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第二十二話
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「さぁて、珠美。飲みましょう」
「飲みましょうって……」
「居酒屋に来て飲まない選択肢はないわよ」
「えっと……フジコは知っているでしょ? 私が禁酒している理由」
あの思い出したくもない総おどりの夜の出来事。フジコにはすべて話してあるから知っているはずなのに。それなのに酒を飲めというのか、この人は。
フジコをキッと睨み付けていると、彼女はフフッと意味ありげに笑った。
「あれはタイミングが拙かっただけ」
「タイミング?」
そうよ、と陽気に答えたあと、フジコはビールを一口飲んだ。
「総おどりのあの日、珠美は三時間踊り続けた。それも浴衣という慣れない格好で」
確かにそのとおりである。うん、と頷くと、フジコは意気揚々と続ける。
「結構疲れていたでしょ?」
「まぁ……うん」
フジコの言うとおりだ。確かに総おどり終了時は疲れていた。コクコクと頷く。
そんな私を見て、フジコはビールを一口飲むとグラスをテーブルに置いた。
「お腹も減っていなかった?」
「減ってたよ。お腹ペコペコだったなぁ」
踊っている最中も辺りから屋台のいい香りがしてお腹が鳴りそうだったことを思い出す。チョコバナナは食べたけど、あれだけじゃ空腹は治まらなかったことだけは確かだ。
するとフジコはクワッと目を見開いた。
「それよ、原因は!」
「へ?」
フジコの勢いに圧倒された私はたじろいだが、フジコはその勢いのまま私を指差した。
「空腹時、それも疲れているときにアルコール摂取したらどうなると思う?」
「酔いは回りやすいよね」
「そう。それに呑んだ酒がまた良くなかったんじゃない?」
「日本酒は日頃呑んだことなかったけど」
私はアルコールを全然飲まないわけじゃない。大量に飲むようなことはしないけど、あんなふうにベロンベロンに酔ったことは一度もない。
だからこそ、あの夜の出来事は頭を抱えたくなるほど恥ずかしいし、もうあんなふうにならないようにしなくてはと気を引き締めていた。
だけど、フジコが言うことも一理ある。確かに、と頷くとフジコは得意げに笑った。
「あのときはいろんなタイミングが悪かっただけよ。日本酒じゃなければ、珠美だってグテングテンに酔っ払うことはないでしょ?」
「うん……」
「とにかく呑みなさい。アンタは一度頭をクリアにする必要があるわ」
「……そうかもしれないけど。またあんなに酔っ払っちゃったら困るからね」
だから止めておくと言う私に、フジコは何故か必死にお酒を勧めてくる。
なんかおかしい。私がフジコをジッと見つめると、彼女は戸惑った。
「な、何よ。珠美」
「ねぇ、フジコ。何か私に隠していない?」
グイッとフジコに顔を近づけると、明らかに目が泳いでいる。これは絶対に怪しい。
ずっと見つめ続けていると、フジコはお手上げとばかりに両手を挙げた。
「なによ、珠美。こんなときだけ勘がいいんだから」
「やっぱり! 何を隠しているのよ、フジコ」
キッと睨み付けると、フジコは時計を確認して大きくため息をついた。
「あーあ、そろそろタイムリミットだわ」
「だから! どういうことなの?」
痺れを切らした私はフジコに食ってかかったが、目の前のフジコはいつもの調子に戻っていた。
「尚先生が抱いてくれないって珠美が心配するからさ」
「ちょ、ちょっと! 声が大きい!」
慌ててフジコの口に手を押さえたが、当の本人はそしらぬふりだ。
「こんなに騒がしい居酒屋じゃ、誰も聞いちゃいないわよ」
「いないだろうけど、万が一ってことがあるでしょ!」
メッと怒る私に、フジコは大きくため息をついた。
「もうさ、珠美は尚先生に直接聞いちゃいなさい。どうして私を抱いてくれないの~?って」
「フジコ!!」
