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第四話(7)
ひとりのふたり
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内村氏は話し続けた。
「そして…他の人から見れば、とんでもないことかもしれないし、残酷なことかもしれませんが……四十九日の法要を、ささやかにあげた後、両親と私は、決めたのです。
今日を最後に、雅也のことは、忘れよう。
雅也という子は、はじめからうちにはいなかった。優也はひとりで生まれてきた。
雅也のことを忘れるために、雅也の服やおもちゃなど持ち物、写真に至るまで、父が少しずつ、こっそり処分したようです。母は雅也の物を見ると泣き崩れてしまうから。
人とは不思議なもので、雅也につながる物が家から無くなり、一日、一日と日を積み重ねてゆくうちに、本当に、雅也は夢か絵本の中の登場人物のように、私には感じられてきました。イマジナリーフレンドだったかのように。
悲しみに沈んでいた母も、次の子どもがお腹に宿ったことがわかり、私の妹が生まれると、かわいいし、たいへんだしとなって雅也の記憶は薄らいでいったようです。
そして、私達は父、母、私、妹の4人家族として生活してきました。
それなのに…それなのに…
私は、心の井戸に雅也を葬って、忘れてしまっていたというのに…
雅也は私のことを忘れてはいなかった…
私が仕事でピンチに陥っている今、昔、横断歩道で守ってくれたように、ふたたび私を助けてくれているのです。
梅原夫妻に会って、物件内覧の予約を取りつけたのは、私の身体に一時的に入り込んだ雅也がしたのです。だから、私には記憶がなかったのです。
鏡の中で微笑んで、私を励ましてくれていたのも雅也だったのです…」
そこまで話し終わると、優也氏は、涙を留めることができなくなり、頬をぽろぽろと流れ落ちる涙を、指でぬぐった。
鈴木医師は、運転席に座っている優也氏と、向こうの歩道に立っている雅也氏とを交互に見て、精神科医としての自分が、彼らにしてあげられることは何だろう?と考えた。
(雅也氏は身体を持っていないのだから、意識体状態だ。私も現在は、意識体状態だ。私と雅也氏との間で、意思の疎通はできるだろうか?)
鈴木医師は優也氏に尋ねた。
「雅也氏は、これからどうしたいと思っているのでしょうか?」
優也氏は答えた。
「とりあえずは、私を助け、励ましてくれるでしょう。でも将来についてまではわかりません…」
「私が一度、雅也氏と話してみましょうか?」
鈴木医師の提案に、優也氏はぜひお願いしたいという表情で、うなずいた。
鈴木医師の意識体と優也氏の身体は、軽自動車から出た。鈴木医師の意識体は、ドアを開けずにドアをすり抜けて、外に出たので、それを見ていた雅也氏に、「意識体がいる」と気づかれたようだった。
鈴木医師と優也氏、雅也氏は、道路を隔てて向かい合った。
鈴木医師は雅也氏に、思念を送った。
「あなたは内村雅也さんですね。私は内村優也さんを診察している、精神科医の鈴木という者です。あなたは今、内村優也氏を助けて働いていらっしゃるが、この先どのように生きたいか、希望はありますか?」
すると、すぐに、そして、きっぱりとした返事が返ってきた。
「わたしは優也の人格と、ひとつになって、優也と共に生きたい。」
その返事は、鈴木医師の横に立っている、優也氏にも届いたようだった。まだ涙にぬれていた、優也氏の表情が、サッと引き締まった。
雅也氏の思念の声が、また響いた。
「優也、優也の緻密に思考するところと、オレのコミュニケーションを得意とするところが一体になれば、向かうところ敵なし、の人生になれると思わないか?
