江戸の兄弟 ~遠山金四郎と長谷川平蔵~

ご隠居

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桜吹雪 ~金四郎の覚悟~ 2

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 それから金四郎は再び、背中をかくすと平蔵へと振り返り、そして、

「実は…、おめぇにはだまっていたことがあんだ…」

 金四郎はそう切り出すや、腰をおろしたので、平蔵もそうした。

「それで何でぇ…、俺にだまっていたことって…」

 平蔵は金四郎をうながした。

「俺も…、おめぇと同じような境遇きょうぐうなんだ…」

「同じような境遇きょうぐうって、それじゃあ、おめぇ…」

「ああ。俺も旗本の子弟していってやつなんだよ…」

 金四郎はこの時、初めて平蔵に自分の身の上を打ち明けた。金四郎の方は平蔵のことを知っていた。平蔵から打ち明けられたということもあるが、それ以上に、

「本所のてつ

 が長谷川平蔵の異名いみょうであることは有名だったからだ。

 それに比して金四郎の方はと言うと、

「遊び人の金さん」

 なる異名いみょうはお世辞せじにも有名とは言えず、また金四郎自身、平蔵にも身の上を明かさずに、あくまで、

「遊び人の金さん」

 平蔵にはそれで通したので、平蔵もそれを信じていた。

「そうだったのかい…」

 平蔵は目を丸くした。

「だが…、背中せなにそんな桜の彫物ほりものを入れちまったら…」

 平蔵が何を言いたいのか、金四郎には勿論、分かっていた。

「ああ。もう、家には戻れねぇ…」

 金四郎がそう言葉をぐと平蔵はうなずいた。

「俺なりの覚悟かくごなんだよ…」

覚悟かくご?背中せなに桜の彫物ほりものを入れたことが、か?」

「ああ…」

「どういう意味でぇ…」

「俺は今まで、帰る家がある…、それに甘えてた…、そいつが分かったんだよ…」

 金四郎がそう言いかけると、平蔵はすぐに察したようだ。

「もしかして…、前に三人組の浪人に襲われた時のことと関係が?」

 勘働かんばたらきの良さも祖父・平蔵ゆずりなのであろう。

「ああ…、あん時、俺は何もできなかった…」

「だからそれは…」

「俺が丸腰まるごしだったから…、だが、それはただの言い訳よ…」

「ただの言い訳?」

「そうだ。俺には帰るべき家がある…、だから傷付くのが、いや、死ぬのが怖くて何もできなかったんだよ…」

「そりゃおめぇ…、誰でも死ぬのはこえぇさ…」

「いや、おめぇは違う。もう帰るべき家はない…、そんな強さがあるからこそ、死を恐れずにあの浪人どもに立ち向かって行けたんだよ…」

「買いかぶりすぎだ…」

「いや、買いかぶりなんかじゃねぇ…、事実だ」

「それで…、おめぇはそれで…、俺と同じように、もう家には帰れらねぇ、って決意表明の意味で背中せなに桜の彫物ほりものを入れたわけか?」

「そういうことだ。背中せな桜吹雪さくらふぶき背負せおった以上、もう、家には帰れねぇ…」

 金四郎はそう言うと、「へへ…」と痛みをこらえて無理に笑ってみせた。

 ともあれ確かに金四郎の言う通りであった。背中に桜の彫物ほりものを背負ったような男が最早もはや、旗本の家督かとくげるとも思えなかった。

 それはつまり、この市井しせいにて、「遊び人の金さん」として平蔵と共に生きることの決意表明でもあった。

「これからもよろしく頼むぜ、兄弟…」

 金四郎が平蔵にそう声をかけると、平蔵は満面まんめんの笑みを浮かべてうなずいた。

 このような暮らしが一生…、それこそ死ぬまで続くものだと、その時の金四郎は、そして誰よりも平蔵もそう信じて疑わなかった。

 文化11(1814)年1月29日に平蔵の兄、平三郎へいざぶろう宣茂のぶもちが亡くなるまでは。
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