73 / 119
殺意の日光社参 ~一橋治済はあえて一橋家と所縁のある者を日光社参への扈従の列から外すことで、彼等に家治や意次への憎悪を募らせる~
しおりを挟む
安永4(1775)年11月11日、御目見得医師の池原雲伯良誠が同じく御目見得医師の千賀道隆久頼共々、将軍・家治に近侍する本丸奥医師に取立てられ、その二月後の閏12月11日に法眼に叙されたことは、幕府医官の間に波紋を投ずることになった。
否、一橋治済の意を受けた番医師の遊佐卜庵信庭が投じたのだ。
「池原良誠にしろ、千賀久頼にしろ、田沼意次と親しいものだから、それで我等、番医を飛越えて、いきなり奥医師に取立てられたのだ…、あまつさえ池原良誠に至っては来春に予定されている上様の日光御社参の扈従までが叶い、これもまた意次の仕業である…」
遊佐信庭は斯かる噂もとい虚言を番医師の間にバラ撒いたのだ。
すると治済が「期待」した通りの「効果」が現れた。
即ち、番医師の中では天野良順敬登が大いに「反応」した。それは勿論、
「池原憎し」
それが昂じての、
「意次憎し」
その「反応」であった。
天野敬登は番外科、つまりは外科医であり、31年前に番外科に取立てられた謂わば「古株」であった。
尤も、無駄に年次を重ねているだけで、外科医としての腕は、
「いまひとつ…」
もっとはっきり言えば無能であった。
にもかかわらず、番外科に列せられたのは|偏《ひとえ」に、天野敬登が番医の家柄に生まれた為であり、これが例えば池原良誠や千賀久頼と同じく町医者であったならば、
「絶対に…」
御目見得医師には取立てられなかったであろう。
つまり池原良誠にしろ千賀久頼にしろ、医者としての腕が将軍・家治に認められたからこそ、御目見得医師、次いで奥医師に取立てられたのであった。
無論、池原良誠と千賀久頼の二人は確かに意次とは親しく、また御側御用取次の稲葉正明からの「推挙」も、家治に二人を奥医師へと取立てさせた謂わば、「重要なファクター」になったであろうが、しかしだからと言ってこの二人に医者としての実力がなくば、如何に寵臣の意次と親しかろうとも、稲葉正明からの推挙があろうとも、家治は二人を奥医師に取立てたりはしまい。家治はそこまで甘くはない。
日光社参にしてもそうである。
それと言うのも稲葉正明は池原良誠と共に、千賀久頼をも日光社参に扈従させるべく、家治にその旨、進言に及んだ。
幕府医官の中で日光社参に扈従、随行出来るのは本丸奥医師に限られ、その内、本道、内科よりは3人の奥医師が扈従することになっていた。
そこで稲葉正明は奥医師に取立てられたばかりの池原良と千賀久頼に加えて、森雲禎當定の3人を扈従させることを提案したのだ
だが、家治はその提案を認めなかったのだ。
「池原良誠と森當定の二人を扈従させることについては、余も異存はないが、なれど千賀久頼については、法印の河野仙壽院通頼を差置いて扈従させることは罷りならぬ…」
河野通頼は本丸奥医師の中では唯一の法印であった。
法印は法眼よりも格上、と言ってもそれが千賀久頼を扈従させない理由ではなかった。
あくまで医者として河野通頼の方が千賀久頼よりも技量に勝れていたからだ。
本丸奥医師、それも本道である内科において最も技量に優れているのが河野通頼と新たに奥医師に召加えた池原良誠の2人であり、それに森當定が続き、千賀久頼は森當定の下に位置付けられる。
そこで家治としては池原良誠とは「同列首位」で並ぶ河野通頼を差置いて千賀通頼を扈従させる訳にはいかないと、稲葉正明からの進言を拒否したのであった。
家治は側近、寵臣からの進言であれば、
「何でも…」
ハイハイと認める将軍では決してない。
一方、意次にしても池原良誠と千賀久頼の二人に目をかけていたのもやはり、医者としての実力があったからで、そうでなくば、やはりそもそも目をかけたりはしまい。
だが外科医として無能な天野敬登はそうは考えず、
