上 下
27 / 37

+ 6 +

しおりを挟む
 虚ろな瞳を彷徨わせて、公暁はひとり先に歩いていく。泉次郎はその後ろ姿を凝視し、瞳を反らす。
 親の仇。
 その大義名分に、公暁は賭けるのだろう。それは違うと、泉次郎は首を振る。
 そして、押し殺した声で、言葉を落とす。

「――実朝さまは、人殺しなどしない」

 彼に仕えている自分だから理解できる。けれど、いまの公暁に何を言っても、通じない。
 このままでは、彼は自分の主を殺してしまう。そんなことはさせられない。けれど、自分は彼を止められない。
けして止めてはならぬと母に言われたから。

「わかっております。捻じ曲げられた神託の行方を見守るのが私の定め」

 だから幼いころから実朝の小姓「水」になり、あるときは実朝の妻信子の侍女「和泉」となった。唯子と公暁の旧知の友でいまは御家人の息子「泉次郎」は鶴岡八幡宮の神託を捧げた巫女「白」の息子として、ときに女傑政子に密かに呼び出され、鎌倉を滅ぼさないための意見を求められもする。自分にできることは神託の行方を見守ることだけ。
 だというのに、泉次郎は公暁の凶行をどうにかして止めたいと考えてしまう。彼を止められるのは払暁の姫、唯子だけなのに。

「実朝さま」

 神託を見極めるため彼に近づいたはずが、長い年月が判断を迷わせる。何も知らない彼もまた、神託によって運命を狂わされたひとり。唯子が自分の姪だと知らないまま、恋に堕ち、公暁に殺されようとしている。

「――それでも、逃げぬのですか」
「逃げないよ。逃げるわけ、ないじゃないですか」
「……実朝さま」

 いつ、お戻りにと水の口調になった泉次郎だったが、実朝はいいんだと首を振る。

「知っているよ。ぜんぶ」

 お前が鶴岡八幡宮の巫女「白」の息子で、神託を見極めるために自分や信子に近づいていたことも、幼いころから源氏の御家人の息子として公暁と唯子の乳兄妹の様子を密かに追いかけていたことも……公暁と唯子の立場が入れ替わっていることも。
 泉次郎を責めるでもなく追及するでもなく、ただひたすら穏やかに、実朝は述べていく。

「姫君の出生の秘密ですら……知っていらしたのですか」

 驚愕を隠せない泉次郎に、実朝はにやりと嗤う。自嘲を含んだその表情は、かつて実朝が男色に耽っていた頃のものによく似ている。
しおりを挟む

処理中です...