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一橋治済は御側御用取次の稲葉正明を介して、まずは落ち目の平御側、小笠原若狭守信喜に逢い、その倅・大隅守信賢を大いに持ち上げる。
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何か小笠原宗準たちに密かに逢う方法はないものか、そう考えていた治済に対して、天野康壽は更にもう一つ、耳寄りな情報を齎してくれた。
それは小笠原信賢の実父は何と、本丸にて御側衆を相勤める小笠原若狭守信喜だと言うのである。
次期将軍・家基の伽に選ばれるぐらいだから皆、大身旗本の倅であろうことは、治済にも見当が付いていた。
が、まさか御側衆の倅であったとは、治済も驚きであった。
「3人の中でも小笠原大隅は御伽に任じられた頃より既に父、小笠原若狭は御本丸にて上様の御側衆を相勤むる身でありました故…」
「小笠原大隅が周囲に対して自が身を…、家基公の伽たる自が身を笠に着られたのも、父、小笠原若狭が威光もあったればこそ、かえ?」
「御意…、小笠原大隅は小笠原播磨や岡部隠岐よりも遅れて御伽に召加えられたにもかかわらず…」
「3人の中では一番、態度が大きかった、かえ?」
「御意…、まぁ、小笠原播磨も大納言様の御伽に任じられた当初―、宝暦13(1763)年師走の時点ではその父、小笠原越中守長恒は小普請組支配を相勤め、その翌年の明和元(1764)年7月には御本丸の小姓組番頭へと進まれましたが…」
「小普請組支配にしろ、小姓組番頭にしろ、重職ではあるものの、御側衆に較ぶれば、見劣りがするのう…」
「御意…、ましてや岡部隠岐に至りましては父、岡野源太左衛門長説は一介の寄合に過ぎず…」
「寄合、とな…」
「それはその昔、御側衆なり、小姓組番頭なりを勤めて、という訳ではなく?」
「如何にも…、岡部家の家督を…、3千石を継ぎし頃より、その家督を息、隠岐に譲るまでの間、ずっと…」
寄合、平たく言えば無職であったという訳だ。
その様な父、源太左衛門を持つ岡部隠岐こと隠岐守長貴が良くも次期将軍・家基の伽に取立てられたものだと、治済は首を傾げた。
すると、そうと察した天野康壽がその「絵解き」をしてくれた。
「されば岡部隠岐が叔母の夫であります丸毛一學政良や、それに分家筋の岡部河内守一徳の尽力があったと、聞及んでおりまする…」
丸毛一學にしろ、岡部一徳にしろ、治済の聞覚えのある名であった。
「岡部河内と申さば、小納戸頭取ではあるまいか…」
「御意…、まぁ、宝暦13(1763)年の時点におきましては未だ、一介の小納戸にて…」
「左様であったか…、いや、ともあれ3人の伽の中では本丸側衆を父に持つ小笠原大隅が突出していたという訳だの?」
「御意…、されば小笠原播磨と岡部隠岐は、その小笠原大隅の陰に隠れて…」
「笠に着ていた…、己よりも格下相手に横柄に振舞っていたと申すのだな?」
「御意…」
「全く…、情けない奴等よのう…」
「如何にも…、大納言様は、それに上様も、その点を特に毛嫌いされた御様子にて…」
成程と、治済は頷かされた。
家治や家基が毛嫌いするのも理解出来た。
これで己一人の料簡にて、格下相手とは言え、横柄に振舞っていたのなら、まだ許せよう。
だが、そうではなく、こともあろうに後輩の陰に隠れる格好で格下相手に横柄に振舞っていたとは、それこそ身の毛もよだつ程の醜悪さであった。
「いや、小笠原播磨と小笠原大隅は自が振舞いにより、御伽の職を奪われ、すると父にもその影響が…」
「と申すと?」
「されば小笠原播磨の場合、最前、申上げました通り、明和5(1768)年2月に御伽の職を奪われ、未だ大納言様が御不在の西之丸へと、小姓として追やられるは、その三月後の5月には御本丸の小姓組番頭を相勤めていた父、小笠原越中もやはり西之丸へと、書院番頭へと追いやられましてござりまする…」
「書院番頭のう…」
「御意…、成程、書院番頭と小姓組番頭とでは、書院番頭の方が格上なれど…」
「当主不在の西之丸書院番頭と、上様や、更には次期将軍までがおわす本丸小姓組番頭では、のう…」
「御意…、明らかに本丸小姓組番頭の方が格上と申すものにて…」
