天明奇聞 ~たとえば意知が死ななかったら~

ご隠居

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安永3(1774)年4月13日、長谷川平蔵や大久保勝次郎、兼松又四郎と同時に西之丸書院番4番組に番入した9人の面々

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 安永3(1774)年4月13日、この西之丸にしのまる書院番しょいんばん4番組ばんぐみ番入ばんいりしたのは平蔵へいぞうたちだけではなかった。

 平蔵へいぞうたちのほかにも9人のりょう番家筋ばんいえすじ旗本はたもと番入ばんいりたした。

 今回こんかい西之丸にしのまる書院番しょいんばん4番組ばんぐみへの「新規しんき補充ほじゅう」の人数にんずう総数そうすうあらかじめ、まっていた。

 それもめたのは将軍しょうぐん家治いえはるであった。

「12人も番入ばんいりさせれば、暗殺あんさつ阻止そしには充分じゅうぶんであろう…」

 家治いえはるのその意向いこうがあり、まずは意次おきつぐ人選じんせんめいじたのだ。

 平蔵へいぞうたちもくわえれば12人の旗本はたもとみな小普請組こぶしんぐみ所属しょぞくしており、

有馬采女則雄支配ありまうねめのりおしはいより2名」

堀三六郎ほりさぶろくろう直昌なおまさ支配しはいより1名」

神尾かんお若狭守わかさのかみ春由はるより支配しはいより1名」

長田おさだ越中守えっちゅうのかみ元鋪もとのぶ支配しはいより2名」

青山あおやま主馬しゅめ忠義ただよし支配しはいより2名」

長谷川はせがわ久三郎きゅうざぶろう正脩まさむろ支配しはいより1名」

渡邊わたなべ圖書ずしょ貞綱さだつな支配しはいより1名」

岡野おかの外記げき智曉ともさと支配しはいより1名」

牧野まきの傳蔵成如でんぞうしげゆき支配しはいより1名」

 結果的けっかてきにはそのよう割当わりあてとなった。

 結果的けっかてきには―、その意味いみするところは、これが通常つうじょう番入ばんいりとはちがう、ということであった。

 通常つうじょう番入ばんいり場合ばあい両番りょうばん―、小姓組番こしょうぐみばん書院番しょいんばん両方りょうほうばんかぎらず、大番おおばん新番しんばん小十人組番こじゅうにんぐみばんにもまることだが、若年寄わかどしよりから小普請組こぶしんぐみ支配しはいたいして、待命たいめいちゅう旗本はたもとの「供出きょうしゅつ」がめいじられる。

小普請組こぶしんぐみにて待命中たいめいちゅう旗本はたもと差出さしだせ…」

 待命中たいめちゅう、つまりはしょくにあぶれた旗本はたもと差出さしだせと、若年寄わかどしよりから小普請組こぶしんぐみ支配しはいへと、そうめいじられるのだ。

 ただし、小普請組こぶしんぐみ支配しはいは、すなわち、小普請組こぶしんぐみは1組だけではない。

 現在げんざいは12組の小普請組こぶしんぐみ存在そんざいし、小普請組こぶしんぐみ支配しはいまさ小普請組こぶしんぐみ支配しはい、つまりは「求職中きゅうしょくちゅう」の旗本はたもと差配さはいしていた。

 そして今回こんかいように12人もの旗本はたもと番入ばんいり西之丸にしのまる書院番しょいんばんは4番組ばんぐみへと新規しんき補充ほじゅう番入ばんいりさせるともなると、1組の小普請組こぶしんぐみにだけその「供出きょうしゅつ」をめいじるのではなく、いくつかの小普請組こぶしんぐみけ、その「供出きょうしゅつ」をめいずるのが通常つうじょうであった。

