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安永3(1774)年4月13日、長谷川平蔵や大久保勝次郎、兼松又四郎と同時に西之丸書院番4番組に番入した9人の面々
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安永3(1774)年4月13日、この日、西之丸書院番4番組に番入したのは平蔵たちだけではなかった。
平蔵たちの外にも9人の両番家筋の旗本が番入を果たした。
今回、西之丸書院番4番組への「新規補充」の人数、総数は予め、決まっていた。
それも決めたのは将軍・家治であった。
「12人も番入させれば、暗殺阻止には充分であろう…」
家治のその意向があり、まずは意次に人選を命じたのだ。
平蔵たちも加えれば12人の旗本は皆、小普請組に所属しており、
「有馬采女則雄支配より2名」
「堀三六郎直昌支配より1名」
「神尾若狭守春由支配より1名」
「長田越中守元鋪支配より2名」
「青山主馬忠義支配より2名」
「長谷川久三郎正脩支配より1名」
「渡邊圖書貞綱支配より1名」
「岡野外記智曉支配より1名」
「牧野傳蔵成如支配より1名」
結果的にはその様な割当てとなった。
結果的には―、その意味するところは、これが通常の番入とは違う、ということであった。
通常の番入の場合、両番―、小姓組番と書院番の両方の番に限らず、大番や新番、小十人組番にも当て嵌まることだが、若年寄から小普請組支配に対して、待命中の旗本の「供出」が命じられる。
「小普請組にて待命中の旗本を差出せ…」
待命中、つまりは職にあぶれた旗本を差出せと、若年寄から小普請組支配へと、そう命じられるのだ。
但し、小普請組支配は、即ち、小普請組は1組だけではない。
現在は12組の小普請組が存在し、小普請組支配が正に小普請組を支配、つまりは「求職中」の旗本を差配していた。
そして今回の様に12人もの旗本を番入、西之丸書院番は4番組へと新規に補充、番入させるともなると、1組の小普請組にだけその「供出」を命じるのではなく、幾つかの小普請組に分け、その「供出」を命ずるのが通常であった。
そして、どこの組に何人の旗本の供出を命ずるか、それを実際に決めるのは老中であり、将軍ではない。
老中が協議を行い、その決定が老中より若年寄を介して、小普請組支配へと伝えられる。
尤も、その老中とて決めるのはあくまで、
「どの組に、何人の旗本を…」
その程度、大まかな割当て程度であり、
「どの組の誰某を…」
具体的な旗本の名前まで挙げる訳ではない。
誰を「供出」するか、それは「供出」を命ぜられた個々の小普請組に任せられる。
だが今回の「供出」、もとい西之丸書院番4番組への「新規補充」は通常のそれとは些か、事情が異なる。
それと言うのも、今回の「新規補充」は、
「一橋治済による次期将軍・家基の暗殺阻止」
それが目的である為だ。
それ故、いつもの「新規補充」の様に、個々の小普請組にその「人選」を丸投げするという訳にはいかなかった。つまりは、
「誰でも…」
無作為に、という訳にはいかない。
「一橋治済と所縁のない者…」
それが「最低条件」であった。
そこで将軍・家治はまず田沼意次に対して直々に、
「意次が、これは、と思う者を選べ…」
そう命じたのであった。
意次は一橋治済と「内通」していないことは明らかであり、そこで家治も意次に対しては、
「全面的に信頼して…」
その人選を任したのであった。
結果、意次は長谷川平蔵を選び、その上で、平蔵が信頼する者をも一緒に番入させることにした。
将軍・家治が意次を信頼している様に、意次もまた、平蔵を信頼していたのだ。
平蔵も意次の信頼に応えるべく、義弟の大久保勝次郎とそれに「兄貴分」の兼松又四郎の名を挙げた。
かくして、長谷川平蔵と大久保勝次郎、兼松又四郎の3人が「内定」した次第である。
すると残り9人、この9人の人選についても家治は当初は意次にその人選を任せようとした。
だがそれを意次が固辞した。
「首座や御側御用取次を差置いて…」
意次は老中の中では唯一の奥兼帯、将軍の居所である中奥に出入りが許され、且つ、将軍・家治の御側近くに仕えることが許されていた。
だが老中の中ではあくまで末席であり、にもかかわらず、筆頭である首座の松平右近将監武元や、更には中奥の最高長官たる稲葉越中守正明や横田筑後守準松たちを、
「差置いて…」
意次が一人で、西之丸4番組に番入させるべき12人全員を決めてしまえば、彼等から怨みを買う危険性があり得た。
否、松平武元はその様なことで意次を怨む程、小さな人間ではない。