「さもあろう…、して、今一人、小笠原大隅が父、小笠原若狭だが、今でも本丸の御側衆の筈だが?」
「御意…、なれど御側衆の中では大分、力を落としていると…」
それは治済も初耳であり、目を丸くした。
「そうであったか…」
「されば今、御側衆においては小笠原若狭に替わり、津田日向と…、日向守信之と水野山城守政勝の2人が今、一番の権勢を誇り、その権勢たるや、御側衆の筆頭たる御用取次をも凌ぐものが…」
「津田日向と申さば、家基公が御母堂、於千穂の方様の舎弟にて、つまり津田日向と家基公とは叔父と甥の関係によって、その津田日向が御側衆―、平御側とは申せ、その筆頭の御用取次をも凌ぐ権勢を誇るのも頷けるが、なれど何故に水野山城までが?」
「されば水野山城が息、本次郎貞利が三月程前の2月に大納言様の御伽に取立てられましてござりまする…」
「と申すからには、その水野の倅とやらも、家基公の御寵愛が篤い伽である、とか?」
「御意…、されば大納言様の御伽は溝口金彌と水野本次郎、それに津田日向が息の金之丞信久の3人にて、この3人が大納言様の御寵愛を夫々、等しく受けておりまする…」
「津田日向の倅までが伽であったか…、いや、家基公とは従兄弟同士の間柄故、伽には最も相応しいやも知れぬが…」
「御意…、年齢も一つ違い…、大納言様が津田金之丞よりも一つ上にて…」
「されば家基公は兄の様であるな…」
「御意…、これまでの御伽は皆、大納言様よりも年上にて…」
「それが初めて年下の伽に恵まれたことで、家基公は兄の様に振舞い、それが嬉しい、といったところであろう?」
「御意…、尤も、それは先に御伽に召加わりました溝口金彌や、それに水野本次郎にも当て嵌まりまするが…」
「溝口金彌もやはり、家基公より年下であったか…」
「御意…、されば大納言様におかせられては、初めての弟はこの溝口金彌と申せましょう…」
「確か、明和7(1770)年に伽に取立てられたのであったな、溝口金彌は…」
「御意…、その翌年の明和8(1771)年師走は8日に小笠原大隅が御伽より西之丸へと遷り、その直前の朔日…、師走の朔日に津田金之丞が御伽に取立てられましてござりまする…」
「そうであったか…」
「溝口金彌もまた、大納言様よりも一つ年下にて…」
「されば津田とは同い年という訳かの?」
「御意…」
「して、水野の倅は…」
「九つにて…」
「家基公は元より、溝口金彌や津田の倅にとっても弟の様な存在であるの…」
「御意…、ともあれ大納言様におかせられては3人の弟御を持ちましたのも同然にて…」
「それで家基公は弟分の3人を等しく寵愛しているという訳だの?」
「御意…」
「それがそのまま、父の権勢へと繋がったという訳だの?」
「御意…」
それで治済には津田信之は元より、水野政勝までが平御側の身でありながら、筆頭の御用取次をも凌ぐ権勢を誇っていることに頷けた。
「ときに…、溝口金彌が父は…」
治済は思い出したかの様に尋ねた。
「されば溝口金彌が父、溝口大膳直之もまた寄合にて…」
「それでは岡部と同じではあるまいか…」
「御意…」
「されば岡部と同様、何処ぞの有力なる筋から?」
「御明察…、されば溝口大膳が妻女…、溝口金彌が実母は西之丸大上臈を勤めし梅薗が養女にて…」
「成程…、溝口大膳は大奥筋に頼んで倅の金彌を家基公が伽として押込んだと?」
「御意…、上様におかせられましても、大奥、それも梅薗が存在は無視し難く…」
「それで…、溝口金彌を家基公の伽に取立てたと申すのだな?」
「御意…」
「その口振りから察するに、上様におかせられては溝口大膳がことは余り買ってはおらぬのではあるまいか?」
「またまた御明察にて…、と申しますよりは全く…」
「成程…、それでも溝口金彌は結果としては家基公が寵愛を得られ、良かったのではあるまいか?」
「御意…、上様もその点につきましては良かったと…」
「左様か…、いや、実に良く分かったぞ」
治済は天野康壽を労うと早速、稲葉正明に連絡を取ることにした。
無論、今は落目の平御側、小笠原若狭守信喜に繋ぎを取る為であった。
まずは小笠原信喜を調略し、次いでその息、大隅守信賢を調略するのが狙いであった。
