52 / 197
公事上聴 9
しおりを挟む
さて、評定所の白洲には二人分の床机が用意されていた。益五郎と玄通が座るために用意された床机であった。
益五郎にしても玄通にしても、あくまで「証人」としてこの評定所に召喚されたのであって、ゆえに茣蓙の上に座らせるわけにはゆかないと、こうしてわざわざ床机が用意されたのであった。
南町奉行の牧野成賢が公事方勘定奉行の山村良旺に頼んで用意させたものであった。尤もそれは、成賢が旗本である益五郎と官医である玄通、この両者の立場を重んじて、というよりは。
「意次・意知父子を失脚に追い込むための証言をしてくれよ…」
その思惑を込めてのものであった。
ともあれ益五郎と玄通は床机の前まで来ると、誓詞之間にて鎮座する将軍・家治と、それにその左右にて控える一橋治済と清水重好の二人の御三卿と向かい合った。
尤も、益五郎も玄通も未だ、将軍への謁見歴がないために、家治の顔を知らず、また家治の左右にて控える御三卿の治済と重好、この両者の顔も知らずで、それでもどこか偉そうな様子は何となくだが察せられたので、益五郎と玄通はあれは一体、誰だろうと、内心、首をかしげたものである。
するとこの「両者」の真ん中に位置する評席にて控える南町奉行の牧野成賢がそんな…、家治の顔が分からずにボケっと突っ立ったままでいる益五郎と玄通の二人に対して、
「上様の御前であるぞ…」
低い声でだが、そう叱責し、これにはさしもの益五郎も大いに慌てた。如何に「バサラ」が過ぎようとも、将軍を前にしていつも通りの己の「スタイル」を貫けるほどには、益五郎は生憎、そこまで「バサラ」ではなかった。益五郎でさえそうなのだから、益五郎よりは「まともな」玄通が益五郎以上に大いに慌てたのは言うまでもない。
それでもそこは益五郎である。今にも土下座せんばかりの様子の玄通とは違い、益五郎はそれでもまだ突っ立ったままであった。ここが江戸城内の殿中なれば、将軍を前にしては益五郎も土下座、平伏することにやぶさかではなかったものの、しかし、ここは白洲である。被告人として召喚されたわけでもないのに白洲で土下座、平伏すること益五郎は抵抗感を感じたのだ。はっきり言えば嫌だった。益五郎自身は認めたくないであろうが、益五郎にもやはり、
「武士としての血」
というものが脈々と流れていたのだ。
尤も、典型的な「ヒラメ」である成賢はそのような益五郎の心情など理解しようとせず、また、理解もできず、
「これ、何をしておるっ!早うに控えぬかっ!」
一向に平伏しようとせぬ益五郎に対してそう怒声を浴びせたのであった。
するとその直後、「構わぬ」との家治の声がした。低いが明瞭な声であり、益五郎の元まで良く響き、ゆえに益五郎の隣にいた、今にも平伏しようとしていた玄通にもその声が届き、それで玄通は白洲に膝をつくのをやめた。
それから家治は益五郎と玄通の二人に対して、
「腰をかけるが良いぞ…」
床机に座るよう促したのであった。そこで益五郎は白洲にて土下座、平伏しない代わりに、家治に対して深々と頭を下げてから床机に腰かけ、玄通もそれに倣った。
こうして益五郎と玄通の二人が床机に腰かけたところで、家治は成賢に対して、「進めよ」と「証人訊問」を促したので、成賢もそうと察すると、「ははぁっ」と応じた後、益五郎と玄通に対する、それも主に、益五郎に対する「証人訊問」へと入った。
即ち、まずは愛宕下における奥医師・池原長仙院法印良誠斬殺事件について、益五郎と玄通がその現場を…、正しく池原良誠が何者か斬られる現場を目撃した経緯について、成賢から聞かれたのであった。
それに対して益五郎と玄通は流石に躊躇した。それと言うのもそれを説明するには博打帰りに事件に遭遇したことに触れなければならないからだ。つまりは博打をしていましたと、正直に告白しなければならないからだ。
それでも嘘は厳禁と、昨日、そして今朝も南町奉行の成賢より固く申し渡されていたので、益五郎と玄通は博打帰りに事件に遭遇したことを正直に打ち明けたのであった。玄通の場合は南町奉行の成賢の剣幕に屈したからであろうが、益五郎の場合は元より、嘘をつくのが苦手であったためであり、ゆえにこれが逆であったとしても、即ち、成賢より、それこそ、
「博打帰りであったなどと、正直に打ち明けるな…」
仮にそう命じられたとしても、益五郎はやはり、博打帰りであったと、正直に打ち明けたであろう。
ともあれ博打帰りに事件に遭遇したという、益五郎と玄通のその証言は評席にて控える幕閣から大いに「不評」を買った。
「博打帰りなどと、士たる者の所業とも思えぬ…」
そう眉を顰めて苦言を呈したのは老中の板倉佐渡守勝清であった。それに相役…、同僚の松平周防守康福も頷いた。