だが稲葉正明や横田準松については、さしもの意次も何とも自信がない。
或いは意次を怨む可能性があった。
そこで意次は残る9人については松平武元と稲葉正明、横田準松の3人で決めてくれる様、家治に希ったのだ。
家治も意次の斯かる心中を理解し、意次の願い通り、残る9人の人選については武元、正明、準松の3人に任せることとし、3人にその旨、命じたのであった。
するとその中の一人、稲葉正明が家治に対して、
「畏れながら…、若年寄の水野出羽も人選に召加えられましては…」
そう上申したのだ。
それと言うのも、水野出羽こと出羽守忠友は家治の嘗ての「御伽」であったからだ。
家治は正明のこの上申を尤もであると大いに感じ入り、そこで正明の勧めに従って、忠友をも人選に加えると同時に、正明への信頼を益々、深めた。
と言っても、残りの9人全員を松平武元と稲葉正明、横田準松、水野忠友の4人だけで決めた訳ではない。
これは意次にも当て嵌まることだが、彼等は個々の旗本の「背景」についてまでは、即ち、
「一橋治済と所縁があるか否か…」
流石にそこまでは把握していなかったからだ
それでも松平武元は己が家臣の「所縁」を頼りに唯一人、植村多宮政恒だけは推挙することが出来た。
植村多宮は岡野外記が支配する小普請組に所属する両番家筋の旗本であり、既に元服しており、一昨年、安永元(1772)年12月に家督を継いでいたが、しかし、将軍・家治への初めての御目見、所謂、初御目見得はまだであった。
にもかかわらず、何故、老中、それも筆頭たる首座の松平武元が斯かる、将軍への御目見得もまだ済ませてはいない、正しく、
「一介の…」
旗本の存在を把握しているのかというと、それは彼者、即ち植村多宮が松平武元が家臣、伊藤郡八祐忠が女を娶っていたからだ。
それ故、松平武元は植村多宮、唯一人、家基の「SP」として推挙することが出来た。
横田準松もまた、武元と同じく1人を推挙することが出来、これは己の「所縁」を頼った。
即ち、横田準松が推挙したのは渡邊圖書支配の小普請組に属する石川造酒助政平であるのだが、この石川造酒助は準松が分家筋に当たる横田安之丞松容が実妹を娶っていたのだ。
一方、水野忠友はこれよりも1人多い、2人を推挙した。
即ち、神尾春由支配の飯河他四郎信門と牧野傳蔵支配の柴田半助勝壽の2人である。
水野忠友も家治から「人選」を命じられた際、その「目的」については当然、把握していた。
と言っても忠友もまた、個々の旗本の詳しい経歴について、それも、
「一橋治済と所縁があるか否か…」
それを把握している訳ではない。
そこで忠友は小普請組支配の牧野傳蔵を頼った。
それと言うのも牧野傳蔵は忠友にとっては義弟、実妹の夫に当たるからだ。
「牧野傳蔵に相談すれば、或いは…」
傳蔵が支配下にある旗本、それも両番家筋の旗本の内から一橋治済とは所縁のない旗本を見繕ってくれるやも知れぬと、忠友はそれを期待して、義弟にして小普請組支配の牧野傳蔵に相談を持掛けたのであった。
それに対して牧野傳蔵もやはり、忠友同様、組下の旗本を、その身元について一々、把握している訳ではなく、これを確かめるとしたならば、即ち、
「一橋治済と所縁がない両番家筋の旗本…」
それを知るには畢竟、直属の部下である組頭を頼らざるを得ない。
小普請組頭なれば組下の旗本の詳しい身元について一々、把握していた。
小普請組には1組につき2人の組頭が配されており、牧野傳蔵が支配する小普請組には佐々彦大夫政晴と加藤幸次郎正顕の2人が組頭として配されていた。
そこで牧野傳蔵はこの2人に対して、
「組下から両番家筋の中でも一橋治済と所縁なき旗本を見つけ出せ…」
そう指示を与えた。
結果、佐々彦大夫と加藤幸次郎の2人は柴田半助勝壽なる旗本を見つけ出した。
この柴田半助だが、一橋治済と所縁がないばかりか、田沼意次と薄い所縁があった。
即ち、柴田半助は元・一橋家老の山木織部正伴明の娘の樫を娶っていた。
元・一橋家老というのは些か、引っ掛かるものの、しかし山木伴明が家老を勤めていたのは3年前の明和8(1771)年10月までであり、既に一橋家の当主であった治済とは特に親しいという話は聞かない。
何より、樫は山木伴明の娘とは名ばかりで、実際には養女であり、姪であった。
即ち、樫は西之丸小姓組番士を勤めた佐脇傳十郎安愼の次女なのだが、樫が実父、佐脇傳十郎は山木伴明の実弟でもあった。
そして山木伴明にはもう一人、やはり蔵なる姪を養女に迎えていた。
この蔵は伴明が実妹―、佐脇傳十郎にとっては実姉に当たる柏が大番士であった坂本百助貞義との間に生した次女であり、伴明に育てられた後、山木五郎左衛門正篤の許へと嫁いだ。
