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一橋治済は意知に殺意を持つ若年寄筆頭の酒井忠休に家斉の外祖父である普請奉行の岩本正利を介して連絡(コンタクト)を取る。

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 一方いっぽう忠休ただよし相変あいかわらず資愛すけよし相手あいてに「怪気炎かいきえん」をつづけていた。余程よほど意知おきともにくいとえる。

「あのよう下賤げせんなるものは…、いや、それ以前いぜん大名だいみょうですらない部屋へやずみ軽輩けいはいなれば、本来ほんらいならば若年寄わかどしよりには相応ふさわしくないのだっ」

 忠休ただよし意知おきともへのにくしみをたたけるかのようにそうてたかとおもうと、

「この忠休ただよし若年寄わかどしよりでなくば、討果うちはたしてくれようぞっ!」

 つい意知おきともへの殺意さついまで口走くちばしったものだから、これには資愛すけよし流石さすがあわてて忠休ただよしせいした。

酒井さかいさまいささか、おこえたこうござりまするぞ…」

 資愛すけよし忠休ただよしをやんわりとたしなめた。

 いくら意知おきともがここ納戸なんどぐちつらなる若年寄わかどしより専用せんようしも部屋べやにいないとは言え、ほか若年寄わかどしよりは―、加納かのう久堅ひさかた米倉昌晴よねくらまさはる二人ふたり夫々それぞれおのれしも部屋べやにて昼飯ひるめしっていたので、二人ふたりみみ意知おきともへの殺意さついとどおそれがあった。

 それにいましも部屋べや御殿ごてん勘定かんじょうしょにおいて勘定かんじょう方役人がたやくにん昼飯ひるめしっている意知当人おきともとうにんみみにまでとどおそれがあった。

 若年寄わかどしよりしも部屋べやから御殿ごてん勘定かんじょうしょまではそれほどはなれているわけではないので、あまおおきなこえで「怪気炎かいきえん」をげられては意知おきともみみにまでとどおそれがありたのだ。

 いや、それはおそれではなく、現実げんじつのものとなった。

 すなわち、忠休ただよしはっした「怪気炎かいきえん」、もとい意知おきともへの殺意さつい久堅ひさかた昌晴まさはるみみにはもとより、意知おきともみみにまでとどいていた。

 その意知おきとも勘定かんじょう方役人がたやくにん昼飯ひるめしっていたので、勘定かんじょう方役人がたやくにんみみにまでその「怪気炎かいきえん」がとどいたわけで、勘定かんじょう方役人がたやくにんとう本人ほんにんとも言うべき意知おきともまえにして流石さすが反応はんのうこまった様子ようすのぞかせた。

 一方いっぽう意知おきともはそんな困惑こんわくする勘定かんじょう方役人がたやくにんまえにして、心底しんそこウンザリさせられた。

 いや忠休ただよしの「怪気炎かいきえん」もとい意知おきともへの殺意さついみみにしたのは彼等かれらばかりではなかった。

 ぞくに「下三しもさん奉行ぶぎょう」ともしょうせられる作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん三奉行さんぶぎょうもまた、忠休ただよしのその「怪気炎かいきえん」をみみにした。

 作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん三奉行さんぶぎょうもまた、若年寄わかどしよりおなじく老中ろうじゅうの「まわり」をえたならば、しも部屋べやにて昼飯ひるめしる。

 作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん三奉行さんぶぎょうしも部屋べや若年寄わかどしよりのそれとはことなり、中之口なかのぐちつらなる、とこうけば作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん三奉行さんぶぎょうしも部屋べや若年寄わかどしよりのそれとは如何いかにもはなれているようおもわれるやもれぬが実際じっさいにはかべ一枚隔いちまいへだてた背中せなかわせであった。

 それゆえ若年寄わかどしよりしも部屋べやにて忠休ただよしげた「怪気炎かいきえん」は作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん三奉行さんぶぎょうしも部屋べやにまで、もっと言えば、若年寄わかどしより同様どうよう、そこで昼飯ひるめしっている最中さなか彼等かれら三奉行さんぶぎょうみみにまで、いやでもとどいた。

