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西之丸中奥御座之間、将軍・家治による次期将軍にして愛息の家基の毒見役の再確認 ~大奥篇(御客会釈篇)~ 前篇
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だがこれで安心出来た訳ではない。
成程、今の時点ではここ中奥にて治済が家基を暗殺、毒殺に及ぶのは不可能な様に思える。
しかし、家基が食事をするのはここ中奥だけではない。
将軍、或いは次期将軍は基本的には中奥にて食事をするが、大奥にても食事をすることがある。
朝餉は必ず中奥において摂るものだが、昼餉や夕餉は大奥にて摂る場合もある。
その時、大奥にて将軍、或いは次期将軍の毒見を担うのが中年寄に相当する御客会釈である。
問題は今、家基に附属する御客会釈の中に一橋家臣を兄に持つ花川が含まれているということであった。
そこで家治は西之丸大奥へと渡るべく、新見正則に大奥との「連絡」を命じた。
新見正則は家治の命を受けると、極めて異例ではあるが、自ら大奥との「連絡」に当たった。
将軍にしろ、次期将軍にしろ、例えば「朝の総触れ」といった予め、大奥へと渡ることが決まっている場合を除いて、つまりは「奥泊」といった不時に大奥に渡ろうと思えば事前にその旨、大奥サイドに伝える必要があった。
具体的には小納戸の中でも奥之番を兼ねる者が大奥サイドの御錠口なる女中と談合に及ぶのである。
それから将軍、或いは次期将軍は大奥へと渡ることが出来、この手続きを怠ると、如何に将軍、或いは次期将軍と雖も、
「一歩たりとも…」
大奥へと足を踏み入れることは出来なかった。
だが今回、この西之丸大奥へと足を踏み入れ様としているのは本丸の主たる将軍・家治であった。
無論、家治は家基や、更には弟の清水重好も伴い、西之丸大奥へと足を運ぶつもりであろうが、ともあれ新見正則が更に奥之番の小納戸に大奥との連絡、つまりは奥女中である御錠口との談合を命ずるからには、
「家治が西之丸大奥へと渡ろうとしている…」
そのことも奥之番の小納戸に打明けねばならない。
だがそうなれば奥之番の小納戸より、
「一体、何故に上様は西之丸の大奥へと御運びに?」
本丸の主たる家治が西之丸大奥に何の用があるのかと、そう穿鑿されるのは必定であったからだ。
しかし正則としてはその様な穿鑿に一々、応えるつもりはなかった。否、正則が、
「好むと好まざるとにかかわらず…」
応えられ様筈もない。
だがそれでは奥之番の小納戸は納得しないであろう。
殊に今の奥之番小納戸はそうに違いない。
それと言うのも正則に「反感」を抱いていたからだ。
今、この西之丸において大奥との、それも御錠口との交渉、談合を掌る奥之番には、
「松平鍋五郎信成」
「松浦豊前守信邦」
「本多土佐守直嗣」
「森川伊勢守俊顯」
この4人の小納戸が任じられ、この4人共、
「揃いも揃って…」
正則にある種の「反感」を抱いており、それはつまりは「嫉妬」であった。
まず松平鍋五郎だが、新見正則とは「同期の櫻」、宝暦12(1762)年11月は朔日に西之丸小納戸に取立てられ、しかし正則がそれから7年後の明和6(1769)年は4月のやはり朔日には今の頭取へと昇進を果たしたのに対して松平鍋五郎はと言うと、相変わらず一介の小納戸に留置かれたままであり、松平鍋五郎はそのことで正則のことを酷く怨む様になった。
否、それは正確には逆怨みであり、正則が小納戸頭取という、中奥においては御側御用取次に次ぐ重職の小納戸頭取に取立てられたのは偏に、正則自身の実力によるものであり、それにひきかえ松平鍋五郎は正則程には実力がない為に小納戸頭取へと昇進出来なかったに過ぎない。
