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家治は間もなく上方在番と称して二条城へと赴く予定の大番頭の本堂親房と永井尚伴の二人に一橋邸の「見廻り」を命ず
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ともあれ家治としてはこの忠恕と親房から聞くべきことはもう聞いたので、引き取ってもらうことにした。
するとそこで意知が、「畏れながら…」と口を挟んだ。
それに対して家治はやはり穏やかな表情で、「許す」と促した。
「ははっ。されば本日より、畏れ多くも大納言様がご薨去の真相につきまして、これが明らかになるまでの間、一橋殿と清水殿、このご両人におかせられては各々、その邸にて蟄居、謹慎のご厳命これあり候由にて…、併せて大番に対しましても一橋邸と清水邸を見廻らせんとのご厳命これあり候…」
意知のその言葉で家治には意知の言わんとするところが理解できた。
「されば大久保忠恕と本堂親房に一橋邸と清水邸をそれぞれ、見廻らせようと申すのだな?」
家治が確かめるようにそう尋ねると、意知は「御意」と即答した。
成程、意知の言う通り、今日から家基の死の真相が明らかになるまでの間、家治は一橋治済と清水重好の二人にはそれぞれ邸にての蟄居謹慎を命じた。
そして治済と重好がきちんと家治の「言いつけ」を守り、邸にて大人しくしているかどうか、それを監視させるべく、徒目付の他に大番組をもその監視役として投入することも併せて家治は命じたのであったが、しかし、具体的にどの大番組に命ずるか、それはまだ家治も決めてはいなかったのだ。
そこで大久保忠恕と本堂親房、この二人の大番頭に監視を命じてはと、意知は家治にそう提案したのであった。
それに対して家治は、「それは中々に良き思案ぞっ!」と膝を打ったものの、しかし御側御用取次の正明から、「お待ち下さりませ」との異議が聞こえた。
「許す」
家治はやはり正明に対してその「異議」を認めたのであった。
「ははっ。されば大久保下野守は一番組の番頭にて、一方、本堂伊豆守は三番組の番頭にて…」
正明がそう告げると、「ああ」と家治は思い出したような声を上げた。事実、家治は思い出したのであった。
即ち、こういうことであった。大番組は一番組から十二番組までの12組あり、その中で二組が「ペア」を作っていた。
例えば、大久保忠恕が番頭として束ねる一番組であれば、六番組と「ペア」を組んでおり、一方、本堂親房がやはり番頭として束ねる三番組であれば二番組と「ペア」を組んでいた。
何ゆえにこのように「ペア」を組ませるのかと言うと、それは所謂、「上方在番」と大きな関係があった。由来すると言っても良いだろう。
大番組は毎年、二組が1つの「ペア」を組んでは二条城、或いは大坂城へと出向いては一年間、二条城、或いは大坂城の警衛に当たり、これを「上方在番」と称し、天明元(1781)年4月2日現在、二条城は七番組と十番組が、大坂城は一番組と六番組がそれぞれ警衛に当たっていた。
さて、警衛二条城の警衛は4月交代であり、大坂城の警衛は8月交代であった。それゆえ4月2日の今、それまで…、前年の安永9(1780)年4月より二条城の警衛に当たっていた七番組と十番組、この二組の大番組が間もなく江戸へと戻って来る。
そうなると、それと入れ替りに今度は二番組と三番組、この二組の大番組が二条城へと赴くこととなる。今年…、天明元(1781)年は丑年であったからだ。
即ち、「上方在番」の当番年は干支により、二番組と三番組は丑年に、それも4月から二条城の警衛に当たることになっていたのだ。
つまり七番組と十番組、この「ペア」とも言うべき二つの大番組が江戸へと戻って来次第、三番組を束ねる本堂親房は「ペア」を組んでいる二番組の大番組と共に二条城へと赴かなければならないということだ。
そのような、二条城の警衛を控えている本堂親房に果たして御三卿の邸の見廻り、もとい監視が相応しいのかと、正明はそう言っていたのだ。
いや、そればかりではなく、仮にその本堂親房に対して、大久保忠恕共々、御三卿、それも一橋家と清水家の見廻り、もとい監視を命ずるのであれば、本堂親房と大久保忠恕、この二人がそれぞれ「ペア」を組んでいる大番組、その「番」を束ねる番頭に対しても、同じく御三卿、それも一橋家と清水家、それぞれの見廻り、もとい監視を命じなければ不自然となる。
なぜなら大久保忠恕が番頭として束ねる一番組と本堂親房が同じく番頭といて束ねる三番組とは「ペア」ではなかったからだ。つまり大久保忠恕と本堂親房とは「ペア」ではないという意味だ。
「されば…、未だ、森川俊孝と遠藤胤忠の二人はこの江戸には着いておるまいて…」
家治はそう言った。家治が口にした森川俊孝とは七番組を束ねる森川紀伊守俊孝のことであり、一方、遠藤胤忠というのは十番組を束ねる遠藤下野守胤忠のことであった。
つまりは去年、安永9(1780)年の4月から今年、天明元(1781)年の4月にかけて二条城の警衛に当たる、いや、当たっていた「ペア」である。
その森川俊孝と遠藤胤忠は確かに家治の言う通り、未だこの江戸には着いてはおらず、恐らくはその途次にあるに違いなかった。
そして森川俊孝と遠藤胤忠がそれぞれ、
「番」
己が番頭として束ねるその「番」を率いてこの江戸へと戻って来るのは恐らくは4月の半ば頃になるに違いなく、毎年そうであった。
そしてそれと入れ替りに次の者、いや、「ペア」が二条城へと赴くのだ。ちなみにそれは大坂城の警衛についても同じことが言えた。
ともあれ交代にはまだ時間があるので、御三卿、それも一橋家と清水家、それぞれの邸の見廻り、もとい監視をさせても別段、問題はなかろうと、家治は正明に対してそう示唆したのであった。
それに対して正明はと言うと、そこまで将軍・家治が強い意向であるならばと、それ以上、「異議」を唱えることはなく、「ははぁっ」と大人しく引き下がった。
それから御側御用取次見習いの泰行が気を利かせていったんその場をあとにした。再び、小笠原信喜を呼ぶためであった、それは他でもない、やはり小笠原信喜に今度は二番組と六番組、その二組をそれぞれ束ねる大番頭を呼んできてもらうためであった。それも将軍・家治より直々に、
「呼んできてもらいたい…」
小笠原信喜にそう命じる必要があったので、そこで泰行は信喜をここ将軍・家治の御前へと再び連れて来るべく、席を立ったというわけだ。
さて、家治は泰行が席を立つや、泰行が信喜を連れて来るものと、そうと察すると、大久保忠恕と本堂親房に対して、
「この家治より大番頭としての心得を聞かされたと、そう装って欲しい…」
そう頼んだものである。無論、間もなく再び姿を見せる小笠原信喜の目を誤魔化すためであった。
それに対して忠恕にしろ親房にしろ、当然と言うべきか、「ははぁっ」と二人は即座に承知してくれた。
さて、それから間もなくして小笠原信喜が家治の前に再び姿を見せ、家治は平伏しようとする信喜を制すると今度は、
「永井伊予守尚伴」
「杉浦出雲守正勝」
この二人の大番頭を連れて来るよう命じたのであった。言うまでもなく大久保忠恕と本堂親房がそれぞれ「ペア」を組んでいる大番頭であり、永井尚伴は二番組を束ねる番頭として本堂親房と、一方、杉浦正勝は六番組を束ねる番頭として大久保忠恕と、それぞれ「ペア」を組んでいたのだ。
一方、小笠原信喜も伊達に御側衆を勤めてはおらず、すぐにそうと察した様子で、家治も信喜の様子からやはりそうと察するや、
「されば彼の者に…、この四人に一橋邸と清水邸、それぞれの見廻りを命じようと思うてな…」
家治は正直にそう打ち明けたのであった。別段、秘密にすることでもないので、家治はあえて正直に打ち明けたのであった。
いや、家治は将軍である以上、あくまで臣下の立場に過ぎない信喜に対して、
「四の五の言わず、連れて来い」
そう命じることもできたが、しかし、家治としては全ての決着が着くまでは、「カモフラージュ」の意味からもあえて穏便にいきたかった。
それに対して信喜はと言うと、そんな家治の胸中に気付くこともなく、しかし、将軍たる家治からそこまで低姿勢に頼まれれば、臣下の分際として否やはあり得ず、「ははぁっ」と応じたものである。
そうして信喜は今度はその永井尚伴と杉浦正勝の二人の大番頭をやはり菊之間の本間よりここ、御休息之間へと、そして将軍・家治の御前へと連れて来た。
そして家治はこのうち、本堂親房と永井尚伴に対しては一橋邸の、大久保忠恕と杉浦正勝に対しては清水邸の、それぞれ見廻りを命じたのであった。
ちなみにこの割り振りにも理由があり、即ち、見廻り、ことに一橋邸の見廻りには、
「一橋治済の逮捕…」
それも含んでいた。仮に一橋治済が一連の事件の黒幕だと仮定しての話だが、その場合には天下の御三卿を逮捕するにはそれは幕府の武官五番方の中でもその筆頭である大番組以外にはあり得なかった。
だが如何にそのような大番組と言えども、やはり天下の御三卿を、それも一橋治済を逮捕するようなことにでもなれば、周囲からの風当たりも相当に強いものとなるに違いなかった。
それでも本堂親房と永井尚伴の「ペア」であれば、間もなく二条城へと赴くことに決まっており、そしてそれまでには…、前任の森川俊孝と遠藤胤忠がこの江戸へと戻って来るまでの間には、
「全てが落着しているに相違あるまい…」
家治にはその自信があり、そしてそうなれば本堂親房と永井尚伴の二人は一橋治済の逮捕後、直に二条城へと赴くことになるであろうから、つまりは江戸を脱出するわけだから、周囲からの風当たりも受けずに済むというものである。家治はそこまで計算の上、本堂親房と永井尚伴の二人には一橋邸の見廻り、即ち、来るべき一橋治済の逮捕をも命じたのであった。
するとそこで意知が、「畏れながら…」と口を挟んだ。
それに対して家治はやはり穏やかな表情で、「許す」と促した。
「ははっ。されば本日より、畏れ多くも大納言様がご薨去の真相につきまして、これが明らかになるまでの間、一橋殿と清水殿、このご両人におかせられては各々、その邸にて蟄居、謹慎のご厳命これあり候由にて…、併せて大番に対しましても一橋邸と清水邸を見廻らせんとのご厳命これあり候…」
意知のその言葉で家治には意知の言わんとするところが理解できた。
「されば大久保忠恕と本堂親房に一橋邸と清水邸をそれぞれ、見廻らせようと申すのだな?」
家治が確かめるようにそう尋ねると、意知は「御意」と即答した。
成程、意知の言う通り、今日から家基の死の真相が明らかになるまでの間、家治は一橋治済と清水重好の二人にはそれぞれ邸にての蟄居謹慎を命じた。
そして治済と重好がきちんと家治の「言いつけ」を守り、邸にて大人しくしているかどうか、それを監視させるべく、徒目付の他に大番組をもその監視役として投入することも併せて家治は命じたのであったが、しかし、具体的にどの大番組に命ずるか、それはまだ家治も決めてはいなかったのだ。
そこで大久保忠恕と本堂親房、この二人の大番頭に監視を命じてはと、意知は家治にそう提案したのであった。
それに対して家治は、「それは中々に良き思案ぞっ!」と膝を打ったものの、しかし御側御用取次の正明から、「お待ち下さりませ」との異議が聞こえた。
「許す」
家治はやはり正明に対してその「異議」を認めたのであった。
「ははっ。されば大久保下野守は一番組の番頭にて、一方、本堂伊豆守は三番組の番頭にて…」
正明がそう告げると、「ああ」と家治は思い出したような声を上げた。事実、家治は思い出したのであった。
即ち、こういうことであった。大番組は一番組から十二番組までの12組あり、その中で二組が「ペア」を作っていた。
例えば、大久保忠恕が番頭として束ねる一番組であれば、六番組と「ペア」を組んでおり、一方、本堂親房がやはり番頭として束ねる三番組であれば二番組と「ペア」を組んでいた。
何ゆえにこのように「ペア」を組ませるのかと言うと、それは所謂、「上方在番」と大きな関係があった。由来すると言っても良いだろう。
大番組は毎年、二組が1つの「ペア」を組んでは二条城、或いは大坂城へと出向いては一年間、二条城、或いは大坂城の警衛に当たり、これを「上方在番」と称し、天明元(1781)年4月2日現在、二条城は七番組と十番組が、大坂城は一番組と六番組がそれぞれ警衛に当たっていた。
さて、警衛二条城の警衛は4月交代であり、大坂城の警衛は8月交代であった。それゆえ4月2日の今、それまで…、前年の安永9(1780)年4月より二条城の警衛に当たっていた七番組と十番組、この二組の大番組が間もなく江戸へと戻って来る。
そうなると、それと入れ替りに今度は二番組と三番組、この二組の大番組が二条城へと赴くこととなる。今年…、天明元(1781)年は丑年であったからだ。
即ち、「上方在番」の当番年は干支により、二番組と三番組は丑年に、それも4月から二条城の警衛に当たることになっていたのだ。
つまり七番組と十番組、この「ペア」とも言うべき二つの大番組が江戸へと戻って来次第、三番組を束ねる本堂親房は「ペア」を組んでいる二番組の大番組と共に二条城へと赴かなければならないということだ。
そのような、二条城の警衛を控えている本堂親房に果たして御三卿の邸の見廻り、もとい監視が相応しいのかと、正明はそう言っていたのだ。
いや、そればかりではなく、仮にその本堂親房に対して、大久保忠恕共々、御三卿、それも一橋家と清水家の見廻り、もとい監視を命ずるのであれば、本堂親房と大久保忠恕、この二人がそれぞれ「ペア」を組んでいる大番組、その「番」を束ねる番頭に対しても、同じく御三卿、それも一橋家と清水家、それぞれの見廻り、もとい監視を命じなければ不自然となる。
なぜなら大久保忠恕が番頭として束ねる一番組と本堂親房が同じく番頭といて束ねる三番組とは「ペア」ではなかったからだ。つまり大久保忠恕と本堂親房とは「ペア」ではないという意味だ。
「されば…、未だ、森川俊孝と遠藤胤忠の二人はこの江戸には着いておるまいて…」
家治はそう言った。家治が口にした森川俊孝とは七番組を束ねる森川紀伊守俊孝のことであり、一方、遠藤胤忠というのは十番組を束ねる遠藤下野守胤忠のことであった。
つまりは去年、安永9(1780)年の4月から今年、天明元(1781)年の4月にかけて二条城の警衛に当たる、いや、当たっていた「ペア」である。
その森川俊孝と遠藤胤忠は確かに家治の言う通り、未だこの江戸には着いてはおらず、恐らくはその途次にあるに違いなかった。
そして森川俊孝と遠藤胤忠がそれぞれ、
「番」
己が番頭として束ねるその「番」を率いてこの江戸へと戻って来るのは恐らくは4月の半ば頃になるに違いなく、毎年そうであった。
そしてそれと入れ替りに次の者、いや、「ペア」が二条城へと赴くのだ。ちなみにそれは大坂城の警衛についても同じことが言えた。
ともあれ交代にはまだ時間があるので、御三卿、それも一橋家と清水家、それぞれの邸の見廻り、もとい監視をさせても別段、問題はなかろうと、家治は正明に対してそう示唆したのであった。
それに対して正明はと言うと、そこまで将軍・家治が強い意向であるならばと、それ以上、「異議」を唱えることはなく、「ははぁっ」と大人しく引き下がった。
それから御側御用取次見習いの泰行が気を利かせていったんその場をあとにした。再び、小笠原信喜を呼ぶためであった、それは他でもない、やはり小笠原信喜に今度は二番組と六番組、その二組をそれぞれ束ねる大番頭を呼んできてもらうためであった。それも将軍・家治より直々に、
「呼んできてもらいたい…」
小笠原信喜にそう命じる必要があったので、そこで泰行は信喜をここ将軍・家治の御前へと再び連れて来るべく、席を立ったというわけだ。
さて、家治は泰行が席を立つや、泰行が信喜を連れて来るものと、そうと察すると、大久保忠恕と本堂親房に対して、
「この家治より大番頭としての心得を聞かされたと、そう装って欲しい…」
そう頼んだものである。無論、間もなく再び姿を見せる小笠原信喜の目を誤魔化すためであった。
それに対して忠恕にしろ親房にしろ、当然と言うべきか、「ははぁっ」と二人は即座に承知してくれた。
さて、それから間もなくして小笠原信喜が家治の前に再び姿を見せ、家治は平伏しようとする信喜を制すると今度は、
「永井伊予守尚伴」
「杉浦出雲守正勝」
この二人の大番頭を連れて来るよう命じたのであった。言うまでもなく大久保忠恕と本堂親房がそれぞれ「ペア」を組んでいる大番頭であり、永井尚伴は二番組を束ねる番頭として本堂親房と、一方、杉浦正勝は六番組を束ねる番頭として大久保忠恕と、それぞれ「ペア」を組んでいたのだ。
一方、小笠原信喜も伊達に御側衆を勤めてはおらず、すぐにそうと察した様子で、家治も信喜の様子からやはりそうと察するや、
「されば彼の者に…、この四人に一橋邸と清水邸、それぞれの見廻りを命じようと思うてな…」
家治は正直にそう打ち明けたのであった。別段、秘密にすることでもないので、家治はあえて正直に打ち明けたのであった。
いや、家治は将軍である以上、あくまで臣下の立場に過ぎない信喜に対して、
「四の五の言わず、連れて来い」
そう命じることもできたが、しかし、家治としては全ての決着が着くまでは、「カモフラージュ」の意味からもあえて穏便にいきたかった。
それに対して信喜はと言うと、そんな家治の胸中に気付くこともなく、しかし、将軍たる家治からそこまで低姿勢に頼まれれば、臣下の分際として否やはあり得ず、「ははぁっ」と応じたものである。
そうして信喜は今度はその永井尚伴と杉浦正勝の二人の大番頭をやはり菊之間の本間よりここ、御休息之間へと、そして将軍・家治の御前へと連れて来た。
そして家治はこのうち、本堂親房と永井尚伴に対しては一橋邸の、大久保忠恕と杉浦正勝に対しては清水邸の、それぞれ見廻りを命じたのであった。
ちなみにこの割り振りにも理由があり、即ち、見廻り、ことに一橋邸の見廻りには、
「一橋治済の逮捕…」
それも含んでいた。仮に一橋治済が一連の事件の黒幕だと仮定しての話だが、その場合には天下の御三卿を逮捕するにはそれは幕府の武官五番方の中でもその筆頭である大番組以外にはあり得なかった。
だが如何にそのような大番組と言えども、やはり天下の御三卿を、それも一橋治済を逮捕するようなことにでもなれば、周囲からの風当たりも相当に強いものとなるに違いなかった。
それでも本堂親房と永井尚伴の「ペア」であれば、間もなく二条城へと赴くことに決まっており、そしてそれまでには…、前任の森川俊孝と遠藤胤忠がこの江戸へと戻って来るまでの間には、
「全てが落着しているに相違あるまい…」
家治にはその自信があり、そしてそうなれば本堂親房と永井尚伴の二人は一橋治済の逮捕後、直に二条城へと赴くことになるであろうから、つまりは江戸を脱出するわけだから、周囲からの風当たりも受けずに済むというものである。家治はそこまで計算の上、本堂親房と永井尚伴の二人には一橋邸の見廻り、即ち、来るべき一橋治済の逮捕をも命じたのであった。
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