『歌い手』の私が異世界でアニソンを歌ったら、何故か世紀の歌姫になっちゃいました

駆威命(元・駆逐ライフ)

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第110話 あなたを送る歌

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「は~い、回診の時間ですよ~野郎ども!」

 私は療養室の扉を勢いよく開けながら、ことさら明るい声で挨拶する。

 回診と言いつつそんな技能は持っていないので様子を聞いたり包帯を替えるのがせいぜいだが。

 でも私が来たことで、部屋の中で静かに休んでいた兵士達の顔に光が差す。

 そうやって明るくなってもらえれば、治るのだって早くなるはずだ。

 私は木板と石筆を手に、一番入り口近くに寝ている兵士への問診を始めた。

「雲母様毎度どうも」

「いちいちお礼言わなくていいの。そんで傷はどう?」

「そんなに痛みはありませんね」

 兵士が腹部の矢傷を見下ろしながら、案外平気そうな顔で答える。

 この兵士は腹部に矢が突き刺さっていたため、一時かなり危険な状態にまで行っていたのだが、なんとか持ち直してくれた様であった。

 私は内心安堵していたが、そんな事をおくびにも出さず、平気で当たり前よ、といった表情で頷いておく。

「なるほどね~。じゃあ腹筋千回は余裕ね」

「いや、怪我してない時だってそんなには出来ませんよ」

「しょうがないわね~。じゃあ二千回くらいならできるわね」

「増えてますって」

 その後も冗談交じりの問診を続けていく。

 三人目の問診が終わった時、突然部屋の外が騒がしくなった。

「何だろ。警鐘も鳴ってないから攻めて来たってわけじゃなさそうだし」

 私は室内の兵士達と首を傾げて居ると、

「誰か来てくれ、急患だ!」

 そんな叫び声が響いてくる。

 私は兵士たちに謝罪した後、急いで踵を返すと木板を入り口近くの壁に立てかけてから走って処置室へと向かった。

 処置室の中には大勢の怪我をした兵士たちが担ぎ込まれており、ほぼ全員が剣によってつけられたと思われる傷を負って苦し気に呻いている。

 私は慌ててその内の一人に駆け寄ると、ハンカチを取り出して太ももの傷口に押し当て強く圧迫する。

「うぐっ」

「我慢して。こんなに血が出てるってことは動脈が傷ついてるから」

 ハンカチはすぐに真っ赤に染まり、血がしたたり落ちていく。

 私は手のひらを傷口めがけて抉り込むようにして全体重をかけて止血する。

 そうすることで、少しは血の勢いが小さくなった。

 私はその態勢で周囲を見回すが……誰もが目の前の怪我人にかかりきりになっており、手を貸してくれる余裕なんてなさそうである。

「あなた、自分の傷口押さえてて。私は止血の為の道具を取ってくるから」

「ああ……」

 その兵士は頷いてくれたものの、顔色は青白く、目はうつろだ。確実に血を失い過ぎて危険な状況だろう。

 いつ気絶してしまってもおかしくはない。

 私はその兵士の手を取って傷口に当て、道具を取るため一旦その兵士から離れる。

 部屋の端に備え付けられた机の上からロープだけ入手すると素早く取って返す。

「止血するから足縛るけど絶対傷口から手を離さないで」

 忠告の後に私は太ももの付け根にロープを二、三周して固く結ぶ。そして結び目の下辺りにポケットから取り出した石筆を滑り込ませ、ぐいっと力の限り捻り上げた。

「うあぁぁっ」

 新たに生まれた痛みで兵士の意識が覚醒する。

 少し罪悪感を覚えたが、生きている証拠だから我慢してもらおう。

 そのまま更に捻った後、その上からロープを結わえて固定する。これでほぼ完全に止血は出来たはずだ。

 私は血にまみれた手で兵士の体を横にして膝を立てさせ、傷口を心臓よりも高い位置にする。

 そのまま兵士の耳元に口を寄せ、

「この後お医者さんに傷口を縫ってもらえれば確実に貴方は助かる。もう少しの辛抱だから頑張って」