益五郎にしても玄通にしても、あくまで「証人」としてこの評定所に召喚されたのであって、ゆえに茣蓙の上に座らせるわけにはゆかないと、こうしてわざわざ床机が用意されたのであった。
南町奉行の牧野成賢が公事方勘定奉行の山村良旺に頼んで用意させたものであった。尤もそれは、成賢が旗本である益五郎と官医である玄通、この両者の立場を重んじて、というよりは。
「意次・意知父子を失脚に追い込むための証言をしてくれよ…」
その思惑を込めてのものであった。
ともあれ益五郎と玄通は床机の前まで来ると、誓詞之間にて鎮座する将軍・家治と、それにその左右にて控える一橋治済と清水重好の二人の御三卿と向かい合った。
尤も、益五郎も玄通も未だ、将軍への謁見歴がないために、家治の顔を知らず、また家治の左右にて控える御三卿の治済と重好、この両者の顔も知らずで、それでもどこか偉そうな様子は何となくだが察せられたので、益五郎と玄通はあれは一体、誰だろうと、内心、首をかしげたものである。
するとこの「両者」の真ん中に位置する評席にて控える南町奉行の牧野成賢がそんな…、家治の顔が分からずにボケっと突っ立ったままでいる益五郎と玄通の二人に対して、
「上様の御前であるぞ…」
低い声でだが、そう叱責し、これにはさしもの益五郎も大いに慌てた。如何に「バサラ」が過ぎようとも、将軍を前にしていつも通りの己の「スタイル」を貫けるほどには、益五郎は生憎、そこまで「バサラ」ではなかった。益五郎でさえそうなのだから、益五郎よりは「まともな」玄通が益五郎以上に大いに慌てたのは言うまでもない。
それでもそこは益五郎である。今にも土下座せんばかりの様子の玄通とは違い、益五郎はそれでもまだ突っ立ったままであった。ここが江戸城内の殿中なれば、将軍を前にしては益五郎も土下座、平伏することにやぶさかではなかったものの、しかし、ここは白洲である。被告人として召喚されたわけでもないのに白洲で土下座、平伏すること益五郎は抵抗感を感じたのだ。はっきり言えば嫌だった。益五郎自身は認めたくないであろうが、益五郎にもやはり、
「武士としての血」
というものが脈々と流れていたのだ。
尤も、典型的な「ヒラメ」である成賢はそのような益五郎の心情など理解しようとせず、また、理解もできず、
「これ、何をしておるっ!早うに控えぬかっ!」
一向に平伏しようとせぬ益五郎に対してそう怒声を浴びせたのであった。
するとその直後、「構わぬ」との家治の声がした。低いが明瞭な声であり、益五郎の元まで良く響き、ゆえに益五郎の隣にいた、今にも平伏しようとしていた玄通にもその声が届き、それで玄通は白洲に膝をつくのをやめた。
それから家治は益五郎と玄通の二人に対して、
「腰をかけるが良いぞ…」
床机に座るよう促したのであった。そこで益五郎は白洲にて土下座、平伏しない代わりに、家治に対して深々と頭を下げてから床机に腰かけ、玄通もそれに倣った。
こうして益五郎と玄通の二人が床机に腰かけたところで、家治は成賢に対して、「進めよ」と「証人訊問」を促したので、成賢もそうと察すると、「ははぁっ」と応じた後、益五郎と玄通に対する、それも主に、益五郎に対する「証人訊問」へと入った。
即ち、まずは愛宕下における奥医師・池原長仙院法印良誠斬殺事件について、益五郎と玄通がその現場を…、正しく池原良誠が何者か斬られる現場を目撃した経緯について、成賢から聞かれたのであった。
それに対して益五郎と玄通は流石に躊躇した。それと言うのもそれを説明するには博打帰りに事件に遭遇したことに触れなければならないからだ。つまりは博打をしていましたと、正直に告白しなければならないからだ。
それでも嘘は厳禁と、昨日、そして今朝も南町奉行の成賢より固く申し渡されていたので、益五郎と玄通は博打帰りに事件に遭遇したことを正直に打ち明けたのであった。玄通の場合は南町奉行の成賢の剣幕に屈したからであろうが、益五郎の場合は元より、嘘をつくのが苦手であったためであり、ゆえにこれが逆であったとしても、即ち、成賢より、それこそ、
「博打帰りであったなどと、正直に打ち明けるな…」
仮にそう命じられたとしても、益五郎はやはり、博打帰りであったと、正直に打ち明けたであろう。
ともあれ博打帰りに事件に遭遇したという、益五郎と玄通のその証言は評席にて控える幕閣から大いに「不評」を買った。
「博打帰りなどと、士たる者の所業とも思えぬ…」
そう眉を顰めて苦言を呈したのは老中の板倉佐渡守勝清であった。それに相役…、同僚の松平周防守康福も頷いた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる