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神々の語らい。
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全てが早回しに見えた。
茶色と緑と黒の斑の蛇はシュルシュルと二股に裂けた舌を出し入れしながら、その輪郭をぼやけさせた。ギュッと収縮して存在を確かにすると、うろのような落ち窪んだ目の、長い髭の男の姿になった。たった今、禍ツ神が脱ぎ捨てたばかりのヴィラード国王の姿だ。
ズルンと全てが剥けた。
そうとしか言いようがなかった。
ボサボサの髪も髭も一瞬で抜け落ち、かぎ裂きだらけの王衣も解けて糸に還り、宝飾品がバラバラと地面に散った。それから髪の毛だけが、スキンヘッドから五分刈りスポーツ刈りと伸びていく。
瞬く間に地面につくほどの長髪になった禍ツ神の人身は、人間でいうところの三十代後半に見えた。
多分ヴィラード国王の姿を模している。多分というのは髭がない彼の顔を見たことないし、正気でいるときの顔も知らないからよ。
「我が巫女よ。我が妃よ」
禍ツ神がシーリアに向かって一歩足を踏み出した。
ザシャル先生がシーリアを背後に庇って、禍ツ神の視界から彼女を隠す。馬はとっくに逃げている。吹き飛ばされた衝撃で全員が落馬しちゃったのよ。
「神ともあろう者が妻問に素裸とは、神位の程が知れましょう」
先生が眠たげな目元を冷たく細めて言った。
⋯⋯やっぱ、ソレ言っちゃう?
ザッカーリャのときは、たゆんたゆんとお胸が揺れるのが気になったんだけど、コイツ、ぷらんぷらんとぺ⋯⋯げふんげふん、が揺れてるのよ。
気分を害したのか禍ツ神の目が細められたけど、先生の言うことに思うところがあったのか、解けて地面に散る糸を数本摘み上げて宙に放ると、次の瞬間には王衣を纏っていた。
「これで良いか、我が妃よ。その身を我が供物として捧げよ」
「いやです」
一方的にお妃様認定されたシーリアは、すげなく断った。当然でしょう。
「そなたは美しいゆえ、妃として遇してやろうというに、何が不満だ。あちらの土地は、豊かだ。我らの卵で埋め尽くしても、しばらくは枯れることはあるまい」
卵⋯⋯繁殖する気⁈
「不満しかありませんわよ。わたくし、あなたの卵など産みませんわ」
シーリアがツンとして言った。まったくもって同意するけど、挑発して大丈夫?
「宝石姫」
私を腕に囲い込んでいたアル従兄様が、ヒソッと言った。
「シーリアちゃんが邪神の気を引いてる隙に、先制攻撃を仕掛けられるか? あっちはザシャル殿の口がブツブツ動いてるから大丈夫だ」
本当だ。壁か檻を風で作る気なのかも知れない。
聖句を唱える魔術師の最大の弱点は、その瞬発力のなさにある。大きな魔術を使う魔術師ほど、長く美しい聖句を紡ぐのよ。そんなわけで戦場に於いて、魔術師は直接敵と対峙することはない。離れた場所から最大出力の魔法をぶっ放すのがセオリーだ。
黄金の三枚羽たるザシャル先生も、その例に漏れない。攻撃と守備を同時に出来ないなら、守備に専念するしかない。シーリアが一緒にいるものね。
ザシャル先生には全力でシーリアを守ってもらって、あとはこっちでなんとかするしかない。
離れた位置にいるユン、タタンと三兄様に目で合図する。
背後に守護龍さんを従えたユンが弓をつがえた。空に向かって放たれたソレは、天空で弾けて雷を落とした。雲ひとつない空から、稲妻とともに雷鳴が間髪置かずお腹に響く轟音を轟かせた。
矢を射たユンがびっくりしてキョトンとしている。可愛い⋯⋯じゃなくて。ごめん、威力が強すぎたかしら。
実はユンに《漢字》を書いた沢山のコヨリを持たせていたの。ユンの無尽蔵の魔力は、そのほとんどが守護龍さんに喰われている。残る僅かな魔力では蝋燭の火も灯せない。でも、超省エネモードの《漢字》なら、そこそこの魔術を発動できる。
ユンは《雷》と書いたコヨリを矢に結びつけて、ちょびっとだけ魔力を通して射た。結果はご覧の通りよ。
避雷針となって落雷を受けた禍ツ神は、ぶすぶすと黒い煙を上げている。これは瘴気じゃなくて、普通に落雷による焦げつきだと思う。
守護龍さんから禍ツ神は滅してもいいって言質はとってるから、このくらいじゃ、まだまだよ。
タタンの方からも火炎が放射された。《焔》の文字を刻んだ魔法剣はタタンとはとても相性が良くて、刀身を媒体鉱石として使うことで、あまり魔力のない彼でもある程度は大きな魔法を使うことができる。
ちなみにタタンは聖句を唱えるととんでもなく時間がかかる上に、初級も初級な魔法しか使えないので、《焔》の文字に魔力を通す。
焦げた身体に火炎を重ねて浴びせかけられて、さすがの禍ツ神もシーリアから視線を離した。キロキロと目を動かして、タタンを見て、ユンを見て、ユンの後ろの守護龍さんを見る。
クルクル、ヒアーーーーァッ!
