68 / 197
家治、意知に家基の死の真相を探るよう改めて命ず
しおりを挟む
するとそれに対して、意次が反応した。何しろ意次は意知の実父である。それに今の意知は雁之間に詰めていた。雁之間と言えば、雁之間詰の諸大名とそれに意知のような老中、あるいは京都所司代の成人嫡子が詰めているのみであり、旗本は一人も詰めてはいなかった。
いや、やはり雁之間を殿中席とする高家衆の中から詰番と称して、必ず一人が雁之間に詰めてはいたものの、しかし高家衆は旗本とは言え、一般の旗本とは些か毛色が違う。何しろ、高家衆はその殆どの者が「従四位下侍従」と老中や京都所司代と同じ官位、つまりは同格にあったからだ。
ゆえにそのような高家衆は一般の、
「従五位下諸大夫」
そこまでしか昇叙できない一般の旗本と同列視することはできない。
ともあれそのような事情から、一般の旗本にとっては雁之間は極めて、
「敷居が高い…」
正しくそのような場所であり、畢竟、その雁之間に詰めている意知を連れて参れとの将軍・家治からの命令にもかかわらず、旗本は…、評定所一座でもある江戸南北両町奉行や公事方勘定奉行、それに評定の監察役としてこの場にいる大目付や目付もすぐには反応できなかったのだ。
いや、意次も咄嗟にそうと…、旗本のこの反応を予期したからこそ、真っ先に反応してみせたのだ。意次は意知の実父、それ以上に大名であるからだ。しかも雁之間には老中として平日は毎日、昼の「廻り」で訪れているために、意次が足を運んだところで、不自然ではないだろう。
いや、それなら雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせている寺社奉行こそ適任と言えた。
今の寺社奉行は帝鑑之間詰の土岐美濃守定経と太田備後守資愛を除いて皆、雁之間詰であったからだ。
だが雁之間詰の大名としての顔も持ち合わせる彼ら寺社奉行は同じく雁之間に詰めている意知をここ辰ノ口にある評定所へと呼び寄せるべく、その雁之間へと足を運ぶことに、つまりは意知のために足を運ぶことに、
「拒否反応」
それを激しく示したのであった。それはやはり意知が歴とした大名ではなく、何より、
「成り上がり者の小倅に過ぎぬ…」
意知に対してはそのような意識しか、それも悪感情しか持ち合わせてはいなかったからだ。
それゆえこれで仮に、
「由緒正しい家柄」
それを持ち合わせている老中の松平周防守康福の息・左京亮康定を呼ぶのであれば、つまりは康定のためであれば寺社奉行も、それもこと雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせる寺社奉行もそれこそ、
「嬉々として…」
雁之間へと足を運んだに違いない。いや、帝鑑之間詰の大名としての顔も持ち合わせる二人の寺社奉行、土岐定経と太田資愛にしても雁之間詰出身の寺社奉行のように、
「嬉々として…」
その雁之間に詰めている康定を呼びに行くような真似はしないであろうが、それでも激しい拒否反応を示すこともないだろう。それと言うのも、康定の父・康福もまた、土岐定経や太田資愛と同じく帝鑑之間出身の老中だからだ。つまりは仲間というわけだ。
これで仮に意次や、あるいは他の老中…、康福を除く他の老中の倅を呼びに行くのであれば、土岐定経と太田資愛も激しい拒否反応を示したであろう。いや、今のように…、雁之間に詰めている意知を連れて来いとの、将軍・家治よりの命が下されたちょうど今のように、
「完全無視」
であっただろう。そもそも己に対して下された命ではあるまいと、眼中にすらなかったであろう。それと言うのも二人が…、土岐定経と太田資愛の二人が殿中席として詰めることが許されている、その帝鑑之間は古来御譜代の席とも称され、ゆえにその帝鑑之間を殿中席にする…、殿中席として詰めることが許されている二人にしてみれば、如何に老中の倅とは言え、己よりも格下である、雁之間出身の老中の小倅のためにわざわざ足を運ぶ選択肢など元よりなかった。
ともあれ意次はやはりそのことも瞬時に悟ったからこそ、ここは成り上がり者である己が自ら足を運ぶべしと、そう判断して腰を上げると、本丸の表向にある雁之間へと足早に向かい、そこに詰めていた息・意知を呼び出すと、親子して辰ノ口の評定所へと足を運んだのであった。
さて、意知が父・意次によって評定所のそれも評席へと連れて来られると、意知は評席の最末席にて腰をおろし、誓詞之間にて鎮座する将軍・家治と向かい合った。
意知は言え春と向かい合うなり、さも当然の如く、平伏した。
「面を上げぃ…」
将軍・家治よりそう命じられて、顔を上げた意知に対して、家治は意次にやはり目で促した。
これまでの経緯…、今しがたまでの評定におけるやり取りを意知に説明せよ…、家治は意次に対して目でもってそう語りかけ、意次もそうと察すると、承りましたと、そう目で答え、さらに家治に対して叩頭した後、息・意知に対してこれまでの経緯を語って聞かせたのであった。
一方、意知はと言うと、父・意次より聞かされたその「経緯」に流石に驚いた、まさかそのようなことになっていようとは思いもしなかったからである。
そうして父・意次より話をすっかり聞き終えた後も未だ、驚愕が覚めやらぬ意知に対して、家治が「意知よ…」と声をかけたので、それで意知も漸くに我に返ると、「ははぁっ」と叩頭しつつ、応じた。
「されば意知に改めて命ずる…、家基が死の真相を探れ…」
家治よりそう命じられた意知は顔を上げ、家治の顔を見るや、「上様…」と声をかけた。
「いや、意知が申したきことは分かっておる…、左様なことを致しても家基は喜ばぬ、と…」
家治は意知を遮るようにそう言い、それに対して意知も「御意」と応じた。
「いかさま…、奥医師の池原長仙院が斬殺されなくば、余も意知のその進言に従うて、家基が死の真相を知りたいなどとは思わなんだ…、なれどそれな池原長仙院までが斬られたとあらば話は別ぞ…、余としては征夷大将軍としてこれを断じて見過ごしにはできぬ」
確かに尤もな言い分だと、意知は将軍・家治のその意見の正当性を認めたのであった。
それと言うのも、
「家基が死の真相を知りたい…」
それはあくまで家治の私情であり、ゆえに意知も、
「大納言様は喜ばれない…」
その口実でもって、家基の死の真相を探れとの家治からの命令を拒絶したのであった。
だが、奥医師殺しともなると話は別である。奥医師・池原良誠斬殺事件は家基の死から派生したものと考えられる。
そうであればこの先もさらに「死者」が…、家基の死から派生する「死者」が発生することが十二分に予期された。
それと言うのも、家基の死には奥医師の池原良誠の他にも、まだ関与している者がいる可能性が高いからだ。
そうであれば彼らにしてもまた、池原良誠と「同じ運命」を辿る可能性が高かった。
それを裏付けるかのように、家基の死にこそ関与していないであろうが、それでも紫の袱紗を持ち出したと思しき納戸頭の高橋又四郎の行方が消えた。
いや、やはり雁之間を殿中席とする高家衆の中から詰番と称して、必ず一人が雁之間に詰めてはいたものの、しかし高家衆は旗本とは言え、一般の旗本とは些か毛色が違う。何しろ、高家衆はその殆どの者が「従四位下侍従」と老中や京都所司代と同じ官位、つまりは同格にあったからだ。
ゆえにそのような高家衆は一般の、
「従五位下諸大夫」
そこまでしか昇叙できない一般の旗本と同列視することはできない。
ともあれそのような事情から、一般の旗本にとっては雁之間は極めて、
「敷居が高い…」
正しくそのような場所であり、畢竟、その雁之間に詰めている意知を連れて参れとの将軍・家治からの命令にもかかわらず、旗本は…、評定所一座でもある江戸南北両町奉行や公事方勘定奉行、それに評定の監察役としてこの場にいる大目付や目付もすぐには反応できなかったのだ。
いや、意次も咄嗟にそうと…、旗本のこの反応を予期したからこそ、真っ先に反応してみせたのだ。意次は意知の実父、それ以上に大名であるからだ。しかも雁之間には老中として平日は毎日、昼の「廻り」で訪れているために、意次が足を運んだところで、不自然ではないだろう。
いや、それなら雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせている寺社奉行こそ適任と言えた。
今の寺社奉行は帝鑑之間詰の土岐美濃守定経と太田備後守資愛を除いて皆、雁之間詰であったからだ。
だが雁之間詰の大名としての顔も持ち合わせる彼ら寺社奉行は同じく雁之間に詰めている意知をここ辰ノ口にある評定所へと呼び寄せるべく、その雁之間へと足を運ぶことに、つまりは意知のために足を運ぶことに、
「拒否反応」
それを激しく示したのであった。それはやはり意知が歴とした大名ではなく、何より、
「成り上がり者の小倅に過ぎぬ…」
意知に対してはそのような意識しか、それも悪感情しか持ち合わせてはいなかったからだ。
それゆえこれで仮に、
「由緒正しい家柄」
それを持ち合わせている老中の松平周防守康福の息・左京亮康定を呼ぶのであれば、つまりは康定のためであれば寺社奉行も、それもこと雁之間詰の大名としての顔を持ち合わせる寺社奉行もそれこそ、
「嬉々として…」
雁之間へと足を運んだに違いない。いや、帝鑑之間詰の大名としての顔も持ち合わせる二人の寺社奉行、土岐定経と太田資愛にしても雁之間詰出身の寺社奉行のように、
「嬉々として…」
その雁之間に詰めている康定を呼びに行くような真似はしないであろうが、それでも激しい拒否反応を示すこともないだろう。それと言うのも、康定の父・康福もまた、土岐定経や太田資愛と同じく帝鑑之間出身の老中だからだ。つまりは仲間というわけだ。
これで仮に意次や、あるいは他の老中…、康福を除く他の老中の倅を呼びに行くのであれば、土岐定経と太田資愛も激しい拒否反応を示したであろう。いや、今のように…、雁之間に詰めている意知を連れて来いとの、将軍・家治よりの命が下されたちょうど今のように、
「完全無視」
であっただろう。そもそも己に対して下された命ではあるまいと、眼中にすらなかったであろう。それと言うのも二人が…、土岐定経と太田資愛の二人が殿中席として詰めることが許されている、その帝鑑之間は古来御譜代の席とも称され、ゆえにその帝鑑之間を殿中席にする…、殿中席として詰めることが許されている二人にしてみれば、如何に老中の倅とは言え、己よりも格下である、雁之間出身の老中の小倅のためにわざわざ足を運ぶ選択肢など元よりなかった。
ともあれ意次はやはりそのことも瞬時に悟ったからこそ、ここは成り上がり者である己が自ら足を運ぶべしと、そう判断して腰を上げると、本丸の表向にある雁之間へと足早に向かい、そこに詰めていた息・意知を呼び出すと、親子して辰ノ口の評定所へと足を運んだのであった。
さて、意知が父・意次によって評定所のそれも評席へと連れて来られると、意知は評席の最末席にて腰をおろし、誓詞之間にて鎮座する将軍・家治と向かい合った。
意知は言え春と向かい合うなり、さも当然の如く、平伏した。
「面を上げぃ…」
将軍・家治よりそう命じられて、顔を上げた意知に対して、家治は意次にやはり目で促した。
これまでの経緯…、今しがたまでの評定におけるやり取りを意知に説明せよ…、家治は意次に対して目でもってそう語りかけ、意次もそうと察すると、承りましたと、そう目で答え、さらに家治に対して叩頭した後、息・意知に対してこれまでの経緯を語って聞かせたのであった。
一方、意知はと言うと、父・意次より聞かされたその「経緯」に流石に驚いた、まさかそのようなことになっていようとは思いもしなかったからである。
そうして父・意次より話をすっかり聞き終えた後も未だ、驚愕が覚めやらぬ意知に対して、家治が「意知よ…」と声をかけたので、それで意知も漸くに我に返ると、「ははぁっ」と叩頭しつつ、応じた。
「されば意知に改めて命ずる…、家基が死の真相を探れ…」
家治よりそう命じられた意知は顔を上げ、家治の顔を見るや、「上様…」と声をかけた。
「いや、意知が申したきことは分かっておる…、左様なことを致しても家基は喜ばぬ、と…」
家治は意知を遮るようにそう言い、それに対して意知も「御意」と応じた。
「いかさま…、奥医師の池原長仙院が斬殺されなくば、余も意知のその進言に従うて、家基が死の真相を知りたいなどとは思わなんだ…、なれどそれな池原長仙院までが斬られたとあらば話は別ぞ…、余としては征夷大将軍としてこれを断じて見過ごしにはできぬ」
確かに尤もな言い分だと、意知は将軍・家治のその意見の正当性を認めたのであった。
それと言うのも、
「家基が死の真相を知りたい…」
それはあくまで家治の私情であり、ゆえに意知も、
「大納言様は喜ばれない…」
その口実でもって、家基の死の真相を探れとの家治からの命令を拒絶したのであった。
だが、奥医師殺しともなると話は別である。奥医師・池原良誠斬殺事件は家基の死から派生したものと考えられる。
そうであればこの先もさらに「死者」が…、家基の死から派生する「死者」が発生することが十二分に予期された。
それと言うのも、家基の死には奥医師の池原良誠の他にも、まだ関与している者がいる可能性が高いからだ。
そうであれば彼らにしてもまた、池原良誠と「同じ運命」を辿る可能性が高かった。
それを裏付けるかのように、家基の死にこそ関与していないであろうが、それでも紫の袱紗を持ち出したと思しき納戸頭の高橋又四郎の行方が消えた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる