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第39輪 薔薇の花が舞う中で
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地下水路から出てすぐ、城下町の方角から悲鳴が聞こえてくる。黒く燃え上がる街の姿に動揺を隠せないイグニスの足が止まった。
禍々しいほど黒く、大きな双翼を広げる二本の角を生やした存在。顔の部分は蜥蜴のようで、淀んだ霧を周囲に撒き散らして家屋の何倍も大きな図体を引きずって街を闊歩する姿が視界へ入る。
その姿は、おとぎ話でしか見たこともなく、野生動物にいるはずがない堕天した獣だった。
口を開けるそれが放つ光線は黒い炎で、一度に家屋を破壊していく。
下からでも良く見えるほど大きな魔物の姿に圧倒される中、城下町から避難誘導する声が聞こえてきた。しかも、思いがけない魔法を目撃する。
「は……?」
美しい青い薔薇が咲き乱れ、堕天した獣の視界を覆った。直後、無数の蔓で拘束され騒ぐ大きな存在に、巨大な青い薔薇が咲く。
「――イグニス‼」
「……嘘だろ……アクアが、戦ってるのか――?」
魔法国家であるリトス王国でも、精霊魔法を扱える家は少ない。しかも、攻撃型は実質ローゼン家しかいなかった。次期当主となるアクアが先陣を切って戦うのも必然である。
ただ、まだ十七で戦闘経験のないアクアには過酷だった。イグニスが進んで王国魔法騎士団に所属したのは、父親が先代団長だったこともあるが、妹のアクアを女で初めての団員にしたくなかったのもある。
思考が停止するイグニスの目に、引き裂かれる青い薔薇の花弁が散った。魔力は相当あるが、アクアの得意魔法は支援であり、縁の下の力持ちでこそ輝く。国が把握している中に、精霊魔法で攻撃特化はイグニスだけだ。
再び動き出した堕天した獣はアクアを探しているようで、雄叫びを上げる。腹に響くほどの声で、目の前が暗くなると胸ぐらを掴まれた。
「イグニス、しっかりして! 僕らでアクアを助けるんだ」
「――そうだ。俺は、団長で……アクアの兄だ。先に行く!」
覚醒したイグニスは、身体強化に加えて飛翔魔法を掛け合わせ空高く飛び上がる。本気のイグニスは支援特化で聖女のグラキエスでは追いかけられない。
◆◆◆
屋敷を潰してもいいと父親から命を受けていたアクアは、使用人たちを避難させたローゼン家に堕天した獣を誘導していた。精霊の加護はローゼンの血を継ぐ者に与えられている。だから前団長だった父親も戦えるのだが――。
「……お父様のためにも、次期当主である、わたくしが……」
アクアの脳裏に映るのは、初見で堕天した獣の光線を受け止めて瀕死の状態となった父親だった。
アクアから精霊の助言を受けてすぐに王城へ向かった父親は、聳え立つ堕天した獣と対峙する。そして、放たれた光線を一人で受け止めた。
だが、全魔力と精霊の加護を持ってしても、強大な穢れの魔力には勝てなかった。
王城を狙っているとばかり思っていた堕天した獣は、直後に暴走し始めて現在に至る。
「ハァ、ハァ……お兄さま――」
鮮やかな薔薇の庭へ駆け込んだアクアは、疲労によって躓いてしまった。地響きを鳴らし、踏み締める地面を砕きながら歩み寄る黒い影が、アクアを見下すように本能のまま口を開く。
防護魔法を展開しようとするアクアは痙攣したような痛みで倒れた。呼吸は荒く、魔力枯渇に近い状態を感じた瞬間、アクアの中で渦巻いていた恐怖が顔を出す。
その瞬間、周囲の薔薇がアクアを守るように集まってきて囲んだ。けれど、父親すら叶わなかった堕天した獣の光線を防げるはずもない。覚悟を決めたアクアは自分の体を抱きしめる。
だが、一向に光線は降り注がない。その代わりに、とても聞き覚えのある逞しく優しい声が聞こえてくる。
「アクア‼ もう、大丈夫だ……こいつは、俺が殺る」
「――――おにぃ、さまぁぁあ‼」
「――よくも、人の可愛い妹を虐めてくれたな……てめぇ、ただで死ねると思うなよ」
