巨大虫の居る町

黄金稚魚

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黙諾の花嫁

三話 初春

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 慶香町。
 日本海に接する山に囲まれた小さな町。海は陸と木々に阻まれて潮の香りは町へは届かない。
 どの地図にもその町は載っていない隠された秘境。

 だがいざ入って見れば、ラウラの想像とは違っていた。
 見渡せば畑と民家。確かに古い建物、木造のものが多く見られるが日本中どこでもあるような田舎の光景だ。あまりにも長閑だ。いや、所謂限界集落や村レベルの規模といった本当の田舎よりかは遙かに住宅数が多い。町と呼べる程度には発展している。

 しっかりと舗装された道。畑仕事に精を出す老人。外でも見るような薬局やスーパーの看板まで見える。



 それでも緑の多い町で橙と白のストライプ模様の看板はひときわ目を引いた。

 店の名前は「初春」。

 その洒落な外装は都心の人気店として雑誌に紹介されていてもおかしくないと思えた。
 喫茶店「初春」は住宅街から少し離れた土手に店構えしていた。町外れとも言える。ラウラが入って来た橋からは歩いて十分でたどり着けた。

 生憎と店は閉まっているようだった。
 「Close」と書かれた掛け看板がドアノブに吊るしてある。

「定休日とかですか?」
「大丈夫だよ。ただいまー」

 お構いなしにドアが開かられた。

 床は美しい木目のフローティング。天井は高く、大きなプロペラがゆっくりと待っていた。
 テーブルや椅子などの家具は木製に揃えられていた。古さは感じられなかった。
 店内の雰囲気はモダンスタイルに近い。


