静かなふたり

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12 side Odell-1

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 オデルは緊張していた。
 屋敷の前で使用人勢揃いして新しい妻を迎えるために待っているのだが、落ち着かず微かに手に汗もかいている。
 こんなに緊張することは最近では滅多にないことだった。
 
 前妻シルビアとの結婚はバルモア公爵夫人シャーロットに進められたことから始まった。
 シャーロットが懇意にしている貴族から頼まれたらしく、シルビアの実家の借金をチャラに出来るだけの支度金が用意出来る独身貴族男性で相手がいそうにないオデルに白羽の矢が立った。
 当時二十六歳だったオデルも自分が婚期を迎えていることはわかっていたが、幼い頃から不愛想で女性に好まれるタイプではないことを知っている。自分と結婚したいなどと言う女性は金目当て以外にはないだろうこともわかっていた。
 実際にはオデルがモテなかったわけではない。社交場に行けば美丈夫なオデルに女性が色めき立っていたことを気が付いていないだけだ。
 今まで何人もの女性がオデルに恋をし近づいては必死に関心を引こうとしていたこともあったが、オデルには気が付くだけの勘の良さがなかった。
 女性の機微にとことん鈍感。更にオデルのまったく崩さない鉄壁の無表情に女性の方も諦めてしまったが故に、自分はモテないと信じ込んでいた。
 なんにせよ女性と上手く交流出来ない自分はどこかで誰かと見合いをするしか結婚の手立てはないだろうと思っていた。
 金と地位目当てでかまわなかった。女性が贅沢に暮らせるだけの資産もあるのだ、それがオデルにとっては最大で唯一の武器だと思っていた。
 
『シルビアは若くてとても美しいのよ。あなたこの女性を逃したら他にお相手は見つかりませんよ。支度金もあなたならたいした問題ではないでしょう』
 
 シャーロットに言われ、気の毒な女性とその家族を救えるだけじゃなく自分も妻を持ち後継ぎ産んでもらえるのなら支度金くらい安いものだった。
 会ったこともない女性だったが、顔かたちはどうでもいいオデルは了承し結婚の運びとなった。
 
