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chapter,5
02. 八鉱石と秘蜜
しおりを挟む桜色の仮面をつけた偽物の怪盗キャリコから受け取った鉱石を鑑識に回した結果、森鍵錠太郎が所有していた”雄黄”の兄弟石”雌黄”であることが判明した。更紗は平然と素手でさわっていたが、酸素にふれるだけで毒をまき散らす可能性を持つ鉱物であることに変わりはなく、危険極まりないため、九条が慌てて彼女の手から奪い取り警察に報告したのである。
昨日の美術館前の中庭で繰りひろげられた攻防を藤堂は黙って聞いていた。そして”虹”と思わしき”連城鉱石”についての説明を更紗から受けている。
「たぶんこれは硫化ヒ素化合物である鶏冠石から変化したものだと思います。古代エジプト時代から使われている”黄土”やミョウバン石と同様、顔料としてはメジャーな鉱石です……かつては日本画の顔料にも使われています。ただ、現代では人体に影響を及ぼす毒性から使用されていません」
「つまりこれも”連城鉱石”だというのか」
「はい。それも”虹”かそれに準ずるものです」
きっぱりと言い切る更紗に、九条が続ける。
「昨晩俺たちの前に現れたふたりの怪盗キャリコは、二か月前に別館の孔雀石をすり替えた怪盗と同一人物とは思えなかった。だが、本物と同様、”連城鉱石”のなかの”呪いの鉱石”について知識を持っている。そうでなければ彼女にこの石を託すとは思えない」
「ふむ。霧島くんは心当たりがありそうな顔をしているが」
「……!」
表情を変えることなく藤堂に向き合っていた更紗だが、じっと見つめられると動揺してしまう。このひとはまだ自分を怪盗キャリコだと疑っている。更紗は疑いの目を自分から他に移そうと昨晩の出来事を思い出しながら彼に提案する。
「森鍵錠太郎から”虹”についての封印方法を受け継いだのは息子の新蔵ではなく孫の剣人さんです。わたしはその”虹”を扱える体質を持っているだけの、ただの学芸員です。むしろ鍵小野宮家と繋がりを持つ東金家に協力を求めるべきかと」
「――東金家、だと」
「警察の方ならそこまで調査されてますよね? 森金連城の子どもたちと呼ばれる弟子の末裔は、わたしだけではありません」
更紗は当然のように自分の手へ”雌黄”の鉱石を渡した桜色の仮面の偽キャリコを思い出しながらきっぱり告げる。
彼女はわたしが怪盗キャリコだということを知っている。だから”虹”をおなじ場所に封印するよう更紗に託したのだ。
「わたしと同じ金魚の名を持つ桜琉金――東金桜さん。げんざいの剣人さんの婚約者です」
* * *
終業後、KUJO本社を出た更紗は九条に連れられて画廊からほど近い場所にあるイタリアンバルでワイン片手に冷製パスタに、マルゲリータピザ、トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼなどのチケッティを食べていた。薄暗い店内には雰囲気にぴったりなカンツォーネが流れており、気軽に食事をしているはずなのに、更紗はなんだか落ち着かない気持ちになっている。
向かい側に座る九条は優雅な手つきでスパークリングワインを開け、ボトルからグラスへとぷとぷと注いでいく。
「あの、九条さん……そんなに飲めないので」
「黎、って呼んで」
困惑する更紗を宥めながら、九条はワインを注いだ後に器用に食事をとりわけ、口角をあげる。
注がれたワイングラスが妙に冷たい。震える指先を宥めながら更紗が「黎、さん」と名前を呼べば、彼は満足そうに頷いた。
「更紗。俺にまだ隠していること、あるでしょ」
「……えっと」
「無理に聞き出すつもりはないよ。ただ、その鉱石が君の手元に来てから、妙に落ち着かないんだ」
だから離れがたくなって、食事に誘ったのだと言い訳する九条に、更紗も苦笑する。
更紗の鞄のなかには一時的に無毒化の処理を施した”雌黄”の鉱石が入っている。画廊で封印しているほかの”虹”と合流させようとしていた彼女を引き留め、九条はこのイタリアンバルへ連れてきたのだ。封印するのは食事をしてからでも遅くはないと、そう言って。
「――この”雌黄”の毒にあてられたのでしょうね」
「神経毒だったか」
「いまは無毒化の処置をしているのでそこまで影響するとは思いませんが、怪盗キャリコがこちらへ放り投げた際に粉塵が散ったことで九条さんも受けてしまったんだと」
更紗は偽キャリコのことを怪盗キャリコと呼び、九条に対してただの学芸員であることを無意識に強調していた。そのことに九条が気づいた様子はない。ただ、心配そうに更紗の瞳を覗き込む。
「君は大丈夫なのか」
「ほんのすこし、体温が上昇しているだけで……」
――なんだか距離感がおかしい。呼吸が浅くなる。近づかれると、さらに体温が上がっていく。ぜんぶ”虹”のせいだって、わかっているのに。
着衣が肌に擦れるだけで全身が熱くなる。はぁ、と甘いため息を零す更紗を見て、九条もまた視線を揺らす。神経に作用する”虹”にあてられて、感覚が歪んでいることに気づいている更紗と異なり、九条はなぜ自分が彼女に魅入られているのか理解できていない。もしかしたら理解したくないのかもしれない。
甘美な錯覚と感覚の鋭敏化によって、更紗と九条の思考は鈍化している。早く封印した方がいいと更紗のあたまのなかで警鐘が鳴り響く。けれど身体はそれを許してくれそうにない。
ワインを飲み干した九条が意を決して更紗を見つめている。
視線が重なり合った瞬間、ゾクリとした恐怖と快感が更紗に襲いかかっていた。
「だめだ。俺は君に――欲情、してる」
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