それが聞ければこんなに悩むことはないし、フジコにだって相談しなかった。
そう主張する私に、フジコはフンと鼻で笑う。
「アルコール入れれば、少しは勇気出して言えるかなぁと思ったけど。やっぱり無理かぁ」
「……もしかしてフジコ」
嫌な予感がする。青ざめる私にフジコは不敵に笑った。
「そろそろ尚先生がここに来るから」
「どうしてここに尚先生が来るの!?」
「どうしてって? それは私が尚先生に電話をして言ったからよ。珠美が悩みに悩みまくっているから話を聞いてやってくれって」
「……」
「いちいちネットで澤田税理士事務所の電話番号調べたのよ~。友達思いの私に感謝してほしいわ」
なんてことをしたんだ、フジコ。頭を抱える私に、フジコは真剣な声で言った。
「ねぇ、珠美」
「なんで尚先生に連絡しちゃったの!? 尚先生、すでに私に興味が湧かなくなって手を出してきていなかったのかもしれないのよ?」
「それはないわね。断言してもいい」
どうしてそんな無責任なことが言えるのだろう。泣きそうになる私に「じゃあさ」とフジコは切り出してきた。
「久しぶりにアンタの脳内妄想恋愛機を稼働させなさいよ」
「え?」
「そして思い浮かべなさい。尚先生の隣には珠美じゃない誰か別の女がいるの」
「っ!」
「珠美にはしないのに、その女は尚先生に押し倒されてキスをされる」
「やめて!!!」
フジコの話をこれ以上聞きたくなくて耳を押させた。
久しぶりに脳内妄想恋愛機が稼働したけど、こんなシーン思い浮かべたくなかった。
耳を押さえたまま、首を振る私の両腕をフジコが掴んできた。
驚いて目を丸くすると、フジコは真剣な目をして言った。
「このまま珠美が何もしなくてウジウジしていたら、そういう未来だって来ちゃうかもしれないんだよ」
「フジコ……」
「今、珠美が行動を起こせば何かが変わるはず。私はそう思う。ううん、絶対に変わるわ」 フジコの目を見る。私を慰めるために嘘を言っているようには見えない。
「今の珠美に足りないのは、尚先生を信じることよ。あの尚先生よ。あれだけ珠美に強引に迫ってきた人が、アンタを抱きしめる前に冷めるだなんてことあると思う?」
「そうだといいんだけど」
気弱な私を見て、フジコはニッと自信ありげに笑った。
「前にさ、会社終わりに尚先生と会うって聞いて私も着いて行ったときがあったでしょ?」
確かにそんなことがあった。
信号のせいで、私は足止めを食らったとき。尚先生とフジコは何を話していた。
「あったけど……あのときフジコは尚先生と何を話していたの?」
「私はひと言聞いただけよ」
「え?」
「珠美のこと、興味本位でからかっていませんよね? 彼女のこと、知ってのことですかってね。そうしたら尚先生ったら、自信満々の笑みを浮かべて"色々知っていますが、個人情報ですからね。貴女には内緒ですよ”ですって。それを聞いて、この人は珠美のことを色々知っていて、その上で好きになったんだってわかったのよ。だから私は尚先生は珠美のことを愛してくれているって信じているわけよ」
「フジコ……」
言葉をなくす私に、フジコは腰を上げながらほほ笑んだ。
「珠美。尚先生のことが好きなら思い切って飛び込んじゃいなさい。妄想して不安になるぐらいなら不安なことを尚先生に全部話すべきよ」
「うん……」
俯く私にフジコは言葉を強めた。
「アンタのバカで最低な元彼、アイツの呪縛そろそろ消してしまいなさい」
「フジコ」
「尚先生はアンタから動きだすのをジッと待っているのかもしれないわよ。私はそんな気がしている。珠美の過去を知っているから尚更ね」
それだけ言うと、フジコはフフッと笑う。
「尚先生にひと言言うだけよ。セックスしてくださいってね」
「フ、フ、フジコ!!!」
真っ赤になって狼狽える私に、フジコはキレイにほほ笑んだ。
「大丈夫、今の珠美めちゃくちゃ可愛いから、どんな男でも誘惑できちゃうわよ」
「バ、バカ!」
