天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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鰻専門店の春木屋での意知と平蔵の情報交換 2

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大納言だいなごん様が2月21日に…、安永8(1779)年の2月の21日に新井あらい宿じゅくまでご放鷹ほうように行かれることは、そしてその行程こうていについても…、何時なんどきまでご放鷹ほうようをされ、そして帰りは如何いかなる経路けいろ辿たどって御城おしろへともどられるか、小笠原おがさわら若狭わかさなれば当然、承知しょうちしていたでしょうから、そこから逆算ぎゃくさんして品川の東海寺にさしかかる頃…、それからしばらく時間がった頃に大納言だいなごん様が苦しまれるはずと、小笠原おがさわら若狭わかさはそこまで計算してむすめ婿むこ山口やまぐち勘兵衛かんべえに対して、たかりの帰途きと、それも品川の東海寺へとさしかかる前に、そろそろ品川の東海寺にて休まれてはと、大納言だいなごん様に強くすすめろと、そう命じたはずです」

「と言うことは山口やまぐち勘兵衛かんべえ大納言だいなごん様殺害の下手人げしゅにん一味いちみだと?」

 平蔵が確かめるように尋ねた。

「そう考えてつかえない…、と言うよりはそう考えないことには山口やまぐち勘兵衛かんべえの行動には説明がつかないでしょう…」

「確かに…、品川の東海寺にて休まれることを最初に言い出したのは山口やまぐち勘兵衛かんべえなわけですし…」

「それに己は…、山口やまぐち勘兵衛かんべえ自身は警衛けいえいのためと、如何いかにももっともらしい口実こうじつをもうけて、品川の東海寺の中へと入らなかったことにしてもそうです」

「その実、己のみは…、大納言だいなごん様のたかりに従った者の中で、己のみは下手人げしゅにんではあり得ないと、そう見せかけるためですね?」

 平蔵が先回りして尋ねた。

「そうです。今も言った通り、この計画にはどうしても一橋ひとつばし派の人間を…、大納言だいなごん様を殺害し、豊千代とよちよぎみに次期将軍の座をとそれを望む下手人げしゅにん一味いちみのうちの一人はこの計画に…、大納言だいなごん様のご放鷹ほうように加えなければならず…」

「品川の東海寺にて休まれることを進言しんげんする人間が最低、一人は必要…、だが一橋ひとつばし派の人間を一人でもその、大納言だいなごん様のたかりに加えてしまえば、その一橋ひとつばし派の人間にも大納言だいなごん様を殺害する機会きかいがあったのではないか…、そんな反論を許すことにもなりかねず…」

 平蔵が意知おきともの言葉を引き取ってみせた。

「そうです。そこでそんな反論を許さないために、山口やまぐち勘兵衛かんべえは己自身は警衛けいえいのためとしょうしては品川の東海寺には入らなかった…」

「己自身は下手人げしゅにんでは…、大納言だいなごん様を殺害した下手人げしゅにんではあり得ないと、そう見せかけるためですね?」

「そうです。大納言だいなごん様を如何いかなる方法でもって死にいたらしめるにしても、品川の東海寺の中に入ることが絶対条件ですから、そもそも寺の中に入らずに、寺の外で警衛けいえいに当たっていた山口やまぐち勘兵衛かんべえ下手人げしゅにんない…、そう見せかけるためだったのでしょう。そして山口やまぐち勘兵衛かんべえもそこまで…、大納言だいなごん様殺しを岳父がくふ小笠原おがさわら若狭わかさより打ち明けられ、それに対して勘兵衛かんべえも応じたからこそ、山口やまぐち勘兵衛かんべえ大納言だいなごん様がご放鷹ほうようの折にこのような動きを見せたものと思われます」

 意知おきともはそう断言だんげんした。それに対して平蔵も、「成程なるほど…」とうなずいた。

「だが分からないことがある…」

 平蔵は思い出したようにそう声を発した。

「何です?」

 意知おきともは首をかしげた。

「そうまでして…、清水様がさも大納言だいなごん様殺しの下手人げしゅにん…、黒幕くろまくであるかのように、そう仕立したてる計画を立てたのなら…、治済はるさだがそう仕立したてたのなら、どうしておく医師いしは…、やはり大納言だいなごん様のたかりに従わせたおく医師いしは池原さんだったんでしょうか…」

「やはり、大納言だいなごん様のたかりにしたがわせるおく医師いしについても、清水家所縁ゆかりおく医師いしでなければおかしいと?」

 意知おきともは平蔵の胸のうちの疑問をピタリと言い当ててみせた。

意知おきともさんも気付いてましたか…」

「ええ。俺も変だとは思っていたんですよ。何しろ池原さんと言えば、俺の親父の…、こういう言い方は良くないですが、息のかかったおく医師いしですから…」

「ええ、正にその点なんですよ…、って思っていたってことは、意知おきともさんにはそのなぞけたってことですか?」

「いや、なぞけた、だなんてそんなご大層たいそうなものじゃありませんよ…」

 意知おきとも苦笑くしょうしながらそう前置きすると、己の考えを平蔵に披瀝ひれきした。

「もしかして、両面作戦ではなかったのかと…」

「両面作戦?」

「ええ。治済はるさだとしては大納言だいなごん様の死があくまで病死として処理しょりされるのならばそれはそれで良し。だが万が一…、正に今のように、大納言だいなごん様の死が病死ではなく、何者かに殺されたのではと、そう疑いが出て来た場合にそなえて、清水家に…、重好しげよし様にぎぬを着せる今回の計画を思いついたんだと思います。治済はるさだは…」

「ええ」

「だが、さらに万が一…、重好しげよし様にぎぬを着せることが出来なかった場合にそなえて、おく医師いしだけは清水家所縁ゆかりの者ではなく、我が田沼家所縁ゆかりの池原さんを大納言だいなごん様のご放鷹ほうようしたがわせることで…」

「田沼様こそが大納言だいなごん様殺しの下手人げしゅにん…、黒幕くろまくだと見せかけようとした…、つまりは万が一の場合の…、重好しげよし様にぎぬを着せられなかった場合にそなえてのわばころばぬさきつえであったと?」

 平蔵が確かめるように尋ねたので意知おきともは、「だと思います」と答えた。

成程なるほどねぇ…」

 平蔵は意知おきとものその推理に納得し、感嘆かんたんした様子さえのぞかせると、

「それで…、意知おきともさんはこれからどうなさる?」

 意知おきともの予定を尋ねた。

「池原邸に行こうと思ってます」

妻女さいじょ藤江ふじえ殿から話を?」

「ええ。それに恐らくはそく子明たねあきらもいるでしょうから…」

 子明たねあきら良誠よしのぶと共に本丸ほんまるにておく医師いしとして勤めていた。昨日の4月1日は子明たねあきら宿直とのいであったために、すぐには父の悲報ひほうを知ることは出来なかったであろうが、それでもその翌日の今日、それも昼の八つ半(午後3時頃)を回った今時分じぶんには宿直とのいであった子明たねあきらももう、下城げじょうして、愛宕あたご下にある屋敷やしきへと帰邸きていしている頃に違いなかった。

 つまりは子明たねあきらすでに父の悲報ひほうを知らされたに違いないというわけだ。

子明たねあきら遊佐ゆさ信庭のぶにわ小野おの章以あきしげのことを尋ねるつもりですね?」

 平蔵にそう問われた意知おきともは、「ええ」と答えると、

「町医者の小野おの章以あきしげかく子明たねあきらとは…、良誠よしのぶ先生にしてもそうだったでしょうが、官医かんい…、おもてばん医師いしではあっても、その遊佐ゆさ信庭のぶにわのことなら何か知っているかも知れませんので…」

 そう付け加え、「成程なるほど」と平蔵をうなずかせた。

「それでへいさんはこれからどうされるんで?」

 意知おきともも平蔵の前だとつい、べらんめぇ調になってしまう。

「俺はこれから北に行くつもりです」

 北とは常盤ときわばし御門ごもん内にある北町奉行所を指していることは意知おきともにもすぐに察せられたので、「曲渕まがりぶち殿にお会いに?」と意知おきともはそう尋ねた。曲渕まがりぶち殿とは勿論もちろん、北の町奉行の曲渕まがりぶち甲斐守かいのかみ景漸かげつぐのことであり、平蔵も「ええ」と答えると、その来意らいいについて意知おきともに教えた。

「いや、今の意知おきともさんの話を聞いて思いついたんだが、その小野おの章以あきしげ内偵ないていを頼もうかと…」

小野おの章以あきしげが何か動きを見せると?」

「かも知れません」

「具体的には…」

「これは俺のかんなんですが、小野おの章以あきしげは本銀町一丁目にある屋敷…、診療しんりょうじょ住居じゅうきょのその屋敷の中に証拠しょうこの品となるようなものをかくしているんじゃねぇかと…」

大納言だいなごん様を殺した証拠しょうこの品と?」

「ええ。例えば、記録きろくたぐい…、遊佐ゆさ信庭のぶにわが渡したかも知れねぇ、御台みだい様や萬壽ます姫様が死にいたるまでの…、シロタマゴテングタケか、ドクツルタケか、その毒キノコを食わされた御台みだい様や萬壽ます姫様の死にいたるまでの記録きろくがまだ残っているんじゃないかと…」

成程なるほど…、小野おの章以あきしげはその記録きろくを参考に、大納言だいなごん様に与えるべき毒キノコ…、それも清水様に大納言だいなごん様殺しの罪を着せようとの計画を実現するために必要となる毒キノコ、それが果たして如何程いかほどの量になるのか、それを把握はあくするには記録きろくが、さしずめ実験記録きろくが必要であり、そしてその記録きろくは今でも残してあると…、無論むろん、今後も一橋ひとつばし家から金を引き出すために…」

 意知おきともがそう言うと、平蔵はうなずき、

「だが、探索たんさくの手が一橋ひとつばしの手にものびようとしている…、俺たちが大納言だいなごん様の死の真相を…、いや、大納言だいなごん様殺しの探索たんさくおそれ多くも上様うえさまより命じられたことはもう、遊佐ゆさ信庭のぶにわの耳にも入っていることでしょうから…」

遊佐ゆさ信庭のぶにわ小野おの章以あきしげの屋敷…、その本銀町一丁目にある診療しんりょうじょ住居じゅうきょへとみ、それら大納言だいなごん様殺しの証拠しょうことなる記録きろく破棄はきするように…、と?」

「ええ…、いや、そうじゃないかも知れないが、とりあえず動きに注意をはらっておくべきかと思いましてね…」

 平蔵の先見せんけんに今度は意知おきともが、「成程なるほど…」と納得する番であった。
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