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第二十三話
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「珠美さん、迎えに来ましたよ」
「……尚先生」
フジコが去ってから十分後。本当に尚先生がやってきた。
だけど、十分なんて短い時間で心の整理などできない。
狼狽える私から視線を外し、尚先生はテーブルにあるグラスを見つめた。
「珠美さん、お酒飲まれたんですか?」
「い、いえ。これは全部フジコが飲んだもので」
私はこれだけです、とウーロン茶が入ったグラスを指差す。すると尚先生は穏やかにほほ笑んだ。
「お腹は減っていませんか?」
「はい、大丈夫です」
フジコとおつまみをシェアして食べたからお腹がいっぱいだ。
そう言うと、尚先生は伝票を手にした。
「さぁ、出ましょうか」
それだけ言うと、スタスタと足早にレジまで行き、お勘定をし始めてしまった。
私は慌てて靴を履き、店を出てしまった尚先生を追いかける。
店の扉を開くと、そこには尚先生が壁に寄りかかって私を待っていてくれた。
「尚先生、お金支払います。私とフジコが食べたんですから。それにフジコからもお金を預かっていますし」
「もう支払いを済ませてしまいましたし、何より金額を忘れてしまいました」
「金額を忘れただなんて絶対嘘です!」
困って尚先生に詰め寄ると、そのまま尚先生に抱きしめられてしまった。
「な、尚先生!?」
「本当にお酒は飲んでいない?」
「っ!」
チュッと私の唇にキスをし、「うん、アルコールの香りはしないね」と爽やかに笑う。
半年付き合ってもこういう尚先生のさりげないタッチに慣れない私は、今日もドギマギしてしまう。
それにこうして二人きりだけのとき、尚先生の口調が少し変わってきた。
初めて出会った頃から私に対して尚先生は丁寧なしゃべり方だった。
半年経った今でも物腰柔らかく丁寧な言葉使いに変わりはないが、少しだけ親しみが込められている様に感じる。
そんなときは、嬉しくて再びドキドキしてしまうのだ。
真っ赤になって俯く私の耳元で、尚先生が甘く囁く。
「珠美さんは私と一緒のとき以外ではお酒を飲んではいけませんよ。あんなに可愛い珠美さんを誰にも見せたくないですから」
「っ!」
鹿島さんにもですよ、と尚先生は私に念を押した。
ますますドキドキするから止めてください、と心の中で叫んでいた私だったが、尚先生の次の言葉に固まる。
「鹿島さんから今日電話がありました」
「はい……」
「珠美さんが何かに悩んでいる。それも私との関係のことで悩んでいると聞きました」
「……」
押し黙っていると、尚先生はギュッと私を抱きしめてきた。
「鹿島さんはそれ以上は言ってくれませんでした。ですから、私は珠美さんが何に悩んでいるのか知りません」
「……」
「教えていただけませんか?」
尚先生に言ってしまいたい。そうすればこの胸のモヤモヤは解消されることだろう。
しかし、そのことを口にしたが最後。私は尚先生に振られてしまうかもしれない。
尚先生が私に手を出さない理由。それが私に興味が持てなくなったということだとしたら……私は立ち直ることが出来ないだろう。
だからと言って私からキスをしたり、抱いてくださいだなんて言えない。言える訳がない。
佑さんに言われたように「尻軽女」だと尚先生に思われたくない。
尚先生ならそんなふうに言うことはないと思う。そう信じたい。だけど……
私は未だに昔のトラウマに囚われているのだろう。
『今、行動しなくちゃ。尚先生、他の女に捕られちゃうかもよ?』
フジコに先ほどまでさんざん言われ続けてきた言葉だ。
何度想像しても胸が痛む。他の女の人とキスする尚先生を想像するなんてイヤだ。
まだ、想像だけならいい。本当にそんな現実がやってきたら……?
(いやだ、絶対にいや。私は尚先生が好きだもの……誰にも渡さない!)
先生のキレイな唇も、その大きな手も、優しく柔らかい声も、全部全部私のモノにしてしまいたい。
「珠美さん?」
心配そうに私の顔を覗き込んだ尚先生に、私は自らキスをしていた。
私からキスをする。また、自分がそんなことをするなんて思ってもみなかった。
三年前、初めてできた恋人とギクシャクしてしまい、どうにかつなぎ止めたいと思って自らしたキス。
あのキスがきっかけで恋人には振られ、罵倒される事態を招いたのだ。
それがトラウマとなり、恋愛なんてするもんじゃない。そう考えた私が行き着いた先は『脳内妄想恋愛』だった。
脳内で恋愛をする。ドキドキするしキュンキュンして、それはそれで楽しかった。
だって心が痛くなったり、切なくなったりすることはないのだから。
でも、私は尚先生に出会ってしまった。もう、妄想恋愛には戻れない。
あれだけ自分から積極的に恋愛をすることを拒んでいた私が、こうして尚先生にキスをしている。まさに捨て身の決断だった。
「尚先生……私、尚先生が好きです」
「……」
「私に触れないのはどうしてですか? 私、尚先生にもっと近づきたいです」
言ってしまった。ついに言ってしまった……!!!