 そして、どこのくみ何人なんにん旗本はたもと供出きょうしゅつめいずるか、それを実際じっさいめるのは老中ろうじゅうであり、将軍しょうぐんではない。

 老中ろうじゅう協議きょうぎおこない、その決定けってい老中ろうじゅうより若年寄わかどしよりかいして、小普請組こぶしんぐみ支配しはいへとつたえられる。

 もっとも、その老中ろうじゅうとてめるのはあくまで、

「どのくみに、何人なんにん旗本はたもとを…」

 その程度ていどおおまかな割当わりあ程度ていどであり、

「どのくみ誰某だれそれを…」

 具体的ぐたいてき旗本はたもと名前なまえまでげるわけではない。

 だれを「供出きょうしゅつ」するか、それは「供出きょうしゅつ」をめいぜられた個々ここ小普請組こぶしんぐみまかせられる。

 だが今回こんかいの「供出きょうしゅつ」、もとい西之丸にしのまる書院番しょいんばん4番組ばんぐみへの「新規しんき補充ほじゅう」は通常つうじょうのそれとはいささか、事情じじょうことなる。

 それと言うのも、今回こんかいの「新規しんき補充ほじゅう」は、

一橋ひとつばし治済はるさだによる次期じき将軍しょうぐん家基いえもと暗殺あんさつ阻止そし

 それが目的もくてきであるためだ。

 それゆえ、いつもの「新規しんき補充ほじゅう」のように、個々ここ小普請組こぶしんぐみにその「人選じんせん」を丸投まるなげするというわけにはいかなかった。つまりは、

だれでも…」

 無作為むさくいに、というわけにはいかない。

一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりのないもの…」

 それが「最低さいてい条件じょうけん」であった。

 そこで将軍しょうぐん家治いえはるはまず田沼たぬま意次おきつぐたいして直々じきじきに、

意次おきつぐが、これは、とおもものえらべ…」

 そうめいじたのであった。

 意次おきつぐ一橋ひとつばし治済はるさだと「内通ないつう」していないことはあきらかであり、そこで家治いえはる意次おきつぐたいしては、

全面的ぜんめんてき信頼しんらいして…」

 その人選じんせんまかしたのであった。

 結果けっか意次おきつぐ長谷川はせがわ平蔵へいぞうえらび、そのうえで、平蔵へいぞう信頼しんらいするものをも一緒いっしょ番入ばんいりさせることにした。

 将軍しょうぐん家治いえはる意次おきつぐ信頼しんらいしているように、意次おきつぐもまた、平蔵へいぞう信頼しんらいしていたのだ。

 平蔵へいぞう意次おきつぐ信頼しんらいこたえるべく、義弟ぎてい大久保おおくぼ勝次郎かつじろうとそれに「兄貴分あにきぶん」の兼松かねまつ又四郎またしろうげた。

 かくして、長谷川はせがわ平蔵へいぞう大久保おおくぼ勝次郎かつじろう兼松かねまつ又四郎またしろうの3人が「内定ないてい」した次第しだいである。

 するとのこり9人、この9人の人選じんせんについても家治いえはる当初とうしょ意次おきつぐにその人選じんせんまかせようとした。

 だがそれを意次おきつぐ固辞こじした。

首座しゅざ御側御用取次おそばごようとりつぎ差置さしおいて…」

 意次おきつぐ老中ろうじゅうなかでは唯一ゆいいつ奥兼帯おくけんたい将軍しょうぐん居所きょしょである中奥なかおく出入でいりがゆるされ、つ、将軍しょうぐん家治いえはる御側近おそばちかくにつかえることがゆるされていた。

 だが老中ろうじゅうなかではあくまで末席まっせきであり、にもかかわらず、筆頭ひっとうである首座しゅざ松平まつだいら右近将監うこんのしょうげん武元たけちかや、さらには中奥なかおく最高さいこう長官ちょうかんたる稲葉いなば越中守えっちゅうのかみ正明まさあきら横田よこた筑後守ちくごのかみ準松のりとしたちを、

差置さしおいて…」

 意次おきつぐ一人ひとりで、西之丸にしのまる4番組ばんぐみ番入ばんいりさせるべき12人全員ぜんいんめてしまえば、彼等かれらからうらみを危険性リスクがありた。

 いや松平まつだいら武元たけちかはそのようなことで意次おきつぐうらほどちいさな人間にんげんではない。

 だが稲葉いなば正明まさあきら横田よこた準松のりとしについては、さしもの意次おきつぐなんとも自信じしんがない。

 あるいは意次おきつぐうら可能性かのうせいがあった。

 そこで意次おきつぐのこる9人については松平まつだいら武元たけちか稲葉いなば正明まさあきら横田よこた準松のりとしの3人でめてくれるよう家治いえはるこいねがったのだ。

