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蠱惑の魔剣
沈黙の微笑
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「投石、中止!」
カリスの鋭い声が響いた。その瞬間、ヴァルはすでにラゼルの背に付き従い、大蜘蛛の消えた方向へと駆け出していた。
ヴァントレイスは一声、甲高く鳴くと、黒い闇の中へとその身を滑り込ませるようにして消えていった。
未踏領域の最奥──蜘蛛の巣のさらに奥には、無数の鉱石を抱いた岩の壁が広がっていた。
「大蜘蛛が……消えた?」
ノルドはそっと壁に手を添え、その隅々まで丁寧に調べていく。岩盤の表面は光を照り返し、幾層にも宝石鉱物が埋め込まれていた。だが、逃げ道となるような抜け穴は見つからない。
「もしかしたら、天井の隙間かもしれないな……」
見上げた先は、高く、暗く、深い。あの巨体が潜り抜けられるとは思えないが、このダンジョンには常識が通じない。
「おい、荷運び、どけ! ロッカたちに採掘をやってもらう!」
「……ああ、すみません」
ノルドは静かに道を譲った。その目は、蜘蛛の巣の残骸に向けられている。戦利品を前に浮かれる冒険者の眼ではない。未知の素材を前にした職人の、それだった。
ラゼルたちは周囲の警戒にあたり、ロッカたちが採掘の作業を始めた。
この場所では、他の二階層で頻繁に現れたスケルトンやゾンビの姿は、ほとんど見られない。一本道の構造と相まって、非常に守りやすい地形だった。
「おい、荷運び、どうだ! 俺の勘は当たってただろ!」
「はい。お見事です」
ロッカたちの作業は止まらなかった。鉱床は想像以上に豊かで、まるで誰の手も入っていない自然の宝庫だ。掘り出される鉱石はどれも輝いており、中には宝石鉱物も混じっていた。
作業の合間に何度か短い休憩を挟みつつ、採掘はなおも続いた。
「そろそろ、移動の準備をお願いします」
タイムキーパーであるノルドの声に、隊の空気が引き締まる。誰もがまだ動ける体力を残していたが、だからこそ今、引き時だ。
「こんなに採れてるのに! まだ途中なのに!」
シルヴィアが思わず声を上げた。
「おいおい、昨日まで俺のこと散々言ってたくせに」
ロッカがニヤリと笑う。
「あ……ごめんなさい。つい、嬉しくて」
「気持ちはわかります。でも、ここは二階層の最奥です。帰りの道にも魔物は出ますし、戦闘も避けられません」
ノルドの穏やかな口調に、皆が自然と黙った。視線は一斉に、リーダーであるラゼルに向かう。
「……じゃあ、三階層まで戻って、もう一泊するか?」
「申し訳ありません。予備の食料を使い切っています。一度拠点へ戻り、補給が必要です」
カリスが横目でノルドを見ながら進言する。その視線には、彼の意図を正確に読み取っている確かな理解があった。
「ラゼル王子。酒もありませんし、一度戻りませんか?」
「……そうだな。荷運び、この場所のことは他言無用だぞ」
「もちろんです」
和やかな笑いが場に広がり、一行は採掘地を後にした。
ダンジョンを脱出する頃には、ロッカ隊の面々はすっかり疲れ切っていた。
「ノルドの言った通りだな……」
ダミアーノがぼそりとつぶやき、他の者たちも無言で頷く。
「このダンジョンに、まだ慣れてないだけですよ」
ノルドは小さく笑いながら応じた。
拠点への帰還は深夜となり、ギルドはすでに閉まっていたため、精算は翌日に持ち越された。
「明日と明後日を休養日にします。問題ありませんか?」
「そうだな。そうしよう」
ラゼルは満足げに頷いた。
今回の遠征は、大成功と呼ぶにふさわしい。
ノルドも、あの蜘蛛の巣の素材を無事に持ち帰ることができたことに、内心でほっとしていた。
