天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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明日の打ち合わせ

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 それから正存まさよしは首をかしげつつ、

「何ゆえに左様さようなことを…、宿直とのい小納戸こなんどにつきて、クドクドと尋ねられる?」

 正明まさあきらに対してそう尋ねた。当然の疑問と言えよう。

 そこで将軍・家治にうながされた意知おきともがその理由について打ち明けた。

 すなわち、一橋ひとつばし家…、正確には次期将軍に内定ないていした一橋ひとつばし治済はるさだ実子じっし豊千代とよちよ生母せいぼ、つまりは治済はるさだ愛妾あいしょうのおとみの方の実家である岩本いわもと家と縁のある小納戸こなんど岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人が同じく、一橋ひとつばし家と縁のある御膳ごぜん奉行ぶぎょう高尾たかお惣十郎そうじゅうろう山木やまき次郎八じろはちの二人とんで、今度は将軍・家治の命を狙っていることを正存まさよしに打ち明けたのであった。

 これには正存まさよしもまずは仰天ぎょうてんしたもので、いで、

「おのれ…、あやつらめ…」

 この4人にいきどおりを示したかと思うと、

「されば早速さっそくにも四人を厳しく穿鑿せんさくすべきやにぞんたてまつりまする…」

 家治にそう願い出たのであった。きわめて当然の反応と言えたが、しかし、それに対して家治はかぶりを振ってみせた。

「いや、ここはひとつ、彼奴等きゃつらめのよこしまなる姦計かんけいに乗ってみようと思う」

 家治がそう告げたので、正存まさよしは思わず、「えっ」と声を上げた。

「なれどそれでは…」

 みすみす命をうばわれることになる…、正存まさよしがそう言おうとするのを家治は右手をかかげてそれを制した。

「分かっておる。無論むろん、この四人が毒見どくみをせし…、いや、毒見どくみなどせず、それどころか毒物どくぶつ混入こんにゅうせし夕食を口にしようなどとは思わなんだ…」

 家治がそう答えると、流石さすが正存まさよしもその意図いとするところを察したらしく、

成程なるほど…」

 正存まさよしはそう応じてみせ、それに対して将軍・家治もその通りだと言わんばかりにうなずいてみせた。

 それから正存まさよしは「なれど…」と続けると、

給仕きゅうじ小姓こしょうにつきましてはぞんじよりの者をはいしました方が…」

 家治にそう提案したのであった。成程なるほどもっともな提案であった。給仕きゅうじにな小姓こしょうには毒物どくぶつ混入こんにゅうできる「チャンス」があるとも思えなかったが、それでも一応いちおう用心ようじんしたことはない。

「されば明日の宿直とのい小姓こしょうは誰であったかの…」

 家治は正存まさよしにそう尋ねたものの、しかし、正存まさよしに分かるはずもなかった。それと言うのも正存まさよしはあくまで小納戸こなんど頭取とうどりしゅうの一人に過ぎないからだ。

 そうであれば宿直とのい小納戸こなんどが誰であるのか、その「シフト」については承知しょうちしていても小姓こしょうの「シフト」にまでは関知かんちし得なかった。

 小姓こしょうの「シフト」について承知しょうちしているのは小姓こしょう頭取とうどりしゅうであった。

「されば小姓こしょう頭取とうどりしゅうを呼んで参りまする…」

 正存まさよしは将軍・家治から命じられる前に、みずからそう申し出ると、こしを上げていったん、御休息之間ごきゅうそくのまをあとにした。

 本来ならば御側おそば御用ごよう取次とりつぎ見習みならいの本郷ほんごう伊勢守いせのかみ泰行やすゆきが腰を上げるべきところであったが、ここはやはり年の功とでも呼ぶべきか、正存まさよしの方が判断が早かった。

 さて、正存まさよしはそれからしばらくして、小姓こしょう頭取とうどりしゅうの一人である新見しんみ大炊頭おおいのかみ正徧まさゆきを連れて戻って来た。正存まさよし老練ろうれんさが光る人選じんせんと言えよう。

 すなわち、小姓こしょう頭取とうどりしゅうは「しゅう」という語尾ごびからも察せられる通り、一人ではなく、複数人おり、そこは小納戸こなんど頭取とうどりしゅうと同じである。

 さて、天明元(1781)年4月2日現在の小姓こしょう頭取とうどりしゅうは5人存在し、わけても新見しんみ正徧まさゆきもっとも田沼家にちかしい。それと言うのも父・讃岐守さぬきのかみ正則まさのりは意次の妹を妻女さいじょとしてむかえており、正存まさよしに連れて来られたそのそく正徧まさゆきはその意次の妹の実子じっしであった。