どんな結果になったとしても逃げたくない。私はムンと唇を噛みしめて、尚先生の次の言葉を待った。
「やっとですね」
「え?」
意外な返事がきて、正直面食らった。目を見開く私に、尚先生は嬉しそうに、本当に嬉しそうに目尻を下げた。
「珠美さんから言ってくれるのを、ずっと待っていましたよ」
「え……?」
驚いて口を開いたままの私の手首を掴み、尚先生は私を引っ張ってどこかに連れて行く。
「尚先生?」
「今日は車で来ています。まずは車に行きましょう」
「ちょ、ちょっと待って。尚先生、速いですよ」
なんだか今の尚先生は余裕がなさそうに見える。
尚先生は私の手首を掴んだまま歩くのだが、もともと私と身長差があるので先生の歩調に合わせると私は小走りになってしまう。
いつもなら尚先生が気を遣ってゆっくり歩いてくれるのだが、今は先生の歩調に合わすのが困難なほどだ。
私が息を切らしているのがわかったのか。尚先生はバツが悪そうに笑った。
「すみません、珠美さん。ようやくだと思ったら気ばかりが焦ってしまって」
「っ!」
「正直に言うと、これ以上珠美さんを待つのは限界だと思っていました。もう、貴女に触れたくて仕方がなかった」
「それなら、なんで言ってくれなかったんですか?」
先ほどまでは私の手首を掴んでいた尚先生だったが、いつもどおりの恋人繋ぎに戻して苦笑する。
「言いたかったですよ。貴女のすべてが欲しいとね。だけど、私は待ちたかったんです」
「え?」
「珠美さんの心の傷が治ることを。そして、貴女から積極的に恋愛をしてくれることを」 パーキングに着くと尚先生は車を解錠し、助手席を開けて私に座るように促してきた。
私は促されるまま助手席に腰をかけると、尚先生は腰を屈め、扉に手を預けた。
「もう、私は待ちませんよ。貴女から飛び込んで来てくれた。だから、もう……止まりませんから」
尚先生は助手席の扉を閉めると、運転席に乗り込んだ。
シートベルトをして車のエンジンをかけると、尚先生はまっすぐを向いたまま呟いたのだった。
「今日は帰さないよ。これは決定事項だから」
「……尚先生」
フジコが去ってから十分後。本当に尚先生がやってきた。
だけど、十分なんて短い時間で心の整理などできない。
狼狽える私から視線を外し、尚先生はテーブルにあるグラスを見つめた。
「珠美さん、お酒飲まれたんですか?」
「い、いえ。これは全部フジコが飲んだもので」
私はこれだけです、とウーロン茶が入ったグラスを指差す。すると尚先生は穏やかにほほ笑んだ。
「お腹は減っていませんか?」
「はい、大丈夫です」
フジコとおつまみをシェアして食べたからお腹がいっぱいだ。
そう言うと、尚先生は伝票を手にした。
「さぁ、出ましょうか」
それだけ言うと、スタスタと足早にレジまで行き、お勘定をし始めてしまった。
私は慌てて靴を履き、店を出てしまった尚先生を追いかける。
店の扉を開くと、そこには尚先生が壁に寄りかかって私を待っていてくれた。
「尚先生、お金支払います。私とフジコが食べたんですから。それにフジコからもお金を預かっていますし」
「もう支払いを済ませてしまいましたし、何より金額を忘れてしまいました」
「金額を忘れただなんて絶対嘘です!」
困って尚先生に詰め寄ると、そのまま尚先生に抱きしめられてしまった。
「な、尚先生!?」
「本当にお酒は飲んでいない?」
「っ!」
チュッと私の唇にキスをし、「うん、アルコールの香りはしないね」と爽やかに笑う。
半年付き合ってもこういう尚先生のさりげないタッチに慣れない私は、今日もドギマギしてしまう。
それにこうして二人きりだけのとき、尚先生の口調が少し変わってきた。
初めて出会った頃から私に対して尚先生は丁寧なしゃべり方だった。
半年経った今でも物腰柔らかく丁寧な言葉使いに変わりはないが、少しだけ親しみが込められている様に感じる。
そんなときは、嬉しくて再びドキドキしてしまうのだ。
真っ赤になって俯く私の耳元で、尚先生が甘く囁く。
「珠美さんは私と一緒のとき以外ではお酒を飲んではいけませんよ。あんなに可愛い珠美さんを誰にも見せたくないですから」
「っ!」
鹿島さんにもですよ、と尚先生は私に念を押した。
ますますドキドキするから止めてください、と心の中で叫んでいた私だったが、尚先生の次の言葉に固まる。
「鹿島さんから今日電話がありました」
「はい……」
「珠美さんが何かに悩んでいる。それも私との関係のことで悩んでいると聞きました」
「……」
押し黙っていると、尚先生はギュッと私を抱きしめてきた。
「鹿島さんはそれ以上は言ってくれませんでした。ですから、私は珠美さんが何に悩んでいるのか知りません」
「……」
「教えていただけませんか?」
尚先生に言ってしまいたい。そうすればこの胸のモヤモヤは解消されることだろう。
しかし、そのことを口にしたが最後。私は尚先生に振られてしまうかもしれない。
尚先生が私に手を出さない理由。それが私に興味が持てなくなったということだとしたら……私は立ち直ることが出来ないだろう。
だからと言って私からキスをしたり、抱いてくださいだなんて言えない。言える訳がない。
佑さんに言われたように「尻軽女」だと尚先生に思われたくない。
尚先生ならそんなふうに言うことはないと思う。そう信じたい。だけど……
私は未だに昔のトラウマに囚われているのだろう。
『今、行動しなくちゃ。尚先生、他の女に捕られちゃうかもよ?』
フジコに先ほどまでさんざん言われ続けてきた言葉だ。
何度想像しても胸が痛む。他の女の人とキスする尚先生を想像するなんてイヤだ。
まだ、想像だけならいい。本当にそんな現実がやってきたら……?
