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天明3年12月7日の臨時の朝會、そして一橋治済の「憎悪」

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 その翌日よくじつの12月7日、臨時りんじ朝會ちょうえもよおされ、定信さだのぶ勿論もちろん登城とじょうして帝鑑間ていかんのまめた。

 そのころ中奥なかおくにては家治いえはる治済はるさだ相手あいてにしていた。

 いや治済はるさだ一人ひとりではない。背後はいごには家老かろう水谷勝富みずのやかつとみはやし忠篤ただあつ両名りょうめいひかえていた。

「いや、昨日きのう治済はるさだにはわるいことをしたのう…」

 家治いえはる治済はるさだにそうかたりかけ、治済はるさだいささ困惑こんわくさせた。まさかに家治いえはるからびられるとは予期よきしていなかったからだ。

 それでも如何いか将軍家しょうぐんけ―、将軍しょうぐん家治いえはるつらなる家族ファミリー一員いちいんである三卿さんきょういえども、将軍しょうぐん臣下しんかであることにわりはない。

 それゆえ将軍しょうぐん家治いえはる臣下しんかである治済はるさだとしては、家治いえはるよりびられれば、なにたいするびなのか、いまいち事情じじょう呑込のみこめずとも、

滅相めっそうもござりませぬ…」

 とりあえずはそうおうじて平伏へいふくするのが将軍しょうぐん臣下しんかとしての最低限さいていげん礼儀マナーいや義務ぎむであった。

「いや、重好しげよし二人ふたりきりでうてしまい…、まるでそなたを除者のけものにするかのごとく…」

 家治いえはる平伏へいふくする治済はるさだにそう説明せつめいしたので、それで治済はるさだ事情じじょう呑込のみこめた。

「されば重好しげよしとは茶屋ちゃやにて…、楓之間かえでのまにてにわなぞながら昼餉ひるげ舌鼓したつづみってのう…」

 家治いえはる相変あいかわらず治済はるさだ平伏へいふくさせたまま、そう説明せつめいつづけた。

「いや、もうすことがうそだとおもうのであらば、そなたがしたしくしておる取次とりつぎ稲葉いなば正明まさあきらにでもたしかめてみるがいぞ…」

 家治いえはる治済はるさだにそのようにもげたので、やはり治済はるさだとしては、

滅相めっそうもござりませぬ…」

 そうこたえるよりほかになかった。

左様さようか…、いや、もうすこと、しんじてくれてうれしくおもうぞ…」

 家治いえはる言葉ことばひびきからはしかし、うれしさはかんじられず、それどころかその言葉ことばとは裏腹うらはらつめたいひびきしかかんじられず、それを裏付うらづけるよう家治いえはる治済はるさだいまだ、平伏へいふくさせたままであった。

「されば治済はるさだよ、つぎはそなたと昼餉ひるげともにしたいとおもうが、どうだの?」

 家治いえはる平伏へいふくさせたままの治済はるさだにそんな提案ていあんをした。無論むろん、そのつもりはなかった。

 一方いっぽう治済はるさだ家治いえはるのそのようむねのうちには勿論もちろん気付きづいていたものの、

「ははぁっ、有難ありがたく…」

 やはりそうこたえるよりほかになかった。

 それから家治いえはる治済はるさだ相手あいてじつに、

他愛たわいもない…」

 そのようはなしきょうつづけた。無論むろん治済はるさだ平伏へいふくさせたままであり、その光景こうけいはまるで、

「じっくりとねこ甚振いたぶる…」

 そのさま髣髴ほうふつとさせた。

 いや家治いえはる実際じっさいなが時間じかんをかけて治済はるさだ甚振いたぶっていたわけだが、しかしそれだけが目的もくてきではなかった。

 ここ御座之間ござのまにて治済はるさだを「足止あしどめ」させることが目的もくてき―、主目的しゅもくてきであった。

 ここ御座之間ござのま治済はるさだを「足止あしどめ」させれば畢竟ひっきょう家老かろうである水谷勝富みずのやかつとみはやし忠篤ただあつ同時どうじに「足止あしどめ」させることが出来できうらかえせば三卿さんきょう家老かろう詰所つめしょから一橋ひとつばし家老かろうである水谷勝富みずのやかつとみはやし忠篤ただあつ姿すがたえるわけで、やはり三卿さんきょう家老かろうめている清水家老しみずかろう本多ほんだ昌忠まさただとしてはそのぶん松平まつだいら定信さだのぶへの「工作こうさく」がやりやすくなる。