山木五郎左衛門正篤と言えば、去年、田沼意誠が孫娘の鶴と祝言を挙げた山木八十八正富が実父である。
山木五郎左衛門に嫁いだ蔵は既に歿し、八十八は後妻の子であったが、ともあれ一時は柴田半助が妻女に迎えた樫と共に、山木伴明に育てられた過去があった。
そうであれば樫は蔵、そして山木家を介して田沼家とも所縁があると、強弁することも不可能ではなかった。
斯かる次第で佐々彦大夫と加藤幸次郎は柴田半助を支配の牧野傳蔵に売込んだ次第であり、この時、更に、
「神尾若狭守様御支配の飯河他四郎めも番入させましては…」
そう勧めたのであった。
聞けば飯河他四郎が叔母はあの山木五郎左衛門正篤が後妻だと言うのである。
山木五郎左衛門は蔵に先立たれるや、まずは西之丸書院番士の菅谷八郎兵衛政峰の実姉を後妻に迎え、しかしこれにも先立たれるや、次いで西之丸小姓組番士の加藤彌次郎明武の実姉を娶り、すると漸くに子宝に恵まれ、それこそが田沼意誠が孫娘の鶴と結ばれた八十八であった。
それが宝暦14(1764)年のことであり、しかし産後の肥立ちが悪かったらしく、八十八を産んで間もなくして歿してしまい、そこで山木五郎左衛門は更に、飯河他四郎が叔母を後妻に迎え、八十八を育てさせたのであった。
それ故、山木八十八にとってはこの飯河他四郎が叔母こそが育ての母であり、鶴にとっては姑に当たる。
かくして牧野傳蔵は配下の組頭より上申が為された柴田半助と、それに組こそ違うが飯河他四郎の2人の名前をそのまま、義兄の水野忠友に伝えたのであった。
水野忠友が飯河他四郎と柴田半助の2人の旗本を将軍・家治へと推挙出来たのは斯かる背景があった為だ。
そして稲葉正明が残る5人を家治に推挙したのだ。即ち、
「有馬采女支配の大岡彌右衛門忠順」
「堀三六郎支配の大久保又八郎忠俊」
「長田越中守支配の加々爪藤八郎保孝」
「青山主馬支配の上野伴次郎資徳」
「岡野外記支配の権太八郎泰俊」
以上の5人である。
正明はこの5人の推薦理由について一々、家治に説明した。
まず大岡彌右衛門だが、長崎奉行としてその任地にて歿した大岡美濃守忠移の養嗣子にして、実は旗奉行を勤めた大岡播磨守忠恒が次男であり、この忠恒の実兄こそが彼有名なる「大岡越前」こと大岡越前守忠相である。
つまり大岡彌右衛門にとっては大岡忠相は実の甥に当たり、
「されば八代様が御取立てあそばされし大岡越前が実の甥ともあらば、越前の血を受継ぎ…」
正邪の別を誤ることはなく、つまりは治済に取込まれることはないと、正明は家治に大岡彌右衛門の推薦理由を説明した。
家治もこの推薦理由には大いに感じ入った。とりわけ、「八代様」というフレーズが家治を大いに刺激した。家治は「八代様」こと八代将軍・吉宗を崇拝していたからだ。
かくして家治はまず大岡彌右衛門の番入を認めた。
稲葉正明が次いで家治に推薦した大久保又八郎は家治が実弟、清水重好と所縁の者であった。
即ち、大久保又八郎は父・吉之丞忠興と母・樂との間に生まれた子であるのだが、この実母の樂は清水家臣・坂井外記成富が実妹であった。つまり大久保又八郎にとっては実の伯父が清水家臣という訳だ。
そればかりか、坂井外記・樂兄妹のこれまた実の妹は坂井と称して西之丸大奥にて家基附の中臈として仕えていた。
斯かる次第でこの大久保又八郎もまた、一橋治済に取込まれる危険はないと、正明は家治に太鼓判を押し、家治もこれにはやはり大いに頷かされ、大久保又八郎も番入させることとした。
清水家所縁の者と言えば、加々爪藤八郎にしても同様であった。
即ち、加々爪藤八郎が実母は島頼母元孝が長女であるのだが、次女、つまりは加々爪藤八郎が実母の実妹、それも直ぐ下の妹は寄合の中島備前守行道の許へと嫁いでいた。
この中島行道が実弟、大三郎行和が清水家臣であったのだ。
のみならず、実妹―、中島行道が実妹にして、大三郎にとっては実姉は清水重好が母堂、安祥院に仕えていたのだ。
しかも中島行道たち三兄妹弟は皆、松平又十郎親春が三女を母に持つ。
この松平又十郎、安祥院が養父であり、それ故、中島行道三兄妹弟は形の上では安祥院とは叔母と甥・姪の関係にあった。
斯かる次第で、清水家と所縁のある加々爪藤八郎もまた、一橋治済に取込まれることはないと、正明はやはり家治にそう太鼓判を押し、家治もそれを信じてこの加々爪藤八郎をも番入させることにした。
一方、上野伴次郎と権太八郎の2人だが、これは一橋治済所縁の者であるとの説明が正明より為され、家治の顔を強張らせた。
愛息・家基を一橋治済の「毒牙」から守る為の「新規補充」、家基の「SP」とも呼ぶべき西之丸書院番士の陣容を強化しようと言うに、何故、態々、治済の所縁の者を推挙するのかと、家治は顔を強張らせつつ、正明にその真意を糺した。
「されば…、一橋民部卿殿が真実、大納言様の暗殺を企んでおられれば、自が所縁の者が西之丸書院番へと番入せしを好機…、暗殺の絶好の好機と捉え、必ずや、この2人に…、上野伴次郎めと権太八郎めに接触を持つに相違なく…」
「成程…、そこを押さえれば、治済めの謀叛が証を立てられるという訳だの?」
「いえ、流石にそこまでは…、ただ接触を持ちましただけでは、民部卿殿のこと、いくらでも言逃れを致しましょうぞ…、なれど仮に民部卿殿が真実、大納言様が暗殺を企み、その為に上野伴次郎めと権太八郎めの2人と接触を持ちましたならば、必ずや毒を…」
「治済めは毒殺を考えていると申すか?」
「御意…、それしか外に暗殺の手口は考えられず…」
確かに、と家治は思った。
「さればこの毒…、上野伴次郎か、或いは権太八郎か、それは分かりませぬが、御放鷹の折にでも…」
「治済めは鷹狩りの機を利用して家基が暗殺を、それも毒殺を考えておると申すのか?」
「御意…、されば御城…、殿中におきましては、大納言様の御身辺、とりわけ御毒見の体制は堅く、毒殺も容易ではなく…、なれど御放鷹など外出の折には自然と…」
「毒見の体制も緩むと申すのだな?」
「御意…、殊に御放鷹の折には書院番士…、表向の番士も上様や大納言様に近付くことも容易なれば…」
表向の番士が御城の中で中奥にいる将軍、或いは次期将軍に近付くことは難しい。
しかし軍事訓練である鷹狩りともなると話は別で、正明が申す通り、鷹狩りの「主役」とも言うべき表向の番士が将軍、或いは次期将軍に近付くことも容易であった。
「されば…、その上野某か、或いは権太某か、ともあれ治済より託されし毒を家基に服ませようとすると、正明は左様に見ておるのだな?」
「御意…、されば大納言様が御放鷹の折、上野伴次郎、権太八郎、この両名の動きを注意深く観察すれば必ずや…」
「家基に毒を服ませようとせし現場を押さえられると申すのだな?」
「御意…、さればその時こそ、芋蔓式に…」
「上野某か、権太某か、ともあれ、この両名を辿って治済へと辿り付けると申すのだな?」
「御意…、上野伴次郎か、或いは権太八郎か、その何れかが大納言様に一服盛ろうとせし現場を押さえられれば、上野伴次郎にしろ、権太八郎にしろ、最早これまでと観念し、民部卿殿の御名を出すに相違なく…」
「さすれば治済めも、最早、言逃れは出来ないと申すのだな?」
「御意…、されば殊に大納言様が御放鷹の折、この上野伴次郎と権太八郎両名の一挙手一投足に注意を払うことが肝要かと…」
「徹底的に監視せよ、と申すのだな?」
「御意…」
「相分かった…、それは外の10人…、平蔵らに任せようぞ…」
「畏れながら…、それは如何なものかと…」
「と申すと?」
「10人全員…、此度、4番組へと番入させし12人の内、上野伴次郎と権太八郎、この両名を除きし10人に上野伴次郎と権太八郎、両名の監視を、それも大納言様が御放鷹の際しての監視を御命じあそばされれば、このことが上野伴次郎、権太八郎へと伝わる恐れ、無きにしも非ず…」
「10人の中にも治済めに通ずる恐れがある者がおると申すのか?」
「それは分かりませぬ…、いえ、分からぬからこそ、必要最小限の者にだけ監視を…、上野伴次郎、並びに権太八郎、この両名の監視を御命じあそばされましては…」
「必要最小限、とな?」
「御意…、されば田沼主殿が推挙せし、長谷川平蔵、大久保勝次郎、兼松又四郎のこの3名にのみ監視を御命じあそばされましては…」
「ほう…、意次が推挙せし3人に、とな?」
家治は身を乗出して正明に確かめる様に尋ねた。
「御意…、田沼主殿が推挙せし者なれば、民部卿殿に通ずることは考えられず…」
正明のその言葉に家治は深く頷いた。
一方、その場に陪席していた意次は、「おやっ?」と思った。
それと言うのも正明は意次に嫉妬し、何かと目の敵にすることが多かったからだ。
それがその様な評価をするとは意次には意外であった。
ともあれ正明はそれから上野伴次郎、並びに権太八郎、この両名と治済との所縁について家治に説明した。
まず上野伴次郎だが、実の伯父である上野忠左衛門資虎が一橋家臣であった。
一方、権太八郎だが、実弟の松之助信副は表右筆の吉田長五郎信脩の養嗣子として迎えられており、この吉田長五郎が実の長女は一橋大奥にて仕えていたのだ。吉田松之助にとっては義理とは申せ、姉に当たるその者が一橋館にて仕えていた。
治済が真実、家基の毒殺を考えているならば、これらの「所縁」を見逃す筈はないと、正明は家治に念押しした。
