極上御曹司は仮面の怪盗令嬢の素顔を暴きたい

ささゆき細雪

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chapter,5

01. ふたりの偽キャリコ

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 森鍵第一美術館特別展示”森金連城とその子どもたち展”は、開催まであと二日に迫っていた。更紗をはじめとした森鍵関係者による作業も、怪盗キャリコから届いたとされる予告状以外は問題なく進んでいた。
 美術館の入り口前に立つ警備員の姿を見て、九条が声をかける。

「異変を感じたところは」
「ございません」
「そうか。怪盗キャリコの予告状が届いて今日が最初の週末になる。現れるとしたら今夜か明日だろう」
「ハッ」

 九条の隣で更紗はその様子を眺めていた。本物の怪盗キャリコは現れないのに、彼は現れると言い切っている。夜七時。すでに美術館に勤務しているスタッフたちは退館しており、館内に残っているのは警備を担当するKUJOの警備員と、九条に連れてこられた現場担当の更紗だけだ。

「あの、警察には」
「藤堂には報告済みだ。それにここのオーナーが警察の警備を許可していない」
「……それもそうでした」

 現オーナーは森鍵新蔵そのひとである。闇取引の疑惑を持つ彼が好き好んで警察の警備を歓迎するとは考えられない。そこは九条と更紗の共通認識だった。
 先日更紗が怪盗キャリコとなって”虹”に準ずる鉱石を盗んだのもここ、森鍵第一美術館が管理している別館だ。鍵小野宮一族が遺した宝石やお宝が常時展示されている別館にある鉱石に関してはすでに毒性の確認、すり替えによる無効化の処理がされているため今後は盗みに入る必要もないのだが、九条は別館の方にも警備の目を増やしている。怪盗キャリコの侵入ルートを探るためだと言っていたが、すでに本物が彼の隣にいるのにどう侵入するのだろうと思わず考え込んでしまう。

 ――黎さんは何を考えているのだろう。

 彼の手で初花を散らされた夜のことをふと思い出し、頬を赤らめる。彼は事後、更紗に自分が森鍵の担当になった理由を正直に教えてくれた。森鍵錠太郎亡き後、後継者となった森鍵新蔵が貴重な美術品の数々を闇ルートで流している可能性があるため、警察と連携して動向を見守っているとのこと。その裏で怪盗キャリコと呼ばれる美術品専門の怪盗が暗躍している真相を暴くため森鍵の学芸員である更紗に注目していたことを。

『君は要監視人物として本部に報告されている。だけど俺は君を守りたい』

 彼は更紗が怪盗キャリコそのひとであることを知らない。あのとき正体を明かすこともできたはずなのに、更紗は結局打ち明けられなかった。その代わり、更紗は警察が知らないであろう”連城鉱石”のなかで”呪われた鉱石”と呼ばれるものについての詳細を伝えた。それから七鉱石と呼ばれる”虹”について。

『なかでも”虹”は色鮮やかで危険な鉱石です。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫……そのなかで森鍵が所有していた”赤”の辰砂は藤堂さんがおっしゃっていた三年前の事件で砕け散ってしまいました』

 怪盗キャリコと名乗る前の更紗が”虹”の回収に失敗した最初の事件。現場にいたことを隠し、更紗は森鍵社内での伝聞を耳にしたことにして、九条へ教えた。その頃から森鍵新蔵は非公開にしていた”虹”やそれに準ずる呪いの鉱石を外部へ流しはじめており、一部が海外の闇市場に出回ってしまったことを。その回収にあたっているのが更紗の元婚約者で新蔵の息子である森鍵剣人であることも。

『森鍵新蔵は”虹”を金儲けの道具としか考えていません。ただ、今回の展示会で怪盗キャリコが狙う”虹の輝き”についてはわたしも詳細を知らないのです。森鍵の倉庫で眠っていた貴重な鉱石で、やはり毒性を持つものだということはわかるんですけど』

 その言葉を聞いた九条は、驚いた顔をしていたけれど、特に何も言わなかった。
 あの夜に話したことは、ふたりだけの秘密だ。
 けれどその後、こうして怪盗キャリコが現れるであろう場所に連れ出されるとは思いもしなかった。果たしてほんとうに週末の美意識怪盗、琉金キャリコはこの場に現れるのだろうか? 更紗が九条の隣にいるのに?


