独占欲強めの幼馴染みと極甘結婚

本郷アキ

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1巻

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   第一章 もう一度新婚生活を始めよう


 桜の開花宣言が都内にも届く頃、私――松坂まつざかふゆは病室の窓からつぼみをつける桜の木を眺めていた。病院の駐車場から出てすぐの道路は桜の木が何十本も並んでいて、三階の窓から見える景色は壮観だ。

(いけない……景色を見てる場合じゃなかった……っ!)

 看護系の大学を卒業した私は、都内にある総合病院で看護師として働いている。
 ようやく四月から二年目に入る二十三歳の新人だ。まだ仕事に慣れるだけで精一杯だし、先輩看護師の足を引っ張ってばかり。手を止めてうっとりと景色を眺めている暇などないのだ。
 一年目はプリセプター制度で、先輩看護師からマンツーマン指導を受けられたが、二年目からは一人で患者を担当することになる。患者の命を預かる身として失敗は許されない。身の引き締まる思いだ。

翔子しょうこちゃん、検査に行こうか」

 先輩看護師が車椅子を用意しながら病室に入ってくる。
 担当患者である小鳥遊たかなし翔子ちゃんは、手術のために何度も入退院を繰り返している、高校一年生の女の子だ。病状は少しずつよくなっていて、おそらく今回が最後の手術と言われている。退院の日も近いことから、彼女の顔は明るい。

「うん。あ、ふゆちゃんと一緒に行ってもいい?」

 先輩看護師の声かけに、翔子ちゃんはちらりと私の方へ視線を送った。

「いいわよ。翔子ちゃんは、松坂さんが好きね」
「うん。この頼りない感じが好き」

 先輩看護師が笑って言うと、翔子ちゃんは弾むような声で答えた。

「もう……翔子ちゃんってば! 私だってもうすぐ一人で患者さん受け持つんだから」

 翔子ちゃんは、私が初めて受け持った患者さんで、ほかの患者さんよりも思い入れが強い。

「じゃあ、行こうか」

 翔子ちゃんを車椅子に乗せて放射線科へと検査に向かう途中、すれ違った小学生くらいの男の子が私を指差して「あの看護師さん、ちっちゃ!」と言った。横にいた小児病棟の看護師が「そういうこと言わないの」となんのなぐさめにもならない言葉をかけている。

(わかってますよ~ちっちゃいのは)

 一五〇センチに届かない身長に、染めていない真っ黒の髪。それに加えて顔立ちが幼いから、私服で外を歩いているとたまに中学生に間違えられる。
 最近はさすがに小学生に間違えられることはなくなったが、数年前まではおまわりさんに度々たびたび呼び止められ「こんな時間に一人で歩いていたらだめだよ。お家どこ?」と聞かれ、そのたびに身分証を提示していたものだ。

(もう慣れたけどね……)

 翔子ちゃんの車椅子を押してエレベーターに乗り込むと、彼女は車椅子を押す私の手をじっと見つめていた。

「どうかしたの?」

 どこか痛むのだろうかと、車椅子を動かす手を止めて聞くと、翔子ちゃんは口元を緩め白い歯を見せた。

「ふゆちゃん、結婚してたんだね」
「あ……っ、ごめん。外し忘れてた」

 慌てて左手の薬指からシンプルなリングを抜いてポケットにしまう。いつもはロッカーで外してくるのに、今朝はバタバタしていてすっかり忘れていた。
 私は自分の結婚を仲のいい友人にしか明かしていなかった。名字が変わる関係で職場には報告したが、結婚式も新婚旅行もしていない。

「ねぇねぇ、いつ結婚したの?」

 さすが高校生。恋愛には興味きょうみ津々しんしんといった様子だ。翔子ちゃんの笑顔にほだされて、私は移動しながら、聞いてもさして楽しくないだろう結婚生活について話し始めた。

