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天明3年12月8日、将軍よりの褒美の時服に与れなかった佐野善左衛門は新番頭・松平大膳亮忠香から「甘い言葉」を囁かれる。

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 たして翌日よくじつの12月8日、治済はるさだ予期よきしたとおり、この、4人の番士ばんしたいして、すなわち、

小姓こしょう組番ぐみばん1番組ばんぐみ羽根はね伊織いおり常敷つねのぶ

書院番しょいんばん2番組ばんぐみ羽太はぶと清左衛門せいざえもん正忠まさただ

新番しんばん4番組ばんぐみもり彌五郎やごろう定救さだひら

小十人こじゅうにん組番ぐみばん2番組ばんぐみさわ吉次郎きちじろう實茂さねもち

 12月3日の木下川きねがわほとりにおける鷹狩たかがりにて見事みごとがん仕留しとめた以上いじょうの4人の番士ばんし―、供弓ともゆみつとめた番士ばんしたいして将軍しょうぐん家治いえはるよりその褒美ほうびとして時服じふく三領さんりょう下賜かしされた。

 正確せいかくには表向おもてむき奥右筆おくゆうひつ部屋べや縁頬えんがわにて月番つきばん老中ろうじゅう松平まつだいら周防守すおうのかみ康福やすよしから手渡てわたされたのであった。

 いや直接ちょくせつ将軍しょうぐんから褒美ほうびしなが、すなわち、時服じふく三領さんりょう手渡てわたされずとも、月番つきばん老中ろうじゅうから手渡てわたされるだけでも名誉めいよなことであった。

 ことに松平まつだいら康福やすよし老中ろうじゅうなかでも筆頭ひっとうである首座しゅざにあった。

 今月こんげつ首座しゅざ松平まつだいら康福やすよし偶々たまたま月番つきばんつとめていたので、羽根はね伊織いおりたちも首座しゅざ松平まつだいら康福やすよしから将軍しょうぐん家治いえはるよりの褒美ほうびしな手渡てわたされるという幸運ツキめぐまれたのであった。

 将軍しょうぐん鷹狩たかがりにて、とり仕留しとめた番士ばんしたいして将軍しょうぐんからの褒美ほうびしなわたすのは月番つきばん老中ろうじゅう仕事しごとであったからだ。

 そのさま新番所しんばんしょよりじつうらめしそうにながめていたのが、幸運ツキ見放みはなされていた新番士しんばんし佐野さの善左衛門ぜんざえもんであった。

 奥右筆おくゆうひつ部屋べや若年寄わかどしより執務室しつむしつであるつぎよう部屋べやとそれに新番士しんばんし詰所つめしょである新番所しんばんしょかこまれた一角いっかくにあり、それゆえ新番士しんばんしとしてそのとき新番所しんばんしょめていた佐野さの善左衛門ぜんざえもんにはそれこそ、

いやでも…」

 老中ろうじゅう首座しゅざである松平まつだいら康福やすよしより将軍しょうぐん家治いえはるからの褒美ほうびしな手渡てわたされてほこらしげな羽根はね伊織いおりたちの姿すがたが、ことにさわ吉次郎きちじろう姿すがた飛込とびこんできた。

 するとさわ吉次郎きちじろうおのれへとけられた視線しせん気付きづいたらしく、視線しせんさきすなわち、佐野さの善左衛門ぜんざえもんた。

 それは一瞬いっしゅんのことであり、佐野さの善左衛門ぜんざえもん視線しせんはずすのがおくれ、結果けっかとしてさわ吉次郎きちじろうおのれつめていたことをさとられてしまった。

 これだけでも充分じゅうぶんずかしいのだが、さわ吉次郎きちじろうはそのうえ佐野さの善左衛門ぜんざえもんたいしてわらってせたのだ。

 いや、それは佐野さの善左衛門ぜんざえもんの「被害ひがい妄想もうそう」にぎないのだが、佐野さの善左衛門ぜんざえもんさわ吉次郎きちじろうわらわれたと、そうかたしんじてうたがわず、羞恥しゅうちあまうつむいた。

 そのよう佐野さの善左衛門ぜんざえもんたいしてかたたたものがあった。

 そのとき佐野さの善左衛門ぜんざえもんかたたたかれるのも鬱陶うっとうしかったので、条件じょうけん反射的はんしゃてきに、

「キッと…」

 にらけるようつきになって振返ふりかえり、そしておのれかたたたいたぬし見上みあげた。

 するとそこにはなん佐野さの善左衛門ぜんざえもんぞくするくみ、3番組ばんぐみではないものの、それでも4番組ばんぐみ支配しはいする番頭ばんがしら松平まつだいら大膳亮だいぜんのすけ忠香ただよしっていたのだ。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんあわててつきをゆるめると平伏へいふくした。

