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将軍・家治が奏者番ではあるが、未だ大名ですらない部屋住の身の田沼意知を若年寄へと進ませる真の理由 前篇
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意知が神田橋御門内にある屋敷に戻ったのは夕七つ(午後4時頃)を過ぎた頃であった。既に夕焼け空だというに田沼家の門前にはまだ、陳情客が列を成し、その列たるや神田橋御門内どころか、御門外まで続いていた。
このままでは暮六つ(午後6時頃)になっても御門を閉じられない事態となるやも知れず、田沼家ではそれを防ぐべく、家臣が規制に乗出していた。
邸内においては家臣の伊勢次郎左衛門と村上半左衛門、楠半七郎らが「取次」に従事していた。
ちなみに伊勢次郎左衛門はかつては、意知の妻女の義に附属し、用人を務めていた。
それが義の歿後には義の「忘れ形見」とも言うべき嫡子の龍助に附属、用人として仕えており、「取次」をも兼務していた。
同じことは村上半左衛門にも言え、半左衛門もかつては木挽町にある下屋敷の管理を任されていたのだが、今は意知に附属し、用人として仕える傍ら、「取次」に従事していた。
村上半左衛門は意知の帰邸を知ると、「取次」の仕事の手を休めて意知の許へと足を運んだ。
「御帰りなさいませ…」
半左衛門は意知のそう挨拶すると、父・意次が呼んでいることを告げた。
「父上が?」
「はい。帰り次第、呼んで参れ、と…」
意次より左様に仰せ付けられたことを半左衛門は意知に打明けた。
「左様か…、相分かった」
意知はそう応ずると、半左衛門の案内を謝絶し、一人、意次の許へと足を運んだ。
と言っても、いきなり意次の前に姿を見せた訳ではない。
意次は今、奥座敷にて陳情客と面会中であったからだ。
この奥座敷にしても、康福が意知・龍助父子を招くのに使った奥座敷同様、一本の廊下だけで通ずる謂わば独立した部屋であった。
これは陳情内容が外の陳情客に漏れない様に、との配慮からであった。
その奥座敷へと通ずる一本の廊下の前、さしずめ奥座敷への入口付近にも部屋が、それも広々とした部屋が設えられていたものの、そこにもまた、意次への面会を待つ陳情客で溢れており、広々とした部屋であるにもかかわらず、それ程、広くは感じられなかった。それどころか手狭に感じられる程であった。
そこでは「側用人」の潮田由膳と三浦庄二の二人が配下とも言うべき「公用人」の山崎藤五郎と高木俊蔵、それに各務源吾と大竹三左衛門を随えて、意次への面会を今か今かと待受ける陳情客の接遇に努めていた。
具体的には茶菓子を用意する。茶碗が空になったならば、或いは茶が冷めたならば
「すかさず…」
熱い茶を煎れるといった具合で、接遇に努めていたのだ。これもまた、陳情客が意次の許へと殺到する所以と言えた。
そこ部屋に意知が姿を見せると、まずは公用人の各務源吾が反応した。
「あっ、若さ…」
源吾はつい癖で、「若様」と呼ぼうとして、しかし客人の前であることを思い出したので、慌てて口を噤んだ。客人の前で「様」を付けるのは憚らねばならない。
ともあれ、源吾のその声で外の、側用人や公用人も給仕の手を止めると、意知の方を向いて叩頭した。
いや、意知に叩頭したのは彼等、家中の者ばかりではない。陳情客にしても、意知の存在に当然、気付き、同様に、いや、それ以上に深々と頭を下げてみせた。
「あっ、どうか左様に畏まらないで下さい」
意知はまず、陳情客に対してその頭を上げさせると、三浦庄二ら家中の者には給仕を続けてくれるよう促した。
「あの、如何な用向にて?」
既に給仕を終えていた源吾が意知に一体、何をしに来たのかと、それを尋ねた。
「いや、父に呼ばれて…」