「十八歳だよ……でも」
「えぇぇぇ~っ? なに、もしかしてデキ婚?」

 私が続けようとした言葉をさえぎって、翔子ちゃんが驚きの声を上げた。結婚した年齢が若過ぎて、翔子ちゃんがそう思うのは仕方がない。

「でも、ふゆちゃん、子どもいるって感じしないよねぇ」
「デキ婚じゃないよ。彼とは幼馴染おさななじみなの」
「なにそれっ、憧れる~! 幼稚園から一緒、みたいな?」

 これから検査だというのに、翔子ちゃんのテンションがどんどん上がっていく。楽しんでくれてなによりだが、結婚生活なんてほとんどないに等しい。
 私が赤石あかいし改め――松坂ふゆとなって、五年。
 五年も経てば、夫とは愛だの恋だのでケンカすることはなく、平穏な毎日を過ごしている――とはならず。
 五年経っても、新婚のように行ってきますのキスをして、おかえりなさいのキスをする、おしどり夫婦――ともならず。
 夫である純也じゅんやさんと私は、結婚以来ずっと別居状態なのだった。
 この五年間、彼とはひと月に一度顔を合わせる程度。休みの日には会いに来てくれるものの、私のシフトの関係で会えない日も多く、週末婚どころか月末婚だ。さらに言えば、私は結婚してからも変わらず実家暮らしである。
 幼い頃から大切にされているし、一応恋愛結婚で、マメな彼からは毎日「おはよう」と「おやすみ」の連絡が必ずくる。
 でも、メッセージは頻繁ひんぱんにあるものの、前に電話で話したのはいつだったか。

「小さい頃から一緒だったけど、翔子ちゃんが想像してるような感じじゃないよ?」
「じゃあ、どういう感じなの? どうやって結婚ってなったの? 私、恋愛経験ないから教えてくんなきゃわかんない」
「結婚したのはね……」

 私はなつかしさに目を細めながら、純也さんとの出会いを思い出す。



 東京都渋谷区とうきょうとしぶやく、私がこの町で暮らし始めたのはまだ物心つく前、三歳の頃らしい。
 我が家は普通よりも少しだけ裕福な程度のごくごく一般的な家庭だ。総合病院で医師をしているお父さんと、看護師をしているお母さん。
 誕生日やクリスマスプレゼントは当たり前にもらえたけど、誕生日もクリスマスもお父さんとお母さんは仕事で家にはいなかった。
 両親が仕事でほとんど家にいないため、私は生後半年から保育園に預けられていたらしい。でも、私が三歳の頃に引っ越した渋谷区で預け先がなかなか見つからず、どういう経緯でそうなったのかはわからないが、私はお隣の松坂家に預けられることになったそうだ。
 だから松坂家の一人息子である四歳上の純也さんは、私にとって物心つく前から当たり前にそばにいるお兄ちゃんだった。
 太陽の光が当たるとわずかに明るく見えるさらさらの黒髪に、大きな目。そして、目をおおいそうなほど量の多い長い睫毛まつげ。おとぎ話に出てくる王子様はこんな感じだろうかと想像した。

「かっこいいね」

 あとから松坂家のお手伝いさんに聞いた話だと、純也さんを前にした私の第一声がそれだったそうだ。覚えてないけれど。
 松坂邸は、低い石垣と和の雰囲気のある外壁に囲まれた二階建ての屋敷だ。まるで旅館に来たみたいな立派な数寄屋門すきやもんくぐって中に入ると石畳が続いている。
 広い庭には池があり、その先にこれまたおもむきのある引き戸の玄関があった。L字形に造られている木造の和モダンな邸宅だ。
 両親が仕事の時は隣家に預けられるようになった私は、小学校に上がっても、しょっちゅう松坂邸に遊びに来ていた。庭は季節ごとに花が植え替えられていて、それらを眺めながら純也さんと鬼ごっこをしたり、水遊びをしたりするのが楽しみだった。
 お父さんが冗談で「ふゆはパパよりも純也くんが好きなんだね」なんて言うくらい一緒にいた。仕方がない。だってお父さんは、私が起きているうちに家に帰ってこないのだから。
 その日も私は、学校から帰って家にランドセルを置き、そのまま松坂邸の門を叩く。純也さんが私を迎えに出てくれて「お邪魔します」と靴を揃えて中に入った。

「ふゆ、母さんがケーキできたって」
「やった!」

 うちよりもずっと広いリビングのテーブルにはホールケーキと紅茶が用意されていた。純也さんのお母さんがれてくれる紅茶はすごく美味おいしい。
 私はいつもの定位置、純也さんの隣に座って手を合わせる。

