天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

文字の大きさ
41 / 197

一橋治済は御側衆(平御側)の小笠原信喜の案内により将軍・家治の御前に進み出る

しおりを挟む
 西之丸にしのまる入りを果たした、つまりは次期将軍の豊千代とよちよ御側おそば御用ごよう取次とりつぎになれれば、豊千代とよちよが晴れて征夷大将軍として西之丸にしのまるからここ本丸へと移る時には己も西之丸にしのまるから本丸へと、征夷大将軍となった豊千代とよちよの、つまりは本丸の御側おそば御用ごよう取次とりつぎとしてそのまま「スライド」できるからだ。

 今、本丸のあるじは言うまでもなく将軍・家治だが、その家治の御側おそば御用ごよう取次とりつぎになったところでそれほどメリットはない。言葉は悪いが、

「家治はもう下り坂…」

 信喜のぶよしはそう見ていたからだ。それに比して次期将軍に内定ないていした豊千代とよちよはさしずめ、

「これからの人間…」

 そうであれば豊千代とよちよ御側おそば御用ごよう取次とりつぎになった方がはるかにメリットがある。

 それに第一、今はここ本丸にては横田よこた筑後守ちくごのかみ準松のりとし稲葉いなば越中守えっちゅうのかみ正明まさあきらという2人の御側おそば御用ごよう取次とりつぎ鎮座ちんざしており、それに加えて本郷ほんごう伊勢守いせのかみ泰行やすゆきまでが御側おそば御用ごよう取次とりつぎ|見習いとしてひかえていたので、信喜のぶよしが割り込むすきはどこにもなかった。

 それよりも新たに西之丸にしのまるあるじとして、つまりは次期将軍としてむかえられる豊千代とよちよ御側おそば御用ごよう取次とりつぎを目指す方が、

「理に適《かな》っている…」

 というものであろう。豊千代とよちよ御側おそば御用ごよう取次とりつぎになれる可能性の方がはるかに高く、また将来性の点からもその方が良いからだ。

 それには何よりも、っ先に豊千代とよちよ西之丸にしのまる入り、すなわち次期将軍就任に賛成してみせることが絶対条件であり、それゆえ意致おきむねの工作に対して信喜のぶよしっ先に賛成してみせ、のみならず、わざわざ信喜のぶよしの方から一橋ひとつばし邸へと足を運んでは、当主・治済はるさだ忠誠ちゅうせいちかう始末であった。

 打算ださんとはつまりはこういう意味であった。

 その信喜のぶよし宿直とのいであったのだから、これは治済はるさだにとっては正しく、

僥倖ぎょうこう…」

 そうとしか言いようがなかった。

 信喜のぶよし治済はるさだうながされて御控おひかえ座敷ざしきへと入ると、上座かみざ鎮座ちんざする治済はるさだと向かい合うなり、平伏へいふくしようとして、治済はるさだがそれを制した。虚礼を何よりも好む治済はるさだにしてはこれは本当に珍しいことであった。それだけ急いでいるあかしとも言えた。

若狭わかさ殿…」

 治済はるさだは何と、信喜のぶよしに対して「殿」という敬称を用いて呼びかけたのであった。これはもう珍しいを通り越して奇跡きせきと言えた。

「ははぁっ」

 信喜のぶよしもそうと察して、平伏へいふくしてこれにこたえた。

「さればそこもとに頼みがある」

「何なりと…」

「今すぐに上様に目通めどおりをいたしたい…」

「えっ…」

 流石さすが信喜のぶよしは驚き、思わず顔を上げた。

「頼む…、豊千代とよちよのためなのだ…」

 治済はるさだがそう打ち明けると、信喜のぶよしにはそれだけで十分にその意味するところを察して、

かしこまりましてござりまする…」

 そう応じたのであった。

 豊千代とよちよのため…、それはすなわち、

豊千代とよちよ御側おそば御用ごよう取次とりつぎのポストを狙うお前のためでもある…」

 もっと言えば、

豊千代とよちよ御側おそば御用ごよう取次とりつぎになりたいのなら今すぐに上様との面会をセッティングしろ…」

 そういう意味でもあり、そうであれば豊千代とよちよ御側おそば御用ごよう取次とりつぎになりたいと願う信喜のぶよしには元より、豊千代とよちよの実父である治済はるさだの頼みを拒否する選択肢せんたくしはなかった。

 信喜のぶよしは「ははぁっ」と応じると、それから御小座敷之間おこざしきのまへと足を運んだ。

 刻限は既に明の六つ半(午前7時頃)の少し前であり、今頃はもう、将軍は小姓こしょう小納戸こなんどと共に御小座敷之間おこざしきのまのそれも上段じょうだんにて家治が御髪番おぐしばん小姓こしょうかみわせている最中さなかであり、間もなく朝食も運ばれてくるに違いなかった。

 信喜のぶよしはその下段げだんに面した入側いりがわ…、廊下ろうかに足を踏み入れると、下段げだんはさんで上段じょうだんにてその御髪番おぐしばん小姓こしょうかみわせている将軍・家治に対してまずは平伏へいふくした。

 それに対して家治は「おや」という顔をして、

若狭わかさか…」

 そうつぶやくや、「おもてを上げぃ…」と命じた。

 すると信喜のぶよしはすぐに顔を上げ、一方、将軍・家春はそんな信喜のぶよしに対して、

如何いかがいたしたのだ?」

 そう声をかけた。

「ははっ。されば只今ただいま一橋ひとつばし殿がご到着とうちゃく…」

「なに?治済はるさだが参ったと?」

御意ぎょい…、されば一橋ひとつばし殿におかれてはおそれ多くも上様への拝謁はいえつねがたてまつりしよしにて…」

「左様か…、それは今すぐにと?」

御意ぎょい…」

斯様かような格好でもかまわぬのなら、すぐに通せ」

「ははぁっ!」

 信喜のぶよしは再び、平伏へいふくしてから腰を上げると、治済はるさだが待つ御控おひかえ座敷ざしきへと戻り、今の上様こと将軍・家治の言葉を治済はるさだに伝えた上で、信喜のぶよし御小座敷之間おこざしきのまへと治済はるさだを案内したのであった。

 治済はるさだもまた信喜のぶよしの案内により御小座敷之間おこざしきのま下段げだんに面した入側いりがわ…、廊下ろうかに足を踏み入れると、今しがた信喜のぶよしがそうしたように、家治に対して平伏へいふくしてみせた。

 それに対して家治もまた、信喜のぶよしに対してかけた言葉を平伏へいふくする治済はるさだにもそのまま繰り返した。

おもてを上げぃ…」

 家治よりそう命じられた治済はるさだはすぐに顔を上げた。

 顔を上げた治済はるさだの目に御髪番おぐしばん小姓こしょうによってかみわせている将軍・家治の姿が映った。治済はるさだにしては珍しく、急に申し訳ないような気持ちにおそわれた。それと言うのも、髪をわせている姿を他人にさらすのはあまり良いものではなかったからだ。例えるならば、はだかさらすようなものであろうか。

 もっとも、治済はるさだがそんな殊勝しゅしょうな気持ちになったのもごくわずかの間に過ぎない。

 それからすぐに治済はるさだは気持ちを切り換えて本題に入った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜

かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。 徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。 堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる…… 豊臣家に味方する者はいない。 西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。 しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。 全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

処理中です...