 それゆえ意次の嫡男ちゃくなんである意知おきともからすればこの正徧まさゆきは、

叔母おばさんの子」

 ということになり、意知おきとも正徧まさゆき従兄弟いとこ間柄あいだがらであった。ちなみに意知おきとも正徧まさゆきよわい33の同い年であった。

 ともあれ正存まさよしはそこまで把握はあくして5人もの小姓こしょう頭取とうどりしゅうの中からこの新見しんみ正徧まさゆきを「セレクト」して連れて来たというわけだ。

 さて、正徧まさゆきもまた、先ほど、正存まさよしがそうしたように、将軍・家治に対して平伏へいふくしようとし、それを家治が制すると、早速さっそく本題ほんだいに入った。

 すなわち、明日の宿直とのい小姓こしょうについて尋ねたのであった。

「されば明日の宿直とのいはそれがしと、丸毛もるも中務なかつかさ少輔しょうゆう平賀ひらが式部しきぶ少輔しょうゆうの三人にて…」

 正徧まさゆきがそう答えると、「政美まさたか貞愛さだゑか…」と家治はつぶやいた。

 まさしく家治の言う通りで、政美まさたか丸毛まるも中務なかつかさ少輔しょうゆうの、貞愛さだゑ平賀ひらが式部しきぶ少輔しょうゆうの、それぞれいみなであった。

 その丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑが明日、小姓こしょう頭取とうどり新見しんみ正徧まさゆきと共に宿直とのいつとめると知り、将軍・家治は元より、その場にいた誰もが…、無論むろん、事情を知らない正徧まさゆきのぞいた皆がホッとしたものである。

 ところで今の刻限こくげんはもう夕の七つ半(午後5時頃)であり、本来ならばそろそろ将軍は入浴の刻限こくげんであった。

 それはそうと、今日は新見しんみ正徧まさゆき宿直とのいではない。いや、それを言うなら稲葉いなば正存まさよしにしてもそうで、つまりは日勤にっきんというわけだ。

 そして日勤にっきんの場合、番方ばんかた…、武官ぶかんにしろ、役方やくかた…、文官ぶんかんにしろ、おそくとも夕七つ(午後4時頃)には下城げじょうし、己の屋敷やしきへと帰邸きていおよぶ。

 だがこと、中奥なかおく役人、それも将軍の側近そっきん役とも言うべき小納戸こなんど小姓こしょうについては江戸城の諸門しょもん所謂いわゆる、「三十六見附みつけ」が閉じる暮六つ(午後6時頃)ギリギリまで、御城おしろにて、それもここ中奥なかおくめて将軍のさしずめ、

「気まぐれ…」

 それに備えていたのだ。

 それゆえ稲葉いなば正存まさよしにしろ、新見しんみ正徧まさゆきにしろ、宿直とのいでもないのにいま時分じぶんまで残っていたのだ。

 さて、正徧まさゆきは明日の宿直とのいつとめる小姓こしょうが己と一介いっかい小姓こしょう丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑの三人だと知った将軍・家治たちがホッとした様子をかべたことに首をかしげた。

 するとそうと察した家治が正徧まさゆきにも事情を打ち明け、あんじょう正徧まさゆきをも驚かせた。

「何と…、そういうわけで…」

 正徧まさゆきは驚きつつも、事情をむと納得した様子を浮かべ、実際、「委細いさいこころましてござりまする」と応じた。

「うむ。頼むぞ」

 家治よしそう声をかけられた正徧まさゆきは「ははぁっ」と今度こそ平伏へいふくし、そしてそれからすぐに頭を上げると、

「さればこのむね丸毛まるも中務なかつかさ平賀ひらが式部しきぶの両名にはそれがしから…」

 そう提案したのであった。成程なるほど丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑの二人までここ、将軍・家治の御前ごぜんし出しては人目ひとめにつき過ぎるというものであり、それを防ぐには正徧まさゆきから政美まさたか貞愛さだゑの両名へと伝えてもらうのが一番であった。

 家治は正徧まさゆきに対して、「左様さようはかろうてくれぃ」と応じ、ふたたび、正徧まさゆきに「ははぁっ」と平伏へいふくさせたのであった。

 ところで小姓こしょう頭取とうどり新見しんみ正徧まさゆきと共に明日の宿直とのいつとめる小姓こしょう丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑの二人だと知った将軍・家治たちがホッとしたのは他でもない、政美まさたかにしろ貞愛さだゑにしろ、新見しんみ正徧まさゆきと同様、田沼家と縁があったからだ。

 いや、新見しんみ家と田沼家ほどの縁ではないものの、それでも細い縁で結ばれていた。

 それと言うのもまず、丸家まるも家だが、丸毛まるも一族の一人にして現在、奥右筆おくゆうひつつとめる丸毛まるも金次郎きんじろう利教としのりそく宗三郎そうざぶろう利通としみち妻女さいじょとして田沼家の家臣、それも意知おきとも近習きんじゅう星野ほしの兵右衛門ひょうえもん定次さだつぐの娘をむかえていたからだ。