 ヒラの番士ばんし番頭ばんがしらに「ガン」をばしては如何いかにもまずいからだ。

 仮令たとえおのれ所属しょぞくする3番組ばんぐみ支配しはいする番頭ばんがしらではないとしてもだ。

 それにたいして松平まつだいら忠香ただよしは、

左様さようかしこまらずともい…」

 平伏へいふくする佐野さの善左衛門ぜんざえもんにそうこえをかけたかとおもうと、しゃがみみ、

「そなたにちと、はなしがあるのだ…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんにそうも耳打みみうちしたのであった。

 それで佐野さの善左衛門ぜんざえもんすこしだけだがかおげると、

「それがしに…、はなしでござりまするか?」

 松平まつだいら忠香ただよしならって小声こごえたしかめるようたずねた。

左様さよう…」

 松平まつだいら忠香ただよし首肯しゅこうするや、佐野さの善左衛門ぜんざえもんかお完全かんぜんげさせ、のみならず、こしげさせて、やはり密談みつだん場所ばしょにはうってつけの新番所前しんばんしょまえ廊下ろうかにあるたまりへと佐野さの善左衛門ぜんざえもんいざなった。

 新番所前しんばんしょまえ廊下ろうかにあるたまりにて松平まつだいら忠香ただよし佐野さの善左衛門ぜんざえもんかいうなり、

「いや…、じつしかったのう…」

 そう切出きりだした。

 それにたいして佐野さの善左衛門ぜんざえもん唐突とうとつにことゆえわけからず、しかしそれでも、「はぁ…」とのない返事へんじ寄越よこした。

 松平まつだいら忠香ただよしもそうとさっすると、

「されば鷹狩たかがりのけんよ…」

 そうげて、佐野さの善左衛門ぜんざえもん事情じじょう呑込のみこませた。

 同時どうじ佐野さの善左衛門ぜんざえもん松平まつだいら忠香ただよしまでが「四羽目のがん」を仕留しとめたのはこのおのれであるとしんじてくれているのかと、そう期待きたいした。

 たして松平まつだいら忠香ただよし佐野さの善左衛門ぜんざえもん期待きたいしたとおりの返答へんとうをした。

「されば四羽目のがん…、あれはあきらかに佐野さの善左衛門ぜんざえもんよ…、そなたが仕留しとめしものぞ…、だのに…、さわ吉次郎きちじろうなる小十人こじゅうにん風情ふぜい手柄てがらさらわれて、じつ無念むねんであろうぞ…」

 松平まつだいら忠香ただよし佐野さの善左衛門ぜんざえもんにそうやさしくかたけたものである。

 一方いっぽう佐野さの善左衛門ぜんざえもんはそれでようやくに愁眉しゅうびひらけた。

 幸田こうだ源之助げんのすけだけでなく、松平まつだいら忠香ただよしまでがおのれの「手柄てがら」をみとめてくれたからだ。

 いや幸田こうだ源之助げんのすけ場合ばあい先程さきほど松平まつだいら忠香ただよし言葉ことば、もとい侮蔑ぶべつ拝借はいしゃくするならば、

小十人こじゅうにん風情ふぜい…」

 それにぎないが、松平まつだいら忠香ただよし場合ばあいはそれとは正反対せいはんたい従六位じゅろくい布衣ほいやくなかでも小普請組こぶしんぐみ支配しはいならんで頂点ちょうてん新番頭しんばんがしらなのである。

 その新番頭しんばんがしらである松平まつだいら忠香ただよしまでが、

「四羽目のがん佐野さの善左衛門ぜんざえもん仕留しとめた…」

 そうおのれ手柄てがらみとめてくれたとあって、佐野さの善左衛門ぜんざえもん愈々いよいよ、四羽目のがんおのれ仕留しとめたのだと、そのつよくした。

「にもかかわらず…、どこぞのうまほねともからぬ、盗賊とうぞく同然どうぜん下賤げせんなる成上なりあがりもの田沼たぬま意知おきともめが仕業しわざにより、手柄てがらさらわれたのだからのう…」