(いやだ、絶対にいや。私は尚先生が好きだもの……誰にも渡さない!)
先生のキレイな唇も、その大きな手も、優しく柔らかい声も、全部全部私のモノにしてしまいたい。
「珠美さん?」
心配そうに私の顔を覗き込んだ尚先生に、私は自らキスをしていた。
私からキスをする。また、自分がそんなことをするなんて思ってもみなかった。
三年前、初めてできた恋人とギクシャクしてしまい、どうにかつなぎ止めたいと思って自らしたキス。
あのキスがきっかけで恋人には振られ、罵倒される事態を招いたのだ。
それがトラウマとなり、恋愛なんてするもんじゃない。そう考えた私が行き着いた先は『脳内妄想恋愛』だった。
脳内で恋愛をする。ドキドキするしキュンキュンして、それはそれで楽しかった。
だって心が痛くなったり、切なくなったりすることはないのだから。
でも、私は尚先生に出会ってしまった。もう、妄想恋愛には戻れない。
あれだけ自分から積極的に恋愛をすることを拒んでいた私が、こうして尚先生にキスをしている。まさに捨て身の決断だった。
「尚先生……私、尚先生が好きです」
「……」
「私に触れないのはどうしてですか? 私、尚先生にもっと近づきたいです」
言ってしまった。ついに言ってしまった……!!!
どんな結果になったとしても逃げたくない。私はムンと唇を噛みしめて、尚先生の次の言葉を待った。
「やっとですね」
「え?」
意外な返事がきて、正直面食らった。目を見開く私に、尚先生は嬉しそうに、本当に嬉しそうに目尻を下げた。
「珠美さんから言ってくれるのを、ずっと待っていましたよ」
「え……?」
驚いて口を開いたままの私の手首を掴み、尚先生は私を引っ張ってどこかに連れて行く。
「尚先生?」
「今日は車で来ています。まずは車に行きましょう」
「ちょ、ちょっと待って。尚先生、速いですよ」
なんだか今の尚先生は余裕がなさそうに見える。
尚先生は私の手首を掴んだまま歩くのだが、もともと私と身長差があるので先生の歩調に合わせると私は小走りになってしまう。
いつもなら尚先生が気を遣ってゆっくり歩いてくれるのだが、今は先生の歩調に合わすのが困難なほどだ。
私が息を切らしているのがわかったのか。尚先生はバツが悪そうに笑った。
「すみません、珠美さん。ようやくだと思ったら気ばかりが焦ってしまって」
「っ!」
「正直に言うと、これ以上珠美さんを待つのは限界だと思っていました。もう、貴女に触れたくて仕方がなかった」
「それなら、なんで言ってくれなかったんですか?」
先ほどまでは私の手首を掴んでいた尚先生だったが、いつもどおりの恋人繋ぎに戻して苦笑する。
「言いたかったですよ。貴女のすべてが欲しいとね。だけど、私は待ちたかったんです」
「え?」
「珠美さんの心の傷が治ることを。そして、貴女から積極的に恋愛をしてくれることを」 パーキングに着くと尚先生は車を解錠し、助手席を開けて私に座るように促してきた。
私は促されるまま助手席に腰をかけると、尚先生は腰を屈め、扉に手を預けた。
「もう、私は待ちませんよ。貴女から飛び込んで来てくれた。だから、もう……止まりませんから」
尚先生は助手席の扉を閉めると、運転席に乗り込んだ。
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