 そしてそのなかには普請ふしん奉行ぶぎょう岩本いわもと内膳正ないぜんのかみ正利まさとしふくまれていた。

 岩本正利いわもとまさとし昼食後ちゅうしょくご、夕七つ(午後4時頃)まで仕事しごとませたのち下城げじょうおよんだ。

 岩本正利いわもとまさとしつとめる普請ふしん奉行ぶぎょうという役職ポスト実務じつむ幕僚ばくりょうひとつにかぞえられ、それゆえいそがしく、勤務シフト今日きょうように夕七つ(午後4時頃)にまでおよぶこともめずらしくはなかった。

 その岩本正利いわもとまさとし本来ほんらいならば大手おおて門外もんそとたせてある従者じゅうしゃしたがえて、それも駕籠かごられながら虎ノ御門内とらのごもんないにある屋鋪やしきへとかえるべきところ、今日きょう従者じゅうしゃみな先にさき虎ノ御門内とらのごもんないにある屋鋪やしきへとかえして、単身たんしん一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきへとあしけた。

 岩本正利いわもとまさとしにとって一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきむすめとみ婚家こんかたり、それゆえ岩本正利いわもとまさとし一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき出入でいりしてもだれからも、ことなにかと口喧くちやかましい家老かろう水谷勝富みずのやかつとみからもあやしまれずにんだ。

 今日きょうもそうであり、夕七つ(午後4時頃)ぎという訪問ほうもんするにはいささおそ刻限こくげんではあったが、一橋ひとつばし家中かちゅうだれもが岩本正利いわもとまさとし歓迎かんげいした。

 当主とうしゅ治済はるさだはとりわけ岩本正利いわもとまさとし歓待かんたいし、大奥おおおくへと案内あんないした。

 今時分いまじぶん岩本正利いわもとまさとしともけずに単身たんしんおとずれたということはきっと、おのれなに大事だいじな、もっと言えば有益ゆうえきはなしがあるにちがいないと、治済はるさだはそうインスピレイションはたらかせて、そこで正利まさとし大奥おおおくへと案内あんないしたのだ。

 たして治済はるさだのそのインスピレイションただしく、岩本正利いわもとまさとしよりもたらされた情報じょうほうおおいに満足まんぞくさせられた。

 すなわち、岩本正利いわもとまさとし治済はるさだたいしておのれ見聞けんぶんした忠休ただよしの「怪気炎かいきえん」もとい意知おきともへの殺意さついつたえたのであった。

左様さようか…、あの石見いわみがのう…」

 治済はるさだあごでながらそうおうじた。

「されば…、これは使つかえるのではござりますまいか?」

 正利まさとしくちにした、「使つかえる」とはほかでもない、意知暗殺計画おきともあんさつけいかく利用りよう出来できるのではないか、という意味いみであった。

 それは治済はるさだ同感どうかんであった。

 かり佐野さの善左衛門ぜんざえもん殿中でんちゅうにて意知おきとも討果うちはたさせるとして、そのさい意知おきともほか相役あいやく同僚どうりょう若年寄わかどしよりからかれていたならば、佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知おきとも仕留しとめられる可能性かのうせいひくくなる。

 それと言うのも若年寄わかどしより殿中でんちゅうあるさいには基本的きほんてきに、若年寄わかどしより一党いっとう、つまりは、

みんな仲良なかよく…」

 あるくケースがほとんどであり、若年寄わかどしより一人ひとり殿中でんちゅうあるくことはあまりない。

 無論むろん皆無かいむとは言わないにしても、そのようなケースはあまりなかった。

 それゆえ佐野さの善左衛門ぜんざえもん殿中でんちゅうにて意知おきとも討果うちはたすとして、そこには―、意知おきとも周囲しゅういにはほか若年寄わかどしよりもいるとかんがえるべきであった。

 そのさい意知おきともほか相役あいやく同僚どうりょう若年寄わかどしよりからかれていれば、彼等かれら佐野さの善左衛門ぜんざえもんの「兇刃きょうじん」をはばむやもれなかった。