小笠原信賢をも調略出来れば、小笠原播磨守宗準や岡部隠岐守長貴までも調略が可能であった。
そこで治済はその翌日、御城へと登城するなり、御側御用取次の稲葉正明を掴まえるや、世間話を装い、小笠原信喜との「懇談」の場を用意することを頼んだのであった。
それから更に数日後、5月の中旬、治済は稲葉正明の屋敷にて小笠原信喜と逢うことが出来た。
小笠原信喜は己がすっかり落目の平御側であるのを誰よりも自覚しており、にもかかわらず、こうして天下の将軍家たる御三卿の一橋治済が態々、落目の己に逢ってくれたことに素直に感謝した。
治済はそんな小笠原信喜の姿を目の当たりにして内心、ほくそ笑んだ。これで愈々、調略がし易い、というものであるからだ。
尤も、治済は直ぐには本題に入ることはなかった。
まずは小笠原信喜を大いに持上げることに終始した。
即ち、小笠原信喜こそが本来、御側衆の筆頭たる御用取次に相応しいと、信喜をそう持上げ、すると間に控えていた稲葉正明も治済のその意見、もとい「ヨイショ」に相槌を打ってみせた。
こうして小笠原信喜を大いに気持ち良くさせたところで、治済は思い出したかの様に本題に入った。
「そういえば貴殿には確か、御子息がおられたのう…」
「ははっ…、信賢なる愚息がおりましてござりまする…」
「ははっ…、愚息などと謙遜が過ぎ様ぞ…、何しろ家基公が御伽として仕え奉っていたのだからな…」
治済がそう告げると、信喜の表情が曇った。
「それは…、3年前までの話にて…」
「そうであったの明和8(1771)年の師走の確か、8日であったかの、今の西之丸小姓へと遷られ、その丁度、1週間前の朔日には津田日向が倅が御伽に取立てられ…、なれど津田日向が倅は家基公が従弟という以外には何の取柄もなく、それに引換え、貴殿が息、信賢は人物識見共に優れており、正に次期将軍の御伽の鏡であったと専らの評判ぞえ?」
治済は平然と嘘をついた。
だが小笠原信喜はそうとも気付かずに真に受けた。
治済は信喜の様子からそうと察すると内心、嘲笑った。信喜のその莫迦さ加減を嗤っていたのだ。
無論、治済はそれは表面にはおくびにも出さずにあくまで殊勝な態度を貫きつつ、そこで漸くに、
「ついては小笠原信賢にも逢うてみたいものよのう…」
信喜にそう本題を切出したのであった。
すると信喜は治済のこの面会希望を勿論、諒承し、近く治済に倅・信賢を連れて来ることを約束したのであった。
それは小笠原信賢の実父は何と、本丸にて御側衆を相勤める小笠原若狭守信喜だと言うのである。
次期将軍・家基の伽に選ばれるぐらいだから皆、大身旗本の倅であろうことは、治済にも見当が付いていた。
が、まさか御側衆の倅であったとは、治済も驚きであった。
「3人の中でも小笠原大隅は御伽に任じられた頃より既に父、小笠原若狭は御本丸にて上様の御側衆を相勤むる身でありました故…」
「小笠原大隅が周囲に対して自が身を…、家基公の伽たる自が身を笠に着られたのも、父、小笠原若狭が威光もあったればこそ、かえ?」
「御意…、小笠原大隅は小笠原播磨や岡部隠岐よりも遅れて御伽に召加えられたにもかかわらず…」
「3人の中では一番、態度が大きかった、かえ?」
「御意…、まぁ、小笠原播磨も大納言様の御伽に任じられた当初―、宝暦13(1763)年師走の時点ではその父、小笠原越中守長恒は小普請組支配を相勤め、その翌年の明和元(1764)年7月には御本丸の小姓組番頭へと進まれましたが…」
「小普請組支配にしろ、小姓組番頭にしろ、重職ではあるものの、御側衆に較ぶれば、見劣りがするのう…」
「御意…、ましてや岡部隠岐に至りましては父、岡野源太左衛門長説は一介の寄合に過ぎず…」
「寄合、とな…」
「それはその昔、御側衆なり、小姓組番頭なりを勤めて、という訳ではなく?」
「如何にも…、岡部家の家督を…、3千石を継ぎし頃より、その家督を息、隠岐に譲るまでの間、ずっと…」
寄合、平たく言えば無職であったという訳だ。
その様な父、源太左衛門を持つ岡部隠岐こと隠岐守長貴が良くも次期将軍・家基の伽に取立てられたものだと、治済は首を傾げた。
すると、そうと察した天野康壽がその「絵解き」をしてくれた。