「池原良誠にしろ、千賀久頼にしろ、意次と親しいから奥医師に取立てられたのだ…、あまつさえ池原良誠は日光社参への扈従までが許されおってからに…」
その考え、否、邪推に囚われ、治済が期待した通り、「池原憎し」、「意次憎し」の感情を沸き上がらせた。その上で、
「意次めの申すことならば、何でもハイハイと応ずる上様も上様ぞ…」
天野敬登は将軍・家治への不満をも生じさせたのであった。治済にとっては真実に以て理想的な展開と言えた。
否、天野敬登に止まらず、番医においては外にも峯岸春庵瑞興が治済の望む「反応」を示してくれたのだ。
尤もこれには同じく番医師の中川專庵義方に「活躍」して貰った。
「本来ならば、二月程前、奥医師に取立てられる筈だったのこの中川專庵と峯岸殿、そなたであったのだ…、それお意次めが横槍を入れ…、自が目をかけし池原雲伯と千賀久頼の二人に差換え…、上様にその儀、おねだり申上げ、上様も意次の申すことならばと、これを…、我等ではなく、池原雲伯と千賀久頼の二人を奥医師に取立てることを認められ、あまつさえ池原雲伯めは来春の日光社参への扈従までが認められたのだ…」
中川義方が峯岸瑞興へとそう吹込んだのであった。
勿論、そんな事実はない。にもかかわらず、中川義方が斯かる虚言を峯岸瑞興へと吹込んだのは偏に、実の兄に「洗脳」されてのことである。
中川義方は実は本丸書院番士を勤めた久野伊兵衛豊法が三男に生まれ、小普請医師であった中川專庵瑞芳の養嗣子に迎えられ、その家を継いで番医師に列せられた訳だが、久野伊兵衛が次男、即ち、中川義方が直ぐ上の兄は何と、一橋家臣、それも治済の近習番の久野三郎兵衛芳矩であったのだ。
治済は側近の久野三郎兵衛芳矩を使嗾、嗾けてその「虚言」を実弟の中川義方へと吹込ませたのであった。
だが、如何に中川義方とて、まともな判断力があれば、如何に実の兄の申すこととは言え、容易には信じなかったであろう。
だが実際には中川義方はその虚言を容易に信じた訳で、そこには素地が、つまりは中川義方の「判断力」を喪失させる素地が用意されていた。
それを用意したのはやはりと言うべきか、治済その人であり、久野三郎兵衛・中川義方兄弟の実の甥にして、今の久野家の当主である伊兵衛宗房が日光社参への扈従の列から外されたのだ。
久野伊兵衛宗房は従六位布衣役の本丸小十人組番の番頭の御役にあり、小十人組番と言えば、小姓組番や書院番、新番と並ぶ将軍の「SP」を勤める番方、武官であり、それ故、日光社参の様な将軍の外出時には勿論、将軍を護るべく扈従する。
事実、久野伊兵衛を除いた6人の小十人頭は配下の組頭や番士を率いて日光社参に扈従することになっていた。
それが唯一、久野伊兵衛だけは配下の組頭や番士共々、「お留守番」を命じられたのであった。
それもこれも偏に、治済の「策」による。
敢えて一橋家とは少しでも所縁のある者を日光社参への扈従の列から外すことで、
「意次めは一橋家を嫌い、そこで一橋家に対する嫌がらせから、一橋家とは少しでも所縁のある者を日光社参への扈従の列から外そうとし、上様も意次を寵愛、それも盲目的に寵愛しており、意次の申すことならばと、唯々諾々、一橋家へのその嫌がらせ、仕打ちを認められたのだ…」
彼等、一橋家と所縁のある、且つ日光社参に扈従する資格のある者にそう思わせるのが一橋家の当主たる治済の狙いであった。
治済はその為にやはり稲葉正明に命じて、日光社参への扈従の列、随行員のリストを作らせ、家治にそれを認めさせたのであった。
無論、家治とて、それに唯々諾々とそれに従った訳ではないことは奥医師の件でも明らかだが、しかし家治が異議を述べたのはその程度であり、殆んどは御側御用取次たる、それも筆頭の稲葉正明を信じて、正明の作成したその「リスト」に従った。
正明は常に一橋家に厳しい姿勢を取続け、それが家治の全幅の信頼を勝ち得る素となった。
無論、それが治済の狙いであり、日光社参の「リスト」にしても治済が仕掛けた「罠」、実は治済に内通している正明を嗾けての「罠」だとは、さしもの家治も気付かずに、である。
結果、治済のその狙いは見事に的中し、その「筆頭」は何と言っても、久野伊兵衛であろう。
久野伊兵衛は小十人組番は7番組の頭であるのだが、着任したのは今から6年前の明和6(1769)年2月のことであり、3番組の頭である山中平吉鐘俊に次いでの古株であった。
つまりはあとの5人の頭は皆、久野伊兵衛の「後輩」ということだ。
殊に6番組の頭である神尾内記元雅は今年、安永4(1775)年の7月に番頭に着任したばかりである。
そうであればこの一番の新人たる神尾内記こそが「お留守番」を掌るべきところであろう。
それが蓋を開けてみれば、最古参の山中平吉に次ぐ古参の己が「お留守番」とは―、久野伊兵衛は治済が予想した通り、大いに落胆したものである。
そこへ治済は実の叔父にして、己に近習として仕える久野三郎兵衛を久野伊兵衛の許へと差向け、
「本来、小十人組番の番頭においては一番の若手の神尾内記が留守を預かるべきところ、神尾内記は金の力で…、意次めに賂を贈ってそれを回避し、見事、日光社参への扈従の座を勝ち得た…、否、そなたから簒奪致したのだ…」
久野三郎兵衛より久野伊兵衛へと斯かる虚言を吹込ませたのであった。
それに対して久野伊兵衛はと言うと、叔父・久野三郎兵衛の申すことに、その実、虚言に半分は理解出来たものの、しかし残る半分は理解出来なかった。
その残る半分とは外でもない、
「何故に己なのか…」
という点であった。
即ち、神尾内記に替わって「お留守番」を申付けるべき小十人頭など、まだ外にもいる、ということであった。
例えば4番組の頭である土岐左兵衛朝秋がそうだ。
土岐左兵衛もまた、神尾内記と同じく、安永4(1775)年に小十人組番の番頭に、それも4番組の頭として着任した。
但し、土岐左兵衛は神尾内記よりも早い、正月に着任したので、神尾内記の「先輩」と言えた。
それでも久野伊兵衛にしてみればその土岐左兵衛も神尾内記同様、「後輩」に当たるので、そうであれば神尾内記に替えて「お留守番」を申付けるべき相手は土岐左兵衛でも良かった筈だ。
否、この時代における「絶対正義」とも言える「年功序列」の観点からして、当然、そうあるべきだった。
にもかかわらず、その「絶対正義」に抗ってまで、最古参に次ぐ年次を誇る己が何故に、後輩に差置かれる格好で「お留守番」を命じられなければならないのかと、久野伊兵衛はそれが理解出来ずに大いに唇を噛締めた。
そこで叔父・久野三郎兵衛は治済に命じられていた通り、
「それがどうやら…、意次めは何故かは分からぬが、大の一橋嫌いの様子にて…、恐らくは自が出自が卑しく、それが為に、それとは正反対に由緒正しき筋目の一橋家が気に入らないのであろう、そこで小十人組番においては、唯一、一橋家と所縁のある…、一橋家臣たるこの身を叔父に持つそなたを…、そなただけを日光山への御社参に扈従させずに、御城にて留守をさせようと、上様にその儀、進言致したそうな…、無論、上様におかせられては…、上様までが意次同様、一橋嫌いとも思えず、なれど意次の申すことならばと、唯々諾々、それに従われたらしい…」
久野伊兵衛にそう「止め」を刺したのであった。
これで久野伊兵衛は治済が期待した通り、
「おのれ…、意次め…」
意次に対する憎悪を募らせたのであった。
治済は更に、久野三郎兵衛を使嗾、実弟にして番医師の中川義方までも、甥・久野伊兵衛に対するのと、
「同じ手口」
で以て、「意次憎し」へと洗脳したのであった。
否、中川義方に対しては更に、
「本丸奥医師の件にしてもそうだ…、本来ならば義方よ、そなたとそれに峯岸春庵殿が11月に本丸奥医師に取立てられる筈であったのだ…、にもかかわらず意次めが、やはり大の一橋嫌いから、それに横槍を入れ、自が目をかけし池原雲伯めと千賀道隆めの両名へと差替えたのだ…」