 だがぎゃく意知おきとも同僚どうりょう若年寄わかどしよりからきらわれていたならば、佐野さの善左衛門ぜんざえもんの「兇刃きょうじんから意知おきともまもろうとはしないであろう。

 その若年寄わかどしよりなかでも首座しゅざ同時どうじ勝手かってがかりをもねる酒井さかい石見守いわみのかみ忠休ただよし意知おきとも殺意さついさえもほどきらっている…、その事実じじつ佐野さの善左衛門ぜんざえもん使嗾しそうして意知暗殺おきともあんさつたくら治済はるさだにとってはまさ追風おいかぜであった。

 忠休ただよしならば佐野さの善左衛門ぜんざえもんの「兇刃きょうじん」に際会さいかいしては―、意知おきとも佐野さの善左衛門ぜんざえもんやいばけられたとしても、意知おきともをその「兇刃きょうじん」からまもろうとはせず、それどころか佐野さの善左衛門ぜんざえもんを「後押バックアップ」してくれることさえ期待きたい出来できたからだ。

 たとえば、忠休ただよしたち若年寄わかどしよりそろって殿中でんちゅうあるいているさいに、佐野さの善左衛門ぜんざえもんやいばを、それも意知おきともねらってやいばけたとして、そのさい忠休ただよし意知おきともだけをそののこし、ほか若年寄わかどしよりを―、太田おおた資愛すけよし加納かのう久堅ひさかた、それに米倉昌晴よねくらまさはる引連ひきつれて何処どこぞの部屋へやへと避難ひなん誘導ゆうどうしてくれれば、意知おきとも間違まちがいなく佐野さの善左衛門ぜんざえもんたれるであろう。

 だがそのためには「手入ていれ」が必要ひつようであった。

 いまのままでは忠休ただよし意知おきともへの殺意さついこそしょうじさせたとしても、そこまでであろう。

 治済はるさだために―、治済はるさだ手先てさきとなって、意知おきとも暗殺あんさつ手助てだすけはしてくれまい。

 いや、このままでは意知おきともへの殺意さついさえもうすれる危険性リスクがありた。

  そこで治済はるさだとしては忠休ただよしに「手入ていれ」をおこな必要ひつようがあった。

 噛砕かみくだいて言えば忠休ただよしに、

ませわせ…」

 あるいはそれ相応そうおうの「モノ」をにぎらせるのである。

 そこまでしてようやくに忠休ただよし治済はるさだためはたらいてくれるものというものである。

「されば至急しきゅう石見いわみと…、忠休ただよしつなぎを必要ひつようがあるのう…」

 治済はるさだ正利まさとしかおながらそうげた。

 すると正利まさとし治済はるさだ視線しせん意味いみするところに気付きづき、

「さればこの正利まさとしめが酒井さかい殿どのつなぎを…、上様うえさま酒井さかい殿どのとの仲立なかだちをつと申上もうしあげまする…」

 正利まさとし治済はるさだにそうこたえ、治済はるさだおおいに満足まんぞくさせた。いや正利まさとしとしてももとよりそのつもりで―、治済はるさだ忠休ただよしとの仲立なかだちをつとめるつもりで今日きょう、この一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきへと単身たんしんあしはこんだのであった。

 その翌日よくじつの1月9日、岩本正利いわもとまさとしはいつもより早目はやめひるの八つ半(午後3時頃)まえ仕事しごと切上きりあげると、下城げじょうし、いそ虎ノ御門内とらのごもんないにある屋鋪やしきへとかえると、身支度みじたくととのえて、ふたた外出がいしゅつした。

 岩本正利いわもとまさとしかったさき勿論もちろん酒井さかい忠休ただよし上屋敷かみやしきである。

 酒井さかい忠休ただよしまう上屋敷かみやしき大手おおて門外もんそと下馬之後げばのあとという一等地いっとうちにあり、ちなみに辰ノ口たつのぐち北角きたかどにある側用人そばようにん水野みずの出羽守でわのかみ忠友ただとも上屋敷かみやしきとは背中せなかわせ、隣同士となりどうしであった。