「されば岡部隠岐が叔母の夫であります丸毛一學政良や、それに分家筋の岡部河内守一徳の尽力があったと、聞及んでおりまする…」
丸毛一學にしろ、岡部一徳にしろ、治済の聞覚えのある名であった。
「岡部河内と申さば、小納戸頭取ではあるまいか…」
「御意…、まぁ、宝暦13(1763)年の時点におきましては未だ、一介の小納戸にて…」
「左様であったか…、いや、ともあれ3人の伽の中では本丸側衆を父に持つ小笠原大隅が突出していたという訳だの?」
「御意…、されば小笠原播磨と岡部隠岐は、その小笠原大隅の陰に隠れて…」
「笠に着ていた…、己よりも格下相手に横柄に振舞っていたと申すのだな?」
「御意…」
「全く…、情けない奴等よのう…」
「如何にも…、大納言様は、それに上様も、その点を特に毛嫌いされた御様子にて…」
成程と、治済は頷かされた。
家治や家基が毛嫌いするのも理解出来た。
これで己一人の料簡にて、格下相手とは言え、横柄に振舞っていたのなら、まだ許せよう。
だが、そうではなく、こともあろうに後輩の陰に隠れる格好で格下相手に横柄に振舞っていたとは、それこそ身の毛もよだつ程の醜悪さであった。
「いや、小笠原播磨と小笠原大隅は自が振舞いにより、御伽の職を奪われ、すると父にもその影響が…」
「と申すと?」
「されば小笠原播磨の場合、最前、申上げました通り、明和5(1768)年2月に御伽の職を奪われ、未だ大納言様が御不在の西之丸へと、小姓として追やられるは、その三月後の5月には御本丸の小姓組番頭を相勤めていた父、小笠原越中もやはり西之丸へと、書院番頭へと追いやられましてござりまする…」
「書院番頭のう…」
「御意…、成程、書院番頭と小姓組番頭とでは、書院番頭の方が格上なれど…」
「当主不在の西之丸書院番頭と、上様や、更には次期将軍までがおわす本丸小姓組番頭では、のう…」
「御意…、明らかに本丸小姓組番頭の方が格上と申すものにて…」
「さもあろう…、して、今一人、小笠原大隅が父、小笠原若狭だが、今でも本丸の御側衆の筈だが?」
「御意…、なれど御側衆の中では大分、力を落としていると…」
それは治済も初耳であり、目を丸くした。
「そうであったか…」
「されば今、御側衆においては小笠原若狭に替わり、津田日向と…、日向守信之と水野山城守政勝の2人が今、一番の権勢を誇り、その権勢たるや、御側衆の筆頭たる御用取次をも凌ぐものが…」
「津田日向と申さば、家基公が御母堂、於千穂の方様の舎弟にて、つまり津田日向と家基公とは叔父と甥の関係によって、その津田日向が御側衆―、平御側とは申せ、その筆頭の御用取次をも凌ぐ権勢を誇るのも頷けるが、なれど何故に水野山城までが?」
「されば水野山城が息、本次郎貞利が三月程前の2月に大納言様の御伽に取立てられましてござりまする…」
「と申すからには、その水野の倅とやらも、家基公の御寵愛が篤い伽である、とか?」
「御意…、されば大納言様の御伽は溝口金彌と水野本次郎、それに津田日向が息の金之丞信久の3人にて、この3人が大納言様の御寵愛を夫々、等しく受けておりまする…」
「津田日向の倅までが伽であったか…、いや、家基公とは従兄弟同士の間柄故、伽には最も相応しいやも知れぬが…」
「御意…、年齢も一つ違い…、大納言様が津田金之丞よりも一つ上にて…」
「されば家基公は兄の様であるな…」
「御意…、これまでの御伽は皆、大納言様よりも年上にて…」
「それが初めて年下の伽に恵まれたことで、家基公は兄の様に振舞い、それが嬉しい、といったところであろう?」
「御意…、尤も、それは先に御伽に召加わりました溝口金彌や、それに水野本次郎にも当て嵌まりまするが…」
「溝口金彌もやはり、家基公より年下であったか…」
「御意…、されば大納言様におかせられては、初めての弟はこの溝口金彌と申せましょう…」
「確か、明和7(1770)年に伽に取立てられたのであったな、溝口金彌は…」
「御意…、その翌年の明和8(1771)年師走は8日に小笠原大隅が御伽より西之丸へと遷り、その直前の朔日…、師走の朔日に津田金之丞が御伽に取立てられましてござりまする…」
「そうであったか…」
「溝口金彌もまた、大納言様よりも一つ年下にて…」
「されば津田とは同い年という訳かの?」
「御意…」