 初めてシルビアと会った時のことは鮮明に覚えている。
 赤毛が美しいまだ少女のような女だった。
 鼻は赤くなっていて、伏せたまつ毛が震えていた。
 彼女にしてみたら金のためにこんな男に売られたと思ったのだろうか? 気の毒なほど怯えているように見えた。
 少しでも怯えを和らげてやりたかったが、オデルにはこんな時に使えるジョークのひとつも知らない。
 せめてこの不愛想な顔だけでも何とかしたいのだが、オデル自身は努力して柔らかくしているつもりでも実際にはそうはなっていない。
 あと出来ることで残っているのはひとつだけだ。
 『好きに買い物をしてかまわない。欲しいものがあればいつでも商人を呼んでいい。船や不動産のような大きな買い物の時だけは相談してくれ』と言ってやった。
 べつに別荘でも船でも欲しいと言えば買ってやれるが、書類や手続きが必要な物は弁護士を頼まなくてはならないので相談して欲しいと言った。
 シルビアとの初夜は最悪だった。
 女性と何度かこういう行為をしたことはあったし、初めてのシルビアを気遣って優しく丁寧にしたつもりだったが、それでもシルビアにしてみたら辛かったようだ。
 金のために親に言われて嫁いできた若い娘が、好きでもない男に乙女を捧げなくてはならなかったのだ。その辛さが最初から最後までシルビアの身体と心を開かせなかった。
 泣きながら痛みに堪えて、終わった後も隣で背を向け枕を濡らしていた。
 もっと優しい言葉をかけてやらなくてはならなかったと思うのだが、こんなときでさえオデルの口からは言葉が出てこなかった。
 商談であれば必要なことは喋るが、それ以外のこととなると頭で思っていることが上手く言葉にできない。
 『力を抜きなさい』『大丈夫だ』この程度のことしか言えなかった。
 優しく寄り添ったつもりでも、シルビアには全く伝わらなかった。
 その後もシルビアはオデルが求める度に堪えるように行為を受け入れた。
 そこまで自分は下手なのだろうかと不安になったほどだったが、行為には身体だけではなく心も伴わなければならないのだと知った。
 オデル自身も吐精はしたが、結婚前に肌を重ねた女性と同じで目も眩むような快感ではなかった。
 若くかわいらしいシルビアに恐れられていることが切なくなったが、それほどシルビアを愛しているのかと聞かれたら答えられない。
 シルビアを愛おしとまでは思えていない。
 それがシルビアにも伝わっているのかもしれないと思ったが、夫婦になったのだから愛する努力はしているつもりだった。常に関心を寄せようとしている。
 しかしそんなオデルの努力はシルビアには一切伝わらず、ある日予定より早く帰宅したのでシルビアの部屋へ土産を持ってリーブスと行くと、裸の庭師とベッドで縺れ合っていた。
 目の前で起こっている事態がどういうことなのかを理解するのに数秒の時間が必要だった。
 まさかシルビアがこんなことをして、自分の時では出さないような喘ぎ声を聞くようなことが現実だと簡単に理解出来るはずがない。
 入り口で立つオデルとリーブスに気が付いたシルビアが悲鳴を上げ、庭師はベッドから飛び降り床に跪いた。
 思考が停止して声の出ないオデルに『旦那様、お話しさせてください!』とシルビアは縋り付いて言い、オデルはただ頷いて自室へ行き待った。
 リーブスが庭師を解雇したというので頷きシルビアを待ったが、その日シルビアは部屋から出て来ず、オデルのもとには来なかった。
 すぐに言い訳をしに来られるような精神状態ではないのだろうと思った。それは自分も同じで、話を聞くなら頭の冷えた明日のほうがいいのかもしれないとオデルもシルビアの部屋へは行かなかった。
 翌朝。午前中に約束があったため出かけた。午後には戻って話を聞くつもりだったが、帰宅するとシルビアはもういなかった。
 自分の荷物の他にオデルのカフスや指輪などの宝飾品も盗んで出て行った。
 怒ったリーブスがシルビアの実家へ連絡をし、シルビアの両親揃って飛んで来たが謝られても彼らのせいではない。
 言えることはひとつ。『離縁の手続きをする』だけだった。
 したことは褒められることではないが、オデルがもう少しシルビアを愛し思い遣ってやれればこんなことにはなってなかっただろう。
 オデルの努力も、伝わっていなければ意味がない。
 シルビアだけにこの結婚生活の破綻の罪をなすりつけるつもりもなかった。
 だからオデルは両親の謝罪を受け入れ、支度金もオデルの宝飾品も返済の必要はないと弁護士を通じて伝えた。
 シルビアは実家からも勘当され戻ることは許されず、解雇された庭師と家を借りて暮らし始めていることは商談先で聞き知った。
 この離婚騒動は社交界で噂になり、尾ひれを付けてロマンティックな恋物語となっていた。
 自分が悪者になることはまったくかまわなかった。シルビアに対して自分が足りなかった自覚が確実にあるからだ。
 傷つき落ち込みもしたが、あの事態は自分が招いてしまった事なのだと考えた。
 そして自分が結婚に向かない男だとはっきりと自覚した。
 後継ぎを考えれば再婚が必要になるが、妹にふたりの息子がいる。どちらかの息子、もしくはどちらかの息子の子にでも侯爵家を継がせることは出来るだろう。
 オデルはこの先誰とも結婚しないと決めた。
 それが自分のためでもあり、不幸な女性を作らないためだと思った。
 



 その決意が崩れたのはジュリエットと会ってしまったせいだ。
 王都で貴族議会があり妹の嫁ぎ先であるエドモンド伯爵邸に滞在していると、シャーロットから茶会に招待された。
 面倒だとは思ったが、王族であるシャーロットの誘いはよほどのことがなければ断われない。
 仕方なく宮廷にいるシャーロットのサロンへ行くと、そこにジュリエットがいた。
 シャーロットがジュリエットと見合いをさせるためにオデルを呼んだのだ。
 ジュリエットはすでにオデルとの結婚の話を聞いていたのか落ち着いた雰囲気で、シャーロットに紹介されたオデルの前で挨拶をした。

『こちらランドリー男爵令嬢のジュリエットよ』
『初めまして、ガロポロ侯爵』

 名前に聞き覚えがあったのは、ジュリエットが有名人だったからだ。
 噂話に興味のないオデルでも知っている、八年間嫁ぎ先のピット子爵に放置され、愛人が妊娠したため離縁されたという少し前まで話題になっていた女性だ。
 しかしジュリエットを見ても噂の八年放置された石女と噂される女性には全く見えないので驚いた。
 烏の濡れ羽色の髪を後れ毛一本出さずにきちんと結い上げて、深い紺色の瞳は媚も微笑みも一切なく、ツンと尖った鼻梁は気高さを物語っていた。
 女性にしては高めの身長で背中は真っ直ぐ伸びて立ち姿も美しく、なんて清々しい女性だろうと思った。
 挨拶した時に聞いた姿と若干ギャップのあるソプラノの声はシャーロットを挟んで向かい合う間殆ど聞くことが出来ず、その声で名前を呼ばれたいと思ってから自分のなかにほんのりと暖かいなにかが芽生えたのを感じた。

『ふたりは似た者同士だわ。とーってもお似合いよ!』

 ご機嫌で根拠もないことを無責任に言い切るシャーロットの言葉をありがたく思ったのは初めてのことだ。
 シャーロットの紹介した女性との結婚が破綻したオデルなのでその言葉を信じるのは難しいはずだったが、決めてしまった。
 結婚には向かない男だと悟り、もうしないと決めていたはずのオデルがジュリエットとの結婚を瞬間的に決めてしまった。
 ここまで衝動的に決断すること自体オデルには初めての経験で自分自身に戸惑いもしたが、どうしてもあの声で名前を呼ばれたいと願ってしまったのだ。
 少し考えてから返事をしてちょうだいという言葉に即答で『イエス』と告げることを我慢して妹の屋敷に帰宅したが、翌日には堪え切れずシャーロットに結婚を申し込む旨の手紙を書いた。
 しかしすぐにジュリエットからの了承が来ず、やはり自分ではだめだったのだろうかと好意を示す言葉ひとつも発することが出来なかった自分の不甲斐なさにがっかりしながら数日後カブコートにあるガロポロ邸に戻ると、シャーロットとジュリエットからの手紙が届いていた。
 焦る心を使用人たちに知られないよう冷静を装って手紙を持って書斎に入ったが、装う必要はなかった。焦っていたとしてもそれがまったく表に出ないオデルなので、長年仕えるリーブスでもオデルの焦りに気付くことは出来ないだろう。
 シャーロットからはジュリエットが了承したという内容で、ジュリエットからはオデルの婚姻の申し出に感謝する内容の手紙だった。
 飾り文字が音楽を奏でているように流れる書体で書かれた美しい文字に心を踊らされた。
 定型文のような堅苦しい文章で心躍るような甘い言葉はひとつも書かれていなかったが、それでもオデルの心は踊った。
 シルビアにも感じたことのない胸の高鳴りがオデルのなかで溢れて、ひとりきりで書斎にいるというのに口を押えて隠した。
 自分がにやけてしまっているように感じたのだ。
 実際にはオデルの口元に何の変化もなかったのだが、オデルは確実に自分の口元が緩んでいると思った。
 三十一歳にもなって二度目の結婚でもあるのに浮かれるなと思うのだが、オデルは確実に浮かれていた。
 執事のリーブスにシルビアが使っていた部屋の改装を頼んだ時も、ジュリエットのイメージからしてあまりかわいい感じではないだろうと落ち着いた雰囲気にするよう伝えた。
 そんなことを言ってリーブスに待ち遠しいことがわかってしまうのではないかと心配したが、それも無駄な心配だ。
『再婚することになった。この部屋を落ち着いた部屋に改装してくれ』と無表情で言うだけではオデルの心中が伝わるわけがないのだ。
 ジュリエットが屋敷に来る日が決まり前日には荷物が運びこまれ、もう明日という段になってそれまでひとりこっそりと浮かれていたオデルは急に不安になった。
 ジュリエットも再婚ではあるのだし、シルビアのように結婚に夢を抱く乙女ではないが、それでも先の結婚でひどい目にあって今度こそはと思っているかもしれない。
 それなのに自分と結婚してジュリエットの思い描く生活が送れるだろうか?
 シルビアのように自分に怯え、ここの暮らしに絶望したりしないだろうか?
 あの清々しい女性がありのままの姿でここで幸せに微笑むことが出来るだろうか?
 そう考えるとオデルにはまったく自信がない。自分自身を低く見すぎているし、シルビアの前例が重すぎる。
 しかもシルビアには感じたことのないものをジュリエットに感じて、断ろうとした結婚もその場で決めてしまったほどなのだ。そんな女性を幸せに出来ないのかもしれないと想像すると不安は募るばかりだ。
 そんなわけで当日、不安で落ち着かないオデルが緊張してジュリエットを待つことになった。
 もちろんそんなオデルの心中は一切表には出ておらず、使用人たちにはいつもと変わらない主人の姿しか見えていなかった。