 さて、その酒井さかい忠休ただよし上屋敷かみやしきであるが、門前もんぜん閑散かんさんとしていた。

 若年寄わかどしよりなかでも酒井さかい忠休ただよし首座しゅざともに、財政ざいせいにな勝手かってがかりをもねており、それゆえ

名実共めいじつともに…」

 若年寄わかどしより頂点トップ位置いちしていた。

 そうであるならば門前もんぜんには今少いますこし、陳情ちんじょうきゃくがいてもはずであった。

 いや、それどころか陳情ちんじょうきゃくあふかえっていなければならないだろう。

 だが実際じっさいには門前もんぜんには誇張こちょうではなしに、誰一人だれひとりとして陳情ちんじょうきゃく姿すがた見当みあたらなかった。

 それとはぎゃくに「おとなりさん」の水野みずの忠友ただとも上屋敷かみやしき門前もんぜん陳情ちんじょうきゃくあふれており、八代洲河岸やよすがしにまで陳情ちんじょうきゃくれつしていた。

 酒井さかい忠休ただよしにとってはまことにもって目障めざわりな光景こうけいであろうが、岩本正利いわもとまさとしにはさいわいであった。酒井さかい忠休ただよしうのにたされずにむからだ。

 実際じっさい岩本正利いわもとまさとしぐに酒井さかい忠休ただよしうことが出来できた。

 正利まさとし忠休ただよし取次頭取とりつぎとうどりつとめる西田にしだ清太夫せいだゆうおのれ身分みぶんかしたうえで、忠休ただよしへの取次とりつぎたのむや、それほどたされることなく奥座敷おくざしきへと案内あんないされたのであった。

 こうして奥座敷おくざしきにて忠休ただよし正利まさとしかいい、双方共そうほうとも挨拶あいさつわした。

 そのさい忠休ただよしにはいつもの尊大そんだいさはられなかった。

 いや、これで相手あいて一介いっかい旗本はたもとであったならば、そしてその旗本はたもとかり従五位下じゅごいのげ諸太夫しょだいぶやく普請ふしん奉行ぶぎょうであったとしても、忠休ただよし尊大そんだい振舞ふるまっていたことであろう。仮令たとえ唯一ゆいいつ陳情ちんじょうきゃくであったとしてもだ。

 だが岩本正利いわもとまさとしはただの旗本はたもと普請ふしん奉行ぶぎょうではない。その背後はいごには一橋ひとつばし治済はるさだひかえているのだ。

 岩本正利いわもとまさとしむすめとみ一橋ひとつばし治済はるさだ側妾そくしょうとして治済はるさだとのあいだ豊千代とよちよをもうけており、しかもその豊千代とよちよ成長せいちょうしていま次期じき将軍しょうぐん家斉いえなりとなっていた。

 つまり正利まさとし次期じき将軍しょうぐん家斉いえなり外祖父がいそふたり、これでは如何いか忠休ただよし若年寄わかどしより筆頭ひっとういえども、そのよう正利まさとし相手あいて尊大そんだいには振舞ふるまえなかった。

 それどころか見苦みぐるしいまでに鄭重ていちょうせっした。

「して、内膳正ないぜんのかみ殿どの本日ほんじつ用向ようむきは?」

 忠休ただよし挨拶あいさつませるとじつ鄭重ていちょうにそう切出きりだした。

「されば本日ほんじつ民部卿様みんぶのきょうさまつかいとしてまかしましたる次第しだい…」

 正利まさとし治済はるさだ使者ししゃとしてまいったからには忠休ただよしとしても愈々いよいよもって、正利まさとし粗略そりゃくにはあつかえなかった。

「ともうされますと、もしや民部卿様みんぶのきょうさまがこの忠休ただよしめになにようとか?」

 忠休ただよしはそうかんはたらかせた。如何いかかんにぶい、と言うよりは愚鈍ぐどん忠休ただよしでも、その程度ていどかんはたらかせることが出来できる。

 それにたいして正利まさとしは「如何いかにも」と首肯しゅこうし、

「されば民部卿様みんぶのきょうさまにおかせられては近々きんきん酒井さかいさまちゃなどを一服進いっぷくしんぜたいとの思召おぼしめしにて…」

 忠休ただよしにそうげたのであった。

なんと…、民部卿様みんぶのきょうさまが…」

 忠休ただよしよろこびのあまり、こえまらせた

 それはそうだろう。天下てんが三卿さんきょうからちゃさそわれてよろこばぬものはいない。

 ましてや治済はるさだ次期じき将軍しょうぐん家斉いえなり実父じっぷなのである。その治済はるさだからちゃさそわれるということは、さらなる栄達えいたつゆめではないことを示唆しさしていた。