「いちごのケーキ! いただきます!」
「いちご好きだもんな。ふゆのために母さんがたくさん買ってたよ」

 私は頷いて早速ケーキの上に載ったいちごを頬張る。純也さんはいつも表情を変えずにケーキを食べていて、あまり嬉しそうじゃない。私なら毎日ケーキでもいいのに。
 ちらっと横を見ると、純也さんのケーキにはなんといちごが三つも載っていた。私のは、今食べた分を入れて二つ。むぅっと唇を尖らせ、うらやましげにいちごに目を向ける。

「俺、ちょっとでいいから、ふゆにあげるよ」

 純也さんが自分のケーキを半分ほど切って、私の皿に載せてくれた。なんといちごまで。

「いいのっ? ありがとう!」

 どうやらしょっちゅうおやつにケーキが出るらしく、飽きたと純也さんは言っていた。なんてうらやましいんだ。

「取れない……」

 小学校一年生になっても食べるのが下手へたな私は、お皿の上でいちごと必死に格闘していた。フォークをうまくいちごに刺せなくて、コロコロと転がしてしまう。
 いちごが取れないことに苛立ち、私はついにフォークを皿に置いた。

「純也お兄ちゃ~ん! いちご取って!」

 あーんと口を開けて純也さんが食べさせてくれるのを待つ。純也さんは仕方がないなと、私のフォークにいちごを刺して食べさせてくれた。

「もっといちご欲しい」

 私がねだると、純也さんは冷蔵庫からいちごを出してくる。

「純也さんは、ふゆちゃんを甘やかし過ぎですよ」

 お手伝いさんが苦言をていする。

「甘えられるうちは甘えておけばいいんだよ」

 純也さんはお手伝いさんの言葉をさらっと流し、冷蔵庫に入っていたいちごを洗って、私の皿に載せてくれた。さすがにお手伝いさんは呆れ顔だ。

美味おいしい?」
美味おいしい」

 私がへらっと笑うと、純也さんも相好そうごうを崩す。
 毎日、学校から帰ったらお隣へ行き、純也さんと過ごした。
 お菓子を食べて一時間ほど部屋で遊んで、また庭で遊ぶ。
 夜六時半過ぎにお母さんがお迎えにやってくる。私はいつもこの時間が嫌だった。
 だって明日まで純也さんと離れなければならない。ずっと一緒に遊べたらいいのに。

「ふゆ、また明日な」
「うん。明日ね……」

 そう言ったものの、高学年は授業の数が多いため一年生の私よりも下校時刻が一時間以上遅い。私はそれが寂しかった。同じ学年に生まれていたらもっと一緒に遊べたはずだ。心の中でため息を漏らす。
 たぶん、小学校一年生のこの頃に恋心を自覚したように思う。
 どうすれば純也さんとずっと一緒にいられるのだろう。毎日そんなことばかり考えていた。小学校の友達に相談すると「結婚すればいいんだよ!」と返ってきて目からうろこが落ちた。
 そうだ。お父さんとお母さんも結婚して一緒に住んでいる。どうして思いつかなかったのだろう。
 結婚したらずっと一緒にいられる。大好きないちごを一緒に食べられる。

「私ね、大きくなったら、純也お兄ちゃんと結婚する」

 私は早速、迎えに来たお母さんに訴えた。するとお母さんは笑顔で「はいはい」と私の話を流した。お母さんは忙しいからっていつもそうやって私の話を流す。私は本気なのに。
 だから、次の日の日曜日、私は仕事が休みの両親に黙って家を抜けだし松坂家に行った。部屋にいないことに気づいたお母さんが慌てて松坂家に来て平謝りするのを横目に、純也さんに手作りの婚姻届を差しだしたのだ。

「これ書いて」
「なにこれ?」
「婚姻届! 純也お兄ちゃん、十年経ったら私と結婚してくれる? 知ってる? 女の人はね、十六歳から結婚できるんだって。そうしたらずっと一緒にいられるでしょ?」