家治も正明のその言葉に頷かされると、改めて意次に対して、長谷川平蔵、大久保勝次郎、兼松又四郎の3名にこの上野伴次郎と権太八郎、両名への監視を申付ける様、命じたのであった。
かくして彼等9人もまた、平蔵たちと共に番入を果たしたのでった。
平蔵たちの外にも9人の両番家筋の旗本が番入を果たした。
今回、西之丸書院番4番組への「新規補充」の人数、総数は予め、決まっていた。
それも決めたのは将軍・家治であった。
「12人も番入させれば、暗殺阻止には充分であろう…」
家治のその意向があり、まずは意次に人選を命じたのだ。
平蔵たちも加えれば12人の旗本は皆、小普請組に所属しており、
「有馬采女則雄支配より2名」
「堀三六郎直昌支配より1名」
「神尾若狭守春由支配より1名」
「長田越中守元鋪支配より2名」
「青山主馬忠義支配より2名」
「長谷川久三郎正脩支配より1名」
「渡邊圖書貞綱支配より1名」
「岡野外記智曉支配より1名」
「牧野傳蔵成如支配より1名」
結果的にはその様な割当てとなった。
結果的には―、その意味するところは、これが通常の番入とは違う、ということであった。
通常の番入の場合、両番―、小姓組番と書院番の両方の番に限らず、大番や新番、小十人組番にも当て嵌まることだが、若年寄から小普請組支配に対して、待命中の旗本の「供出」が命じられる。
「小普請組にて待命中の旗本を差出せ…」
待命中、つまりは職にあぶれた旗本を差出せと、若年寄から小普請組支配へと、そう命じられるのだ。
但し、小普請組支配は、即ち、小普請組は1組だけではない。
現在は12組の小普請組が存在し、小普請組支配が正に小普請組を支配、つまりは「求職中」の旗本を差配していた。
そして今回の様に12人もの旗本を番入、西之丸書院番は4番組へと新規に補充、番入させるともなると、1組の小普請組にだけその「供出」を命じるのではなく、幾つかの小普請組に分け、その「供出」を命ずるのが通常であった。
そして、どこの組に何人の旗本の供出を命ずるか、それを実際に決めるのは老中であり、将軍ではない。
老中が協議を行い、その決定が老中より若年寄を介して、小普請組支配へと伝えられる。
尤も、その老中とて決めるのはあくまで、
「どの組に、何人の旗本を…」
その程度、大まかな割当て程度であり、
「どの組の誰某を…」
具体的な旗本の名前まで挙げる訳ではない。
誰を「供出」するか、それは「供出」を命ぜられた個々の小普請組に任せられる。
だが今回の「供出」、もとい西之丸書院番4番組への「新規補充」は通常のそれとは些か、事情が異なる。
それと言うのも、今回の「新規補充」は、
「一橋治済による次期将軍・家基の暗殺阻止」
それが目的である為だ。
それ故、いつもの「新規補充」の様に、個々の小普請組にその「人選」を丸投げするという訳にはいかなかった。つまりは、
「誰でも…」
無作為に、という訳にはいかない。
「一橋治済と所縁のない者…」
それが「最低条件」であった。
そこで将軍・家治はまず田沼意次に対して直々に、
「意次が、これは、と思う者を選べ…」
そう命じたのであった。
意次は一橋治済と「内通」していないことは明らかであり、そこで家治も意次に対しては、
「全面的に信頼して…」
その人選を任したのであった。
結果、意次は長谷川平蔵を選び、その上で、平蔵が信頼する者をも一緒に番入させることにした。
将軍・家治が意次を信頼している様に、意次もまた、平蔵を信頼していたのだ。
平蔵も意次の信頼に応えるべく、義弟の大久保勝次郎とそれに「兄貴分」の兼松又四郎の名を挙げた。
かくして、長谷川平蔵と大久保勝次郎、兼松又四郎の3人が「内定」した次第である。
すると残り9人、この9人の人選についても家治は当初は意次にその人選を任せようとした。
だがそれを意次が固辞した。
「首座や御側御用取次を差置いて…」
意次は老中の中では唯一の奥兼帯、将軍の居所である中奥に出入りが許され、且つ、将軍・家治の御側近くに仕えることが許されていた。
だが老中の中ではあくまで末席であり、にもかかわらず、筆頭である首座の松平右近将監武元や、更には中奥の最高長官たる稲葉越中守正明や横田筑後守準松たちを、
「差置いて…」
意次が一人で、西之丸4番組に番入させるべき12人全員を決めてしまえば、彼等から怨みを買う危険性があり得た。
否、松平武元はその様なことで意次を怨む程、小さな人間ではない。
だが稲葉正明や横田準松については、さしもの意次も何とも自信がない。
或いは意次を怨む可能性があった。
そこで意次は残る9人については松平武元と稲葉正明、横田準松の3人で決めてくれる様、家治に希ったのだ。
家治も意次の斯かる心中を理解し、意次の願い通り、残る9人の人選については武元、正明、準松の3人に任せることとし、3人にその旨、命じたのであった。