久野三郎兵衛はそうも付加えたのだ。無論、治済の指図による。
すると中川義方は兄・久野三郎兵衛のこの「虚言」を真に受け、「意次憎し」の感情を決定的なものにさせた。
と同時に峯岸瑞興にもこの件を伝えた。
それと言うのも中川義方は峯岸瑞興が舎弟、勝四郎瑞照を養嗣子に迎えていたからだ。
且つ、甥である久野伊兵衛が長女を、中川義方にとっては姪孫をこの養嗣子である勝四郎瑞照は娶っていたのだ。
その為、峯岸瑞興もまた、中川義方を介して、「一橋家所縁の者」に色分けされる。
かくして中川義方は兄・久野三郎兵衛より伝え聞いたその「虚言」を、「虚言」とも気付かずに、
「そのまま…」
峯岸瑞興へと更に伝えたのであった。
この頃には既に治済の意を受けた遊佐信庭もまた、番医の間に件の「虚言」を拡散めており、峯岸瑞興もまた、天野敬登同様、遊佐信庭のその「虚言」は耳にしていた。
但し、峯岸瑞興の場合、天野敬登程には自意識過剰ではなく、それ故、天野敬登とは異なり、
「容易には…」
遊佐信庭の「虚言」を信じなかった。
だがそこへ中川義方までが峯岸瑞興に「虚言」を、それも、己と峯岸瑞興が本丸奥医師に取立てられる筈であったと、そうも付加えたことから、これで峯岸瑞興も、
「完全に…」
まともな判断力を喪った。
「本来ならば己が中川義方と共に本丸奥医師に取立てられる筈であったとは…」
峯岸瑞興はそう思い込むと、天野敬登同様、意次への憎悪を募らせ、それが更に将軍・家治への憎悪へと転化したのであった。
否、一橋治済の意を受けた番医師の遊佐卜庵信庭が投じたのだ。
「池原良誠にしろ、千賀久頼にしろ、田沼意次と親しいものだから、それで我等、番医を飛越えて、いきなり奥医師に取立てられたのだ…、あまつさえ池原良誠に至っては来春に予定されている上様の日光御社参の扈従までが叶い、これもまた意次の仕業である…」
遊佐信庭は斯かる噂もとい虚言を番医師の間にバラ撒いたのだ。
すると治済が「期待」した通りの「効果」が現れた。
即ち、番医師の中では天野良順敬登が大いに「反応」した。それは勿論、
「池原憎し」
それが昂じての、
「意次憎し」
その「反応」であった。
天野敬登は番外科、つまりは外科医であり、31年前に番外科に取立てられた謂わば「古株」であった。
尤も、無駄に年次を重ねているだけで、外科医としての腕は、
「いまひとつ…」
もっとはっきり言えば無能であった。
にもかかわらず、番外科に列せられたのは|偏《ひとえ」に、天野敬登が番医の家柄に生まれた為であり、これが例えば池原良誠や千賀久頼と同じく町医者であったならば、
「絶対に…」
御目見得医師には取立てられなかったであろう。
つまり池原良誠にしろ千賀久頼にしろ、医者としての腕が将軍・家治に認められたからこそ、御目見得医師、次いで奥医師に取立てられたのであった。
無論、池原良誠と千賀久頼の二人は確かに意次とは親しく、また御側御用取次の稲葉正明からの「推挙」も、家治に二人を奥医師へと取立てさせた謂わば、「重要なファクター」になったであろうが、しかしだからと言ってこの二人に医者としての実力がなくば、如何に寵臣の意次と親しかろうとも、稲葉正明からの推挙があろうとも、家治は二人を奥医師に取立てたりはしまい。家治はそこまで甘くはない。
日光社参にしてもそうである。
それと言うのも稲葉正明は池原良誠と共に、千賀久頼をも日光社参に扈従させるべく、家治にその旨、進言に及んだ。
幕府医官の中で日光社参に扈従、随行出来るのは本丸奥医師に限られ、その内、本道、内科よりは3人の奥医師が扈従することになっていた。
そこで稲葉正明は奥医師に取立てられたばかりの池原良と千賀久頼に加えて、森雲禎當定の3人を扈従させることを提案したのだ
だが、家治はその提案を認めなかったのだ。