「あら、どうしたの?」

「お姉ちゃんすごいよ。観光さんだって」

 お姉ちゃんと呼ばれたウェイトレスは「まぁ」と手を口元に当てた。
 ラウラと同世代ぐらいだろうか、二十台前半ぐらいの若い娘だ。

 染めている妹とは違い濡れたように艶やかな黒髪。よく日焼けした小麦色の肌が健康的だ。
 割烹着かっぽうぎをあしらった制服は落ち着いた彼女の雰囲気に合っている。

 丁度、店の掃除をしていたようで白い布巾で机を拭いていた。


「その人は?」

 ウェイトレスが一歩二歩三歩とラウラへ駆け寄った。

「失礼ですが、もしかして外国の人ですか?」

「クォーターです。生まれは日本ですが海外に住んでいた事もあります」

「そうなんですね。ごめんなさいね。こっちでは珍しいから、つい」

「私は織部乃杏のあん湖桃こももの姉よ。よろしくね」

「こもも……」

 それが案内してくれた少女の名前だとはすぐに分かった。

「わたしわたし! 織部湖桃おりべこもも。高校一年生です。よろしくお願いします」

 元気よく言うと湖桃は姉と同じようにペコリとお辞儀する。
 顔を上げるとふんわりとした笑顔を浮かべていた。

「自己紹介すっかり忘れちゃってましたねー」

 近くで見ると二人はよく似ていた。楽しそうにしている表情は特にだ。


「私の名前は瀬野ラウラ。大学生です」


「ラウラさんかぁ。かっこいい名前ですね」

「湖桃。そこはかわいいでしょ」

「えぇー、かっこいいよ。というか、ラウラさん自体がかっこいいですよ。モデルさんみたい!」

「そう見えます?」

 そう言われるとラウラも悪い気はしなかった。

「それにしても観光さんなんて珍しいわね」

「あの・・・・・・」

「訳ありなんだってー」


「まぁ。でも瑚桃それ言ってもよかったの?」

「ダメでしたか?」

 瑚桃は心配そうな顔でラウラを見上げた。

「まぁ大丈夫です。その事で、お話聞いてもいいですか?」

「あはは。私に答えられるような事なら構わないわ」

 マイペースさは姉妹共通のものらしい。

「あっそうだ。座って座って」

「わっ……ちょっと」

 はしゃぐように椅子を引くと湖桃はラウラを椅子に座らせた。

「ウチのクロワッサン美味いですよ。食べてください」

 湖桃は立てかけてあるメニューを取り出して指さした。
 メニューはコーヒーやソフトドリンクの他にパスタやパンと言った軽食が揃っている。
 
「町で撮れた蜂蜜使ってるんです。天然ですよ」

 確かに美味しそうな響きだ。

「でも……いいんですか?」

 ラウラは申し訳なさそうに乃杏の方を見た。
 入り口に掛けてあった「Close」の看板をラウラは覚えていた。

「飲み物は何になさいますか?」

 乃杏は既に伝票のメモを取り出して書き込んでいた。

「いいんですか?」

「気を使わなくても大丈夫ですよ。まだ時間はありますし、ゆっくりしていってください」

 そう言って乃杏は微笑む。

「ならアイスコーヒーを」

「私、ジンジャエール。パンケーキも食べたい」

「パンケーキはダメ。ご飯が食べれなくなるわよ」

「えぇ~」

「アイスコーヒーとジンジャエールね、すぐ持ってくるわ」

 慣れた手つきで伝票を切ると乃杏は奥の部屋へと消えていった。

 ラウラは椅子の奥に腰掛けて深く座り込んだ。
 柔らかいクッションが敷かれていて座り心地は悪くない。ようやく一息つけたといった感じだ。

「この店はお姉さんが一人で?」

「ううん。お父さんも一緒にやってるの。私も忙しいときはお手伝いしてます」

「そうなんですね。ところでこの町、慶香町ってもしかして結構広いですか?」

 
 ここに来るまでの町の様子からラウラはそんな事を聞いてみた。


「うーんどうだろう。隣町の方がずっと大きいと思う。バスで一時間もかかりますし」

「えっバス?」

 ラウラは驚いて聞き返した。思わず前のめりになった。

「びっくりしますよね。お陰で毎朝六時に起きなきゃなんですよ」

「いや、そうじゃ無くてバスがあるの?」

「ありますよ?」

 湖桃は何をそんなに驚いているかと不思議そうに小首をかしげた。ラウラが知っている町の出入り口は山の小道だけだった。いや、町の規模的にむしろその方があり得ないのだろう。あんな険しい山道だけしか無いのなら瑚桃達は通学できない。
 ラウラが知り得る町の情報はすべて祖父の手記によるものだ。そこから二十年、慶香町は順調に成長していったという事だろう。

「そう……ですか。バスがありましたか。ならあんな目に遭わなくても……」

「あんな目?」

「あ、えっと。いや……」

 山道での体験を口にするべきかラウラは迷っていた。

「あの辺りの山って野生動物とか出ます?」

「動物? イタチとかなら……」

「おまたせ。クロワッサンと飲み物よ」

 乃杏がコーヒーとクロワッサンを運んできて、会話は一時中断した。

「ありがとうございます」

「いえいえ。せっかく来て頂いたのに、このぐらいしか出来なくてごめんなさいね」

「そんな事ないです」

「いただきまーす」

 湖桃が真っ先にクロワッサンへ手をつけた。
 甘い香りが食欲をそそる。ラウラも一つ手に取り小さくちぎって口に運んだ。

 サクサクの食感。蜂蜜は生地に練り込まれていて、自然の甘みが口いっぱいに広がる。

「おいしい」

「でしょー」

「それでラウラさん。さっきお聞きした事情というのは?」

 一息ついた所で乃杏が話を振った。

「はい。私はこの町に母を探しにきました」

「まぁそれは・・・・・・」

「単刀直入に聞きますが、私に似た女性を見たことはありませんか? 歳は40代前半だと思います。名前は・・・・・・瀬野ケイト」

 瑚桃と乃杏は顔を見合わせて首をかしげた。

「ごめんなさい。分らないわ」
「写真とか無いんですか?」

「すみません。写真とかはないです」

「それは・・・・・・ごめんなさい」
「いえ。大丈夫です」

 ラウラのその一言に乃杏は動揺した様子だった。ラウラ自身、両親には会った事が無い。そして母親の写真は全て祖父が処分したのだと言う。 

「お姉さんはこれからどうするんですか?」

 瑚桃が当然の疑問を口にする。
 自分の母とは言え、会った事の無い人物を探すのは難易度が高い。一朝一夕では成し遂げれないだろう。
 まずはこの慶香町について知るべきだろうとラウラは考えた。

