妄想恋愛しちゃダメですか?

橘柚葉

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第十八話

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「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
 このセリフを言う前に一悶着あったが、渋々とお礼を言った。
 最初は尚先生のストレートすぎる言葉の数々に料理の味もわからなかった私だったが、話し上手の尚先生により、すっかり色んな話をすることになり、気が付いたら大笑いする自分がいた。
「税理士って、お客さん商売ですからね。色んな会社の社長さんや経理さんとお話する機会もたくさんありますから。話術が鍛えられましたよ」
 とは尚先生の談。
 尚先生とこうしてゆっくりとお話する機会は今までなかったから、とても新鮮だったし、楽しかった。
 尚先生の知らない一面を垣間見れたりして、有意義な時間を過ごすことができた。
 ひとつひとつ尚先生のことを知っていく作業は思った以上に楽しい。
 もちろん彼と一緒にいると心臓が飛び出すんじゃないかと思うほどドキドキする。
 だけど、今日ひとつ発見したことがある。
 それはドキドキだけじゃくて、尚先生といると安らぎとういか……肩の力を抜いて純粋に楽しんでいることに気が付いたのだ。
 しかし、尚先生は強引なところがある。それに以外と頑固者だ。
 それを言うと、「頑固さは珠美さんには負けます」と言われてしまった。
 そんなことないと言い張ったが、尚先生は首を横に振る。
「お会計のとき、私が払うと言ったのに頑として譲らなかったでしょう」
「で、でも! 最終的には尚先生の言い分に折れたじゃないですか!」
 そう、先ほどのお礼の言葉を言うまでに、尚先生と私はどちらがお金を支払うかで大いに揉めたのだ。
 私は、割り勘を主張した。一応私だって社会人。きちんとお支払いできるぐらいはもらっている。
 それに尚先生とは恋人同士という間柄ではなく、微妙かつ曖昧な関係だ。
 そんな相手に奢ってもらうというのは、なんとなく気が引けた。
 だが、そんな私の気持ちは知った上で、尚先生はニッコリとほほ笑んで自分の意見を主張する。
「私が珠美さんをお誘いしたんですよ? それも無理矢理。こちらがもつのは当たり前でしょう?」
 一応、強引に誘ったという意識はあるようだ。
 しかし、尚先生の有無を言わせない笑顔で「そろそろ諦めたら?」と言われているみたいで、こちらも意地になってしまったことは否めない。
 最終的には「お嬢さん、こういうのは男に華をもたせるものだぜ?」という大将の言葉に渋々と従ったという感じだ。
 お店から出ると、尚先生は私の手を握りしめてきた。それももちろん恋人繋ぎだ。
 やっぱり何度繋がれても緊張するものは緊張する。
 途端に話さなくなった私を見て、尚先生はクスクスと笑い声を上げる。
「手を繋ぐことは緊張しますか?」
「えっと……はい」
 正直に頷く私に、尚先生は嬉しそうに目尻を下げる。
「うれしいですね」
「うれしい……ですか?」
 尚先生と手を繋ぐことは緊張すると言っているのに、何が嬉しいのだろう。
 小首を傾げる私を、尚先生は腰を曲げて顔を覗き込んできた。
「私を男として意識してくれているということでしょう?」
「っ!」
「その上、最初は私と手を繋ぐことに抵抗を見せていた珠美さんでしたが。今はほら、しっかりと繋いでくれている」
 大進歩ですよ、そう言って爽やかに笑う尚先生を見て、顔が赤くなるより先に驚いてしまった。
 尚先生の言うとおりだ。確かに尚先生のことをいろいろと意識して手を繋ぐのが恥ずかしいと思っていた。
 だから、最初は抵抗していたはずだ。手を離してください、と何回も何回も先生に言っていたことは記憶に新しい。
 だけど、今の私は尚先生いるときは手を繋ぐというのが普通になってきている。
 もし、今。仮に尚先生が私と手を繋ごうとしなかったとする。そうなったとき、私はどこかで寂しさを覚えたんじゃないだろうか。
 ジワジワと恥ずかしさが込み上げてきて、尚先生から視線を逸らした。
 だけど、尚先生の手を振りほどくことはしなかった。それが何よりの答えのように感じた。
「珠美さん、まだお時間は大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「では、もう一軒付き合っていただけませんか? ゆっくとコーヒーでも飲みながらお話したい」
 尚先生の誘いに、頭で考える前に頷いていた。
 ただ、ここでも頑固者の片鱗が顔を出して尚先生に苦笑されてしまったが。
「割り勘でしたら、お付き合いします」
「そう言うと思いました。でも、嬉しいですよ、珠美さん」
「え?」
 目尻に皺を寄せて、本当に嬉しそうに尚先生はほほ笑んだ。
「以前の珠美さんなら、絶対に私の誘いには乗らなかったでしょう?」
「えっと……」