だが松平鍋五郎当人はそうは考えずに、
「新見正則めは田沼意次との所縁により小納戸頭取に取立てられたのだ…」
ここ中奥にてそう吹聴して憚らなかった。
無論、それは事実ではなかったが、それでも松平鍋五郎としてはそう吹聴せずには平静さを保てなかったのであろう。
それ程までに松平鍋五郎は新見正則に、
「先を越された…」
そのことが「ショック」だったのであろう。
新見正則も勿論、松平鍋五郎の「吹聴」は把握しており、その「動機」についても理解していた。
そこで正則はそんな松平鍋五郎を慰撫すべく奥之番を兼ねさせたのであったが、これは異例なことであった。
小納戸の中でも大奥との折衝役である奥之番には従五位下諸太夫の官位を持つ者から選ばれるのが仕来りであった。
それは何かと気位の高い大奥に配慮してのことである。
小納戸は従六位布衣役であるが、従五位下諸太夫役の小姓から移って来る者もあり、それ故、従六位布衣役であるにもかかわらず、従五位下諸太夫の官位を持つ者がおり、松浦信邦や本多直嗣がそうだ。
ちなみにこれは小納戸に限った話ではなく、例えば先手頭や目附にも見られる事象であった。
即ち、先手頭や目附もまた、小納戸同様、従六位布衣役であるものの、従五位下諸太夫役の、例えば小姓より異動になった者もおり、そういった者たちはやはり、従五位下諸太夫の官位にて従六位布衣役である先手頭や目附を勤めることになる。
ともあれ、従六位布衣役の小納戸の中には従五位下諸太夫の官位を持つ者がいるにもかかわらず、その者に奥之番を兼ねさせずに、つまりは大奥との折衝に当たらせずに、態々、従六位布衣の者に奥之番として大奥との折衝に当たらせ様ものなら、気位だけは無駄に高い大奥のことである、
「大奥を軽んじおって…」
そう邪推されるのは必定であり、そこで斯かる危険性を避ける為に奥之番の小納戸には従五位下諸太夫の官位を持つ者から選ばれるのが仕来りであった。
従六位布衣に過ぎない松平鍋五郎が奥之番を兼ねさせられたのは異例というのは斯かる事情による。
無論、あくまで仕来りであり、そうである以上、例外もあり、この場合がそうで、小納戸頭取が「強権発動」に及べば、一人ぐらいなら従六位布衣の者に奥之番を兼ねさせるのも可能であり、新見正則は松平鍋五郎の為に「強権発動」に及んだ訳だが、それで松平鍋五郎が正則に感謝することはなく、今以て正則を「嫉妬心」から逆怨みしたままであった。
それから松浦信邦と本多直嗣の2人は新見正則とは同格であるにもかかわらず、未だ小納戸頭取になれず、それ故、小納戸頭取衆たる新見正則を直属の上司として仰がねばならず、そのことで正則をやはり「嫉妬心」から逆怨みしていた。
尤も、小納戸頭取衆は新見正則一人ではない。筆頭の押田信濃守岑勝やそれに前田淡路守孝武や大井大和守持長もおり、にもかかわらず、松浦信邦や本多直嗣の「嫉妬心」が新見正則にだけ向けられるのは、
「やはり…」
と言うべきか、田沼意次との「所縁」からであり、それは裏を返せば、
「羨ましい…」
それに尽きた。
松浦信邦にしろ本多直嗣にしろ、当人は絶対に認めたがらないだろうが、それでも意次と「所縁」のある新見正則が羨ましくて仕方がなかったのだ。
ちなみに押田岑勝もまた、倅の熊太郎勝融を介して意次とは所縁があった。
と言っても押田熊太郎が意次の寵臣、三浦庄二の娘を娶っているに過ぎず、意次の実妹の肇を娶っている新見正則に較べれば、
「意次との所縁」
という点においては正に、
「月とスッポン」