「とりあえずは町を見て回ろうかなと。オススメとかありますか? 観光地的な場所とか?」

「んー? 観光地?」

 難しい質問だったのか。湖桃は考え込んだ。
 聞いておいておきながらラウラは滝や巨大な湖を想像していた。絶景を言うならば初めに見た楓の門も十分それに入るだろう。

 なかなか思い浮かばないでいる湖桃の代わりに乃杏が答えた。

御影みかげ温泉なんてどうかしら」

「温泉?」

 温泉があるのか。予想外の回答にラウラは興味を惹かれた。

「えっと。この町の旅館の温泉なんですけど……普通の温泉です」

「建物も綺麗だし安心して宿泊できると思うわ」

「そうそう。というか泊まるならそこしかないですね」

「旅館ですか」

 宿泊施設の有無を事前に調べる事は出来なかった。母の捜索を続けるなら当然宿は必要だ。
 最悪の場合はまたあの山道を戻って車まで戻る覚悟だったが、旅館の存在は願ったり叶ったりだった。

 特にあの山道へ挑むのはもう少し時間を空けてからでないと無理だ。日が落ちた後ならなおさら不可能だろう。

「良ければ旅館の名前を教えて貰ってもいいですか」

洞々亭とうとうていね。折角なんだし案内しましょうか?」

「私が行く。いいよねお姉ちゃん」

「そうね、お願い。ラウラさんもそれでいい?」

「私は構いませんが」

 正直、とんとん拍子に話が進んだせいで口を挟む間がなかった。

 閉店中にも関わらずもてなして貰った上、案内までしてくれる。
 ありがたい話だが、親切すぎるというのも少し居心地が悪い。どこかでお返しがしたいところだ。


「そろそろ時間?」
「そうね」

 乃杏が席を立つ。先ほどから彼女達は時間を気にしてるようだ。
 それは店を閉めている事に大いに関係がありそうだ。
 

「ごめんなさいね。ちょっとこの後予定があるの」
「いえ、ありがとうございました」

 残ったコーヒーを飲み干すとラウラも席を立った。

 カウンターで代金を支払う。乃杏は最初、「ご馳走してあげる」と言ってきたがラウラは引き下がってでもお金は支払った。

 会計が終わると乃杏はカウンターの奥から木箱を取り出した。
 張り合わせの木目が艶やかに光る。埃一つかぶっていない。大切に保管されていたものなのだろう。
 直感的にそれが年代物であると分かった。古い時代特有の匂いのようなものを感じたのかもしれない。


「これは?」

「町の仕来りみたいなものね。観光に来た人に渡すことになってるの」

 促されるままに小箱を開けると中には蝶の翅をあしらった髪飾が納められていた。

 黄金色をしたフレーム。内側に薄く張られた羽はステンドグラスのような美しい幾何学模様を描いていて、光が差し込めば虹色の影を落とした。なんの素材で出来ているのだろうか。触れると硬いながらも金属とは違った肌触りだった。


「これを付けていれば外から来た人ってすぐ分るのよ」

「付けなければいけないんですか?」

 ラウラが聞くと乃杏は少し困った顔をした。

「そうね。絶対とは言わないけど、いつも付けて貰ってるわ。変かしら?」

「いえ」

 ラウラは慶香町に訪れる前に読んだ祖父の手記を思い出す。
 町には虫神と呼ばれる存在を信仰しているとそこには綴られていた。祖父は神主だった。信仰の違いによるいざこざは何度も目にしてきた。
 仕来りという言葉に猜疑心はあれど無下にするべきではないと考える。郷に入っては郷に従えだ。


「帽子でもいいですか?」

「えぇ、大丈夫よ。そんなに気にしないで。お祭りの時にお面つけるみたいなものだから」

 ラウラは持って来ていたキャップ帽に髪飾りを取り付けた。
 帽子にバッチを付けるというのはよくあるが、髪飾りというのは新鮮だ。

「似合ってますよ、ラウラさん」
「そうですか?」


 その時だった。粘つく液体を全身にかけられたような不快感を覚えた。

 それは視線だった。誰かが自分を見ていると強く感じ取れた。
 ラウラは咄嗟に振り返った。そこは店の奥だ。のれんで仕切られた先には人の気配は無い。

「…………?」

「どうかしましたか?」

「いや、何でもないです」

 気のせいだろうか。店には自分達以外誰も居ないように思えた。


「それじゃ。ラウラさん行きましょうか」

 湖桃が自信満々に町へと先導する。
 その後に続きラウラも喫茶店「初春」を後にした。

 町の中へと消えていく二人の姿を乃杏は窓から見送る。
 その背中が完全に見えなくなるのを確認してから乃杏はカーテンを閉じた。
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