「でも、今は私の誘いに頷いてくれた。嬉しいです」
 尚先生は私より年上だ。そのことも先ほど知ったばかり。趣味や休みの日の過ごし方などなど。尚先生の色んな事を一つずつ知っているのはとても楽しくて嬉しい。
 私はきっと尚先生に恋をし始めている。確信に近い思いを抱いていると、尚先生は心臓に悪いことを甘く囁いた。
「私のこと、少しは好きになってくれたと思ってもいいですか?」
「っ!」
 真剣な瞳で私を見つめる尚先生。その距離の近さ、視線の熱さ。手の温もり。
 すべてが私の心をほぐしていく。そして素直になっていく自分がいた。
 頷こうとした私だったが、思わず身体を硬直させた。
(なんで……?)
 一軒のバーから数名の男性が出てきた。その中のひとりに、見覚えがある人物がいた。
 私に辛辣な言葉を投げつけ、別れを言ってきた男。
 私の元彼である新條佑がいたのだ。
 三年ぶりに見たが、何も変わっていない。
 キチッとした雰囲気はあの頃のままだ。
 もう会わないと思っていた。会いたくないと思っていた人が今、私の目の前にいる。
(お願い、私に気が付かないで……!!!)
 ギュッと尚先生の手を握りしめる。
「珠美さん?」
 急に様子が変わってしまった私を見て、尚先生は不思議そうな顔をする。
 尚先生は私の視線の先を見て、顔色を変えた。それもかなり怖い。
 どうして尚先生がこんなに怖い顔をするのか、理由が見当たらない。
「尚先生?」
「行きましょう。貴女をあの男に会わせたくない」
 尚先生の声は鋭かった。だけど、どうして尚先生がそんなことを言うのだろう。
 目の前の男と私の関係を知っているような口ぶりじゃないだろうか。
 尚先生にリードされ、振り向こうとしたときだった。思い出したくもない声が聞こえた。
「もしかして、珠美か」
「っ!」
 まさか声をかけられるとは思わなかった私は、その場に立ち尽くすしかなかった。
 私が嫌悪感たっぷりで佇んでいるのに、佑さんは私に近づいてくる。
 そしてその周りにいた男たちまでもが近づいてきた。
「なんだよ、佑。お前が前に言っていた、とんでもない元彼女ってこの女のこと?」
「そう。……なぁ、珠美。奥ゆかしいかと思ったら、とんでもない女で騙されたんだよな、俺は」
 ヒドイ言われようだ。ずっと奥底に隠しておき、見て見ぬ振りをしていた傷がうずき出す。
 やっぱり私は恋愛に向いていないんじゃないだろうか。そんな考えが過ぎり、咄嗟に尚先生の手を離そうとした。
 だが、それを尚先生は許してはくれなかった。ギュッとキツく私の手を握ってきたのだ。
 それに驚いて尚先生の手を見つめていると、グイッと尚先生の腕の中に引き寄せられた。
「尚先生?」
「大丈夫。珠美さんは、何も話さなくていいから」
 そう言ってほほ笑む尚先生は、凄く格好良かった。
 コクリと小さく頷く私を見たあと、尚先生は佑さんに視線を向けた。
「こんなにステキな女性に辛辣な言葉を投げつけるとは。大人の男として情けなくありませんか?」
「なんですか、貴方は。もしかして珠美の彼氏とか?」
「……」
「貴方も物好きですね。この女に俺はすっかり騙されましたから。貴方も気をつけた方がいいですよ」
 クツクツと嫌味な笑い方をする佑さんに、怒りが込み上げてくる。だけど、それと同時に心の傷がズクズクと痛む。
 やっぱり私に恋愛は無理なのかもしれない。尚先生だって、今はこうして私に優しくしてくれるし好意を抱いてくれているけど、いつ佑さんみたに手のひらを裏返しにしたように冷たくなるかわからない。
 居たたまれなくなって尚先生の腕の中から抜けだそうとした。だが、尚先生によりキツう抱きしめられてしまい身動きがとれない。
 尚先生の腕の中から見上げると、そこには慈愛溢れる目が私を熱く見つめていた。
「私は珠美さんになら騙されたって構いませんけどね」
「尚先生!?」
 思わず叫んでしまった私に、尚先生は人差し指で唇を押さえた。静かにして、という合図だろう。
 慌てて口を噤むと、尚先生は再び佑さんと対峙した。
「いい女をみすみす捨てるような貴方には、珠美さんの良さなんて一生わからないでしょうけどね」
「そうですかねぇ、俺の忠告を聞いておいた方が身のためですけどね」
「忠告? フッ、私には必要はないですね。貴方のように女性を卑下する男の意見は聞きません」
 スパッと切り捨てる尚先生に対し、佑さんがムッとしたのがわかる。
 尚先生は、佑さんを冷たい視線で見たあと、大きくため息をつく。
「私は前に言ったはずですよ。外で女性の悪口を言うのはどうか、と。それも一度は付き合った女性を名指しであちこちに悪い女だ、最悪な女だと言い回る貴方の考えは理解できない、と」
「っ!」
「思い出してくれましたか、新條佑くん」
「あ、アンタ……!」
 逃げ腰の佑さんに、尚先生はニッコリと笑った。だけど、声は鋭くて背筋が凍るほどだった。
「二度と珠美を呼び捨てにするな。いいか、二度とだ」
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