一瞬の出来事だった。禍々しい光線を吐き出そうとした直後。頭上から巨大な薔薇の鞭が平手打ちのように堕天した獣の脳天を打つ。その音は地響きを鳴らし体を浮かせるほどの衝撃だったが、アクアは精霊に護られて感じなかったことで気づかなかった。
アクアを囲んでいた薔薇が散開すると、目の前には地に伏せた堕天した獣の姿がある。
おとぎ話の天使と見間違えるほど輝いて見えるイグニスが正面へ降り立つと、薔薇の花も共鳴するように光り輝き出した。
再び動き出す巨体に向けて手をかざす。
「――絡め取れ、愚かな花を!」
アクアもしていた拘束魔法だ。丹精込めて育てられた広大な庭の薔薇も集まって、巨大な蔓に縛られる。鼓膜を震わせる雄叫びにも動じることなく、咲かせる無数の薔薇を眺めていた。
「てめぇはキメラか……枷が解けているところを見ると、無能共は死んだらしいな」
魔力の流れを見て、堕天した獣を操っていた闇魔法結社の信徒は根こそぎ死んだことを察する。
「アクア‼ イグニス!」
「あ……っ……グラキエスお兄様! お父様が‼」
追いついてきたグラキエスに胸の痛みを抑えながら駆け寄るアクアは泣きながら叫んだ。事情を察したイグニスの決断は早い。
「グラス……父上を頼む」
「だけど、イグニス……!」
「てめぇにしか頼めないだろ。それに、俺がこんな獣にやられると思ってんのか」
「――すぐ戻るから……無茶はしないで!」
アクアを連れて飛翔するグラキエスは、瀕死の状態である父親のもとへ飛んでいく。飛び去る姿を見送ったイグニスは堕天した獣へ向き直った。
再び立ち上がる黒い化身は雄叫びを上げる。イグニスを威嚇しているのか、動物の本能とも思える行動に顔を上げて赤い薔薇のような双眸で威圧した。一瞬だけ巨体が怯むのを見逃さないイグニスは、華麗なステップを踏むように魔法を展開する。
「……てめぇは、ついてるぜ。この場所は最高に手入れされた無数の薔薇が咲いているんだからな――儚い薔薇の贄となれ!」
広大な薔薇薗の地面が赤く輝き出した。巨大な蔓が絡まり合い人の手を形成して、堕天した獣を引きずり込む勢いで大きな足を掴む。そして、前のときよりも大きな赤薔薇を咲かせた。大きな赤い花弁が触れる度、堕天した獣の悲鳴に似た唸り声が轟く。
闇魔法結社がこのキメラ一体を街へ放ったわけじゃない。街中で、無数の色をした魔法が飛び交っている。
ほんの少し痩せたように感じる堕天した獣は鋭い双翼を羽ばたかせ絡みつく蔓を引き千切った。自らの足を傷つけることに抵抗はないようで、その巨体からは信じられない速さで鋭い爪を振り下ろしてくる。
「へぇ……物理攻撃もするわけか」
振り下ろされた爪はイグニスを捕らえたが、触れた部分から赤薔薇の花弁が舞い幻影のように消えてしまった。背後へ回ったイグニスは、再び魔法を唱える。
「穢れた魂に拠り所なく、花弁に映すは醜い心のみ。肉体は蝕まれ、更正の余地はなく枯れるだけ――」
連続した極大魔法だった。巨大な尻尾の攻撃を躱し、紡いでいく魔法は繊細でどの魔法よりも美しく咲き誇る。
仄かに妖しく輝いている花弁は、イグニスの言葉で反応するように輝きを増していった。
中央で咲く巨大な赤薔薇は、精霊の加護により無数の色をした小さな薔薇で囲まれていく。
堕天した獣は薔薇の匂いを嫌ってか、鋭い爪や双翼、尻尾を振り回した。
だがそれは一瞬のことで、すぐにすべての花が茶色く枯れていき、無数の花弁が炎へと身を焦がし、巨体へ触れる。一気に燃え上がると、すぐ近くにいるイグニスへ大きな腕が伸ばされた。
「てめぇじゃその炎は消せやしねぇ……。精々、闇魔法結社の無能共を恨んでくたばりやがれ」
野太い雄叫びで風が止む。まだ余力を残していたらしい堕天した獣の纏う黒い穢れが濃くなっていった。異変に気づいたイグニスが相殺しようと魔法を放った瞬間。爆発したように周囲を黒い穢れが襲う。
気づいたときには地面に背中をつけていたイグニスが目を開けた。高濃度の穢れによって美しかった庭は枯れ果てた大地のようで、イグニス自身も喉が焼けたような痛みに襲われる。
呪いはともかく穢れは聖女でしか払えない。
「ゲホッ、ゲホ……俺も、甘く……見てたな」