 馬車を降りて来る姿を見てオデルは再び胸中に現れたほんのりと熱いなにかを感じた。
 清々しい印象はそのままで、この女性が今日から自分の妻なのだという喜びに年甲斐もなく胸を高ぶらせた。
 こんな姿を使用人はどう見ているのだろうかと気になったが、気にすることは例のごとく無駄だ。
 使用人の目にはいつもと全く変わらない無表情な主人にしか見えていない。むしろそっくりな無表情夫妻をどうしたらいいのかという戸惑いでいっぱいだ。
 緊張はしていても少しでもこの不愛想な顔を柔らかくしようと努力したが、上手く出来ているかわからなかった。
 わからないのが不思議なくらいオデルは無表情のままだったが、それはジュリエットも同じだ。
 ジュリエットの表情が硬いのは初めて逢った時もそうだったが、緊張しているのか? それとも自分と同じように感情を顔に出すのが苦手なのだろうか?
 苦手というにはレベルを超えているが、同じ人種同士だからなのだろうか、使用人たちが覚える不安ほどにはそれがおかしいとオデルは感じていなかった。
 自分と同じ感情が顔に出ないタイプなのだと気が付いたのは、その夜のことだった。




 シルビアのことがトラウマになっているわけではないが、オデルは初夜の寝室に入るのも緊張していた。
 ジュリエットも二度目の結婚なのだから乙女ではないのは確かだ。
 しかも結婚の申し入れに感謝する手紙までくれたのだ。そこに書かれていた内容は定型文のようなものではあったが、オデルとの結婚を望んできてくれたのだからシルビアのように嫌々だというわけではないだろう。
 しかし夕食の時もほとんど会話らしい会話も出来ず、微笑みもなかった。
 小さな女の子が侍女だと言って付いて来たが、少しでも和ませようと『エルフか?』と言ってみた。するとジュリエットは『人間です』と返してきた。
 洒落が伝わったのだろうか?
 洒落で返してくれたのだろうか?
 ジュリエットの表情が変わらないので真相はわからなかったが、オデルにとっては嫌々来ているわけではないことを感じられる会話だった。
 傍から見ればどこに手ごたえがあったのかは皆目理解出来ないのだが、オデルはあの会話で少しだけではあったが緊張を解くことが出来た。
 微笑みもなく会話も少なく洒落に乗ってくれた、かもしれない、というだけでは簡単に自信に繋がったりもしないが、夫婦になったのだから受け入れて欲しいとベッドに入り手を伸ばすと、ジュリエットはオデルの腕に従って受け入れた。
 唇を重ねるとおずおずとしながらも受け入れ、表情はあまり変わらなかったが欲がジュリエットを求め入ると確実に熱を帯びた紺色の瞳が見つめ返し頬に手が添えられた時は全身が発火するかと思った。
 ジュリエットに受け入れられていると感じた。
 微笑みもしなければ喘ぎもせず、事は静かに始まり静かに終わった。が、嬉しかった。
 そして、ジュリエットも自分と同じように感情が表に出ないタイプなのだとわかった。
 朝起きて隣で眠るジュリエットを見ているだけで幸福感が胸に広がった。
 その後もほとんど会話らしい会話はなく過ごしたが、ジュリエットが穏やかに過ごしていてくれることが嬉しかった。
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