ニート弓削入鹿、元禄時代にタイムスリップ ~吉良様、ご用心~

ご隠居

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承前

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 11月9日、この日は弓削ゆげ入鹿いるかの母方の祖父の命日であった。

 墓所は東京メトロ日比谷線東銀座駅から徒歩5分程の距離の中央区は築地の寺にあり、そこに入鹿いるかの母方の祖父、東條とうじょうしげるが眠っていた。

 母の旧姓は東條とうじょうと言い、東條とうじょう累代るいだいの墓がそこにはある。

 ちなみにその東條とうじょう家だが、血筋を辿ると何でもさる旗本はたもと家につながる家柄いえがらであったらしい。入鹿いるかの母が自慢げにそう語ることがしばしばであった。

 ニートでなおつ不必要な外出をことほかに嫌う入鹿いるかであったが、それでも両親の祖父母の毎年の月命日には墓参りは欠かさなかった。

 なぜ欠かさないかというと、お気楽なニート生活をエンジョイできたことのお礼と、これからもなお一層いっそうのお気楽なニート生活を送れますように、との祈願きがんねての墓参りであった。

 両親、特に母親が聞いたらそれこそ卒倒そっとうしそうな理由であったが、それはかく入鹿いるかは母親から交通費に花代、〆て5000円をせしめると、鬱陶うっとうしいマスクをつけて家を出た。

 東銀座駅のすぐ傍にある花屋で墓参り用の花を1対、1620円で購入した。内訳うちわけは本体価格1500円に消費税が120円、しめて1620円である。2160円の花もあったが、少しでもお釣をせしめたい入鹿いるかとしては花代はなるべく低く抑えたかったのであえて1620円の花を選んだ。

 墓参り用の花代をケチるとはとんだ罰当たりのそしりは到底とうていまぬがないかもしれなかったが、入鹿いるかとしては金の方に目がくらんだ。

 なぜ金が必要かというと古本屋で好きな本を買うための代金を手に入れるためだ。それならば働いて稼げば良い話であるが、ニートの入鹿いるかにはそれは望むべくもなかった。たとえて言うなら、八百屋やおやで魚をくれというようなものであろうか。

 花を両手で抱えて信号待ちをしていた入鹿いるかは信号が青へと変わったので、横断歩道を渡り始めた。

 その際、いつもは必ずと言って良い程に左右を確認してから横断歩道を渡る入鹿いるかであったが、今日に限ってそれを省略したのは入鹿いるかにとってはさしずめ一生の不覚ふかくであったと言えようか。

 油断ゆだん、とそう言い換えても良いかもしれなかった。

 これまでもずっと左右を確認してから横断歩道を渡ってきた入鹿いるかであったが、そのたびに自分の行動が無駄むだであると、そう思い知らされる結果に終わっていた。

 だから今日もきっとそうに違いない、ならもう信号が青に変わったことだし、横断歩道を渡り始めた俺の元に突っ込んでくる不埒な運転手などいないに違いない…、入鹿いるかはそう確信を抱いて、いつもの習慣を省略して横断歩道を渡り始めたのであった。

 だがそれがどうやら失敗だったと、入鹿いるかが気付かされたのは横断歩道を真ん中まで渡り終えた時だった。

 最近の自動車というのはどうしてこうも音がしないのか、入鹿いるかはバンパーに腰を叩きつけられるまで自分の身に危険が迫っていることなどつゆほども知らずにのほほんと横断歩道を渡っていた。そして自動車が目前まで迫ってきてようやく、

(ぶつかる)

 そう思った時にはもう遅かった。

 やはりわずかばかりの金をケチるとロクなことはない、入鹿いるかは今となっては遅すぎる反省をしつつ、花束が宙に舞い散る光景を目にしたのを最後に、入鹿いるかは意識を失った。

 それゆえにバンパーに腰が叩き付けられたことによる痛みも感じなければ、その直後にボンネット上で華麗なる回転技を目撃者の皆様方に披露ひろうしたことも認識出来ず、その後で車から振り落とされて地面に叩き付けられたことによる痛みも勿論もちろん、感じなかった。車がそのまま走り去ってくれたことも、そしてしばらってから救急車がサイレンを鳴らしてすっ飛んで来たことも勿論もちろん入鹿いるかは認識出来なかった。
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