 家治いえはる意次おきつぐかる心中しんちゅう理解りかいし、意次おきつぐねがどおり、のこる9人の人選じんせんについては武元たけちか正明まさあきら準松のりとしの3人にまかせることとし、3人にそのむねめいじたのであった。

 するとそのなか一人ひとり稲葉いなば正明まさあきら家治いえはるたいして、

おそれながら…、若年寄わかどしより水野みずの出羽でわ人選じんせん召加めしくわえられましては…」

 そう上申じょうしんしたのだ。

 それと言うのも、水野みずの出羽でわこと出羽守でわのかみ忠友ただとも家治いえはるかつての「御伽おとぎ」であったからだ。

 家治いえはる正明まさあきらのこの上申じょうしんもっともであるとおおいにかんり、そこで正明まさあきらすすめにしたがって、忠友ただともをも人選じんせんくわえると同時どうじに、正明まさあきらへの信頼しんらい益々ますますふかめた。

 と言っても、のこりの9人全員ぜんいん松平まつだいら武元たけちか稲葉いなば正明まさあきら横田よこた準松のりとし水野みずの忠友ただともの4人だけでめたわけではない。

 これは意次おきつぐにもまることだが、彼等かれら個々ここ旗本はたもとの「背景はいけい」についてまでは、すなわち、

一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりがあるかいなか…」

 流石さすがにそこまでは把握はあくしていなかったからだ

 それでも松平まつだいら武元たけちかおのれ家臣かしんの「所縁ゆかり」をたよりに唯一人ただひとり植村うえむら多宮たみや政恒まさつねだけは推挙すいきょすることが出来できた。

 植村うえむら多宮たみや岡野おかの外記げき支配しはいする小普請組こぶしんぐみ所属しょぞくするりょう番家筋ばんいえすじ旗本はたもとであり、すで元服げんぷくしており、一昨年おととし、安永元(1772)年12月に家督かとくいでいたが、しかし、将軍しょうぐん家治いえはるへのはじめての御目見おめみ所謂いわゆるはつ御目見得おめみえはまだであった。

 にもかかわらず、何故なにゆえ老中ろうじゅう、それも筆頭ひっとうたる首座しゅざ松平まつだいら武元たけちかかる、将軍しょうぐんへの御目見得おめみえもまだませてはいない、まさしく、

一介いっかいの…」

 旗本はたもと存在そんざい把握はあくしているのかというと、それは彼者かのものすなわ植村うえむら多宮たみや松平まつだいら武元たけちか家臣かしん伊藤いとう郡八祐忠ぐんぱちすけただむすめめとっていたからだ。

 それゆえ松平まつだいら武元たけちか植村うえむら多宮たみや唯一人ただひとり家基いえもとの「SP」として推挙すいきょすることが出来できた。

 横田よこた準松のりとしもまた、武元たけちかおなじく1人を推挙すいきょすることが出来でき、これはおのれの「所縁ゆかり」をたよった。

 すなわち、横田よこた準松のりとし推挙すいきょしたのは渡邊わたなべ圖書支配ずしょしはい小普請組こぶしんぐみぞくする石川いしかわ造酒助みきのすけ政平まさひらであるのだが、この石川いしかわ造酒助みきのすけ準松のりとし分家ぶんけすじたる横田よこた安之丞やすのすけ松容としもり実妹じつまいめとっていたのだ。

 一方いっぽう水野みずの忠友ただともはこれよりも1人おおい、2人を推挙すいきょした。

 すなわち、神尾かんお春由はるより支配しはい飯河いいかわ他四郎たしろう信門のぶかど牧野まきの傳蔵でんぞう支配しはい柴田しばた半助勝壽はんすけかつながの2人である。

 水野みずの忠友ただとも家治いえはるから「人選じんせん」をめいじられたさい、その「目的もくてき」については当然とうぜん把握はあくしていた。

 と言っても忠友ただとももまた、個々ここ旗本はたもとくわしい経歴キャリアについて、それも、

一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりがあるかいなか…」

 それを把握はあくしているわけではない。

 そこで忠友ただとも小普請組こぶしんぐみ支配しはい牧野まきの傳蔵でんぞうたよった。

 それと言うのも牧野まきの傳蔵でんぞう忠友ただともにとっては義弟ぎてい実妹じつまいおっとたるからだ。

牧野まきの傳蔵でんぞう相談そうだんすれば、あるいは…」

 傳蔵でんぞう支配下しはいかにある旗本はたもと、それもりょう番家筋ばんいえすじ旗本はたもとうちから一橋ひとつばし治済はるさだとは所縁ゆかりのない旗本はたもと見繕みつくろってくれるやもれぬと、忠友ただともはそれを期待きたいして、義弟ぎていにして小普請組こぶしんぐみ支配しはい牧野まきの傳蔵でんぞう相談そうだん持掛もちかけたのであった。

 それにたいして牧野まきの傳蔵でんぞうもやはり、忠友同様ただともどうよう組下くみか旗本はたもとを、その身元みもとについて一々いちいち把握はあくしているわけではなく、これをたしかめるとしたならば、すなわち、

一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりがないりょう番家筋ばんいえすじ旗本はたもと…」

 それをるには畢竟ひっきょう直属ちょくぞく部下ぶかである組頭くみがしらたよらざるをない。

 小普請こぶしん組頭くみがしらなれば組下くみか旗本はたもとくわしい身元みもとについて一々いちいち把握はあくしていた。

 小普請こぶしんぐみには1くみにつき2人の組頭くみがしらはいされており、牧野まきの傳蔵でんぞう支配しはいする小普請こぶしんぐみには佐々さっさ彦大夫ひこだゆう政晴まさはる加藤かとう幸次郎こうじろう正顕まさあきらの2人が組頭くみがしらとしてはいされていた。

 そこで牧野まきの傳蔵でんぞうはこの2人にたいして、

組下くみかからりょう番家筋ばんいえすじなかでも一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりなき旗本はたもとつけせ…」

 そう指示しじあたえた。

 結果けっか佐々さっさ彦大夫ひこだゆう加藤かとう幸次郎こうじろうの2人は柴田しばた半助勝壽はんすけかつながなる旗本はたもとつけした。

 この柴田しばた半助はんすけだが、一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりがないばかりか、田沼たぬま意次おきつぐうす所縁ゆかりがあった。

 すなわち、柴田しばた半助はんすけもと一橋ひとつばし家老かろう山木やまき織部正おりべのかみ伴明ともあきらむすめかしめとっていた。

 もと一橋ひとつばし家老かろうというのはいささか、かるものの、しかし山木やまき伴明ともあきら家老かろうつとめていたのは3年前ねんまえの明和8(1771)年10月までであり、すで一橋家ひとつばしけ当主とうしゅであった治済はるさだとはとくしたしいというはなしかない。

 なにより、かし山木やまき伴明ともあきらむすめとはばかりで、実際じっさいには養女ようじょであり、めいであった。

 すなわち、かし西之丸にしのまる小姓組番こしょうぐみばんつとめた佐脇さわき傳十郎でんじゅうろう安愼やすちか次女じじょなのだが、かし実父じっぷ佐脇さわき傳十郎でんじゅうろう山木やまき伴明ともあきら実弟じっていでもあった。

 そして山木やまき伴明ともあきらにはもう一人ひとり、やはりくらなるめい養女ようじょむかえていた。

 このくら伴明ともあきら実妹じつまい―、佐脇さわき傳十郎でんじゅうろうにとっては実姉じっしたるかしわ大番おおばんであった坂本百助貞義さかもとももすけさだよしとのあいだした次女じじょであり、伴明ともあきらそだてられたのち山木やまき五郎左衛門ごろざえもん正篤まさあつもとへととついだ。

 山木やまき五郎左衛門ごろざえもん正篤まさあつと言えば、去年きょねん田沼たぬま意誠おきのぶ孫娘まごむすめつる祝言しゅうげんげた山木やまき八十八やそはち正富まさとみ実父じっぷである。

 山木やまき五郎左衛門ごろざえもんとついだくらすで歿ぼっし、八十八やそはち後妻ごさいであったが、ともあれ一時いっとき柴田しばた半助はんすけ妻女さいじょむかえたかしともに、山木やまき伴明ともあきらそだてられた過去かこがあった。