 さらなる栄達えいたつ、それは言うまでもなく老中ろうじゅうへの栄達えいたつであった。

 若年寄わかどしよりいたならば、つぎ老中ろうじゅうねらうのが普通ふつうであり、酒井さかい忠休ただよしもそのれいれない。

 こと酒井さかい忠休ただよし若年寄わかどしよりなかでも筆頭ひっとうであり、その家禄かろくも2万5千石と老中ろうじゅうしょく相応ふさわしい。老中ろうじゅうしょく基本きほん家禄かろくが2万5千石以上いじょう譜代ふだい大名だいみょうからえらばれるからだ。

 それも京都きょうと所司代しょしだい大坂おおざか城代じょうだいあるいは若年寄わかどしよりから老中ろうじゅうへと昇進しょうしんするケース一般的いっぱんてきであり、若年寄わかどしより筆頭ひっとうたる酒井さかい忠休ただよしはその「有資格者ゆうしかくしゃ」と言えた。

 だがそのためには―、老中ろうじゅうへと昇進しょうしんするためには将軍しょうぐん信任しんにん必要ひつようであった。

 とりわけ若年寄わかどしよりから老中ろうじゅうへと昇進しょうしんする場合ばあいがそうだ。

 京都きょうと所司代しょしだい大坂おおざか城代じょうだい老中ろうじゅうの「待機たいきポスト」という側面そくめんがあり、それゆえ将軍しょうぐん信任しんにんがそれほどなくとも、健康けんこう留意りゅういし、よう長生ながいきさえすれば、いずれはだまっていても老中ろうじゅうになれる。

 だがこれが若年寄わかどしよりだとそうはいかない。若年寄わかどしよりから老中ろうじゅうへと昇進しょうしんするには将軍しょうぐん信任しんにん不可欠ふかけつであったからだ。

 そのため若年寄わかどしよりから老中ろうじゅうへと昇進しょうしんするケース京都きょうと所司代しょしだい大坂おおざか城代じょうだいから老中ろうじゅうへと昇進しょうしんするケースくらべて圧倒的あっとうてきすくなかった。

 さて、そこで酒井さかい忠休ただよしだが、忠休ただよし生憎あいにく将軍しょうぐん家治いえはるからそれほど信任しんにんているわけではなかった。

 無論むろんまった信任しんにんされていないわけではない。まった信任しんにんされていなかったならば、若年寄わかどしよりとして首座しゅざ勝手かってがかりねることなど出来できないし、それ以前いぜん若年寄わかどしよりにも取立とりたてられなかったであろう。

 だが老中ろうじゅうへと昇進しょうしんさせてやるほどには将軍しょうぐん家治いえはるはそこまで忠休ただよし信任しんにんしてはおらず、それは忠休ただよしとて自覚じかくするところであった。

 それゆえ忠休ただよしとしては家治いえはる将軍しょうぐん在職ざいしょくしているあいだ老中ろうじゅうへの昇進しょうしんあきらめざるをない。

 しかし、将軍しょうぐん家治いえはるから家斉いえなりへと代替だいがわりしたならばどうだろうか。

 家斉いえなりいまはまだ次期じき将軍しょうぐんとして西之丸にしのまるあるじゆえ本丸ほんまる若年寄わかどしより酒井さかい忠休ただよしたいしては白紙はくし状態じょうたいであった。