その直後、ラントに貰ったバングルの魔石が音を立てて割れた。魔力の高さに加えて、魔法具で人体への影響を防いでくれたことが分かる。思わず笑ってしまうイグニスだったが、指先すら動かない。
相打ちを狙う堕天した獣は、地面についた赤く燃える巨体を持ち上げて、口を大きく開いた。
禍々しいほどの黒い光――最後の悪足掻きがイグニスに迫る。
「……くたばり、損ないが。ゲホッ……俺に……出すと、変態聖女の怒りを、買うぞ……」
禍々しい黒い光線が放たれた瞬間、眩いほどの白い光がイグニスを包み込む。すぐに地面へ仰向けで倒れる体を優しく抱き起こされると、唇に柔らかい何かが触れた。
目の前で突っ伏す黒い姿は、見るも無残な姿を晒している。巨大な指針のような白く発光する鋭い狂気に刺された堕天した獣は、畏怖する獣のような声を上げた。
「……んっ……ぐら、す……」
「――だから、無茶しないでって言ったよね……。あとで、お仕置きだから」
触れたのはグラキエスの少しだけ厚い薄ピンク色の唇だった。口づけからの癒やしもあるが、状況的にグラキエスがしたくてしたのだろう。
ただ、浄化されたことで穢れによる喉の痛みや違和感は消えた。
普段の優しさは微塵も感じられず、自覚しろと言わんばかりの男の顔がある。耳元で掛けられる言葉は普段よりも低く、危機的状況だったにも関わらず別の意味で体が反応して震えた。
ゆっくり立ち上がったグラキエスは、悶え苦しむ堕天した獣へ近づいていく。
串刺しにしている光の指針は聖女の防護魔法だった。本来の使い方は、味方の周りに張り巡らせて守るため――。それを、この男は攻撃に応用している。
「――散々してくれたよね? 父さんは、あと少しで死にかけたよ……。アクアは野蛮な戦闘とは無縁の世界で輝いてほしかった。決め手は、イグニスだ……僕の世界で一番大切な愛しい人――すべての苦痛を背負って死ね」
「……グラス」
「ああ、間違えた……。僕が、その穢れた無数の魂を救ってあげる」
聖女の枷は魔物に対しても平等だ。笑っているようで目は笑っていない表情を向けて、浄化を施す。浄化とは名ばかりの行為を受けたような盛大な声を上げ散っていく堕天した獣は、肉体すべてが穢れに侵されたキメラだったらしい。
再び綺麗な月が輝く下で満面の笑みを浮かべて振り返るグラキエスは、イグニスが唯一畏怖する存在へ開花してしまったのだった。
禍々しいほど黒く、大きな双翼を広げる二本の角を生やした存在。顔の部分は蜥蜴のようで、淀んだ霧を周囲に撒き散らして家屋の何倍も大きな図体を引きずって街を闊歩する姿が視界へ入る。
その姿は、おとぎ話でしか見たこともなく、野生動物にいるはずがない堕天した獣だった。
口を開けるそれが放つ光線は黒い炎で、一度に家屋を破壊していく。
下からでも良く見えるほど大きな魔物の姿に圧倒される中、城下町から避難誘導する声が聞こえてきた。しかも、思いがけない魔法を目撃する。
「は……?」
美しい青い薔薇が咲き乱れ、堕天した獣の視界を覆った。直後、無数の蔓で拘束され騒ぐ大きな存在に、巨大な青い薔薇が咲く。
「――イグニス‼」
「……嘘だろ……アクアが、戦ってるのか――?」
魔法国家であるリトス王国でも、精霊魔法を扱える家は少ない。しかも、攻撃型は実質ローゼン家しかいなかった。次期当主となるアクアが先陣を切って戦うのも必然である。
ただ、まだ十七で戦闘経験のないアクアには過酷だった。イグニスが進んで王国魔法騎士団に所属したのは、父親が先代団長だったこともあるが、妹のアクアを女で初めての団員にしたくなかったのもある。
思考が停止するイグニスの目に、引き裂かれる青い薔薇の花弁が散った。魔力は相当あるが、アクアの得意魔法は支援であり、縁の下の力持ちでこそ輝く。国が把握している中に、精霊魔法で攻撃特化はイグニスだけだ。
再び動き出した堕天した獣はアクアを探しているようで、雄叫びを上げる。腹に響くほどの声で、目の前が暗くなると胸ぐらを掴まれた。
「イグニス、しっかりして! 僕らでアクアを助けるんだ」
「――そうだ。俺は、団長で……アクアの兄だ。先に行く!」
覚醒したイグニスは、身体強化に加えて飛翔魔法を掛け合わせ空高く飛び上がる。本気のイグニスは支援特化で聖女のグラキエスでは追いかけられない。