 玄関で挨拶あいさつをしていたお母さんは、唖然とした様子で口をぽかんと開けて固まった。

「法改正で女性の婚姻開始年齢が十八歳に引き上げられるから、十年後じゃ結婚できないよ」

 純也さんはお母さんみたいに流しはせず、一頻ひとしきり考えてからそう言った。

「ほうかいせい? 私たち、結婚できないの?」

 泣きそうになる私の顔を見てまずいと思ったのか、慌てて「結婚はできるけど」と付け足した。

「ふゆが高校を卒業したら結婚できるよ」
「わかった! じゃあそうしよう、約束ね」

 高校がなんなのかさえわからないまま、私は強引に純也さんの小指を引っ張って指切りげんまんをした。そして手書きの婚姻届にその場でサインをさせてお母さんの前に差しだしたのだ。

「お母さん! 聞いたよね? 私、十八歳になったら純也お兄ちゃんと結婚するから!」
「純也くん、ふゆがいつもごめんね」
「なんでごめんねなのっ⁉ 私なにも悪いことなんかしてない」

 あちゃーとお母さんが顔をおおう。面倒くさいことになった、とでも思っていたのだろう。お母さんは純也さんのお母さんにも同じように謝っていた。

「そうだね。悪いことはしてない。わかった、十八歳になったら結婚しよう」
「うんっ!」

 純也さんは私の髪を撫でながら「約束だ」と言った。私のプロポーズは大成功だ。純也さんに抱きつき、頬にちゅっとキスをする。
 純也さんは動かずに固まっていたけれど、お母さんは恋に浮かれた娘になすすべなしと項垂うなだれて、もう一度純也さんのお母さんに頭を下げた。
 それから中学高校と有名私立へ通うことになった純也さんとは、会う頻度ひんどはかなり減ってしまったけれど、私が高校生になっても仲のいい幼馴染おさななじみの関係は変わらなかった。
 そして、純也さんに対する私の想いも変わらない。初恋はずっと初恋のままだ。会うたびに、やっぱり好きだなぁと思う。
 だけど、年齢を重ねたことで見えてくるものがある。
 たとえば、純也さんは誰が見ても美男子であること。家柄もさることながら、国立大学に入学し将来性ばっちりの有望株であること。そして、そりゃもう半端なくモテること。
 これだけ完璧な男性はそうそういない。女性からしたらなにがなんでもお近づきになりたいはずだ。家にまで彼を訪ねてくる女性を何度も見かけた。
 そのたびに苛立ちと焦燥しょうそうを感じるものの、相変わらず純也さんは私のことをベタベタに甘やかしてくれるから密かな優越感にひたれるのだ。

(まぁ、それが恋愛感情じゃないのは明白だけどね……)

 彼が私を妹みたいに思っているのは常々感じていた。現実を見ろと、これまで何度も自分に言い聞かせてきたけど、うまくはいかなかった。
 はぁぁ、と深いため息をこぼしながら、純也さんの部屋のベッドで左右にごろごろと転がる。純也さんはタブレットを手になにか調べものをしているようだ。時折、私の方を見て微笑む。小さい頃となに一つ変わらない顔で。

(見た目、中学生の時とあまり変わってないからな……)

 花柄のシャーリングワンピースは本来膝上五センチほどのはずなのに、私が着ると膝丈サイズ。透け感のある生地きじのため、中にショートパンツを穿いている。ちなみにサイズも中学生から変わっていない。純也さんとの身長差はついに三十センチを超えた。
 純也さんはといえば、王子様的な外見はそのままにぐんぐんと身長が伸び、一八〇センチを超えたらしい。痩身そうしんに見えるが触ると腕や腹筋、胸筋はかなりがっしりとしている。表情なく立っていると精巧な人形のように見える整った顔立ちは、私を見るとふわりと花がほころんだように緩む。私に向けられるその微笑みは見蕩れるくらい綺麗で、何度も胸をときめかせている。
 純也さんを目で追う女の子の数は年を重ねるごとに増えていき、私が隣を歩いていたところで牽制けんせいになりもしない。

(せめてもうちょっと肉付きがよければなぁ)

