天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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将軍・家治は愛息・家基の警備体制、ことに毒見役を再確認すべく、いよいよ西之丸中奥に乗込む。

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 御城えどじょう本丸ほんまる役職ポストとも言うべき奏者番そうじゃばん大目付おおめつけには夫々それぞれ西之丸にしのまる当番とうばんがあった。

 交代こうたい西之丸にしのまるめるものであり、その奏者番そうじゃばんにおいては太田おおた備後守びんごのかみ資愛すけよしが、大目付おおめつけにおいては萩原はぎわら主水正もんどのかみ雅忠まさただ夫々それぞれ西之丸にしのまる当番とうばんであった。

 そこへ家治一行いえはるいっこうなん前触まえぶれもなし、乗込のりこんでたことから、太田おおた資愛すけよしにしろ萩原雅忠はぎわらまさただにしろ仰天ぎょうてんした。

「あの…、上様うえさま?」

 一体いったいなん用件ようけんかとばかり、太田おおた資愛すけよし家治いえはるおそおそこえをかけた。

家基いえもといにまいった…」

 家治いえはるはそれだけこたえて太田おおた資愛すけよしくちじさせた。

 つまりは中奥なかおくへとすすむことを示唆しさしていたわけだが、ここ御城えどじょうあるじたる将軍しょうぐん家治いえはるであれば、本丸ほんまる西之丸にしのまるわず、中奥なかおくすすもうとも、さらにそのおく大奥おおおくすすもうとも、一切いっさい自由じゆうまさに、

天下御免てんがごめん

 であり、これを掣肘せいちゅう出来できものはいない。

 一々いちいち理由りゆう穿鑿せんさくすることすらもゆるされない。

 太田おおた資愛すけよしもそれがかっていたからこそくちじたものであり、そば家治いえはる資愛すけよしとのやりりをいていた萩原雅忠はぎわらまさただにしても同様どうようであった。

 こうして家治一行いえはるいっこう中奥なかおくへとすすんだわけだが、その手前てまえ中奥なかおくちか表向おもてむきサイドにおいてはここ西之丸にしのまるにおいても本丸同様ほんまるどうよう老中ろうじゅう執務室しつむしつであるうえよう部屋べや若年寄わかどしよりのそれであるつぎよう部屋べや廊下ろうかはさんで真向まむかいにあり、しかもそこから家治一行いえはるいっこう姿すがたられたので、そこにめていた老中ろうじゅう若年寄わかどしより一斉いっせい家治いえはるぜんへと駆付かけつけた。

 もっとも、「一斉いっせいに…」とは言っても、それは3人にぎない。

 すなわち、西之丸にしのまるにおいては老中ろうじゅうは1人、若年寄わかどしよりは2人しかかれていないからだ。

 そのただ一人ひとり老中ろうじゅう阿部あべ豊後守ぶんごのかみ正允まさちかが2人の若年寄わかどしより鳥居とりい伊賀守いがのかみ忠意ただおき酒井さかい飛騨守ひだのかみ忠香ただよししたがえる格好かっこうでやはり家治いえはるぜんにて右膝みぎひざると、

おそおおくも上様うえさまにおかせられましては益々ますます健勝けんしょうよし…」

 家治いえはるにそう「型通かたどおり」の挨拶あいさつをした。

 阿部あべ正允まさちか流石さすが老中ろうじゅうしょくつとめるだけあって、家治いえはる西之丸にしのまるへと登城とじょうした理由わけをストレートにようおろかな真似まねはしなかった。「型通かたどおり」の挨拶あいさつ仮託かたくしてたずねてきた。

 家治いえはるもそうとさっして、

家基いえもといにまいった…」

 まずはいまがた太田おおた資愛すけよしへも寄越よこしたのとおなこたえをこの阿部あべ正允まさちかにも寄越よこし、しかし資愛すけよしときとはことなり、

「されば家基いえもとまもりについて、この家治いえはる、このしか見届みとどけたい…」

 家基いえもと警備けいび体制たいせいをこのたしかめるためと、それをつたえたのであった。

 いざ、家基いえもと警備けいび体制たいせい見直みなおすともなれば、西之丸にしのまる老中ろうじゅうさらにはその補佐ほさやく若年寄わかどしよりちから―、協力きょうりょく必要ひつようになるからだ。

 すると早速さっそく西之丸にしのまる若年寄わかどしより鳥居とりい忠意ただおきが「協力きょうりょく」してくれた。

おそれながら…、それなればおもて右筆ゆうひつの、それも分限ぶげんちょうあらためかためしになられては如何いかがでござりましょう…」

 鳥居とりい忠意ただおき家治いえはるにそう貴重きちょうな「助言アドバイス」をおくってくれたのだ。

 成程なるほどいま家基いえもと警備けいび体制たいせい―、家基いえもと警備けいびにな人材じんざいくわしい経歴キャリアたしかめようおもえばおもて右筆ゆうひつのそれも分限ぶげんちょうあらためかた協力きょうりょくかせない。

