに買ったお土産を持ってお店を出ようとした
ら、ミキちゃんに引き留められた。
「ん?どうしたの?」
「紅茶代、払ってください。」
は?
「さっきのおっさん、全部払ってないの?」
「はい。紅茶のおかわりは許可してないから、本人に払って貰えって言ってま
した。」
うわぁ、私に言うならまだしも、ミキちゃん巻き込まないでよ。恥ずかしいお
っさんね。私まで仲間と思われてしまうじゃない。死ね。
「迷惑掛けてごめんね。」
今度会ったら殴っておくから。と内心で言っておく。一応、私の事は向かいの
お店の店員程度の認識だろうから、その面は伏せておく。
「いえ、気にしないでください。面白かったです。」
何が面白いのか不明なのだけど、私は全然面白くない。
「じゃ、ご馳走様。」
「またお待ちしてまーす。」
私はカフェ・マリノを出ると、通りの向かいにある自分のお店へと戻った。
机に置いてある水差しから、グラスに水を注いで口に運ぶ。喉を潤すと、何時
もと変わらない微笑でリンハイアはアリータに話し掛ける。
「ユリファラはもう戻ったかな。」
「はい。既に法皇国オーレンフィネア内に居る筈です。」
アリータは語尾の方に若干力を込める。寄り道していなければと、含みを持た
せて。
「まあ、長居をお願いしているんだ。息抜きくらい好きにしても問題はないよ
。」
あの子の場合し過ぎなのよ、と内心で付けたしながら、アリータは調べていた
事を報告する。
「それと、カーダリア枢機卿ですが、二十年程前から故郷のボルフォンに移住
してからはひっそりと暮らしているようです。」
「現在の法皇庁は推進派が多い。カーダリア枢機卿は穏健派だからね、居ずら
いのだろう。」
アリータの報告に頷いて、リンハイアは現状を付け足す。
「ペンスシャフル国の五聖騎が瓦解した時、国境での紛争が激化しましたが今
は落ち着いているようです。」
「ペンスシャフル国は歴史も古いし大国だからね、その程度では揺らぎはしな
い。そのくらいは法皇ロードメルアンも分かっている。」
では何故、一時的にでも紛争が激化したのだろうと、アリータは疑問を浮かべ
る。法皇国オーレンフィネアは小国だ、隣国であるペンスシャフル国やバノッ
バネフ皇国が本気を出せば滅ぼせるくらいに。
「法皇国にも色々あるからね。」
リンハイアはそれ以上は語らなかった。やはり、何を見ているのかアリータに
は分からないが、最近いろんな所で起きた、若しくは起きている紛争や戦争が
関係しているのだろうかと、懸念した。何れ、固まればリンハイアの口から語
られるだろう内容にも。
「そういえば、バレッタを付けるようにしたのかい?」
アリータはバレッタを付けている事に触れらるとは思っていなかったが、気付
いてもらえた事に嬉しかった。
「はい、先日ミリアさんの所で購入したので、付けてみようかと思いまして。」
「そうか。似合っているよ。」
「あの、ありがとうございます。」
向けられたリンハイアの微笑みに、戸惑いながらもアリータは嬉しくなった。
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