 子ども体型の私の足に、純也さんはドキッとなんかしないだろう。肉は少なめでひょろひょろだし、うつ伏せになって潰れるほどの胸もない。
 私のため息を勘違いしたのか、椅子に座っていた純也さんがおもむろにベッドに腰かけ、ぽんぽんと優しく私の頭を叩く。
 私は頭の上にある純也さんの手をぎゅっと掴み、手を繋いでみた。そして純也さんの顔をちらりとのぞき見るがやはり顔色一つ変わらない。それどころか、逆に指を絡ませ手を繋ぎ直された。

「どうした? テストの結果、おばさんに見せて怒られたのか?」

 彼は手を繋いだまま言ってきた。
 怒られて落ち込んでいると思ったらしい。たしかにそれも悩みの種ではあるのだが。

「……絶対怒られるってわかってて、見せられるはずないよ」

 純也さんがわざわざテストの山まで張ってくれたのに、結果は散々だった。
 自分の勉強だって楽じゃないのに。教師より綺麗な字でまとめたノートを私のために作ってこの点数だと、さすがに純也さんに対して申し訳なくなってくる。
 私が肩を落として謝ると、いた反対側の手で私の頭をぐしゃぐしゃに撫で回してきた。

「次、頑張ればいいだろ。おばさんには俺から言っておいてやるから」
「ほんとっ⁉ ありがとう!」

 手を離して純也さんの身体に思いっきり抱きつくと、ぐらりと彼の身体が揺れて後ろに倒れ込んでしまう。胸が純也さんの腹部に当たって、私の顔は骨張った鎖骨に埋まった。

「う、ぐ……っ」
「ふゆ、くすぐったい」

 私の鼻息がかかったのか、純也さんはひょいと私の身体を簡単にどかして起き上がる。もう少し抱きついていたかったのに、残念。
 その数日後。
 私の成績を知ったお母さんと純也さんの間でどんな話し合いが行われたかは知らないが、あれよあれよという間に、純也さんが家庭教師になることが決まっていた。



「ふゆ、今日からよろしくな」

 純也さんは半袖シャツに細身のパンツというスタイルで玄関に立っていた。手には大きめのトートバッグ。おそらくその中に勉強道具がぎっしり入っているのだろう。

「うん、よろしくお願いします」

 純也さんにとっては勝手知ったる我が家だ。挨拶あいさつもそこそこにキッチンに入り手を洗うと、私が中途半端に用意していた麦茶のグラスに自分でお茶をいだ。私の分も入れてどうぞと勧めてくる。

「なんか……純也さん、また背伸びた?」

 首がりそうになるほど高い位置にある頭を、私は恨めしく思いながら見つめる。身長一五〇センチにも満たない私とは身体の造りからして違うのだろう。

「一週間前に会ったばかりだろ? そんな急に伸びないって」
「えぇ~そうかな? 伸びた気がする。もしかして……私が縮んだの?」

 少し前までは私の頭がかろうじて肩に届いていた気がするのに、今は届かない。
 今でも二人で歩いていると、妹の面倒を見るお兄ちゃんにしか見えないのに、このままでは娘になってしまう。
 私がつま先を立てて背伸びをすると、近づいてきた純也さんに頭を撫でられた。

「ふゆはちっちゃくて可愛い。身長なんて気にするな」

 わしわしと髪をかき混ぜられて純也さんの胸に引き寄せられる。
 彼は小さい頃と変わらず溺愛してくるので、たとえ私がミジンコサイズでも可愛いと言うはずだ。

「どんどん私との身長差が開いちゃう……わっ」

 すると私の脇の下に手を入れた純也さんに、軽々と持ち上げられて足が宙に浮いた。一八〇センチの目線が思っていたよりも高くてびっくりだ。

「こうやって簡単に抱き上げられるのがいい」

 楽しそうに私を抱き上げてくるところなんて、私を高校一年生の女の子だと思っていない証拠だ。三歳の頃からの付きあいなら仕方がないのかもしれないが、胸中は複雑である。
 純也さんは私を抱き上げたままソファーへと腰かけた。

「あのね……もう子どもじゃないんですけど……」
「わかってるよ」

 本当にわかっているとは思えない。小さな妹としか思っていないくせに。
 目の前の彼は、そんな私の複雑な乙女心にまったく気がついていない様子で、くすくすと笑いながら言う。

「ふゆは髪の毛も肌も柔らかいな」

 純也さんは私の頬をぷにぷにとつついてくる。

「ほっぺた丸いの気にしてるんだから!」
「そうか? 可愛くて食べたくなる」

 頬に唇が触れて甘く噛まれる。ちゅっと水音がして頬がかっと火照ほてってきた。
 さすがにお父さんとお母さんが見ている前ではしないけれど、純也さんは私と二人きりだと特別に甘くなる。
 昔からほっぺにチューは当たり前だった。率先して自分からしていたくらいだ。それというのも、五歳くらいの頃、お姫様ブームだった私が、王子様からのキスが欲しくて度々たびたびキスをねだったからだ。私にとっての王子様は一人だけ。ターゲットは常に純也さんだった。
 さすがにこの年になると自分からはできないが、どうやら彼は違うらしい。それもこれも私の見た目が変わっていないからだ。恨めしい。

(私にとってはこれだってキスだよ……)

 頬に唇が触れるたびにドキドキしているし、できれば唇にしてほしいと思っている。私がそんな風に思っているなんて、きっと彼は考えもしないのだろう。
 胸がチクリと痛んだ。

「そろそろ勉強しようか。ふゆの成績を上げないと、遊びに行けないからな」
「お願いします、先生」

 私が純也さんの膝から下りようとすると、腰に回された腕はそのままに彼が立ち上がった。思わず首にしがみついてしまう。

「……っ! もうっ、急に立つからびっくりした」
「そう? ごめんな」

 そう言って先ほどとは反対側の頬へと口づけてくる。純也さんは私を抱き上げたまま階段をゆっくりと上がり、廊下の左側のドアを開けた。そこが私の部屋だ。部屋に入ってようやく下ろされる。
 うちは一般的な3LDKで二階は両親の寝室と私の部屋だけだ。一応隣りあう壁側はウォークインクローゼットになっていて、テレビの音などはそこまで聞こえない。一階はリビングダイニングと和室、それにキッチンだ。

「そういえば、ちゃんと家庭教師代もらってる? お母さんなんでもかんでも純也さんに頼むから、ちゃんと請求した方がいいよ?」

 私は机を前にして椅子に座り、純也さんは慣れた様子でベッドに座る。クローゼットにはパイプ椅子もあるのだが、出すのが面倒なのか彼はいつもこうだ。

「大丈夫。ちゃんともらってるよ。でもふゆが勉強して結果を出さないと、ほかの人に代えられるかもしれないな」
「えぇぇ~お母さん、純也さんのこと大好きだからそれはないでしょ」
「小さい頃から知ってる分、成績が上がらなかったら、二人で遊んでたって思われるかもしれないだろ? ふゆ次第だ」

 子どもの頃、たしかに私たちは遊んでばかりいた。庭で鬼ごっこやかくれんぼ。それに水遊び。純也さんの部屋にはカードゲーム一つなかったから、私がいろいろと持ち込んでいた。

「週に三日来るから、次の時までに俺が出した課題を終わらせること。わかったか?」

 週に三日も会えるらしい。大好きな人と誰にはばかることなく一緒にいられるなんて、成績が下がってラッキーと思ってしまった。

「お前今、成績が下がってラッキーって思っただろ?」
「思ってないよ!」
「バレバレなんだよ。ちょっと甘やかし過ぎたかな」

 お仕置きだと鼻を摘ままれる。ただでさえ低い鼻が今以上に低くなったらどうしてくれよう。

「が、頑張る……からっ……やめて」

 まったく痛くはなかったが、好きな人に鼻を摘ままれるなんて、そして変な顔を見られるなんていたたまれない。

「ごめん」

 私が涙目になったのがわかったのか、純也さんが今度は鼻の頭にキスをしてきた。
 一瞬、唇同士が触れあうかと思ってびっくりした。でもすぐに彼の顔は離れていって、私はほっと息を漏らす。
 私と純也さんでなにかが起こるはずもないのに、少しだけ期待してしまった。

(これまで、一度だって本当のキスなんかされたことないのに)

 私の両親にだって、年頃の娘と二人きりにしてもなにも起こらないと思われるくらい、純也さんは信頼されているのだから。


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