 だからこそ家斉いえなりれて将軍しょうぐんとなったあかつきに、実父じっぷ治済はるさだよりたとえば、

若年寄わかどしより酒井さかい忠休ただよしだが、中々なかなか見所みどころのあるおとこなので、老中ろうじゅうへと昇進しょうしんさせてやれ…」

 そうとでもささやかれたならば、家斉いえなり実父じっぷ忠休ただよし意見いけん感化かんかされて、忠休ただよし老中ろうじゅうへと昇進しょうしんさせようとするやもれぬ。

 忠休ただよし以前いぜんからそうかんがえ、治済はるさだ取入とりいろうかとおもっていたところに、とうの治済はるさだから岩本正利いわもとまさとしかいして連絡コンタクトってきたのだ。

 それも一緒いっしょちゃみたいと、治済はるさだほうからさそってきたのだ。

 忠休ただよしにとってはねがってもない、そして、またとない機会ちゃんす―、おのれ治済はるさだへと売込うりこ機会チャンスであった。

「ははぁっ…、有難ありがたしあわせ…」

 忠休ただよし岩本正利いわもとまさとし治済はるさだ見立みたてて、そうおうじた。

「されば民部卿様みんぶのきょうさまにおかせられては12日…、明々後日しあさっての12日に酒井さかいさまちゃ一服進いっぷくしんぜたいとの意向いこうにて…」

 明々後日しあさっての12日でかまわないかと、正利まさとし忠休ただよしたずねた。

 それにたいして忠休ただよしにはもとより異論いろんなどあろうはずもなく、「ははぁっ」とおうじた。

「されば民部卿様みんぶのきょうさまにおかせられては舎兄しゃけい越前守えちぜんのかみさま屋敷やしきにて…、常盤橋ときわばし門内もんない上屋敷かみやしきにて酒井さかいさまわれたいとの思召おぼしめしにて…」

「えっ?福井ふくいはん上屋敷かみやしきにて?」

 てっきり一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきにて治済はるさだえるとおもっていたところ、それが治済はるさだ実兄じっけい松平まつだいら越前守えちぜんのかみ重富しげとみ当主とうしゅつとめる福井ふくいはん上屋敷かみやいきにておうとは、忠休ただよしにしてみればひかに言って意外いがいであり、正直しょうじき落胆ガッカリした。

なにか、異存いぞんでも?」

 忠休ただよし正利まさとしよりそうわれたので、「いいえ、滅相めっそうもない…」とあわててそうおうじた。

 いま忠休ただよしとしては治済はるさだえるだけでもしとしなければならない。なにしろ忠休ただよしおのれ栄達えいたつ―、老中ろうじゅうしょくへの昇進しょうしん治済はるさだたのまねばならぬ立場たちばにいるからだ。面会場所デートスポットにとやかくくちなどはさめない。

「されば12日、福井ふくいはん上屋敷かみやしきにて…」

 忠休ただよしがそう復唱ふくしょうすると、「刻限こくげんひるの八つ半(午後3時頃)で如何いかがでござりましょうか…」と正利まさとしこえかぶせた。

 若年寄わかどしより執務しつむえ、下城げじょうするのは昼八つ(午後2時頃)であり、それから身支度みじたくととのえて、福井ふくいはん上屋敷かみやしきへとあしけるには成程なるほどひるの八つ半(午後3時頃)はちょうど頃合ころあいであった。

「さればひるの八つ半(午後3時頃)に…」

 忠休ただよしはやはりそう復唱ふくしょうした。

「さればそのおりには嫡子ちゃくし大學頭だいがくのかみ忠崇ただたかさま一緒いっしょに…」

 正利まさとしおもしたようにそう付加つけくわえたので、忠休ただよしおおいにおどろかせた。

なんと…、この忠休ただよしせがれも?」

 治済はるさだせがれ忠崇ただたかにまでいたがっているのかと、忠休ただよしおどろいたのであった。

如何いかにも…、されば民部卿様みんぶのきょうさまにおかせられては、おん若年寄わかどしよりなかでも、とりわけ酒井さかいさまをいたくっておられる様子ようすにて…、されば折角せっかく酒井さかいさまうのならば、嫡子ちゃくし大學頭だいがくのかみさまにもおうとの思召おぼしめしにて…」

