百合蜜ヲ啜ル。

黄金稚魚

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三話 夕焼けに咲く百合の花

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 塗装も剥がれかけた古いベンチに深く腰掛け、落ちゆく陽をぼんやりと眺める。
 気がつけば時計の針は六時を回っていた。丘の上に作られた公園。そのベンチからは町を一望できた。

 夕焼けに染まる町はおそらくここで一番美しい光景なのだろう。山に囲まれた田舎であるこの町は外灯も少なく、夜になってしまえば真っ暗だ。

 そろそろ帰らなきゃいけない。しかし緑の足は立ち上がろうとはしてくれず、糸の切れた人形のようにだらりとベンチからぶら下がっている。
 身体を操る意識の糸はズタズタに寸断されていた。

 この町に越してきて三ヶ月と少し。
 もう慣れた。それは緑が自分自身にそう言い聞かせていただけの強がりだった。

「はいこれ、奢り」
「熱っ」

 月花が自販機で買った缶を緑の頬へと押し付ける。思わぬ熱に緑は跳ねあがった。
 コーンスープのホット。

「今は七月ですよ」
「コーンスープは年中ホットだよ。要らないの?」
「ゴチになります」

 プルタブを開け、コーンスープをすすりのむ。
 美味しい。けど、飲口の穴が、そこにぽっかり空いた穴が視界に入る。

 気がつけば、コーンスープ缶を持った手が震えていた。空いている片手で押さえても上手くいかない。

 あぁやばいなこれ、何か喋らないと。

「先輩」
「なにかな後輩」

 月花が緑の隣に座った。感覚を開けずにぴったりと。ふわりと揺れるボブカットの髪。バニラの甘い代わりがほのかに香る。
 

「ここではさっきのも普通なんですか?」

 沈黙、月花は即答しなかった。
 感情と頭と口がそれぞれ勝手をしている。何かを喋ろうとした緑の口は、緑が避けたいと思っていた話題を口にした。

 月花ブラックコーヒーの缶を手の中で回して遊ばしている。その表情はよく見えない。緑が俯いているせいだ。
 月花の唇が動いた。

「あの人、両目とも使ってたね」

 コーンスープの缶が緑の手を抜けて滑り落ちた。缶は地面に転がって、中身が溢れていく。

 あぁ、せっかく奢ってもらったのに。

 あの女性は目を醒すとふらふらと何処かへ消えていった。月花が何か話しかけていたが全て無視していた。女性が白いレースの目隠を着けるまでの間に緑はその顔を見てしまったのだ。
 その両目に開いた二つの窪み。それを見た瞬間、緑の中の芯のようなものがへしゃげるのを感じた。

 落ちた缶の口がこちらを見ている。

 見ないで、怖い。

 緑の両目は気付けば涙で濡れていた。縋るような声で緑が問う。

「なんでアレを私に見せたんですか?」

 少しの沈黙。緑にはそれが堪らなく怖かった。
 月花はこの町の人間だ。虫神とは幼い時から見慣れた存在だ。もはや虫神は日常の一部として溶け込んでいる。

 ……それでも月花は。月花だけは。

「私は虫神が嫌い」

 月花は事もなしげにそう宣言した。それは今の緑が一番欲しかった言葉だ。

「この町に来た人間は多かれ少なかれ虫神の虜になる。私はその事を表立ってどうこうする事は無い。でもね、アレは特にオススメ出来ない」

「警告ですか?」
「いや、違うかな」

「なんていうかさ、緑ちゃんにはそのままで居て欲しかったから」

 緑ちゃんは虫神を怖いまででいて。

 耳元で月花が囁く。甘い吐息が緑の錆びついた心の芯を溶かしてゆく。
 気がつくと手の震えは止まっていた。月花が緑の手を握っていた。

「今は私が守ってあげるよ。でも、緑ちゃんにはもっと強くなって欲しい」
「強く?」

 さっきから緑は月花の言葉を反芻する事しか出来ていない。月花の言葉を噛み砕き、飲み込みそれが緑の心に力を与える。

「緑ちゃん」

 月花が緑を呼ぶ。重い頭が持ち上がり緑は月花を見た。
 夕焼けに染まる月花は真っ直ぐと緑を見つめている。月花の瞳には緑だけが写っていた。
 緑はようやくその事に気づいた。

「私の事好き?」

 緑には応えることが出来なかった。緑が何かを言う前に月花が緑の唇を塞いだ。
 
 一秒にも満たない短い接吻。それだけで緑はもう何も喋れなくなっていた。
 夕焼けに染まる緑の頬を一筋の涙が滑り落ちた。

「ねぇ緑ちゃん。緑ちゃんが強くなったら、今度は私を守ってくれる?」

 月花は、緑を強く抱きしめた。一度溢れ出した涙はなかなか止まってくれない。夕焼けが沈んでいく中、緑はずっと泣いていた。

 今日はきっと忘れる事の出来ない日になるだろう。

 夕焼けの美しさと、芽生えた新しいこの気持ちを緑は胸の中に大切に大切に仕舞い込んだ。
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