 すなわち、表向おもてむき帝鑑間ていかんのまめている定信さだのぶへと書状しょじょうを―、将軍しょうぐん家治直筆いえはるじきひつ書状しょじょうとそれにやはり重好直筆しげよしじきひつの「招待状しょうたいじょう」のこの二通につう書状しょじょうとどける役目やくめ本多ほんだ昌忠まさただになうことになったわけだが、その場合ばあいたりまえだが昌忠まさただ三卿さんきょう家老かろう詰所つめしょなければならず、しかしそのさい一橋ひとつばし家老かろう水谷勝富みずのやかつとみはやし忠篤ただあつがいたのでは、こといま治済はるさだの「忠実ちゅうじつなる番犬ばんけん」としている忠篤ただあつならば、昌忠まさただ一体いったい何処どこあしはこぶつもりかと、執拗しつよう誰何すいかするにちがいない。

 無論むろん治済はるさだに「ご注進ちゅうしん」におよためである。

 そうすることで治済はるさだの「おぼえ」を目出度めでたくしようとの魂胆こんたんであった。

 そのよう忠篤ただあつたいしては、

「ちと、かわやへ…」

 などと、「ありきたり」な言訳いいわけ通用つうようしないだろう。

 かりにそのような「ありきたり」な言訳いいわけもちいようものなら、

「されば身共みどもも…」

 まことかわやくつもりかと、忠篤ただあつはそのあとをついてようとするであろう。

 家治いえはるはそれをふせぐべく、すなわち、本多ほんだ昌忠まさただ松平まつだいら定信さだのぶへのかる「工作こうさく」をやりやすくさせるべく、御座之間ござのまにて治済はるさだを「足止あしどめ」させることで、家老かろう水谷勝富みずのやかつとみはやし忠篤ただあつをも「足止あしどめ」させたのだ。

 いや三卿さんきょう家老かろう詰所つめしょには今一人いまひとり田安家老たやすかろう戸川とがわ山城守やましろのかみ逵和みちともめていたものの、しかし戸川とがわ逵和みちとも三卿さんきょう家老かろうという地位ちい、それもなにかと、

実入みいりのい…」

 その地位ちい安住あんじゅうし、しかも当主とうしゅ不在ふざいであるので、はやし忠篤ただあつよう当主とうしゅ取入とりい必要ひつようもないので、ほか三卿さんきょう―、一橋ひとつばし清水家しみずけ両家りょうけ家老かろう動静どうせいには一切いっさい興味きょうみがないと断言だんげん出来できた。

 家治いえはるもそれは承知しょうちしていたので、戸川とがわ逵和みちともについてはなん不安ふあんはなかった。

 すなわち、本多ほんだ昌忠まさただせきったところで、逵和みちとも一切いっさい興味きょうみしめさぬであろうし、かり興味きょうみしめしたところで、

「ちと、かわやへ…」

 その「ありきたり」な言訳いいわけ乗切のりきれるであろうと、家治いえはる見切みきっていた。

 事実じじつ、そのとおりで、戸川とがわ逵和みちとも本多ほんだ昌忠まさただせきっても一切いっさい興味きょうみしめさなかった。まさに、

もくれず…」

 もう一人ひとり清水家老しみずかろう吉川從弼よしかわよりすけ相手あいてに「まご自慢じまん」にきょうじていたのだ。

 田安家老たやすかろう戸川とがわ逵和みちともの「唯一ゆいいつ」とも言える趣味しゅみが「まご自慢じまん」であることは三卿さんきょう家老かろうならばみなっており、そのあまりの「まご自慢じまん」に家老かろうみな辟易へきえきさせられていた。

 吉川從弼よしかわよりすけもその一人ひとりであったが、しかし、今日きょうかぎってはそれほど辟易へきえきさせられることはなかった。

 なにしろそれで―、戸川とがわ逵和みちともに、

心行こころゆくまで…」

 まご自慢じまんをさせることで、そのかん、それも仮令たとえながあいだ本多ほんだ昌忠まさただ詰所つめしょ留守るすにしても、まご自慢じまん熱中ねっちゅうする逵和みちともあやしまれずにむのなら、やすいものであった。

 そこで吉川從弼よしかわよりすけ戸川とがわ逵和みちともたいして、

「ときに…、亀太郎かめたろう殿どのはもう、随分ずいぶんおおきゅうなられましたかな…」

 そうみずけたのであった。

 亀太郎かめたろう逵䚮みちあつ―、それが逵和みちとも嫡孫ちゃくそんであり、嫡子ちゃくしにして小姓こしょう組番ぐみばん戸川とがわ大學逵旨だいがくみちよしのこれまた嫡子ちゃくしであった。

 すると從弼よりすけ思惑通おもわくどおり、逵和みちともくぞいてくれたと言わんばかり、

嬉々ききとして…」

 從弼よりすけ相手あいてまご自慢じまんはじめたのであった。

 そのかん昌忠まさただ立上たちあがっても逵和みちともまご自慢じまん熱中ねっちゅうするあまり、それには見向みむきもせず、それゆえ昌忠まさただ詰所つめしょても、それにも気付きづきもしない様子ようすであった。

 こうして本多ほんだ昌忠まさただ中奥なかおく表向おもてむきとをへだてる時斗之間とけいのまえて表向おもてむきへとると、そこで旧知きゅうちおもて坊主ぼうずつかまえて、その「そでした」にそっと、ふくらみのある「切餅きりもち」をしのませるや、帝鑑間ていかんのまにてひかえているであろう松平まつだいら定信さだのぶんでてくれるようたのんだのであった。

 するとそのおもて坊主ぼうず心得こころえたもので、ただ定信さだのぶれてるだけでなく、密会みっかいにはうってつけの場所ばしょ―、おもて坊主ぼうず部屋べや角部屋かどべやまで用意よういしてくれた。

 そこで本多ほんだ昌忠まさただ松平まつだいら定信さだのぶかいうと挨拶あいさつもそこそこ、懐中かいちゅうよりくだん二通につう書状しょじょう取出とりだして、それを定信さだのぶへと差出さしだした。

 定信さだのぶもその二通につう書状しょじょう受取うけとるや、まずは将軍しょうぐん家治直筆いえはるじきひつ書状しょじょうからとおし、いで清水しみず重好直筆しげよしじきひつの「招待状しょうたいじょう」にとおした。

「されば…、おそおおくも上様うえさまにおかせられましては越中えっちゅうさま御身おんみをごあんじあそばされ…、一橋ひとつばし民部卿みんぶのきょうさまかつがれはしまいかと…」

 本多ほんだ昌忠まさただ主君しゅくん重好しげよしよりうけたまわったはなしとして、定信さだのぶにそうつたえた。

 それにたいして定信さだのぶ家治直筆いえはるじきひつ書状しょじょうとおしてそうだろうと、すなわち、

おのれ一橋ひとつばし治済はるさだけしかけられて軽挙妄動けいきょもうどう…、意知おきとも暗殺あんさつはしるのを上様うえさまあんじられておるのであろう…」

 そうとさっしたので、昌忠まさただ言葉ことばうなずいてみせると、

「さればつつしんで、おまねきにあずかろうぞ…」

 招待しょうたいけることを承知しょうちした。

 定信さだのぶはそのうえで、

「なれど…、当家とうけにも…、家中かちゅうにもよもやとはおもうが…」

 そう切出きりだすと、家臣かしんなかにも一橋ひとつばし治済はるさだいきのかかっているものまぎんでいるやもれず、そのようものをそうとはらずに蠣殻町かきがらちょうにある清水家しみずけ下屋敷しもやしきへとしたがえよものなら、やはり下屋敷しもやしきにおける将軍しょうぐん家治いえはるとの「密会みっかい」が治済はるさだに「筒抜つつぬけ」となる危険性リスクについてれた。

 いや、これで一人ひとりでフラリと外出がいしゅつ出来できればなん問題もんだいはなかったのだが、生憎あいにく定信さだのぶよう大名だいみょうともなると、それは不可能ふかのうであった。

 そこで定信さだのぶ一橋ひとつばし治済はるさだ絶対ぜったいさとられぬよう蠣殻町かきがらちょうにある清水家しみずけ下屋敷しもやしきへとかう段取だんどりについて、すこしだけだがなが時間じかんをかけて昌忠まさただめた。

 こうして昌忠まさただ定信さだのぶと「めの協議きょうぎ」をえるや、ふたたび、中奥なかおくへと、三卿さんきょう家老かろう詰所つめしょへともどったわけだが、そこではいまだ、戸川とがわ逵和みちとも吉川從弼よしかわよりすけ相手あいてに「まご自慢じまん」をつづけており、また、さいわいにも水谷勝富みずのやかつとみはやし忠篤ただあつ姿すがたもなかった。

 さて治済はるさだ家治いえはるよりけた冷遇れいぐういや仕打しうちにまさに、

憤懣ふんまんかたい…」

 そのようおもいをかかえたまま下城げじょうおよび、屋敷やしきへとかえいた。

 この「憤懣ふんまん」は意知おきともだけではない、家治いえはるいきめないことにはれない。

 いや意知おきともいきかんしてはもなくめられそうであり、そのとき家治いえはる寵臣ちょうしんうしなったことでおおいに悲歎ひたんれるのは間違まちがいなく、治済はるさだはそのさま想起そうきすることで、憤懣ふんまんしずめた。

 するとその治済はるさだうれしい「ニュース」がとどいた。

 その「ニュース」は久田ひさだ縫殿助ぬいのすけ岩本いわもと喜内きないよりもたらされ、田安たやすの3人の下屋敷しもやしき奉行ぶぎょうへの「手入ていれ」がこうそうし、

「これでいつにても、下屋敷しもやしきが…、寶蓮院様ほうれんいんさまや、その側近そばちかくにつかえしもの気付きづかれることなく、自由じゆう使つかえまする…」

 岩本いわもと喜内きない治済はるさだにそう報告ほうこくしたのであった。

 無論むろん大奥おおおくにおいてであり、そこにはやはり「知恵ちえぶくろ」とも言うべき侍女じじょひなひかえていた。

「されば…、あと松平まつだいら忠香ただよしより佐野さの善左衛門ぜんざえもんへと、定信さだのぶいたがっておると、つたえてもらい…」

 治済はるさだ先日せんじつ新番頭しんばんがしら松平まつだいら忠香ただよしへの「手入ていれ」のさい木下川きねがわほとりにおける鷹狩たかがりにて、見事みごとがん仕留しとめた4人の番士ばんしにその褒美ほうびとして将軍しょうぐん家治いえはるより時服じふく下賜かしされるであろうそのに、忠香ただよしより佐野さの善左衛門ぜんざえもんへとそのむねつたえてもらうことをたのんでいたのだ。

鷹狩たかがりがおこなわれしは12月3日…、大抵たいていはその5日後に時服じふく下賜かしされるゆえ、されば明日あすの8日にも時服じふく下賜かしされるであろう…」

 つまりは明日あすにも松平まつだいら忠香ただよしから佐野さの善左衛門ぜんざえもんへと「こえ」をけてもらう。

「されば、何時いつ田安たやすやかた…、下屋敷しもやしきにて上様うえさま…、いえ、定信様さだのぶさま佐野さの殿どのにおいあそばされるか、でござりまするな?」

 ひながそうさきつづけたので、治済はるさだ苦笑くしょうしつつうなずいた。

「されば…、上様うえさま…、家治公いえはるこうつぎ
放鷹ほうようおりよろしいかと…」

 ひなのその提案ていあんに、治済はるさだは「ほう…」とこえげ、その「提案ていあん理由りゆう」についてひなうながした。

家治公いえはるこう千代田ちよだ御城おしろにおわせば…、それこそ千代田ちよだ御城おしろよりひからせているなかでは、仮令たとえ田安たやす下屋敷しもやしきとはもうせ、中々なかなか立入たちいったはなし出来できますまいて…、そのてん家治公いえはるこう放鷹ほうようへと出向でむかれれば…」

「そのかん家治いえはる御城おしろ留守るすに…、ようおに洗濯せんたくというわけだの?」

 治済はるさだがそう引取ひきとってせると、ひなは「御意ぎょい…」とおうじた。

「それに家治公いえはるこう御城おしろ留守るすいたしますれば、家老かろうも…、田安家老たやすかろう戸川とがわ殿どの態々わざわざ将軍しょうぐん不在ふざい御城えどじょうへと出仕しゅっしにはおよばず…」

 ひなの言うとおりであった。

 すなわち、定員ていいん二人ふたり三卿さんきょう家老かろう平日へいじつ毎日まいにち交代こうたい御城えどじょう登城とじょうするが、しかし、田安たやす場合ばあい当主とうしゅ不在ふざい明屋形あきやかたということもあり、田安たやすやかたにて起居ききょするわば「専属せんぞく」の家老かろう戸川とがわ殿どのこと戸川とがわ山城守やましろのかみ逵和みちとも一人ひとりしかおらず、畢竟ひっきょう戸川とがわ逵和みちとも一人ひとりで「平日登城へいじつとじょう」の役目やくめになわなければならないことになる。

 だがそれでは大変たいへんと、家治いえはる左様さよう思召おぼしめされて、こと戸川とがわ逵和みちともかぎっては「平日登城へいじつとじょう」が免除めんじょされていた。

 いや正確せいかくには、

登城とじょう勝手次第かってしだい…」

 つまりは平日へいじつ登城とじょうしたいときにだけ登城とじょうすればいと、逵和みちとも家治いえはるよりそうめいじられていたのだ。

 もっとも、そうは言っても戸川とがわ逵和みちともとしてはほかの、一橋ひとつばし清水家しみずけ両家りょうけ家老かろう登城とじょうしていると言うに、おのれ一人ひとり登城とじょうしないのは、

なんとも居心地いごこちわるい…」

 よう疎外感そがいかんさら噛砕かみくだけば、

仲間なかまはずれ…」

 そのようおもいにさいなまれ、結局けっきょく将軍しょうぐん家治いえはる折角せっかく思召おぼしめし、もとい心遣こころづかいにもかかわらず、引続ひきつづき、一人ひとりで「平日登城へいじつとじょう」におよんでいた。

 だが流石さすが将軍しょうぐん家治いえはる鷹狩たかがりで御城えどじょう不在ふざいともなるとはなしべつであった。

 戸川とがわ逵和みちとも将軍しょうぐん家治いえはる心遣こころづかいにもかかわらず、一人ひとりで「平日登城へいじつとじょう」をになっているのにはもうひとつ、

おのれ存在そんざい将軍しょうぐん家治いえはるにアピールする…」

 その目的もくてきがあった。

 いや、それこそが主目的しゅもくてきであり、仲間なかま外れはず云々うんぬんはさしずめ、「添物そえもの」にぎない。

 戸川とがわ逵和みちとも実入みいりの三卿さんきょう家老かろう田安家老たやすかろう地位ちい安住あんじゅうしてはいたものの、しかし、「平日登城へいじつとじょう」を繰返くりかえすことで、おのれ存在そんざい将軍しょうぐん家治いえはるにアピールすることが出来できれば、そしてそのことがさらなる出世しゅっせへとつながれば、それはそれで「っけもの」にして「やすもの」でもあるので、その思惑おもわくもあって、「平日登城へいじつとじょう」を繰返くりかえしていたのだ。

 それゆえ戸川とがわ逵和みちとも将軍しょうぐん家治いえはる御城えどじょう不在ふざいおりにまで、態々わざわざ登城とじょうにはおよばず、そこが当主とうしゅいただ一橋ひとつばし家老かろう清水家老しみずかろうとのちがいであった。

 すなわち、三卿さんきょう家老かろう平日へいじつ毎日まいにち交代こうたい登城とじょうするのは、

情報じょうほう収集しゅうしゅう…」

 ひとつにはその目的もくてきがあった。

 三卿さんきょうかかわる政策せいさくについて将軍しょうぐんなにかんがえていないかどうか、三卿さんきょう家老かろうはそれを把握はあくすべく、たとえば将軍しょうぐん最側近さいそっきんとして中奥なかおく取仕切とりしきそば用取次ようとりつぎから聞出ききだしたりして、それを三卿さんきょうつたえるのを任務にんむとしていた。

 表向おもてむき役人やくにんである三卿さんきょう家老かろう詰所つめしょ中奥なかおくにあるのはひとつには登城とじょうした三卿さんきょう監視かんしするという、本来ほんらい任務にんむためであったが、しかしそれだけではなく、かる事情じじょうふくまれていた。

 それゆえ当主とうしゅいただ三卿さんきょう家老かろう平日へいじつ仮令たとえ将軍しょうぐん鷹狩たかがりなどで御城えどじょう留守るすにしていようとも登城とじょうかせなかった。

 将軍しょうぐん不在ふざいであっても、留守るすあずかるそば用取次ようとりつぎなどが将軍しょうぐんけて、三卿さんきょうかかわる政策せいさく話合はなしあっている可能性かのうせいもありたからだ。

 だが戸川とがわ逵和みちともようつかえるべき、あるいは監視かんし対象たいしょうとも言うべき三卿さんきょうがいないのでは、監視かんしもとより、かる情報じょうほう収集しゅうしゅうすら不要ふようであり、そこで逵和みちともが「平日登城へいじつとじょう」におよぶのはあくまでおのれ栄達えいたつぎず、将軍しょうぐん御城えどじょう不在ふざいおりにまで態々わざわざ登城とじょうしないのは当然とうぜんであった。

 そして家老かろう戸川とがわ逵和みちとも御城えどじょう登城とじょうせず田安たやすやかた、それも上屋敷かみやしきにいるとなれば、おなじく上屋敷かみやしきにてつかえる田安家臣たやすかしんも、たとえば番頭ばんがしら用人ようにん気軽きがる上屋敷かみやしき脱出ぬけでわけにはゆかず、

上様うえさま定信様さだのぶさまとして田安たやす下屋敷しもやしきにて佐野さの善左衛門ぜんざえもん殿どのと、おいあそばされていたとしても、愈々いよいよもって上屋敷かみやしきにてつかえし家臣かしんたち…、それも此度こたび計画けいかくとは無関係むかんけい家臣かしんたちに気付きづかれるおそれが低減ていげん、いえ、完全かんぜんくすることが出来できまする…」

 つまりは安心あんしんして田安たやす下屋敷しもやしき勝手かって使つかえると、ひな治済はるさだにそのような「提案ていあん理由りゆう」もげた。

 それで治済はるさだはらかたまった。

あいかった…、されば家治いえはるつぎ鷹狩たかがりのおり佐野さの善左衛門ぜんざえもんおうぞ…」

 治済はるさだはそうせんすると、

定信さだのぶとしてな…」

 口元くちもとゆがめてそう補足ほそくした。
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