意知がそう答えると、源吾は「それなれば…」と腰を上げて、意次の許へと向かおうとした。無論、意知が来たことを主君・意次に報せる為だが、意知はそんな源吾を制した。
「今はまだ、御客人との面談の最中であろうぞ…」
陳情の邪魔をしてはいけない…、それが意知が源吾を制した理由であった。
「さればここで待たせて貰っても構わいませぬか…、いや、門前にて並んでいる御客人には申訳ないが…」
意知は部屋で父・意次への面会を待受ける彼等、陳情客に対してそう声をかけた。
すると彼等、陳情客は皆、
「構いませぬとも…」
そう声を揃えたのであった。
それから間もなくして、それまで意次と面会に及んでいた陳情客が中老の潮田尉右衛門に伴なわれて、件の廊下を伝ってその待合所とも言うべき部屋へと戻って来た。
本来ならば、潮田尉右衛門が次の陳情客を主君・意次の許へと案内すべきところ、今は違った。
潮田尉右衛門もまた、意知の姿を認めて驚いた表情を浮かべた。
その尉右衛門に事の次第を囁いたのは側用人の潮田由膳であった。尉右衛門と由膳とは実の親子であったからだ。
ともあれ、由膳より仔細を打明けられた尉右衛門は意知を意次の許へと案内した。
「失礼致します…」
意知はそう声をかけてから意次の待つ奥座敷へと足を踏み入れ、すると尉右衛門がそれと同時に外側から障子を閉めた。障子を開け閉めするのも中老たる潮田尉右衛門の仕事であった。
奥座敷には意次の外にも家老の各務久左衛門と井上伊織が陪席していた。
各務久左衛門と井上伊織は共に家老として、陳情の場に立会っていた。それは第一義的には主君・意次を守る為であった。陳情客は太刀こそ玄関にて家中の刀番に預けておくものの、脇差は帯びたままであるからだ。
それ故、主君・意次を陳情客と二人きりにしてしまっては危うい。
陳情客が悪心を起こさぬとも限らないからだ。仮に陳情客が悪心を起こして脇差を抜こうものなら、その時、陳情の場に立会う者が誰もいなければ取返しのつかないことになる。
そこで家老の各務久左衛門と井上伊織の陳情の場に常時、立会う。
尤も、その危険性はゼロとは言わないにしても限りなくそれに近いものであり、実際には陳情の内容を書留めるのは各務久左衛門と井上伊織の主な仕事であった。二人に同時に陳情の内容を書留めさせることで、より正確を期そうとの、意次の判断による。
だが意知の場合は陳情客でもなければ、脇差を抜く危険性もゼロと断言出来たので、各務久左衛門と井上伊織の二人は気を利かせて退出しようとした。主君・意次とその息・意知との間で繰広げられるであろう正に、
「親子の対話…」
それを邪魔してはならないとの判断が働いた為である。
しかしそんな二人を意次が制した。
「直ぐに済む故、それには及ばぬ…」
意次は重みのある声で腰を浮かしかけた久左衛門と伊織を制した。
そなると久左衛門にしろ伊織にしろ、その場に留まるより外になかった。
さて、意次は二人を留まらせると早速、本題に入った。
「周防守殿が許へと参ったそうだが、用向は何であったか?」
意次は単刀直入、意知にそう尋ねた。
だが意知は父・意次よりのその問いに対して、「申せませぬ」と言下に一蹴してみせた。
意次の視線と意知の視線がぶつかり合う中、意次はもう一つだけ意知に問うた。
「龍助だけを…、大村六右衛門と武田織右衛門に伴わせて帰宅させたようだが、意知よ、お前は一人、どこぞへと寄道でも致したのか?」
「はい。如何にも寄道を致しましてござります」
意知が正直にそう答えると、意次はしかし、意外にもその行き先については問わなかった。恐らくは意知がまたしても答えないのは明らかであったからだ。
代わりに意次は唯一言、
「それで良い…」
そう呟いた。意次とて、倅・意知が、
「ペラペラと…」
打明けるのを期待した訳ではなかったからだ。それどころか口の堅さを験したに過ぎない。