 うるさくない程度の声で兵士を励ました。

「ありがとう……」

 その言葉に応える時間すら惜しい。私は即座に他の怪我人の処置へと向かった。





 大人数の兵士達が処置室にまた一人担ぎ込んで来た。

「開けてくれ! 道を開けてくれ!」

「下ろすぞ、せーのっ」

 またか、もう怪我人は嫌だ。そう思いつつ運び込まれた人の顔に目を向けて……。

「モンターギュ侯爵!?」

 私の悲鳴で部屋中の視線が一点に集まる。

 担ぎ込まれたのはこの砦の主にして実質的な指揮を振るっているモンターギュ侯爵であった。

 みんなの精神的な支えにもなっている彼が、今や瀕死の状態で横たわっている事は、私を始めその場に居る全員に大きなショックを与える。

 すぐさまモンターギュ侯爵の治療が始まったのだが、彼は肩口から剣でバッサリと斬られており、鎖骨は砕けて陥没し、口の端からは血が流れだしている。

 誰がどう見ても最早手遅れだ。それでも医者たちは懸命に治療を施していく。

「き……らら……さま……」

 私の声が聞こえていたのか、モンターギュ侯爵が微かな声で私を呼ぶ。

「ごめん、あと任せていい?」

「はい、お早く」

 私は自分の仕事を他のメイドに預け、急いでモンターギュ侯爵の下へと駆け寄った。

 私のために医者が場所を空けてくれる。

 その意味が分からない私では無かったが、気付かないふりをしてモンターギュ侯爵の傍に座った。

「モンターギュ侯爵! 気をしっかり持ってください!」

 大丈夫、助かりますから。

 言いたいけれど、そんなその場限りの慰めが通じない事は分かっていた。

 明らかな死相がモンターギュ侯爵の顔に浮かんでいたから。

「きらら、様。お願いが……」

「はい」

 私はモンターギュ侯爵の手を取って両手で包み込む。

 少しでも長くこの場につなぎとめられる様に、必死に祈りを捧げる。

「妻に、愛していた、と」

「……はい」

 自分で言え、なんて言葉は私には言えなかった。

 少しでも安心させてあげたい。少しでも私の中にある感謝を伝えたかった

 何の力も持たない私にできる事はそれだけだから。

 どんな敵でも打ち倒せる魔法の力が欲しかった。

 それさえあればモンターギュ侯爵はこうならずにすんだはずなのに。

 どんな怪我でも直してしまえる力が欲しかった。

 それがあれば、今目の前で散ろうとしている命を救えるから。

 でもそんなものはない。

 私が出来る事なんて歌う事だけで、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 本当に私は無力だ。

「殿下に……貴方の、礎と成れて幸せですと……」

「はい……」

 きちんとモンターギュ侯爵の顔を見て居たいのに、私の瞳から涙が溢れ出し、その邪魔をする。

 私は必死に顔を擦って、最期の顔を目に焼き付けていく。

 伝えるために。

 きっと、私以外の人は間に合わないから。

「息子には、任せたと。それから……ゴホッゴホッ」

 モンターギュ侯爵が咳き込み、血の飛沫が舞う。

 本当はもう生きている事もおかしいくらいの怪我なのに、モンターギュ侯爵は言葉を伝えたいという気力だけで命を繋いでいた。

「……ハイネには、少し落ち着けで」

「分かりました。奥さんに愛している、グラジオスには……」

 私は必死にモンターギュ侯爵の言葉を反芻し、自身に刻み付けていく。

 メッセージを伝え終わった後でも彼の死に際の言を葉絶対に忘れたくなかった。

「それから……」

 きゅっと、モンターギュ侯爵の手に力が入った。

「雲母様、あまり……気に病まぬ事です」

「え……」

 唐突に私の事を言われて驚きのあまり涙が止まる。

 何故か、モンターギュ侯爵の好々爺然としたやわらかい微笑みが、私の中にすっと落ちてくる。

「この国のために……命を使えて、私は嬉しいのですよ。貴女のお陰で、私は、最期に、面白い人生を……ゲホッゴホッ」

 なんで私を責めないの? なんでこんな私に優しい言葉をかけてくれるの?