   * * *


 夜間照明に照らされた美術館の中庭は、昼とはまるで別の表情を見せていた。
 ガラス屋根から落ちる白色灯の光が青白く反射し、ブロンズ像の影が長く伸びている。
 そんな静謐を破ったのは、風を裂くような一閃であった。

「……怪盗キャリコ?」

 更紗は信じられないものを見てしまったかのように表情を歪ませる。その隣で九条も息を殺す。
 中庭中央のブロンズ像の上に、黒い影が物音もなく姿を現していた。大柄で、大胆な動きで警備を翻弄する、それでいて夜闇をすいすい泳ぐ美しい琉金のような怪盗――にしては動きが荒くて、どことなく重たい。
 更紗は理解する。これは“キャリコ”の名を騙る者だ、と。
 けれど見た目だけは本物めいていたから、周囲に関係者以外の人間がいたら本物と勘違いしてしまっただろう。
 それだけ黒い紗のヴェールはキャリコ琉金の尾びれを彷彿させる襞を再現していたし、顔につけている仮面もまた、キャリコが使っているものに相似していた。

「……やっぱり、出てきたか」

 中庭の縁、半ば闇に溶ける影から九条が呟く。
 仮面越しに偽者の挙動を読み、靴裏を静かに鳴らして歩み出した彼を嘲笑うように、偽キャリコがこちらを見下ろし、挑発するように跳んだ。
 重い着地音とともに、床が震える。

 ――雑。

 それが更紗の率直な印象だった。
 偽者は腰のフックを乱暴に引き抜き、照明のケーブルに引っかけると、勢いのまま天井近くへと駆け上がっていく。
 ガラス屋根に跳び移り、こちらを観察する姿を見て、更紗はため息をつく。

「……そんな所に乗れば、響くに決まってるじゃない。危ないわ」

 とっさに更紗は九条が目を離した隙に中庭の柱の影へと身を滑り込ませる。
 直後、ガラスが軋む嫌な音が響いた。

「更紗?」

 割れてはいないが、このままでは屋根が壊れてしまう。
 偽キャリコが中庭中央へと飛び降りた瞬間、更紗は影のように走り出した。
 スカートを翻し、展示用の石畳を滑るように横へ跳び、偽者の足元へ届く寸前でぱっと姿勢を低くする。

「危ない!」

 焦る九条を無視して更紗は偽キャリコの蹴りを退ける。――すれ違いざま、かすかに香る薬品の匂いで確信する。

「……鉱石の処理をしてないの? あなた、素人ね」

 ふたたび偽キャリコの蹴りが空中をかすめ、石畳に衝撃が走る。
 更紗は軽やかに跳び退き、柱の影で振り返る。
 天井の梁が動く。――いや、そこにも人の影がある。

「それはどうかしら?」

 その声に、九条が反応する。更紗とは違う、艶やかで大人びた女性の華やかな声に、周囲が硬直する。

「こっちにも”キャリコ”?」

 桜色の仮面をつけた黒装束のスレンダーな女性が手袋越しに鉱石を持っている。あれが”虹”――?
 非常灯に照らされた仮面の横顔は、妙に静かで、品がある。
 九条が状況を正確に把握しようと背後を向いた瞬間、更紗の背後で偽キャリコが倒れこむように動き出していた。

「危険だ!」

 九条の声が中庭に響く。
 その瞬間、偽キャリコが更紗に向かって突進する。更紗は反射的に身をひるがえそうとして、躓く。
 転んだ更紗に覆いかぶさるように偽キャリコが身体を押さえ込み、彼女へ警告する。

「――”虹の記憶”に近づくな」

 その言葉を無視して更紗は偽者の肩に手を置き、そのまま軽やかに跳び越える。
 着地と同時に、九条の伸ばした手のすぐ前に倒れ込む。

「……っ」
「大丈夫か!?」

 更紗は一拍の迷いののち、首肯し、そっと彼の腕を避けて立ち上がる。
 敵はまだいる――そう思わせるように、意図的に距離を取って。
 だが、偽キャリコの姿はすでに梁の方へ消えていた。
 中庭に残されたのは、更紗と九条。そして、鉱石を月に照らしているもうひとりの偽キャリコ。
 桜色の仮面越しの視線が静かに交わる。

「あれは」
「……”虹”を返しに来たわ」

 更紗の瞳が、ほんのわずか揺れる。その瞬間、手にしていた鉱石が更紗に向けて投げられる。月の光を浴びた黄金色に煌めく鉱石を両手で抱き留めて、更紗はアスファルトへ尻餅をつく。視線は仮面の怪盗を睨みつけたまま。

「どう、して」
「またね。更紗ちゃん」

 更紗の手に鉱石が渡ったのを確認して、もうひとりのキャリコがふふふ、と柔らかく笑いながら姿を消す。
 気がつけば大柄の偽キャリコの姿も夜闇に溶け込んだかのように消えていた。

「……無事か?」

 九条の問いに更紗は答えない。ただ、消え去ったふたりの偽キャリコの姿を黙って凝視していた。
 中庭には夜風だけが流れている……。
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