「して、水野の倅は…」
「九つにて…」
「家基公は元より、溝口金彌や津田の倅にとっても弟の様な存在であるの…」
「御意…、ともあれ大納言様におかせられては3人の弟御を持ちましたのも同然にて…」
「それで家基公は弟分の3人を等しく寵愛しているという訳だの?」
「御意…」
「それがそのまま、父の権勢へと繋がったという訳だの?」
「御意…」
それで治済には津田信之は元より、水野政勝までが平御側の身でありながら、筆頭の御用取次をも凌ぐ権勢を誇っていることに頷けた。
「ときに…、溝口金彌が父は…」
治済は思い出したかの様に尋ねた。
「されば溝口金彌が父、溝口大膳直之もまた寄合にて…」
「それでは岡部と同じではあるまいか…」
「御意…」
「されば岡部と同様、何処ぞの有力なる筋から?」
「御明察…、されば溝口大膳が妻女…、溝口金彌が実母は西之丸大上臈を勤めし梅薗が養女にて…」
「成程…、溝口大膳は大奥筋に頼んで倅の金彌を家基公が伽として押込んだと?」
「御意…、上様におかせられましても、大奥、それも梅薗が存在は無視し難く…」
「それで…、溝口金彌を家基公の伽に取立てたと申すのだな?」
「御意…」
「その口振りから察するに、上様におかせられては溝口大膳がことは余り買ってはおらぬのではあるまいか?」
「またまた御明察にて…、と申しますよりは全く…」
「成程…、それでも溝口金彌は結果としては家基公が寵愛を得られ、良かったのではあるまいか?」
「御意…、上様もその点につきましては良かったと…」
「左様か…、いや、実に良く分かったぞ」
治済は天野康壽を労うと早速、稲葉正明に連絡を取ることにした。
無論、今は落目の平御側、小笠原若狭守信喜に繋ぎを取る為であった。
まずは小笠原信喜を調略し、次いでその息、大隅守信賢を調略するのが狙いであった。
小笠原信賢をも調略出来れば、小笠原播磨守宗準や岡部隠岐守長貴までも調略が可能であった。
そこで治済はその翌日、御城へと登城するなり、御側御用取次の稲葉正明を掴まえるや、世間話を装い、小笠原信喜との「懇談」の場を用意することを頼んだのであった。
それから更に数日後、5月の中旬、治済は稲葉正明の屋敷にて小笠原信喜と逢うことが出来た。
小笠原信喜は己がすっかり落目の平御側であるのを誰よりも自覚しており、にもかかわらず、こうして天下の将軍家たる御三卿の一橋治済が態々、落目の己に逢ってくれたことに素直に感謝した。
治済はそんな小笠原信喜の姿を目の当たりにして内心、ほくそ笑んだ。これで愈々、調略がし易い、というものであるからだ。
尤も、治済は直ぐには本題に入ることはなかった。
まずは小笠原信喜を大いに持上げることに終始した。
即ち、小笠原信喜こそが本来、御側衆の筆頭たる御用取次に相応しいと、信喜をそう持上げ、すると間に控えていた稲葉正明も治済のその意見、もとい「ヨイショ」に相槌を打ってみせた。
こうして小笠原信喜を大いに気持ち良くさせたところで、治済は思い出したかの様に本題に入った。
「そういえば貴殿には確か、御子息がおられたのう…」
「ははっ…、信賢なる愚息がおりましてござりまする…」
「ははっ…、愚息などと謙遜が過ぎ様ぞ…、何しろ家基公が御伽として仕え奉っていたのだからな…」
治済がそう告げると、信喜の表情が曇った。
「それは…、3年前までの話にて…」
「そうであったの明和8(1771)年の師走の確か、8日であったかの、今の西之丸小姓へと遷られ、その丁度、1週間前の朔日には津田日向が倅が御伽に取立てられ…、なれど津田日向が倅は家基公が従弟という以外には何の取柄もなく、それに引換え、貴殿が息、信賢は人物識見共に優れており、正に次期将軍の御伽の鏡であったと専らの評判ぞえ?」
治済は平然と嘘をついた。
だが小笠原信喜はそうとも気付かずに真に受けた。
治済は信喜の様子からそうと察すると内心、嘲笑った。信喜のその莫迦さ加減を嗤っていたのだ。
無論、治済はそれは表面にはおくびにも出さずにあくまで殊勝な態度を貫きつつ、そこで漸くに、
「ついては小笠原信賢にも逢うてみたいものよのう…」
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