「池原良誠と森當定の二人を扈従させることについては、余も異存はないが、なれど千賀久頼については、法印の河野仙壽院通頼を差置いて扈従させることは罷りならぬ…」
河野通頼は本丸奥医師の中では唯一の法印であった。
法印は法眼よりも格上、と言ってもそれが千賀久頼を扈従させない理由ではなかった。
あくまで医者として河野通頼の方が千賀久頼よりも技量に勝れていたからだ。
本丸奥医師、それも本道である内科において最も技量に優れているのが河野通頼と新たに奥医師に召加えた池原良誠の2人であり、それに森當定が続き、千賀久頼は森當定の下に位置付けられる。
そこで家治としては池原良誠とは「同列首位」で並ぶ河野通頼を差置いて千賀通頼を扈従させる訳にはいかないと、稲葉正明からの進言を拒否したのであった。
家治は側近、寵臣からの進言であれば、
「何でも…」
ハイハイと認める将軍では決してない。
一方、意次にしても池原良誠と千賀久頼の二人に目をかけていたのもやはり、医者としての実力があったからで、そうでなくば、やはりそもそも目をかけたりはしまい。
だが外科医として無能な天野敬登はそうは考えず、
「池原良誠にしろ、千賀久頼にしろ、意次と親しいから奥医師に取立てられたのだ…、あまつさえ池原良誠は日光社参への扈従までが許されおってからに…」
その考え、否、邪推に囚われ、治済が期待した通り、「池原憎し」、「意次憎し」の感情を沸き上がらせた。その上で、
「意次めの申すことならば、何でもハイハイと応ずる上様も上様ぞ…」
天野敬登は将軍・家治への不満をも生じさせたのであった。治済にとっては真実に以て理想的な展開と言えた。
否、天野敬登に止まらず、番医においては外にも峯岸春庵瑞興が治済の望む「反応」を示してくれたのだ。
尤もこれには同じく番医師の中川專庵義方に「活躍」して貰った。
「本来ならば、二月程前、奥医師に取立てられる筈だったのこの中川專庵と峯岸殿、そなたであったのだ…、それお意次めが横槍を入れ…、自が目をかけし池原雲伯と千賀久頼の二人に差換え…、上様にその儀、おねだり申上げ、上様も意次の申すことならばと、これを…、我等ではなく、池原雲伯と千賀久頼の二人を奥医師に取立てることを認められ、あまつさえ池原雲伯めは来春の日光社参への扈従までが認められたのだ…」
中川義方が峯岸瑞興へとそう吹込んだのであった。
勿論、そんな事実はない。にもかかわらず、中川義方が斯かる虚言を峯岸瑞興へと吹込んだのは偏に、実の兄に「洗脳」されてのことである。
中川義方は実は本丸書院番士を勤めた久野伊兵衛豊法が三男に生まれ、小普請医師であった中川專庵瑞芳の養嗣子に迎えられ、その家を継いで番医師に列せられた訳だが、久野伊兵衛が次男、即ち、中川義方が直ぐ上の兄は何と、一橋家臣、それも治済の近習番の久野三郎兵衛芳矩であったのだ。
治済は側近の久野三郎兵衛芳矩を使嗾、嗾けてその「虚言」を実弟の中川義方へと吹込ませたのであった。
だが、如何に中川義方とて、まともな判断力があれば、如何に実の兄の申すこととは言え、容易には信じなかったであろう。
だが実際には中川義方はその虚言を容易に信じた訳で、そこには素地が、つまりは中川義方の「判断力」を喪失させる素地が用意されていた。
それを用意したのはやはりと言うべきか、治済その人であり、久野三郎兵衛・中川義方兄弟の実の甥にして、今の久野家の当主である伊兵衛宗房が日光社参への扈従の列から外されたのだ。
久野伊兵衛宗房は従六位布衣役の本丸小十人組番の番頭の御役にあり、小十人組番と言えば、小姓組番や書院番、新番と並ぶ将軍の「SP」を勤める番方、武官であり、それ故、日光社参の様な将軍の外出時には勿論、将軍を護るべく扈従する。
事実、久野伊兵衛を除いた6人の小十人頭は配下の組頭や番士を率いて日光社参に扈従することになっていた。
それが唯一、久野伊兵衛だけは配下の組頭や番士共々、「お留守番」を命じられたのであった。