仮令、実の親であろうとも打明けることはしない…、意次は倅・意知にその様な口の堅さを期待していたのであり、それに対して意知は見事、父・意次の期待に応えたと言える。
「もう良いぞ…」
退がって構わぬ…、意次からそう示唆された意知は意次に叩頭してから立上がった。
するとそんな意知を意次は見上げると、「ああ、そうそう…」と思い|出したかの様な声を上げ、
「周防守様より沢山の、それも結構なる玩具が届いた故に、周防守様へと御礼を申上げる様に…、いや、私からも勿論、礼を申上げるが…」
意知にそう告げたのであった。
それで意知も龍助が元・岳父の康福の屋敷、それも大奥にて玩具を見せて貰ったことを思い出した。
康福は可愛い孫、それも外孫の龍助の為に用意したそれら玩具は余りに多く、到底、持帰れぬ程の量であり、
「後で届けさせる故…」
意知が康福の屋敷を辞去する間際、康福よりそう告げられていたのだ。
それらのことを思い出した意知は、
「承知仕りました…」
この時ばかりは素直にそう応じ、今度こそ意次の許を辞去した。
それから意知は一人、自室に篭った。考え事をする為である。龍助たち子供は奥向、所謂、「大奥」にて女中たちが世話をしていた。
それ故、意知は誰にも邪魔されずに考え事をすることが出来た。
意知は脇差も、扇子さえも引抜いて、大の字になって仰向けに寝た。
それが意知が考え事をする際の姿勢であった。
行儀が悪いのは自覚するところであったが、考え事をするには一番の姿勢であった。
考え事―、それは己が若年寄に進む真の理由についてであった。
成程、将軍・家治が伊達重村を島津重豪への対抗上、その家格を引上げてやろうと、つまりは殿中席を大廣間から黒書院の溜間へと移させてやろうと考えているのも事実である。
また、中奥にて本来、直属の上司とも言うべき側用人の水野忠友を差置いて、跳梁を恣にしている御側御用取次の稲葉正明や横田準松、本郷泰行を家治が掣肘しようと考えているのもまた、事実であった。
だがそれらだけが、それらを実現させる為だけに、家治は意知を若年寄へと進ませる訳ではなかった。
このままでは暮六つ(午後6時頃)になっても御門を閉じられない事態となるやも知れず、田沼家ではそれを防ぐべく、家臣が規制に乗出していた。
邸内においては家臣の伊勢次郎左衛門と村上半左衛門、楠半七郎らが「取次」に従事していた。
ちなみに伊勢次郎左衛門はかつては、意知の妻女の義に附属し、用人を務めていた。
それが義の歿後には義の「忘れ形見」とも言うべき嫡子の龍助に附属、用人として仕えており、「取次」をも兼務していた。
同じことは村上半左衛門にも言え、半左衛門もかつては木挽町にある下屋敷の管理を任されていたのだが、今は意知に附属し、用人として仕える傍ら、「取次」に従事していた。
村上半左衛門は意知の帰邸を知ると、「取次」の仕事の手を休めて意知の許へと足を運んだ。
「御帰りなさいませ…」
半左衛門は意知のそう挨拶すると、父・意次が呼んでいることを告げた。
「父上が?」
「はい。帰り次第、呼んで参れ、と…」
意次より左様に仰せ付けられたことを半左衛門は意知に打明けた。
「左様か…、相分かった」
意知はそう応ずると、半左衛門の案内を謝絶し、一人、意次の許へと足を運んだ。
と言っても、いきなり意次の前に姿を見せた訳ではない。
意次は今、奥座敷にて陳情客と面会中であったからだ。
この奥座敷にしても、康福が意知・龍助父子を招くのに使った奥座敷同様、一本の廊下だけで通ずる謂わば独立した部屋であった。
これは陳情内容が外の陳情客に漏れない様に、との配慮からであった。