 そうであればかしくら、そして山木家やまきけかいして田沼家たぬまけとも所縁ゆかりがあると、強弁きょうべんすることも不可能ふかのうではなかった。

 かる次第しだい佐々さっさ彦大夫ひこだゆう加藤かとう幸次郎こうじろう柴田しばた半助はんすけ支配しはい牧野まきの傳蔵でんぞう売込うりこんだ次第しだいであり、このときさらに、

神尾かんお若狭守わかさのかみさま支配しはい飯河いいかわ他四郎たしろうめも番入ばんいりさせましては…」

 そうすすめたのであった。

 けば飯河いいかわ他四郎たしろう叔母おばはあの山木やまき五郎左衛門ごろざえもん正篤まさあつ後妻ごさいだと言うのである。

 山木やまき五郎左衛門ごろざえもんくら先立さきだたれるや、まずは西之丸にしのまる書院番しょいんばん菅谷すげのや八郎兵衛はちろべえ政峰まさみね実姉じっし後妻ごさいむかえ、しかしこれにも先立さきだたれるや、いで西之丸にしのまる小姓組番こしょうぐみばん加藤かとう彌次郎やじろう明武あきたけ実姉じっしめとり、するとようやくに子宝こだからめぐまれ、それこそが田沼たぬま意誠おきのぶ孫娘まごむすめつるむすばれた八十八やそはちであった。

 それが宝暦14(1764)年のことであり、しかし産後さんご肥立ひだちがわるかったらしく、八十八やそはちんでもなくして歿ぼっしてしまい、そこで山木やまき五郎左衛門ごろざえもんさらに、飯河いいかわ他四郎たしろう叔母おば後妻ごさいむかえ、八十八やそはちそだてさせたのであった。

 それゆえ山木やまき八十八やそはちにとってはこの飯河いいかわ他四郎たしろう叔母おばこそがそだてのははであり、つるにとってはしゅうとめたる。

 かくして牧野まきの傳蔵でんぞう配下はいか組頭くみがしらより上申じょうしんされた柴田しばた半助はんすけと、それにくみこそちがうが飯河いいかわ他四郎たしろうの2人の名前なまえをそのまま、義兄ぎけい水野みずの忠友ただともつたえたのであった。

 水野みずの忠友ただとも飯河いいかわ他四郎たしろう柴田しばた半助はんすけの2人の旗本はたもと将軍しょうぐん家治いえはるへと推挙すいきょ出来できたのはかる背景はいけいがあったためだ。

 そして稲葉いなば正明まさあきらのこる5人を家治いえはる推挙すいきょしたのだ。すなわち、

有馬采女支配ありまうねめしはい大岡おおおか彌右衛門やえもん忠順ただとも

堀三六郎ほりさぶろくろう支配しはい大久保おおくぼ又八郎またはちろう忠俊ただとし

長田おさだ越中守えっちゅうのかみ支配しはい加々爪かがづめ藤八郎とうはちろう保孝やすたか

青山あおやま主馬支配しゅめしはい上野うえの伴次郎ともじろう資徳すけのり

岡野おかの外記げき支配しはい権太ごんた八郎はちろう泰俊やすとし

 以上いじょうの5人である。

 正明まさあきらはこの5人の推薦すいせん理由りゆうについて一々いちいち家治いえはる説明せつめいした。

 まず大岡おおおか彌右衛門やえもんだが、長崎奉行ながさきぶぎょうとしてその任地にんちにて歿ぼっした大岡おおおか美濃守みののかみ忠移ただより養嗣子ようししにして、じつ旗奉行はたぶぎょうつとめた大岡おおおか播磨守はりまのかみ忠恒ただつね次男じなんであり、この忠恒ただつね実兄じっけいこそが彼有名かのゆうめいなる「大岡越前おおおかえちぜん」こと大岡おおおか越前守えちぜんのかみ忠相ただすけである。

 つまり大岡おおおか彌右衛門やえもんにとっては大岡忠相おおおかただすけじつおいたり、

「されば八代様はちだいさま取立とりたてあそばされし大岡越前おおおかえちぜんじつおいともあらば、越前えちぜん受継うけつぎ…」

 正邪せいじゃべつあやまることはなく、つまりは治済はるさだ取込とりこまれることはないと、正明まさあきら家治いえはる大岡おおおか彌右衛門やえもん推薦すいせん理由りゆう説明せつめいした。

