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24 焦り
しおりを挟む穏やかな雪解けを迎え、そして、春──。
陰陽の巫女が示した弥生の吉日。
宮廷の天廟で公主・水蓮の降嫁の儀が執り行われ、史龍様は無事に氷翠殿の元へと嫁がれていった。
宮廷にとりあえずの平穏が訪れ、後宮も落ち着きを取り戻している。
だけど、僕の体は不安定なまま。
霜月の発情のあとなかなか次の発情が来ず、もしかしたらと期待したけれど、懐妊したわけではなかった。
「恐れながら、蓉華妃様は初めての発情のあとすぐに懐妊、流産され、お体への負担が大きすぎたのかと。」
「薬で発情を起こすことは出来ないか?」
「今の状態で薬を飲まれると、お体を傷め、更に懐妊が難しくなるかと。」
「そうか……。」
「初めての発情から周期が安定するまでは、通常でも一年ほどかかるもの。出来るだけお心安らかに、ゆるりと過ごされませ。」
蜻蛉にそう言われはしたけれど、僕は華妃だ。
主上にこれほど寵愛されお渡りいただきながら、子を産めなければ立場が揺らぐ。
案の定、後宮に妃嬪が少なすぎる。奥宮にもっと迎え入れるべきだとの声は、次第に露骨に僕の耳にも届くようになってきていた。
僕の焦りは、次第に恐怖へと変わり始める。
──このまま懐妊出来なかったら、皇后の座に就くなんてとても無理だ。もし、主上の寵愛が他へ移ってしまったら……!?
ちょうどこの頃、孝龍様は暴君の仮面を脱ぎ捨て、精力的に政務をこなしておられた。
意図したわけではなかったのだと思う。
けれど、お渡りはぐんと減っていて、僕の頭の中は負の感情で溢れかえり始めていたんだ。
「どうしてこんなに主上のお渡りがない?今はお世継ぎが第一なのはおわかりのはずでしょう!?」
華妃として、他に聞かれでもしたら、足元を掬われる言葉だとはわかってはいた。
それでも今は、涼華殿の東屋で雀玲と葵だけ。
僕が我慢できずに苛立ちをぶつけると、雀玲はただ静かに葵に言った。
「申し訳ありませんが、しばらく蓉華妃様と二人にしていただけますか?」
「雀玲、何を勝手に!」
「葵殿、後はお任せ下さい。」
雀玲の言葉に葵は何も言わずに下がっていく。
「雀玲っ!」
僕が怒りのままに立ち上がったその時──。
雀玲は僕の前に玻璃の手鏡を差し出したんだ。
鏡に映る怒りに歪んだ僕の顔。鋭い目つきのその顔は、確かに見覚えがあった……。
雀玲の髪が朱色に燃え、黄金の瞳が僕の戸惑いを見透かす。
「朱寧。お前は今、どんな顔をしている?」
「雀玲、僕……ぼ、くは………。」
──白雪だ……。こんなの、白雪と一緒だ……!
「朱寧は、何故子を欲す?何故上に立つ?」
体中から力が抜ける。ガックリと膝をつき、僕は震える手で顔を覆った。
「僕、いつの間にこんな、醜く……?我が子を、権力の道具にしようとしてた……。そんな、恐ろしいこと……考えて……?」
雀玲が子供の頃みたいに、僕をふわっと抱き上げる。
コツンと額と額を合わせると、ふいに懐かしい笑顔を見せてくれた。
僕を叱ったあと、雀玲はいつもこうして抱っこして、額を合わせて見つめてくれた。
幼い僕に与えてくれた、温もりの記憶……。
「朱寧、宮廷は魔窟だ。無垢で純粋な者ほど、じわじわと闇に蝕まれ気付けない。」
「ごめんなさい、雀玲……ごめんなさいっ!」
「いいんだよ、朱寧。お前はこうして己を恥じることが出来る。お前を闇に落とさぬために、私はいるんだ。」
「うん……。」
「朱寧はいつまでも、私の愛しい子だ。ずっと側にいる。だからたまには、ただの朱寧に戻れ。」
「……雀玲……僕も、大好きだよ……雀玲……。」
僕の目から零れ落ちたのは、浄化の雫……。
頭の中の黒い靄が晴れていく。
あぁ、いつの間にかこんなにも、春の香りが満ちていたんだ……。
「雀玲、僕、ちょっと最初に戻って来ていい?」
「蓉華妃様のお心のままに……。」
内侍頭の雀玲が静かに頭を下げていた。
「藤の庭……。ただ来るのは、いつ以来だろう……。」
僕は、まだ色を持たない藤棚の下に佇む。
ここで刺繍をしていて、『藤の君様』に初めてお会いした。
──そう、僕が恋したのは、藤の君様だった……。
あの方が見初めて下さったのも、妃ではなく、僕だったんだ。
孝龍様を想い、胸が痺れるように熱くなる。
満たされて空を仰げば、小さな蕾があちこちに……。
──大丈夫。大切に想っていれば、きっと芽吹く……。きっと……!
「朱寧?」
「……えっ?」
あの日と同じだ。あの場所に、薄紫のあの方がいる。
どうして?なんてそんなこと、どうでもよかった。
愛しい方が目の前いる。僕の全て……愛する番……。
僕は夢中で駆け出した。
ただ一筋に、その胸に飛び込む。
「藤の君様!」
「ん?どうしたのだ?随分と懐かしい名で呼ぶな?」
「愛しています……あなたを……ただ……!」
「朱寧?……ああ。私もだよ。……寧……。」
孝龍様の首に腕を絡め、背伸びをして口づけた。
こんなに甘い口づけを、なんで忘れていたんだろう?
僕を溶かす熱い熱い蜜の香りに、体中が疼き出す。
「あ、あぁぁ!孝龍様ぁ!」
「朱寧、そなたを貪る。許せ!」
僕たちはその欲望を許し合い、ただ番の全てを求め愛していた……。
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