その奥座敷へと通ずる一本の廊下の前、さしずめ奥座敷への入口付近にも部屋が、それも広々とした部屋が設えられていたものの、そこにもまた、意次への面会を待つ陳情客で溢れており、広々とした部屋であるにもかかわらず、それ程、広くは感じられなかった。それどころか手狭に感じられる程であった。
そこでは「側用人」の潮田由膳と三浦庄二の二人が配下とも言うべき「公用人」の山崎藤五郎と高木俊蔵、それに各務源吾と大竹三左衛門を随えて、意次への面会を今か今かと待受ける陳情客の接遇に努めていた。
具体的には茶菓子を用意する。茶碗が空になったならば、或いは茶が冷めたならば
「すかさず…」
熱い茶を煎れるといった具合で、接遇に努めていたのだ。これもまた、陳情客が意次の許へと殺到する所以と言えた。
そこ部屋に意知が姿を見せると、まずは公用人の各務源吾が反応した。
「あっ、若さ…」
源吾はつい癖で、「若様」と呼ぼうとして、しかし客人の前であることを思い出したので、慌てて口を噤んだ。客人の前で「様」を付けるのは憚らねばならない。
ともあれ、源吾のその声で外の、側用人や公用人も給仕の手を止めると、意知の方を向いて叩頭した。
いや、意知に叩頭したのは彼等、家中の者ばかりではない。陳情客にしても、意知の存在に当然、気付き、同様に、いや、それ以上に深々と頭を下げてみせた。
「あっ、どうか左様に畏まらないで下さい」
意知はまず、陳情客に対してその頭を上げさせると、三浦庄二ら家中の者には給仕を続けてくれるよう促した。
「あの、如何な用向にて?」
既に給仕を終えていた源吾が意知に一体、何をしに来たのかと、それを尋ねた。
「いや、父に呼ばれて…」
意知がそう答えると、源吾は「それなれば…」と腰を上げて、意次の許へと向かおうとした。無論、意知が来たことを主君・意次に報せる為だが、意知はそんな源吾を制した。
「今はまだ、御客人との面談の最中であろうぞ…」
陳情の邪魔をしてはいけない…、それが意知が源吾を制した理由であった。
「さればここで待たせて貰っても構わいませぬか…、いや、門前にて並んでいる御客人には申訳ないが…」
意知は部屋で父・意次への面会を待受ける彼等、陳情客に対してそう声をかけた。
すると彼等、陳情客は皆、
「構いませぬとも…」
そう声を揃えたのであった。
それから間もなくして、それまで意次と面会に及んでいた陳情客が中老の潮田尉右衛門に伴なわれて、件の廊下を伝ってその待合所とも言うべき部屋へと戻って来た。
本来ならば、潮田尉右衛門が次の陳情客を主君・意次の許へと案内すべきところ、今は違った。
潮田尉右衛門もまた、意知の姿を認めて驚いた表情を浮かべた。
その尉右衛門に事の次第を囁いたのは側用人の潮田由膳であった。尉右衛門と由膳とは実の親子であったからだ。
ともあれ、由膳より仔細を打明けられた尉右衛門は意知を意次の許へと案内した。
「失礼致します…」
意知はそう声をかけてから意次の待つ奥座敷へと足を踏み入れ、すると尉右衛門がそれと同時に外側から障子を閉めた。障子を開け閉めするのも中老たる潮田尉右衛門の仕事であった。
奥座敷には意次の外にも家老の各務久左衛門と井上伊織が陪席していた。
各務久左衛門と井上伊織は共に家老として、陳情の場に立会っていた。それは第一義的には主君・意次を守る為であった。陳情客は太刀こそ玄関にて家中の刀番に預けておくものの、脇差は帯びたままであるからだ。
それ故、主君・意次を陳情客と二人きりにしてしまっては危うい。
陳情客が悪心を起こさぬとも限らないからだ。仮に陳情客が悪心を起こして脇差を抜こうものなら、その時、陳情の場に立会う者が誰もいなければ取返しのつかないことになる。
そこで家老の各務久左衛門と井上伊織の陳情の場に常時、立会う。
尤も、その危険性はゼロとは言わないにしても限りなくそれに近いものであり、実際には陳情の内容を書留めるのは各務久左衛門と井上伊織の主な仕事であった。二人に同時に陳情の内容を書留めさせることで、より正確を期そうとの、意次の判断による。
だが意知の場合は陳情客でもなければ、脇差を抜く危険性もゼロと断言出来たので、各務久左衛門と井上伊織の二人は気を利かせて退出しようとした。主君・意次とその息・意知との間で繰広げられるであろう正に、
「親子の対話…」
それを邪魔してはならないとの判断が働いた為である。
しかしそんな二人を意次が制した。
「直ぐに済む故、それには及ばぬ…」
意次は重みのある声で腰を浮かしかけた久左衛門と伊織を制した。
そなると久左衛門にしろ伊織にしろ、その場に留まるより外になかった。
さて、意次は二人を留まらせると早速、本題に入った。
「周防守殿が許へと参ったそうだが、用向は何であったか?」
意次は単刀直入、意知にそう尋ねた。
だが意知は父・意次よりのその問いに対して、「申せませぬ」と言下に一蹴してみせた。
意次の視線と意知の視線がぶつかり合う中、意次はもう一つだけ意知に問うた。
「龍助だけを…、大村六右衛門と武田織右衛門に伴わせて帰宅させたようだが、意知よ、お前は一人、どこぞへと寄道でも致したのか?」
「はい。如何にも寄道を致しましてござります」
意知が正直にそう答えると、意次はしかし、意外にもその行き先については問わなかった。恐らくは意知がまたしても答えないのは明らかであったからだ。
代わりに意次は唯一言、
「それで良い…」
そう呟いた。意次とて、倅・意知が、
「ペラペラと…」
打明けるのを期待した訳ではなかったからだ。それどころか口の堅さを験したに過ぎない。
仮令、実の親であろうとも打明けることはしない…、意次は倅・意知にその様な口の堅さを期待していたのであり、それに対して意知は見事、父・意次の期待に応えたと言える。
「もう良いぞ…」
退がって構わぬ…、意次からそう示唆された意知は意次に叩頭してから立上がった。
するとそんな意知を意次は見上げると、「ああ、そうそう…」と思い|出したかの様な声を上げ、
「周防守様より沢山の、それも結構なる玩具が届いた故に、周防守様へと御礼を申上げる様に…、いや、私からも勿論、礼を申上げるが…」
意知にそう告げたのであった。
それで意知も龍助が元・岳父の康福の屋敷、それも大奥にて玩具を見せて貰ったことを思い出した。
康福は可愛い孫、それも外孫の龍助の為に用意したそれら玩具は余りに多く、到底、持帰れぬ程の量であり、
「後で届けさせる故…」
意知が康福の屋敷を辞去する間際、康福よりそう告げられていたのだ。
それらのことを思い出した意知は、
「承知仕りました…」
この時ばかりは素直にそう応じ、今度こそ意次の許を辞去した。
それから意知は一人、自室に篭った。考え事をする為である。龍助たち子供は奥向、所謂、「大奥」にて女中たちが世話をしていた。
それ故、意知は誰にも邪魔されずに考え事をすることが出来た。
意知は脇差も、扇子さえも引抜いて、大の字になって仰向けに寝た。
それが意知が考え事をする際の姿勢であった。
行儀が悪いのは自覚するところであったが、考え事をするには一番の姿勢であった。
考え事―、それは己が若年寄に進む真の理由についてであった。
成程、将軍・家治が伊達重村を島津重豪への対抗上、その家格を引上げてやろうと、つまりは殿中席を大廣間から黒書院の溜間へと移させてやろうと考えているのも事実である。
また、中奥にて本来、直属の上司とも言うべき側用人の水野忠友を差置いて、跳梁を恣にしている御側御用取次の稲葉正明や横田準松、本郷泰行を家治が掣肘しようと考えているのもまた、事実であった。
だがそれらだけが、それらを実現させる為だけに、家治は意知を若年寄へと進ませる訳ではなかった。
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