 松平まつだいら忠香ただよしさらにそうつづけることで、じつ巧妙こうみょう佐野さの善左衛門ぜんざえもんを、

田沼たぬま意知おきともにくし…」

 へと誘導ゆうどうした。

 松平まつだいら忠香ただよしはそのうえで、ついに「本題ほんだい」とも言うべき松平まつだいら定信さだのぶしたのだ。

「されば越中えっちゅうさま…、定信様さだのぶさまもそなたのことは、いたく、にかけておられてのう…」

 松平まつだいら忠香ただよしが「越中えっちゅうさま」こと松平まつだいら越中守えっちゅうのかみ定信さだのぶした途端とたん佐野さの善左衛門ぜんざえもんは「えっ!?」とはげしい反応はんのうしめした。

 松平まつだいら忠香ただよし佐野さの善左衛門ぜんざえもんおのれが、ひいては一橋ひとつばし治済はるさだ期待きたいしたとおりの反応はんのうしめしてくれたので内心ないしん噴出ふきだしたいのをこらえつつ、さきつづけた。

 すなわち、松平まつだいら忠香ただよし松平まつだいら定信さだのぶとの「所縁ゆかり」について説明せつめいしたのだ。

 そこには勿論もちろん田安贔屓たやすびいき佐野さの善左衛門ぜんざえもんこころを、

「グッと…」

 引寄ひきよせるのが目的もくてきふくまれていた。

「されば…、この忠香ただよし養嗣子ようしし西尾にしお藩主はんしゅ…、先代せんだい松平まつだいら和泉守いずのみのかみさま…、乗佑様のりすけさまが11男…、ともうすよりはいま西尾にしお藩主はんしゅにして、奏者番そうじゃばんつとめあそばされし和泉守いずみのかみ乗完様のりさださま舎弟しゃていにて、そのえにしでこの忠香ただよし乗完様のりさださまとはしたしくさせてもろうておるのだが…」

 松平まつだいら忠香ただよしはさりげなく、大名だいみょう庶子しょし、それも譜代ふだい大名だいみょうゆうたる西尾にしお藩主はんしゅ松平まつだいら和泉守いずみのかみより養嗣子ようししむかえたことを打明うちあけることで、おのれの「大物おおものぶり」をもアピールした。

「されば西尾にしお松平まつだいら和泉守いずみのかみもうさば代々だいだい帝鑑間ていかんのま殿中でんちゅうせきとしており、おなじく帝鑑間ていかんのま殿中でんちゅうせきとする白河しらかわ松平家まつだいらけ定信様さだのぶさまともしたしく…」

 これは事実じじつであった。

 いや正確せいかくには松平まつだいら定信さだのぶ松平まつだいら乗完のりさだ帝鑑間ていかんのまにて同席どうせきであったのは―、月次御礼つきなみおんれいなどの式日しきじつおりに、将軍しょうぐん拝謁はいえつするまでの待合所まちあいじょとも言うべき殿中でんちゅうせきである帝鑑間ていかんのまにて定信さだのぶ乗完のりさだ一緒いっしょめていたのは定信さだのぶさき白河藩主しらかわはんしゅ松平まつだいら越中守えっちゅうのかみ定邦さだくに養嗣子ようししとして将軍しょうぐん家治いえはるはつ御目見得おめみえたした安永4(1775)年うるう12月より、乗完のりさだ奏者番そうじゃばん取立とりたてられた2年前ねんまえの天明元(1781)年4月までのおよそ、6年じゃくあいだであった。

 帝鑑間ていかんのま父子ふし同席どうせき―、嫡子ちゃくし将軍しょうぐんはつ御目見得おめみえ、つまりは将軍しょうぐん嫡子ちゃくし世継よつぎとして認知にんちされることで、爾来じらい月次御礼つきなみおんれいなどの式日しきじつおりにはちちあるいは養父ようふである当主とうしゅとも御城えどじょうへの登城とじょうゆるされ、かつちちとも殿中でんちゅうせきである帝鑑間ていかんのまめることがゆるされるのであった。

 それゆえ定信さだのぶ乗完のりさだ帝間間ていかんのま一緒いっしょであったのは白河しらかわ松平家まつだいらけ嫡子ちゃくし養嗣子ようしし時代じだいであり、一方いっぽう乗完のりさだすでにそのときには西尾にしお藩主はんしゅであった。

 定信さだのぶ将軍しょうぐん家治いえはるはつ御目見得おめみえたすことで養父ようふ定邦さだくに嫡子ちゃくし養嗣子ようししとして家治いえはる認知にんちされた安永4(1775)年うるう12月よりもはるまえの明和6(1769)年10月にちち乗佑のりすけ遺跡いせきいで西尾にしお藩主はんしゅとなっていたからだ。

 そして白河しらかわ松平家まつだいらけ西尾にしお松平家まつだいらけしくも参府さんぷいとまとしおなじ―、参勤交代さんきんこうたいにより江戸えどとし国許くにもとかえとし、それもそのつきまでがおなじであり、白河しらかわ松平家まつだいらけ西尾にしお松平家まつだいらけかる事情じじょう、もとい偶然ぐうぜん相俟あいまってしたしく付合つきあ間柄あいだがらであった。

 もっとも、仮令たとえ白河しらかわ松平家まつだいらけ西尾にしお松平家まつだいらけ参府さんぷいとまとしちがっていたとしても、嫡子ちゃくしであった時分じぶん定信さだのぶ定府じょうふ―、つね江戸えど上屋敷かみやしきにてらすことが義務付ぎむづけられていたので、うらかえせば参勤交代さんきんこうたい義務ぎむからは免除めんじょされていたので、毎年まいとし月次御礼つきなみおんれいなどの式日しきじつ御城えどじょう登城とじょうして帝鑑間ていかんのまめられたので、乗完のりさだとは帝鑑間ていかんのまにてかおわすことが出来できたであろう。

 さて、その乗完のりさだも2年前ねんまえの天明元(1781)年4月に奏者番そうじゃばん取立とりたてられると、月次御礼つきなみおんれいなどの式日しきじつ殿中でんちゅうせきである帝鑑間ていかんのまにて定信さだのぶ一緒いっしょめることもなくなった。

 それと言うのも奏者番そうじゃばん殿中でんちゅうせき芙蓉之間ふようのまであるので、乗完のりさだ幕府ばくふ役職やくしょくである奏者番そうじゃばん取立とりたてられたため平日登城へいじつとじょうゆるされるようになったが、そのわりというわけでもないが、平日へいじつ奏者番そうじゃばんとしてその殿中でんちゅうせきである芙蓉之間ふようのまめ、その職務しょくむをこなさなければならなかった。

 すなわち、奏者番そうじゃばんとは幕府ばくふ儀礼ぎれい典礼てんれいつかさどる、ようは「ホストやく」であり、それゆえ平日へいじつ奏者番そうじゃばん芙蓉之間ふようのまにて月次御礼つきなみおんれいなどの式日しきじつなどの進行しんこう所謂いわゆる、「式次第しきしだい」について打合うちあわせにわれていた。

 御城えどじょうにおいては式日しきじつだけではなく、大名だいみょう家督かとく相続そうぞくなど、つね行事ぎょうじ満載まんさいであり、それら行事ぎょうじの「式次第しきしだい」をになうのが奏者番そうじゃばんであり、「ホストやく」である所以ゆえんであった。

 それゆえ奏者番そうじゃばん月次御礼つきなみおんれいなどの式日当日しきじつとうじつにおいては殿中でんちゅうせきである芙蓉之間ふようのまにて、それこそ、

「のんべんだらり…」

 めることなどゆるされず、「ホストやく」として「式次第しきしだい」にわれることになる。

 帝鑑間ていかんのまづめは、いや帝鑑間ていかんのまづめかぎらず、松之大廊下まつのおおろうかづめもとより大廣間おおひろまづめ柳間やなぎのまづめ雁間がんのまづめ菊間きくのまづめいたるまで、すべての大名だいみょう式日しきじつにおいては、将軍しょうぐんとの主従しゅじゅうきずな再確認さいかくにんするという意味いみもあって、

「お客様きゃくさま大名だいみょう…」

 そのようあつかわれる。

 それゆえ奏者番そうじゃばんはその式日しきじつの「式次第しきしだい」を「ホストやく」としてにな以上いじょう最早もはや

「お客様きゃくさま大名だいみょう

 それではないのだから、「お客様きゃくさま大名だいみょう」として将軍しょうぐん拝謁はいえつすることなどゆるされず、そうである以上いじょう、そもそも将軍しょうぐん拝謁はいえつするまでのあいだ殿中でんちゅうせきにて余地よちなどなかった。

 いや、これで奏者番そうじゃばん筆頭ひっとうである寺社じしゃ奉行ぶぎょうともなればはなしべつで、寺社じしゃ奉行ぶぎょうもまた、「お客様きゃくさま大名だいみょう」として月次御礼つきなみおんれいさいには将軍しょうぐん拝謁はいえつすることがゆるされるので、そこで将軍しょうぐん拝謁はいえつするまでのあいだ、その殿中でんちゅうせきである芙蓉之間ふようのまにてつことになる。