◆◆◆
屋敷を潰してもいいと父親から命を受けていたアクアは、使用人たちを避難させたローゼン家に堕天した獣を誘導していた。精霊の加護はローゼンの血を継ぐ者に与えられている。だから前団長だった父親も戦えるのだが――。
「……お父様のためにも、次期当主である、わたくしが……」
アクアの脳裏に映るのは、初見で堕天した獣の光線を受け止めて瀕死の状態となった父親だった。
アクアから精霊の助言を受けてすぐに王城へ向かった父親は、聳え立つ堕天した獣と対峙する。そして、放たれた光線を一人で受け止めた。
だが、全魔力と精霊の加護を持ってしても、強大な穢れの魔力には勝てなかった。
王城を狙っているとばかり思っていた堕天した獣は、直後に暴走し始めて現在に至る。
「ハァ、ハァ……お兄さま――」
鮮やかな薔薇の庭へ駆け込んだアクアは、疲労によって躓いてしまった。地響きを鳴らし、踏み締める地面を砕きながら歩み寄る黒い影が、アクアを見下すように本能のまま口を開く。
防護魔法を展開しようとするアクアは痙攣したような痛みで倒れた。呼吸は荒く、魔力枯渇に近い状態を感じた瞬間、アクアの中で渦巻いていた恐怖が顔を出す。
その瞬間、周囲の薔薇がアクアを守るように集まってきて囲んだ。けれど、父親すら叶わなかった堕天した獣の光線を防げるはずもない。覚悟を決めたアクアは自分の体を抱きしめる。
だが、一向に光線は降り注がない。その代わりに、とても聞き覚えのある逞しく優しい声が聞こえてくる。
「アクア‼ もう、大丈夫だ……こいつは、俺が殺る」
「――――おにぃ、さまぁぁあ‼」
「――よくも、人の可愛い妹を虐めてくれたな……てめぇ、ただで死ねると思うなよ」
一瞬の出来事だった。禍々しい光線を吐き出そうとした直後。頭上から巨大な薔薇の鞭が平手打ちのように堕天した獣の脳天を打つ。その音は地響きを鳴らし体を浮かせるほどの衝撃だったが、アクアは精霊に護られて感じなかったことで気づかなかった。
アクアを囲んでいた薔薇が散開すると、目の前には地に伏せた堕天した獣の姿がある。
おとぎ話の天使と見間違えるほど輝いて見えるイグニスが正面へ降り立つと、薔薇の花も共鳴するように光り輝き出した。
再び動き出す巨体に向けて手をかざす。
「――絡め取れ、愚かな花を!」
アクアもしていた拘束魔法だ。丹精込めて育てられた広大な庭の薔薇も集まって、巨大な蔓に縛られる。鼓膜を震わせる雄叫びにも動じることなく、咲かせる無数の薔薇を眺めていた。
「てめぇはキメラか……枷が解けているところを見ると、無能共は死んだらしいな」
魔力の流れを見て、堕天した獣を操っていた闇魔法結社の信徒は根こそぎ死んだことを察する。
「アクア‼ イグニス!」
「あ……っ……グラキエスお兄様! お父様が‼」
追いついてきたグラキエスに胸の痛みを抑えながら駆け寄るアクアは泣きながら叫んだ。事情を察したイグニスの決断は早い。
「グラス……父上を頼む」
「だけど、イグニス……!」
「てめぇにしか頼めないだろ。それに、俺がこんな獣にやられると思ってんのか」
「――すぐ戻るから……無茶はしないで!」
アクアを連れて飛翔するグラキエスは、瀕死の状態である父親のもとへ飛んでいく。飛び去る姿を見送ったイグニスは堕天した獣へ向き直った。
再び立ち上がる黒い化身は雄叫びを上げる。イグニスを威嚇しているのか、動物の本能とも思える行動に顔を上げて赤い薔薇のような双眸で威圧した。一瞬だけ巨体が怯むのを見逃さないイグニスは、華麗なステップを踏むように魔法を展開する。
「……てめぇは、ついてるぜ。この場所は最高に手入れされた無数の薔薇が咲いているんだからな――儚い薔薇の贄となれ!」
広大な薔薇薗の地面が赤く輝き出した。巨大な蔓が絡まり合い人の手を形成して、堕天した獣を引きずり込む勢いで大きな足を掴む。そして、前のときよりも大きな赤薔薇を咲かせた。大きな赤い花弁が触れる度、堕天した獣の悲鳴に似た唸り声が轟く。
闇魔法結社がこのキメラ一体を街へ放ったわけじゃない。街中で、無数の色をした魔法が飛び交っている。