雲泥の差があり、それ故、押田岑勝は松浦信邦や本多直嗣からの「嫉妬心」にさらされずに済んだ。
そして最後に森川俊顯だが、俊顯の場合、小納戸より小納戸頭取格へと昇進した為に従五位下諸太夫に叙されたのだが、今はまだ頭取格に過ぎず、正式な小納戸頭取ではなく、一介の小納戸、その筆頭に位置付けられていた。
森川俊顯としては一刻も早くに正式に小納戸頭取衆に加わり度て仕方がなく、その思いが昂じてか、
「己が未だに正式に頭取になれないのは正則が邪魔している所為ではあるまいか…」
そう邪推する始末であった。
かくして奥之番の小納戸は皆、新見正則に含むところがある、と言うよりは逆怨みしている連中ばかりであり、これでは正則の言うことを黙って、それも素直に聞いてくれることなど、とても期待出来まい。
そこで正則は奥之番の小納戸に頼らずに自ら大奥との折衝に、御錠口との談合に及んだ。
御錠口は奥之番の小納戸ではなく、小納戸頭取衆たる新見正則が直々に折衝役として立ったので流石に驚いた。
小納戸頭取が自ら、御錠口との折衝役としてその前に立つなどとは、例がないからだ。しかし、
「将軍・家治が西之丸大奥に用事があるので、これより直ちに西之丸大奥へと渡る…」
正則からそう告げられると、奥女中の御錠口も正則が奥之番に任せずに自ら、折衝役に立ったことに合点がゆくと同時に、正則からの申入れを諒承すると、
「畏まりました…」
早速にも西之丸大奥にて将軍・家治の受入態勢を調えることを正則に約束し、
「暫し、御猶予を…」
ここ御錠口にて待つ様にとも、正則に告げ、席を立ち、その場を―、御錠口をいったんあとにした。
それから暫く経ってから奥女中の御錠口が正則の待つ御錠口へと戻って来、受入態勢が調ったことがその奥女中の御錠口より正則に告げられたのであった。
これで家治が西之丸大奥へと足を運ぶことが出来、正則は家治に急ぎそのことを伝えるべく、今度は正則が席を立つ番であった。
成程、今の時点ではここ中奥にて治済が家基を暗殺、毒殺に及ぶのは不可能な様に思える。
しかし、家基が食事をするのはここ中奥だけではない。
将軍、或いは次期将軍は基本的には中奥にて食事をするが、大奥にても食事をすることがある。
朝餉は必ず中奥において摂るものだが、昼餉や夕餉は大奥にて摂る場合もある。
その時、大奥にて将軍、或いは次期将軍の毒見を担うのが中年寄に相当する御客会釈である。
問題は今、家基に附属する御客会釈の中に一橋家臣を兄に持つ花川が含まれているということであった。
そこで家治は西之丸大奥へと渡るべく、新見正則に大奥との「連絡」を命じた。
新見正則は家治の命を受けると、極めて異例ではあるが、自ら大奥との「連絡」に当たった。
将軍にしろ、次期将軍にしろ、例えば「朝の総触れ」といった予め、大奥へと渡ることが決まっている場合を除いて、つまりは「奥泊」といった不時に大奥に渡ろうと思えば事前にその旨、大奥サイドに伝える必要があった。
具体的には小納戸の中でも奥之番を兼ねる者が大奥サイドの御錠口なる女中と談合に及ぶのである。
それから将軍、或いは次期将軍は大奥へと渡ることが出来、この手続きを怠ると、如何に将軍、或いは次期将軍と雖も、
「一歩たりとも…」
大奥へと足を踏み入れることは出来なかった。
だが今回、この西之丸大奥へと足を踏み入れ様としているのは本丸の主たる将軍・家治であった。
無論、家治は家基や、更には弟の清水重好も伴い、西之丸大奥へと足を運ぶつもりであろうが、ともあれ新見正則が更に奥之番の小納戸に大奥との連絡、つまりは奥女中である御錠口との談合を命ずるからには、