 だが松平まつだいら乗完のりさだいまだヒラの奏者番そうじゃばんぎず、式日しきじつには「ホストやく」にてっしなければならない。

 ともあれかる事情じじょうから、乗完のりさだ奏者番そうじゃばん取立とりたてられると爾来じらい定信さだのぶ月次御礼つきなみおんれいなどの式日しきじつおり殿中でんちゅうせきである帝鑑間ていかんのまにてかおわすことはなくなったわけだが、しかし、それまでに定信さだのぶ乗完のりさだとのあいだはぐくんだわば「友情ゆうじょう」がえることはなく、文通ぶんつうをはじめとし、たがいの屋敷やしき往来ゆききすることもあった。

「さればこの忠香ただよし乗完様のりさださまかいして、定信様さだのぶさまともしたしくさせてもら機会きかいめぐまれてのう…」

 ここからは忠香ただよしの「虚言きょげん」であった。

 それ以前いぜん忠香ただよし乗完のりさだともしたしくは付合つきあってはいなかった。

 成程なるほど忠香ただよしたしか乗佑のりすけの11男にして、乗完のりさだ舎弟しゃていである帯刀忠順たてわきただよし養嗣子ようししむかえてはいたものの、それで乗完のりさだしたしく付合つきあうことはなかった。

 いや忠香ただよしとしては、

譜代ふだいゆうたる乗完のりさだしたしく付合つきあいたい…」

 そのような「下心したごころ」があったであろうが、しかし、乗完のりさだほう忠香ただよしたんなる、

とお親戚しんせき…」

 そうとしか看做みなさず、したしくしようとはしなかったのだ。

 そうである以上いじょう忠香ただよし乗完のりさだかいして定信さだのぶともしたしく付合つきあうなど、そもそもありないはなしであった。

 だがいまやすっかり忠香ただよしの「マインドコントロール」にかれた佐野さの善左衛門ぜんざえもん忠香ただよしの「虚言きょげん」を「真実しんじつ」として受止うけとめた。

「されば定信様さだのぶさま知遇ちぐうしこの忠香ただよし定信様さだのぶさま厚意こういにより、その実家じっかである田安たやすさま屋形やかたにもまねかれるようになり…」

 田安贔屓たやすびいき佐野さの善左衛門ぜんざえもんにとって、いま忠香ただよしのその言葉ことばはさしずめ「麻薬まやく」のよう効目ききめもたらした。

なんと…、されば上屋敷かみやしきに?」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん忠香ただよしの「虚言きょげん」をすっかりしんじた様子ようすでそうたずねた。

いや…、上屋敷かみやしき流石さすがにのう…、ほれ、上屋敷かみやしきには寶蓮院様ほうれんいんさまがおられるでのう…、されば寶蓮院様ほうれんいんさま定信様さだのぶさま田安たやす屋形やかたへと軽々けいけいもどってられるのをしとせず…」

「されば上屋敷かみやしきではのうて、下屋敷しもやしきにて?」

左様さよう…、されば田安たやす屋形やかたにはいまでも定信様さだのぶさまをおしたもう家臣かしんがおられるでのう…、たとえば中田なかた左兵衛さへえ殿どの金森かなもり五郎右衛門ごろうえもん殿どのあるいは幸田こうだ友之助とものすけ殿どのなどが…」

 忠香ただよしがそれら3人のした途端とたん佐野さの善左衛門ぜんざえもんは3人の役職ポストをピタリと言当いいあててせた。

中田なかた左兵衛さへえ殿どのもうさば番頭ばんがしらではござりませぬか…、それに金森殿かなもりどの物頭ものがしら…、幸田こうだ殿どの用人格ようにんかくこおり奉行ぶぎょう…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんのその田安たやすかんする知識ちしきふかさに忠香ただよし内心ないしんしたくと同時どうじに、

田安たやすかんしては、佐野さの善左衛門ぜんざえもんあなどれまい…」

 そのよう警戒けいかいもしつつ、「左様さよう…」とおうじた。

 忠香ただよしはそのうえで、

「されば彼等かれら手引てびきにて下屋敷しもやしきにて定信様さだのぶさま機会きかいにもめぐまれてのう…」

 さらにそう「虚言きょげん」をつむいだ。

「されば…、下屋敷しもやしきおおせられますると、箱崎町はこざきちょうの?」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんは「田安贔屓たやすびいき」らしく、治済はるさだ予期よきしたとおり、下屋敷しもやしき場所ばしょまで把握はあくしていた。やはり田安たやすかんする知識ちしきについては佐野さの善左衛門ぜんざえもんあなどれなかった。