ますます狼狽える私を見て、フジコはニッと笑ってピースサインをしたのだった。
「飲みましょうって……」
「居酒屋に来て飲まない選択肢はないわよ」
「えっと……フジコは知っているでしょ? 私が禁酒している理由」
あの思い出したくもない総おどりの夜の出来事。フジコにはすべて話してあるから知っているはずなのに。それなのに酒を飲めというのか、この人は。
フジコをキッと睨み付けていると、彼女はフフッと意味ありげに笑った。
「あれはタイミングが拙かっただけ」
「タイミング?」
そうよ、と陽気に答えたあと、フジコはビールを一口飲んだ。
「総おどりのあの日、珠美は三時間踊り続けた。それも浴衣という慣れない格好で」
確かにそのとおりである。うん、と頷くと、フジコは意気揚々と続ける。
「結構疲れていたでしょ?」
「まぁ……うん」
フジコの言うとおりだ。確かに総おどり終了時は疲れていた。コクコクと頷く。
そんな私を見て、フジコはビールを一口飲むとグラスをテーブルに置いた。
「お腹も減っていなかった?」
「減ってたよ。お腹ペコペコだったなぁ」
踊っている最中も辺りから屋台のいい香りがしてお腹が鳴りそうだったことを思い出す。チョコバナナは食べたけど、あれだけじゃ空腹は治まらなかったことだけは確かだ。
するとフジコはクワッと目を見開いた。
「それよ、原因は!」
「へ?」
フジコの勢いに圧倒された私はたじろいだが、フジコはその勢いのまま私を指差した。
「空腹時、それも疲れているときにアルコール摂取したらどうなると思う?」
「酔いは回りやすいよね」
「そう。それに呑んだ酒がまた良くなかったんじゃない?」
「日本酒は日頃呑んだことなかったけど」
私はアルコールを全然飲まないわけじゃない。大量に飲むようなことはしないけど、あんなふうにベロンベロンに酔ったことは一度もない。
だからこそ、あの夜の出来事は頭を抱えたくなるほど恥ずかしいし、もうあんなふうにならないようにしなくてはと気を引き締めていた。
だけど、フジコが言うことも一理ある。確かに、と頷くとフジコは得意げに笑った。
「あのときはいろんなタイミングが悪かっただけよ。日本酒じゃなければ、珠美だってグテングテンに酔っ払うことはないでしょ?」
「うん……」
「とにかく呑みなさい。アンタは一度頭をクリアにする必要があるわ」
「……そうかもしれないけど。またあんなに酔っ払っちゃったら困るからね」
だから止めておくと言う私に、フジコは何故か必死にお酒を勧めてくる。
なんかおかしい。私がフジコをジッと見つめると、彼女は戸惑った。
「な、何よ。珠美」
「ねぇ、フジコ。何か私に隠していない?」
グイッとフジコに顔を近づけると、明らかに目が泳いでいる。これは絶対に怪しい。
ずっと見つめ続けていると、フジコはお手上げとばかりに両手を挙げた。
「なによ、珠美。こんなときだけ勘がいいんだから」
「やっぱり! 何を隠しているのよ、フジコ」
キッと睨み付けると、フジコは時計を確認して大きくため息をついた。
「あーあ、そろそろタイムリミットだわ」
「だから! どういうことなの?」
痺れを切らした私はフジコに食ってかかったが、目の前のフジコはいつもの調子に戻っていた。
「尚先生が抱いてくれないって珠美が心配するからさ」
「ちょ、ちょっと! 声が大きい!」
慌ててフジコの口に手を押さえたが、当の本人はそしらぬふりだ。
「こんなに騒がしい居酒屋じゃ、誰も聞いちゃいないわよ」
「いないだろうけど、万が一ってことがあるでしょ!」
メッと怒る私に、フジコは大きくため息をついた。
「もうさ、珠美は尚先生に直接聞いちゃいなさい。どうして私を抱いてくれないの~?って」
「フジコ!!」
それが聞ければこんなに悩むことはないし、フジコにだって相談しなかった。
そう主張する私に、フジコはフンと鼻で笑う。
「アルコール入れれば、少しは勇気出して言えるかなぁと思ったけど。やっぱり無理かぁ」