この場所は、オレ達が、5才の時に別れたところだ。オレ達の事故の後、近隣の人達の要望で、歩道橋が架けられたのだろう。
今度はオレ達も、安全に歩道橋を渡って、再び出会おう。」
その声が終わるやいなや、雅也氏は道路の向こうの、歩道橋の階段に向かって歩き始めた。
優也氏も雅也氏にならい、道路のこちらの階段に向かって歩き始めた。
鈴木医師が見守るなか、ふたりは同時に階段をのぼり始め、上の橋までのぼると、それぞれ左、右に曲がって、お互いに橋の中央に歩みを進めた。
橋の中央でふたりの姿がぶつかり、優也氏の身体と雅也氏の意識体が重なった。
そのとたん、花火のように、パチパチッと火花がスパークし、火花がおさまった時には、優也氏の身体がひとりで立っていた。
しばらくして優也氏は、鈴木医師の意識体のほうへ向き直った。
その顔から放たれた笑顔は、優也氏のやさしさと、雅也氏の積極性が混じりあった、新たな人格の表情だと、鈴木医師は認めた。
「そして…他の人から見れば、とんでもないことかもしれないし、残酷なことかもしれませんが……四十九日の法要を、ささやかにあげた後、両親と私は、決めたのです。
今日を最後に、雅也のことは、忘れよう。
雅也という子は、はじめからうちにはいなかった。優也はひとりで生まれてきた。
雅也のことを忘れるために、雅也の服やおもちゃなど持ち物、写真に至るまで、父が少しずつ、こっそり処分したようです。母は雅也の物を見ると泣き崩れてしまうから。
人とは不思議なもので、雅也につながる物が家から無くなり、一日、一日と日を積み重ねてゆくうちに、本当に、雅也は夢か絵本の中の登場人物のように、私には感じられてきました。イマジナリーフレンドだったかのように。
悲しみに沈んでいた母も、次の子どもがお腹に宿ったことがわかり、私の妹が生まれると、かわいいし、たいへんだしとなって雅也の記憶は薄らいでいったようです。
そして、私達は父、母、私、妹の4人家族として生活してきました。
それなのに…それなのに…
私は、心の井戸に雅也を葬って、忘れてしまっていたというのに…
雅也は私のことを忘れてはいなかった…
私が仕事でピンチに陥っている今、昔、横断歩道で守ってくれたように、ふたたび私を助けてくれているのです。
梅原夫妻に会って、物件内覧の予約を取りつけたのは、私の身体に一時的に入り込んだ雅也がしたのです。だから、私には記憶がなかったのです。
鏡の中で微笑んで、私を励ましてくれていたのも雅也だったのです…」
そこまで話し終わると、優也氏は、涙を留めることができなくなり、頬をぽろぽろと流れ落ちる涙を、指でぬぐった。
鈴木医師は、運転席に座っている優也氏と、向こうの歩道に立っている雅也氏とを交互に見て、精神科医としての自分が、彼らにしてあげられることは何だろう?と考えた。
(雅也氏は身体を持っていないのだから、意識体状態だ。私も現在は、意識体状態だ。私と雅也氏との間で、意思の疎通はできるだろうか?)
鈴木医師は優也氏に尋ねた。
「雅也氏は、これからどうしたいと思っているのでしょうか?」
優也氏は答えた。
「とりあえずは、私を助け、励ましてくれるでしょう。でも将来についてまではわかりません…」
「私が一度、雅也氏と話してみましょうか?」
鈴木医師の提案に、優也氏はぜひお願いしたいという表情で、うなずいた。
鈴木医師の意識体と優也氏の身体は、軽自動車から出た。鈴木医師の意識体は、ドアを開けずにドアをすり抜けて、外に出たので、それを見ていた雅也氏に、「意識体がいる」と気づかれたようだった。
鈴木医師と優也氏、雅也氏は、道路を隔てて向かい合った。
鈴木医師は雅也氏に、思念を送った。
「あなたは内村雅也さんですね。私は内村優也さんを診察している、精神科医の鈴木という者です。あなたは今、内村優也氏を助けて働いていらっしゃるが、この先どのように生きたいか、希望はありますか?」
すると、すぐに、そして、きっぱりとした返事が返ってきた。
「わたしは優也の人格と、ひとつになって、優也と共に生きたい。」
その返事は、鈴木医師の横に立っている、優也氏にも届いたようだった。まだ涙にぬれていた、優也氏の表情が、サッと引き締まった。
雅也氏の思念の声が、また響いた。
「優也、優也の緻密に思考するところと、オレのコミュニケーションを得意とするところが一体になれば、向かうところ敵なし、の人生になれると思わないか?
この場所は、オレ達が、5才の時に別れたところだ。オレ達の事故の後、近隣の人達の要望で、歩道橋が架けられたのだろう。
今度はオレ達も、安全に歩道橋を渡って、再び出会おう。」
その声が終わるやいなや、雅也氏は道路の向こうの、歩道橋の階段に向かって歩き始めた。
優也氏も雅也氏にならい、道路のこちらの階段に向かって歩き始めた。
鈴木医師が見守るなか、ふたりは同時に階段をのぼり始め、上の橋までのぼると、それぞれ左、右に曲がって、お互いに橋の中央に歩みを進めた。
橋の中央でふたりの姿がぶつかり、優也氏の身体と雅也氏の意識体が重なった。
そのとたん、花火のように、パチパチッと火花がスパークし、火花がおさまった時には、優也氏の身体がひとりで立っていた。
しばらくして優也氏は、鈴木医師の意識体のほうへ向き直った。
その顔から放たれた笑顔は、優也氏のやさしさと、雅也氏の積極性が混じりあった、新たな人格の表情だと、鈴木医師は認めた。
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