 正利まさとしがそう治済はるさだ忠崇ただたかにまでおうとする理由わけげたことから、忠休ただよし有頂天うちょうてんにさせた。先程さきほど面会場所デートスポット不服ふふくであったのがまるでうそよう豹変ひょうへんぶりである。

 忠休ただよしはそれからせがれ忠崇ただたか附属ふぞくする栂野とがの八右衛門はちえもんめいじて忠崇ただたかれてさせると、正利まさとし挨拶あいさつさせた。

 正利まさとし忠崇ただたか挨拶あいさつかえすと、「卒爾そつじながら…」と切出きりだし、

大學頭だいがくのかみさまたしか、いまだ、菊間きくのまにはめてはおられませなんだな?」

 忠崇ただたかたしかめるようたずねた。

 若年寄わかどしより嫡子ちゃくし、それも将軍しょうぐんへの御目見得おめみえませた成人せいじん嫡子ちゃくし菊間きくのまめることになる。

 忠崇ただたかすで将軍しょうぐん家治いえはるへの御目見得おめみえませており、本来ほんらいならば菊間きくのまめてしかるべきであったが、しかし、いまだにめられずにいた。

 当人とうにんである忠崇ただたかもとより、ちちである忠休ただよしもそのことをにしていた。はっきり言ってコンプレックスにかんじていたので、正利まさとしからそのてん指摘してきされて、忠休ただよし忠崇ただたか気分きぶんがいした。

 もっとも、忠休ただよし忠崇ただたか平静へいせいさをよそおい、正利まさとしのその不快ふかいけにたいしても、忠崇ただたかは「如何いかにも」と平然へいぜんとした様子ようすこたえた。

「されば如何いかがでござりましょう…、大學頭だいがくのかみさまだけでもさきに…、福井ふくいはん上屋敷かみやしきにて民部卿様みんぶのきょうさま舎兄しゃけい越前守えちぜんのかみさまわれてましては…」

 いま菊間きくのまめてはいないということは、うらかえせばひまということであり、それならば明日あすにでも福井ふくいはん上屋敷かみやしきへとまいり、重富しげとみってはどうかと、正利まさとし忠崇ただたかをそうさそっていたのだ。

 これには忠崇ただたかおどろき、「それは…、越前守えちぜんのかみさま意向いこうにて?」と正利まさとしたしかめるようたずねた。

 重富しげとみまことおのれいたがっているのかどうか、それをたしかめないことには忠崇ただたかとしても迂闊うかつ福井ふくいはん上屋敷かみやしきへとあしけるわけにはゆかない。

 重富しげとみまことおのれいたがってはおらず、そうともらずに福井ふくいはん上屋敷かみやしきへとあしけたはいものの、門前払もんぜんばらいでもされたら、とんだわらものであるからだ。

 正利まさとし忠崇ただよしのその気持きもちはかっていたので、

「されば越前守えちぜんのかみさまにおかせられてもまこと酒井さかいさま嫡子ちゃくし大學頭だいがくのかみさまいたいとの思召おぼしめしにて…、越前守えちぜんのかみさま舎弟しゃてい民部卿様みんぶのきょうさまよりそううかがっておりますゆえ…」

 正利まさとしがそう請合うけあったことから忠崇ただたかようやくに正利まさとしはなししんじ、するとこれまた、いましがた、正利まさとしから菊間詰きくのまづめでないことを指摘してきされて不快ふかいとなったのがうそよう豹変ひょうへんぶりをしめした。

 すなわち、忠崇ただたか有頂天うちょうてんとなったのだ。感情かんじょうがコロコロとわるのは酒井家さかいけ血筋ちすじなのやもれなかった。

「されば明日あすにでも早速さっそく福井ふくいはん上屋敷かみやしきへと…」

 忠崇ただたかがそうおうずると、正利まさとしも「されば刻限こくげんにつきましてはいつにても…」とかえした。

 いつおとずれてもかまわないと、それが重富しげとみ意向いこうであると、正利まさとし忠崇ただたか示唆しさしたのであった。
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