 幕臣ばくしんくわしい経歴キャリア、それがしるされている幕臣ばくしん個々ここ分限ぶげんちょうおもて右筆ゆうひつなかでも分限ぶげんちょうあらためかた管理かんりしており、それも本丸ほんまるつとめる役人やくにんにおいては本丸ほんまるおもて右筆ゆうひつの、ここ西之丸にしのまるつとめる役人やくにんにおいては西之丸にしのまるおもて右筆ゆうひつの、夫々それぞれ分限ぶげんちょうあらためかた管理かんりしていた。

 西之丸にしのまるおもて右筆ゆうひつ分限ぶげんちょうあらためかた管理かんりする西之丸にしのまる役人やくにん分限ぶげんちょう、そのなかには勿論もちろん家基いえもと警備けいびになう、それも毒見どくみになぜん奉行ぶぎょうや、あるいは膳番ぜんばん小納戸こなんどのそれも勿論もちろんふくまれていた。

 鳥居とりい忠意ただおき一見いっけん茫洋ぼうようとしていたが、そのじつ中々なかなかしたたかであり、あたま回転かいてんはやく、この助言アドバイスなどおもくのはわけもないことであった。

 ともあれ家治いえはる鳥居とりい忠意ただおき助言アドバイス感謝かんしゃするとともに、それを受容うけいれると、「されば…」と相役あいやく同僚どうりょう西之丸にしのまる若年寄わかどしより酒井さかい忠香ただよし立上たちあがった。

 ここ西之丸にしのまるにおいて分限ぶげんちょうあらためかた担当たんとうする西之丸にしのまるおもて右筆ゆうひつびにためであり、それはひいては鳥居とりい忠意ただおきへの「対抗心たいこうしん」からであった。

 酒井さかい忠香ただよし相役あいやく鳥居とりい忠意ただおき貴重きちょう助言アドバイス将軍しょうぐん家治いえはる感謝かんしゃするさまたりにして、

「これはおのれもうかうかしてはいられまい…」

 自分じぶん将軍しょうぐん家治いえはるすこしでも「いところ」をせねばと、ようは「功名心こうみょうしん」、もっと言えば「出世欲しゅっせよく」である。

 もっとも、それはわるいことではない。仮令たとえ動機どうき出世欲しゅっせよくであったとしても、家治いえはるへの「忠義ちゅうぎこころ」にうそはない。

 かくして忠香ただよし分限ぶげんちょうあらためかたを、すなわち、吉松よしまつ伊兵衛いへえ正音まさおとれて家治いえはるぜんへともどってた。

 いま西之丸にしのまるにておもて右筆ゆうひつとして分限ぶげんちょうあらためかた担当たんとうするのはこの吉松よしまつ伊兵衛いへえ唯一人ただひとりであった。

 本丸ほんまるにおいては分限ぶげんちょうあらためかたは4人もいたが、ここ西之丸にしのまるにおいては分限ぶげんちょうあらためかた吉松よしまつ伊兵衛いへえ唯一人ただひとりなのはひとえに、西之丸にしのまる役人やくにん本丸役人ほんまるやくにんよりもすくないことに由来ゆらいする。

 それゆえおもて右筆ゆうひつかず自体じたい本丸ほんまるよりもすくない。

 さて、この吉松よしまつ伊兵衛いへえだが、分限ぶげんちょうかかえていた。酒井さかい忠香ただよしめいじられたためであり、いま西之丸にしのまるぜん奉行ぶぎょう、それにすべえの中奥役人なかおくやくにん分限ぶげんちょう持参じさんしたのだ。

 かり家治いえはるいま西之丸にしのまるぜん奉行ぶぎょう膳番ぜんばん小納戸こなんど不都合ふつごうがあるとかんがえれば、西之丸にしのまるぜん奉行ぶぎょうについてはかく膳番ぜんばん小納戸こなんどについてはべつ小納戸こなんどへの差替さしかえ、あるいは西之丸にしのまる小姓こしょう小納戸こなんどへと役替やくがえうえ膳番ぜんばんねさせることが予期よきされ、酒井さかい忠香ただよしはそこまで読切よみきり、そこで、西之丸にしのまるぜん奉行ぶぎょう分限ぶげんちょうともに、すべての西之丸にしのまる中奥役人なかおくやくにん分限ぶげんちょう持参じさんするよう吉松よしまつ伊兵衛いへえめいじたのであった。

 家治いえはる忠香ただよしのそのみのふかさにもおおいに感謝かんしゃした。

 かくして家治いえはるさら西之丸にしのまる老中ろうじゅう若年寄わかどしより、それにこの吉松よしまつ伊兵衛いへえをもしたがえて、愈々いよいよ中奥なかおくへと乗込のりこんだ。
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