 家治いえはるもこの推薦すいせん理由りゆうにはおおいにかんった。とりわけ、「八代様はちだいさま」というフレーズが家治いえはるおおいに刺激しげきした。家治いえはるは「八代様はちだいさま」こと八代はちだい将軍しょうぐん吉宗よしむね崇拝すうはいしていたからだ。

 かくして家治いえはるはまず大岡おおおか彌右衛門やえもん番入ばんいりみとめた。

 稲葉いなば正明まさあきらいで家治いえはる推薦すいせんした大久保おおくぼ又八郎またはちろう家治いえはる実弟じってい清水しみず重好しげよし所縁ゆかりものであった。

 すなわち、大久保おおくぼ又八郎またはちろうちち吉之丞きちのすけ忠興ただおきははらくとのあいだまれたであるのだが、この実母じつぼらく清水家臣しみずかしん坂井さかい外記げき成富なりとみ実妹じつまいであった。つまり大久保おおくぼ又八郎またはちろうにとってはじつ伯父おじ清水家臣しみずかしんというわけだ。

 そればかりか、坂井さかい外記げきらく兄妹きょうだいのこれまたじついもうと坂井さかいしょうして西之丸にしのまる大奥おおおくにて家基附いえもとづき中臈ちゅうろうとしてつかえていた。

 かる次第しだいでこの大久保おおくぼ又八郎またはちろうもまた、一橋ひとつばし治済はるさだ取込とりこまれる危険きけんはないと、正明まさあきら家治いえはる太鼓判たいこばんし、家治いえはるもこれにはやはりおおいにうなずかされ、大久保おおくぼ又八郎またはちろう番入ばんいりさせることとした。

 清水家しみずけ所縁ゆかりものと言えば、加々爪かがづめ藤八郎とうはちろうにしても同様づようであった。

 すなわち、加々爪かがづめ藤八郎とうはちろう実母じつぼしま頼母たのも元孝もとたか長女ちょうじょであるのだが、次女じじょ、つまりは加々爪かがづめ藤八郎とうはちろう実母じつぼ実妹じつまい、それもしたいもうと寄合よりあい中島なかじま備前守びぜんのかみ行道ゆきみちもとへととついでいた。

 この中島行道なかじまゆきみち実弟じってい大三郎だいざぶろう行和ゆきのぶ清水家臣しみずかしんであったのだ。

 のみならず、実妹じつまい―、中島行道なかじまゆきみち実妹じつまいにして、大三郎だいざぶろうにとっては実姉じっし清水しみず重好しげよし母堂ぼどう安祥院あんしょういんつかえていたのだ。

 しかも中島行道なかじまゆきみちたち三兄妹弟さんきょうだいみな松平まつだいら又十郎またじゅうろう親春ちかはる三女さんじょははつ。

 この松平まつだいら又十郎またじゅうろう安祥院あんしょういん養父ようふであり、それゆえ中島行道なかじまゆきみち三兄妹弟さんきょうだいかたちうえでは安祥院あんしょういんとは叔母おばおいめい関係かんけいにあった。

 かる次第しだいで、清水家しみずけ所縁ゆかりのある加々爪かがづめ藤八郎とうはちろうもまた、一橋ひとつばし治済はるさだ取込とりこまれることはないと、正明まさあきらはやはり家治いえはるにそう太鼓判たいこばんし、家治いえはるもそれをしんじてこの加々爪かがづめ藤八郎とうはちろうをも番入ばんいりさせることにした。

 一方いっぽう上野うえの伴次郎ともじろう権太ごんた八郎はちろうの2人だが、これは一橋ひとつばし治済はるさだ所縁ゆかりものであるとの説明せつめい正明まさあきらよりされ、家治いえはるかお強張こわばらせた。

 愛息あいそく家基いえもと一橋ひとつばし治済はるさだの「毒牙どくが」からまもための「新規しんき補充ほじゅう」、家基いえもとの「SP」ともぶべき西之丸にしのまる書院番しょいんばん陣容じんよう強化きょうかしようと言うに、何故なにゆえ態々わざわざ治済はるさだ所縁ゆかりもの推挙すいきょするのかと、家治いえはるかお強張こわばらせつつ、正明まさあきらにその真意しんいただした。

