上 下
26 / 28

24 焦り

しおりを挟む

 穏やかな雪解けを迎え、そして、春──。

 陰陽の巫女が示した弥生の吉日。
 宮廷の天廟で公主・水蓮の降嫁の儀が執り行われ、史龍様は無事に氷翠殿の元へと嫁がれていった。


 宮廷にとりあえずの平穏が訪れ、後宮も落ち着きを取り戻している。
 だけど、僕の体は不安定なまま。
 霜月の発情のあとなかなか次の発情が来ず、もしかしたらと期待したけれど、懐妊したわけではなかった。


「恐れながら、蓉華妃様は初めての発情のあとすぐに懐妊、流産され、お体への負担が大きすぎたのかと。」
「薬で発情を起こすことは出来ないか?」
「今の状態で薬を飲まれると、お体を傷め、更に懐妊が難しくなるかと。」
「そうか……。」
「初めての発情から周期が安定するまでは、通常でも一年ほどかかるもの。出来るだけお心安らかに、ゆるりと過ごされませ。」


 蜻蛉にそう言われはしたけれど、僕は華妃だ。
 主上にこれほど寵愛されお渡りいただきながら、子を産めなければ立場が揺らぐ。

 案の定、後宮に妃嬪が少なすぎる。奥宮にもっと迎え入れるべきだとの声は、次第に露骨に僕の耳にも届くようになってきていた。

 僕の焦りは、次第に恐怖へと変わり始める。


 ──このまま懐妊出来なかったら、皇后の座に就くなんてとても無理だ。もし、主上の寵愛が他へ移ってしまったら……!?



 ちょうどこの頃、孝龍様は暴君の仮面を脱ぎ捨て、精力的に政務をこなしておられた。
 意図したわけではなかったのだと思う。
 けれど、お渡りはぐんと減っていて、僕の頭の中は負の感情で溢れかえり始めていたんだ。



「どうしてこんなに主上のお渡りがない?今はお世継ぎが第一なのはおわかりのはずでしょう!?」


 華妃として、他に聞かれでもしたら、足元を掬われる言葉だとはわかってはいた。
 それでも今は、涼華殿の東屋で雀玲と葵だけ。
 僕が我慢できずに苛立ちをぶつけると、雀玲はただ静かに葵に言った。


「申し訳ありませんが、しばらく蓉華妃様と二人にしていただけますか?」
「雀玲、何を勝手に!」
「葵殿、後はお任せ下さい。」


 雀玲の言葉に葵は何も言わずに下がっていく。


「雀玲っ!」


 僕が怒りのままに立ち上がったその時──。
 雀玲は僕の前に玻璃の手鏡を差し出したんだ。
 鏡に映る怒りに歪んだ僕の顔。鋭い目つきのその顔は、確かに見覚えがあった……。

 雀玲の髪が朱色に燃え、黄金こがねの瞳が僕の戸惑いを見透かす。


「朱寧。お前は今、どんな顔をしている?」
「雀玲、僕……ぼ、くは………。」


 ──白雪だ……。こんなの、白雪と一緒だ……!


「朱寧は、何故子を欲す?何故上に立つ?」


 体中から力が抜ける。ガックリと膝をつき、僕は震える手で顔を覆った。


「僕、いつの間にこんな、醜く……?我が子を、権力ちからの道具にしようとしてた……。そんな、恐ろしいこと……考えて……?」


 雀玲が子供の頃みたいに、僕をふわっと抱き上げる。
 コツンと額と額を合わせると、ふいに懐かしい笑顔を見せてくれた。
 僕を叱ったあと、雀玲はいつもこうして抱っこして、額を合わせて見つめてくれた。
 幼い僕に与えてくれた、温もりの記憶……。


「朱寧、宮廷は魔窟だ。無垢で純粋な者ほど、じわじわと闇に蝕まれ気付けない。」
「ごめんなさい、雀玲……ごめんなさいっ!」
「いいんだよ、朱寧。お前はこうして己を恥じることが出来る。お前を闇に落とさぬために、私はいるんだ。」
「うん……。」
「朱寧はいつまでも、私の愛しい子だ。ずっと側にいる。だからたまには、ただの朱寧に戻れ。」
「……雀玲……僕も、大好きだよ……雀玲……。」


 僕の目から零れ落ちたのは、浄化の雫……。
 頭の中の黒い靄が晴れていく。
 あぁ、いつの間にかこんなにも、春の香りが満ちていたんだ……。


「雀玲、僕、ちょっと最初に戻って来ていい?」
「蓉華妃様のお心のままに……。」


 内侍頭の雀玲が静かに頭を下げていた。



「藤の庭……。ただ来るのは、いつ以来だろう……。」


 僕は、まだ色を持たない藤棚の下に佇む。
 ここで刺繍をしていて、『藤の君様』に初めてお会いした。


 ──そう、僕が恋したのは、藤の君様だった……。


 あの方が見初めて下さったのも、妃ではなく、僕だったんだ。
 孝龍様を想い、胸が痺れるように熱くなる。
 満たされて空を仰げば、小さな蕾があちこちに……。


 ──大丈夫。大切に想っていれば、きっと芽吹く……。きっと……!


「朱寧?」
「……えっ?」


 あの日と同じだ。あの場所に、薄紫のあの方がいる。
 どうして?なんてそんなこと、どうでもよかった。
 愛しい方が目の前いる。僕の全て……愛する番……。


 僕は夢中で駆け出した。
 ただ一筋に、その胸に飛び込む。


「藤の君様!」
「ん?どうしたのだ?随分と懐かしい名で呼ぶな?」
「愛しています……あなたを……ただ……!」
「朱寧?……ああ。私もだよ。……しず……。」


 孝龍様の首に腕を絡め、背伸びをして口づけた。
 こんなに甘い口づけを、なんで忘れていたんだろう?
 僕を溶かす熱い熱い蜜の香りに、体中が疼き出す。


「あ、あぁぁ!孝龍様ぁ!」
「朱寧、そなたを貪る。許せ!」



 僕たちはその欲望を許し合い、ただ番の全てを求め愛していた……。









しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

けだものどもの孕み腹

BL / 完結 24h.ポイント:99pt お気に入り:505

強面騎士の後悔

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:454pt お気に入り:35

【完結】見染められた令嬢

恋愛 / 完結 24h.ポイント:369pt お気に入り:893

セヴンス・ヘヴン

BL / 連載中 24h.ポイント:981pt お気に入り:7

変人魔術師に一目惚れされて結婚しました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:511pt お気に入り:1,583

異世界へようこそ、ミス・ドリトル

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:25

尽くすことに疲れた結果

BL / 完結 24h.ポイント:965pt お気に入り:3,013

勇者の幼なじみ

恋愛 / 完結 24h.ポイント:944pt お気に入り:399

処理中です...