「……もしかしてフジコ」
嫌な予感がする。青ざめる私にフジコは不敵に笑った。
「そろそろ尚先生がここに来るから」
「どうしてここに尚先生が来るの!?」
「どうしてって? それは私が尚先生に電話をして言ったからよ。珠美が悩みに悩みまくっているから話を聞いてやってくれって」
「……」
「いちいちネットで澤田税理士事務所の電話番号調べたのよ~。友達思いの私に感謝してほしいわ」
なんてことをしたんだ、フジコ。頭を抱える私に、フジコは真剣な声で言った。
「ねぇ、珠美」
「なんで尚先生に連絡しちゃったの!? 尚先生、すでに私に興味が湧かなくなって手を出してきていなかったのかもしれないのよ?」
「それはないわね。断言してもいい」
どうしてそんな無責任なことが言えるのだろう。泣きそうになる私に「じゃあさ」とフジコは切り出してきた。
「久しぶりにアンタの脳内妄想恋愛機を稼働させなさいよ」
「え?」
「そして思い浮かべなさい。尚先生の隣には珠美じゃない誰か別の女がいるの」
「っ!」
「珠美にはしないのに、その女は尚先生に押し倒されてキスをされる」
「やめて!!!」
フジコの話をこれ以上聞きたくなくて耳を押させた。
久しぶりに脳内妄想恋愛機が稼働したけど、こんなシーン思い浮かべたくなかった。
耳を押さえたまま、首を振る私の両腕をフジコが掴んできた。
驚いて目を丸くすると、フジコは真剣な目をして言った。
「このまま珠美が何もしなくてウジウジしていたら、そういう未来だって来ちゃうかもしれないんだよ」
「フジコ……」
「今、珠美が行動を起こせば何かが変わるはず。私はそう思う。ううん、絶対に変わるわ」 フジコの目を見る。私を慰めるために嘘を言っているようには見えない。
「今の珠美に足りないのは、尚先生を信じることよ。あの尚先生よ。あれだけ珠美に強引に迫ってきた人が、アンタを抱きしめる前に冷めるだなんてことあると思う?」
「そうだといいんだけど」
気弱な私を見て、フジコはニッと自信ありげに笑った。
「前にさ、会社終わりに尚先生と会うって聞いて私も着いて行ったときがあったでしょ?」
確かにそんなことがあった。
信号のせいで、私は足止めを食らったとき。尚先生とフジコは何を話していた。
「あったけど……あのときフジコは尚先生と何を話していたの?」
「私はひと言聞いただけよ」
「え?」
「珠美のこと、興味本位でからかっていませんよね? 彼女のこと、知ってのことですかってね。そうしたら尚先生ったら、自信満々の笑みを浮かべて"色々知っていますが、個人情報ですからね。貴女には内緒ですよ”ですって。それを聞いて、この人は珠美のことを色々知っていて、その上で好きになったんだってわかったのよ。だから私は尚先生は珠美のことを愛してくれているって信じているわけよ」
「フジコ……」
言葉をなくす私に、フジコは腰を上げながらほほ笑んだ。
「珠美。尚先生のことが好きなら思い切って飛び込んじゃいなさい。妄想して不安になるぐらいなら不安なことを尚先生に全部話すべきよ」
「うん……」
俯く私にフジコは言葉を強めた。
「アンタのバカで最低な元彼、アイツの呪縛そろそろ消してしまいなさい」
「フジコ」
「尚先生はアンタから動きだすのをジッと待っているのかもしれないわよ。私はそんな気がしている。珠美の過去を知っているから尚更ね」
それだけ言うと、フジコはフフッと笑う。
「尚先生にひと言言うだけよ。セックスしてくださいってね」
「フ、フ、フジコ!!!」
真っ赤になって狼狽える私に、フジコはキレイにほほ笑んだ。
「大丈夫、今の珠美めちゃくちゃ可愛いから、どんな男でも誘惑できちゃうわよ」
「バ、バカ!」
ますます狼狽える私を見て、フジコはニッと笑ってピースサインをしたのだった。
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