するとその中の一人、稲葉正明が家治に対して、
「畏れながら…、若年寄の水野出羽も人選に召加えられましては…」
そう上申したのだ。
それと言うのも、水野出羽こと出羽守忠友は家治の嘗ての「御伽」であったからだ。
家治は正明のこの上申を尤もであると大いに感じ入り、そこで正明の勧めに従って、忠友をも人選に加えると同時に、正明への信頼を益々、深めた。
と言っても、残りの9人全員を松平武元と稲葉正明、横田準松、水野忠友の4人だけで決めた訳ではない。
これは意次にも当て嵌まることだが、彼等は個々の旗本の「背景」についてまでは、即ち、
「一橋治済と所縁があるか否か…」
流石にそこまでは把握していなかったからだ
それでも松平武元は己が家臣の「所縁」を頼りに唯一人、植村多宮政恒だけは推挙することが出来た。
植村多宮は岡野外記が支配する小普請組に所属する両番家筋の旗本であり、既に元服しており、一昨年、安永元(1772)年12月に家督を継いでいたが、しかし、将軍・家治への初めての御目見、所謂、初御目見得はまだであった。
にもかかわらず、何故、老中、それも筆頭たる首座の松平武元が斯かる、将軍への御目見得もまだ済ませてはいない、正しく、
「一介の…」
旗本の存在を把握しているのかというと、それは彼者、即ち植村多宮が松平武元が家臣、伊藤郡八祐忠が女を娶っていたからだ。
それ故、松平武元は植村多宮、唯一人、家基の「SP」として推挙することが出来た。
横田準松もまた、武元と同じく1人を推挙することが出来、これは己の「所縁」を頼った。
即ち、横田準松が推挙したのは渡邊圖書支配の小普請組に属する石川造酒助政平であるのだが、この石川造酒助は準松が分家筋に当たる横田安之丞松容が実妹を娶っていたのだ。
一方、水野忠友はこれよりも1人多い、2人を推挙した。
即ち、神尾春由支配の飯河他四郎信門と牧野傳蔵支配の柴田半助勝壽の2人である。
水野忠友も家治から「人選」を命じられた際、その「目的」については当然、把握していた。
と言っても忠友もまた、個々の旗本の詳しい経歴について、それも、
「一橋治済と所縁があるか否か…」
それを把握している訳ではない。
そこで忠友は小普請組支配の牧野傳蔵を頼った。
それと言うのも牧野傳蔵は忠友にとっては義弟、実妹の夫に当たるからだ。
「牧野傳蔵に相談すれば、或いは…」
傳蔵が支配下にある旗本、それも両番家筋の旗本の内から一橋治済とは所縁のない旗本を見繕ってくれるやも知れぬと、忠友はそれを期待して、義弟にして小普請組支配の牧野傳蔵に相談を持掛けたのであった。
それに対して牧野傳蔵もやはり、忠友同様、組下の旗本を、その身元について一々、把握している訳ではなく、これを確かめるとしたならば、即ち、
「一橋治済と所縁がない両番家筋の旗本…」
それを知るには畢竟、直属の部下である組頭を頼らざるを得ない。
小普請組頭なれば組下の旗本の詳しい身元について一々、把握していた。
小普請組には1組につき2人の組頭が配されており、牧野傳蔵が支配する小普請組には佐々彦大夫政晴と加藤幸次郎正顕の2人が組頭として配されていた。
そこで牧野傳蔵はこの2人に対して、
「組下から両番家筋の中でも一橋治済と所縁なき旗本を見つけ出せ…」
そう指示を与えた。
結果、佐々彦大夫と加藤幸次郎の2人は柴田半助勝壽なる旗本を見つけ出した。
この柴田半助だが、一橋治済と所縁がないばかりか、田沼意次と薄い所縁があった。
即ち、柴田半助は元・一橋家老の山木織部正伴明の娘の樫を娶っていた。
元・一橋家老というのは些か、引っ掛かるものの、しかし山木伴明が家老を勤めていたのは3年前の明和8(1771)年10月までであり、既に一橋家の当主であった治済とは特に親しいという話は聞かない。
何より、樫は山木伴明の娘とは名ばかりで、実際には養女であり、姪であった。
即ち、樫は西之丸小姓組番士を勤めた佐脇傳十郎安愼の次女なのだが、樫が実父、佐脇傳十郎は山木伴明の実弟でもあった。
そして山木伴明にはもう一人、やはり蔵なる姪を養女に迎えていた。
この蔵は伴明が実妹―、佐脇傳十郎にとっては実姉に当たる柏が大番士であった坂本百助貞義との間に生した次女であり、伴明に育てられた後、山木五郎左衛門正篤の許へと嫁いだ。
山木五郎左衛門正篤と言えば、去年、田沼意誠が孫娘の鶴と祝言を挙げた山木八十八正富が実父である。
山木五郎左衛門に嫁いだ蔵は既に歿し、八十八は後妻の子であったが、ともあれ一時は柴田半助が妻女に迎えた樫と共に、山木伴明に育てられた過去があった。