ほんの少し痩せたように感じる堕天した獣は鋭い双翼を羽ばたかせ絡みつく蔓を引き千切った。自らの足を傷つけることに抵抗はないようで、その巨体からは信じられない速さで鋭い爪を振り下ろしてくる。
「へぇ……物理攻撃もするわけか」
振り下ろされた爪はイグニスを捕らえたが、触れた部分から赤薔薇の花弁が舞い幻影のように消えてしまった。背後へ回ったイグニスは、再び魔法を唱える。
「穢れた魂に拠り所なく、花弁に映すは醜い心のみ。肉体は蝕まれ、更正の余地はなく枯れるだけ――」
連続した極大魔法だった。巨大な尻尾の攻撃を躱し、紡いでいく魔法は繊細でどの魔法よりも美しく咲き誇る。
仄かに妖しく輝いている花弁は、イグニスの言葉で反応するように輝きを増していった。
中央で咲く巨大な赤薔薇は、精霊の加護により無数の色をした小さな薔薇で囲まれていく。
堕天した獣は薔薇の匂いを嫌ってか、鋭い爪や双翼、尻尾を振り回した。
だがそれは一瞬のことで、すぐにすべての花が茶色く枯れていき、無数の花弁が炎へと身を焦がし、巨体へ触れる。一気に燃え上がると、すぐ近くにいるイグニスへ大きな腕が伸ばされた。
「てめぇじゃその炎は消せやしねぇ……。精々、闇魔法結社の無能共を恨んでくたばりやがれ」
野太い雄叫びで風が止む。まだ余力を残していたらしい堕天した獣の纏う黒い穢れが濃くなっていった。異変に気づいたイグニスが相殺しようと魔法を放った瞬間。爆発したように周囲を黒い穢れが襲う。
気づいたときには地面に背中をつけていたイグニスが目を開けた。高濃度の穢れによって美しかった庭は枯れ果てた大地のようで、イグニス自身も喉が焼けたような痛みに襲われる。
呪いはともかく穢れは聖女でしか払えない。
「ゲホッ、ゲホ……俺も、甘く……見てたな」
その直後、ラントに貰ったバングルの魔石が音を立てて割れた。魔力の高さに加えて、魔法具で人体への影響を防いでくれたことが分かる。思わず笑ってしまうイグニスだったが、指先すら動かない。
相打ちを狙う堕天した獣は、地面についた赤く燃える巨体を持ち上げて、口を大きく開いた。
禍々しいほどの黒い光――最後の悪足掻きがイグニスに迫る。
「……くたばり、損ないが。ゲホッ……俺に……出すと、変態聖女の怒りを、買うぞ……」
禍々しい黒い光線が放たれた瞬間、眩いほどの白い光がイグニスを包み込む。すぐに地面へ仰向けで倒れる体を優しく抱き起こされると、唇に柔らかい何かが触れた。
目の前で突っ伏す黒い姿は、見るも無残な姿を晒している。巨大な指針のような白く発光する鋭い狂気に刺された堕天した獣は、畏怖する獣のような声を上げた。
「……んっ……ぐら、す……」
「――だから、無茶しないでって言ったよね……。あとで、お仕置きだから」
触れたのはグラキエスの少しだけ厚い薄ピンク色の唇だった。口づけからの癒やしもあるが、状況的にグラキエスがしたくてしたのだろう。
ただ、浄化されたことで穢れによる喉の痛みや違和感は消えた。
普段の優しさは微塵も感じられず、自覚しろと言わんばかりの男の顔がある。耳元で掛けられる言葉は普段よりも低く、危機的状況だったにも関わらず別の意味で体が反応して震えた。
ゆっくり立ち上がったグラキエスは、悶え苦しむ堕天した獣へ近づいていく。
串刺しにしている光の指針は聖女の防護魔法だった。本来の使い方は、味方の周りに張り巡らせて守るため――。それを、この男は攻撃に応用している。
「――散々してくれたよね? 父さんは、あと少しで死にかけたよ……。アクアは野蛮な戦闘とは無縁の世界で輝いてほしかった。決め手は、イグニスだ……僕の世界で一番大切な愛しい人――すべての苦痛を背負って死ね」
「……グラス」
「ああ、間違えた……。僕が、その穢れた無数の魂を救ってあげる」
聖女の枷は魔物に対しても平等だ。笑っているようで目は笑っていない表情を向けて、浄化を施す。浄化とは名ばかりの行為を受けたような盛大な声を上げ散っていく堕天した獣は、肉体すべてが穢れに侵されたキメラだったらしい。
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