 また丸毛まるも金次郎きんじろう自身も奥右筆おくゆうひつとして老中の意次を良く支えていた。

 老中が総理大臣、若年寄が官房長官だとすると、奥右筆おくゆうひつのそれも組頭くみがしらともなると、さしずめ官房副長官と内閣法制局長官を兼ねていた。

 その点、丸毛まるも金次郎きんじろう一介いっかいの、所謂いわゆる

「ヒラ…」

 それに過ぎない奥右筆おくゆうひつではあるものの、しかし、大名や旗本、さらには御家人の人事をにな奥右筆おくゆうひつであったために、組頭くみがしら共々ともども、老中の閣議かくぎが行われるうえ御用ごよう部屋べやへとし出されること度々たびたびであり、そこで老中から大名や旗本、時には御家人の人事について諮問しもんを受け、結果、人事担当の奥右筆おくゆうひつである丸毛まるも金次郎きんじろうの意見が人事に反映はんえいされることが多く、それゆえ中々なかなか羽振はぶりが良かった。

 一方、平賀ひらが家だが、今の当主である小姓こしょう平賀ひらが貞愛さだゑの実母が田沼家と太い縁で結ばれている新見しんみ一族の傳左衛門でんざえもん正尹まさただの娘だからだ。すなわち、平賀ひらが貞愛さだゑの父・三五郎さんごろう清博きよひろ新見しんみ傳左衛門でんざえもんの娘をめとったわけだ。

 それゆえ平賀ひらが貞愛さだゑ新見しんみ家を通じて田沼家と細い縁とは言え、それで結ばれていた。いや、そればかりでなく、貞愛さだゑの父・三五郎さんごろうは個人的にも意次と親しかった。

 それと言うのも貞愛さだゑの父・三五郎さんごろうは今でこそ致仕ちし…、らく隠居いんきょの身であったが、かつては今の貞愛さだゑと同じく、ここ本丸ほんまるにて小納戸こなんどとして時の将軍…、九代将軍・家重いえしげつかえており、意次もその時はまだ、御側おそば御用ごよう取次とりつぎとして同じく、家重いえしげつかえており、その頃に貞愛さだゑの父、三五郎さんごろうは意次の知遇ちぐうを得たのであった。

 その三五郎さんごろうそく貞愛さだゑが父・三五郎さんごろうと同じく小納戸こなんどになれたのも、当人の実力もさることながら、意次の推輓すいばんもあったればこそ、であった。

 ともあれ、明日の宿直とのいになう、つまりは夕食の給仕きゅうじにな小姓こしょうが三人共、田沼家に所縁ゆかりがあり、それゆえ家治たちはホッとしたわけだ。田沼家に所縁ゆかりのある者であれば間違いはないからだ。

 ちなみに小納戸こなんど頭取とうどりしゅうにも宿直とのいがあり、しかし、小姓こしょう頭取とうどりしゅうのように、宿直とのいをするからと言って、一介いっかい小納戸こなんどと共に夕食の毒見どくみになうことはない。

 それは小納戸こなんど頭取とうどりしゅう一介いっかい小納戸こなんどとの関係が明確に上司と部下の関係であるのに対して、小姓こしょう頭取とうどりしゅう一介いっかい小姓こしょうとでは上司と部下の関係ではなく、精々せいぜい先輩せんぱい後輩こうはい間柄あいだがらに過ぎず、それゆえ宿直とのいにおいてもその関係が如実にょじつにあらわれ、小納戸こなんど頭取とうどりしゅうの場合、宿直とのいをするからと言って、夕食の毒見どくみといった実務じつむになうことはなく、それら実務じつむすべて部下とも言うべき一介いっかい小納戸こなんどに行わせる。

 それに比して小姓こしょう頭取とうどりしゅうの場合には宿直とのいをする場合には、

先輩せんぱい

 として一介いっかい小姓こしょうと共に、夕食の給仕きゅうじや、あるいは不寝番ねずのばんつとめたりもする。

 その意味で、小姓こしょう頭取とうどりしゅう一介いっかい小姓こしょうの方が小納戸こなんど頭取とうどりしゅう一介いっかい小納戸こなんどよりも太いきずなで結ばれていると言えるだろう。

 もっとも、だからこそと言うべきか、一介いっかい小納戸こなんどの行動には小納戸こなんど頭取とうどりしゅうの目が届きにくく、それゆえ一介いっかい小納戸こなんどは、

「好き放題ほうだいやれる…」

 というものであり、夕食の毒見どくみなどまさにそうであるだろう。

「いや、一応は毒に当たったフリをせねばならぬゆえ、小姓こしょうにも…、丸毛まるも政美まさたか平賀ひらが貞愛さだゑの二人にもそのつもりで、芝居しばいをしてもらわねばならぬゆえ、正徧まさゆきよ、あいまぬが、そのあたりの事情もあわせて政美まさたか貞愛さだゑの二人によくよく申し聞かせてはもらえまいか?」

 将軍・家治はひくうして正徧まさゆきにそう頼み、それに対して正徧まさゆきは「ははぁっ」と平伏へいふくしてこれにこたえた。
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