それもこれも偏に、治済の「策」による。
敢えて一橋家とは少しでも所縁のある者を日光社参への扈従の列から外すことで、
「意次めは一橋家を嫌い、そこで一橋家に対する嫌がらせから、一橋家とは少しでも所縁のある者を日光社参への扈従の列から外そうとし、上様も意次を寵愛、それも盲目的に寵愛しており、意次の申すことならばと、唯々諾々、一橋家へのその嫌がらせ、仕打ちを認められたのだ…」
彼等、一橋家と所縁のある、且つ日光社参に扈従する資格のある者にそう思わせるのが一橋家の当主たる治済の狙いであった。
治済はその為にやはり稲葉正明に命じて、日光社参への扈従の列、随行員のリストを作らせ、家治にそれを認めさせたのであった。
無論、家治とて、それに唯々諾々とそれに従った訳ではないことは奥医師の件でも明らかだが、しかし家治が異議を述べたのはその程度であり、殆んどは御側御用取次たる、それも筆頭の稲葉正明を信じて、正明の作成したその「リスト」に従った。
正明は常に一橋家に厳しい姿勢を取続け、それが家治の全幅の信頼を勝ち得る素となった。
無論、それが治済の狙いであり、日光社参の「リスト」にしても治済が仕掛けた「罠」、実は治済に内通している正明を嗾けての「罠」だとは、さしもの家治も気付かずに、である。
結果、治済のその狙いは見事に的中し、その「筆頭」は何と言っても、久野伊兵衛であろう。
久野伊兵衛は小十人組番は7番組の頭であるのだが、着任したのは今から6年前の明和6(1769)年2月のことであり、3番組の頭である山中平吉鐘俊に次いでの古株であった。
つまりはあとの5人の頭は皆、久野伊兵衛の「後輩」ということだ。
殊に6番組の頭である神尾内記元雅は今年、安永4(1775)年の7月に番頭に着任したばかりである。
そうであればこの一番の新人たる神尾内記こそが「お留守番」を掌るべきところであろう。
それが蓋を開けてみれば、最古参の山中平吉に次ぐ古参の己が「お留守番」とは―、久野伊兵衛は治済が予想した通り、大いに落胆したものである。
そこへ治済は実の叔父にして、己に近習として仕える久野三郎兵衛を久野伊兵衛の許へと差向け、
「本来、小十人組番の番頭においては一番の若手の神尾内記が留守を預かるべきところ、神尾内記は金の力で…、意次めに賂を贈ってそれを回避し、見事、日光社参への扈従の座を勝ち得た…、否、そなたから簒奪致したのだ…」
久野三郎兵衛より久野伊兵衛へと斯かる虚言を吹込ませたのであった。
それに対して久野伊兵衛はと言うと、叔父・久野三郎兵衛の申すことに、その実、虚言に半分は理解出来たものの、しかし残る半分は理解出来なかった。
その残る半分とは外でもない、
「何故に己なのか…」
という点であった。
即ち、神尾内記に替わって「お留守番」を申付けるべき小十人頭など、まだ外にもいる、ということであった。
例えば4番組の頭である土岐左兵衛朝秋がそうだ。
土岐左兵衛もまた、神尾内記と同じく、安永4(1775)年に小十人組番の番頭に、それも4番組の頭として着任した。
但し、土岐左兵衛は神尾内記よりも早い、正月に着任したので、神尾内記の「先輩」と言えた。
それでも久野伊兵衛にしてみればその土岐左兵衛も神尾内記同様、「後輩」に当たるので、そうであれば神尾内記に替えて「お留守番」を申付けるべき相手は土岐左兵衛でも良かった筈だ。
否、この時代における「絶対正義」とも言える「年功序列」の観点からして、当然、そうあるべきだった。
にもかかわらず、その「絶対正義」に抗ってまで、最古参に次ぐ年次を誇る己が何故に、後輩に差置かれる格好で「お留守番」を命じられなければならないのかと、久野伊兵衛はそれが理解出来ずに大いに唇を噛締めた。
そこで叔父・久野三郎兵衛は治済に命じられていた通り、
