春暁に紅緋の華散る ~はるあかつきにくれなひのはなちる~

ささゆき細雪

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 神託によって遠ざけられていた姫君も、すでに齢十八。婚期を逃したとも思われるが、まだまだ彼女は美しい。すらりとした長身に艶のある黒髪、きりりとした一重の双眸に気の強そうな漆黒の虹彩。十七歳で疱瘡に罹り、顔の大半に痕が残ってしまった醜い自分とは大違いだ。

「でも、そうしたら逆に、実朝さまが鎌倉を滅ぼす側になってしまうのでは?」
「まだそんなことを言うのか。あれは兄上の二番目の子に託されたものだ、三浦家の姫君とはなんら関係がない。彼女は公暁くんと同じ時期、しかも払暁に生まれた女児というだけであのような境遇に陥っているのですよ。それに執権どのも、公暁くんが還俗して妻を得るよりも、愚直なぼくが側室に夢中になっている方が楽だとわかってくれるはずです」

 あっさり返されて水は何も言えなくなる。たしかに、北条氏がいまもっとも危険視しているのは剃髪しない僧侶、頼家の息子の公暁である。実朝がいまさら新しい女性にうつつを抜かしていても、痛手がないのも事実だ。

「……それで、動かれるのですか」

 水は実朝の言葉を受け、渋々首を振る。

「まずは、公暁くんの出方を探ることになりますが」

 彼が剃髪せずに鎌倉へ戻ってきたのはなぜか。ほんとうに還俗して唯子を自分の正室にするつもりなのか。そもそも彼は将軍位を狙っているのだろうか……?
 場合によっては、敵対することも考えられる。いや、すでに実朝と公暁は唯子という姫君を求めて、相対している。
 けれど、どちらも唯子を求める気持ちに嘘偽りはない。だから実朝は苦悩する。いっそのこと、三年前のあのときに強引に攫って行けばよかったのだろうか。いや、そんなことをして彼女を手に入れても嬉しくない。いくら彼女が自分を悪くないと想っていてくれても……彼女に結婚する気がないのなら、無理強いすることはないと思っていたのだ。

 けれど公暁が帰ってきたことで、均衡が崩れようとしている。
 ずっとこのままでいられればいいと思っていた。結婚という言葉で彼女を縛ることなく、いつまでも彼女を見守れればそれでいいと。
 でも、もはやこのままではいられない。

「奧山の 岩垣沼に 木の葉おちて しづめる心 人しるらめや――奥山の岩で囲まれた沼に落ちた、底に沈んでいる木の葉のように、ぼくの心も沈んでいるなんて……あなたはきっと知らないでしょうね」

 淋しそうに遠くを見つめる実朝を、水は黙って見つめつづける。
 衣被きで顔を隠して歩き出す実朝の背後に気づいたところで、ようやく声が出せた。

「そんなことないですよ、暁子は」

 ――実朝のことを想っている。

 けれど、水は吐き出しそうな言葉を寸でのところで食い止め、歯を食いしばって後を追う。
 自分は見守ることしかできないのだ。
 この、叶えてはならぬ恋、を。
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