「家治が西之丸大奥へと渡ろうとしている…」
そのことも奥之番の小納戸に打明けねばならない。
だがそうなれば奥之番の小納戸より、
「一体、何故に上様は西之丸の大奥へと御運びに?」
本丸の主たる家治が西之丸大奥に何の用があるのかと、そう穿鑿されるのは必定であったからだ。
しかし正則としてはその様な穿鑿に一々、応えるつもりはなかった。否、正則が、
「好むと好まざるとにかかわらず…」
応えられ様筈もない。
だがそれでは奥之番の小納戸は納得しないであろう。
殊に今の奥之番小納戸はそうに違いない。
それと言うのも正則に「反感」を抱いていたからだ。
今、この西之丸において大奥との、それも御錠口との交渉、談合を掌る奥之番には、
「松平鍋五郎信成」
「松浦豊前守信邦」
「本多土佐守直嗣」
「森川伊勢守俊顯」
この4人の小納戸が任じられ、この4人共、
「揃いも揃って…」
正則にある種の「反感」を抱いており、それはつまりは「嫉妬」であった。
まず松平鍋五郎だが、新見正則とは「同期の櫻」、宝暦12(1762)年11月は朔日に西之丸小納戸に取立てられ、しかし正則がそれから7年後の明和6(1769)年は4月のやはり朔日には今の頭取へと昇進を果たしたのに対して松平鍋五郎はと言うと、相変わらず一介の小納戸に留置かれたままであり、松平鍋五郎はそのことで正則のことを酷く怨む様になった。
否、それは正確には逆怨みであり、正則が小納戸頭取という、中奥においては御側御用取次に次ぐ重職の小納戸頭取に取立てられたのは偏に、正則自身の実力によるものであり、それにひきかえ松平鍋五郎は正則程には実力がない為に小納戸頭取へと昇進出来なかったに過ぎない。
だが松平鍋五郎当人はそうは考えずに、
「新見正則めは田沼意次との所縁により小納戸頭取に取立てられたのだ…」
ここ中奥にてそう吹聴して憚らなかった。
無論、それは事実ではなかったが、それでも松平鍋五郎としてはそう吹聴せずには平静さを保てなかったのであろう。
それ程までに松平鍋五郎は新見正則に、
「先を越された…」
そのことが「ショック」だったのであろう。
新見正則も勿論、松平鍋五郎の「吹聴」は把握しており、その「動機」についても理解していた。
そこで正則はそんな松平鍋五郎を慰撫すべく奥之番を兼ねさせたのであったが、これは異例なことであった。
小納戸の中でも大奥との折衝役である奥之番には従五位下諸太夫の官位を持つ者から選ばれるのが仕来りであった。
それは何かと気位の高い大奥に配慮してのことである。
小納戸は従六位布衣役であるが、従五位下諸太夫役の小姓から移って来る者もあり、それ故、従六位布衣役であるにもかかわらず、従五位下諸太夫の官位を持つ者がおり、松浦信邦や本多直嗣がそうだ。
ちなみにこれは小納戸に限った話ではなく、例えば先手頭や目附にも見られる事象であった。
即ち、先手頭や目附もまた、小納戸同様、従六位布衣役であるものの、従五位下諸太夫役の、例えば小姓より異動になった者もおり、そういった者たちはやはり、従五位下諸太夫の官位にて従六位布衣役である先手頭や目附を勤めることになる。
ともあれ、従六位布衣役の小納戸の中には従五位下諸太夫の官位を持つ者がいるにもかかわらず、その者に奥之番を兼ねさせずに、つまりは大奥との折衝に当たらせずに、態々、従六位布衣の者に奥之番として大奥との折衝に当たらせ様ものなら、気位だけは無駄に高い大奥のことである、
「大奥を軽んじおって…」
そう邪推されるのは必定であり、そこで斯かる危険性を避ける為に奥之番の小納戸には従五位下諸太夫の官位を持つ者から選ばれるのが仕来りであった。