そうであれば樫は蔵、そして山木家を介して田沼家とも所縁があると、強弁することも不可能ではなかった。
斯かる次第で佐々彦大夫と加藤幸次郎は柴田半助を支配の牧野傳蔵に売込んだ次第であり、この時、更に、
「神尾若狭守様御支配の飯河他四郎めも番入させましては…」
そう勧めたのであった。
聞けば飯河他四郎が叔母はあの山木五郎左衛門正篤が後妻だと言うのである。
山木五郎左衛門は蔵に先立たれるや、まずは西之丸書院番士の菅谷八郎兵衛政峰の実姉を後妻に迎え、しかしこれにも先立たれるや、次いで西之丸小姓組番士の加藤彌次郎明武の実姉を娶り、すると漸くに子宝に恵まれ、それこそが田沼意誠が孫娘の鶴と結ばれた八十八であった。
それが宝暦14(1764)年のことであり、しかし産後の肥立ちが悪かったらしく、八十八を産んで間もなくして歿してしまい、そこで山木五郎左衛門は更に、飯河他四郎が叔母を後妻に迎え、八十八を育てさせたのであった。
それ故、山木八十八にとってはこの飯河他四郎が叔母こそが育ての母であり、鶴にとっては姑に当たる。
かくして牧野傳蔵は配下の組頭より上申が為された柴田半助と、それに組こそ違うが飯河他四郎の2人の名前をそのまま、義兄の水野忠友に伝えたのであった。
水野忠友が飯河他四郎と柴田半助の2人の旗本を将軍・家治へと推挙出来たのは斯かる背景があった為だ。
そして稲葉正明が残る5人を家治に推挙したのだ。即ち、
「有馬采女支配の大岡彌右衛門忠順」
「堀三六郎支配の大久保又八郎忠俊」
「長田越中守支配の加々爪藤八郎保孝」
「青山主馬支配の上野伴次郎資徳」
「岡野外記支配の権太八郎泰俊」
以上の5人である。
正明はこの5人の推薦理由について一々、家治に説明した。
まず大岡彌右衛門だが、長崎奉行としてその任地にて歿した大岡美濃守忠移の養嗣子にして、実は旗奉行を勤めた大岡播磨守忠恒が次男であり、この忠恒の実兄こそが彼有名なる「大岡越前」こと大岡越前守忠相である。
つまり大岡彌右衛門にとっては大岡忠相は実の甥に当たり、
「されば八代様が御取立てあそばされし大岡越前が実の甥ともあらば、越前の血を受継ぎ…」
正邪の別を誤ることはなく、つまりは治済に取込まれることはないと、正明は家治に大岡彌右衛門の推薦理由を説明した。
家治もこの推薦理由には大いに感じ入った。とりわけ、「八代様」というフレーズが家治を大いに刺激した。家治は「八代様」こと八代将軍・吉宗を崇拝していたからだ。
かくして家治はまず大岡彌右衛門の番入を認めた。
稲葉正明が次いで家治に推薦した大久保又八郎は家治が実弟、清水重好と所縁の者であった。
即ち、大久保又八郎は父・吉之丞忠興と母・樂との間に生まれた子であるのだが、この実母の樂は清水家臣・坂井外記成富が実妹であった。つまり大久保又八郎にとっては実の伯父が清水家臣という訳だ。
そればかりか、坂井外記・樂兄妹のこれまた実の妹は坂井と称して西之丸大奥にて家基附の中臈として仕えていた。
斯かる次第でこの大久保又八郎もまた、一橋治済に取込まれる危険はないと、正明は家治に太鼓判を押し、家治もこれにはやはり大いに頷かされ、大久保又八郎も番入させることとした。
清水家所縁の者と言えば、加々爪藤八郎にしても同様であった。
即ち、加々爪藤八郎が実母は島頼母元孝が長女であるのだが、次女、つまりは加々爪藤八郎が実母の実妹、それも直ぐ下の妹は寄合の中島備前守行道の許へと嫁いでいた。
この中島行道が実弟、大三郎行和が清水家臣であったのだ。
のみならず、実妹―、中島行道が実妹にして、大三郎にとっては実姉は清水重好が母堂、安祥院に仕えていたのだ。
しかも中島行道たち三兄妹弟は皆、松平又十郎親春が三女を母に持つ。
この松平又十郎、安祥院が養父であり、それ故、中島行道三兄妹弟は形の上では安祥院とは叔母と甥・姪の関係にあった。
斯かる次第で、清水家と所縁のある加々爪藤八郎もまた、一橋治済に取込まれることはないと、正明はやはり家治にそう太鼓判を押し、家治もそれを信じてこの加々爪藤八郎をも番入させることにした。
一方、上野伴次郎と権太八郎の2人だが、これは一橋治済所縁の者であるとの説明が正明より為され、家治の顔を強張らせた。
愛息・家基を一橋治済の「毒牙」から守る為の「新規補充」、家基の「SP」とも呼ぶべき西之丸書院番士の陣容を強化しようと言うに、何故、態々、治済の所縁の者を推挙するのかと、家治は顔を強張らせつつ、正明にその真意を糺した。
「されば…、一橋民部卿殿が真実、大納言様の暗殺を企んでおられれば、自が所縁の者が西之丸書院番へと番入せしを好機…、暗殺の絶好の好機と捉え、必ずや、この2人に…、上野伴次郎めと権太八郎めに接触を持つに相違なく…」