「されば…、一橋ひとつばし民部卿殿みんぶのきょうどの真実まこと大納言様だいなごんさま暗殺あんさつたくらんでおられれば、おの所縁ゆかりもの西之丸にしのまる書院番しょいんばんへと番入ばんいりせしを好機こうき…、暗殺あんさつ絶好ぜっこう好機こうきとらえ、かならずや、この2人に…、上野うえの伴次郎ともじろうめと権太ごんた八郎はちろうめに接触せっしょくつに相違そういなく…」

成程なるほど…、そこをさえれば、治済はるさだめの謀叛むほんあかしてられるというわけだの?」

「いえ、流石さすがにそこまでは…、ただ接触せっしょくちましただけでは、民部卿殿みんぶのきょうどののこと、いくらでも言逃いいのがれをいたしましょうぞ…、なれどかり民部卿殿みんぶのきょうどの真実まこと大納言様だいなごんさま暗殺あんさつたくらみ、そのため上野うえの伴次郎ともじろうめと権太ごんた八郎はちろうめの2人と接触せっしょくちましたならば、かならずやどくを…」

治済はるさだめは毒殺どくさつかんがえているともうすか?」

御意ぎょい…、それしかほか暗殺あんさつ手口てぐちかんがえられず…」

 たしかに、と家治いえはるおもった。

「さればこのどく…、上野うえの伴次郎ともじろうか、あるいは権太ごんた八郎はちろうか、それはかりませぬが、放鷹ほうようおりにでも…」

治済はるさだめは鷹狩たかがりの利用りようして家基いえもと暗殺あんさつを、それも毒殺どくさつかんがえておるともうすのか?」

御意ぎょい…、されば御城えどじょう…、殿中でんちゅうにおきましては、大納言様だいなごんさま身辺しんぺん、とりわけ御毒見おどくみ体制たいせいかたく、毒殺どくさつ容易よういではなく…、なれど放鷹ほうようなど外出がいしゅつおりには自然しぜんと…」

毒見どくみ体制たいせいゆるむともうすのだな?」

御意ぎょい…、こと放鷹ほうようおりには書院番しょいんばん…、表向おもてむきばん上様うえさま大納言様だいなごんさま近付ちかづくことも容易よういなれば…」

 表向おもてむきばん御城えどじょうなか中奥なかおくにいる将軍しょぐんあるいは次期じき将軍しょうぐん近付ちかづくことはむずかしい。

 しかし軍事ぐんじ訓練くんれんである鷹狩たかがりともなるとはなしべつで、正明まさあきらもうとおり、鷹狩たかがりの「主役しゅやく」とも言うべき表向おもてむきばん将軍しょうぐんあるいは次期じき将軍しょうぐん近付ちかづくことも容易よういであった。

「されば…、その上野うえのなにがしか、あるいは権太ごんたなにがしか、ともあれ治済はるさだよりたくされしどく家基いえもとふくませようとすると、正明まさあきら左様さようておるのだな?」

御意ぎょい…、されば大納言様だいなごんさま放鷹ほうようおり上野うえの伴次郎ともじろう権太ごんた八郎はちろう、この両名りょうめいうごきを注意深ちゅういぶか観察かんさつすればかならずや…」

家基いえもとどくふくませようとせし現場げんばさえられるともうすのだな?」

御意ぎょい…、さればそのときこそ、芋蔓式いもづるしきに…」

上野うえのなにがしか、権太ごんたなにがしか、ともあれ、この両名りょうめい辿たどって治済はるさだへと辿たどけるともうすのだな?」

御意ぎょい…、上野うえの伴次郎ともじろうか、あるいは権太ごんた八郎はちろうか、そのいずれかが大納言様だいなごんさま一服いっぷくろうとせし現場げんばさえられれば、上野うえの伴次郎ともじろうにしろ、権太ごんた八郎はちろうにしろ、最早もはやこれまでと観念かんねんし、民部卿殿みんぶのきょうどの御名おなすに相違そういなく…」