従六位布衣に過ぎない松平鍋五郎が奥之番を兼ねさせられたのは異例というのは斯かる事情による。
無論、あくまで仕来りであり、そうである以上、例外もあり、この場合がそうで、小納戸頭取が「強権発動」に及べば、一人ぐらいなら従六位布衣の者に奥之番を兼ねさせるのも可能であり、新見正則は松平鍋五郎の為に「強権発動」に及んだ訳だが、それで松平鍋五郎が正則に感謝することはなく、今以て正則を「嫉妬心」から逆怨みしたままであった。
それから松浦信邦と本多直嗣の2人は新見正則とは同格であるにもかかわらず、未だ小納戸頭取になれず、それ故、小納戸頭取衆たる新見正則を直属の上司として仰がねばならず、そのことで正則をやはり「嫉妬心」から逆怨みしていた。
尤も、小納戸頭取衆は新見正則一人ではない。筆頭の押田信濃守岑勝やそれに前田淡路守孝武や大井大和守持長もおり、にもかかわらず、松浦信邦や本多直嗣の「嫉妬心」が新見正則にだけ向けられるのは、
「やはり…」
と言うべきか、田沼意次との「所縁」からであり、それは裏を返せば、
「羨ましい…」
それに尽きた。
松浦信邦にしろ本多直嗣にしろ、当人は絶対に認めたがらないだろうが、それでも意次と「所縁」のある新見正則が羨ましくて仕方がなかったのだ。
ちなみに押田岑勝もまた、倅の熊太郎勝融を介して意次とは所縁があった。
と言っても押田熊太郎が意次の寵臣、三浦庄二の娘を娶っているに過ぎず、意次の実妹の肇を娶っている新見正則に較べれば、
「意次との所縁」
という点においては正に、
「月とスッポン」
雲泥の差があり、それ故、押田岑勝は松浦信邦や本多直嗣からの「嫉妬心」にさらされずに済んだ。
そして最後に森川俊顯だが、俊顯の場合、小納戸より小納戸頭取格へと昇進した為に従五位下諸太夫に叙されたのだが、今はまだ頭取格に過ぎず、正式な小納戸頭取ではなく、一介の小納戸、その筆頭に位置付けられていた。
森川俊顯としては一刻も早くに正式に小納戸頭取衆に加わり度て仕方がなく、その思いが昂じてか、
「己が未だに正式に頭取になれないのは正則が邪魔している所為ではあるまいか…」
そう邪推する始末であった。
かくして奥之番の小納戸は皆、新見正則に含むところがある、と言うよりは逆怨みしている連中ばかりであり、これでは正則の言うことを黙って、それも素直に聞いてくれることなど、とても期待出来まい。
そこで正則は奥之番の小納戸に頼らずに自ら大奥との折衝に、御錠口との談合に及んだ。
御錠口は奥之番の小納戸ではなく、小納戸頭取衆たる新見正則が直々に折衝役として立ったので流石に驚いた。
小納戸頭取が自ら、御錠口との折衝役としてその前に立つなどとは、例がないからだ。しかし、
「将軍・家治が西之丸大奥に用事があるので、これより直ちに西之丸大奥へと渡る…」
正則からそう告げられると、奥女中の御錠口も正則が奥之番に任せずに自ら、折衝役に立ったことに合点がゆくと同時に、正則からの申入れを諒承すると、
「畏まりました…」
早速にも西之丸大奥にて将軍・家治の受入態勢を調えることを正則に約束し、
「暫し、御猶予を…」
ここ御錠口にて待つ様にとも、正則に告げ、席を立ち、その場を―、御錠口をいったんあとにした。
それから暫く経ってから奥女中の御錠口が正則の待つ御錠口へと戻って来、受入態勢が調ったことがその奥女中の御錠口より正則に告げられたのであった。
これで家治が西之丸大奥へと足を運ぶことが出来、正則は家治に急ぎそのことを伝えるべく、今度は正則が席を立つ番であった。
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