「成程…、そこを押さえれば、治済めの謀叛が証を立てられるという訳だの?」
「いえ、流石にそこまでは…、ただ接触を持ちましただけでは、民部卿殿のこと、いくらでも言逃れを致しましょうぞ…、なれど仮に民部卿殿が真実、大納言様が暗殺を企み、その為に上野伴次郎めと権太八郎めの2人と接触を持ちましたならば、必ずや毒を…」
「治済めは毒殺を考えていると申すか?」
「御意…、それしか外に暗殺の手口は考えられず…」
確かに、と家治は思った。
「さればこの毒…、上野伴次郎か、或いは権太八郎か、それは分かりませぬが、御放鷹の折にでも…」
「治済めは鷹狩りの機を利用して家基が暗殺を、それも毒殺を考えておると申すのか?」
「御意…、されば御城…、殿中におきましては、大納言様の御身辺、とりわけ御毒見の体制は堅く、毒殺も容易ではなく…、なれど御放鷹など外出の折には自然と…」
「毒見の体制も緩むと申すのだな?」
「御意…、殊に御放鷹の折には書院番士…、表向の番士も上様や大納言様に近付くことも容易なれば…」
表向の番士が御城の中で中奥にいる将軍、或いは次期将軍に近付くことは難しい。
しかし軍事訓練である鷹狩りともなると話は別で、正明が申す通り、鷹狩りの「主役」とも言うべき表向の番士が将軍、或いは次期将軍に近付くことも容易であった。
「されば…、その上野某か、或いは権太某か、ともあれ治済より託されし毒を家基に服ませようとすると、正明は左様に見ておるのだな?」
「御意…、されば大納言様が御放鷹の折、上野伴次郎、権太八郎、この両名の動きを注意深く観察すれば必ずや…」
「家基に毒を服ませようとせし現場を押さえられると申すのだな?」
「御意…、さればその時こそ、芋蔓式に…」
「上野某か、権太某か、ともあれ、この両名を辿って治済へと辿り付けると申すのだな?」
「御意…、上野伴次郎か、或いは権太八郎か、その何れかが大納言様に一服盛ろうとせし現場を押さえられれば、上野伴次郎にしろ、権太八郎にしろ、最早これまでと観念し、民部卿殿の御名を出すに相違なく…」
「さすれば治済めも、最早、言逃れは出来ないと申すのだな?」
「御意…、されば殊に大納言様が御放鷹の折、この上野伴次郎と権太八郎両名の一挙手一投足に注意を払うことが肝要かと…」
「徹底的に監視せよ、と申すのだな?」
「御意…」
「相分かった…、それは外の10人…、平蔵らに任せようぞ…」
「畏れながら…、それは如何なものかと…」
「と申すと?」
「10人全員…、此度、4番組へと番入させし12人の内、上野伴次郎と権太八郎、この両名を除きし10人に上野伴次郎と権太八郎、両名の監視を、それも大納言様が御放鷹の際しての監視を御命じあそばされれば、このことが上野伴次郎、権太八郎へと伝わる恐れ、無きにしも非ず…」
「10人の中にも治済めに通ずる恐れがある者がおると申すのか?」
「それは分かりませぬ…、いえ、分からぬからこそ、必要最小限の者にだけ監視を…、上野伴次郎、並びに権太八郎、この両名の監視を御命じあそばされましては…」
「必要最小限、とな?」
「御意…、されば田沼主殿が推挙せし、長谷川平蔵、大久保勝次郎、兼松又四郎のこの3名にのみ監視を御命じあそばされましては…」
「ほう…、意次が推挙せし3人に、とな?」
家治は身を乗出して正明に確かめる様に尋ねた。
「御意…、田沼主殿が推挙せし者なれば、民部卿殿に通ずることは考えられず…」
正明のその言葉に家治は深く頷いた。
一方、その場に陪席していた意次は、「おやっ?」と思った。
それと言うのも正明は意次に嫉妬し、何かと目の敵にすることが多かったからだ。
それがその様な評価をするとは意次には意外であった。
ともあれ正明はそれから上野伴次郎、並びに権太八郎、この両名と治済との所縁について家治に説明した。
まず上野伴次郎だが、実の伯父である上野忠左衛門資虎が一橋家臣であった。
一方、権太八郎だが、実弟の松之助信副は表右筆の吉田長五郎信脩の養嗣子として迎えられており、この吉田長五郎が実の長女は一橋大奥にて仕えていたのだ。吉田松之助にとっては義理とは申せ、姉に当たるその者が一橋館にて仕えていた。
治済が真実、家基の毒殺を考えているならば、これらの「所縁」を見逃す筈はないと、正明は家治に念押しした。
家治も正明のその言葉に頷かされると、改めて意次に対して、長谷川平蔵、大久保勝次郎、兼松又四郎の3名にこの上野伴次郎と権太八郎、両名への監視を申付ける様、命じたのであった。
かくして彼等9人もまた、平蔵たちと共に番入を果たしたのでった。
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