「さすれば治済はるさだめも、最早もはや言逃いいのがれは出来できないともうすのだな?」

御意ぎょい…、さればこと大納言様だいなごんさま放鷹ほうようおり、この上野うえの伴次郎ともじろう権太ごんた八郎はちろう両名りょうめい一挙手一投足いっきょしゅいっとうそく注意ちゅういはらうことが肝要かんようかと…」

徹底的てっていてき監視かんしせよ、ともうすのだな?」

御意ぎょい…」

相分あいわかった…、それはほかの10人…、平蔵へいぞうらにまかせようぞ…」

おそれながら…、それは如何いかがなものかと…」

「ともうすと?」

「10人全員ぜんいん…、此度こたび、4番組ばんぐみへと番入ばんいりさせし12人のうち上野うえの伴次郎ともじろう権太ごんた八郎はちろう、この両名りょうめいのぞきし10人に上野うえの伴次郎ともじろう権太ごんた八郎はちろう両名りょうめい監視かんしを、それも大納言様だいなごんさま放鷹ほうようさいしての監視かんしめいじあそばされれば、このことが上野うえの伴次郎ともじろう権太ごんた八郎はちろうへとつたわるおそれ、きにしもあらず…」

「10人のなかにも治済はるさだめにつうずるおそれがあるものがおるともうすのか?」

「それはかりませぬ…、いえ、からぬからこそ、必要最小限ひつようさいしょうげんものにだけ監視かんしを…、上野うえの伴次郎ともじろうならびに権太ごんた八郎はちろう、この両名りょうめい監視かんしめいじあそばされましては…」

必要最小限ひつようさいしょうげん、とな?」

御意ぎょい…、されば田沼主殿たぬまとのも推挙すいきょせし、長谷川はせがわ平蔵へいぞう大久保おおくぼ勝次郎かつじろう兼松かねまつ又四郎またしろうのこの3名にのみ監視かんしめいじあそばされましては…」

「ほう…、意次おきつぐ推挙すいきょせし3人に、とな?」

 家治いえはる乗出のりだして正明まさあきらたしかめるようたずねた。

御意ぎょい…、田沼主殿たぬまとのも推挙すいきょせしものなれば、民部卿殿みんぶのきょうどのつうずることはかんがえられず…」

 正明まさあきらのその言葉ことば家治いえはるふかうなずいた。

 一方いっぽう、その陪席ばいせきしていた意次おきつぐは、「おやっ?」とおもった。

 それと言うのも正明まさあきら意次おきつぐ嫉妬しっとし、なにかとかたきにすることがおおかったからだ。

 それがそのよう評価ひょうかをするとは意次おきつぐには意外いがいであった。

 ともあれ正明まさあきらはそれから上野うえの伴次郎ともじろうならびに権太ごんた八郎はちろう、この両名りょうめい治済はるさだとの所縁ゆかりについて家治いえはる説明せつめいした。

 まず上野うえの伴次郎ともじろうだが、じつ伯父おじである上野うえの忠左衛門ちゅうざえもん資虎すけとら一橋ひとつばし家臣かしんであった。

 一方いっぽう権太ごんた八郎はちろうだが、実弟じってい松之助まつのすけ信副のぶすけ表右筆おもてゆうひつ吉田よしだ長五郎ちょうごろう信脩のぶよし養嗣子ようししとしてむかえられており、この吉田よしだ長五郎ちょうごろうじつ長女ちょうじょ一橋ひとつばし大奥おおおくにてつかえていたのだ。吉田よしだ松之助まつのすけにとっては義理ぎりとはもうせ、あねたるそのもの一橋館ひとつばしやかたにてつかえていた。

 治済はるさだ真実まこと家基いえもと毒殺どくさつかんがえているならば、これらの「所縁ゆかり」を見逃みのがはずはないと、正明まさあきら家治いえはる念押ねんおしした。

 家治いえはる正明まさあきらのその言葉ことばうなずかされると、あらためて意次おきつぐたいして、長谷川はせがわ平蔵へいぞう大久保おおくぼ勝次郎かつじろう兼松かねまつ又四郎またしろうの3名にこの上野うえの伴次郎ともじろう権太ごんた八郎はちろう両名りょうめいへの監視かんし申付もうしつけるようめいじたのであった。

 かくして彼等かれら9人もまた、平蔵へいぞうたちととも番入ばんいりたしたのでった。
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