「それがどうやら…、意次めは何故かは分からぬが、大の一橋嫌いの様子にて…、恐らくは自が出自が卑しく、それが為に、それとは正反対に由緒正しき筋目の一橋家が気に入らないのであろう、そこで小十人組番においては、唯一、一橋家と所縁のある…、一橋家臣たるこの身を叔父に持つそなたを…、そなただけを日光山への御社参に扈従させずに、御城にて留守をさせようと、上様にその儀、進言致したそうな…、無論、上様におかせられては…、上様までが意次同様、一橋嫌いとも思えず、なれど意次の申すことならばと、唯々諾々、それに従われたらしい…」
久野伊兵衛にそう「止め」を刺したのであった。
これで久野伊兵衛は治済が期待した通り、
「おのれ…、意次め…」
意次に対する憎悪を募らせたのであった。
治済は更に、久野三郎兵衛を使嗾、実弟にして番医師の中川義方までも、甥・久野伊兵衛に対するのと、
「同じ手口」
で以て、「意次憎し」へと洗脳したのであった。
否、中川義方に対しては更に、
「本丸奥医師の件にしてもそうだ…、本来ならば義方よ、そなたとそれに峯岸春庵殿が11月に本丸奥医師に取立てられる筈であったのだ…、にもかかわらず意次めが、やはり大の一橋嫌いから、それに横槍を入れ、自が目をかけし池原雲伯めと千賀道隆めの両名へと差替えたのだ…」
久野三郎兵衛はそうも付加えたのだ。無論、治済の指図による。
すると中川義方は兄・久野三郎兵衛のこの「虚言」を真に受け、「意次憎し」の感情を決定的なものにさせた。
と同時に峯岸瑞興にもこの件を伝えた。
それと言うのも中川義方は峯岸瑞興が舎弟、勝四郎瑞照を養嗣子に迎えていたからだ。
且つ、甥である久野伊兵衛が長女を、中川義方にとっては姪孫をこの養嗣子である勝四郎瑞照は娶っていたのだ。
その為、峯岸瑞興もまた、中川義方を介して、「一橋家所縁の者」に色分けされる。
かくして中川義方は兄・久野三郎兵衛より伝え聞いたその「虚言」を、「虚言」とも気付かずに、
「そのまま…」
峯岸瑞興へと更に伝えたのであった。
この頃には既に治済の意を受けた遊佐信庭もまた、番医の間に件の「虚言」を拡散めており、峯岸瑞興もまた、天野敬登同様、遊佐信庭のその「虚言」は耳にしていた。
但し、峯岸瑞興の場合、天野敬登程には自意識過剰ではなく、それ故、天野敬登とは異なり、
「容易には…」
遊佐信庭の「虚言」を信じなかった。
だがそこへ中川義方までが峯岸瑞興に「虚言」を、それも、己と峯岸瑞興が本丸奥医師に取立てられる筈であったと、そうも付加えたことから、これで峯岸瑞興も、
「完全に…」
まともな判断力を喪った。
「本来ならば己が中川義方と共に本丸奥医師に取立てられる筈であったとは…」
峯岸瑞興はそう思い込むと、天野敬登同様、意次への憎悪を募らせ、それが更に将軍・家治への憎悪へと転化したのであった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
奥遠の龍 ~今川家で生きる~
浜名浅吏
歴史・時代
気が付くと遠江二俣の松井家の明星丸に転生していた。
戦国時代初期、今川家の家臣として、宗太は何とか生き延びる方法を模索していく。
桶狭間のバッドエンドに向かって……
※この物語はフィクションです。
氏名等も架空のものを多分に含んでいます。
それなりに歴史を参考にはしていますが、一つの物語としてお楽しみいただければと思います。
※2024年に一年かけてカクヨムにて公開したお話です。
子供って難解だ〜2児の母の笑える小話〜
珊瑚やよい(にん)
エッセイ・ノンフィクション
10秒で読める笑えるエッセイ集です。
2匹の怪獣さんの母です。12歳の娘と6歳の息子がいます。子供はネタの宝庫だと思います。クスッと笑えるエピソードをどうぞ。
毎日毎日ネタが絶えなくて更新しながら楽しんでいます(笑)
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる