若君様の御側御料人 ~俺の大嫌いな若君様~

ご隠居

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大食漢のお嬢様 2

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 宗介そうすけ岡持おかもちからうなぎ中入丼なかいりどんとそれに海老えび穴子あなご天麩羅てんぷら、そしてやまごきを取出とりだすと、それらの料理りょうりをけいのまえならべた。

「へい、おち…」

 宗介そうすけ最後さいごはし取出とりだすと、それをけいに手渡てわたした。

 けいはそのはし両手りょうて大事だいじそうに押戴おしいただくと、

いただきますっ!」

 おとここえかとおもわせるほど元気げんきこえ挨拶あいさつしてからそれらの料理りょうりはじめた。

 けいのべっぷりもまた、おとこそのものであり、あっというまえならべられた料理りょうりえていく。それら料理りょうりつくった当人とうにんである宗介そうすけとしてはまったって清々すがすがしい光景こうけいであり、つく甲斐がいがあるというものである。

 ただし、けいのその箸使はしづかいたるや、流石さすが山手はたもとの「おじょうさま」だけあって見事みごとなものであった。

 それゆえ、けいのべっぷりはまった下品げひんさをかんじさせず、そのてん

流石さすがちがうな…」

 宗介そうすけにそうおもわせた。

 いや、武家ぶけ子女しじょたるものがそもそも、おとこよう料理りょうりたいらげること自体じたい

「はしたない…」

 そうかんがえられており、たとえば武家ぶけ子女しじょなかでも頂点ちょうてん御台所みだいどころがそうであり、どんなに好物こうぶつであったとしてもはしをつけるのは二膳にぜんまで、それ以上いじょうはしをつけるのは、

無作法ぶさほう…」

 とされていたが、宗介そうすけに言わせればチャンチャラ可笑おかしい。むしろ好物こうぶつをたらふくことこそが作法さほうというものだろう。

 そのようかんがえる宗介そうすけにとって、まえ自分じぶんこしらえた料理りょうりたいらげてくれるけいはまったくもって微笑ほほえましいものであった。

 そしてけいがすべての料理りょうりたいらげると、

「ご馳走ちそうさまでしたっ!」

 やはりおとこよう元気げんき挨拶あいさつをしてせた。
 
 けいはそのうえはしくと、そのちいさな両手りょうてたたみいて、

今日きょう美味おいしい料理りょうり有難ありがとうございましたっ!」

 宗介そうすけ料理りょうりれいべると、やはしそのちいさなあたまげたのであった。ここにもまた、そだちのさがあらわれていた。

 宗介そうすけも、「いえいえ、お粗末そまつさまでした」とあたまげ、いまはもうすっかりカラになったぜん岡持おかもちにしまうと、けいのもと辞去じきょし、ふたたび、「高橋たかはしさん」の案内あんない玄関げんかんへとかった。

 そして玄関げんかんにおいて高橋たかはしさんは、

些少さしょうでは御座ございますが…」

 所謂いわゆるむらさき袱紗ふくさ宗介そうすけ押付おしつけた。今日きょう料理りょうり御代おだいであった。

 宗介そうすけはそれを受取うけとると、しかしそのあつみにかおしかめたものである。

「なぁ…、いつも言ってますけど…、こりゃちと、多過おおすぎですぜ…」

 それが宗介そうすけかおしかめさせた原因げんいんであった。

 むらさき袱紗ふくさあつみからかんがえて今回こんかいも五両はありそうであった。

 宗介そうすけ毎週まいしゅう一回いっかい、けいのためにここ駿河台するがだいにある屋敷やしき出前でまえかよっていた。

 そしてそのたび御代おだいとして高橋たかはしさんから五両もの金子きんすを、それも大金たいきん頂戴ちょうだいしていた。

 だが宗介そうすけ最初さいしょ、それを固辞こじした。

八百膳やおぜん茶漬ちゃづけじゃあるまいし…、いや、八百膳やおぜん茶漬ちゃづけだって五両どころか二両もしない…」

 それが固辞こじ理由りゆうであった。

 いや、宗介そうすけにしても慈善じぜん事業じぎょうとして料理屋りょうりやあきなっているわけではない。

 そうであれば無論むろん御代おだい頂戴ちょうだいするが、しかし、法外ほうがい御代おだい頂戴ちょうだいするつもりも毛頭もうとうなかった。

 宗介そうすけ当初とうしょ、そのむね高橋たかはしさんにげると、五両をかえそうとした。

 だがそれにたいして高橋たかはしさんはと言うと、あたま深々ふかぶかげるばかりで、あくまで受取うけとらない姿勢しせいせた。

 いや、高橋たかはしさんにしても五両の御代おだい法外ほうがいであること承知しょうちしていたであろう。

 それでもなお法外ほうがいとも言える五両もの御代おだい宗介そうすけけたのはほかでもない、

「こりゃ、主君しゅくん…、殿様とのさまめいじられてのことだな…」

 もっと言えば、

おれ大納言だいなごん…、次期じき将軍しょうぐん側近そばちかくにつかえる意英おきふさ叔父おじだからか…」

 それで殿様とのさまは…、けいの親父おやじさんはこのおれに五両のをつけたんだろうと、宗介そうすけはそう合点がてんした。
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