左様さよう…、いや、箱崎町はこざきちょう屋敷やしきだけではない、四谷よつや大木戸おおきど屋敷やしきにてうことも度々たびたびでのう…」

 忠香ただよしもそこで、「四谷よつや大木戸おおきど」の地名ちめいげることで、佐野さの善左衛門ぜんざえもんおのれの「虚言きょげん」を愈々いよいよもってしんじさせた。

 田安たやす下屋敷しもやしき箱崎町はこざきちょうとそれにいま忠香ただよしげた四谷よつや大木戸おおきどふたつの地点ちてんにあった。

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんは「左様さようでござりまするか…」とすっかり感嘆かんたんした様子ようすで、すなわち、忠香ただよしの「虚言きょげん」をしんじた様子ようすでそうおうじた。

「さればそのおり…、あれは箱崎町はこざきちょう屋敷やしきにて定信様さだのぶさまうたときだの、鷹狩たかがりの話題わだいとなり…、いや、そなたもぞんじておろうが、定信様さだのぶさま流石さすが八代様はちだいさま血筋ちすじゆえ文武ぶんぶ両道りょうどうすぐれ…」

 たしかにこのてんだけは、すなわち、

定信さだのぶ八代はちだい将軍しょうぐん吉宗よしむねまごだけあって、文武ぶんぶ両道りょうどうすぐれている…」

 それだけはこれまた事実じじつであった。

 だがそこからさきふたたび、「虚言きょげん」であった。

「そこでふとしたはずみに、そなたの話題わだいくちにしてのう…」

「この善左衛門ぜんざえもんめが話題わだいと?」

左様さよう…、されば意知おきともめが仕業しわざにより、手柄てがらうばわれたものがおると…、ほこだかき、それも下賤げせん卑賤ひせんなる意知おきともなどとはことなり、たしかなる筋目すじめ佐野さの善左衛門ぜんざえもんなる番士ばんし手柄てがらを…、供弓ともゆみとして見事みごとがん仕留しとめしにもかかわらず、意知おきともめが仕業しわざによりその手柄てがらうばわれたと…、定信様さだのぶさま左様さよう申上もうしあげると、定信様さだのぶさま佐野さの善左衛門ぜんざえもんに…、そなたにおおいに同情どうじょうなされると同時どうじに、それほどおとこなればと、一度いちど佐野さの善左衛門ぜんざえもんというおとこってみたいとおおせられてのう…」

なんと…、おそおおくも定信様さだのぶさまがこの善左衛門ぜんざえもんめに…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんはすっかり感動かんどう極致きょくちであった。

左様さよう…、さればどうだの…、一度いちど定信様さだのぶさまうてはみないか?」

 定信さだのぶえる―、忠香ただよしのその提案ていあん佐野さの善左衛門ぜんざえもんとしてはもとより、いなやなどありようはずはなく、

「ははっ、有難ありがたく…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもん平伏へいふくしてそうおうじた。

左様さようか…、いや、そなたが定信様さだのぶさまよりの申出もうしでけてくれて、この忠香ただよしうれしくおもうぞ…」

 忠香ただよしはそうこえをかけると、定信さだのぶとの面会めんかい日取ひどり場所ばしょ―、箱崎町はこざきちょうかそれとも四谷よつや大木戸おおきどいずれの下屋敷しもやしきにてうか、それらのてんについてはって連絡れんらくすると、佐野さの善左衛門ぜんざえもんげた。

 そして忠香ただよしさらに、

「さればこのことけっして他言無用たごんむようぞ…、そなたには田安家臣たやすかしん縁者えんじゃがおるようだが、そのものたいしてはもとより、ほかものにもな…、下屋敷しもやしき定信様さだのぶさまがお使つかいあそばされることがあきらかとならば、定信様さだのぶさま大変たいへんこまった立場たちば追込おいこまれるでな…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんにそう「口止くちどめ」するのをわすれなかった。すると佐野さの善左衛門ぜんざえもん忠香ただよしのその「口止くちどめ」にたいして、

なんうたがいもなし…」

 ははぁっ、と素直すなお受容うけいれたのであった。
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