当初、休養日は一日だけの予定だったが、今回は二日に延ばすことにした。
だが、誰一人として異を唱える者はいなかった。
ラゼルもまた、穏やかな笑みをたたえたまま、何も言わずにその判断を受け入れていた。
※
翌日、早朝。冒険者ギルドに、ラゼルとロッカの両方の冒険者たちが勢揃いしていた。ゆっくり休んだらしく、全員元気そうだった。
普通、別日の精算には代表者が来るくらいだから、こんなことは珍しい。
ノルドは揉めたくないので、今回も副ギルド長立会いの元での清算をするため、ドラガンの部屋を訪ねた。
「ラゼル様も、早くからご苦労様です」
王子がいるとは思わず、副ギルド長も驚いていた。
「ドラガンさん、採掘品が多いので、場所を広く使います」
ノルドは、昨日帰った後、石を種類別に袋に詰めておいたものを取り出した。
「ほお」
ドラガンが横目で眺め、再び驚きの表情を見せた。
ロッカたちは、初めて入る副ギルド長室に緊張していた。
「ゆっくりしてくれ、どうぞ」
部屋から出て行ったドラガンが、朝の業務で忙しいミミの代わりに、お茶出しをしている。
「すいません。副ギルド長」
「かまわんさ。ところで、何でお前たちも一緒なんだ?」
ロッカが、ドラガンにダンジョンで起きた出来事について説明していた。
「そうか、やはりノルドの言うように、二階層については、魔物が増えすぎだな。本格的な討伐隊を編成しようかな……」
ぼそっと呟いた言葉に、ラゼル王子が即座に反応した。
「それなら、私も参加しよう!」
「ですが、ラゼル王子にはダンジョン制覇という目標が……」
「それは問題なくやるから安心しろ!」
──そんな簡単なダンジョンじゃないぞ。
ドラガンは、喉までせり上がった言葉を、噛み殺すように飲み込んだ。
ラゼルの微笑は、あまりに静かで、あまりに深く、底が見えなかった。
その笑みに触れた瞬間、言葉は凍りつき、意志は押し流される。
気づけば、ドラガンはうなずいていた──そうするしかなかった。
カリスの鋭い声が響いた。その瞬間、ヴァルはすでにラゼルの背に付き従い、大蜘蛛の消えた方向へと駆け出していた。
ヴァントレイスは一声、甲高く鳴くと、黒い闇の中へとその身を滑り込ませるようにして消えていった。
未踏領域の最奥──蜘蛛の巣のさらに奥には、無数の鉱石を抱いた岩の壁が広がっていた。
「大蜘蛛が……消えた?」
ノルドはそっと壁に手を添え、その隅々まで丁寧に調べていく。岩盤の表面は光を照り返し、幾層にも宝石鉱物が埋め込まれていた。だが、逃げ道となるような抜け穴は見つからない。
「もしかしたら、天井の隙間かもしれないな……」
見上げた先は、高く、暗く、深い。あの巨体が潜り抜けられるとは思えないが、このダンジョンには常識が通じない。
「おい、荷運び、どけ! ロッカたちに採掘をやってもらう!」
「……ああ、すみません」
ノルドは静かに道を譲った。その目は、蜘蛛の巣の残骸に向けられている。戦利品を前に浮かれる冒険者の眼ではない。未知の素材を前にした職人の、それだった。
ラゼルたちは周囲の警戒にあたり、ロッカたちが採掘の作業を始めた。
この場所では、他の二階層で頻繁に現れたスケルトンやゾンビの姿は、ほとんど見られない。一本道の構造と相まって、非常に守りやすい地形だった。
「おい、荷運び、どうだ! 俺の勘は当たってただろ!」
「はい。お見事です」
ロッカたちの作業は止まらなかった。鉱床は想像以上に豊かで、まるで誰の手も入っていない自然の宝庫だ。掘り出される鉱石はどれも輝いており、中には宝石鉱物も混じっていた。
作業の合間に何度か短い休憩を挟みつつ、採掘はなおも続いた。
「そろそろ、移動の準備をお願いします」
タイムキーパーであるノルドの声に、隊の空気が引き締まる。誰もがまだ動ける体力を残していたが、だからこそ今、引き時だ。
「こんなに採れてるのに! まだ途中なのに!」
シルヴィアが思わず声を上げた。
「おいおい、昨日まで俺のこと散々言ってたくせに」
ロッカがニヤリと笑う。
「あ……ごめんなさい。つい、嬉しくて」
「気持ちはわかります。でも、ここは二階層の最奥です。帰りの道にも魔物は出ますし、戦闘も避けられません」
ノルドの穏やかな口調に、皆が自然と黙った。視線は一斉に、リーダーであるラゼルに向かう。
「……じゃあ、三階層まで戻って、もう一泊するか?」
「申し訳ありません。予備の食料を使い切っています。一度拠点へ戻り、補給が必要です」
カリスが横目でノルドを見ながら進言する。その視線には、彼の意図を正確に読み取っている確かな理解があった。
「ラゼル王子。酒もありませんし、一度戻りませんか?」
「……そうだな。荷運び、この場所のことは他言無用だぞ」
「もちろんです」
和やかな笑いが場に広がり、一行は採掘地を後にした。
ダンジョンを脱出する頃には、ロッカ隊の面々はすっかり疲れ切っていた。
「ノルドの言った通りだな……」
ダミアーノがぼそりとつぶやき、他の者たちも無言で頷く。
「このダンジョンに、まだ慣れてないだけですよ」
ノルドは小さく笑いながら応じた。
拠点への帰還は深夜となり、ギルドはすでに閉まっていたため、精算は翌日に持ち越された。
「明日と明後日を休養日にします。問題ありませんか?」
「そうだな。そうしよう」
ラゼルは満足げに頷いた。
今回の遠征は、大成功と呼ぶにふさわしい。
ノルドも、あの蜘蛛の巣の素材を無事に持ち帰ることができたことに、内心でほっとしていた。
当初、休養日は一日だけの予定だったが、今回は二日に延ばすことにした。
だが、誰一人として異を唱える者はいなかった。
ラゼルもまた、穏やかな笑みをたたえたまま、何も言わずにその判断を受け入れていた。
※
翌日、早朝。冒険者ギルドに、ラゼルとロッカの両方の冒険者たちが勢揃いしていた。ゆっくり休んだらしく、全員元気そうだった。
普通、別日の精算には代表者が来るくらいだから、こんなことは珍しい。
ノルドは揉めたくないので、今回も副ギルド長立会いの元での清算をするため、ドラガンの部屋を訪ねた。
「ラゼル様も、早くからご苦労様です」
王子がいるとは思わず、副ギルド長も驚いていた。
「ドラガンさん、採掘品が多いので、場所を広く使います」
ノルドは、昨日帰った後、石を種類別に袋に詰めておいたものを取り出した。
「ほお」
ドラガンが横目で眺め、再び驚きの表情を見せた。
ロッカたちは、初めて入る副ギルド長室に緊張していた。
「ゆっくりしてくれ、どうぞ」
部屋から出て行ったドラガンが、朝の業務で忙しいミミの代わりに、お茶出しをしている。
「すいません。副ギルド長」
「かまわんさ。ところで、何でお前たちも一緒なんだ?」
ロッカが、ドラガンにダンジョンで起きた出来事について説明していた。
「そうか、やはりノルドの言うように、二階層については、魔物が増えすぎだな。本格的な討伐隊を編成しようかな……」
ぼそっと呟いた言葉に、ラゼル王子が即座に反応した。
「それなら、私も参加しよう!」
「ですが、ラゼル王子にはダンジョン制覇という目標が……」
「それは問題なくやるから安心しろ!」
──そんな簡単なダンジョンじゃないぞ。
ドラガンは、喉までせり上がった言葉を、噛み殺すように飲み込んだ。
ラゼルの微笑は、あまりに静かで、あまりに深く、底が見えなかった。
その笑みに触れた瞬間、言葉は凍りつき、意志は押し流される。
気づけば、ドラガンはうなずいていた──そうするしかなかった。
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