 私が居なかったら、こんな風に死ななくても良かったのに。

 言葉を残すくらい未練があるのだから、私は罵倒されて当然のはずなのに。

「……ありがとうございました」

「それは私の言葉ですっ! 私は貴方に迷惑しかかけなかったのに! なのに優しくしてくださって、ただの一平民の私を賓客みたいに丁寧に扱ってくださって……」

 私の胸は張り裂けそうだった。

 悲しみ、悔しさ、嬉しさ、罪悪感、後悔。色んな感情が私の中でない交ぜになり、ぐちゃぐちゃになって、もう私は今すぐにでも消えてしまいたかった。

「――ごめんなさいっ」

 ああ、とうとう私はこの言葉を口にしてしまった。

 あえて封じていたのに。弱い自分を出さないように。

 泣き叫んで喚き散らして他人に迷惑をかけてしまわない様に我慢していたのに。

 言ってしまった。

「ごめんなさい、ごめんなさいっ! 私のせいなのに! 私が我が儘を言ってこんな事になっているのに! 私が馬鹿だから……」

 そっと、頭を撫でられる。

 それをしたのは、もう旅立つ直前のモンターギュ侯爵で……。

 ああ、私はまた馬鹿な事をしてしまったと後悔する。

 モンターギュ侯爵が使うべき時間を、私が使ってしまったのだ。

 私は喉の奥から沸き上がって来た言葉を必死に奥歯で噛み潰し、唇を真一文字に引き縛って押し黙る。

「もう、言いましたぞ」

 ――気に病むな。

 出来るはずがなかった。でも、それがモンターギュ侯爵の望みならばと私は頷く。

 嘘でも納得したと演じておく。

 少しでも荷物を無くしてもらいたかったから。

「歌って……送り出して、もらえますか?」

 認めたくない

 ――認めたくない――認めたくない!

 こんな良い人が死んでしまうなんて認めたくない!!

 私は近くに居た医者に視線を向けたのだが――無言で首を横に振られてしまう。

 無理だと、否定されてしまった。

「おね――ゴホッオホンンッ!」

 咳き込む頻度が増えて来た。

 恐らくは折れた骨が肺に突き刺さり、肺の中を血が満たし始めているのだろう。

 別れは近い。

 だから私は……。

「はい」

 モンターギュ侯爵の手を最期に握りしめた後、ゆっくりと地面に置く。

 そして私は固く拳を握り――。

「ぐっ」

 自分の頬に全力で叩きつけた。

 痛い。痛いけど、これで気合が入った。

 さあ涙を止めろ。嗚咽なんて気合でねじ伏せろ。

 歌う事しかできないのだから、せめてそれだけは完璧にやり遂げてみせろ、私。

「どんな歌がいいですか?」

「そう、ですなぁ……」

 モンターギュ侯爵は一瞬遠い目をした後、ニヤリと笑う。

 そのいたずら小僧じみた笑いはいつも落ち着いている彼らしくなくて、でもそれはきっと精一杯の気遣いなのだ。

「激しいのを」

「さすが、ハイネのお爺さんですね」

「ふほっ。あやつに、悪い影響を受けましたな」

 笑う。死に際だというのに笑う。

 痛いだろうに、苦しいだろうに。

 そんな自分のことなど棚に上げて、私の事を気遣ってくれる。

 応えたい。その優しさに、報いたい。

 私は深く息を吸い込み……全ての思考を止めて、感情を燃やす。

――海色――

 私の中には無があった。

 自分がどう思うか、感じるかじゃない。

 求めてくれる人のために、私は歌う。

 葬送にはやかましすぎる歌だけど、こんな場所にはふさわしくない歌だけど。

 私は声を張り上げて歌い続けた。

 それをたった一人の観客は、静かに、満足そうな顔で……。
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