禍ツ神が変な声を出した。人間の口から、チロチロと二股の舌が覗く。
「邪魔などいたさぬ。そなたが我が姫を害することがないよう、見張っておるだけよ」
クルクルクル、クアァーー!
「面倒だ。人間の言葉で話すが良い」
守護龍さんが淡々と言った。
え、あれ神様の言葉なの?
「龍の君よ、あなた様が人間の娘を巫女として迎えておられるのに、なにゆえ邪魔をなさる」
あら、守護龍さんの方が神格が上っぽい。
「我は別に邪魔などせぬ。だが、大地が汚れて疲弊していくのはいただけぬの。大地が枯れゆけば人間の心が荒む。我らは人間の心を糧に生きておるゆえ、大地には健やかであってもらわねばならぬ」
「力を蓄えるだけなら、憎悪の方がよほど効率が良いではありませんか。堕ちていくのは心地よい。思うがままに振る舞って、なにが悪いと言われるか」
「そなたはそうであろう。ただ、たいていの神はそう思うておらぬぞ」
「綺麗事を⋯⋯ッ!」
禍ツ神が大きく膨らんだ。
違う、下半身がずるりと伸びて、蛇の尻尾が現れた。半人半蛇の異形が鎌首を擡げるように上半身を起こして、私たちを見下ろした。
わぁ、ラスボスって感じだわぁ。
私はどこか、他人事のように眺めたのだった。
茶色と緑と黒の斑の蛇はシュルシュルと二股に裂けた舌を出し入れしながら、その輪郭をぼやけさせた。ギュッと収縮して存在を確かにすると、うろのような落ち窪んだ目の、長い髭の男の姿になった。たった今、禍ツ神が脱ぎ捨てたばかりのヴィラード国王の姿だ。
ズルンと全てが剥けた。
そうとしか言いようがなかった。
ボサボサの髪も髭も一瞬で抜け落ち、かぎ裂きだらけの王衣も解けて糸に還り、宝飾品がバラバラと地面に散った。それから髪の毛だけが、スキンヘッドから五分刈りスポーツ刈りと伸びていく。
瞬く間に地面につくほどの長髪になった禍ツ神の人身は、人間でいうところの三十代後半に見えた。
多分ヴィラード国王の姿を模している。多分というのは髭がない彼の顔を見たことないし、正気でいるときの顔も知らないからよ。
「我が巫女よ。我が妃よ」
禍ツ神がシーリアに向かって一歩足を踏み出した。
ザシャル先生がシーリアを背後に庇って、禍ツ神の視界から彼女を隠す。馬はとっくに逃げている。吹き飛ばされた衝撃で全員が落馬しちゃったのよ。
「神ともあろう者が妻問に素裸とは、神位の程が知れましょう」
先生が眠たげな目元を冷たく細めて言った。
⋯⋯やっぱ、ソレ言っちゃう?
ザッカーリャのときは、たゆんたゆんとお胸が揺れるのが気になったんだけど、コイツ、ぷらんぷらんとぺ⋯⋯げふんげふん、が揺れてるのよ。
気分を害したのか禍ツ神の目が細められたけど、先生の言うことに思うところがあったのか、解けて地面に散る糸を数本摘み上げて宙に放ると、次の瞬間には王衣を纏っていた。
「これで良いか、我が妃よ。その身を我が供物として捧げよ」
「いやです」
一方的にお妃様認定されたシーリアは、すげなく断った。当然でしょう。
「そなたは美しいゆえ、妃として遇してやろうというに、何が不満だ。あちらの土地は、豊かだ。我らの卵で埋め尽くしても、しばらくは枯れることはあるまい」
卵⋯⋯繁殖する気⁈
「不満しかありませんわよ。わたくし、あなたの卵など産みませんわ」
シーリアがツンとして言った。まったくもって同意するけど、挑発して大丈夫?
「宝石姫」
私を腕に囲い込んでいたアル従兄様が、ヒソッと言った。
「シーリアちゃんが邪神の気を引いてる隙に、先制攻撃を仕掛けられるか? あっちはザシャル殿の口がブツブツ動いてるから大丈夫だ」
本当だ。壁か檻を風で作る気なのかも知れない。
聖句を唱える魔術師の最大の弱点は、その瞬発力のなさにある。大きな魔術を使う魔術師ほど、長く美しい聖句を紡ぐのよ。そんなわけで戦場に於いて、魔術師は直接敵と対峙することはない。離れた場所から最大出力の魔法をぶっ放すのがセオリーだ。
黄金の三枚羽たるザシャル先生も、その例に漏れない。攻撃と守備を同時に出来ないなら、守備に専念するしかない。シーリアが一緒にいるものね。
ザシャル先生には全力でシーリアを守ってもらって、あとはこっちでなんとかするしかない。
離れた位置にいるユン、タタンと三兄様に目で合図する。
背後に守護龍さんを従えたユンが弓をつがえた。空に向かって放たれたソレは、天空で弾けて雷を落とした。雲ひとつない空から、稲妻とともに雷鳴が間髪置かずお腹に響く轟音を轟かせた。
矢を射たユンがびっくりしてキョトンとしている。可愛い⋯⋯じゃなくて。ごめん、威力が強すぎたかしら。
実はユンに《漢字》を書いた沢山のコヨリを持たせていたの。ユンの無尽蔵の魔力は、そのほとんどが守護龍さんに喰われている。残る僅かな魔力では蝋燭の火も灯せない。でも、超省エネモードの《漢字》なら、そこそこの魔術を発動できる。
ユンは《雷》と書いたコヨリを矢に結びつけて、ちょびっとだけ魔力を通して射た。結果はご覧の通りよ。
避雷針となって落雷を受けた禍ツ神は、ぶすぶすと黒い煙を上げている。これは瘴気じゃなくて、普通に落雷による焦げつきだと思う。
守護龍さんから禍ツ神は滅してもいいって言質はとってるから、このくらいじゃ、まだまだよ。
タタンの方からも火炎が放射された。《焔》の文字を刻んだ魔法剣はタタンとはとても相性が良くて、刀身を媒体鉱石として使うことで、あまり魔力のない彼でもある程度は大きな魔法を使うことができる。
ちなみにタタンは聖句を唱えるととんでもなく時間がかかる上に、初級も初級な魔法しか使えないので、《焔》の文字に魔力を通す。
焦げた身体に火炎を重ねて浴びせかけられて、さすがの禍ツ神もシーリアから視線を離した。キロキロと目を動かして、タタンを見て、ユンを見て、ユンの後ろの守護龍さんを見る。
クルクル、ヒアーーーーァッ!
禍ツ神が変な声を出した。人間の口から、チロチロと二股の舌が覗く。
「邪魔などいたさぬ。そなたが我が姫を害することがないよう、見張っておるだけよ」
クルクルクル、クアァーー!
「面倒だ。人間の言葉で話すが良い」
守護龍さんが淡々と言った。
え、あれ神様の言葉なの?
「龍の君よ、あなた様が人間の娘を巫女として迎えておられるのに、なにゆえ邪魔をなさる」
あら、守護龍さんの方が神格が上っぽい。
「我は別に邪魔などせぬ。だが、大地が汚れて疲弊していくのはいただけぬの。大地が枯れゆけば人間の心が荒む。我らは人間の心を糧に生きておるゆえ、大地には健やかであってもらわねばならぬ」
「力を蓄えるだけなら、憎悪の方がよほど効率が良いではありませんか。堕ちていくのは心地よい。思うがままに振る舞って、なにが悪いと言われるか」
「そなたはそうであろう。ただ、たいていの神はそう思うておらぬぞ」
「綺麗事を⋯⋯ッ!」
禍ツ神が大きく膨らんだ。
違う、下半身がずるりと伸びて、蛇の尻尾が現れた。半人半蛇の異形が鎌首を擡げるように上半身を起こして、私たちを見下ろした。
わぁ、ラスボスって感じだわぁ。
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